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2018年9月11日火曜日

「犬猿」

「近親憎悪」兄弟姉妹とは何か、この頃ずっとこのテーマの問題を抱えている。昨夜日本映画の最新作で出色の作品を見た。とにかく脚本と編集が、抜群であった。2018年東映ビデオ製作(製作委員会の幹事だと思う)作品名「犬猿」脚本・監督「吉田恵輔」。男二人の兄弟がいる。兄は体中に刺青を入れ、街の不良やヤクザも、その名を聞いただけで逃げ出すほどの凶暴性がある。刑務所から出所してきて弟のアパートに住む。弟は真面目で一途な小さな印刷会社の社員である。父と母は別のところに住んでいる。弟の印刷会社の下請けの、小さな印刷会社を経営している。姉妹がいる。姉は太っている。会社を切り盛りしながら、父親の介護をする。食事作りから洗濯、ぬか漬け作りまでする。父親は下の世話をしてくれる姉の胸を触ってしまうほどボケている。丸太のような体を忙しく使って会社と家を守る。妹は、姉の下で働いているが身は入らない。姉と違ってスレンダーで美人であり、モデル会社に登録してタレントか女優を目指している。姉はヤクザな兄の弟が仕事を発注に来てくれてから、二枚目の弟に強い恋心を持つ。 が、しかし弟は妹の方と付き合い出す。ヤクザの兄は相変わらず暴力三昧である。いいシノギがあると脱法ドラッグの販売を始める。稼いだ金で父と母のローンを払ってやり、マッサージ機を買ったりしては、父と母を心配させる。(一体何をやって稼いだのだ、また刑務所行きだろうと。)一方姉は弟への恋心を募らせるが、妹と深い関係になったことに猛烈に嫉妬する。兄の暴力に手を焼く弟は、頼むから死んでくれよと願う。妹に私のことが好きなのよと言われた姉は、いよいよ嫉妬に狂う。この2組の兄弟姉妹の感情の動き、いろいろ起きることを同時進行的に見事に編集する。ある夜兄は3人の男にアパートに踏み込まれ刺されて重傷を負う。弟は一度はこのまま放っておけば死んでくれるとアパートから逃げ出すが、やはり兄弟なのか救急車を呼ぶ。妹は実はデリヘルとかAV女優をやっている。自分の恋する弟へ何度もメールをする姉を、バカにして弟に近づくなと言う。姉はついにリストカットして救急車で病院に運ばれる。そこに刺された兄貴も運ばれてくる。傷が治った兄は刑務所へとなる。姉は腕にリストバンドして仕事に復帰する。見捨てようとしてゴメンと謝る面会に来た弟、俺たちガキの頃仲良かったなと言う兄、傷が治った姉にパソコンの使い方やら仕事の進め方を習い始め、姉にゴメンネと謝る妹。がそれらの心はホトボリが覚めたら、すぐ元に戻ってしまう。テメェブッ殺すぞと言う兄の弟への目、あんた全然頭の中カラッポで使えないと言う姉の目、それに対し憎悪の目をする弟と妹。犬猿の仲をこの作品は見事に描いた。2組とも幼い頃は仲良く遊ぶ仲であった。兄貴役の新井浩文が素晴らしい演技であった。さらにその上を行ったのが、私は名を知らない。丸太のような体に黒いメガネをかけた俳優さんだ。日本の映画界に「吉田恵輔」がいることを記憶しておいてほしい。兄弟姉妹、同じ親から出て憎しみ合う、つまり「犬猿」の仲である。ぜひ見て欲しい本年度NO.1の映画だ。東映ビデオ恐るべしだ。あなたの兄弟姉妹は仲がいいですか。

2018年9月10日月曜日

「永遠と一日」

南に豪雨あり、中、四国に豪雨あり、大阪地方に超台風あり、東北、北海道に豪雨と大地震がある。日本中が荒乱している 。さて、東京はと言うと、電気の無駄遣いの典型、フジテレビが27時間休みなしのバカバカしい放送をしている。そのバカバカしさを時々見ている自分のバカさ加減に、ハッと気がつき何かをせねばならないと思った。クーラーの下の机の上の写真がやけに色が変わったと気がついてよく見ると、水が染み込んでいた。もう30年近く使っているクーラーが壊れて、水がポトポトと滴り落ちていたのだ。こりゃやばいと思い電気屋さんへと思ったら、もう店じまいをしていることを思い出した。街から電気屋さんが消えてしまったのだ。仕方なくなんでもやってくれるという特別な才能を持っている人に来てもらった。う〜む、こりゃもう限界ですね。とりあえずホースの中の通りを良くしておきましたが、限界ですと通告された。もう少しだけ頑張るように頼むよと言った。休日家にいるとアレコレ仕事以外の電話が入る。そのどれもが限界に近い話ばかりだ。老人性痴呆症、不安神経症の話。詐欺にかかって泣きが入っている人。癌を宣告された人、親子の縁、兄妹姉妹の縁を切った話、義母の延々と続く長電話にマイッタと言っている人、我が家のクーラーと同じことが、大なり小なりどの屋根の下でも起きているはずだ。かなり気分がダークになったので床屋さんに行ったら、パア〜と明るく現代的にリニューアルしていた。なんだか気分が良くなった。床屋さんに行くとサッパリする。家に帰り旧作映画を2本見た。一本は「罪と罰」もう一本は「雨の朝パリに死す」。質屋のゴーツクバアーさんを殺した、人に優しい男の恋人の寛容さ。貧乏人にこそ気高さはある。「雨の朝パリに死す」のエリザベステイラーは若々しくて美しい。 この映画の中で新聞記者だった帰国兵士が、日本は天皇制を守ってやれば無条件降伏するさと 、バーボンを飲む。アメリカ人にとっては日本との戦いは、アパッチやスー族と戦った西部劇のような気分だと思わされる。その後 NHK の「藤田嗣治」のドキュメントを見た。1920年代のパリ、浮世絵から学んで生んだ、白い裸婦の絵、日本の画壇から、イヤガラセと酷評、そして戦争画家へ。壊れてしまった自分を癒した故郷の風景と愛妻、そして“フジタ”はテープに遺言らしきことを語る。命の終わりにあってもパリのエスプリは忘れていない。それでは皆さんさようならと去っていく。その後もう何度も見ている名作「永遠と一日」を見た。老詩人に一人の若い女性が聞く。「明日への日時って(?)」詩人は言う。永遠と一日。1日24時間を一人ひとりが、生きている。絵に描いたような幸せの中で生きている人は、実はいない。クーラーからの水はひとまず止まっている。



2018年9月7日金曜日

「親切」

「人間はこうして死ぬ」読書など縁のない私が選んだ本の中で、これが一番と今でも思っている。小嵐九八郎の「癒しがたき」のキャッチフレーズだ。四国土佐の実力者の四兄弟の波乱に満ちた、父と子、男四人の兄弟間の死闘である。父は代議士、長男はヤクザ者になる。長い、長い小説のラストは、父を長男が殺す。今なぜこの本のことを書くかといえば「日本はこうして死ぬ」そんな強い思いを見たからだ。史上最強の猛烈な台風はそれを教え、北海道の大地震はそれを教える。地震帯の上にある日本列島、四方八方海に囲まれた細長い劇的な形をした列島、山々と海との間に生きる生活。美しい河川は、ひとたび大自然が荒れると悪魔のような激流となる。世界に誇る文明も一瞬にして、暗闇となり、世界一食べ物を捨てる国は、一本の水を求め、一個のパンやおにぎりを求める。分単位で空を飛ぶ飛行場は湖となり、分単位で動く交通網は機能停止となる。今の時代にローソクの火を頼りに夜を過ごし、電気の切れたスマホや携帯を握りしめる。パソコンは間の抜けたものになり果てる。 「日本沈没」を書いた作家小松左京は、阪神淡路大震災の現場を直視し、自らの日本沈没を感じ、「鬱」状態になり気力を失ったという。デジャブ、デジャブ、ジャブ、ジャブとデジャブ (同じ出来事) を毎年見せる。歯医者全国で6万、コンビニもそれに迫っているが、終戦直後の配給を受けるように一個のパンを求めて行列を作る。専門学者たちは想定外の事実に、無責任に冷笑する。机上の空論を研究し続けている。原子力発電所に囲まれた日本列島、いよいよ東海とか東京に直下型地震が来る。(必ず来る。全てが想定外となる。)その時、「日本は死ぬ」ポンペイが火山爆発で死んだように。この国一番大切な教学は、「防災学」「減災学」である。美しい国を守るとは、主義主張を越えて共に学ばねばならない。机上の空論より“おばあちゃんの知恵”なのだ。500兆円近く内部留保金を溜め込んでいる大企業は、揃って防災に資金を出す必要がある。(義務でもある)金、金、金、を追い求めて、人間の関係をズタズタにして来た、そのことが、必ず大自然の怒りによって愚かだったことを知る。が、その時日本は沈没しているだろう。我々ホモサピエンスは金儲けに進化しすぎてしまった。異形の生き物になってしまった。そしてネアンデルタール人のように滅亡する。現在9月7日午前4時48分11秒、10分後20分後、大地震が来るかもしれない。大自然に最大限の敬意を表さないと許してもらえない。 国失って、与野党もない。協力すべきは、協力して行かねばならない。各企業も同じだ。全国民が「防災、減災」を、そしてみんながもっと仲良しになって助け合おう。テレビでは、松竹映画が、「男はつらいよ」フーテンの寅さんをリメイクする。そのスタート、カチンコを鳴らしていた。ヨーイスタート。無欲で恋多き寅さんが、日本人なのだ。江戸時代の長屋の住人のように。キーワードは「親切」そして「仲良し」。イテテ右足がつってしまった。


2018年9月5日水曜日

「肉体の門」

新橋のポンヌフという立ち食いそば屋さんの前で、正座しているオジサンの前に、2万円も3万円もある日があると、聞いた話を書いたら、むかし的屋の泣き売をしていたオジサンから、あれは泣き売の一つだよとの話があった。 おじさんは読者の一人でもある。泣き売とは、会社が火災に遭って一文無しになった、焼け跡に残った時計や万年筆やボールペンなどを新聞紙の上に広げて、これが売れないと一家心中なんですと泣きを入れる。仲間(サクラ)がかわいそうにと、それを買ってやるよと言う。日本人は優しいので、それじゃ私もと買ってくれる。近頃すっかりいなくなったが、泣き売(ナキバイ) は生きていた。土下座したオジサンの前に置いてあった、500円玉、100円玉、10円玉などは実は見せ金であらかじめ少しばかり置いておく。人間の心理はまだ何も置いてないと、まず自分が先にとはならない。 仲間の(サクラ) 一人が500円玉を置き始めると、やさしい日本人は、 それじゃ100円、50円、500円とポツポツと置き始める。暴対法で的屋の世界も厳しい状況になっている。祭りや縁日への出店もイロイロとキビシイ。で、 むかし流行った泣き売が、イザリとなって、出始めているのだとか。へえ〜そうなの、でも正座しているだけで、随分と集まっていたよと言ったら、せいぜい4・5人がつるんで、一人一日1000円か2000円がいいとこじゃないのと言った。台風の中どうしているのだろうか。ポンヌフでイカ天そばくらいは食べているのだろうと思う。確か大盛りはサービスの張り紙があった気がする。待てよ、すぐそばに競輪の場外車券売り場があった。イカ天よりそっちに使ったに違いない。場所は転々と変えていく稼業だ。もと的屋のオジサンは毎日ファミレスに行って、ただの新聞をしっかり読んで、携帯でアレコレ指示を出している。私は変な人と話すのが大好きで、変なことを学ぶのだ。今オジサンは小説を書くんだと言っている。ふと、フーテンの寅さん思い出した。人間は実に逞しい。オジサンは日本のベストセラーの第1号と言われる、田村泰次郎(故人)の「肉体の門」みたいな群像劇を書くんだと言って、何度目かのドリンクサービスに向かった。人間の肉体は骨まで溶けるような快楽を知ると、仲間に命じた鉄の掟を自ら破っていく。ファミレスほど多くのことを知る場所はない。時代の写し鏡だ。何より私の情報源である。

2018年9月4日火曜日

「あるレース予想」

「大名レース」というのがある。 (大名行列のように部下を従えている感じ)競輪用語である。強い先行選手の後にピッタリつけば2着か3着。ゴール寸前差し切って1着もある。こういうのをマーク屋という。このマーク屋の位置を取ろうと競りを仕掛ける。 競り合いは選手のスタミナを失う。こうして強い先行選手はオイデオイデと振り返り逃げ切る。これを大名レースという。中にはマクリ屋といって、後方から、 単独で大外からまくって1着となる。そのまくりに乗り換えるのも出る。ファンはこのマクリ屋が好きで一票を投じる。現在行われ始めた自民党総裁選挙は、この大名レースに近い。強い先行に、ヨイショ、ヨイショ、あんたが大将とマーク屋が競り合う。 内心はバカヤローと思っている。もうすぐ77歳になるアッソウ(麻生太郎)とか、何回もヨイショした78歳、もうすぐ79歳になる二階俊博大先生(この人は実はとてもいい人だった)、それに次はぜひお譲り下さいと岸田文雄(とても酒に強いらしいが、政治力は全く無い)、次のタマを小渕優子しか持たない、竹下一派はしたたかに両面作戦。麻生派にもタマはない。うす汚ない甘利明がワラジをを脱いでいる。この麻生与太郎は日本政治史上に残る、プライドを勘違いした最悪の政治家と言える。日本人の恥である。強い先行の安倍晋三には、あわよくばと狙う大実力者菅義偉がいて、人相は日々悪相となっている(さしずめ本多正信か )、茶坊主は、今井尚哉とかが柳沢吉保となっている。悪い野郎は都鳥みたいになってきた。ヤクザな亭主を持った野田聖子には明日はもう来ない。小泉進次郎には言はあっても動力がない。気がつけば体をかわしている。父親のようなマクリ屋でない。さあ、ここまでに名の出てない人が、後方からまくる気力があるかだ。私はそれを期待している。競輪には落車がある。(一寸先は闇だから)先行が落車すればマーク屋も、それにぶつかって落車する。嘘八百、重大な虚言症と難病、口からでまかせで大失敗のアベノミクス、世界から無視されている外交問題、みんな来年の参議院選挙で大敗することが分かっているので、じっとマークしている。(当然同時選挙となるはずだ)ある映画(ナチュラルウーマン)の中でこんな、歌のフレーズがあった。「あなたの愛は昨日の新聞記事と同じ、今日は誰も読まないわ」権力者がその地位を失った時、昨日の新聞のようになる。(文中敬称略)

2018年9月3日月曜日

「新橋にて」

新橋東京口出口には、ポンヌフという人気の立ち食いそば屋がある。そこは交差点である。一人の老人(と言っても私と大差はない)のビニールシート。とても几帳面に、1円玉5円玉、10円玉、そして 100円玉が列をつくって並んでいた。金輪際何も話さないと決めたように何も話さない。暇な私は真上から勘定をしてみた。その数、8872円。Oh!オジさん (白髪だがきっと私より若い)オレと変わってよと言ったら、ずっと下を向いていた顔をヒョコンとあげた。聞けば悪い奴がいるもんで、ショバ代とか、売上を差し出すらしい。そっと話をした。人に聞かれるとズィーマ(マズイ)ので。多い日は1日2・3万円になるらしい。 おじさんはかなりインテリと見た。で何をしていたのと聞いたら、元日商岩井であった。いつも接待ばかり受けていた。躄(イザリ)にとって、正座がキツイ、今ではかなり慣れたが何回か固まってしまったとか。
人間は足元を見ると分かるという。足下には死相も出るという。あ〜この人アブナイなと思った人は大概が死ぬ。男女限らず分かると言う。俺はと聞いたら、運動靴ではわかりませんと言った。今でもいます。新橋二丁目七番地、あ、あ、あの人も、や、や、やっぱり死んだ。そう下を向いて独り言を言った。

2018年8月29日水曜日

「掘り出し物」

掘り出し物の映画に出会った時はヒジョーにウレシイ、タノシイのだ。旧作中の旧作である「文学賞殺人事件」一本100円、原作筒井康隆、監督鈴木則文である。1980年製作、主演佐藤浩市(若々しい)主人公である。同人誌「焼畑文芸」に参加している。仲間には故蟹江敬三とか今も活躍している石橋蓮司等がいる。主人公は「直本四十五賞 」(直木三十五賞のパロディ)に応募していた。その作品が候補作となり大騒ぎとなる。七人の選考委員対策に、早速文学賞ブローカーが現れる。(故ポール牧)ブローカーは選考委員の特徴を言う。お金大好き(故小松方正)人妻大好き(故由利徹)、権威大好き(故南原宏治)、 オカマ掘り大好き(故梅津栄)、若い娘大好き(故天本英世(?))、 (その他老人性痴呆症気味のふたり、いずも故人) 文学海(文学界のパロディ)とか、文藝秋冬 (文藝春秋のパロディ)群盲(群像のパロディ)フール読物(オール読物のパロディ)などがオンパレード。ブローカーの指示に従い、500万円を用意してアチコチに払う。知り合いの人妻も差し出し、自分の恋人も差し出す。オカマも掘られ痛さで悶絶する。ところがすでに、主催者サイドの幹事である、雑誌社の担当は、受賞者を決めている。七人の選考委員に、候補作のあらすじをペーパーにしてあり、選評も用意してある。七人の選考委員たちは全く原作を読んでいない。原作者の筒井康隆がバーで飲んで文学賞の内幕を酔って大演説する。自身が SF が文学界において下に置かれているかを語る。(よほど直木賞にウラミがあったのだろう) 新喜楽をパロった料亭で七人の選考委員は、編集者のシナリオ通りに選びチョンチョンとなる。500万円を失い、オカマも掘られ、土下座までした主人公は、散弾銃を持って、選考委員一人一人を殺しに行く。故由利徹が殺される前に、子供の頃唄っていた歌を唄わせてと言う。♪〜夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が繋げるチョンチョン。そしてズドーンと殺される。40年近く経った今も直木賞の選考はきっとこんなものなのだろうか(?)受賞外となった報を聞いた、同人誌仲間はみんなでバンザイ、バンザイをしてよろこぶ。 仲間に先に受賞されたくないからだ。監督の鈴木則文が「トラック野郎」以外にこんな珍作を監督していたとは知らなかった。見直した。100円にしては掘り出し物であった。なぜか配給元がクレジットになかった。ひょっとして上映されなかったかもしれない。「シェイクスピア曰く、世の中で起きていることは、すべて序幕である」パロディのような、ジョーダンじゃないことばかりが起きている。♪〜雨、雨、降れ降れかカア〜サンが・・・。チョンチョンと。故由利徹が唄っていた。ピチピチシャプシャプ、ランランランと。(文中敬称略)


「狂熱の夏」と「オールドパー」

お盆休みのないお盆だったが、少しずつ合間があった。その間にこの国の前途の絶望と、馬鹿バカしいほどの現状と、確実に近づきつつあるあの世行きを感じた。すでに親友3人はあっちに行ってしまった。お盆にあの人に、この人に、私を置いて逝ってしまったあいつに、と仏花を送った。昨日青山通り、元ベルコモンズのところをタクシーに乗って停まった。運転手さん今外の温度は何度と聞いた。運転手さんはナビの中にある温度計を見て、ちょうど40度ですよと言った。朝家の前の小さな公園に、5月には見事に咲いていた、アジサイの花の無残な姿を見た。まるで焼夷弾でも浴びた後のように、焼けただれていた。お盆の合間にいくつか墓参りをして回った。どこも雑草が伸び放題に伸びていて、それをこのやろうとばかり引っこ抜いた。ヤブ蚊の攻撃を受けて、両腕は赤くふくらんだ。持ってきた新聞紙に火をつけてお線香に火をつけた。暑い。熱い。かゆい。 何軒かの墓石屋が店を閉店させていた。お墓まで連れてきてくれた運転手さんと、喫茶店に入り何かを食べようとなった。私はパンケーキを頼み、運転手さんはハヤシライスを頼んだ。小学生の頃、授業でパンケーキ(その頃はホットケーキ)の作り方を学んだことをふと思い出した。一年のうちに一度も食べたことがなかったが、その日なぜかメニューの写真に写ったパンケーキが食べたくなった。バターにハチミツをのせた。4段重ねのいちばん上にのったバターがとろり、とろりと溶けてパンケーキにしみ込んだ。親指ほどのガラスの入れ物にハチミツが入っていて、それをのせた。プーンといい香りがした。運転手さんはとてもいい人で、私の好きな音楽を編集してくれている。その日はボブマーリーと、キューバのヴエノビスタをかけてくれたのだが、 暑さで集中力を欠いていたのでイマイチ、ノレなかった。 三橋美智也か春日八郎の方がよかったかもしれない。名古屋に一泊して、飛騨高山の挾土秀平さんを訪ねた。お願いしていた作品のイメージができたというので、その作品を見ることと、挾土秀平さんの取材撮影をした。後輩のプロデューサーが大阪からレンタカーで来てくれた。カメラマン、ディレクター、クライアント、広告代理店の人たちも一緒だった。職人社秀平組にはアトリエがあり、天才挾土秀平さんの作品が勢揃いしている。実に超絶的で圧巻である。挾土秀平さんは、ピカソと棟方志功と、岡本太郎を足して「土と水」で割ったようである。モンドリアンやミロのようなところもある。写楽と北斎のようでもある。とにかく凄い人だ。眼光は鋭く、声が野太くて、体はでかい。高山に来る前日、ブックコーディネーターのカリスマ幅允孝(ハバヨシタカ)さんを取材撮影した。世界中の本がアタマの中に入っているような幅さんは、通常BACH幅(バッハハバ)さんと言う。音楽家のBACH(バッハ)が好きだとのことである。青山根津美術館の近くにあるアトリエには、英文字でBACHの文字のポスターがあった。いろんなところに独特のライブラリーをつくっている。幅さんはゆるやかで紙のようである 。ヒラヒラとして、ユラユラと語る。 若い仙人みたいである。世界的デザイナー、女子プロゴルファー夫妻、世界的生物学者、ライフスタイルコーディネーター、新進のアートディレクター、陽気なエディターの人を、次々と取材撮影した。人に会うのは大好きである。面白い人に会え、面白い世界を知る。変な人に会え、変な世界を知る。鳴かぬなら鳴き方を学ぼうホトトギスで生きて来た。人間は学校である。ややこしい人が、私は大好きである。ややこしいことを教えてくれるから。そして今、又、ややこしいことに取り組み始めた。誰も考えなかったことを形にしてみせる。お世話になった会社への恩返しもしなければならない。最優先のテーマだ。亡き友は我にチカラを。「狂熱の夏」むかしの日活映画、主演故川地民夫。ファンキーでモダンないい映画だった。それを探している。8月も終わり、いつものグラスに頂き物のオールドパーを注いだ。



2018年8月10日金曜日

「魔物のようなペヤング」

昨夜もう何度目かになる、ジョージ・ オーウェルの「1984」を見た。国全体がまるで新興宗教のように洗脳され、すべてが監視され、管理される。当然三権分立はない。法という法は支配される。電気、ガスは勿論SEXからチョコレートの配給まで管理される。日本国は現在このような国にひたひたと向かっている。これでいいのかと深夜ペヤングソース焼きそばを食べながら思う。今年2回目だが時として魔物のように旨いと思う。体全体が疲れたと表現する症状が出て来ているが、あとひと踏ん張りだ。時間ができたら北に旅したいと思っている。「1984」には、公開処刑のシーンが何度か出る。民衆は大声をあげ、拍手してそれを楽しむ。民衆はいつでも“観衆”である。「魯迅」はそう書いていた。
400字のリングは8月22日まで休筆します。アチコチ行って、いろんな人を撮影します。偉い人、才人、カリスマ、名人、各界のプロフェッショナルたち。10日から21日まで撮り続け、取材をする。猛暑が続きます。十分に水分を補給してください。お盆休みはしっかりとって、天才中野裕之監督の映画をぜひ親子で観てください。ニッポンは、本当に泣きたいほど美しい国なのです。秋になったらいよいよ来年のカンヌ国際映画祭グランプリを目指します。狙いは当然グランプリ。「夏の夜の夢」で終わるかも。では、又。


2018年8月9日木曜日

「ボスたちとオリオンビール」

だから言ったでしょ。日本ボクシング連盟を辞めると言った山根明、ガタガタ震えてメソメソ泣きを入れて、嫁が死ぬまで面倒を見てあげると言ってくれたとか、男が嫁の名を出したらオシマイ。男のケジメをつけると大見得を切ったから、腹を切るとか、せめて小指の一本か二本は詰めるだろうと思っていた。だって男の中の男だと言っていた。が、 小心翼々の男はそんな根性の欠片もなかった。ヤクザを語る人間は、本物のヤクザから見ると、単なるファンに過ぎない。この次は日大、その次は東京医大、女子学生への減点問題は、きっと全国に広がるだろう。小児科医が不足しているのに女医への道を閉じている。国が嘘八百、インペイ、ドーカツ、つまりヤクザまがいだ。日本国の大学は休むことなき権力闘争の歴史、ウソやゴマカシなどは呼吸をするのと同じ程度にしか思っていない。もちろん素晴らしい学究の人も多い。この人たちは愚かな権力闘争に興味がない。この人たちは山根明と同じで、いつも何かに怯えている。何故なら、人に知られたくない道をずっと歩いてきていて、いくらでも情報を持たれている。家族のこと、身内のこと、借金、裏金、愛人のこと、又、自分自身が変態趣味であること。“一将功成りて万骨枯る”と言うが、今や一将功もなにもなく万骨ボロボロとなった。今の権力者が三選された瞬間から、側近、茶坊主は次の主を探す。今までの反感反動を一身に浴びる。「無」を演じきった人間が次に出る。何も語らず、何も動かず、ただ大河の流れに身をまかす、サラサラと流れる木の葉のように。「無」こそ、「有」なりである。下腹に力を込めて、機会を待つべしだ。 京都学の総帥西田幾多郎は、晩年日々筆をとっては、◯ をずっと描いていたという。禅の世界では円相図と言うらしいが、同じ円は二度と書くことができず、気に入った◯をずっと描けなかったと言う。自らの思想が大したもんじゃなかった。その反省と敗北の◯であったのだろうか、有能な弟子たちは反戦を貫き獄死した。最高学府の信じがたき有り様は、 私が敬愛する、一人の天才的女性研究者を苦しませ、悩ませ、そして悲しませたのだろう。不思議なのは学生たちが全く行動しないことだ。つまり、国家のボスもヤクザなアマチュアのボスたちも、学問のボスたちも同じだということだ。沖縄の翁長知事が戦いの末ご逝去した。ご冥福を心から祈る。いろんなボスたちは手を叩いて喜んでいるだろう。乾杯はオリオンビールか。沖縄のナベチャン、がんばってよ。