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2017年2月28日火曜日

「ワンタンメン」




ワンタンメンを食べる時、メンが先かワンタンが先か(?)かつてラーメン界に大論争(?)が起きた。
一人はワンタンメンなのだから先ずはワンタンをレンゲにが当然だと言い、一人はワンタンメンと言ってもラーメン界の序列でいえば先ずメンをすするのが当たり前だと言う。相方相譲らず命を張るとか、体を張るという状態となった。

マアマアと仲をとりもったのがチャーシュー、メンマ、ナルトであったが争いを止めるには役不足であった。
論争にケジメをつけたのがスープであった。
先ずスープをすするのが礼儀であるべきだと。
スープといえば中華の命、メンもワンタンもスープがなければ浮かばれない。
正体不明、アリバイ不在となる。

で、結局ワンタンメンの序列が決まった。
一.スープ、二.メン、三.ワンタン、四.チャーシュー以下メンマ、ナルトとなった。
これはG8とかG20の国際会議の議題にはならなかった。
中華料理は大好きだが中国は嫌いだという意見が大勢を占めた(?)
ちなみにメンとワンタンの序列はジャンケンで決めた(?)

昨夜私は辻堂で降りるべきところを、ウトウトしてしまい茅ヶ崎まで一駅乗り越した。
昼にそばをすすっていたが腹は減っていた。
十時に近い、外は寒い、階段から見えたのが赤のれん、白ヌキの文字でヤキトリ。
強烈な引力で店内に吸い込まれた。何を頼んで何を食べたかはお会計2860円でご推測を。

ウンターに座って隣の男女の会話に、オッ、オッと思った。
ヤキトリ界に大論争(?)が起きていた。
三十代中頃の男と二十代終わり頃の女性
「男がヤキトリを箸で外して食べるなんてキモチワルイ、ヤキトリはやっぱり串を持って肉を食いちぎらないと男らしくないわよ!」
「そんなこたあないわよ、口の周りがベタベタしてやなんだよ、こうやってさぁ、一つ一つ串から外してお箸でこうやって食べれば、ホラ、キレイじゃん」
「何それヤダァ小指なんか立てて、男のくせにギンナン一個ずつとか、シシトウ一つずつとか、レバー一切れずつなんてワタシゼッタイ嫌い!」
なんて論争をしていた。

なるほどヤバイではないか、私は気がつくと串から肉を箸で外しているではないか。
でもそのまま食べた肉もある。硬軟肉によって食べ分けていた。
それでいいのだと思った。砂肝は箸で外し、皮はそのまま食べた。
男女2人は鶏茶漬けと、海苔茶漬けをオーダーした。

メンが先か、ワンタンが先か(?)手羽先を食べながら私なりに結論を出す。

2017年2月27日月曜日

「無冠の男」



アホヌカセ!小説家風情、物書き風情に大事な娘を嫁にやれるか。
かつて小説家といえばヤクザな職業、食えない職業の代表であった。

酒に女遊び、博打にクスリ。
ヒモのように生き、ヒルのように女性にへばりつき血を吸った。
そんな生き様を書いた小説は“私小説”というジャンルに分類された。
自堕落な転落小説である。
そんな書き手は無頼派などと言われた。寸借詐欺や借金と前借りを繰り返す。

小説のネタを仕入れるために、更に酒と女遊びと博打とクスリ漬けとならざるを得なかった。転落小説はいつしか出版社により“純文学”というピカピカの称号を得る。
それを生んだのが芥川賞であった。
文芸雑誌の「群像」「すばる」「新潮」などの編集者がこれはと思う新人に目をつけ、編集者の手のひらの上で新人をもてあそぶ。
編集者はSで、新人はMのような関係となる。

出版社には全国の新人たちから夥しい数の小説の売り込みがある。
99.9%はボツとなる。殆どは最初の一行か数行読んでボツとなる。
本が売れない時代、小説よりもそれを書いた人間のプロフィールが重要となる。
あるいは編集者が自分を投影できる人間に、小説を書かせる。原稿は編集者の入れた朱で染まる。Sはケツを叩き、Mは悲鳴をあげる。天才は0.01%もいない。
敏腕編集者はその上を行く才能を持っている。
ハイ書き直し、ハイ書き直し、ダメ出しが続く。

人間は誰でも名作を一作書けると言う。
その人にはその人にしかない人生があるから、そのまま書けばいいのだ。
歴史小説には資料がある。山岳小説は山に登り、紀行文は旅に行けばいい。
冒険小説はそれに挑む。
推理小説には世界中にネタ本があり、更に裁判の記録や実際の事件を巧妙に絡み合わせればソコソコの小説となる。勿論第一級の作家たちの作品は別だが。

昨夜夜九時~NHKスペシャルで芥川賞作家、又吉直樹の第二作を生む苦悩する姿を見せた。これはある意味掟破りの番組だ。
編集者にテーマを決められ書く程に、書き直しをさせられる。
決して読者に見せてはいけない舞台裏だ。少しばかり読書しているお笑い芸人を、作家として売り出した。一作目は実体験で書けたが、二作目はそうはいかない。

恋愛をしてない人間に恋愛を書けと編集者は言う。
又吉直樹はとまどいながら必死に言われるように書き直す。
出版社はすでに本の題名を生み、出版日も決めてしまう。
さて、近々発売されるこの「劇場」という本は誰が書いた小説なのでしょうか。


昨日茅ヶ崎駅南口長谷川書店に行くと、村上春樹の新作がたくさん平積みされていた。
この作家は出版プロデューサーとしての方が才能がある(カバーデザインがやけにマイナーだった)。パラパラとめくっておわり。
又吉直樹よ小説家なんかより、お笑い芸人の方がなんぼも価値あるよ。
つらいこと、嫌なことばかりの世の中で人をコトバで笑わせるほど難しいことはない。
一流の作家はいくらでもいる。が、一流のお笑い芸人は何人もいない。

長谷川書店で私が買った一冊は「無冠の男」故松方弘樹さんのインタビュー本だ。
抜群に面白い映画屋の本だ。
出演全作品紹介の中に中野裕之監督と作った短編映画「灯台」までちゃんと年表に載っていた。高倉健さんは唯一好きになれなかったとか。
(文中敬称略)


2017年2月24日金曜日

「フェルメール『合奏』とデコポン」



今日まで家の者は娘宅に行って居ない。私は二日振りに帰宅。
ポストに郵便物や新聞が溜まっていた。

電気をつける。台所にヤカンがある。
湯の入っていないヤカンはどこか淋しそうなので、水をたっぷり入れて火をつけた。
すでに十二時を過ぎていた。
会社で未だ働いているスタッフを想うと何かせねばと思った。

服を脱ぎ、手を洗い、リステリンでうがいをし、水でザバザバ顔を洗っていたら、ヤカンがヒューヒューと鳴り出した。やっぱりヤカンは私が帰って来てうれしいのだ。
ヤカンがヤカンとして職務を果たせるからだろう。モノにも命はあるのだ。
古くなった冷蔵庫はウーウーと唸っている。

父、母、兄、友人、友人の写真の前にお線香をあげる。
カップの中に紅茶のパック、熱い湯を入れるとパックの糸がピンと張る。
糸をつかむ白い紙がカップの中に入りそうになったので指でつかんだ。
二日分の新聞に目を通すのに二時間ほどかかった。

お世話になった人が定年後故郷の高知に帰り美術館の副館長となり、忙しい日々を送っていると寒中見舞いが届いていた。モネの水蓮の絵とソックリな池がある。
その前で写真を撮ったのが葉書きにあった。水彩画で花の絵もあった。
きっと行くぞよ福井正文さんと葉書きに声をかけた。
まっこと行かなぁ~いかんぜよだ。

停年、定年、リストラで退社、職業引退などの手紙や葉書きが来る。
こればかりはどうすることもできない。
デコポンを送ってもらっていたので一個箱から出す。果物ナイフで四分割にする。
ナイフもどことなく嬉しそうだ。

午前三時、借りて来ていた映画を一本見る。
「消えたフェルメールを探して」(83分)。
福岡伸一教授を27日撮影する。教授はヨハネス・フェルメールの追跡者&研究者。
「フェルメール光の王国」は美術を書いた本の中では出色の名品である。
何しろ文章が上手い。一級の推理小説でもある。


一九九〇年三月十八日、ボストンにある個人美術館、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館で起きた有名な事件を題材にしている。
泥棒たちはガードナー美術館に侵入、一時間半かけてドガ5点、マネ1点、ホーフェルトフリンク1点、レンブラント3点、そしてフェルメールの最高傑作といわれる「合奏」1点を持ち去った。

その道で有名な元海軍上がりの絵画探偵ハロルド・スミスに絵を探す依頼が入る。
スミスは皮膚がんで顔は崩れている。
義鼻、耳には大きな包帯、片目には黒い布(伊達政宗みたい)。
フェルメールの名画には500万ドルの懸賞金がかかる。
イザベラ夫人が購入した時は5000ドルだった。
幼な子を亡くした夫人は、絵画、美術品、彫像、骨董などに生涯をかけ、気に入ったものはすべて競り落としていった。
残ったのは莫大な借金と美術館だ。
八十三歳でこの世を去る時、遺言で絵画美術品等は決して動かしてはならないと書き遺した。一般公開を続けるようにとも。

世界には兵器や武器マフィアとか、薬品マフィアとか、麻薬マフィアがいる。
中でも怖ろしいのが絵画マフィア(ギャング)だ。
ボストンのボス、ホワイティ・バルジャーは、ボストンで起きた事件は2秒で伝わるといわれるアイルランド系のマフィアだ。
元大統領、上院議員、下院議員、さまざまな悪党が事件にからむ。

議鼻の絵画探偵は「合奏」を世界中で探しながら無念にも2005年でこの世を去る。
ボストンのボス、バルジャーはFBIの内通者であったことが新聞でデカデカと発表される。FBIというのは超悪党なのだ。
絵画マフィアの世界が分かる、実によく出来たドキュメンタリー映画だった。
イザベラ・スチュワート・ガードナー夫人は、顔は平凡であるが、そのプロポーションは芸術品のようにすばらしかったという。
その肖像画は、ガードナー美術館にある。

通販で買ったジャケットが届いていた。留守の時置き場所があるのだ。
デコポンがおいしかった。






















2017年2月23日木曜日

「柵の中は、愛が不足」



忠犬にはなるが、忠猫にはならない。
犬は人になつき、猫は家になつくと言う。
犬派と猫派がいる近頃では猫派が優勢とか。
散歩に行かせたりの手間がかからない。
プヨプヨの肉球を触るとトゲトゲしていた心がしばしプヨプヨになるらしい。

昨夜宿泊した娘の家にチワワの子犬がいた。未だ二ヶ月位であった。
茶色のチワワはピヨピヨとヒヨコみたいに鳴く。ハウスから出してもらうと、うれしいのか部屋中をクルクル回る。見ている方が目が回る。

銀座の仕事場の隣にペットショップがある。
50×70センチ位の柵の中に子犬や子猫が入れられている。
大きくなるにつれて値段は下がり、いよいよ大きくなり買い手がないと姿を消す。
犬派と猫派の人が歩く道すがら柵を眺めては、キャーかわいいとか大声を出して言うけれど、買っている姿はあまり見たことはない。

思えば私たちも人間社会という柵の中で生かされている生き物なのだ。
お手と言えばお手をし、お座りと言えばお座りをする。
生きて行くためには足の先までもナメるのだ。
誰もキャーかわいいなどとは言ってくれない。

が、犬はもとはといえば狼だから、いよいよコノヤローと思ったら、ガブッと噛みつくのだ。ニャーニャーと猫撫で声を出していても大きくなれば虎やライオンだ。
いよいよバカヤローと思ったらカァーと目をむいて飛びかかり爪でかきむしるのだ。
人間社会の柵の中で「愛」が決定的に欠けはじめている。

船橋→市川→錦糸町→馬喰町と列車は進んだ。
三人掛けのところに若い女性が座っていて、その前に老女が立った。
かなり混んでいた。シルバーシートなのだが若い女性はスマホかなんかに目を奪われていた。老女は一本の杖を頼りに列車の横揺れに耐えていた。
コラッ立ってあげろと誰かが言うと思ったが、声はなかった。
私は東京駅で降りた。朝早くから怒鳴る元気がなかった。
私も愛が不足していたのだ。

2017年2月22日水曜日

「二月二十二日」



二月は走るという。あっという間にもうすぐ三月。
だが一月元旦から今日まで映画もかすむ事が起きている。

ゾッとする暗殺やおぞましい事件、アメリカ合衆国の大混乱、日本国法務大臣、防衛大臣の粗悪なコントのような答弁、東京都をジャックしたように勝ち誇る知事。
我が世の春は長くはない。
文科省のずる賢い天下りシステム、教育者失格の惨状、強風、烈風、アスクルの工場は燃え続ける。沢山仕事をした名門東芝の信じがたき姿。

レポーターが街角インタビューをシルバー世代に、64才女性に対し今恋してますか、え、何、恋、ギャハハ、してますよ、片思いだけど、ギャハハ。
67才男性に、恋してますか、オッ、しているよ、肉体関係は終わってもプラトニックは大切だよ。ガハハハ。

早咲きの梅は冷風にじっと耐える。沖縄では桜が咲いたとか。
福島の原発は絶望的状況に。総理大臣はもし土地売買に関係をしていたら総理大臣は勿論、国会議員も辞めますよと言い切り、野党はヘルメットを被って土地巡り。

銀座の夜、肉まんを食べていた男女が突然ディープキス。私といえば目のやり場に困る。
61才女性へのインタビュー、今恋してますか、私「君の名は」みたいになりたい、好きなヒトとディズニーランドに行きたい(?)(?)変かしら、キャハハハ。
頭にはカワイイ花のカチューシャが。人類は本当に大丈夫かと思う。

ヒヨドリは庭のリンゴをせわしくつつき、赤い金魚は黙して語らず。
海岸の側でハンバーガーを食べていた若いペアに、空からはやぶさが一気に急降下しハンバーガーを持ち去る。
親愛なる友は血糖値を下げるために歩き続ける。
健康オタクでマラソンマンの男が癌となる。

ある都市の川では3メートルもある大ナマズが川辺に集まる鳩を襲い食べまくる。
ナマズが鳩を食べだしたのだ。
野生の猿が公園のベンチで人間と共にランチをする。
猿の縄張り争いからやってらんねえと逃げて来た。

68才男性へのインタビュー、女性にモテるコツは何ですか。
床屋へ行く、爪を切る、歯を磨く、口説きまくる。ウヒヒヒ。
日本は大丈夫だろうか。

今日は亡き友の墓に参る。とんでもない世の中になってきたことを報告する。
熱々のカレーうどんをすする男は、白い紙のエプロンをしている。
この男に何が起きたかは今度、また。二月は全力で走っている。



2017年2月21日火曜日

「トライアンフ」



「LEGEND 狂気の美学」飛び切りおすすめの映画だ。
1960年代イギリスの裏社会で伝説を生んだ実在のギャングの物語だ。
ギャングは一卵性双生児であった。
本物の双生児(?)が凶暴なギャングを演じる。

兄はホモセクシャル、医師から常時精神安定剤を服用するように言われる。
そして狂気を極める。弟はクレバーであるがやはり狂気を極める。
兄は殺人罪で捕まるが精神病院に送られて生涯を終える。
弟は33才の時、やはり殺人罪で捕まり33年の刑に処される。
66才の時癌に冒され病院に移されるがその8週間後に死ぬ。

地獄というのがあれば狂気の双生児は間違いなく地獄に落ちたはずだ。
地獄にはさまざまな地獄があり、死ぬほど痛い思いをするのだが、そこには死はない。
ずーっと永遠に苦痛と共に生きる。
それ故狂気の双生児のギャングは未だ地獄にいて苦痛の絶叫をあげているはずだ。

この映画は残忍だがスタイリッシュだ。
ジャズ、葉巻、ファッション、スポーツカー、アメ車、ベンツ、ダンスはフラフープ、ゴーゴーと変わって行く。
何度も捕まったが33才で最期に捕まったのだから、ギャングとしての活躍は(?)は短い。双生児はかなり美男子であったようだ。マッチョでもあった。
双生児はコインの表裏、二人で一人なのであった。
時には憎しみ合うライバルでもあった。が2人はアタマは狂っていても、こころは繋がっていた。

イギリス映画は言葉のやり取りがシェークスピアの劇のようである。
人生とは…、運命とは…、直接話法でなく、言葉と言葉がぶつかり合う、まるでスリークッションのビリヤードの球のようにすこぶる気の効いた比喩を使って話す。
人生には精神安定剤が必要だ。運命は選べない。

兄の裏切り的行為に逆上した弟は、兄の子分をメッタ刺しにして殺す。
そして兄に耳打ちする、お前は殺せないその身代わりだと。
双生児同志が殺し合うことは決してない。
弟はポニーテールの堅気の娘に恋をするのだが狂気の双生児の起こす残忍な姿を見て、やがて娘は精神を病む。

イギリスのギャング史に残る、一卵性双生児だ。
赤いスポーツカーのトライアンフに乗るギャングと恋人。
私がはじめてトライアンフを見たのが1960年代だった。
グリーンのトライアンフに乗った男の職業はデザイナーだと言った。
デザイナーそれってwhat(?)私はこの男の出会いからデザインの道を走り出した。





2017年2月20日月曜日

「多忙の週末」

週末土日、YOROZU相談室は辻堂にその場を移し、多忙であった。
土曜日午後二時~四時、鍼灸マッサージの達人が平塚から来てくれて、鍼をブスブス、お灸をボーボー、全身のマッサージをグイグイとやってくれた。
これは治療ではなく工事ですと言う。
佐賀出身のこのヒトは温泉地で修行しながら独立をした。

体がブワン、ホワン、ボーとしていたのだが、電話が数本入った。
一本は金を借りたいという。
ある訳はない、それに前に貸したのを返してもらっていない、で終わり。
一本は就活の相談。昨年卒業したが未だに就職が出来ていないとか。

で、日曜日昼、辻堂の星乃珈琲店で本人とご両親と会った。
23才にもなってしっかりしろと言ったら、目が三角になった。
大学で教師の資格らしきものを持ったらしいが、自分を教育できないのに人を教育できるのだろうか。
エッ、オイ、キミどーなのと言えば、じっと黙ってオレンジジュースをストローですすっていた。ご両親はかなり疲れていた。

午後二時過ぎ駅前のデニーズへ。
離婚危機の報告。夫婦でなく妻一人で来た。
私はグラスワイン白二杯、妻の人オレンジジュース一杯。
夫は来なかった(人事異動になってしまったとか)。
夫は多分というか絶対浮気、三才の男の児が一人。
生活費を入れない、外泊が多いとお決まりのパターン。ところがやや事情が違った。
妻はパート先の病院で、レントゲン技師と出来ちゃったとか。
レントゲン技師は時々バイトでやって来る。このケースは深入りするとヤバイ。
で、私にはどうすることもできない。
三才の男の児の将来に何が大切かを考えなさいなどと言ったが当たり前過ぎ、医療事務の資格をとったばかりに。
三才の男の児は一生懸命ガチャガチャをやっていた。

五時過ぎ、湘南モールの中の喫茶店に。
この男グチる、チクる、ブーたれる。私の大嫌いなタイプ。
転職相談なのだが、MEイズムの典型、自己愛主義、自分は正しい主義、だから上司も仲間もみんなダメ関係となる。
でキミはとキツク言うと、少し泣き出した。ミックスサンドに涙が落ちた。
私のモットーはチクって、グチって、ブーたれた人間は信頼はしても信用はしない。
会社や仕事に対する好奇心や熱量が著しく低下するからだ。期待しても無駄花となる。
長い経験上きっと期待するだけシラシラ、ヒラヒラ、スカスカとなる。

で、相談相手にキミを使ってくれるところは〇ゼロかもしれない、〇ゼロからやれるかと聞いたら、家賃と生活費で切り詰めても17万かかるという。
奨学金の返済も40才まであるんだとか。
うーむ、キミはバカになれるかと聞けば、(?)(?)(?)バカじゃありませんと言われた。まあいいや、何か食べなさいと言ったら、ビーフシチューを頼んだ。
私はハイボールを頼んだ。

月曜日ブログを読みなとみんなに言ったら、いつも読んでますと言った。
書いていいかと聞いたらいいですというから書いた。
嫌、嫌生きることはない、人生は広くそして長い。
やることは、やる気さえあればいくらでもある。
但しMEイズムは社会に適応できない。アタマを使ってバカになるべしだと言った。
さじを投げられても食いつけよと。さじを投げた相手には私ほどキツイ人間はいないだろう。
守るべきものを守るためには、鬼にも蛇にもなる。
花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ、嫌な会社、嫌な上司、嫌な結婚、嫌な相手。ところがキミが嫌と思う以上、相手もキミを嫌がっている。
人生とはそんなもんなんだ。

「元気ですか~、元気があれば何でも出来る!」アントニオ猪木さんの気合を思い出していた。

2017年2月17日金曜日

「流し」


大作曲家船村徹さんが亡くなった。

栃木県出身の船村さんは学生時代クラシックを目指していた。
その頃一人の天才と出会う。作詞家となる高野公男である。
オイ、船村、人間を唄え人間をと言われる、宮城出身の高野公男とやがて名曲、「別れの一本杉」を生む。
船村さんはクラッシックをやめて、流しの歌い手となる。天才は早く死ぬの決まり通り、高野公男は二十六歳でこの世を去る。
流しをしながら天才となって行った船村徹さんは八十四歳でこの世を去った。

流し出身といえば北島三郎と渥美二郎が有名だ。
新聞のファイルにこんな記事があった。二月十三日朝日新聞夕刊。
平成の「流し」新世代じわり。という見出し。今ギター一本で酒場を彩る「流し」をする若手が増えている。

主に恵比寿横丁を流すのは芸名「パリなかやま(40)」さん。酔客から次々とリクエストがある。
年間約250日街へ出る。演歌からアニメまでレパートリーは約2000曲、な、なんと2000曲。3曲で1000円位。かつては1曲500円だったとか。街は不況なのだ。リクエストが一番多いのは中島みゆきの「糸」であるとか。
記事はより詳細であった。最近、「平成流し組合」を結成。現在男女8人が所属している。有楽町、吉祥寺、遠く大阪からも声がかかるという。

私は若かりし頃、流しの男にリクエストをした。小林旭の「さすらい」をよく唄ってもらった。
♪~夜が又来る 思い出連れて 俺を泣かせに 足音もなく 何をいまさら つらくはないが 旅の灯りが 遠く遠く うるむよぉ~。

船村徹さんの後を継ぐ天才が出て来るかも知れない。
人間を唄えるのは、人間でしかない。AI人工知能に演歌は唄えない。
夜の街に出て流しに会いたいと思っている。
船村徹さんに合掌。(文中敬称略)

2017年2月16日木曜日

「さよなら人類」



午前二時四十九分四十四秒。
テレビでは炎の指揮者小林研一郎(通称コバケン)がチャイコフスキー交響曲第四番のタクトを振っている。読響のコンサートである。
前日の昼十二時「徹子の部屋」に仲宗根美樹が出ていたのと何故かシンクロした。

お世話になっている東洋羽毛さんが「徹子の部屋」にCMを流しているので火曜日の昼はそれを見る。
♪~病葉を今日も浮かべて 街の谷 川は流れる ささやかな 望み破れて…名曲を思い出す。仲宗根美樹は生きてたんだと思った。
クラシックは第九以外まったく分からない。
オーケストラの全体感と、仲宗根美樹の孤独な病葉感(わくらばかん)となる。

よくわからないチャイコフスキーを見聞きしながら口では「川は流れる」を口ずさんでいる。
かなりイカれちまったのかもしれない。
そうか、北朝鮮の金正男毒針暗殺のニュースをしこたま見た後、ロイ・アンダーソン監督の「さよなら、人類」を見たせいだと気がついた。
第71回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)受賞作である。

シュールで不条理、アナーキーなアナログ。思考回路がプチンプチン音をたてて切れる、一カット一カットの映像と言葉。文学と哲学が不可思議な距離感で交差する。
人間と人類が絵画的構図の中で会話する。
例えば、小さなアパルトマン、小さなテーブルの上にささやかな夕食と二つのワイングラス、太った男がワインの栓を抜いているのだが抜けない。
両足にはさんで思い切り栓を抜こうとする、抜けない、ウーウーと力を込める。
スポッと抜ける、太った男は後に倒れそのまま死ぬ、隣の小さな部屋には何も知らない女房がゴソゴソしている。小さく細いベッドと椅子と机しかない部屋。
変な仮面を被ったやせた男が机にうつ伏せになって古いラジカセの音を聞いている。
それをずっと半開きのドアから男が見ている。うつ伏せになりながら、あの世に行って両親に会いたくない、会いたくないと言い続ける。

この監督は人間&人類のディープな観察者だ。
二人の中年セールスマン、売っているのはフランケンシュタインの牙というか歯なのだ。
♪~病葉は今日も流れる。チャイコフスキーの正確な音律と、仲宗根美樹が重なる。
ロイ・アンダーソンなら、きっと読響のみんなに美しいオナラをさせるかもしれない。


ダメだ午前三時四十三分五秒、いつものグラスに“かのか”をごっつく注いだ。
もうちょっとで“おはよん”が始まる。それにしても毒針とは。北朝鮮の崩壊は近い。
でっかいドラム缶みたいな中に、捕虜を次々と入れて火を放つ、メラメラボーボー燃える中で捕虜たちがアチチと暴れているのか、ドラム缶はグルグル回る。
それをじっと見ている軍人たちのシーンもあった。さよなら人類なのだった。

2017年2月15日水曜日

「カレーパン」




何やってんだと見れば、七つの間違いさがし。
何食ってんだと見れば、アンデルセンのカレーパン。
何読んでんだと見れば、スポーツニッポン。
何やってんだと電光掲示を追えば、横浜ー戸塚間で電気を送る架線から火花が出ているとのことで、東海道線上り下りとも運転見合わせ、十二時半に新橋に行かねばならない、買い物を先ずしようと思い、一時間早く列車に乗った。

午前十時頃、辻堂駅から乗車したがずっと動かない。
車内放送でしばらく、動かないと言う。
ひょっとすると一日中動かないような、やけに悲観的な男の声。まあ買い物はいいか、一時間早く乗ってよかったなと思い朝日新聞を広げる。
左横窓側、右横、斜め前、その横が視界に入る。日本人はずっと静かだ。

10分、15分、20分、朝日新聞をサラサラと読みニッカンスポーツを見る。
社内放送が何度も流れる。火花が散りました、火花が止まりっておりません。
又吉直樹の芥川賞受賞作「火花」というワードがやたらと流れる。

25分、30分、全然動かない。
藤沢駅が少し動き出しました、しばらくお待ちください。
藤沢駅までは動きますと言う。
藤沢じゃ横須賀線に乗れない、何とか大船まで行かねえかなと思う。
トイレに行きたくなったので、すみませんちょっとと言って席を立つ、みんなじっと黙ってメールを送ったり、ドア口の所で携帯から電話をかけている。
もしもし動かねえんだよ、もしもし動かないんでちゅとかを話してる。
何やってんだか、何食ってんだかを見ながら席に戻る。

35分、キムタクのドラマ視聴率がやっぱりヒドイなとか、NHKの大河ドラマおんな城主直虎は14%ちょいか、全然見る気しないなと思い、ニッカンスポーツを東京新聞にかえる。
40分、45分、なんだよ何時動くんだよと思い時計を見る。
日本人は静かである。
東海道線は辻堂で止まったらアウト、藤沢なら小田急がある。
大船なら京浜東北線と横須賀線がある。

50分、ヤバイ今動かなきゃ間に合わないと思った時、ガタンゴトン、ガタンゴトンと動き出した。車内放送は心なしか明るく元気になっていた。
ヤッホーみたいになった。
日本の鉄道は凄い、東海道線の車線から横須賀線に移り、また東海道線に戻るということをやるのだ。

結局新橋に十二時二十分頃着いた。
新橋第一ホテルロビーにスレスレ間に合った。
七つの間違い探しの中年男子、カレーパンの若い女性、スポーツニッポンの三十代会社員風もホームから下りのエスカレーターに乗っていた。

夜帰宅して夕刊を見ると、停車した列車から降りて線路脇を歩いている人、人、人の写真があった。二時間近く待たされたという茅ヶ崎の男性(56)の話が載っていた。
それにしても日本人は静かだ。不気味なほど静かだと思った。
私もつられてずっと静かであった。

カレーパンがやけにうまそうだった。ピザパンとチーズパンも食べていた。
ブリックパックからストローでリンゴジュースを飲んでいた。誰かに似ている。

2017年2月14日火曜日

「グリーンピース」




国境はない。大勢の不法移民や難民、流民は来ない。壁もない。
宗教対立による争いもない。
金光教、天理教、真光教、真如苑、PL教、幸福の科学、立正佼成会、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、霊友会、阿含宗、そして最大の創価学会。
数えたらきりがない程の宗教がこの国にある。
が決して宗教間で激しく戦闘などはしない。

この国は稀有の国と言っていい、実に寛容なのだ。信教の自由が守られている。
国民は勤勉であり、法に対して従順である。
パスポートを失くした外国人が途方に暮れて警察に行くと、そのパスポートが出て来る国である。
大金を入れたバッグを電車内に忘れた女性が、キャーと気がついてホームの駅員さんに届け出ると、終着駅で預かってくれている国である。


昨年の十一月二日に東海道線内に忘れたメガネが現在熊谷駅にある。
三ヶ月以内に取りに行かなかったので、熊谷警察まで行かねばならない。
今は急場しのぎの3000円のメガネである。親切で誠実。
真面目で几帳面、そして清潔である。

満員電車内は無言である。ブレーキがかかったり、揺れたりすると吊革を握りしめる。
体と体が密着する。痴漢に間違えられないように気をつける。間合いを取る。密着する体から汗が臭う。ニンニク臭い奴もいる。じっと我慢する国である。
お前今日カレー食っただろうと思う臭いの奴もいる。
髪の毛を三日くらい洗ってない奴の臭いもある。じっと我慢する国である。
足の上に足がある、がじっとそのまま耐える。

私は無宗教、無神論者である。去る者は追わず、去る者を愛す。
来る者は拒まずでずっとやって来た。特別生理的に合わない人間以外は。
友人に創価学会もいれば、知人に立正佼成会もいる。キリスト教徒も多い。
みんな仲良しである。仏教徒と神教徒と酒を飲むことも多い。皆寛容である。
稀有なこの国の民はアリとキリギリスに例えれば当然アリである。

ピンポーン、チャイムが鳴った。ドアを開けると、二人のご婦人と一人の男の子が立っていた。聖書はという手には「ものみの塔」と書いてあった。
すいませんいいですと言ったら六・七才の男の子が私を見つめた。

仕事場に友人から頂いた聖書がある。時々めくっては読んでいる。
作家開高健は旅に出る時は一冊の本さえあればいい、それは聖書だと言った。
汚れに汚れた心を洗うために、旅に出たいなと思ったりする。
友人の信者によれば三年かければ読み終えると言う。

斜め前の席でエビスビールのロング缶とキリン氷結を飲み終えた男がいる。
足を広げ大きなイビキをかいている。むき甘栗の袋とグリーンピースの袋もある。
鼻の穴の中にグリーンピースの豆を入れてやろうと思った。私は寛容ではない。

昨日深夜「ディーパンの闘い」という映画を見た。
国境、人種差別、家族、貧困、宗教、そして殺し合い。
日本国はどんな運命を辿るのだろうか。
ゴルフ場でこの国を賭けていたのではないだろうか。
信じる者は…(?)賛美歌が流れる。

2017年2月13日月曜日

「お茶漬け」




これは私のうがった読みである。
小泉純一郎元総理が安倍晋三現総理を評して、物おじしないところを認めたと言っていたのを思い出した。

世界中の殆どの指導者がノーを突きつけているトランプ大統領に接近密着した。
敵を知るためには敵を知るべしという。
接待をされるのと、“接待漬け”にされるのとは大差がある。

いわゆる接待とは日頃のごあいさつの一つである。
前略と敬具の間に、少しばかりのお料理とお酒などが礼文の替わりにある、ビジネスをして行く上で最も大切な商習慣であると言っていい。
いわばお世話になっている会社や仕事のカウンターパートナーの方々への感謝の意である。

“接待漬け”とは下心が満々とある過剰行為である。
ヨイショの連発、気色悪いお世辞、嘘八百を隠すために歯が浮いて口から飛び出すほどのおいしい言葉をあらん限り放出する。
ヤクザ者でも怖ろしいという地面師たちや、悪徳不動産屋たちはこれが上手い。
更に詐欺師や詐話師たちゴト師たちも上手い。
オドロシイぞと思わせてやさしく接する。やさしいと思うと突然オドロシクなる。
トランプ大統領のアホみたいな別荘に引き込まれた物おじしない安倍晋三総理に、なんだか妙な同情心を持った。顔は笑っても体は緊張していた。

トランプ大統領たちを見ていると、映画「凶悪」に出てくる異常な地面師(リリー・フランキー)と人を殺すのを蟻をつぶすほどしか思っていない、極悪のヤクザ者(ピエール瀧)を思い出した。この映画は実話を基にしている。
地面師(無期懲役)ヤクザ者(死刑囚)は収監中である。

トランプ大統領の主要閣僚は殆どゴールドマン・サックスのメンバー、彼等にとってトランプ大統領は小さな不動産業者位の認識しかない。
手の上でトランプカードを操り、いざとなったら破り捨てるだろう。
大統領専用機、別荘、ゴルフ。これでもかと“接待漬け”にするトランプ大統領。
だが心は中国、北朝鮮にあるのか、日本語を同時通訳するイヤホンを付け忘れていた。
したたかなロシア、中国、欧州諸国は凶悪の主人公たちと同じく、金儲けのためならなんでもする。

ネアンデルタール人をはじめ多くの種族をこの地球から抹殺したのは、ホモ・サピエンスだという。人類は凶暴なのだ。
やはりアメリカの接待漬けより、日本の漬物の方が旨いはずだ、塩シャケと一緒のお茶漬けがいちばんだと思う。

2017年2月10日金曜日

「ある格言」



アメリカのビジネス界にはこんな格言がある。
「ゴルフ場で得た仕事(クライアント)は、ゴルフ場で失う」この格言の意味することを解釈するには、それぞれの見方がある。

本能寺の変を起こして織田信長を殺した明智光秀は、信長から京に来る徳川家康の接待を任せられた。その接待のメニュー(方法や料理)が信長は気に入らず他の家来の前で、薄くなった頭を打たれた。プライドの高い光秀はそれをずっと根に持った。

歴史小説家はまるで見ていたかのように、このキンカン頭め、と信長はいったとか(?)と書く。戦国大名はいかに領地を守るかに生死をかけていた。
織田信長は贈り物や接待の天才でもあったという(?)。
武田信玄、上杉謙信などの有力者には、事細かに贈り物を送った。
また、逆に武田信玄や上杉謙信も接待、贈り物の名人でそれぞれアチコチに目配り、気配りをした。

接待や贈り物はセンスだとアメリカのビジネス界の格言は教える。
高ければいいというものではない。
つまり徹底的に相手の情報を得よとのことなのだろう。

「ゴルフ場で得た仕事はゴルフ場で失う」という一つの解釈は、相手を満足させるセンスと情報をより多く持ったライバルが現れると、そこに仕事を持っていかれるよとなる。
ゴルフをする方々なら分かっていると思う、「ゴルフ場では仕事の話はしてはいけない」。

さて、我が国のトップとアメリカのトップがゴルフを共にするという。
テレビなど各局は、使うクラブは何とか、ハンディはもらうのかとか、スコアはとか、チョコレート(お金)をかけるのかとかバカバカしいことに時間をかけている。

戦国時代は刀や槍や鉄砲の戦いより、情報と接待の戦いであったと言っても過言ではない。豊臣秀吉などはその名人であったという。
何しろ大名たちは領地を守るためには大切な家族の中から人選をし、人質という命を相手に贈った(?)位だから。
ともあれアメリカのゴルフ場で我々の命をチョコレートの替わりにしては困ると思うのだ。

ゴルフの中継をするテレビ局はさすがにないようだ。
くれぐれもショットではトップ(ミス)をしないように。
負けるが勝ちともいう。グリーンにのっただけでOKは出さないように。
ちゃんとカップインまで。

2017年2月9日木曜日

「田村啓選手の勝利」

東京新聞紙面より



私の枕元に一冊の本がある。
本の名は「心は折れない」日本ボクシング史上最強のスーパーフェザー級世界チャンピオン、内山高志選手の著作だ。

発刊当時KO勝ちを続けていた内山選手が「心は折れない」という本を出したことが、いかにも謙虚で人間性があると思った。
フツーの選手ならもっと攻撃的な本の題名をつけたはずだ。
内山選手の大ファンだった私は出版をプロデュースしていた広告代理店の社長にお願いしてポスターを制作させてもらった。

昨夜、東京新聞でこんな感動的な記事を読んだ。
「負け続けたボクサー8年ぶり勝利」の縦の小見出し、大見出しは横二行で、折れない34歳「やり切る」覚悟であった。ボクサーの名前は田村啓(ひろむ)選手、花形ジム所属だ。
昨年9月田村選手は8年ぶりに勝利した。
試合前まで10連敗中で戦績は6勝(2KO)23敗2分けであった。

元世界チャンピオンの花形進会長は、田村選手の勝利をジムで誕生した世界チャンピオンの時より喜んだという。
花形ジムのモットーは「継続は力なり」田村選手はそろそろ辞めてはといわれても「まだやり切っていない」と現役にこだわった。
2015年勤務先の会社が倒産、職を失った田村選手は先輩から「スポーツジムを手伝ってくれないか」と頼まれたのがボクシングとの出会いだった。
トレーナーとして多くの練習生を指導し、田村先生がんばれと応援されながらリングに上った。

記事には試合が何回戦(4回、6回、8回、10回が世界戦以外の回数)だったのか、体重のクラスが何級だったのかなどは書いていない。
日本ランカーのかませ犬だったとあるからノーランカーだったのだろう。
花形会長からオマエが日本ランカーや日本王者になったら良い手本になると声掛けられていたようだ。

田村選手は「1%の可能性があるなら目標にしたい」という。
また「僕は才能はないし、勝ち続けてきた人間でもない。大切なのは継続するだけでなく、やり切ること。僕は成長段階だと思う」と言う。
“かませ犬”とは強い選手が絶対勝てそうな相手として選び、キャリアアップさせる事を表す。

今年私の夢は大ファンの内山高志選手がもう一度リングに上がり勝利してほしいこと。
昨年の12月31日リターンマッチで惜敗した。
「心は折れない」を著した時の心を発揮してボクシングの教科書のような美しく強い姿を見せてほしい。クールでクレーバーな内山高志選手は未だ2敗しかしていない。

東京新聞より抜粋&アレンジ、コラムの題名は「取材ノート」、記者の名前は森合正範さんであった。久々にいいスポーツ記事を読んだ。
学歴なし、何くそチクショウ負けてたまるかと生きてきた私と、田村啓選手とがダブって見えた。人間勝つより負けるの方が勉強になる。

2017年2月8日水曜日

「福岡伸一教授に学ぶ」




「動的平衡」青山学院大学教授で生物学者、福岡伸一著のロングセラー本である。
初版2009年から2016年まで第18刷を記録している。

タイトルだけを見るととても私などのバカ者が読む本ではない。
が、読んだのだ。
学術用語はよく分からないけど、分かり易いところも多々あった。

近々福岡ハカセ(こう言われている)を撮影する機会を雑誌ソトコトのボス小黒一三さんがつくってくれたのだ。
写真家との打合せ前に一夜漬けでも読んでおこうと思い三夜漬けで読んだ。
福岡ハカセの本は「フェルメール光の王国」とか「ロハスの思考」などを読ませてもらっていた。文章が極上に上手い。
そこいらの小説家が束になってもかなわない。

何しろ実際に取材行動をして書き、また自ら実験したものを書く。
それは上質の旅行記であり、文明文化論であり、スリルとサスペンスに満ちた推理本である。
勿論学術的エビデンス(裏付け)によっているから説得力は他の追従を許さない。
水が上から下に流れるような文体は、出来の悪い学生にも分かり易くい講義のようである。

「動的平衡」については私などが説明しようがない。
少しわかり易い個所を原文のママご案内する。ダイエットに興味のある人のために。
92頁より抜粋、見出し「ドカ食いとチビチビ食い」ダイエットに興味ある人が、この本の読者の中にもたくさんおられると思う。
世の中にはさまざまなダイエット法が宣伝されている。
科学的に見て少しは根拠があるものから微塵も裏付けがないものまで、星の数ほどある。それらのいずれもが商品として通用しているのだから、人の世は不思議なものである。
人間には生きていくうえでどうしても必要なエネルギーというものがある。
心臓と肺を動かし、体温を維持し、基本的な代謝を円滑に動かすための熱量で、これを基礎代謝量と呼ぶ、成人で一日あたりおよそ二〇〇〇キロカロリー。
この範囲の熱量であれば、どれほど食べてもすべて燃やされてエネルギーとして消費されるので、体重は増えない。

以下更になるほどの話が続き、チビチビと食べた法が絶対に太りにくい食べかたとなる。汝とは「汝の食べた物」であるという。
自分とは自分が食べたそのものらしい。サプリメントは果たして有効か否か。
ちなみに私はかつて「肝元」とか「セサミン」とか「ハイチオールC」とか「ウコン」なんかを口に入れて酒を飲んだ後始末にして来たが、面倒臭くなって全部やめてしまったら、赤信号だったいろんな数値が全て正常になった。
それ以来何も口に入れない。食べたい物を食べている(あくまでも私の場合)。

新橋駅ビル一階に精力がつくというスッポンの粉末をずっと売っている店がある。
かなり高いのだがロングヒットらしい。その上の階には怪しい中国人マッサージ店がずらずらと勢揃いしている。私は怖ろしいのでその階には行かない。