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2012年10月25日木曜日

「ご近所の人」


※画像はイメージです


隣人とは淡交を旨とすべしと先達に教わった。

世の中の付き合いの仲で隣人ほど難しいものはない。
ひと度お互いに不快心や嫉妬心や意地悪心が生じたらまず消える事はない。
 マンションを好んで住む人は隣人との付き合いが面倒臭いからというのが大きな理由であるが、隣り同士になった以上淡交に適するのは難しい。

友人の話だが、マンションは上下の関係が悩ましい。
ピアノの音がウルセイんだよとか、子供がドカドカ遊ぶのを何とかしろとか、小さなベランダから成長した木の葉かなんかが隣りに一センチ入ってもハサミできられ気をつけてよなんて言われる。

知人の話だが、家の前に一時的に停めてあった車に隣りの車が接触し傷ついた。
こんな処に停めないで下さい、なんて金切り声をあげられ日々ドキドキしている。
ある花などは繁殖力がすごく地の中の根を前後左右の隣人の家の庭に進入してボコボコ花を咲かす。すみませんね、すみませんねとハサミを持って行く。

先日一匹の猫が何を間違ったか網戸に飛びつき、網戸を切り裂きガッチリへばりついていた。猫も目線を見間違うらしい。

お前なんでそんなところに爪をたててへばりついてんだよといったら、年のせいで距離感を間違えましたといった?

私は幸い良き隣人に恵まれている。
ちょっとお味噌貸してとか、お醤油貸してとか、おネギ少しあるとか、わさびの買い置きある、なんてお付き合いをさせていただいている。

ご近所の人たちには、あのアロハのオッサン何者なの、気をつけなさいと言っている姿が家の前の公園にある。確かにそう思われても仕方ないのだ。

2012年10月23日火曜日

「歌舞伎揚げ」


※イメージです


砕いた人間の肉をカレーにして臭いを消す。
 86歳の元警視がとんでもない迷惑ババアの首を切り落とす。
想う女性をストーカーして同じマンションに引っ越して来て刺し殺す。
どえらい女が一人二人三人四人とコンクリート詰めにする。
女性を全裸にして首輪をかけ、よってたかってなぶり殺す。

推理小説家はいろんな事件をモチーフにして自分なりに事件を作り出すのだが、事実はまさに小説より奇なり、いかなる作家も想像を超えたおぞましい事件が連日起きている。
長引く不況が人間の心を獣に変えてしまった。


列車で通勤していると本当にとんでもないマナーの男女がいる。
何しろこの私が言うのだから。その列車は熱海行きであった。
乗客の殆どはもうすっかり温泉気分、靴を脱ぎ靴下を脱ぎ水虫に食われた足を出す。
向いの座席に足を出す。

夫婦とおぼしき30代の二人はチューハイ、缶ビールをパカンパカン空ける。
イカサキ、タコサキ、細切りチーズ、それと歌舞伎揚げのせんべいを未だ動かぬ東京駅で飲み、かつ食う。歌舞伎揚げの油のニオイがとにかくクサイ、二人はうるさい。
その二人の横の席にいた私はじっと耐え忍ぶ。浅野内匠頭の様に。
だが人間の我慢は限界というものがある。

川崎を過ぎた頃それは起きた。
男は全て食べ残った歌舞伎揚げの袋の底にたまった残り物をでかく空けた口の中に入れて流しこんでいた。パーンと列車内に袋が割れる音がした。誰が何をどうしたか。

2012年10月22日月曜日

「エライ!数字」


※写真はイメージです


マックといばおおよその人はマクドナルドハンバーガーを連想するはずです。
ではマック赤坂といえば殆どの人が???who?のはずです。

私もいかなる人物か分かりません。
 17,884票もマック赤坂氏は獲ったのです。 

1022日の朝刊に東京と千葉を結ぶ東京湾アクアラインにびっしり隙間なく市民ランナーが走っていました。すごい数だと思ったら14,000人とか。
マック赤坂氏はそれ以上投票者に自分の名を書かせたのです。

これって大変な事なのです。
私はぜひマック赤坂氏を知りたく思いました。
普通泡沫候補(失礼)といえば雀の涙ほどの数字なのですから。

ちなみにその日三重県志摩市長選の当選者の数字は13,406票。
島根県安来市長選の数字は12,695票。
北海道歌志内市長選ではその数1,554票でした。

マック赤坂(諸新)64歳。興味が尽きません。
きっと毎日マック氏はマックを食べているのでしょうか。
いいなぁー、こうゆう人がいるって事は。

新潟県はあの田中角栄を生んだところ。
マック氏は雪合戦なんかが強かったりしたんでしょうか。
雪下ろしなんかがうまかったのでしょうか。

調べてみよう。できたらぜひ会ってみよう。
きっとテーマソングは“マックザナイフ”かもしれない。
でも意外と東京の赤坂の人だったりしたら

2012年10月19日金曜日

「血の事」


今週の週刊朝日より


私が小さいながら会社なるものを始めた時、心に決めた事があった。
どんな事があっても社員のプライドを守るという事だ。

私たちにとって仕事を持って来てくれる方はなによりありがたい方々だ。
その方々から競合プレゼンなるレースに参加させていただき目指すのは一着のみだ。
私たちにとって二着、三着は何の意味もない“負け”なのだ。
だが全戦全勝という訳には行かない。
 
残念な結果になっている処に犯人探しをする方々がいた。
私の大切な社員に対してだ。“負け”の責任は全て私にあるのに。
あの人さどこの出ですか、ちっとも動きが悪く走らない。
味噌汁の飲み方だって卑しいじゃないですか。お里が知れるし、親の顔が見てみたいですよ。やっぱりプレゼンに勝つ競走馬は“血統”でしょう。

かつて何度か経験した事だ(表現は違うが)。
私が怒り狂った時、上司や会社のトップまで頭を下げて来たが、そんな気分を味わった仕事のギャラをビタ一文もらった事はない。

確かに何億、何十億のプレゼンを勝ちたいのはわかるが戦っている内は一心同体なのだ。如何なるケースでも、人の家の“血”の話をしてはいけない。
会社の社長なんて社員が全員辞めたらただの一人者だ。
私は社員のプライドを守るためなら潰してもいいと公言して生きてきた。

週刊朝日の今週号で、橋下徹市長の“血”について書いてあった。
ドキュメンタリー作家の佐野真一氏を起用して。
私は別に彼の支持者ではないがあまりに度を超している。

“血の差別”は決して許してはいけない。
言論の自由をはき違えている。佐野真一氏ともあろう人がなに故書いたのか????だ。橋下徹市長には奥さんも子ども達も居るではないか。

人間は誰でも血の過去を背負っている。
知られたくない血、知りたくない血、できれば断ち切りたい血と共に生きているのだ
週刊朝日がどう言論人としてけじめを付けるかを見てみたい。
編集長の謝罪文では決して終わらせてはいけない。
休刊もあるやもしれない。それ程重大なテーマなのだ。

2012年10月18日木曜日

「そんなバナナ」




“その内とお化け”は出た事ないと昔の人はいいました。

ワルイけど直ぐ返すから、近いうちまとまった金が入るからちょっと貸してくれる、といってそのお金が近いうちに帰った試しはない。

私の先輩でこんな凄い男がいた。
今な、女房のおっかさんと一緒に住んでんだけどよぉ、廊下に毎日バナナの皮を置いてんだよ。近い内きっとそれで滑って頭を打ってあの世に行くはずだ。
そしたら保険金がしこたま入るからすぐ返すよ、だからちょっとだけ貸してくれよ。

その内といっていた男は、その後肺をやられて借金まみれで57歳であの世へ言った。
バナナの皮を拾っては捨てていた義母さんは92歳まで元気に生き抜いた。

グヤジーと先輩は夜な夜な化けてでているやも知れない。
私が貸した少しばかりの金は奥さんがちゃんと返してくれた。
バナナを見る度その男を思い出す。

夜中帰った日、台所にバナナが山ほどありました。
ご年配の方くれぐれもバナナの皮が落ちていたら気をつけてください。
できれば皮ごと食べちゃってください。すんごく不味いけど。

2012年10月17日水曜日

「おお神よ」


※写真はイメージです


潮の香りがたっぷりと車の中に入り込んで来た。
もうすぐ家だ。

その一時間半ほど前、夕方から夜中まで続いた打ち合わせを終え、友人とラーメン屋的日本食屋に入った、なんでもその店は35年間赤坂溜池で頑張っているとか。

壁にはズラズラズラと中華のメニュー、和食系のメニューがある。
その種類は300位ある。

友人とゴッツリ疲れたので生ビールの中を一杯ずつオーダー。
つまみは友人がエシャロットというらっきょうの兄弟分、それと厚揚げ豆腐。
私は金目鯛の煮付け。

頭の中が競輪場の様だ。
バンクの中を選手がグルグル猛スピードで回っているそんな感じだ。
2周ガンガンガンとジャンが鳴る。頭の中は回りに回り、口からは次々に思いつくままアイデアの連打であった。

で、ビールで乾杯お疲れさんと言ってグイ、グイ、グイ、エシャロットをコリッコリ、厚揚げ(薄かった)をネギとショーガをのせてブニョブニョ。
で、次にチンされてクタッとなった金目の煮付けに箸を入れる。

味が薄い。
時計は既に一時を回っていた。

私たち以外は若者が一人、春雨定食を食べていた。
戦後の焼け跡にある様なお店であった。
何故かカラオケ飲み放題3000円と書いてあった。

その夜、空には美しい星が出ていた。
平尾昌晃の「星は何でも知っている」を思い出した。
店を出た時クラクラッときた。ダウンしそうになった。
アリスの名曲「チャンピオン」を思い出した。
♫立ち上がるなこれでもう十分だおお神よ。

そう私はもう老ボクサーなのを忘れていた。
白子のポン酢を食べときゃよかたと思った。

2012年10月15日月曜日

「お知らせ」


鰯雲※イメージです


10日間ブログを休んでいました、というより私が書いた原稿を打ち込んでくれて送信していてくれたデスクの女性のPCが古くなり機能停止となりました。つまり携帯もPCも全く使えない私にとって一台のPCが動かないと私自体が機能停止となってしまうのでした。


やっぱり私は私なりの発信方法を考える時が来たと思いました。
坂本九ちゃんは“上を向いて歩こう”と歌いましたが、今や外を歩く人はみんな下を向いて歩いています。
会社の人はみんな前を向いています。話をする時でさえみんな下を向いています。

つまり携帯、メール、iPhonePCの画面を見ているのです。
こんな世の中絶対変てこだと思うのですがとにかく便利すぎなのは便利です。
でもこの便利の先にある社会を想像するととても恐怖を感じます。で、まあしばらくブログを更新しますが近々ジ・エンド、終わりにします。

ブログを休んでいたら何人かに病気でもしているのかと連絡がありましたので、元気でいますとのお知らせです。 
13日空には鰯雲が泳いでいました。

2012年9月24日月曜日

「お線香の煙」

おはぎ ※イメージ



「なんでこんなに人がいやがるんだ、こんな中の悪党一人位殺したからってどうって事はねえじゃないか」
い間刑務所に入っていた中年の男は人混みの中で呟く。
会っていなかった女を久し振りに抱く、じっくり口を吸ってからこういう。

「お前胃が悪いんじゃねえか、息が臭いぞ」

石原慎太郎作、篠田正浩監督の映画、「乾いた花」のセリフだ。
沢山映画を観たが最も好きなセリフだ。男は池部良、女は原知佐子であった。
小さな部屋で花札をする男と若い女。
女は男に聞く、「人を刺し殺したんだって」「ああ」「人を刺すってどんな気持ち」「どうってこたぁないが、なんか自分と繋がっている、生きているって思うんだ」若い女は加賀まりこ、これがデビュー作であった。

自分が生きてんだか、死んでんだか分からなくなった時、この映画を観る。
猛暑と残暑が体を痛めつけた。九月二十三日(日)強く鋭い雨がガラス戸を叩く。
父と母と親友と、二匹の犬の写真、赤と青の二匹の猫の置物の前におはぎを四つお皿の上に置き、お線香に火を付けて立てた。うっすらと細く白い煙が流れ雲のように部屋の中に動いた。

いつか死ぬ時どいつを殺してやろうかとふと思った。その時きっと自分と繋がる事ができる。
生きたまま死んで行ける、そう思った。

血の色をした金魚が雨をよろこんでいる。
善良な人間を演じるという事はむずかしい芝居だ。
何の思い出もない、法衣を着た父親の写真に語りかけた。
あなたはいつも本当の自分でしたかと。

2012年9月21日金曜日

「チャラの話」

 


JALだけには乗らない事を決めた。
何故かといえば不吉の火の色が赤々と見えたからだ。

会社更生法からわずか二年余りで再上場を果たした。
京セラの稲盛和夫会長の経営手腕と言うがやった事は大量のリストラ、不採算路線の廃止、ジャンボ機の売却等々である。確かにナショナルフラッグとして何もかもやりたい放題であった。
それを大鉈を振ってスリム化し、意識改革したのは持ち前のアメーバ経営です。

企業の再生人としてはやはり凄い人なのでしょう。
不吉な火の元は5200億円の債務をチャラにしてもらった事です。
私たち零細企業は借入金をチャラにしてもらう事は有り得ない。
とことん追い込みをかけて来るのが金融機関である。

例えは悪いが銀座のBarや八重洲中央口の焼鳥屋さんや東銀座のおでん屋さんのツケをチャラにしてくれといっても100%通らない。バンス(ツケ)を背負ってくれた女性や脂まみれで串入れをする親父や開店時間中おでんの種を二本の箸でひっくり返しを繰り返す女将さんに迷惑をかけてしまう。

ツケを支払わず他の店で飲んだり食ったりしていたら必ずバチが当たる事となる。
ツケを背負わせた女性の怒りはジャンボ機一機位を炎上させる程なのだ。 
JALがチャラにしてもらった5200億は預金者の血と汗の生んだお金だ。

再上場でしこたま儲けた者たちがいるのは当たり前田のクラッカー。
誰が一番儲けたかは言わずとも分かる筈だ。その夜家に帰ればグレーの封筒が来ていました。
請求書在中とブルーの判子が押してあります。決してチャラにしてくれない飲み代です。

JALが大事故を起こさない様に願います。
私の霊感は恐い程当たる時があるのです。先日横綱白鵬が前頭栃煌山に負けるとズバリ当てました。

2012年9月20日木曜日

「小さな秋」

 


チッ、チッ、チッ。
いや、キュッ、キュッ、キュッ。
いや、チキッ、チキッ、チキッとも聞こえます。

枕元の側にある竹製のゴミ入れに一匹の鈴虫がへばり付いて鳴いているのです。
私の居住空間は四畳半、そこに小さな秋がやって来たのです。取材に出ていたので気が付きませんでした。

どこから入ったのかは分かりません。
猛暑と残暑でへたった心がうれしくなりました。

九月十九日の深夜、小さな秋を満喫しています。鈴虫独り占めです。
私は家の広さとかには全く興味がありません。今住む小さな中古住宅を買った時も見たのは引越前でした。
不動産屋さんが引越をしてから文句を言われたら困るからと夜中に懐中電灯で照らしてくれました。
愚妻に全て任せていました。死ぬ程働いていると家は眠るだけの存在だったからです。

むかしの人がいいました。
立って半畳、寝て一畳、これで十分なのです。四畳半もあればかなり贅沢です。
広い方がかえって落ち着きません。子供の頃は一間に六人兄姉全員で寝ていたのですからね。

どうやら鈴虫ちゃんは未だ子供の様です。暑さ寒さも彼岸まで。
ホントむかしの人の教えには敬服です。
これを書いている文机は左右約45センチ、奥行き35センチ。
付けっぱなしのテレビは病院の病室にあるのと同じ大きさ。

私のカチカチの体に鍼とお灸をしてくれる佐賀出身の先生の治療を受けると一週間は四畳半の中にお灸の香りが残ります。これをクンクン嗅ぎながら(とてもいい香りです)鈴虫の鳴き声を聞くのです。実に風流の極みなのです。