2023年12月12日火曜日
つれづれ雑草「リステリン」
2023年11月24日金曜日
つれづれ雑草「雨の朝にて」
長~い間、太田胃酸い~い薬ですと言ってたが、ズルーイ薬となっている。分量がかなり減っている。布製のガムテープは、丸々と太かったが、バウムクーヘンみたいになっている。ティッシュペーパーの箱は枚数が減らされて薄形になっている。老舗ブランドのかっぱえびせんや、ポテトチップスは、袋はパンパンだが中身は半減している。スーパーの刺身は薄切りにされてヘラヘラとなり、大根のつまをてんこ盛して見た目を海鮮盛に見せている。世の中は何もかもが実質値上げとなっている。ザ・ケンジヤないわよね、マツタク、ズルイ、セコイ、スクナイ。星乃珈琲店内、私が小さなテーブルでシコシコと雑文を書いているうしろのテーブルで、女性三人がスーパー、コンビニ、さらに長い歴史を持つブランドへの悪口雑言。アレモヘッタ、コレモヘッタ、ヘッタヘッタで腹減ったと、どこぞで買ってきた助六寿司のパックをパクッと開けた。これ見てよ太巻きが細巻きに、おいなりさんがこいなりさんになっていると、見せている。何よ、ガリがたった三枚じゃないと言う。店の近所に幼稚園があるので迎えに来ているらしい。一人はワニのような顔で、一人はニワトリのようで、一人は黒い金魚みたいであった。声が大きく、笑い声は不気味であった。何だかオカルトチックになったので店を出た。顔はトイレに行った時に、マジマジと見た。ウルセイナと言いそうだったが、同感することもありそっとスルーした。過日、新幹線の車内で見た女性は三十五・六歳であった。ZARAの紙のバックと、シャネルの小さな白い紙バックを空席の横に置いていた。手には本麒麟の赤い缶ビール。つまみに“とびっこのくん製”と、ナッツの袋入り。これが臭いのなんので、顔をマジマジと見た。相手も私をドキッと見た。誰れかに似ているなと思った。そうだ京都へ行こうじゃなくて、そうだ時々行くラーメン店の奥さんだ、と思うとあの奥さんはいつもハキハキしていて、かんじいいもんなと思った。勿論別人だが世の中には、二人ソックリな人がいるという法則があったはずだ。オット見ると、どこぞの車両から連れの男が来て、紙袋をどけて座った。同じ会社の人のようだ。えっ何! 電球の球を取りかえる時に、椅子から落ちて大怪我をしたの、そんな会話が聞こえた。女性は赤い本麒麟をグイ、グイと飲みこんだ。CMの定番のセリフ、プハァーウマイ! は言わなかった。それじゃ行っても会えないわけ! と強く言った。女性の方が上司らしい。私も切れた電球の球をとりかる時に、グラグラして何度か落ちそうになったので、この頃は行なっていない。ということは家の中のことは何もやってない。実に使いものにならない存在なのだ。うどんを食べ終って、どんぶり位自分で下げれるでしょ、と怒気を放っ声がした。入ってくるものが減りつづけ、出ていくものが値上げラッシュで増えたせいか、殺気を感じる。この季節家に帰ると、一枚、二枚、三枚とかつて仕事を一緒にした人や、お世話になった人の奥さんからの葉書が来る。夫が旅立ったので……、との一枚だ。毎年思うのだが圧倒的に奥さんからのが多い。やはり男より女性の方が生命力が強いのだ。男は絶対女性を敵に回してはいけない。勝つ見込みはない。テメェ~、ナメンジャネーヨ、若いホストに1千万近く突っ込んだ、若い女性がカッターでホストを斬って、叫んでいるニュースを見て、ドキュメンタリー番組で見た、ある女性医師のことを思い出した。エルメスのバックに何故か700万の札束(銀行の帯付)をブッ込んで、お目当ての店に行き、一晩で700万を使い、明け方新宿の街から去って行く。時々ある地方からやって来る。ホストに入れ込んで風俗へ売られ、やがてアジアの国に売られ、臓器まで売られて行くケースを知っている。有名な事件があった。ある地のホスト界のボスが、後輩のホストたちに殺され、薬品を使って溶かされた。バスタブかなんかの中に、金歯だか銀歯が残っていた。ノルマ、ノルマを達成できないホストに、やりたい放題のヤキを入れたりしていたらしい。ホスト狂いをする女性に同情する声は少ない。行く方が悪いのだと思われるのだ。でも、シャンパンタワーで背負わされた借金を懸命に働いて完済して、しっかり立ち直り、幸せをつかんだケースも知っている。バカバカしさに早く気づき、強く生きる意志があったからだろう。夜の世界はちょっとやそっとでは学べない。入学は簡単だが、卒業は厳しい。そして学費は高いのだ。私の親愛なる友は、夜の歌舞伎町を知り尽くしている。困っている人は紹介する。場合によっては相談に乗ってくれるはずだ。現在十一月十七日金曜日、朝九時三十九分十六秒、外はどしゃ降りの雨だ。各局、朝の番組でエンゼルスの大谷選手がMVPを獲得したと報じている。生まれながら、才能と体力と知力に恵まれた選手が、人一倍努力をした結果だ。興味は800億円近いという契約金を何に使うかだ。ぜひ日本の映画界に投資してほしいと願う。それよりも若くして戦力外通告されて、これから妻子をどう養って行くか、途方に暮れている選手たちに、負けるな、人生はこれからだぞと声援を送る。“勝者には何もやるな、すでに勝利を手にしているのだから”、そんなことを、確かE・ヘミングウェイが書いていた。徳川幕府を倒したのは、関ヶ原の合戦で負けた、薩長土肥が中心だった。私もリングの上に立って、ファイテングポーズは失わない。バカはバカなりのケジメを求めて。◎前回倉敷の“ナマコ壁”を“マナコ壁”と書いてしまい、間違いを指摘された。この場にて修正する。(文中敬称略)
2023年11月12日日曜日
つれづれ雑草「倉敷とアナキストの妻」
岡山県倉敷市に美観地区という場所がある。この地区をみんな、みんなが大切にしている。派手な看板やネオンサインもない。高い建物もない。そこに林源十郎商店という、ステキな施設がある。ずっと昔は漢方薬店であったらしい。一人の熱血漢が次々と新しいことに挑戦し発展させている。“めをみはる”とはを実感する。男の名は「辻 信行」さんだ。10年ほど前にそこでアートディレクターをしていた女性に紹介された。女性は何年か私たちの会社の仲間であったのだが、ご主人が岡山出身で、その地で仕事をしていたため結婚後、岡山での生活となった。ご主人は下戸、女性は土佐出身でかなり飲める。今回は辻 信行さんより、「一棟貸の宿」をオープンしたので、ぜひ来てくださいと招待状を頂いた。丁度湯布院に同様の宿を建てているオーナーから、諸々アドバイスを求められていたので、仕事仲間と三人で取材に行った。かつては大きな病院であったとか、旧土屋邸をリニューアルをしたのであった。古きを残しつつ新しさと絶妙の調和をさせる。これが見事に大成功であった。美観地区とも調和するこの宿には、女中さんはいない。屋号の看板もない。「土屋」という小さな表札のみ、いくつかの箱庭には、腕のいい植木職人さんの細やかなセンスが生きている。座布団もない。テレビもない。座椅子はなく、上質な椅子がいくつもある。茶受けなどもない。ビックリするほど香り高いヒノキのお風呂が大小ある。料理は自分たちで作るか、外で食す。朝は隣接するカフェレストランで、八時から利用できる。私たちが泊る前日には、倉敷の“菊寿司”(そのおいしさはNo1だと思う)が出張してくれて来て、対面式のキッチンで握ってくれたとのことであった。(ウラヤマシイ)基本は自分たちで選んだ店に行って食す。つまり食事は出ない。自分の歯磨きだけ持って来てと言われた。何があるかといえば山ほどある。窓からは爽やかな風が汚れた胸を洗ってくれる。差し込むやわらかな美しい光が、ささぐれだった心をおだやかにしてくれる。雨戸や鉄のトビラなどはない。マナコ壁の美観地区と対話するような気分を縁側で味わえる。高瀬舟が川をゆく、2名、4名、10名と、三種類に区分けされる仕組みとなっている。私たちには全部を使わせてくれた。風と光、小さな置物まで、辻 信行さんのセンスが生きている。スバラシイ寝室なので、ペッタンコの床生活者の私には、豪華なベットと寝具がもったいなかった。一棟貸の宿は全国で生まれている。後継者のいない旧店舗や、1000万戸ともいわれる空家の利用だ。調理場もなく女中さんたちスタッフもないので、静かなること山の如しだ。人手不足の時代、こういうコンセプトを持った「宿」が増えるだろう。辻 信行さんは、酒津の“川辺のレストラン”とか、ジャムや焼菓子も作っている。それも自分たちの仕事場の中で、(旧屋敷をリニューアル)外にはサウナもあり、きれいな水風呂もある。実にオープンで、ユニークな仕事場だ。川辺のレストランは名所となっており、今度ピザの釜を造った。90秒でおいしく焼ける。釜の石組みも多色の石をつくり、一つひとつが鮮やかに存在している。究極の地方創生を行なっている。料金はフツーであるので、ぜひ行ってチョーダイ。バリアフリーなのでご心配は無用だ。裸足で畳の感触、窓から見る夜空は絶妙である。久々に本でも読むかと、瀬戸内晴美(出版時)の「美は乱調にあり」を持参したのだが、宿の美は実に整調であった。私は今アナキスト大杉 栄の妻で二十八歳で憲兵隊の甘粕正彦大尉に、殺され井戸に投げ捨てられた大杉 栄、甥の六歳橘宗一(道連れ)、そして妻の伊藤野枝のことに興味を持っている。ダダイストであった辻潤とのW結婚、大杉 栄が情人であった神近市子に刺された、有名な葉山の“日蔭茶屋事件”十年間に七人もの子を産んだ伊藤野枝の生命力、その血みどろの人生に、大正時代の熱愛を感じる。「平塚らいてう」の同人誌に詩作を送っていた伊藤野枝、すこぶる魅力がある容姿。大正時代の作家は血気盛んであった。神近市子は後に社会運動のリーダーとなった。熱情熱愛の行き先は殺す、殺されるか、あるいは自裁するか。芥川龍之介も、火野葦平も、ただなんとなくの不安でと死んだ。大正時代は15年間であったが、最も文学的で、劇場型の時代であった。作家は死んでこそその名を残した。令和の現在そのようなドラマタイズされたものは皆無であり、作家は不作揃いだ。伊藤野枝の子たちは今も生きている。(何人かは分からない)現在日曜日の朝六時三十四分、テレビのニュースで、藤井聡太八冠が竜王戦で勝って、インタビューを受けている姿があった。彼が強いのか、他が弱いのか。ボソボソ何を言っているのか分からない。私は彼に生身の人間性を感じない。彼にぜひ血みどろの女性関係(男関係もある)を経験してほしいと願う。つまり“人間になってほしいのだ”そうでないと、サイボーグ的で終ってしまう。お手本は囲碁の天才、「故藤沢秀行」だ。藤井聡太のライバルが言った。“彼は人間を拒否している”と。人生は乱調にありだ。(文中敬称略)
2023年11月5日日曜日
2023年10月28日土曜日
つれづれ雑草「ザ・ホエール」
ヒッジョーニカナシイ。ピアノ売ってチョーダイ、もっともっとタケモット。近頃このCMが流れないなと思っていたら、私がヒッジョーニ大好きな、財津一郎さんがこの世を去ってしまった。“ヤメテチョーダイ”と右手で左の耳をかきじゃくるギャグや“ヒジョーニキビシイ”というギャグも大好きだった。舞台の役者としても、俳優としてもいい味を出していた。享年89歳、この世の中に大貢献をした。今の世はヒジョーニキビシイ、ヒジョーニ熊が出る。人類が熊たちの生き場所を奪ってしまったからだ。親熊は子熊の空腹を満たすために、人類が生活している所に出没する。ヤメテチョーダイと熊たちは思っているだろう。どんぐりや栗の実など木の実類を主食にしていた熊は、牛や鹿、豚などを食べる肉食獣となっている。日本は世界一の山林国家なのに何故こんなことになってしまったのだろうか。山には山の掟があり、海には海の掟があった。里にも里の掟があった。人類はすべての掟を破ってしまった。一つ、二つ、三つと頼まれた、仕事らしきものがあり、歩いて、歩いて、歩きつづけていた。その中である博物館を見て来た。小学生になったように楽しかった。マンモスや象の骨体。マッコウクジラの巨大なチンボコ。虫メガネでやっと見れる極小の昆虫類。石器時代の人間の創意工夫、大好きな縄文時代の創造物。弥生時代の刀剣もあった。縄文時代は戰がなく、弥生時代から領地の奪い合いが始まったことが分かる。稲作農業が生まれ、米や麦などの穀物類が主食となったからだ。太い木を尖った石の破片でくりぬき丸太舟を造り、巨大クジラを、木の先につけた尖った石を、木の蔦でくくりつけただけの道具で、飛びつき、突き殺す。集団で行ない、平等に分け合って空腹を満たした。私はこんな時代に生まれたかった。しかし私は何も造ることができないので、食うだけで、ヒッジョーニバカにされただろう。博物館ですっかり小学生になった夜、「ザ・ホエール」という映画を見た。妻がいて、16歳になる娘がいる一人の男は、体重が240k近くになっている。ソファーに座りひたすら食べる。フライドチキン、宅配ピザ、マヨネーズたっぷりのサンドウィッチ、チョコレート類。男は大学生に文学や詩を教えている。当然インターネットで。かつての恋人だった人間のお姉さんが医師で訪問医療に来てくれる。男は妻と娘と別居している。男には講師で稼いだお金が15万ドルほどある。妻はそれを狙っている。学業不振で8歳の時に自分を捨てた男(父)を、デブのバカと罵る。宿題のエッセイを自分に代わって書けと命じる。男の恋人は、男であった。つまり主人公はバイセクシャルだった。パートナーが死んでしまったショックで、大食漢となり始めてしまった。映画は訪問に来た医師の女性が血圧を計り、上が238、下が140近いからすぐ入院しないと、一週間内にうっ血性心不全で死ぬという。その一週間を描いている。器具を使わないと一人で歩くこともできない。何をするにも長い棒が必要なのだ。年齢はきっと40歳位だろうか、男が娘のエッセイのために選んだのは、「白鯨」だった。文学者であり、詩人の男は娘のために、モビィ・ディック(白鯨)を殺すことに命をかける。片足の船長エイハブのことを書く。240k近い男を演じた役者は、アカデミー賞とゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。ハリウッドのこういう映画は抜群にいい。ミッキー・ロークが主演した映画「レスラー」を思い出した。老いぼれたプロレスラーと、別居している年頃の娘との物語り、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。ブルース・スプリングスティーンの主題歌がヒッジョーニgoodだった。財津一郎さんサヨウナラ、たくさんの笑いをありがとう。この頃すっかり笑うことが少なくなった。この世はヒジョーニキビシイ。もっと、もっとそうなるのだ。オドロクほど進化しない、ヒジョーニワンパターンの国会中継を見ていて、この国の終末を感じた。日本国のGDPはついに第4位となった。すぐにインドに抜かれる。平均年収は韓国に抜かれた。私はこれから群馬、岡山、九州へと足を運ぶ。ニュービジネスを生むための仕事のために。アイディアは座っていては出て来ない。私の先生は、歩く巨人といわれた、民俗学者「宮本常一」さんである。イスラエルとハマスの戦争は、ユダヤ資本が世界を支配している限り永遠に終ることはない。山口組と一和会の戦争のようにはならない。ロシアとウクライナも同じだ。地球上の争いごとはすべてユダヤ資本が仕切って、儲けるのだ。地球の闇の中に姿を沈めている。“ザ・ホエール”は、戦争太りするユダヤ資本家だ。戦争をヤメテチョーダイ(文中敬称略)
2023年10月13日金曜日
つれづれ雑草「コスモスと枯木のバラ」
2023年10月7日土曜日
2023年10月1日日曜日
つれづれ雑草「髪切る前に」
2023年9月24日日曜日
つれづれ雑草「大ヒット上映中」
2023年9月21日木曜日
つれづれ雑草「東大卒の馬鹿者」
狂暑でアタマが狂ったのか、元々アタマが狂っているのか、その世界をやったらイケマセンという夢を追っている。先週末から今日まで、心から祈り念じることがあり休筆した。今の世は故鶴田浩二の歌ではないが、右を見ても、左を見ても、まっ暗闇じゃございませんかだ。こうして命長らえている我が身が不思議でならない。世のため人のためになる筈の恩人、友人、知人が次々とこの世を去って行く。もしかしてあの世のほうが生きがいがあるのではと思ってしまう。名は伏すがこの世を駄目にした人間が生きつづけている。が、もうすぐ地獄へ落ちるだろう。富める者をさらに富まし、貧しき者をさらにどん底にしたのだ。大企業は税金を支払わずガッポリ儲ける。あろうことかトヨタに補助金1500億円近く出すという。国家予算の4分の1近い売り上げのトヨタなのに。魚はアタマから腐るというが、国のアタマという東大法学部卒の官僚や政治家から腐っていく。勉強ばかりしていると馬鹿になるぞといわれるがその通りだ。勉強はできる“世間馬鹿”がこの国、この世を滅ぼす。利権と肩書きばかりを欲しがる悲しき人種だ。東大法学部卒のある官僚上りの政治家は、私にこう言った。東大とは法学部だけであり、教養学部や医学部、農学部など他の学科は東大じゃないんだと。野心の塊みたいな安い男を、私は鼻でせせら笑った。赤ワインをガブガブ飲んでいた。勿論勘定は私が払った。実に貧しい男だなと思った。昨日近況報告のDMが送られてきていた。そこには花火大会をみんなで見ました。トラクターに挑戦し畑を耕しました。ブドウ狩りを経験しました。そんなアホなことが写真入りで書いてあった。それを破ってゴミ箱に投げ入れた。オマエ何やってんだよと心の中でバカにしながら。「景徳山白峰寺動物愛護の会」から便りが届いた。10月1日ペットの法要がある知らせだ。毎年一度行なわれる。この寺に二匹の犬と、二匹の猫の魂を授けている。長引く不況のせいで空きが多くなっている。参加者は壱万円、何年か前ガラガラ廻すくじ引きがあった。くじ運の悪い私が一等賞をコロンと出した。賞品はVネックのニットのセーターだった。毎年(コロナ以前)ペット好きなゲストが来て、小箱の上に集りペット愛を語る。佐良直美とかビートきよし、参加者は80人位だった。ペットの名を書いた御塔婆が並ぶ。九官鳥やインコの◯◯ちゃんとか、金魚の◯◯とか、亀の◯◯、蛇の◯◯など多種にわたる。見て回ると結構面白い。クワガタまである。よくよく見ているとその名は銀座や赤坂のホステスさんの源氏名と重なる。ミミちゃんとか、ハナコちゃん、ケイちゃんとヨッコちゃんとか。クワガタのガタガタという名を憶えている。顔に大きなホクロのある演歌歌手“松原のぶえ”がゲストの日は忘れない。乗っていた箱が壊れてよろけて落ちたのだ。先日森達也監督の「福田村事件」を新宿のK'sシネマで観た。関東大震災の時、香川県から千葉県の福田村(現野田市)に行商に来ていた朝鮮人の人たちが、デマと流言、差別によって、自警団の人間や軍人たちによって、大人、子どもが惨殺された。この事件をドキュメンタリーを専門としていた森達也監督が劇映画として世に出した。小柄な軍人役の“水道橋博士”(タレントさん)が恐ろしい日本軍人役で秀逸だった。感情を抑えた静かな演出に好感を持った。惨殺、虐殺のシーンを生々しくしなかったことでより同調圧力の恐ろしさを感じた。久々に東出昌大が映画出演していた。彼は現在山の中の一軒家の軒下を借りテントを張って、一人そこで自給自足の生活をしている。5年前に狩猟の免許を取っており、鹿やイノシシなどを銃で仕止めて自分で解体している。又、道路でクルマにはねられて死んでしまったタヌキやハクビシンなども解体して食料としている。街に出て人を見ると、もしかして週刊誌の記者ではとか、スポーツ紙や女性誌の記者に見えてしまう。それが怖くて嫌で山の中に入ったと語っていた。SNSの時代は福田村事件の時と同じように恐ろしい。デマが拡散して人の命を次々に奪ってしまう。ネット住民は、軍服を着た水道橋博士のように凶暴なのだ。“バズル”という意味を最近知った。それは蜂が群れるとか蜂が集合するということらしい。私などはSNSの時代では無用の人間となっていく。まあ十分に生き過ぎた。尾崎士郎の人生劇場では、主人公の育成瓢吉の瓢太郎は、没落した身をピストルで弾く。義理と人情の男「吉良常」は、辰巳屋の大且郡立派な花火をあげましたねえと涙する。義理が廃ればこの世は闇なのだ。やがて人生劇場は青春編を経て、残俠編、愛欲編とつづいていく。尾崎士郎の自伝といわれる。実はこのところ不眠が酷く明け方に浪曲ばかり聴いている。今朝は広沢虎造の“国定忠治”赤城の山の物語だ。(文中敬称略)
2023年9月16日土曜日
2023年9月9日土曜日
つれづれ雑草「今日も私キレイ(?)」
2023年9月2日土曜日
つれづれ雑草「灯りを消して」
2023年8月11日金曜日
つれづれ雑草「そんなの関係ネェ~」
だから言っただろバカ者たち。甲子園を屋根付きにすべしで書いたが、初日の試合ですでにその必要性を強く感じた。レフトを守っていた選手は足がつり激痛でボールが追えない。ヒット性のボールを打った選手が、一塁まで走っていく途中で足がつりベースにたどり着けない。そんなケースがいくつもあった。正確に計測すると、グラウンド上にいる選手の体感は40度を超えていたとか、頭の中はやかんでお湯をわかしているようなもの、こんな状態がつづくと、重大な支障をきたして、後遺症が残ると医学者は言う。私は声を大にして言いたい。もっと科学的にせよと、私が朝日新聞の購読をやめたのは、堕落しきった経営者と、ヤル気のない記者のヘタクソな記事、ワンパターンの“天声人語”や、宿酔いで書いているようなコラム“素粒子”腰が引けた社説。がある。記者たちは昼頃出社し、大型の社用車やハイヤーを使い、高級レストランやホテルでランチをし、わずか数百字の記事やコラムを書いて、年収2000万以上、夕方にはどこぞへしけこみとなる。「女ざかり」という本の主人公は、朝日新聞とおぼしき新聞社の記者である。映画化され吉永小百合が演じた。ずっと昔すでにジャーナリズムとか、ジャーナリストは消失していたのだ。今、日本のメディアは、“物言えば唇寒し”の状態である。有能な記者の記事は、どれもこれもボツとなってしまう。司法の朝日、社会部の読売、外信の毎日と称された頃は、権力と闘っていた。時の総理大臣佐藤栄作が、政権最後の記者会見で、私は新聞社は大嫌いだと言った。その時、新聞記者たちは、そうですか、それじゃ退場します、みんな出ましょう、出ようとなり、広い記者会見場に佐藤栄作はポツンと一人だけとなった。後世に残る有名なシーンだ。今ではこんな根性のある記者たちはいない。話を真夏の甲子園に戻す。私は少年野球を数多く見るが、審判の特権意識の大きさに、頭に血が登る。警察官と同じで、自分たちのミスや誤審を認めない。酷い誤審やルールを知らない判定も数多い。大リーグを真似して、プロ野球でビデオ判定を導入したら、約4割は誤審である。審判には文句を言ってはいけないという、古い慣習がこびりついている。そもそも朝日新聞の社旗は、旧日本軍と同じような旭日旗である。日本に来た元大リーガーが帰国後、地球の裏側に“ベースボールに似た野球”というのがあった。そんな本を出版した。松坂大輔は一人で250球も投げた試合がある。本場の人間はクレイジーだと伝える。大リーガーたちの契約は球数が決められている。余分に投げればギャラが発生する。名監督とはいかに選手寿命を長くしてあげられるかである。日本は勝利至上主義だから、監督は投手を酷使してきた。この頃やっと本場のように、先発は100球位までが基準となった。私は高校野球の判定は人工知能でやるべしと言いたい。100%誤審はないからだ。野球と同じことが、政治、経済、教育などの世界にへばりついている。議員特権で罪を犯しても殆どパクられない。ビックモーターのような、ノルマ、ノルマ、未達成なら降格、左遷、あるいは会社内座敷牢入り。(仕事を与えず机と椅子のみ、一日中座っているだけ)本人から辞表を出すのを待つ。ソニーとかパナソニックなどは有名であった。何十人、何百人が牢人とされたのだ。その結果有能な人材や技術者たちは辞めて、中国、韓国、台湾へ職を求めた。それ故日本は先進七ヵ国の中で人材の活躍度最下位である。アメリカのシリコンバレーでは科学技術者の約半分は、中国人とインド人だという。三洋、ビクター、東芝は倒れ、シャープは台湾に、ソニーはゲームと損保メーカーになってしまった。日本を再生するには、教育の現場から正さねばならない。おそらく100年かかるだろうが、やらねばならない。小・中学校の先生の30%近くが「鬱」状態で休職したり、退職している。先生になる人か年々減っている。いい先生がいなければ、いい生徒は生まれない。点数や内申書中心主義では、個性的な生徒は生まれない。政界は世襲を禁止するか英国のように、親の地盤でないところからにする。経済界はもっと意地とプライドを持って政界と対決しなければならない。人材を発掘、投資して世界に通用する人材に育てなければならない。スティーブ・ジョブズが演説したように、“愚か者”が時代をつくるのだ。敗戦記念日の前に一つの言葉を書く。キューバ革命を成功させた、チェ・ゲバラが64年前の7月25日31歳の時に広島に来て、原爆資料館を訪れた。その時こう言ったと伝えられている。「アメリカにこんなひどい目に遭っても何故怒らないのか」。一昨日の昼新橋駅品川寄り、改札口となりの相談窓口コーナーで、白いマスク、花柄のワンピースを着た高齢の女性が、大きな旅行用キャリーバックの横で、バッタリ倒れていた。二人のJR駅員はカウンター越しに呆然と見ているだけ、誰一人も声をかけず通り過ぎる。私はガラス越しにそれを見ていて怒り心頭となった。改札口を出てしまっていたが、窓口へと引き返したら、年配の駅員がキヨスク斜め前の所から一人二人と出て来た。倒れた高齢の女性の横を窓口に来た人たちは、通り過ぎて行く。この国は完全な「無関心国家」となっている。スマホで写真を撮っているバカムスメが二人いた。二人共に小さなTシャツでおへそを丸出していた。本日より休筆する。まずはお墓参りだ。永眠はいいな、ずっと眠っていられるから、不眠の私は、不謹慎にも永眠に憧れている。その前にやらねばならないことをやり遂げる。そんなの関係ネェ~、そんなの関係ネェ~とパンツ一枚だった芸人は誰れであったか。(文中敬称略)
2023年8月5日土曜日
つれづれ雑草「落語のはなし」
八月二日夜、ある会社の美人社長と、正義と直情の衆議院議員のヒトと、夜食事をした。恵比寿のとある店であった。家族で営んでいるその店には初めて行った。居酒屋さんのようであった。若い人たちが多く来ていたところをみると、適正価格なのだろう。丸い顔をして笑顔がとてもいいご主人、がっしりとした体でテキパキしている女性、長身でメガネをかけてよく働く若い娘さん。いい店は入った瞬間で分かる、というか感じるのだ。何故会ったかというさしたる理由はない。社長さんから◯◯先生と久々に会いませんかという連絡があったので、暑気払いにいいですねとなった。カウンターには数人座れるがすでにいっぱい。小上りの座敷には四人が座れる席が四席ほどあったがすでに若い人たちがいた。奥の席を予約してくれてたのでそこに座った。とめどない話を、とめどなく話をするのは楽しい。お金儲けの話とか、仕事の話とか、政治や経済の話もしない。とめどなく話をしては笑い、そして話は線香花火のように、飛び散る。社長も先生も決して“エラブッタ”ところはない。お刺身とか牛肉のタタキとかおいしい品が出て、三人でそれを食す。この店のメインはうなぎのようだ。汗びっしょりの丸い顔のご主人が焼いている。とにかくこの店の人の笑顔がいい。社長は何度が来ているようだった。いわゆる“ナジミ”の客だ。雑談の会みたいな時間はいいものだ。最後にうなぎを半分ずつに分けて食べて終った。いい店、いい笑顔、いいかんじ、いい時間、ヘバヘバにへバっていた体が陽気になった。連日38度、39度があたり前だのクラッカー状態である。今日八月五日はどこぞで40度を超えたとか。地球が狂って、大自然が狂って、生態系が狂って、人間も狂いに狂っている。かつて“明石家さんま”が、「生きているだけで丸儲け」と言ったが、今は生きてる内にサンマの丸焼きとなっている。こんな狂った暑さの中で、明日夏の甲子園大会が始まる。国連ではジャニーズ事務所の創業者による性加害が数百人になると大問題化している。児童虐待や青少年の虐待は、国際的問題となっている。真夏の甲子園大会も青少年への虐待だと問題化している。朝日新聞とNHKが主催している一大イベントだが、このイベントのために全国でどれほどの野球少年の肩やヒジや腰が、足やヒザが壊れているか数知れない。そして精神まで壊れているのも数知れない。入場式は学徒出陣のようであり、宣誓式は特攻隊のようである。私は大の野球ファンであるから、夏の甲子園大会は予選から見ている。私は提案する、夏にやるのであれば、甲子園球場を屋根付球場にせよと、朝日、NHKは勿論、日本中の大企業が、しこたま儲けた金の中から寄付をせよと。第一回夏の甲子園の頃は30度を超す日などなかった。この国の駄目なところは、寄付文化がないところだ。弱者や体に障害を持っている人々、生まれつきハンディを背負っている人々に対して、大企業は寄付をしない。バカヤローな国なのだ。大谷選手が劇画を超える活動をしているが、私はそれほど興味はない。すばらしい才能を持った者が、人一倍努力してすばらしい記録を生んでいる。そりゃそうだよなスゴイなと思うだけだ。それよりもこの打席で一本のヒットを打たなければプロとして残れない。トライアウトの試合でヒットを打った選手、三振を奪った選手に拍手を送る。スカスカのスタンドで、一本のヒットに、赤子を抱える妻は涙する。運命論者の私には、大谷選手がきっと数奇な運命を遂げるのが見える。“過ぎたるは猶及ばざるが如し”だ。老子曰く“努力より脱力せよ”と。超、超大天才の将棋の藤井聡太七冠、もうすぐ八冠は、恋をせよ、愛に砕けよと言いたい。大谷選手もしかりだ。大リーグの名選手だったジョー・ディマジオは、マリリン・モンローと恋に落ちた。人間サイボーグでなく、人間であるためには、今のままではつまらない。大ファンだったゴルフ界のスーパースター、タイガー・ウッズは、セックス依存症と戦って再起し、奇跡的にマスターズで勝った。私は狂喜乱舞した。今は勝つことはできないが、私は今のほうが以前より好きである。腰痛と闘いながら、女体の叫びと闘いながら、フェアウェイをトボトボと歩く姿に感動する。さあ、高校野球好きのみなさん、甲子園球場に屋根を付ける運動へ声を上げよう。経済四団体のオッサンたち、若者たちの肉体と精神を守るために尽くせ。落語の中にこんな噺がある。「酒もやらず、女もやらず、百まで生きたバカがいる」超天才たちにこの落語の言葉を送る。凡才の私は超天才を超えて来たなと自負をする。(文中敬称略)
2023年7月29日土曜日
つれづれ雑草「一休さん」
2023年7月22日土曜日
つれづれ雑草「伝説の金子正次」
2023年7月15日土曜日
つれづれ雑草「コインの裏と表」
2023年7月8日土曜日
つれづれ雑草「一人ひとりの才能」
2023年7月3日月曜日
つれづれ雑草「怪物」
「警視庁物語」全24作を8日間で見た。昭和三十五年頃東映の人気シリーズであった。当時は他の映画との二本立であった。一本長くても90分位であった。「警視庁物語」はほぼ60分である。刑事ものの映画やテレビ番組の原型はこの映画シリーズにあったといってもいい。当時はいまと違って肖像権などはほとんどないから、街の中だろうと、野球場、競艇、競馬場などでも、撮影は撮り放題であったようだ。つまり多くのエキストラを起用する必要がない。むしろ映ってしまった人が、オレ映画に映ってしまったよと、自慢していた。カメラアングルは制限がないのでリアリティが違う。東京の街に高いビルはまだ少ない。タクシーの初乗りが70円であった。ルノーの小型タクシーが数多くあった。昆虫みたいな形のルノーに乗って親友と高校に通っていた。それが見つかって母親が学校から呼び出されて、停学処分になったりしたが、アタマを使って、ルノーで通った。刑事たちは黒塗りトヨタの大型車であった。警視庁物語を見れば今も行なわれている捜査方法が分かる。いわば刑事ドラマのヴァイブル的作品であった。後に高名になる監督が何人も手掛けていて、東映全盛時代の礎となった。今の刑事ものがつまんないのはリアリティがないからだ。デカ(刑事)やブン屋(新聞記者)は、みんなバンバン煙草を喫う。黒いダイヤル電話が、何台もあってジャンジャン鳴る。店屋物を運ぶラーメン屋さんや、日本ソバ屋の店員さんが、ラーメンやもりそば、かつ丼などを何度も運んで来る。これが白黒の画面の中で実にウマソーなのだ。一軒一軒への地取り、聞き込みが基本だ。刑事は現場100回という。何事も解決への元は現場にある。捜査一課の物語だから起きる事件は、“殺人”である。事件の多くは現代社会とそう違いはない。金銭目当てが主であり、そこに愛人がからむ。“事件の影に女あり”と、いまでは差別用語となるが、そのからみが多い。犯人となった人間の原因は貧困、差別、両親の堕落、子どもの頃からの生活環境が生む。不良少年、不良少女。空腹で愛情に飢えた子たちは、悪さを重ね成長しながら立派な悪人になる。そして事件は起きるべくして起きる。格差社会はいつの世も変わらない。落ちるところまで落ちた男と女は、傷をなめ合い、事件を打つしか道がないようになる。警視庁物語の事件と現代の事件との違いがある。今の世は溜ったストレスを目の前の者に発散する。自分が生んだ赤ちゃんを、自分を生んでくれた母親を、老い先短かい老人たち。兄弟姉妹が骨肉の争いの末に殺し合う。しまいには誰れでもいいからとか、死刑になりたいからなどと言って弱い者に刃を向ける。警視庁物語の中には、こんな事件はなかった。貧しさの中でも、ギリギリ人間としてやってはいけない事が少しは分かっていたのだろう。SNS全盛時代の事件は、何が起きるか起きてみないと分からない。「怪物」という映画を観た。是枝裕和監督作品、坂元裕二脚本がカンヌで脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した。愚妻と共に観にいったのだが、私よりも愚妻の方がよく映画を理解していた。いつもなら、“マアネエ”とか“ツマンナイ”とか、“キライヨ”などのひと言で表わすのだが、いい映画よ“怪物は大人たち”“学校の先生たち”なのよ。子どもたちは、頼りにする大人がいなくて、などと語っていた。子どもがかわいそうだな、が共通見解だった。かつてはいつか見ていろよ、不良からヤクザになって、きっと立派な親分になるんだとアブナイ夢を語る時代もあった。今では反社会人とされて堅気になりたくてもなれない。ヤクザ者の子どもには何ら悪いところはない。夢も希望もあるはずだ。ある年、高校で一年間一緒だった男が、クラス会があるから一度来いよと言って来たことがある。やだよと言ったが、一度だけでもと言われた。16歳が45歳位になっていた。30人以上が新宿のタカノフルーツパーラーに集まっていた。私は一次会は九時までとあったが、八時半頃に行った。幹事は内緒にしていたようで一斉にオ、オ、オ~となった。私がどうなっていたか、みんなの意見を集約すると、(一)ヤクザになっている。(二)死んでいる。(三)刑務所の中にいるであった。私に退学処分を課した担任も来ていて、ひたすら私にあの時はすまなかった。僕にチカラがなかった。君がしてないことは分かっていたんだ。すまん、すまんと言った。グラスを持つ手がガタガタ震えていた。先生全然気にしなくていいよ、かえってよかったと思っているからと言った。校長とか教頭の立場重視、教師と教師の責任のなすりつけ合い。きっと今でも日本国中の学校で起きているだろう。その後、何度かクラス会の通知が来たが行ってない。ブルブルと震える文字で何度か手紙をくれた担任は亡くなったようだ。みんなと別れ二人きりになった、高校時代の恋人(?)は、医師の娘だったが、確か筋萎縮性側索硬化症(ALS)で亡くなった。家までクルマで送って行って、元気でな、と別れ際握手をした時、その手が氷のように冷たかった。問題児もいい大人たちと出会えば、何んとか生きていける。私は提案する。厚生労働省に「更生庁」をつくって、堅気になりたい人間とか、足を洗った人間やその家族が生きてゆけるようにすることを。(文中敬称略)
2023年6月24日土曜日
つれづれ雑草「九州出張、その(二)」
2023年6月19日月曜日
つれづれ雑草「九州出張、その(一)」
2023年6月17日土曜日
2023年6月12日月曜日
つれづれ雑草「半分半分」
「ドン」といえばひとは何を連想するか。“学界のドン”“政界のドン”とか、“財界のドン”。今映画でヒットしている“ハマのドン”など、その世界に君臨している人物を称する。“ボス”という言い方もあったが、サントリーの缶コーヒー“BOSS ボス”で市民権を得て、ボスといえば矢沢永吉を連想する。ドンはどんでも「丼」となると、ヒトそれぞれに、オレにとって、アタシにとって、ボクにとって、ワシにとって、オイラにとって、丼は熱愛される。もし丼物が好きでないという人間がいたら、どこまで行っても会ってみたい。丼は食堂界のドンでありボスである。天丼、うな丼、親子丼、海鮮丼、中華丼、カニ玉丼、カレー丼、牛丼、豚丼、かつ丼、海老丼、ウニイクラ丼、鳥そぼろ丼。丼はどんどん食欲を満たしてきた。数をあげたら切りがない。牛丼も食べたいし、となりの人が食べているカレー丼も食べたい。そんな人には相性丼というのがあって、半分牛丼で半分カレー丼というのを、ハイヨッとつくってくれる。食べ物を決める時、人間の性格が分かる。あ~腹減った、私は夢の中にいる。やっと今日はじめてのごはんだと、築地の場外市場を歩いていると、私という天邪鬼で、食いしん坊で何か人と違うものをとの迷惑な性格がでる。築地の場外市場は長いつき合いで、いわば庭みたいであった。大好きだったラーメンの店「井上」は、先年火事で燃えてしまった。海鮮専門の小さな店のとなりに、スパゲッティナポリタンだけの店があった。親子丼を見てクラクラとしていた。海老丼を見てグラグラッとした。牛丼を見ると決めた覚悟がゆれた。当初の目的は海鮮丼(ホタテ抜き、アレルギーなので)一本でバッチリと決めようだったが、私はダメな人間である。赤いスパゲッティナポリタンが強烈に目に入り、緑色のピーマンと玉ネギが、タコ形の赤いウィンナーと共にフライパンの上で仲良くくっつき合い、励まし合い、救け合い、支え合っている。場末の純愛みたいだ。よし、これだ。だが海鮮への想いも忘れられない。店のオジサンに、ちょっとあそこの店で、海鮮丼の半分をつくってもらってくるから、そのよこに半分スパゲッティ入れてくれると言った。あ~いいよ、だけどどんぶりは洗わないよと言った。大丈夫ちゃんとするからと言った。で完成したのが、“海鮮スパナポリ丼”新鮮な海老、コハダ、イカ、マグロ、イクラ、玉子焼きの横に、アツアツのナポリタン。日本の伝統美に、ナポリタンの赤ベタの組み合わせは最高であった。海鮮店の夫婦が、おいしそうと言った。お客さんみたいなヒトはじめてだよと言った。海の幸とパスタはよくあるメニューだが、海鮮丼とパスタはないはずだった。主人たちは実に誠実で、料金はハーフ&ハーフだったのでおまけしてくれた。それじゃ悪いからと、コーヒーでも飲んでと迷惑料を払った。この頃外国人さんが多いからこんなメニューもあるなと、海鮮丼の主人は笑った。私はこういうバカなことをアチコチでやってきた。“丼”と何を組み合わせるかを考えるとじつに楽しい。私はイロイロな定期検査前で食事を抜いている。それ故食べ物への思いが浮かび、アタマの中で“作り話”を作っている。シャネルのバックを持っている若い美人女性が、金曜日の夜八時頃、銀座の吉野家で丸椅子に座り、牛丼を食べている。赤い口紅に赤い紅しょうが、夜の世界の女性ではない。こんな美人が何故、花の金曜日に一人吉野家で、丼には謎めいた物語があるのだ。(これは実話)ちなみに、横浜のドンを描いた映画「ハマのドン」はかなり面白いと見た人々が言っている。スパゲッティナポリタンは、横浜の高名なホテルのシェフが進駐軍のために開発した和製料理らしい。初めてイタリアに行った時、レストランでスパゲッティナポリタンをとオーダーしたら、…………(?)(?)(?)であった。そんなのねえ~よというかんじだった。同行していたコーディネーターが、トマトソースと言ってくださいと言った。とってもとても恥ずかしかった。スペアリブを知らなかった私は、アメリカのグランドキャニオンに初めて行った時、夕食が夜遅かった。カウボーイ(牧童)たちが、♪ ローリング、ローリング、ローハイド……と店に来る。同行のコーディネーターが、スペアリブを食べましょうと言うから、OKよろしくとなった。店内は、かなり暗い。何やらゴッツイ肉の塊りがきたので、言われた通り、塊の両端を持ってベタベタしながら、かぶりつくと、ガツンと固い骨、なんだこりゃ、骨ばかりじゃんと大声を出すと、カウボーイたちは、腰に手を当てた。ガンベルトには拳銃が入っている。以来スペアリブは警戒をすることにした。下手をすれば撃ち殺されてしまう。スペア丼をつくるとすれば、骨付の肉と拳銃の弾のハーフ&ハーフだ。ライクーダーのギターとかケニー・ロジャースかなんかが流れたら、少しばかり歯がガタガタになっても食べ尽くすだろう。あ~腹が減った。鳥そぼろ、牛豚兄弟丼が食べたい。BGMは「無法松の一生」だな。さあ、ど~んといってみよう。(文中敬称略)
2023年6月10日土曜日
2023年6月3日土曜日
つれづれ雑草「ある原因」
10年ひと昔というが、現代社会では一日ひと昔だ。かつて「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのコマーシャルがあった。その頃私は48時間働いてますよであった。今思えば狂っていた時代なのだろう。ひと月に何回徹夜したのかを“ジマン”しあった。あなたは24時間前に何があったか、正確に言えますか。すでにG7サミットがあったことなど憶えちゃいない。市川猿之助事件のこともあたらしいことではない。そういや市川中車なんていたな香川照之だったっけ。熱湯風呂に入る上島竜兵が死んだのは忘れがたいが、ガーシー元議員の話なども誰れも言わない。えっ上岡龍太郎が八十一歳で死んでいたんだ。確か横山ノックかなんかとトリオを組んでいたな。横山ノックが選挙カーの中で女性スタッフのオシリを触ったりして大阪知事をやめた。パンパカパーンと。岸田総理ファミリーたちが官邸内で大ハシャギしていたことが突然週刊文春に出た。秘密を握っている人間は、その秘密のカードをずっとかくして持っていて、ここぞの時にマスコミにリークする。首相官邸を仕切っている人間や元その任にあった者は、国会議員は勿論のこと、その家族一族郎党の秘密をすべて握っている。当然、マスコミ各社や、財界人たちや知識人、文化人、有名人、芸能人、ヤクザ者、警察内部、裁判所関係者、みんなみんな調べ上げている。24時間働いてますよ、なのだ。危機管理という名の元で、重箱の隅をつっつくよりしつこく調べる。個人タクシーは官庁の人間がタクシー券で朝帰りするのを狙って、ズラリと霞ヶ関に並んでいる。ロング一発! で売上げバッチリとなる。かつておしぼりとビールを出したりすることが問題になった。みんなもう忘れている。今は、アメ玉位らしい。男が女性を好きになる時代はもう古いが、執念深い女性とは近づかないほうがいい。何しろ決して忘れないからだ。あの時確か╳╳とか、あそこで確か╳╳とか、あの中で確か╳╳とか、一語一句を憶えている、ソーユー相手は人生列車を脱線させる。この頃は男と男、女性と女性の関係もそれほど秘密ではなく、社会に受け入れられている。ファイト一発! でよいのだ。しかし刑務所内では許されていない。マッサラ(新入り)の美男子、筋肉系は“リボンチャン”といって大歓迎される。新宿二丁目辺りでは、“タチとネコ”といっていた。“ゲイは身を救ける”のよと、まっ紅な口びるのヒトが言っていたのを思い出す。現代社会は新入社員をハレ物に触れるように大事に扱う。残業しろ、なんてもっての他。“痛くなったらすぐセデス”じゃないが、暗くなったらすぐ帰りましょうだ。それでも東海道線は新橋、品川からでは座れない。東京発でないと、酒臭い奴とか、ニンニク臭い奴とか、メチャ強い香水のヒトとかと接近密着しなければならない。痴漢と間違えられないように、両手をホールドアップする。チャイナヒゲを生やしたオッチャンの顔なんかが密着してくると、頭突きを一発入れたくなる。横浜まで行けばどどっと出て行って、座ることができる場合が多い。台風の影響で雨がじゃんじゃん24時間働いている。雨は天の命ずるままに雨降りという仕事をする。今は六月三日の午前五時十八分四十八秒だ。久々に名作「クレーマー・クレーマー」を見た。むかし見た時とずい分記憶が違っていた。ダスティン・ホフマンと、メリル・ストリープが若い。アカデミー賞を受賞したこの作品は、夫、妻、子ども、仕事、家事、性生活、子育て、ヒステリック、会社、出世、離婚という夫婦間の永遠のテーマをよく描いている。夫婦はきもちいい間は決して別れない。雨の中レインコートを着て、家のすぐそばのコンビニに酒一合を買いに行く。薬だけじゃ眠れないよと体が記憶しているのだ。丸っこい体のコンビニの主人が一人でいる。よく働くね、24時間働いてんじゃないのと聞けば、大丈夫昼にしっかり眠ってるからと言った。中国人がたくさん働いていたが、今はいない。キオスクにも、ニューデイズにもいない。時々、顔がムクんで、コロッケみたいにアブラぎっているオバサンがいるが、半分眠っているような顔をしている。そういや夕飯は何を食べたっけ、12時間位前のこと、そんな昔のことは憶えちゃいない。ニュースを見ると今日は大雨のち曇りのようだ。よし、これから八代亜紀の歌を聞こう。「舟唄」は朝からしみじみするので、♪~ 雨々ふれふれ もっとふれ……。のほうにしよう。それにしても、ルフィは誰れか(?) 元ガーシー議員は(?) ある党の女性区議会議員が、先日当選したが、メルカリでニセブランドを8000円で売って、選挙資金にしたとかで辞職した。なんだか切ない話だ。人手不足が深刻な時代となっているが、国会議員とか、県、市会議員は多過ぎだ。少子化問題も深刻だ、冗談でかつての“禁酒法”じゃないが、“禁ゴム使用法”をつくればと言ったら、バカじゃないのと言われた。そうです、私はつける薬もないバカなんです。離婚の原因の第一位は、性格の不一致と決っているが、性格が一致する訳がない。正しくは“性の不一致”だろう。私のかわいがっていた、後輩が世界水泳大会の金、銀、銅メダルのデザインコンペで、金メダルを受賞した。名は「小林大助」という。すばらしい男だ。個人会社名を「助太刀」という。いざという時声をかけてください。福岡にいます。(文中敬称略)
2023年5月27日土曜日
つれづれ雑草「盲亀流木」
旅の男には過去を聞いてはいけない。人間は一人ひとり背負うもの、思い出したくないもの、話したら命をかけなければならないものがある。ある旅を経た人を紹介してくれたのは、私の親愛なる男である。この男はあらゆる筋の人間と縁を結んでいる。その人脈は底知れない。いままで万金に値する人を紹介してもらった。その中の一人が銀座を捨てて密教の修行に入った。“想像を絶する厳しい修行”というありきたりの表現しかできない我が身がつらい。今では高名なお寺の住職となり、毎月一回タブロイド判の“◯△だより”が送られて来る。ご自身で書いて印刷されている。そこには毎号勉強させてもらう、仏教の教えといい話が書かれている。真白いアート紙に黒い活字の一文字一文字が、汚れた私の心を洗ってくれる。現在住職をするかたわら、高野山大学大学院に入り勉学にも励んでいる。過去に何があったかは聞いていない。第52号にこんないい話が書いてあった。「盲亀流木(もうきふぼく)〈有ること難し〉」大海に住む盲目の亀が百年に一度海中から頭を出し、そこへ木が流れてきて、亀がちょうど偶然にもその浮木の孔(穴)に出逢うという極めて低い確率の偶然性を表わす比喩譚。人間として生をうけることと、また仏法に遇うことの難しさをたとえる話とあった。人間として“有ることが難しい”「ありがとう」の語源なのですと書いてあった。私たち人間は偶然の中に生きている。生まれてすぐに命をなくす悲しい命があれば、99.9%命は危ないという中で生を得た神の子の命もある。117歳まで生きた命もある。それがよかったか否かは本人に会っていないので分からない。スポーツで鍛えた強烈な体を持つ金メダリストがあっけなく死ぬこともある。年に二回も入院して健康チェックをしていた健康オタクが、四十代でポックリ死んでしまう。なんでこんな話を書くかというと、私の恩人、知人、友人、親類縁者が、肝臓癌、子宮癌、胆管癌、乳癌、すい臓癌と闘っている。二十代から七十代まで。私には何もしてあげることができない。私は「盲亀流木」大海で流木の孔(穴)に出会った亀のように。どうか名医に出会ってと願うしかない。必ずセカンドオピニオンをと願うしかない。高名な大学の教授が名医とは限らない。現在の上皇の心臓を手術した教授は無名に近い人であった。私の友人の奥さんは、過食と拒食をくり返した。太っている時は80k以上、やせている時は30k台、その差50k、お金持ちだったので、有名大学病院を何院も訪ねて入院治療したが、原因はどこも分からずであった。どこで聞いたか山陰地方の大学病院の助教授を訪ねて入院治療をした。結果ウソのように治った。原因は教えてもらえなかった。患者は医師を選ぶ権利がある。米倉涼子主演の「ドクターX」ではないが、有名大学だから、お金持ちがいく病院だからで選んではいけない。私にはとても信頼している先生が二人いるので、その先生の命令に従う。これを書いている午前四時三十三分十三秒現在、眠ることはできない。原因が私自身の問題だからだ。外はかなり明るくなってきた。「ライトハウス」という映画を見た。モノクロフィルムで撮った最高傑作といっていい。ランボーの詩を映像化したみたいであり、ギリシャ神話の如くでもある。「ニューイングランド」の孤島にある灯台に、カナダで木こりをやっていた青年が、金を稼ぐために四週間働きに来る。そこには老人の灯台守一人しかいない荒れ狂う海、乱れ飛ぶカモメ、燃料に石炭を使う重労働、老人と青年とのうす暗い生活が始まる。食料を運ぶ船は四週間来ない。1881年頃に書かれた灯台守のマニュアルに従う。いままで見たことがない白黒の世界は宗教画のようでもある。二日続けてこの映画を見た。主演の一人が私の好きなウィレム・デフォーである。老人は言うカモメを殺すなと、海鳥は海の男の魂だからと。だがしかし青年は狂っていく。そしてカモメを殺す。そこに待っていたものとは。○╳一錠、○╳一錠、○╳一錠を服用した。朝刊がポストに入った音がした。読んでいるうちに少しは眠れるだろう。残念ながら酒はない。あの映画を見ていて思い出した。「盲亀流木」の話を。荒れ狂う波の中に亀はいたのだろうか。流木の孔(穴)に運良く入れただろうか。老人は言った。帆を操る海の男にとって、いちばん不運なのは、無風なんだと。人の命はすべて偶然に支配されている。神はいるのだろうか、信じる者は救われるのだろうか。灯台の光は海の男にとって神に近い。(文中敬称略)