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2018年7月24日火曜日

「大暑の日のこと」

ゴロゴロ、ごろごろ天井を見て、うがいらしき男の背中にゴツンと当たったら、男はゴクンとうがいしていたものを飲み込んで、キョトンと私の顔を見た。32・3歳と思われるメガネをかけた細身の男であった。新橋発午後11時25分の国府津行きに乗車するために、ひとまずトイレに行っておくべしと思い改装中のトイレに入った。いい匂いがするトイレなどは駅にはない。当然この時間になると酔客が多い。男は何をしていたかと言えば、歯を磨いていた。たまに見かける風景だが、清潔と不潔感が口の中に一緒になっていて、すこぶるキモチが悪い。男は熱心に歯を磨いていたので、後を通る私には気がつかない。でゴツンとぶつかってやった。男は自前の紙コップを手にしていた。ゴクンと飲んだまた熱心に磨き始めた。私は階段を登り、入線してきた国府津行きに乗車した。 昨夜知人後、と会っていた。お土産に国産のクラフトジンを渡した。今、ジンが静かなブームになっているのだ。列車の中で日経新聞の夕刊を広げると、丁度そのブームについて書いてあった。私はジントニックが好きなので、よく仕上げに一杯それを飲む。日経の記事は大きく一面の4分の3を割いていた。口の中がジンによって、キレイに洗われる。トイレの中で歯を磨くより、ジントニックで消毒した方が清潔になる気がする。昼のことエラソーで大声でウルセイ、酔ったオヤジがそば屋でカレーうどんをアツアツと食べていたから、このオヤジいつもウルセイと思っていたのでゴツンとぶつかってやった。二階のトイレの入口の席であった。暑い夏こそカレーうどんに七味をババッとふりかけて食べんのがいいんだと言っていた。ゴツン。アヂアヂアヂーとなり、口の中に入れていた黄色いうどんを、ナハナハ、ナハと“せんだみつお”みたいになり、目に涙をためて口から出した。水をゴクッと飲んだ、誰れだぶつかったのはと言っているのが、階段を降りていく私に聞こえた。顔なじみの男の店員が、うしろを向き腹をかかえていた。ウルセイオヤジは元警察官だった。しばらく刑事をしていたらしいが、店の中を留置場と間違えているように、我が者顔であった。アツアツのカレーうどん、それも太めのやつを一度ノド元位まで飲み込み中にゴンとやられると、ほぼ100%泣きが入る。おそば屋さんでいちばん敬意と注意が必要なのはカレーうどんだ。それ故白いエプロン等が用意される。猛暑は、昨日二十四節気の大暑を迎えた。小説「異邦人」の主人公は、ただ太陽がまぶしかったからと人を殺したが、猛暑、熱暑、そして熱波となると何人殺されるかわからない。気をつけるべしだ。午後3時頃、抹茶白玉あずき氷800円を着物美人が食べていた。ずい分と涼しくなった。うなじにうっすらと汗が浮き、その汗でアイシャドウが乱れていたがそれはそれでいい風情であった。私も今年はじめて食した。オバサンが近寄って来て、どうですか涼しくなるでしょうと言ったから、ツブアンが多すぎるし、白玉も大きすぎると嫌味を言った。オバサンはせっかくサービスしたのにとボヤいた。一人でいる時は離れていてチョーダイ、もっとピアノ売ってチョーダイ、タケモトピアノの財津一郎なのだ。私の脳内は相当に熱に犯されている。クルクルパー&アジャパーとなっているのだ。新橋駅トイレ内の男もきっと猛暑で、トイレを自分の家の洗面所と、間違えたのだろう(?)。列車内で大先輩に頼まれた、会津出身の版画家、故「斎藤清」の個展への案内状のアイディアをぶ厚い画集を読みながら考えた。文化功労者で、生誕110年。ある一作の中の、ある赤い色を見て、パッとある言葉が浮かんだ。混迷を極めるこの世の中を救う言葉だ。その文字は活版屋さんに行って、活字を使う。会津は亡き友の故郷である。ガ然アタマが冴えて来た。と言ってもたかが知れたアタマだが。

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