だから言ったでしょ。日本ボクシング連盟を辞めると言った山根明、ガタガタ震えてメソメソ泣きを入れて、嫁が死ぬまで面倒を見てあげると言ってくれたとか、男が嫁の名を出したらオシマイ。男のケジメをつけると大見得を切ったから、腹を切るとか、せめて小指の一本か二本は詰めるだろうと思っていた。だって男の中の男だと言っていた。が、 小心翼々の男はそんな根性の欠片もなかった。ヤクザを語る人間は、本物のヤクザから見ると、単なるファンに過ぎない。この次は日大、その次は東京医大、女子学生への減点問題は、きっと全国に広がるだろう。小児科医が不足しているのに女医への道を閉じている。国が嘘八百、インペイ、ドーカツ、つまりヤクザまがいだ。日本国の大学は休むことなき権力闘争の歴史、ウソやゴマカシなどは呼吸をするのと同じ程度にしか思っていない。もちろん素晴らしい学究の人も多い。この人たちは愚かな権力闘争に興味がない。この人たちは山根明と同じで、いつも何かに怯えている。何故なら、人に知られたくない道をずっと歩いてきていて、いくらでも情報を持たれている。家族のこと、身内のこと、借金、裏金、愛人のこと、又、自分自身が変態趣味であること。“一将功成りて万骨枯る”と言うが、今や一将功もなにもなく万骨ボロボロとなった。今の権力者が三選された瞬間から、側近、茶坊主は次の主を探す。今までの反感反動を一身に浴びる。「無」を演じきった人間が次に出る。何も語らず、何も動かず、ただ大河の流れに身をまかす、サラサラと流れる木の葉のように。「無」こそ、「有」なりである。下腹に力を込めて、機会を待つべしだ。 京都学の総帥西田幾多郎は、晩年日々筆をとっては、◯ をずっと描いていたという。禅の世界では円相図と言うらしいが、同じ円は二度と書くことができず、気に入った◯をずっと描けなかったと言う。自らの思想が大したもんじゃなかった。その反省と敗北の◯であったのだろうか、有能な弟子たちは反戦を貫き獄死した。最高学府の信じがたき有り様は、 私が敬愛する、一人の天才的女性研究者を苦しませ、悩ませ、そして悲しませたのだろう。不思議なのは学生たちが全く行動しないことだ。つまり、国家のボスもヤクザなアマチュアのボスたちも、学問のボスたちも同じだということだ。沖縄の翁長知事が戦いの末ご逝去した。ご冥福を心から祈る。いろんなボスたちは手を叩いて喜んでいるだろう。乾杯はオリオンビールか。沖縄のナベチャン、がんばってよ。
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