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2018年8月29日水曜日

「狂熱の夏」と「オールドパー」

お盆休みのないお盆だったが、少しずつ合間があった。その間にこの国の前途の絶望と、馬鹿バカしいほどの現状と、確実に近づきつつあるあの世行きを感じた。すでに親友3人はあっちに行ってしまった。お盆にあの人に、この人に、私を置いて逝ってしまったあいつに、と仏花を送った。昨日青山通り、元ベルコモンズのところをタクシーに乗って停まった。運転手さん今外の温度は何度と聞いた。運転手さんはナビの中にある温度計を見て、ちょうど40度ですよと言った。朝家の前の小さな公園に、5月には見事に咲いていた、アジサイの花の無残な姿を見た。まるで焼夷弾でも浴びた後のように、焼けただれていた。お盆の合間にいくつか墓参りをして回った。どこも雑草が伸び放題に伸びていて、それをこのやろうとばかり引っこ抜いた。ヤブ蚊の攻撃を受けて、両腕は赤くふくらんだ。持ってきた新聞紙に火をつけてお線香に火をつけた。暑い。熱い。かゆい。 何軒かの墓石屋が店を閉店させていた。お墓まで連れてきてくれた運転手さんと、喫茶店に入り何かを食べようとなった。私はパンケーキを頼み、運転手さんはハヤシライスを頼んだ。小学生の頃、授業でパンケーキ(その頃はホットケーキ)の作り方を学んだことをふと思い出した。一年のうちに一度も食べたことがなかったが、その日なぜかメニューの写真に写ったパンケーキが食べたくなった。バターにハチミツをのせた。4段重ねのいちばん上にのったバターがとろり、とろりと溶けてパンケーキにしみ込んだ。親指ほどのガラスの入れ物にハチミツが入っていて、それをのせた。プーンといい香りがした。運転手さんはとてもいい人で、私の好きな音楽を編集してくれている。その日はボブマーリーと、キューバのヴエノビスタをかけてくれたのだが、 暑さで集中力を欠いていたのでイマイチ、ノレなかった。 三橋美智也か春日八郎の方がよかったかもしれない。名古屋に一泊して、飛騨高山の挾土秀平さんを訪ねた。お願いしていた作品のイメージができたというので、その作品を見ることと、挾土秀平さんの取材撮影をした。後輩のプロデューサーが大阪からレンタカーで来てくれた。カメラマン、ディレクター、クライアント、広告代理店の人たちも一緒だった。職人社秀平組にはアトリエがあり、天才挾土秀平さんの作品が勢揃いしている。実に超絶的で圧巻である。挾土秀平さんは、ピカソと棟方志功と、岡本太郎を足して「土と水」で割ったようである。モンドリアンやミロのようなところもある。写楽と北斎のようでもある。とにかく凄い人だ。眼光は鋭く、声が野太くて、体はでかい。高山に来る前日、ブックコーディネーターのカリスマ幅允孝(ハバヨシタカ)さんを取材撮影した。世界中の本がアタマの中に入っているような幅さんは、通常BACH幅(バッハハバ)さんと言う。音楽家のBACH(バッハ)が好きだとのことである。青山根津美術館の近くにあるアトリエには、英文字でBACHの文字のポスターがあった。いろんなところに独特のライブラリーをつくっている。幅さんはゆるやかで紙のようである 。ヒラヒラとして、ユラユラと語る。 若い仙人みたいである。世界的デザイナー、女子プロゴルファー夫妻、世界的生物学者、ライフスタイルコーディネーター、新進のアートディレクター、陽気なエディターの人を、次々と取材撮影した。人に会うのは大好きである。面白い人に会え、面白い世界を知る。変な人に会え、変な世界を知る。鳴かぬなら鳴き方を学ぼうホトトギスで生きて来た。人間は学校である。ややこしい人が、私は大好きである。ややこしいことを教えてくれるから。そして今、又、ややこしいことに取り組み始めた。誰も考えなかったことを形にしてみせる。お世話になった会社への恩返しもしなければならない。最優先のテーマだ。亡き友は我にチカラを。「狂熱の夏」むかしの日活映画、主演故川地民夫。ファンキーでモダンないい映画だった。それを探している。8月も終わり、いつものグラスに頂き物のオールドパーを注いだ。



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