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2018年8月3日金曜日

「刃鋼と癒しがたき」

英語で言うなら、パハップス(多分)40度を超えているだろう銀座の街を歩いていると、何を感じるか、不能感、無気力感、ボー然感、 脱力感、グワァ〜とする反射熱、道路から、ビルから、そして感じるのが、殺意である。アホみたいにリュックサックを赤ちゃんみたいに抱いた男が目の前にいる。まるで猫の集団のようなミャーミャーうるさい中国人が集団でいる。 暑熱の銀座の街を歩いていると、思わず自分の中にしっかりと(?)隠しておいた暴力性がグア〜ンと現れる。ウルセイ、ウザッタイ、アツクルシイ、ダラシネエ、石原慎太郎さんの原作「乾いた花」という映画のファーストシーンの言葉を思い出す。組のために人を殺して出所してきた中年のヤクザ(池部良)が、人混みを見て、こんなの中の一人ぐらい殺したってどうってことはネエだろう(こんなかんじ)。中年のヤクザはすでに無目的になっている。 アナキズム的になっている。秩序などは必要ないと、その中年ヤクザを支えているのは、バクチだけである。何のために生きているのか、40度を超える街は、その中年ヤクザの言葉を思い出す。「刃鋼」もそうだが、石原慎太郎さんのこのような人物を書いた作品は、絶品である。人間の中に潜む虚無感と暴力性、最終的に暴力的解決に至る、哲学性と文学性は、秀れている(他にはいない)。最終目的が、落とし前とケジメ、そして父親への愛情とその父親を殺した相手への復讐。昨日熱暑の銀座をトロントロン、ヨロンヨロ、フランフラと歩いていた時「乾いた花」と「刃鋼」を思い出した。今ならきっと異常を正常化するだろう。そして、それはきっと殺意だろうと。小説「刃鋼」の中で、主人公である横浜のヤクザ“角田良” が言う、俺は俺という人間に惚れるんだと。そして父の仇をいつか仕止めると言う。若きヤクザの三代目に対し、角田良は言う。あの若い三代目はきっと相手を殺るために九州に帰るだろうと。ケジメのない世の中、私の最も大切にしている“仁義”なき世の中、 銭なんてものはヨォ、その日自分の器量のためにありゃいいんだ、それ以上追うと恥をかいて、下手を打って、終わりだからな。ヤクザ者に明日はないと思え、銭で恥をかいたら男は終わりだと言った。ずーっと昔の先輩を思い出した。背中から太ももにかけて、「男一代」という文字を彩やかに刺青していた。男がすっかりいなくなってしまった。少しでも休みが取れたら、「刃鋼」を読もうと思った。そして、生涯読んだ中でいちばんと思った。小嵐九八郎氏の「癒しがたき」を読む。人はこうして死ぬという言葉通り、四国の鈍川四兄弟の話がある。これ以上面白い本には、いまだに出会っていない。人間は日々殺意の中で生きていることを忘れてはならない。パハップス(多分)ね。それにしても暑い。人間はドライフラワー「乾いた花」になって行く。その花に注ぐ水は何か。それも又、殺意だ。人を殺すのは簡単だよ、ヤッパ(刃物)で刺せば、プスーとヤッパが入る。それだけさ。その時自分が自分と繋がっている感じがするんだ。あなたの自分は今元気ですか(?)。侠(男)の世界では、金儲けばかりの話をする男が、一番下の扱いを受けるのです。人のために死ねるかどうかが、男の値打ちなのです。私は「乾いた花」になりたい。私たち兄弟会では、13時間30分近く話しをしている中で、金の話は一分一秒もない。サイコーです。私にはアノヤローズタズタにしてやる、そんなのが二人いる。冥土のみやげに、突然行くから待っていな。

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