ページ

2011年11月9日水曜日

「文学少女を偲ぶ会」



虎魚(おこぜ)、自分の住まいがある処の名を頭に付けて“鉢山亭虎魚”と名乗る。
真冬でも雪駄履き、着流しに信玄袋でニタッと現れる(絶対に遅刻は許されない)。

希代の名文家、希代の美食家、この人がここは美味いといえば一級、あの取り寄せは美味いといえば一級、なかなか誉めない。私の先生の師匠である。


先生と師匠と私の3人で「忘憂会」を時々する。
「忘憂」とは中国では「酒」の事だ。先生から紹介された時、さすがの私も大緊張した。

東大を出てあの池波正太郎の内弟子となる、ウルトラワガママな池波正太郎と長きに渡って師弟関係であった。雑誌広告の見開きに書かれた文章は教科書であった。
歴史に残るサントリーオールドの「懐石サントリーシリーズ」、長いシリーズ広告だった。

 1022日土曜日、その大師匠の奥様を偲ぶ会が神田駿河台、山の上ホテル(文士のホテルという)で行われた。

自宅で静養中であったが何がなんでも行かねばならない。
知り合いの人に車を運転してもらい、挨拶をし帰って来た。
勿論大磯の先生と一緒であった。
亡くなった愛妻のお気に入りの写真の前でパチリと写真を撮ってもらった。
凄い人達が続々と来はじめた。

0 件のコメント: