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2023年12月12日火曜日

つれづれ雑草「リステリン」

山のように嫌な事があり、荒波のように困難は押し寄せ、救い難き政治家が悪業を行なっている。テレビでは大谷、大谷、大谷。1000億円の契約金かと大騒ぎ。号外まで出るという今日この頃。大谷翔平選手は日本人にとって誇り高き稀有な選手だが、第三次戦争前夜ともいわれている世界情勢の中で、もっと、もっと報じる事があるはずだ。国の悪事はこういう騒ぎの影で着々と進めて行く。三年間にわたるコロナ禍で、私たちの状況は激変した。数多くの恩人、知人、友人は旅立ってしまった。又今も酷い後遺症に悩まされている友人も多い。一つの仕事をもらったうれしさに、携帯に向って何度も何度もありがとうございましたと、頭を下げる業界人の姿を見ると、切なくなるのだ。いやまてよ、それは自分かもしれない。金もうけの話をしないで酒を飲める良き友は、殆んどあの世に旅立ってしまった。夢とロマンを語ってくれた先輩たちもいなくなった。つまんねえ、まったくつまんねえといいつつ、“銀だこ”というたこ焼き屋の横を通る。タコハイボールを飲む客で満員だ。会社の同僚たちだろう。男6対女性4位の比率だ。酒を飲んでキャーキャー大声を出してバカ笑いする女性は、ほぼ不美人だ。それでも飲んでいる男は、あわよくば今夜はと狙っている。たこ焼きのソースと、カツオ節の味がたっぷり残っている、口と口でキスを交わすのだ。そしてその先へと進み人生を失う。ギョーザのケースも、焼肉のケースも、ヤキトリやジャージャーメンのケースも同じだ。“臭い仲”というのは、ほぼ後悔をする。なんでマスク、マスクとうるさい人間が、ニンニクの臭いたっぷりの仲で、キスするのだろうか。映画の仮編集を終えた十二月九日(土)の夜の赤坂、通称ヤッカン通り(ヤクザと韓国料理店が多い)のアチコチで、酔って抱き合う男女を見た。あ~嫌だ嫌だと思いつつ、頼み事がある人に、会うために先に向う。ポン引き(客引き)の男が、そこかしこにいる。さすがに私には声をかけない。柄が悪いからだろう。あるいは同業と思われているのかもしれない。日本人よ冷静に考えよ、今パー券、パー券、裏金、キックバック、16文キックの話がどっと出ているが、この裏に読売新聞とアメリカのCIA(つまりアメリカ国)が深くからんでいる。読売の創業者は正力松太郎、内務官僚のボスだった。それ故、時の政権の裏の仕事を秘かに行う。グズという仇名を持つ岸田文雄にいら立っている。アメリカはイスラエルから手を引けない。ウクライナへの支援もままならなくなった。日本というサイフの中からもっと、もっと金をしぼりとりたい。すべてにグズな岸田文雄は使えない存在なのだ。ビートたけしの映画“首”ではないが、岸田文雄は首と判断された。財務省が絵を描いている。その財務省ベッタリの麻生太郎を首切り役にした。中国+ロシア、インドの台頭、核をアメリカ本土に着弾させる能力を持った北朝鮮。ユダヤ資本に牛耳られているアメリカは、日本人が貯め込んだタンス預金1000兆円が欲しいのだ。郵政民営化でガッポリ稼いだように。財務省はアメリカの戦費をかき集めるために、増税、増税のペースを急ぐこととなる。グズグズしているなと。本来検察のリークは、朝日新聞がいの一番であったが、今回、読売にリークしたのには深い意味がある。あ~嫌だ嫌だ。だが乱は人を生み出すという。きっと政界は再編成となる。だがしかしアメリカの子分であることに変わりはない。“専守防衛”から反撃能力へ、戦争オタクといわれる“石破茂”がやけに明るい。前総理大臣“菅 義偉”が、競輪用語でいえば、“大まくりを打つ”(後方から一気にアタマになる)を仕掛けるだろう。小泉、河野ラインを先頭に使って、石破に一着を取らせるのだ。石破大嫌いの麻生太郎は悩ましい。しかし政界の一寸先は闇だ。ドサクサの中で伊集院 静がこの世を去った。無類の競輪好き、博打好きであった。自から無頼派といっていた。無頼とは頼るもの無き人間のことだ。銀座で女性にモテた作家は“故吉行淳之介”がいちばんといわれてたが、伊集院 静も吉行に負けずモテたという。故夏目雅子と時間を共にしていた、逗子の“なぎさホテル”は無くなってしまった。お洒落なホテルだった。今の世は死んだ者は、二・三日で忘れられる。ヒジョーニカナシイ、ワスレナイデチョーダイ! と故財津一郎さんは言っているだろう。そして、テレビCMをやっている葬儀屋さんには十分気をつけてチョーダイと。とにかく次から次にこうしたほうがと値が上っていく。終いにはケンカになるという。板橋にまっ正直な葬儀屋さんがある。恩人であり友人でもある。その人を紹介する。ところでオ~タニさん、ぜひ日本の映画界に出資をお願いします。そうしたら号外をバンバン私が配ります。そんなこんなで400字のリングは今年の最終回、今後どうするかを考えます。サバイバルゲームが待っている。こんな映画を見た。すっかり倦怠期に入っている夫婦が、その夜久々にベットでとなる。二人は洗面所に行って、リステリンでうがいをする。妻役はニコール・キッドマンだった。みなさんよいお年を迎えてください。
文中敬称略)






2023年11月24日金曜日

つれづれ雑草「雨の朝にて」

長~い間、太田胃酸い~い薬ですと言ってたが、ズルーイ薬となっている。分量がかなり減っている。布製のガムテープは、丸々と太かったが、バウムクーヘンみたいになっている。ティッシュペーパーの箱は枚数が減らされて薄形になっている。老舗ブランドのかっぱえびせんや、ポテトチップスは、袋はパンパンだが中身は半減している。スーパーの刺身は薄切りにされてヘラヘラとなり、大根のつまをてんこ盛して見た目を海鮮盛に見せている。世の中は何もかもが実質値上げとなっている。ザ・ケンジヤないわよね、マツタク、ズルイ、セコイ、スクナイ。星乃珈琲店内、私が小さなテーブルでシコシコと雑文を書いているうしろのテーブルで、女性三人がスーパー、コンビニ、さらに長い歴史を持つブランドへの悪口雑言。アレモヘッタ、コレモヘッタ、ヘッタヘッタで腹減ったと、どこぞで買ってきた助六寿司のパックをパクッと開けた。これ見てよ太巻きが細巻きに、おいなりさんがこいなりさんになっていると、見せている。何よ、ガリがたった三枚じゃないと言う。店の近所に幼稚園があるので迎えに来ているらしい。一人はワニのような顔で、一人はニワトリのようで、一人は黒い金魚みたいであった。声が大きく、笑い声は不気味であった。何だかオカルトチックになったので店を出た。顔はトイレに行った時に、マジマジと見た。ウルセイナと言いそうだったが、同感することもありそっとスルーした。過日、新幹線の車内で見た女性は三十五・六歳であった。ZARAの紙のバックと、シャネルの小さな白い紙バックを空席の横に置いていた。手には本麒麟の赤い缶ビール。つまみに“とびっこのくん製”と、ナッツの袋入り。これが臭いのなんので、顔をマジマジと見た。相手も私をドキッと見た。誰れかに似ているなと思った。そうだ京都へ行こうじゃなくて、そうだ時々行くラーメン店の奥さんだ、と思うとあの奥さんはいつもハキハキしていて、かんじいいもんなと思った。勿論別人だが世の中には、二人ソックリな人がいるという法則があったはずだ。オット見ると、どこぞの車両から連れの男が来て、紙袋をどけて座った。同じ会社の人のようだ。えっ何! 電球の球を取りかえる時に、椅子から落ちて大怪我をしたの、そんな会話が聞こえた。女性は赤い本麒麟をグイ、グイと飲みこんだ。CMの定番のセリフ、プハァーウマイ! は言わなかった。それじゃ行っても会えないわけ! と強く言った。女性の方が上司らしい。私も切れた電球の球をとりかる時に、グラグラして何度か落ちそうになったので、この頃は行なっていない。ということは家の中のことは何もやってない。実に使いものにならない存在なのだ。うどんを食べ終って、どんぶり位自分で下げれるでしょ、と怒気を放っ声がした。入ってくるものが減りつづけ、出ていくものが値上げラッシュで増えたせいか、殺気を感じる。この季節家に帰ると、一枚、二枚、三枚とかつて仕事を一緒にした人や、お世話になった人の奥さんからの葉書が来る。夫が旅立ったので……、との一枚だ。毎年思うのだが圧倒的に奥さんからのが多い。やはり男より女性の方が生命力が強いのだ。男は絶対女性を敵に回してはいけない。勝つ見込みはない。テメェ~、ナメンジャネーヨ、若いホストに1千万近く突っ込んだ、若い女性がカッターでホストを斬って、叫んでいるニュースを見て、ドキュメンタリー番組で見た、ある女性医師のことを思い出した。エルメスのバックに何故か700万の札束(銀行の帯付)をブッ込んで、お目当ての店に行き、一晩で700万を使い、明け方新宿の街から去って行く。時々ある地方からやって来る。ホストに入れ込んで風俗へ売られ、やがてアジアの国に売られ、臓器まで売られて行くケースを知っている。有名な事件があった。ある地のホスト界のボスが、後輩のホストたちに殺され、薬品を使って溶かされた。バスタブかなんかの中に、金歯だか銀歯が残っていた。ノルマ、ノルマを達成できないホストに、やりたい放題のヤキを入れたりしていたらしい。ホスト狂いをする女性に同情する声は少ない。行く方が悪いのだと思われるのだ。でも、シャンパンタワーで背負わされた借金を懸命に働いて完済して、しっかり立ち直り、幸せをつかんだケースも知っている。バカバカしさに早く気づき、強く生きる意志があったからだろう。夜の世界はちょっとやそっとでは学べない。入学は簡単だが、卒業は厳しい。そして学費は高いのだ。私の親愛なる友は、夜の歌舞伎町を知り尽くしている。困っている人は紹介する。場合によっては相談に乗ってくれるはずだ。現在十一月十七日金曜日、朝九時三十九分十六秒、外はどしゃ降りの雨だ。各局、朝の番組でエンゼルスの大谷選手がMVPを獲得したと報じている。生まれながら、才能と体力と知力に恵まれた選手が、人一倍努力をした結果だ。興味は800億円近いという契約金を何に使うかだ。ぜひ日本の映画界に投資してほしいと願う。それよりも若くして戦力外通告されて、これから妻子をどう養って行くか、途方に暮れている選手たちに、負けるな、人生はこれからだぞと声援を送る。“勝者には何もやるな、すでに勝利を手にしているのだから”、そんなことを、確かE・ヘミングウェイが書いていた。徳川幕府を倒したのは、関ヶ原の合戦で負けた、薩長土肥が中心だった。私もリングの上に立って、ファイテングポーズは失わない。バカはバカなりのケジメを求めて。◎前回倉敷の“ナマコ壁”を“マナコ壁”と書いてしまい、間違いを指摘された。この場にて修正する。(文中敬称略)












2023年11月12日日曜日

つれづれ雑草「倉敷とアナキストの妻」

岡山県倉敷市に美観地区という場所がある。この地区をみんな、みんなが大切にしている。派手な看板やネオンサインもない。高い建物もない。そこに林源十郎商店という、ステキな施設がある。ずっと昔は漢方薬店であったらしい。一人の熱血漢が次々と新しいことに挑戦し発展させている。“めをみはる”とはを実感する。男の名は「辻 信行」さんだ。10年ほど前にそこでアートディレクターをしていた女性に紹介された。女性は何年か私たちの会社の仲間であったのだが、ご主人が岡山出身で、その地で仕事をしていたため結婚後、岡山での生活となった。ご主人は下戸、女性は土佐出身でかなり飲める。今回は辻 信行さんより、「一棟貸の宿」をオープンしたので、ぜひ来てくださいと招待状を頂いた。丁度湯布院に同様の宿を建てているオーナーから、諸々アドバイスを求められていたので、仕事仲間と三人で取材に行った。かつては大きな病院であったとか、旧土屋邸をリニューアルをしたのであった。古きを残しつつ新しさと絶妙の調和をさせる。これが見事に大成功であった。美観地区とも調和するこの宿には、女中さんはいない。屋号の看板もない。「土屋」という小さな表札のみ、いくつかの箱庭には、腕のいい植木職人さんの細やかなセンスが生きている。座布団もない。テレビもない。座椅子はなく、上質な椅子がいくつもある。茶受けなどもない。ビックリするほど香り高いヒノキのお風呂が大小ある。料理は自分たちで作るか、外で食す。朝は隣接するカフェレストランで、八時から利用できる。私たちが泊る前日には、倉敷の“菊寿司”(そのおいしさはNo1だと思う)が出張してくれて来て、対面式のキッチンで握ってくれたとのことであった。(ウラヤマシイ)基本は自分たちで選んだ店に行って食す。つまり食事は出ない。自分の歯磨きだけ持って来てと言われた。何があるかといえば山ほどある。窓からは爽やかな風が汚れた胸を洗ってくれる。差し込むやわらかな美しい光が、ささぐれだった心をおだやかにしてくれる。雨戸や鉄のトビラなどはない。マナコ壁の美観地区と対話するような気分を縁側で味わえる。高瀬舟が川をゆく、2名、4名、10名と、三種類に区分けされる仕組みとなっている。私たちには全部を使わせてくれた。風と光、小さな置物まで、辻 信行さんのセンスが生きている。スバラシイ寝室なので、ペッタンコの床生活者の私には、豪華なベットと寝具がもったいなかった。一棟貸の宿は全国で生まれている。後継者のいない旧店舗や、1000万戸ともいわれる空家の利用だ。調理場もなく女中さんたちスタッフもないので、静かなること山の如しだ。人手不足の時代、こういうコンセプトを持った「宿」が増えるだろう。辻 信行さんは、酒津の“川辺のレストラン”とか、ジャムや焼菓子も作っている。それも自分たちの仕事場の中で、(旧屋敷をリニューアル)外にはサウナもあり、きれいな水風呂もある。実にオープンで、ユニークな仕事場だ。川辺のレストランは名所となっており、今度ピザの釜を造った。90秒でおいしく焼ける。釜の石組みも多色の石をつくり、一つひとつが鮮やかに存在している。究極の地方創生を行なっている。料金はフツーであるので、ぜひ行ってチョーダイ。バリアフリーなのでご心配は無用だ。裸足で畳の感触、窓から見る夜空は絶妙である。久々に本でも読むかと、瀬戸内晴美(出版時)の「美は乱調にあり」を持参したのだが、宿の美は実に整調であった。私は今アナキスト大杉 栄の妻で二十八歳で憲兵隊の甘粕正彦大尉に、殺され井戸に投げ捨てられた大杉 栄、甥の六歳橘宗一(道連れ)、そして妻の伊藤野枝のことに興味を持っている。ダダイストであった辻潤とのW結婚、大杉 栄が情人であった神近市子に刺された、有名な葉山の“日蔭茶屋事件”十年間に七人もの子を産んだ伊藤野枝の生命力、その血みどろの人生に、大正時代の熱愛を感じる。「平塚らいてう」の同人誌に詩作を送っていた伊藤野枝、すこぶる魅力がある容姿。大正時代の作家は血気盛んであった。神近市子は後に社会運動のリーダーとなった。熱情熱愛の行き先は殺す、殺されるか、あるいは自裁するか。芥川龍之介も、火野葦平も、ただなんとなくの不安でと死んだ。大正時代は15年間であったが、最も文学的で、劇場型の時代であった。作家は死んでこそその名を残した。令和の現在そのようなドラマタイズされたものは皆無であり、作家は不作揃いだ。伊藤野枝の子たちは今も生きている。(何人かは分からない)現在日曜日の朝六時三十四分、テレビのニュースで、藤井聡太八冠が竜王戦で勝って、インタビューを受けている姿があった。彼が強いのか、他が弱いのか。ボソボソ何を言っているのか分からない。私は彼に生身の人間性を感じない。彼にぜひ血みどろの女性関係(男関係もある)を経験してほしいと願う。つまり“人間になってほしいのだ”そうでないと、サイボーグ的で終ってしまう。お手本は囲碁の天才、「故藤沢秀行」だ。藤井聡太のライバルが言った。“彼は人間を拒否している”と。人生は乱調にありだ。(文中敬称略)






2023年11月5日日曜日

休筆のお知らせ

芸を売るために、数日間、旅に出るので休筆致します。

急に涼しくなってきたので、皆様、ご自愛ください。

2023年10月28日土曜日

つれづれ雑草「ザ・ホエール」

ヒッジョーニカナシイ。ピアノ売ってチョーダイ、もっともっとタケモット。近頃このCMが流れないなと思っていたら、私がヒッジョーニ大好きな、財津一郎さんがこの世を去ってしまった。“ヤメテチョーダイ”と右手で左の耳をかきじゃくるギャグや“ヒジョーニキビシイ”というギャグも大好きだった。舞台の役者としても、俳優としてもいい味を出していた。享年89歳、この世の中に大貢献をした。今の世はヒジョーニキビシイ、ヒジョーニ熊が出る。人類が熊たちの生き場所を奪ってしまったからだ。親熊は子熊の空腹を満たすために、人類が生活している所に出没する。ヤメテチョーダイと熊たちは思っているだろう。どんぐりや栗の実など木の実類を主食にしていた熊は、牛や鹿、豚などを食べる肉食獣となっている。日本は世界一の山林国家なのに何故こんなことになってしまったのだろうか。山には山の掟があり、海には海の掟があった。里にも里の掟があった。人類はすべての掟を破ってしまった。一つ、二つ、三つと頼まれた、仕事らしきものがあり、歩いて、歩いて、歩きつづけていた。その中である博物館を見て来た。小学生になったように楽しかった。マンモスや象の骨体。マッコウクジラの巨大なチンボコ。虫メガネでやっと見れる極小の昆虫類。石器時代の人間の創意工夫、大好きな縄文時代の創造物。弥生時代の刀剣もあった。縄文時代は戰がなく、弥生時代から領地の奪い合いが始まったことが分かる。稲作農業が生まれ、米や麦などの穀物類が主食となったからだ。太い木を尖った石の破片でくりぬき丸太舟を造り、巨大クジラを、木の先につけた尖った石を、木の蔦でくくりつけただけの道具で、飛びつき、突き殺す。集団で行ない、平等に分け合って空腹を満たした。私はこんな時代に生まれたかった。しかし私は何も造ることができないので、食うだけで、ヒッジョーニバカにされただろう。博物館ですっかり小学生になった夜、「ザ・ホエール」という映画を見た。妻がいて、16歳になる娘がいる一人の男は、体重が240k近くになっている。ソファーに座りひたすら食べる。フライドチキン、宅配ピザ、マヨネーズたっぷりのサンドウィッチ、チョコレート類。男は大学生に文学や詩を教えている。当然インターネットで。かつての恋人だった人間のお姉さんが医師で訪問医療に来てくれる。男は妻と娘と別居している。男には講師で稼いだお金が15万ドルほどある。妻はそれを狙っている。学業不振で8歳の時に自分を捨てた男(父)を、デブのバカと罵る。宿題のエッセイを自分に代わって書けと命じる。男の恋人は、男であった。つまり主人公はバイセクシャルだった。パートナーが死んでしまったショックで、大食漢となり始めてしまった。映画は訪問に来た医師の女性が血圧を計り、上が238、下が140近いからすぐ入院しないと、一週間内にうっ血性心不全で死ぬという。その一週間を描いている。器具を使わないと一人で歩くこともできない。何をするにも長い棒が必要なのだ。年齢はきっと40歳位だろうか、男が娘のエッセイのために選んだのは、「白鯨」だった。文学者であり、詩人の男は娘のために、モビィ・ディック(白鯨)を殺すことに命をかける。片足の船長エイハブのことを書く。240k近い男を演じた役者は、アカデミー賞とゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。ハリウッドのこういう映画は抜群にいい。ミッキー・ロークが主演した映画「レスラー」を思い出した。老いぼれたプロレスラーと、別居している年頃の娘との物語り、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。ブルース・スプリングスティーンの主題歌がヒッジョーニgoodだった。財津一郎さんサヨウナラ、たくさんの笑いをありがとう。この頃すっかり笑うことが少なくなった。この世はヒジョーニキビシイ。もっと、もっとそうなるのだ。オドロクほど進化しない、ヒジョーニワンパターンの国会中継を見ていて、この国の終末を感じた。日本国のGDPはついに第4位となった。すぐにインドに抜かれる。平均年収は韓国に抜かれた。私はこれから群馬、岡山、九州へと足を運ぶ。ニュービジネスを生むための仕事のために。アイディアは座っていては出て来ない。私の先生は、歩く巨人といわれた、民俗学者「宮本常一」さんである。イスラエルとハマスの戦争は、ユダヤ資本が世界を支配している限り永遠に終ることはない。山口組と一和会の戦争のようにはならない。ロシアとウクライナも同じだ。地球上の争いごとはすべてユダヤ資本が仕切って、儲けるのだ。地球の闇の中に姿を沈めている。“ザ・ホエール”は、戦争太りするユダヤ資本家だ。戦争をヤメテチョーダイ(文中敬称略)










2023年10月13日金曜日

つれづれ雑草「コスモスと枯木のバラ」

「ご自由に持っていってください。」と書かれた一枚の紙が駐車場脇に貼ってある。その下には大きなバケツに入った、秋桜「コスモス」の花が何本も入っている。なんでこんな色が生まれるのだろうかと、植物界の不思議に敬服する。核戦争が起きて地球上の生き物が消滅しても、植物界とゴキブリ界は生き残るらしい。近所のコンビニにスポーツ紙を買いに行く途中でコスモスの花を見た。家に帰ると愚妻がすでにそのコスモスを何本も手に入れていた。花瓶に挿されたコスモスがあった。きれいでしょと言ったから、◯◯さんの家の駐車場にあったのだろうと言った。そうよと応えた。柿とかイチジクとか、キンカンとかをよく持って帰る。私は春に咲く桜よりも、秋に咲くコスモスのほうが好きである。コスモスは咲く場所を選ばない。路傍の花でもある。茎の部分は絡み合い、捻り合う。それはまるで抜き差しならない、男と女の関係のように、死ぬまで解れない。春の桜は散るのが覚悟みたいな戦争を連想する。桜の花の下には死体が埋っていると買いた小説家がいた。そういえば新橋駅SL広場のところによく出ていた右翼の街宣車はどこへ行ったのだろうか。あまりの暑さに活動を控えていたのだろうか。街宣車が同期の桜を流している後に、シュークリームで有名な“HIROTA”ヒロタがある。右翼とシュークリームは、シュールな関係で嫌いではない。(映像的に)この一週間は新作映画の撮影のために、山の頂上から、山の下にある滝まで、腰痛ベルトを装着してがんばった。もともとは修験者が歩んだところなので、岩やら石やら木の根などが山道にあり、汝修業行せよと足腰を痛める。映画についてはいずれ詳細を書く。山の人々がみんな応援してくれた。映画好き20数名がごっそり機材を運んだ。柳田國男の“遠野物語”ではないが、真夜中の山の中には、超常現象的なものを感じる。私は雨よ降るなと念力をかける。で、山の撮影中は思い通りの良い天気であった。山を下り私の地元茅ヶ崎の野球場のシーンを撮り、東京蔵前の地下スタジオ(音響が大きいので)で最終カット。監督のOKの声と共に、拍手拍手ヤッターである。みんなで記念撮影、息子が車で応援しに来てくれたので家に向う。腹が減ったなとなり、家の近所の中華ソバ店へ。12時閉店なので約30分、二人でカタヤキソバとギョーザ一皿を分け合って食べた。なんともいえない疲労感と達成感が、闘志をかりたてる。で、次の日は一日中雨であった。私にはまだ運があるぞ。長い間ロケで雨に降られたことのないツキが残っていた。50年以上傘というものを買ったことがない。一日中雨の日、一日中ゴロンゴロンしていた。両足がひきつりあわてて芍薬甘草湯を服用した。イノシシカレー、熊カレー、コンニャクの刺身、山わさびなどを食す。これがヒジョーニ旨い。そして起きてからは、お世話になった方々に、礼状、礼状、また礼状を書く。(これが重要)ファンドに出資してくれたありがたき方々には、一人ひとり会ってお礼を言う。(これからの最重要)自主映画づくりとは、頭を下げることでもある。北島三郎の歌に、「与作」というのがあるが、私の場合は「遺作」である。♪~ トントントン、トントントンと、与作は藁を打つが、私はドンドンドン、ドンドンドンとご迷惑を打つ。ヤクザ者を志すならこの一曲を知らぬ者はいない。この頃明け方にこれを聞く。31歳で殺された北海道のヤクザ、荏原哲夫通称“雁来のバラ”又、“枯木のバラ”ともいう。この伝説のヤクザを歌ったのが、「484のブルース」だ。484とは札幌刑務所の番地、雁来町に生まれた。♪~ 義理や人情に あこがれた 十九はたちが 花だった ここはその名も 雁来町 いきつく所は 承知の上で ままよこの道 おれは行く……。北海道中のヤクザを震え上がらせた雁来のバラは、当然のように銃弾を浴びた。数人に襲われてスミス&ウェッソン45口径で撃たれた時、海老のように飛び上がった。トドメを刺しに行くと、笑っていたと言う。ずっと昔の話だが、今も語り継がれている。私はバカな自分のことをこの曲を聞きながら想っている。目の前に小さな花瓶がある。濃紅なコスモス、妖しげな桃色のコスモスが、私をじっと見つづけている。人生は、くんずほぐれず、修羅の道だ。(文中敬称略)









2023年10月7日土曜日

休筆のお知らせ

 本日、出張のため休筆致します。

急に涼しくなってきたので、皆様、ご自愛ください。



2023年10月1日日曜日

つれづれ雑草「髪切る前に」

誰れもまだ手にしていない新聞と、何人かが読んだあとの新聞とでは、同じ記事でも鮮度が違う。いつも行く床屋さんのソファーの前のテーブルには、スポーツ紙の報知新聞と、朝日新聞が置いてある。朝九時に行けば新しい新聞紙があり、午後や夕方に行くと、シワシワとなった新聞紙となる。報知新聞は読売系なのだが、きっと気をつかっているのだろう。昨日午後床屋さんに行った。その前に制作している映画の、あるシーンで使用したい施設の使用許可をとるために、尽力してくれた知人の元市議会議長に御礼のごあいさつをした。市営の施設なので役所への手続きが多々ある。床屋さんには先客が一人いた。三人ほど座れるソファーに、ヨッコラショと座る。若い頃はドーンと座った。全身が岩のようにガチガチになっていたのを、平塚の鍼灸の達人、マッサージも達人に来てもらって、鍼を刺してもらい、グイグイ体をほぐしてもらった。達人はこれはもう工事ですという。私の肉体はアスファルトになっている。報知の一面には現在フランスで開催中のW杯ラグビーの記事、サモア戦でトライをしたリーチマイケルのどでかい顔があった。私は早朝3時45分からしっかりと見た。NHKで再放送があるのを知っていたが、結果が分かっていたらツマラナイのだ。スポーツはやはり実況に限る。先日大相撲の千秋楽で、大関貴景勝と前頭どんじりの熱海富士の優勝決定戦があった。双方11勝4敗、20歳か21歳の前頭と、大関の対戦を楽しみにしていたが、勝負はあっけなかった。私は見ていて、汚ねぇ~ぞ大関と叫んだ。前頭がどーんと出ていったら、大関は逃げてしまった。いくら休場明け、心身共にボロボロでも、貴景勝がまさか逃げるとは思わなかった。翌日の新聞ではきっと叩かれると思ったが、協会のトップも、横綱審議会のメンバーも、苦しい中よくやったと語っていた。そりゃないだろうと思った。私はガーンとぶつかって貴景勝が負けてもよくやったという。上位の者が下位の者の挑戦から逃げてはいけない。W杯ラグビーで日本勝つ、ベスト8、ベスト4を目指すと、でっかく書いてあるのだが素直にはよろこべない。日本のチームの半分近くが外国人の助っ人さんたちだ。日本に帰化して日本人になった選手もいる。試合前日本人と外国人さんが君が代を歌っているのを見て、日本人選手がまだ世界レベルになっていない。何人かはいるが数は少ないと思った。いつか15人全員が日本人で戦っている姿を見たいが、その頃、私はあの世からの応援となっているだろう。大リーグで大谷選手が奇跡的活躍をしている。床屋さんの新聞を見て、やっぱり吉田正尚選手でも、大リーグはキツイのかと思った。ムキムキの筋肉で、日本では並ぶ者なきといわれる吉田選手が2打席凡退のあと、3打席目に代打を送られた。日本では吉田に代打なんて考えられないのだ。総理大臣にはいくらでも代打、代打を出すが、スケールが小さい者ばかりだ。吉田正尚を持ってしても体力がキツイのだろう。私は何がいいたいのかというと、貧富の差をなくして、幼少年期から栄養のある食生活をできるようにすべしである。勉強ができなくても、体力に才能があれば、その才能に投資すべしだ。国の予算を地方に割り振り、もっともっと助成しなければならない。新聞には伝統ある大相撲の入門基準が廃止されたとあった。今のままでは“おすもうさん”になる若者がいなくなってしまうからだ。例えが悪いがヤクザ者の世界には、一人親方という人間も多い。つまり子分がいない親分ということである。大相撲の親方になるには、“親方株”という数限られた高額の株を手にしなければならない。弟子がいなくなり廃業する親方もいる(株を売って)。体力に自信があれば誰れでも入門できる。ジャニーズ問題でメディアは大騒動、ずっとバックレ(しらばくれてた)てたツケが大洪水となった。サントリーの新浪剛史社長(経済同友会会長)が、知っていながら知らないそぶりの社長(東山紀之)は考えられない。国際的問題であると語っていた。帝国とか王国で滅亡しなかったのは歴史上ない。解体しかないだろう。そして次はアソコとかアソコ、ヒソヒソ話が広がっている。麻生太郎に呼び捨てにされて“がん”よばわりされた、公明党の代表山口邦津男、石井啓一、北側一雄などは、国土交通大臣の椅子が余程オイシイのか、ムニャムニャと応えている。例えが悪いが、ヤクザ者の世界では、親分が呼び捨てにされたら、言った者の命はとられるだろう。つまりプライドゼロだ。気がつけばインボイス制度などの増税が始まる。マイナンバーは大迷惑、ラチ問題はラチがあかない。北朝鮮に何度か交渉しているようだが、シカトされている。東大法卒の悪魔たちは弱者イジメをつづけている。さて、伸びた髪をカットしてもらうことにした。秋は近いようでまだ遠い。そういえばこんなサラリーマン川柳があった。「あの世では お願いだから 声かけないで」。深夜から朝にかけて、取り寄せてもらった、アンドレイ・タルコフスキーの自伝的名作映画「鏡」と、ベルナルド・ベルトルッチの名作「暗殺の森」の完全版を見た。詩的、哲学的、宗教的、暗示的、叙情的、叙事的、圧倒的であった。「言葉は半端なもの」とタルコフスキーは表現した。建築美、都会美、装飾美、教会美、群像美、暗殺美。「買い物は女同士、支払いは男」という洒落たセリフが53年前のパリで交わされていた。(文中敬称略)



2023年9月24日日曜日

つれづれ雑草「大ヒット上映中」

「友遠方より来たる」ではないが秋がついに来た。ホトホト体にダメージを与えた狂暑、猛暑、酷暑の日々だった。科学者によれば、2030年頃に地球はダウン寸前のボクサーのようになるという。北極の氷が溶けてその水が陸を襲う。そんな夕刊の記事を読んでいる私の隣りの席で、ロールキャベツ弁当を食べている47、8歳の女性がいた。時間は9時少し前、女性はきっと駅ナカの食品売場で、20%、30%引きの弁当を買ったのだろう。パックの中に太いロールキャベツが二本、野菜煮と共にある。ビニール袋をせわしそうに開くところを見ると、かなり空腹だったのだろう。俳優の室井滋さんによく似ている。太いロールキャベツには楊子が一本づつ刺さっている。ごはんにはゴマ塩がふりかかっている。濃いベージュのワンピースが、陽に灼けすぎた肌のように見える。あ~嫌だ嫌だ。会社なんて大嫌いだとその姿から感じる。楊子を一本抜いて、ロールキャベツに憎しみを込めて、ブツリ、ブツリと刺す。口元が動いている。あのバカ男、あのバカ女めと言っているように、ロールキャベツに刺す。キャベツはかなり厚い。グルグルさせると、やっとこさ肉が現われる。憎い気持ちと肉への食欲が弁当内で闘争する。同じ会社の仕事仲間の女性に、男を寝取られた。この夜最後のベッドを共にした。だらしなく寝込んでいる男に、馬乗りになりアイスピックで、ブスッ、ブスッと刺している。男の体がロールキャベツと私の中でシンクロする。女性は爽健美茶のペットボトルで茶を飲みながら、もう一本の楊子を抜き取った。一本目の楊子は、ごま塩ごはんの上に突き刺してある。ニンジン、イモ、ブロッコリーには割り箸を突き刺す。ロールキャベツと人間の体をオーバーラップさせた。映像が再び浮かぶ、キャベツが赤い血で染まっていく。ロールキャベツはグルグルに巻かれた布団に中に入っている肉は男だ。5分位のショートムービーになるなと思った。食品売場は、閉店間際になると安売りが始まる。私は“助六弁当”が好きなので時々買って帰る。私なりに意地があるので値引きされたものは買わない。ガキの頃、母親が働いて帰り疲れ切った体でも、大きな太巻きと、おいなりさんを作って、遠足の弁当を作ってくれた思い出がある。玉子焼きやかんぴょう、桃色のでんぷんがおいしかった。油揚げを甘く味付けして、二つに切って、半分づつに酢メシのまぜごはんを入れてくれた。ロールキャベツも一年に一度か二度作ってくれた。人間はいきなり大人にはならない。ヒトそれぞれに子どもの頃のお弁当の思い出はあるだろう。子どもの頃のロールキャベツは、楊子で刺したりしなかった。食べてノドに刺さるからだ。煮込んだカンピョウでしばってくれていた。品川から乗った列車は沼津行だった。辻堂駅で乗客が線路に落ちたとかで、しばらく停車しますと車内放送があった。私と私の隣りの女性は、戸塚駅でじっと列車が動き出すのを待った。北極海の氷がどれだけ人類を救ってくれていたのか、もう手遅れかも知れないが、まだ間に合うかも知れない。お弁当をしっかり食べ終えた女性は、満腹で憎しみがうすれたのか、目を閉じて首をガクッと落としていた。私は家で待っている孫に小さな声で、今戸塚なんだ辻堂駅でヒトが落ちたらしいと言った。孫は映画のシナリオを読んでほしいんだと言った。次の日の朝には帰るから待っているよと言った。私とは“映画の友”である。来年卒業なので仲間たちと映画づくりをしているのだ。友遠方より来たるの友とは、21歳になる孫であった。20分程遅くれて辻堂駅に着いた。息子と孫が車で迎えに来てくれていた。ホームは静かであった。厄(ヤク)な女と、シャブ(麻薬)と映画には手を出してはいけない、と言い伝えられている。厄な女とは厄病神みたいな女性のこと、ロールキャベツに刺さった楊子の扱い方でほぼわかる。映画は博打の中でいちばん勝ち目のない勝負。一人前のヒモにならないと、一人前の監督にはなれないといわれている。惚れた男の“ゲージュツ”のために、体を売ってでも尽くす。お客さんのいない小さな映画館、ヒモの映画監督を支えつづけた、神様のような女性と二人で、出来上がった「ゲージュツ」を見に映画館に行く。厚い扉の向うでは映画館主がつぶやく。駄目だこりゃ大ゴケだ。仕方ないからすぐ他の映画にしよう。そもそも題名がイケナイ、「ロールキャベツの女」だなんて。あの監督はもう終りだな、オッそれでもお客さんが、7、8人来たよ。大ヒット上映中にするか。列車の中でそんなつまらないことをボーとしたアタマの中で考えていた。きっと暑さがつづいたせいだろう。










2023年9月21日木曜日

つれづれ雑草「東大卒の馬鹿者」

狂暑でアタマが狂ったのか、元々アタマが狂っているのか、その世界をやったらイケマセンという夢を追っている。先週末から今日まで、心から祈り念じることがあり休筆した。今の世は故鶴田浩二の歌ではないが、右を見ても、左を見ても、まっ暗闇じゃございませんかだ。こうして命長らえている我が身が不思議でならない。世のため人のためになる筈の恩人、友人、知人が次々とこの世を去って行く。もしかしてあの世のほうが生きがいがあるのではと思ってしまう。名は伏すがこの世を駄目にした人間が生きつづけている。が、もうすぐ地獄へ落ちるだろう。富める者をさらに富まし、貧しき者をさらにどん底にしたのだ。大企業は税金を支払わずガッポリ儲ける。あろうことかトヨタに補助金1500億円近く出すという。国家予算の4分の1近い売り上げのトヨタなのに。魚はアタマから腐るというが、国のアタマという東大法学部卒の官僚や政治家から腐っていく。勉強ばかりしていると馬鹿になるぞといわれるがその通りだ。勉強はできる“世間馬鹿”がこの国、この世を滅ぼす。利権と肩書きばかりを欲しがる悲しき人種だ。東大法学部卒のある官僚上りの政治家は、私にこう言った。東大とは法学部だけであり、教養学部や医学部、農学部など他の学科は東大じゃないんだと。野心の塊みたいな安い男を、私は鼻でせせら笑った。赤ワインをガブガブ飲んでいた。勿論勘定は私が払った。実に貧しい男だなと思った。昨日近況報告のDMが送られてきていた。そこには花火大会をみんなで見ました。トラクターに挑戦し畑を耕しました。ブドウ狩りを経験しました。そんなアホなことが写真入りで書いてあった。それを破ってゴミ箱に投げ入れた。オマエ何やってんだよと心の中でバカにしながら。「景徳山白峰寺動物愛護の会」から便りが届いた。10月1日ペットの法要がある知らせだ。毎年一度行なわれる。この寺に二匹の犬と、二匹の猫の魂を授けている。長引く不況のせいで空きが多くなっている。参加者は壱万円、何年か前ガラガラ廻すくじ引きがあった。くじ運の悪い私が一等賞をコロンと出した。賞品はVネックのニットのセーターだった。毎年(コロナ以前)ペット好きなゲストが来て、小箱の上に集りペット愛を語る。佐良直美とかビートきよし、参加者は80人位だった。ペットの名を書いた御塔婆が並ぶ。九官鳥やインコの◯◯ちゃんとか、金魚の◯◯とか、亀の◯◯、蛇の◯◯など多種にわたる。見て回ると結構面白い。クワガタまである。よくよく見ているとその名は銀座や赤坂のホステスさんの源氏名と重なる。ミミちゃんとか、ハナコちゃん、ケイちゃんとヨッコちゃんとか。クワガタのガタガタという名を憶えている。顔に大きなホクロのある演歌歌手“松原のぶえ”がゲストの日は忘れない。乗っていた箱が壊れてよろけて落ちたのだ。先日森達也監督の「福田村事件」を新宿のK'sシネマで観た。関東大震災の時、香川県から千葉県の福田村(現野田市)に行商に来ていた朝鮮人の人たちが、デマと流言、差別によって、自警団の人間や軍人たちによって、大人、子どもが惨殺された。この事件をドキュメンタリーを専門としていた森達也監督が劇映画として世に出した。小柄な軍人役の“水道橋博士”(タレントさん)が恐ろしい日本軍人役で秀逸だった。感情を抑えた静かな演出に好感を持った。惨殺、虐殺のシーンを生々しくしなかったことでより同調圧力の恐ろしさを感じた。久々に東出昌大が映画出演していた。彼は現在山の中の一軒家の軒下を借りテントを張って、一人そこで自給自足の生活をしている。5年前に狩猟の免許を取っており、鹿やイノシシなどを銃で仕止めて自分で解体している。又、道路でクルマにはねられて死んでしまったタヌキやハクビシンなども解体して食料としている。街に出て人を見ると、もしかして週刊誌の記者ではとか、スポーツ紙や女性誌の記者に見えてしまう。それが怖くて嫌で山の中に入ったと語っていた。SNSの時代は福田村事件の時と同じように恐ろしい。デマが拡散して人の命を次々に奪ってしまう。ネット住民は、軍服を着た水道橋博士のように凶暴なのだ。“バズル”という意味を最近知った。それは蜂が群れるとか蜂が集合するということらしい。私などはSNSの時代では無用の人間となっていく。まあ十分に生き過ぎた。尾崎士郎の人生劇場では、主人公の育成瓢吉の瓢太郎は、没落した身をピストルで弾く。義理と人情の男「吉良常」は、辰巳屋の大且郡立派な花火をあげましたねえと涙する。義理が廃ればこの世は闇なのだ。やがて人生劇場は青春編を経て、残俠編、愛欲編とつづいていく。尾崎士郎の自伝といわれる。実はこのところ不眠が酷く明け方に浪曲ばかり聴いている。今朝は広沢虎造の“国定忠治”赤城の山の物語だ。(文中敬称略)









2023年9月16日土曜日

休筆のお知らせ

 本日、出張のため休筆致します。

残暑が本当に厳しいので、皆様、ご自愛ください。



2023年9月9日土曜日

つれづれ雑草「今日も私キレイ(?)」

「夢精映画」ではなく、「無声映画」を見た。役者は演じながらセリフを言っているが、声は出ないという、ずっと昔の映画だ。現在時九月九日午前三時二十七分〇九秒、テレビの画面ではフランスの大統領マクロンが、ラグビーのワールドカップの開会宣言をしている。4年に一度のワールドカップだ。サッカーのワールドカップ、オリンピックも4年に一回だ。午後十時頃帰宅をしていた。溜池にあるレストランで、お世話になっている代理店の方と、その代理店がお世話になっている会社の役員の方の誕生会をした。台風の影響かやけにジメジメしている。雨は思っていたよりずっと小降りだった。ニュースでは千葉の茂原が観測史上初の雨で氾濫する川が予想されていた。毎年史上初が生まれている。天の悪意か毎年大被害になる地が違う。Why何故(?)と思う。ラグビーの第一戦はいきなり優勝候補同士、フランス対ニュージーランドだ。画面にテロップが流れる。震度4の地震が南の国の島、鹿児島県“悪石島”近くが震源地だと伝える。悪石島とはいい名ではないかと不謹慎に思う。過日、小松左京の“復活の日”“日本沈没”を生んだ、アナザーストーリーのドキュメンタリー番組を見て日本列島という特殊な列島の、運命と宿命と寿命を知った。小松左京は阪神淡路大震災の現場を見て、自らが書いた恐怖の光景が、事実の光景であるのを確認して、“鬱”病になってしまった。このSF小説家は、純文学の小説家たちと違って、実に真っ当かつ正直であり、自分の書いた小説に責任をかんじたのだ。嘘ばかりついているある政治家に、ある人間がこう言った。なんであなたはそう嘘ばかりつくのか(?)、その答えは、それは“私が政治家だから”だと。つまり、政治と小説は嘘(作り話)で進行する。小説とは男と女を書くものなのだと、批評の神様「小林秀雄」が言ったとか、ある本で読んだ。男と女の血みどろの小説には、殆んど実際に起きた事件がネタになっている。小説家にとって新聞の三面記事と、裁判所でさまざまな事件について傍聴するのは、ネタの山なのだ。私小説は自分自身がネタであるから、原稿用紙と鉛筆一本あれば書ける。ヒトは誰でも一本の小説は書けるといわれる。いよいよネタが尽きるとなると、ジエンド終りとなる。男よりいかに女性が恐ろしい生き物であるかを知る。圧倒的に男の方が自殺する。心中を支配するのも女性が多い(殆んど)。見方によっては人殺しである。九月一日新宿の映画館で、中国映画の「兎たちの暴走」という映画を観た。200人近く入る映画館に観客は私と4人だけであった。毎週上映する映画をチェックしている。批評を読むと私好みなので足を運んだ。現在の中国が抱えている若い世代の問題は、現在の日本と同じであった。映像がとてもいい、中国語のロックの主題歌がいい。一歳の時に女の子をすてて出て行ってしまった母親が、16年振りに帰って来る。多額の借金を背負って。17歳の少女にとって母親は憧れの人であった。二人は借金地獄か逃れるために、少女の学校にいる、金持ちの子の誘拐を実行する。貧しい少女にとって、ずっと気に入らない目障りな子だったのだ。そして……。少女は母親に言う。あなたのためならなんでもやると。二人は歌う。♪~ 夢の中に上下左右はないと。5人だけで観るには勿体ない映画だった。さて、無声映画だが、内田吐夢監督の「人生劇場」だ。作者である「尾崎士郎」の自伝といわれている大長篇だ。映画は60分ほど、セリフは画面の文字で読む。古い書体がいい味を出している。愛知県吉良町に尾崎士郎は生まれた。私は中学生の頃から今日までずっと人生劇場の歌を口ずさんでいる。尾崎士郎は宇野千代との関係で苦悶する。宇野千代は恋多き女性で、東郷青児や北原武夫、梶井基次郎などの文壇や画壇の男共を悩ませつづけた。九十歳を過ぎた時、インタビュアーに、“今日も私キレイ”などと言ったのは有名である。現在午前四時四十五分八秒。フランスが9対8でニュージーランドに勝っている。画面にはテロップで千葉県の土砂崩れとか、JRの計画運休とか、竜巻、雷、地震情報が流れつづけている。神も仏もラグビーに夢中なのだろう。戦前の映画はフィルムが劣化していて、ザーザー降りの雨が画面に降ってよく見えない。でも尾崎士郎の気迫が伝わってくる。男心は男じゃないと分からないと。私の人生の見本は人生劇場の中に出てくる“吉良の常吉”だ。ヤッパ(短刀)や、ピストルより恐いのは、女心だな。そしてこの列島は災害に勝てない。※日本人の個人名は全て故人。(文中敬称略)








2023年9月2日土曜日

つれづれ雑草「灯りを消して」

九月一日午前一時二十五分十八秒になった時、そうだ月を見ようと思い外に出た。月がいちばん大きいという記事を思い出したのだ。日をまたいだが確かに月が大きく輝いていた。いつもは電池が切れた懐中電灯みたいのが、新しい電池を入れたばかりのように煌々としていた。星たちはいつもよりはるかに多くその月に従っていた。あるいはその夜空を演出していた。ふと「ツキノワグマ」という言葉を思い出した。先日牛60数頭を襲ったという、体重330kg凶暴な巨大熊を猟師が射止めた。その数日後のニュースを見ていると、五十歳位の見栄えの悪いオッサンが、これはやわらでウマイ! ウマイ! と巨大熊を食べていた。人間はやっぱり地球上でいちばん凶暴なのだ。一日の朝辻堂駅西口にあるコンビニで新聞を買ってレジに向うと、一人のご婦人が私の前に並んでいた。アップルジュースの紙パック(小さいの)とコロッケ二個、から揚げ棒を一本買っていた。前の晩ご主人と夏の夜の営みをしたのだろうか、マッタリとして全身から気が抜けている。女性は後姿に物語が出る。髪は乱れサンダルを履いた足は広いガニ股だった。真夏の甲子園大会の決勝戦は、九州に出張している最中で見れなかった。佐賀空港に着くと、慶應高校が8対2で仙台育英高校に勝っていた。私は慶應の応援団のウルセーのが嫌いなので、友人の写真家やお世話になった出版社の編集長がいる、仙台育英を応援していた。勿論“おかやま山陽高校”も。ケイオー、ケイオー、陸の王者ケイオーを大集団で連呼され続けると、ウルセーとなるのだ。後日慶應の監督が、その応援の激しさを大学生の応援のようですまなかったと、スポーツマンらしい記事を読んで、素直にオメデトウと思った。自宅に帰り試合のダイジェストを見ると、実にいいチームであった。巨大熊の話に戻ると、西麻布の「またぎ」の店主が亡くなったことを教えてもらった。身長180センチ以上、体重90kg位、マタギ界の王、狙撃の王者があの世に旅立っていたのだ。キジ、シカ、イノシシ、ラストに熊鍋、味噌味の中に入った“すいとん”が絶品だった。私の親愛なる友とは射撃仲間であった。広島出身岸田文雄がアメリカの足の先までなめている。軍産国家アメリカのポンコツを、命じられるママに買わされている。世界中に第三次世界大戦への火種が生まれている。私は三島のファンではないが、三島由紀夫が生前書き残した通りになっている。この国は極東の片隅で衰え滅びていくだろうと。セントラルパークの中にトランプタワーは建てないだろうと、新進気鋭の経営思想家「斎藤幸平」がインタビューに応えていた。つまり神宮外苑の樹々をブッタ切って、高層ビルを建設する。名目上は神宮球場や秩父宮ラグビー場の建て替えが主目的だというが、やっているのは13年間かけてSDGsの時代の真逆の事業だ。世界では街路樹を増やす時代なのだ。銀杏の樹は水分を多く含み、防災に役立つのだ。日本人は怒りを忘れ、すっかり羊たちの群れになってしまった。私が20歳となり堅気の仕事を始めた「西武」と「そごう」が大安売りセールで売り出されて、外国資本に買われてしまった。久々にストライキという言葉が躍動している。ガンバレ労働組合よ。1970年代はサブカルチャーが花開いた。寺山修司、唐十郎、土方巽、全共闘、六本木族、みゆき族、野獣会、ヴァンジャケット、サイケデリックアート、旧体制打破とばかりに、前衛芸術がメッセージを世に送り出した。雑誌アンアンやノンノンが出版された。平凡パンチ、ポパイ、ブルータス、マガジンハウス全盛となった。銀座のマガジンハウス本社の側に、編集者たちが深夜作業を終えて、あるいは仕事の途中で、一杯飲み、いっぱいおでんを食べた。地下一階の「舟よし」のおやじも先年この世を去った。飲み仲間の女性エステシャン(インディバ式)と虎の門病院に見舞いにいったら、気がついたらこんなに高い病院に担ぎ込まれていたよと笑った。店の中で倒れていたのだ。実に魅力ある人であった。店のカウンターに私の書いた下手な本や、映画のフライヤー(チラシ)を置いてお客さんに、コノヒトのだよと宣伝してくれた。得意だったのはなんといっても、ボラの卵でつくる“カラスミ”だった。黄金色の大きなチンポコみたいのが、店内にズラリ、ズラリとぶら下がっていた。一ヶ月以上かけて作る、その味絶品、一ケ五千円~一万円であった。先日、新富町のおすし屋に仕事仲間といたら、ワァ~ビックリと、一緒に見舞いに行った、エステシャンの女性が声をかけてきた。男性と一緒だった。オ~、久しぶり、以前よりもっと美人になっていた。舟よしでは深夜、とりの唐揚げをいくつも食べていた。ストレス食いなの、太ったっていいのよと言っていた。今、私は脈絡のないことを書いている。九州で活躍している友人や後輩と、アッとオドロク仕事をしている。否、またやったんですか、イケナイジョーダンを真面目にやっている。スバラシイ経営者の方と出会った。深夜の風は、その昔女と別れ話をしていた時と同じように、ぎこちない初秋の肌触りであった。十九の終わりに私は夜の世界を卒業し、昼の世界に入学した。有線放送から西田佐知子の歌う“灯りを消して”が流れていた。(文中敬称略)






2023年8月11日金曜日

つれづれ雑草「そんなの関係ネェ~」

だから言っただろバカ者たち。甲子園を屋根付きにすべしで書いたが、初日の試合ですでにその必要性を強く感じた。レフトを守っていた選手は足がつり激痛でボールが追えない。ヒット性のボールを打った選手が、一塁まで走っていく途中で足がつりベースにたどり着けない。そんなケースがいくつもあった。正確に計測すると、グラウンド上にいる選手の体感は40度を超えていたとか、頭の中はやかんでお湯をわかしているようなもの、こんな状態がつづくと、重大な支障をきたして、後遺症が残ると医学者は言う。私は声を大にして言いたい。もっと科学的にせよと、私が朝日新聞の購読をやめたのは、堕落しきった経営者と、ヤル気のない記者のヘタクソな記事、ワンパターンの天声人語や、宿酔いで書いているようなコラム素粒子腰が引けた社説。がある。記者たちは昼頃出社し、大型の社用車やハイヤーを使い、高級レストランやホテルでランチをし、わずか数百字の記事やコラムを書いて、年収2000万以上、夕方にはどこぞへしけこみとなる。「女ざかり」という本の主人公は、朝日新聞とおぼしき新聞社の記者である。映画化され吉永小百合が演じた。ずっと昔すでにジャーナリズムとか、ジャーナリストは消失していたのだ。今、日本のメディアは、物言えば唇寒しの状態である。有能な記者の記事は、どれもこれもボツとなってしまう。司法の朝日、社会部の読売、外信の毎日と称された頃は、権力と闘っていた。時の総理大臣佐藤栄作が、政権最後の記者会見で、私は新聞社は大嫌いだと言った。その時、新聞記者たちは、そうですか、それじゃ退場します、みんな出ましょう、出ようとなり、広い記者会見場に佐藤栄作はポツンと一人だけとなった。後世に残る有名なシーンだ。今ではこんな根性のある記者たちはいない。話を真夏の甲子園に戻す。私は少年野球を数多く見るが、審判の特権意識の大きさに、頭に血が登る。警察官と同じで、自分たちのミスや誤審を認めない。酷い誤審やルールを知らない判定も数多い。大リーグを真似して、プロ野球でビデオ判定を導入したら、約4割は誤審である。審判には文句を言ってはいけないという、古い慣習がこびりついている。そもそも朝日新聞の社旗は、旧日本軍と同じような旭日旗である。日本に来た元大リーガーが帰国後、地球の裏側にベースボールに似た野球というのがあった。そんな本を出版した。松坂大輔は一人で250球も投げた試合がある。本場の人間はクレイジーだと伝える。大リーガーたちの契約は球数が決められている。余分に投げればギャラが発生する。名監督とはいかに選手寿命を長くしてあげられるかである。日本は勝利至上主義だから、監督は投手を酷使してきた。この頃やっと本場のように、先発は100球位までが基準となった。私は高校野球の判定は人工知能でやるべしと言いたい。100%誤審はないからだ。野球と同じことが、政治、経済、教育などの世界にへばりついている。議員特権で罪を犯しても殆どパクられない。ビックモーターのような、ノルマ、ノルマ、未達成なら降格、左遷、あるいは会社内座敷牢入り。(仕事を与えず机と椅子のみ、一日中座っているだけ)本人から辞表を出すのを待つ。ソニーとかパナソニックなどは有名であった。何十人、何百人が牢人とされたのだ。その結果有能な人材や技術者たちは辞めて、中国、韓国、台湾へ職を求めた。それ故日本は先進七ヵ国の中で人材の活躍度最下位である。アメリカのシリコンバレーでは科学技術者の約半分は、中国人とインド人だという。三洋、ビクター、東芝は倒れ、シャープは台湾に、ソニーはゲームと損保メーカーになってしまった。日本を再生するには、教育の現場から正さねばならない。おそらく100年かかるだろうが、やらねばならない。小・中学校の先生の30%近くが「鬱」状態で休職したり、退職している。先生になる人か年々減っている。いい先生がいなければ、いい生徒は生まれない。点数や内申書中心主義では、個性的な生徒は生まれない。政界は世襲を禁止するか英国のように、親の地盤でないところからにする。経済界はもっと意地とプライドを持って政界と対決しなければならない。人材を発掘、投資して世界に通用する人材に育てなければならない。スティーブ・ジョブズが演説したように、愚か者が時代をつくるのだ。敗戦記念日の前に一つの言葉を書く。キューバ革命を成功させた、チェ・ゲバラが64年前の7月2531歳の時に広島に来て、原爆資料館を訪れた。その時こう言ったと伝えられている。「アメリカにこんなひどい目に遭っても何故怒らないのか」。一昨日の昼新橋駅品川寄り、改札口となりの相談窓口コーナーで、白いマスク、花柄のワンピースを着た高齢の女性が、大きな旅行用キャリーバックの横で、バッタリ倒れていた。二人のJR駅員はカウンター越しに呆然と見ているだけ、誰一人も声をかけず通り過ぎる。私はガラス越しにそれを見ていて怒り心頭となった。改札口を出てしまっていたが、窓口へと引き返したら、年配の駅員がキヨスク斜め前の所から一人二人と出て来た。倒れた高齢の女性の横を窓口に来た人たちは、通り過ぎて行く。この国は完全な「無関心国家」となっている。スマホで写真を撮っているバカムスメが二人いた。二人共に小さなTシャツでおへそを丸出していた。本日より休筆する。まずはお墓参りだ。永眠はいいな、ずっと眠っていられるから、不眠の私は、不謹慎にも永眠に憧れている。その前にやらねばならないことをやり遂げる。そんなの関係ネェ~、そんなの関係ネェ~とパンツ一枚だった芸人は誰れであったか。(文中敬称略)



2023年8月5日土曜日

つれづれ雑草「落語のはなし」

八月二日夜、ある会社の美人社長と、正義と直情の衆議院議員のヒトと、夜食事をした。恵比寿のとある店であった。家族で営んでいるその店には初めて行った。居酒屋さんのようであった。若い人たちが多く来ていたところをみると、適正価格なのだろう。丸い顔をして笑顔がとてもいいご主人、がっしりとした体でテキパキしている女性、長身でメガネをかけてよく働く若い娘さん。いい店は入った瞬間で分かる、というか感じるのだ。何故会ったかというさしたる理由はない。社長さんから◯◯先生と久々に会いませんかという連絡があったので、暑気払いにいいですねとなった。カウンターには数人座れるがすでにいっぱい。小上りの座敷には四人が座れる席が四席ほどあったがすでに若い人たちがいた。奥の席を予約してくれてたのでそこに座った。とめどない話を、とめどなく話をするのは楽しい。お金儲けの話とか、仕事の話とか、政治や経済の話もしない。とめどなく話をしては笑い、そして話は線香花火のように、飛び散る。社長も先生も決して“エラブッタ”ところはない。お刺身とか牛肉のタタキとかおいしい品が出て、三人でそれを食す。この店のメインはうなぎのようだ。汗びっしょりの丸い顔のご主人が焼いている。とにかくこの店の人の笑顔がいい。社長は何度が来ているようだった。いわゆる“ナジミ”の客だ。雑談の会みたいな時間はいいものだ。最後にうなぎを半分ずつに分けて食べて終った。いい店、いい笑顔、いいかんじ、いい時間、ヘバヘバにへバっていた体が陽気になった。連日38度、39度があたり前だのクラッカー状態である。今日八月五日はどこぞで40度を超えたとか。地球が狂って、大自然が狂って、生態系が狂って、人間も狂いに狂っている。かつて“明石家さんま”が、「生きているだけで丸儲け」と言ったが、今は生きてる内にサンマの丸焼きとなっている。こんな狂った暑さの中で、明日夏の甲子園大会が始まる。国連ではジャニーズ事務所の創業者による性加害が数百人になると大問題化している。児童虐待や青少年の虐待は、国際的問題となっている。真夏の甲子園大会も青少年への虐待だと問題化している。朝日新聞とNHKが主催している一大イベントだが、このイベントのために全国でどれほどの野球少年の肩やヒジや腰が、足やヒザが壊れているか数知れない。そして精神まで壊れているのも数知れない。入場式は学徒出陣のようであり、宣誓式は特攻隊のようである。私は大の野球ファンであるから、夏の甲子園大会は予選から見ている。私は提案する、夏にやるのであれば、甲子園球場を屋根付球場にせよと、朝日、NHKは勿論、日本中の大企業が、しこたま儲けた金の中から寄付をせよと。第一回夏の甲子園の頃は30度を超す日などなかった。この国の駄目なところは、寄付文化がないところだ。弱者や体に障害を持っている人々、生まれつきハンディを背負っている人々に対して、大企業は寄付をしない。バカヤローな国なのだ。大谷選手が劇画を超える活動をしているが、私はそれほど興味はない。すばらしい才能を持った者が、人一倍努力してすばらしい記録を生んでいる。そりゃそうだよなスゴイなと思うだけだ。それよりもこの打席で一本のヒットを打たなければプロとして残れない。トライアウトの試合でヒットを打った選手、三振を奪った選手に拍手を送る。スカスカのスタンドで、一本のヒットに、赤子を抱える妻は涙する。運命論者の私には、大谷選手がきっと数奇な運命を遂げるのが見える。“過ぎたるは猶及ばざるが如し”だ。老子曰く“努力より脱力せよ”と。超、超大天才の将棋の藤井聡太七冠、もうすぐ八冠は、恋をせよ、愛に砕けよと言いたい。大谷選手もしかりだ。大リーグの名選手だったジョー・ディマジオは、マリリン・モンローと恋に落ちた。人間サイボーグでなく、人間であるためには、今のままではつまらない。大ファンだったゴルフ界のスーパースター、タイガー・ウッズは、セックス依存症と戦って再起し、奇跡的にマスターズで勝った。私は狂喜乱舞した。今は勝つことはできないが、私は今のほうが以前より好きである。腰痛と闘いながら、女体の叫びと闘いながら、フェアウェイをトボトボと歩く姿に感動する。さあ、高校野球好きのみなさん、甲子園球場に屋根を付ける運動へ声を上げよう。経済四団体のオッサンたち、若者たちの肉体と精神を守るために尽くせ。落語の中にこんな噺がある。「酒もやらず、女もやらず、百まで生きたバカがいる」超天才たちにこの落語の言葉を送る。凡才の私は超天才を超えて来たなと自負をする。(文中敬称略)








2023年7月29日土曜日

つれづれ雑草「一休さん」

人間はつくづく危険な動物である。そんなことは分かり切っているが、まい日起きている事件を知ると、改めてその危険度を知る。「異邦人」という小説の中の主人公は、ただ太陽が眩しかったからという動機で人を殺した。だとすると、この猛烈な狂暑の中にいたら、目に入る人間を皆殺しにするだろう。そう思わずにはいられない。今日土曜日の昼頃所用があって、東京駅八重洲中央口にいた。そこには人が群れをなしていた。何か大事件でも起きたのかと思った。一時までには帰宅しなければならなかったので私はイライラしていた。外国人も多い、オマエどうしたらそんなにデブになるんだよと声をかけたくなる男、どうしたらそんなでっかいオケツになるんだよと思わず見入ってしまう巨大尻の黒々としたご婦人。なんでか東京駅構内で浮き輪を腰につけている若い女の子、人混みが大の苦手の私には、どいつもこいつもイライラの対象となる。人一倍理性的でない私にとって、一歩間違うとワッパ(手錠)をかけられてしまいそうな人混みだ。理由が分かった4年振りで隅田川で花火大会があるからだ。そうか、そうだったのかとイライラをポケットに仕舞い込んだ。なんで浮き輪かは分からない。おへそを丸出しにしている若い娘の集団が改札口周辺に集まっている、きっと待合せをしているのだろう。おへそ丸出しを見ていると犯罪になるので、目をそらす。気がつくと目のやり場がないではないか。何がおかしいのか、すでに酔っている若者たちが奇声を発する。手には当然ビールとか、缶チューハイとかハイボールを持っている。改札口で体と体がぶつかった。バカヤロー気をつけろ、ブチ殺すぞ、なんてことは決していわない。私はずい分とやさしい年寄りとなっているのだ。打上げ花火は人間を解き放つ魔力がある。恋は遠い日の花火じゃないなんて書いた御仁は、すてきな感性の持ち主なのだ。私が少年の頃は、花火大会イコール喧嘩、イコール荻窪警察とか杉並警察であった。キツイ説教を受けてオシマイだが。長じて私は花火は遠くから見るようになった。少年じゃないから、キツイお説教では済まない。早くて二日、長いと十日間、留置所へとなる。十二時過ぎに辻堂駅に戻って来ると、ここがまた人、人、人、なんだかこりゃと思ったら、久々に海浜公園で、辻の盆なる祭りがあるからだとか。お祭りに行くというのは、私にとってタブーである。花火大会よりもお祭りの方が留置所に行く確率は高かった。何故だろうか、二十代になってからお祭りには行かなくなった。敵対するグループを見つけると、自分が自分でなくなることが分かっていた。(すっかり大人になったのだ)愚妻は私の性格がよく分かっているので、一緒に店に入って怪しい男たちがいると、私を引っ張って、他の店に行こうと言った。遠くからヤバイ男たちが歩いて来ると、私を引っ張って、他の道へと行った。そのおかげもあって現在がある。愚妻の目の前で、何回かボカスカやったことがあるからだ。君子は危うきに近づかずをずっと心がけている。腰が痛い、腰痛バンドをしている我が身が情けない。今、もし何かあったら守るべき人間が守れるだろうかと思い、毎夜一撃必殺の技を研いている。通用するか否かは試して見ないと分からない。男はどんな時でも、守るべき者のために訓練が必要だ。私が通っている床屋さんの二代目が、肩をモミモミしてくれる。その時、失礼ですがそのお歳ですごい筋肉ですねと言う。若い頃鍛えるだけ鍛えたからね、でも今はガッタガタなんだよと話す。人混みの話から、つまんない話となった。九州を回って、奥多摩の御岳山の中へ、坂道と階段がシンドイ、お医者さんから処方してもらっていた漢方薬を服用するのを忘れて明け方宿坊の部屋の中で、ギャー、イテェ~、イテェ~となった。こむら返りを起こして、右足のふくらはぎがカチン、カチンになっていた。部屋中をつま先を立てて歩き回った。水分の補給と芍薬甘草湯は決して忘れてはならない。御嶽神社の宮司の方々、観光協会の会長さん、青梅市のフィルムコミュションの方京王電鉄のケーブルの社長さんなどに撮影へのご協力をお願いした。入間の米軍基地の近くの駅前で、私の会社にいたかわいい後輩が、「食と酒 いち」という店を経営している。その店内でワンシーンを撮るので行った。CMプロデューサーから転じて25年、かわいい奥さんと経営している。フグの調理もできる。私が行くというので、休店にしてくれていた。ゴッツイカツオのタタキを出してくれた。そしておいしい特上寿司も、おマエはなんてかわいいんだ。コロナ禍の前は三つ店を出していた。入間から青梅駅まで私たちを運んでくれた。アリガトサンよと言って別れた。残念ながら四人の子どもたちとは会えなかった。いい奴はずっといい奴、いい嫁はずっといい嫁なのだ。入間の「食と酒 いち」をよろしく。魚が抜群においしいよ。で、七月も終る。近所の自衛隊基地内で、立食のパーティをする時、700人前をつくって運ぶと言っていた。一休さんみたいなツルツル坊主が目印。(文中敬称略)






2023年7月22日土曜日

つれづれ雑草「伝説の金子正次」

お流(おりゅう)にするという言葉が裏社会にある。モメゴメやモツタレ話、そのことを水に流すという時に使う。ゴチャゴチャしたけど、この話はお流にすると言うが、お流は中に入った人間の貫目で決まる。◯╳さんが中に入ったんじゃ仕方ない、顔を立ててお流にしようや、と話はひとまず終る。日本人は「恥」の文化という。面子を重んじる。武士社会の習性が残っていた。家門の恥とか言ってたが、それは今ではすっかりすたれている。あまた数ある駅弁の中で、食べ方がビミョーにむずかしい駅弁がある。それは「鳥そぼろ弁当だ」スクランブルされた玉子と、鳥そぼろが二分割されている。この駅弁を隣りで食べられると、すこぶる気になる。昨夜サザエさんのお父さん、波平さんのような会社員風のオッサンが私の隣りに座った。東海道本線2130分発小田原行の特急だ。おじさんは座るなり駅弁をゴソゴソ開けた。短かい割り箸で玉子と鳥肉のそぼろを、一粒もこぼさずに食べ切るのは不可能に近い、案の定オッサンはボロボロとこぼす。それが私の右足などにふりかかってくる。そうでなくても暑さでへんなりしている気分が、イライラに変わる。雑誌選択を読んでいたのだが、残りわずかとなった頭髪のオッサンは、玉子粒と鳥の粒をポロポロと私にふりかける。自分の体、足元にもいっぱいこぼれている。六十近いオッサンだが、スマホを見ながら食べている。これはとてもお流にできないので品川、川崎間でオイ、ボロボロこぼすなよと言った。きっと善人なのだろう、身をかがめてこぼしたものを一粒づつ割箸でつまんでいる。やめなよ、もういいからと言った。すいませんを何度も言った。鳥そぼろ弁当は実にやっかいなのだ。どこまで行くのと聞いたら、小田原ですと言った。まい日通っているのと聞くと勿論ですと言った。そしてお流にした。家に帰るとズボンに、玉子と鳥そぼろが、いくつもくっついていた。私は小田原のこゆるぎ弁当が大好きなのだが、この中に鳥そぼろがのっている。いままで気にしてなかったか、きっと隣りに座った人に迷惑をかけていたのだろう。男と女性の関係をお流にするのは大変にむずかしい。特にそぼろみたいな涙を、ポロポロ流されると、結局泥縄となる。女性の方から切り出されたら、スパッとしなければならない。ヒモになるような人生の達人は、金色夜叉の貫一とお宮の逆のように、金ヅルの女性にすがりつく。女性は男の涙に弱い。いいわよ、私がお金をつくればいいんでしょ、今夜は雨らしいから傘を持っていつもの所で待っていて、と言われそれに従う。売れないヤクザ者、売れない物書き、絵描き、音楽家などの男はヒモが多い。他に占い師とか手品師、パチンコの事師(ゴトシ)や舞台俳優、映画界の人間、などが多い。ヒモは一種の名人芸なのだ。日本人は「恥」の文化と評した「菊と刀」の女流作家(本業は大学教授)の表わした恥などは、今の日本人は何もかんじない。但し自分がヒモをしている女性が、酷い目にあっている時、ヒモは人が変わったように体を張る。ボコボコにされながらも女性を守る。血だらけになった相手の男を見て、女性はうれしいなどと口走って、いよいよ泥沼にはまっていく。日本国は今、アメリカという性悪のヒモの面倒を見ている。欧米社会は「罪」の文化という。どんな罪を犯しても、イエスキリストによって救われた気分となる。イエスは汝を赦すという、NOとはいわないずい分と調子のいい宗教である。原爆を投下しても、十字を切って赦される。世界一のヒモは、バチカン帝国なのだ。12時頃ふとんの上に横になっても、全然眠れない。「浜 圭介」の歌を明け方に聞いた。題名は「おんな道」 生まれた時から みなし子で 親の顔さえ わからずに 夜に生まれて 夜に育った……。ホステスさんたちはこの歌を聞くと、ウルウルする。 嫌なお客に せがまれて 男の枕に されながら つくる笑顔も 生きるため……。日本人は余りにも、悪政をお流にしすぎている。怒りを忘れた男は男でなく、怒りを忘れた国民は、国民でない。ホトトギスはいう。鳴かぬなら殺してしまえホトトギスという主人なら、きっと両目をつぶしてやるぞ、ホトトギスと逆襲する。但しメスの場合。「おんな道」を聞いていると、つくづく堅気の世界はつまんねえなと思う。赤い灯、青い灯ともる、ネオン街を久々に歩きたくなる。男から殺気と色気がなくなったらオシマイだから。明日早朝から奥多摩に行き超過密スケジュールで、自主映画の下ごしらえをする。宮司の偉い人たち、京王電鉄の人、観光協会の会長など一人ひとり、一つ一つ、ていねいにあいさつに回り、撮影への協力をお願いする。許可どりをする。昨年度準ミス日本の女性が出演してくれることになった。「映画」この二文字は私にとって命なのだ。それでエーガがなと言ってくれたヒトビトに心より感謝する。きっと世界を目指す、グランプリを目指す。この言葉はお流にしない。私の目標は、映画「竜二」をつくって、癌により33歳でこの世を去った、伝説の男「金子正次」なのだ。自主映画と同じで資金づくりに苦労した。男は生き様より、死に様なのだ。(文中敬称略)







2023年7月15日土曜日

つれづれ雑草「コインの裏と表」

空の上から地上を見る。海があり、山があり、森があり、川が流れている。都市の上空に行くと、開放されていたココロがザワザワとする。灰色のビル群は、墓場の墓石のように林立している。母親がよく言っていた言葉を思い出す。亡き父親が家の数だけ何かしらの問題を抱えているんだと。大きな家に住む家には、大きな問題がある。フツーに働いている者たちは大きな家に住むことはできない。言い方は悪いが、何かしら悪いことをしていなければ、大きな家に住むことはできない。それは、ヒトの生き血を吸うようなことであったり、恩人、知人、友人を裏切ることであったり、法の網目をすり抜けるようなことである。漁村にはボスがいて、農村には大地主がいる。山の中、森の中には山林王という王様がいる。大工場地帯には労働者を束ねる、組合の長や、それを操る大資本家がいる。私たち小さな会社は地ベタにはいつくばり、歯をくいしばって生きている。人間には二つの不幸があるという。一つは金があるという不幸。もう一つは金のない不幸だ。格言に“死して美田をのこすべからず”というのがある。なまじ多くの財産を持っていたために、一族一家が遺産をめぐって骨肉の争いをする。運よく遺産を手にした者は、自らが汗水たらして手にした金でないので、使い方を知らず、ある者は破滅するために使い、ある者はもっと増やそうとする。人間の生き方の基本は、“清く、貧しく、美しく”だという。コインとかお札には、なんで裏表があるのだろうか。空の上からふとそう思った。人間という動物は、ほぼ全員裏表がある。なければ化け物だ。男と女が奇跡的に出会い、結婚して夫婦となる。男も女もいくつかの秘められしものがある。美男子でスポーツマン、理想の人だと思っていた男は、イボ痔であり、イビキや歯ぎしりが酷く、枕はヨダレで臭い。そして幻滅の日々を送る。靴を脱ぐと足も臭いのだ。美女でみんなの羨望の的だったのが、洗濯は苦手で、料理ができない、やたらとネットでブランド物を買う。魚の食べ方を見ているとゾッとする。取り柄といえば、見た目が美人だけ。背中や腰にトクホンやサロンパスを貼って、衣服でごまかす。トイレ掃除なんて嫌だといって、トイレ救急隊を呼ぶ。空の上でそんな話を聞いたことを思い出す。コインになんで裏表があるのかが分からないのだ。暑さで脳内がイカレたのかもしれない。空の上から見ると、日本の住民の多くは、山のふもとに集落をつくって生活している。山と川と海と共に生きている。当然のように、雨、風、地震には弱い。この列島の宿命なのだ。毎年のように梅雨の終りに、集中豪雨が襲う。山は崩れ落ち、川は氾濫し家を流す。政治の基本とは「治山治水」である。それが現在では政治家とは裏金づくりの職業となっている。我が身最優先、選挙とは就職活動なりとなっている。木曜日の東海道線は人身事故の影響で、私は戸塚駅で停車する中にいた。この事故の場合は胸の中で手を合わせ、静かな気持ちで車内にいることができる。列車内のスピーカーがイカレていたので、車内放送がよく聞きとれない。そんな中でも平然とメークアップしている女性が、私の視界の中にいた。マツ毛を必死にアップさせていた。何やってんだよ、どうやってもブスはブスだよと思った。「歩いても 歩いても」という2008年の映画を見た。上映時以来二度目である。是枝裕和監督の映画だ。その中で嫁が姑に向って、明日は30度を超えるほど暑くなるようですよと言った。15年前はそんなかんじだったのだ。長兄が死んで15年目、墓参りに泊りがけで夫の実家に来ていた。わずか一泊だが嫁と姑の関係は、コインの裏表のようである。嫁の顔は笑っているが、心の中には刃が光っている。姑のひと言ひと言が、気に障るのだ。金曜日の六時頃、渋谷PARCOに行った。巨匠井上嗣也さんが、渋谷PARCO創立50周年記念のためのポスターやサイネージを制作した作品を見るためだ。去る日、PARCOの宣伝を仕切っていた後輩と、井上さんの三人で食事をした。青森県出身の後輩が新人で入社して来た時、私は会社員だったのだ。とにかく極めつけの善人であったので、日本を代表するトップクリエイターたちは、彼の頼みに応じていい作品を生み、やがてPARCO文化となった。大病を克服して生気ハツラツとしていた。抗癌剤治療や放射線治療をやり遂げて、新品の人間をになっていた。現在、私の周囲には大病と闘っている人が多いので、勇気をもらった。亡き大親友ならたちどころに何故コインに裏表があるのがを教えてくれるだろう。先月20日命日の26日の前に仕事仲間だった人間と献杯をした。スコットランドの蒸留所に行き、念願のスコッチウイスキーのシングルモルトをショットグラスに入れて、ニコッと笑っている写真を飾って。もう11年が経っている。私は無駄に歳を食い、世の中はユメもチボーもなくなっている。日曜日は愚妻と高校野球の試合を見に行くことにした。少年たちが、私に何よりの力を与えてくれるのだ。ずっと裏街道を歩いて来た我が身には、真夏の球場の“太陽がいっぱい”がうれしいのだ。それにしても「井上嗣也」さんと高弟「稲垣 純」さんのPARCOの作品は圧倒的であった。巨大な眼のアップのビジュアルは何を見ているのだろうか。人間社会の裏と表だろうか。それともやがて来る未来社会の表と裏だろうか巨眼の中には灰色の月がポツンと浮かんでいた。守屋 浩の“月のエレジー”を口ずさんだ。♪~ 月が僕を見てる そうだ月に頼もう 逃げた恋を呼んで来て……。よく見ると月はコインのようなのだ。
(文中敬称略)






2023年7月8日土曜日

つれづれ雑草「一人ひとりの才能」

窓の外では強弱の雨が降る銀座の珈琲店で、外国人の夫婦と会話を楽しんだ。二人は米国人である。ご主人はクルマのディーラーの支配人。奥方は雑誌の編集者である。共に四十代、日本に来てすでに十年近く経っている。子はいない、いわゆるディンクスである。初めて日本に来た時のことを聞いた。二人共に共通して言ったのは、(一)お酒を頼むと“お通し”が出る。(一)夏は冷たい、冬は温かい“オシボリ”が出る。(一)買い物をすると、すごくていねいに包装紙を使って、しっかり包んでくれる。その上紙袋に入れてくれて、リザーブの紙袋まで入れてくれる。(一)チップ制でないのにどの店も対応が親切。(一)電車の中ではほとんどみんなしゃべらない。(一)人種差別が全くない。(一)街が安心安全。(一)和菓子の製品が厳重に入っている。例えば、山梨の“信玄餅”は芸術だ。小さな入れものに、お菓子とキナコと、極小の入れ物に入った甘い味、それに楊枝もしっかりと入り、人の手によって一つ一つが風呂敷をたたむようにして結んである。他にも和菓子の世界は、信じられないほどていねいに作られている。(一)アメリカは土足文化だが、日本人はきちんと“靴を脱いで”家に入る。(一)“交番”というのがあるのには驚いた。それじゃこの国の将来はどう思うかと聞くと、ハッキリイッテ、ダメデショーと言った。why何故と言えば、アメリカは日本を食い尽くすだろうと言った。アメリカの政治家は日本の総理大臣を呼んで、アレ、コレ難題を押しつけ、少しでも“チューチョ”すると、ドーンとテーブルを叩き、怒りをあらわにすると、日本の政治家はクションとなって、全てOK、OK、OKとなる。小泉純一郎がブッシュのところに来て、エアーギターのスタイルでパフォーマンスした時から特にOK、OK、みんなOKとなった。と、ご婦人は言った。ジャーナリストだけに鋭い。日本が大好きなだけに、これからの日本の見通しはシビアだ。外国人投資家が円安を利用して日本株をジャンジャン買っている。彼等投資家はいつか売るために買っているのでいずれ売って、売って、売りまくる。株価は大暴落する。それじゃマズイと日銀は国債をバンバン刷って、日銀が買う。負のスパイラルが起きる。国防予算を倍増して数年で43兆円もの予算を使ってアメリカのポンコツを買って、買って、買いまくる。ジョー・バイデンはしたたかな老人で、この事を利用して選挙を有利にする。アメリカは軍産国家だから、バイデンOK、OKとなる。もう中国には勝てない。インドにも勝てない。いままではアッチ、コッチで内戦を起こして、荒稼ぎしたのだが、介入するパワーはもうない。外の雨が激しくなっていた。和菓子の包み方でなごんだのだが、この国の将来は地獄になる、と言っていた「浜矩子」経済学の大先生の言葉を思い出した。大先生の紫色のヘアースタイルは、佐賀鹿島の食道園のお母さん同じだ。話題は変ってコロナ第九波の話となった。カッパ頭の医学界の代表は第九波が始ったと言い、厚労大臣は始っていないと楽観視している。アメリカ人二人は、日本人は50%以上がこんなに暑いのにマスクをしていると言ってバックからマスクを出してニッコリ笑った。昨日代々木上原の住宅街の中にあるギャラリーに行った。もとヘアーメークアーチストだった友人の個展が開催されていた。残念ながら本人は10日間居たのだが、京都の丹後に帰っていた。紫色のヘアーより、もっともっとパンクなギャラリーの老夫婦オーナーが電話してくれた。とにかく多種多才で、時に円空のように流木を彫って仏像にしたり、利休のように味のある陶芸品を作る。今回は小さな骨を入れる壺を焼いていた。70個売れたみたいと言った。私は残りの八つの中から一つ選んで買った。価格はすべて12000円であった。韓国映画の「無垢なる証人」を見た。自閉症の女子高校生が、自分の家の前の家の2階で、その家の家政婦さんが、その家の主人の顔をビニールで包んで殺しているのを目撃する。実話をベースにしている事件だ。この女子高校生には特殊な才能を持っている。人の何倍も聴覚にすぐれている。家政婦はある人から金をもらって殺人をする。“コノヤローしぶとい奴だ”とか言いながら、女子高校生はその言葉をしっかり聞いている。自閉症の女子高生に証人としての能力ははたしてあるか。法廷で裁判官も検事も、弁護士、陪審員たちも、その驚異的な能力に言葉を失ってしまう。初めて飛行機の上から街の風景を見て、家に帰り航空写真と同じように、絵を描く特殊能力の若者の話もある。九十歳を過ぎた大天才の画家「草間彌生」さんは、半世紀以上も病院から通っている。小さな部屋、小さなベット、白いカーテンの中がいちばん心が安まると言う。先日までルイ・ヴィトンとコラボレーションしていたので、銀座松屋は草間ワールドだった。下書きなしでどでかい絵をスイスイ描く。私天才ね、私天才ねと言いながら。人間にはみんなその人、その人の才能がある。試験の点数とか、通信簿で判断してはいけない。五体満足のくせして何もしないで能書きばかりのアホは多い。このアホたちが少しでも心を入れかえて、体が不自由な人々や、介護する人々のために体を使えばいいのだが、会社の仕事はソコソコにしてアホたちはカラオケでは大盛り上がり、♪~ 私バカよね おバカさんよね うしろ指 うしろ指 さされても……。なんて歌っている。現在土曜日の朝六時四十七分十一秒。かなり眠いのだが横になると目が覚めるのだ。だがどうしようもない、気がつけば七夕は終っていた。
(文中敬称略)






2023年7月3日月曜日

つれづれ雑草「怪物」

「警視庁物語」全24作を8日間で見た。昭和三十五年頃東映の人気シリーズであった。当時は他の映画との二本立であった。一本長くても90分位であった。「警視庁物語」はほぼ60分である。刑事ものの映画やテレビ番組の原型はこの映画シリーズにあったといってもいい。当時はいまと違って肖像権などはほとんどないから、街の中だろうと、野球場、競艇、競馬場などでも、撮影は撮り放題であったようだ。つまり多くのエキストラを起用する必要がない。むしろ映ってしまった人が、オレ映画に映ってしまったよと、自慢していた。カメラアングルは制限がないのでリアリティが違う。東京の街に高いビルはまだ少ない。タクシーの初乗りが70円であった。ルノーの小型タクシーが数多くあった。昆虫みたいな形のルノーに乗って親友と高校に通っていた。それが見つかって母親が学校から呼び出されて、停学処分になったりしたが、アタマを使って、ルノーで通った。刑事たちは黒塗りトヨタの大型車であった。警視庁物語を見れば今も行なわれている捜査方法が分かる。いわば刑事ドラマのヴァイブル的作品であった。後に高名になる監督が何人も手掛けていて、東映全盛時代の礎となった。今の刑事ものがつまんないのはリアリティがないからだ。デカ(刑事)やブン屋(新聞記者)は、みんなバンバン煙草を喫う。黒いダイヤル電話が、何台もあってジャンジャン鳴る。店屋物を運ぶラーメン屋さんや、日本ソバ屋の店員さんが、ラーメンやもりそば、かつ丼などを何度も運んで来る。これが白黒の画面の中で実にウマソーなのだ。一軒一軒への地取り、聞き込みが基本だ。刑事は現場100回という。何事も解決への元は現場にある。捜査一課の物語だから起きる事件は、“殺人”である。事件の多くは現代社会とそう違いはない。金銭目当てが主であり、そこに愛人がからむ。“事件の影に女あり”と、いまでは差別用語となるが、そのからみが多い。犯人となった人間の原因は貧困、差別、両親の堕落、子どもの頃からの生活環境が生む。不良少年、不良少女。空腹で愛情に飢えた子たちは、悪さを重ね成長しながら立派な悪人になる。そして事件は起きるべくして起きる。格差社会はいつの世も変わらない。落ちるところまで落ちた男と女は、傷をなめ合い、事件を打つしか道がないようになる。警視庁物語の事件と現代の事件との違いがある。今の世は溜ったストレスを目の前の者に発散する。自分が生んだ赤ちゃんを、自分を生んでくれた母親を、老い先短かい老人たち。兄弟姉妹が骨肉の争いの末に殺し合う。しまいには誰れでもいいからとか、死刑になりたいからなどと言って弱い者に刃を向ける。警視庁物語の中には、こんな事件はなかった。貧しさの中でも、ギリギリ人間としてやってはいけない事が少しは分かっていたのだろう。SNS全盛時代の事件は、何が起きるか起きてみないと分からない。「怪物」という映画を観た。是枝裕和監督作品、坂元裕二脚本がカンヌで脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した。愚妻と共に観にいったのだが、私よりも愚妻の方がよく映画を理解していた。いつもなら、“マアネエ”とか“ツマンナイ”とか、“キライヨ”などのひと言で表わすのだが、いい映画よ“怪物は大人たち”“学校の先生たち”なのよ。子どもたちは、頼りにする大人がいなくて、などと語っていた。子どもがかわいそうだな、が共通見解だった。かつてはいつか見ていろよ、不良からヤクザになって、きっと立派な親分になるんだとアブナイ夢を語る時代もあった。今では反社会人とされて堅気になりたくてもなれない。ヤクザ者の子どもには何ら悪いところはない。夢も希望もあるはずだ。ある年、高校で一年間一緒だった男が、クラス会があるから一度来いよと言って来たことがある。やだよと言ったが、一度だけでもと言われた。16歳が45歳位になっていた。30人以上が新宿のタカノフルーツパーラーに集まっていた。私は一次会は九時までとあったが、八時半頃に行った。幹事は内緒にしていたようで一斉にオ、オ、オ~となった。私がどうなっていたか、みんなの意見を集約すると、(一)ヤクザになっている。(二)死んでいる。(三)刑務所の中にいるであった。私に退学処分を課した担任も来ていて、ひたすら私にあの時はすまなかった。僕にチカラがなかった。君がしてないことは分かっていたんだ。すまん、すまんと言った。グラスを持つ手がガタガタ震えていた。先生全然気にしなくていいよ、かえってよかったと思っているからと言った。校長とか教頭の立場重視、教師と教師の責任のなすりつけ合い。きっと今でも日本国中の学校で起きているだろう。その後、何度かクラス会の通知が来たが行ってない。ブルブルと震える文字で何度か手紙をくれた担任は亡くなったようだ。みんなと別れ二人きりになった、高校時代の恋人(?)は、医師の娘だったが、確か筋萎縮性側索硬化症(ALS)で亡くなった。家までクルマで送って行って、元気でな、と別れ際握手をした時、その手が氷のように冷たかった。問題児もいい大人たちと出会えば、何んとか生きていける。私は提案する。厚生労働省に「更生庁」をつくって、堅気になりたい人間とか、足を洗った人間やその家族が生きてゆけるようにすることを。(文中敬称略)







2023年6月24日土曜日

つれづれ雑草「九州出張、その(二)」

佐賀県鹿島は、私が大変お世話になった電鉄系大手代理店の役員だった二人の生まれた故郷だ。一人は残念ながら六十代そこそこでこの世を去ってしまった。もう一人は今も健在でずっと家族付き合いをしている。すでに七十代40年以上の仲だ。佐賀県は現在人口70万余である。龍造寺家 vs 鍋島家の内紛は歴史に名高い。騒動は鍋島が勝ち戦国時代の歴史の中で最強といわれた肥前鍋島藩となる。幕末は「薩長土肥」が手を組んで江戸幕府を倒したが、肥前佐賀は鹿児島の薩摩藩より強いといわれた。歴史家の共通見解だ。何故かといえば、鍋島藩は海外からのあらゆる知識を他より先んじて学んだ。戦争での戦略、戦術、用兵術、中でも砲術が抜きんでていた。鍋島藩は学問に投資して、専門的な人材をいち早く育てた。薩摩の西郷隆盛や大久保利通は、軍事にすぐれていたが、もっとすぐれていたのは、政治力だった。佐賀県は正義感が強いが、少々気が短い、いわゆるプッツンしやすいのだ。私はそこが好きなのだ。明治の元勲の中でいちばん頭が切れるといわれたのは、“大久保利通”だが、実は佐賀の江藤新平(初代司法卿)の方が凄い。大久保はその存在を恐れ、プッツンさせるべき手を打った。佐賀の乱である。この乱がやがて西南戦争への引き金となる。乱に敗れた江藤新平は逃げて鹿児島の西郷を頼ったが、政治家西郷は江藤新平を受け入れなかった。やがて江藤新平は捕えられ首を落とされた。私の友人はフツーに大人しいのだが、乗ったタクシーの運転手さんが道を間違えると、“何やってんだよ、道が違うよ、と突然怒る”ゴルフを一緒にやっていて、崖の下に落ちた球を打ち上げるべえと強い素振りをすると、崖の上から見ていて、空振り、空振りと声を発する。素振りだよというが許されない。実のところは空振りであった。短気な人ほど魚釣りが好きだというが、その通りで釣りの名人でもあり、海でも川でも釣果を上げた。私は短気だが釣り下手であった。マメマメしく仕掛を替えたり、餌をとりかえなかった。さて、佐賀県鹿島出身にもう一人大切な人がいる。私の体のメンテナンスを毎週土曜日に来てくれる、鍼灸の達人だ。この先生の実家が焼肉の“食道園”であった。紫色のヘアースタイルを教えてくれていた。この先生も人一倍正義感が強く、曲がったことが大嫌い、そしてプッツンする。そして先生も釣りの名人でもある。海、川いずれも凄い。私の誕生日に海岸からの投げ釣りの道具一式をプレゼントしてくれた。しかし未だに一匹も釣れてない。私のペンネームは“島以佐機”である。茅ヶ崎に引越して初めて投げ釣りした時、奇跡的に釣れたのが、“シマイサキ”であった。家に持ち帰り塩焼きで食べ一杯飲んだ味は最高、気分は抜群だった。以来シマイサキなどは釣れない。九州出張の初日の宿泊先は大牟田の友人宅であった。二日目は鹿島のビジネスホテル。夜七時から観光協会の会長さんと食道園で会食打ち合わせとなっていた。平塚の達人には決して私が行くことを告げてはダメだよと言った。予約は相棒の名でとった。達人には映画に出演してもらったことがあり、私の名前は知れている。もし私と分かったら、勘定はいいですとか、支払いに手ごころをさせてしまうかもと思った。さて、七時頃入店となり名刺を交換して話を始めた。佐賀は和牛の旨い地である。ご主人の女性が肉をコンロにのせてくれる。話は弾む。観光協会会長は、“ガタリンピック”(有明海の干潟でのスポーツ)の生みの親であった。いよいよ友人の熱弁は盛んになり、しきりに私の名が出るようになった。と、ご主人の女性が隣りに来て私の腕をつかみ、もしかしてと私の名を言った。達人から三人のお孫さんの写真を預って来ていた。相棒に勘定をキチンとしたらと打ち合わせしておいた。肉は格別に旨い。値段は東京よりぐんと安い。でも遅い昼食だったせいか三人共多くが食べれなかった。鹿島出身に衆議院議員の方がいて少しお付き合いがある。(政界のボスの側近)その先生の秘書が、偶然私の会社にいた男の妹さんであった。議員会館に行った時、あいさつされてビックリした。先生は東大法学部卒、大臣の時にしつこい地方紙記者の質問に、佐賀県人らしくプッツンして辞任した。さて、勘定はちゃんと済みましたとなり、実はと言ってお孫さんたちの写真を渡すとそれを見てウルウルした。五・六年達人は帰っていない。観光協会の会長はなんだそうだったんだと笑った。みんなで記念写真を撮った。ホテルに向って歩いて行くと遠くでずっと手を振ってくれていた。又、来るからね、元気でねと私は大きな声を出した。昨日金曜日、佐賀の議員先生から電話があった。会長から聞いたよ、そうだったんだ、食道園むかしからよく知ってるよと言った。遊郭をしていた友人のお父さんには、選挙でずい分世話になったんだと言っていた。選挙もなくなったので近々ぜひお会いしましょうと言って電話は終った。そして今日土曜日一時に平塚の達人に針を打ってもらった。世の中は広いようで狭い。私が大ファンである芸人、“江頭2:50”も佐賀県人である。全裸になってトルコでパフォーマンス、逮捕されたはずだ。サイコーです。ぜひお会いしたい方なのです。
(文中敬称略)









2023年6月19日月曜日

つれづれ雑草「九州出張、その(一)」

九州大牟田に坂本龍馬のような熱い男、行動力の塊のような友人がいる。元大手広告代理店の敏腕営業マンであり、天皇ともいわれた会長の側近でもあった。静岡・山梨の「富士山」を世界遺産にすることに尽力した。鹿児島の「屋久島」青森・秋田の「白神山地」、北海道の「知床」などの世界遺産のこれからのために、全国を飛び回っている。熱弁が始まると圧倒される。全身を言語化して自説自論を熱く語る。そして今、坂本龍馬が“薩長同盟”に奔走したように、九州有明海を“日本の地中海”にしようと活動している。有明海は、長崎、福岡、佐賀、熊本の四県に面している。“環有明海観光連合”を立ち上げた。私はその仕事をお手伝いしている。有明海はいままで四県が一つになって、未来への行動を行なっていなかった。熱血漢とはもう三十余年の付き合いになる。初めは、英会話教室NOVAの仕事で、「駅前留学」という言葉を提案した時である。当時は新聞社系の代理店にいた。私はヤクザのようであるから初めて出会った人は、その顔にこのヒトに頼んで大丈夫かな(?)とハッキリあらわれる。が一度仕事をすると、長い長い不思議な運命共同体となり、家族付き合いまで発展して行く。ただ、私は売り上げ、扱いの数字や、金儲けばかりの話をする人とはどうしても相入れない。で、いい思い出が生きている間にその関係を終える。恩を仇で返すことになったりもするが、金より思い出重視なのだ。十四日午前五時起床、(といってもほぼ起きていた)熱いシャワーを浴び、朝刊に目を通していざ九州有明海へ出発だ。辻堂 ― 横浜 ― 京急で羽田へ。ここで私の頼りとする男プログラムエンジニア(人間コンピューター)と合流。この男のヒトが一緒であれば、いかなる難問にも応えてくれる。人工知能AIの未来、地球や人間の未来まで高説を論じてくれる。ガラケーも使えない私の強力な支えとなってくれる。そして羽田からANAで佐賀空港へ。そこにかつて私のところにいた(十年間)アートディレクターの男が福岡から来てくれていた。3.11の時に一歳ほどの子を育てていたが、奥さんが東京での地震や放射能汚染が、子育てに向いてないと、故郷の福岡に帰った。一年ほどで帰ってくると思っていたが、結局そのままとなり、現在に至っている。清々しい勉強家の男は、四十三歳になっていたが、前より清々しい男であった。私のテーマカラー、ライトブルーの小型車に乗って来ていた。小林大助という名は、九州デザイン界で有名になっている。数々の賞を受賞している。直近では、福岡で開催される世界水泳大会の金、銀、銅メダルのデザインコンペで金メダル(最優秀賞)を受賞して、新聞やテレビで大きく報じられている。私にとってこれほどうれしいことはない。オオ~大ちゃんとなった。その後、熱い男が大型のレクサスで来た。いつも通り、ドーモ、ドーモから始まった。三井化学大牟田工場に行き、頼まれていたデザインの打合せをする。超広大な工場を見学。“人の三井”というだけあって、三井の人々は実にやさしい。運命を感じたのは、私が独立した時、はじめて大きな仕事を霞ヶ関ビル内にあった代理店さんから頼まれた。それが現在の三井化学(当時は三井石油化学)であった。その会社の50ページ位の会社案内のデザインであった。チンマリ、コンマイ仕事ばかりやっていた。質屋通いもしていた。山口県大竹工場を撮影、約120メートルの中心部分、60メートルの所にある丸い踊り場からの大仕事だった。20~24歳会社勤めで、デパート関係やファッション系の仕事を4年間やっていたので、石油化学などの仕事は、正直自信がないし、何も分からないのであったが、結婚もしていたので、大きな仕事は断わる訳にはいかなかった。そんな思い出のある会社の仕事に、再び九州大牟田で出会うとは、(その代理店さんとは現在もお付き合いをしている)その後、大牟田で有名な事業家の会社へ行く。環有明海観光連合の会長さんである。◯△グループの総帥の会長さんは、数多くの事業をしながら、青年会議所で後進を育てている。東京の硬派の大学で少林寺拳法の術を極め、本場中国の総本山まで行っている。社内会議室に入ると気合十分の雰囲気であった。会長さんがグループの活動と自らの主義主張を、スクリーンに映る映像や文学群を見ながら、熱く、熱く、火傷するほど熱く語った。その後、会長さんが経営するところで、食事会となった。熱弁は更につづいた。久々に硬派の事業家と会い心地いい。しかし腰がパンパンで激痛がする。会長さんの将来の夢の場所へも行って見学もしていた。食事中まで私を看板のデザイナーだと思っていたようなのだが、熱血漢と人間コンピューターがパソコンを使って、私のいままでの仕事などを映し出し解説すると、実に驚かれて“先生”と言われるようになった。私は先生はやめてください。場末の芸者ですからと言った。会長さんは実に魅力的であった。ぜひアレも、ぜひアソコも、となり再びお会いすることを約束してお別れした。次の日は大牟田から柳川、そして佐賀鹿島へと移動して、観光協会代表理事の方と会った。佐賀は「葉隠」を生んだ武士道の地、その方は静かだが内に秘める魂は、武士の如くであった。夜七時からの会食打合せに私が選んだ店は、焼肉の名店“食道園”にしてもらった。店の女性主人の髪の毛は三十年前から“紫色”それがトレードマークである。肉は東京の叙々苑の最上級より全然安くて美味しい。この食道園については訳があり後日書く。女性主人は、私の姿が見えなくなるまで、手を振ってくれた。私は大きな声でまた来るからネエ~、元気でね~っと叫んだ。そしてすぐ近くのビジネスホテルへ。小さな部屋のベッドの上にぶっ倒れてひとまず大の字になった。
(文中敬称略)









2023年6月17日土曜日

休筆のお知らせ

 本日、またも出張のため休筆致します。
皆様、梅雨の晴れ間に起こる熱中症に注意しましょう。

2023年6月12日月曜日

つれづれ雑草「半分半分」

「ドン」といえばひとは何を連想するか。“学界のドン”“政界のドン”とか、“財界のドン”。今映画でヒットしている“ハマのドン”など、その世界に君臨している人物を称する。“ボス”という言い方もあったが、サントリーの缶コーヒー“BOSS ボス”で市民権を得て、ボスといえば矢沢永吉を連想する。ドンはどんでも「丼」となると、ヒトそれぞれに、オレにとって、アタシにとって、ボクにとって、ワシにとって、オイラにとって、丼は熱愛される。もし丼物が好きでないという人間がいたら、どこまで行っても会ってみたい。丼は食堂界のドンでありボスである。天丼、うな丼、親子丼、海鮮丼、中華丼、カニ玉丼、カレー丼、牛丼、豚丼、かつ丼、海老丼、ウニイクラ丼、鳥そぼろ丼。丼はどんどん食欲を満たしてきた。数をあげたら切りがない。牛丼も食べたいし、となりの人が食べているカレー丼も食べたい。そんな人には相性丼というのがあって、半分牛丼で半分カレー丼というのを、ハイヨッとつくってくれる。食べ物を決める時、人間の性格が分かる。あ~腹減った、私は夢の中にいる。やっと今日はじめてのごはんだと、築地の場外市場を歩いていると、私という天邪鬼で、食いしん坊で何か人と違うものをとの迷惑な性格がでる。築地の場外市場は長いつき合いで、いわば庭みたいであった。大好きだったラーメンの店「井上」は、先年火事で燃えてしまった。海鮮専門の小さな店のとなりに、スパゲッティナポリタンだけの店があった。親子丼を見てクラクラとしていた。海老丼を見てグラグラッとした。牛丼を見ると決めた覚悟がゆれた。当初の目的は海鮮丼(ホタテ抜き、アレルギーなので)一本でバッチリと決めようだったが、私はダメな人間である。赤いスパゲッティナポリタンが強烈に目に入り、緑色のピーマンと玉ネギが、タコ形の赤いウィンナーと共にフライパンの上で仲良くくっつき合い、励まし合い、救け合い、支え合っている。場末の純愛みたいだ。よし、これだ。だが海鮮への想いも忘れられない。店のオジサンに、ちょっとあそこの店で、海鮮丼の半分をつくってもらってくるから、そのよこに半分スパゲッティ入れてくれると言った。あ~いいよ、だけどどんぶりは洗わないよと言った。大丈夫ちゃんとするからと言った。で完成したのが、“海鮮スパナポリ丼”新鮮な海老、コハダ、イカ、マグロ、イクラ、玉子焼きの横に、アツアツのナポリタン。日本の伝統美に、ナポリタンの赤ベタの組み合わせは最高であった。海鮮店の夫婦が、おいしそうと言った。お客さんみたいなヒトはじめてだよと言った。海の幸とパスタはよくあるメニューだが、海鮮丼とパスタはないはずだった。主人たちは実に誠実で、料金はハーフ&ハーフだったのでおまけしてくれた。それじゃ悪いからと、コーヒーでも飲んでと迷惑料を払った。この頃外国人さんが多いからこんなメニューもあるなと、海鮮丼の主人は笑った。私はこういうバカなことをアチコチでやってきた。“丼”と何を組み合わせるかを考えるとじつに楽しい。私はイロイロな定期検査前で食事を抜いている。それ故食べ物への思いが浮かび、アタマの中で“作り話”を作っている。シャネルのバックを持っている若い美人女性が、金曜日の夜八時頃、銀座の吉野家で丸椅子に座り、牛丼を食べている。赤い口紅に赤い紅しょうが、夜の世界の女性ではない。こんな美人が何故、花の金曜日に一人吉野家で、丼には謎めいた物語があるのだ。(これは実話)ちなみに、横浜のドンを描いた映画「ハマのドン」はかなり面白いと見た人々が言っている。スパゲッティナポリタンは、横浜の高名なホテルのシェフが進駐軍のために開発した和製料理らしい。初めてイタリアに行った時、レストランでスパゲッティナポリタンをとオーダーしたら、…………(?)(?)(?)であった。そんなのねえ~よというかんじだった。同行していたコーディネーターが、トマトソースと言ってくださいと言った。とってもとても恥ずかしかった。スペアリブを知らなかった私は、アメリカのグランドキャニオンに初めて行った時、夕食が夜遅かった。カウボーイ(牧)たちが、♪ ローリング、ローリング、ローハイド……と店に来る。同行のコーディネーターが、スペアリブを食べましょうと言うから、OKよろしくとなった。店内は、かなり暗い。何やらゴッツイ肉の塊りがきたので、言われた通り、塊の両端を持ってベタベタしながら、かぶりつくと、ガツンと固い骨、なんだこりゃ、骨ばかりじゃんと大声を出すと、カウボーイたちは、腰に手を当てた。ガンベルトには拳銃が入っている。以来スペアリブは警戒をすることにした。下手をすれば撃ち殺されてしまう。スペア丼をつくるとすれば、骨付の肉と拳銃の弾のハーフ&ハーフだ。ライクーダーのギターとかケニー・ロジャースかなんかが流れたら、少しばかり歯がガタガタになっても食べ尽くすだろう。あ~腹が減った。鳥そぼろ、牛豚兄弟丼が食べたい。BGMは「無法松の一生」だな。さあ、ど~んといってみよう。(文中敬称略)



2023年6月10日土曜日

休筆のお知らせ

本日、出張のため休筆致します。
梅雨時です。皆様、食中毒に気をつけましょう。


2023年6月3日土曜日

つれづれ雑草「ある原因」

10年ひと昔というが、現代社会では一日ひと昔だ。かつて24時間戦えますか」という栄養ドリンクのコマーシャルがあった。その頃私は48時間働いてますよであった。今思えば狂っていた時代なのだろう。ひと月に何回徹夜したのかを“ジマン”しあった。あなたは24時間前に何があったか、正確に言えますか。すでにG7サミットがあったことなど憶えちゃいない。市川猿之助事件のこともあたらしいことではない。そういや市川中車なんていたな香川照之だったっけ。熱湯風呂に入る上島竜兵が死んだのは忘れがたいが、ガーシー元議員の話なども誰れも言わない。えっ上岡龍太郎が八十一歳で死んでいたんだ。確か横山ノックかなんかとトリオを組んでいたな。横山ノックが選挙カーの中で女性スタッフのオシリを触ったりして大阪知事をやめた。パンパカパーンと。岸田総理ファミリーたちが官邸内で大ハシャギしていたことが突然週刊文春に出た。秘密を握っている人間は、その秘密のカードをずっとかくして持っていて、ここぞの時にマスコミにリークする。首相官邸を仕切っている人間や元その任にあった者は、国会議員は勿論のこと、その家族一族郎党の秘密をすべて握っている。当然、マスコミ各社や、財界人たちや知識人、文化人、有名人、芸能人、ヤクザ者、警察内部、裁判所関係者、みんなみんな調べ上げている。24時間働いてますよ、なのだ。危機管理という名の元で、重箱の隅をつっつくよりしつこく調べる。個人タクシーは官庁の人間がタクシー券で朝帰りするのを狙って、ズラリと霞ヶ関に並んでいる。ロング一発! で売上げバッチリとなる。かつておしぼりとビールを出したりすることが問題になった。みんなもう忘れている。今は、アメ玉位らしい。男が女性を好きになる時代はもう古いが、執念深い女性とは近づかないほうがいい。何しろ決して忘れないからだ。あの時確か╳╳とか、あそこで確か╳╳とか、あの中で確か╳╳とか、一語一句を憶えている、ソーユー相手は人生列車を脱線させる。この頃は男と男、女性と女性の関係もそれほど秘密ではなく、社会に受け入れられている。ファイト一発! でよいのだ。しかし刑務所内では許されていない。マッサラ(新入り)の美男子、筋肉系は“リボンチャン”といって大歓迎される。新宿二丁目辺りでは、“タチとネコ”といっていた。“ゲイは身を救ける”のよと、まっ紅な口びるのヒトが言っていたのを思い出す。現代社会は新入社員をハレ物に触れるように大事に扱う。残業しろ、なんてもっての他。“痛くなったらすぐセデス”じゃないが、暗くなったらすぐ帰りましょうだ。それでも東海道線は新橋、品川からでは座れない。東京発でないと、酒臭い奴とか、ニンニク臭い奴とか、メチャ強い香水のヒトとかと接近密着しなければならない。痴漢と間違えられないように、両手をホールドアップする。チャイナヒゲを生やしたオッチャンの顔なんかが密着してくると、頭突きを一発入れたくなる。横浜まで行けばどどっと出て行って、座ることができる場合が多い。台風の影響で雨がじゃんじゃん24時間働いている。雨は天の命ずるままに雨降りという仕事をする。今は六月三日の午前五時十八分四十八秒だ。久々に名作「クレーマー・クレーマー」を見た。むかし見た時とずい分記憶が違っていた。ダスティン・ホフマンと、メリル・ストリープが若い。アカデミー賞を受賞したこの作品は、夫、妻、子ども、仕事、家事、性生活、子育て、ヒステリック、会社、出世、離婚という夫婦間の永遠のテーマをよく描いている。夫婦はきもちいい間は決して別れない。雨の中レインコートを着て、家のすぐそばのコンビニに酒一合を買いに行く。薬だけじゃ眠れないよと体が記憶しているのだ。丸っこい体のコンビニの主人が一人でいる。よく働くね、24時間働いてんじゃないのと聞けば、大丈夫昼にしっかり眠ってるからと言った。中国人がたくさん働いていたが、今はいない。キオスクにも、ニューデイズにもいない。時々、顔がムクんで、コロッケみたいにアブラぎっているオバサンがいるが、半分眠っているような顔をしている。そういや夕飯は何を食べたっけ、12時間位前のこと、そんな昔のことは憶えちゃいない。ニュースを見ると今日は大雨のち曇りのようだ。よし、これから八代亜紀の歌を聞こう。「舟唄」は朝からしみじみするので、♪~ 雨々ふれふれ もっとふれ……。のほうにしよう。それにしても、ルフィは誰れか(?) 元ガーシー議員は(?) ある党の女性区議会議員が、先日当選したが、メルカリでニセブランドを8000円で売って、選挙資金にしたとかで辞職した。なんだか切ない話だ。人手不足が深刻な時代となっているが、国会議員とか、県、市会議員は多過ぎだ。少子化問題も深刻だ、冗談でかつての“禁酒法”じゃないが、“禁ゴム使用法”をつくればと言ったら、バカじゃないのと言われた。そうです、私はつける薬もないバカなんです。離婚の原因の第一位は、性格の不一致と決っているが、性格が一致する訳がない。正しくは“性の不一致”だろう。私のかわいがっていた、後輩が世界水泳大会の金、銀、銅メダルのデザインコンペで、金メダルを受賞した。名は「小林大助」という。すばらしい男だ。個人会社名を「助太刀」という。いざという時声をかけてください。福岡にいます。(文中敬称略)



2023年5月27日土曜日

つれづれ雑草「盲亀流木」

旅の男には過去を聞いてはいけない。人間は一人ひとり背負うもの、思い出したくないもの、話したら命をかけなければならないものがある。ある旅を経た人を紹介してくれたのは、私の親愛なる男である。この男はあらゆる筋の人間と縁を結んでいる。その人脈は底知れない。いままで万金に値する人を紹介してもらった。その中の一人が銀座を捨てて密教の修行に入った。“想像を絶する厳しい修行”というありきたりの表現しかできない我が身がつらい。今では高名なお寺の住職となり、毎月一回タブロイド判の“◯△だより”が送られて来る。ご自身で書いて印刷されている。そこには毎号勉強させてもらう、仏教の教えといい話が書かれている。真白いアート紙に黒い活字の一文字一文字が、汚れた私の心を洗ってくれる。現在住職をするかたわら、高野山大学大学院に入り勉学にも励んでいる。過去に何があったかは聞いていない。第52号にこんないい話が書いてあった。「盲亀流木(もうきふぼく)〈有ること難し〉」大海に住む盲目の亀が百年に一度海中から頭を出し、そこへ木が流れてきて、亀がちょうど偶然にもその浮木の孔(穴)に出逢うという極めて低い確率の偶然性を表わす比喩譚。人間として生をうけることと、また仏法に遇うことの難しさをたとえる話とあった。人間として“有ることが難しい”「ありがとう」の語源なのですと書いてあった。私たち人間は偶然の中に生きている。生まれてすぐに命をなくす悲しい命があれば、99.9%命は危ないという中で生を得た神の子の命もある。117歳まで生きた命もある。それがよかったか否かは本人に会っていないので分からない。スポーツで鍛えた強烈な体を持つ金メダリストがあっけなく死ぬこともある。年に二回も入院して健康チェックをしていた健康オタクが、四十代でポックリ死んでしまう。なんでこんな話を書くかというと、私の恩人、知人、友人、親類縁者が、肝臓癌、子宮癌、胆管癌、乳癌、すい臓癌と闘っている。二十代から七十代まで。私には何もしてあげることができない。私は「盲亀流木」大海で流木の孔(穴)に出会った亀のように。どうか名医に出会ってと願うしかない。必ずセカンドオピニオンをと願うしかない。高名な大学の教授が名医とは限らない。現在の上皇の心臓を手術した教授は無名に近い人であった。私の友人の奥さんは、過食と拒食をくり返した。太っている時は80k以上、やせている時は30k台、その差50k、お金持ちだったので、有名大学病院を何院も訪ねて入院治療したが、原因はどこも分からずであった。どこで聞いたか山陰地方の大学病院の助教授を訪ねて入院治療をした。結果ウソのように治った。原因は教えてもらえなかった。患者は医師を選ぶ権利がある。米倉涼子主演の「ドクターX」ではないが、有名大学だから、お金持ちがいく病院だからで選んではいけない。私にはとても信頼している先生が二人いるので、その先生の命令に従う。これを書いている午前四時三十三分十三秒現在、眠ることはできない。原因が私自身の問題だからだ。外はかなり明るくなってきた。「ライトハウス」という映画を見た。モノクロフィルムで撮った最高傑作といっていい。ランボーの詩を映像化したみたいであり、ギリシャ神話の如くでもある。「ニューイングランド」の孤島にある灯台に、カナダで木こりをやっていた青年が、金を稼ぐために四週間働きに来る。そこには老人の灯台守一人しかいない荒れ狂う海、乱れ飛ぶカモメ、燃料に石炭を使う重労働、老人と青年とのうす暗い生活が始まる。食料を運ぶ船は四週間来ない。1881年頃に書かれた灯台守のマニュアルに従う。いままで見たことがない白黒の世界は宗教画のようでもある。二日続けてこの映画を見た。主演の一人が私の好きなウィレム・デフォーである。老人は言うカモメを殺すなと、海鳥は海の男の魂だからと。だがしかし青年は狂っていく。そしてカモメを殺す。そこに待っていたものとは。○╳一錠、○╳一錠、○╳一錠を服用した。朝刊がポストに入った音がした。読んでいるうちに少しは眠れるだろう。残念ながら酒はない。あの映画を見ていて思い出した。「盲亀流木」の話を。荒れ狂う波の中に亀はいたのだろうか。流木の孔(穴)に運良く入れただろうか。老人は言った。帆を操る海の男にとって、いちばん不運なのは、無風なんだと。人の命はすべて偶然に支配されている。神はいるのだろうか、信じる者は救われるのだろうか。灯台の光は海の男にとって神に近い。(文中敬称略)