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2009年12月10日木曜日

人間市場 心越す市篇

ココロコス、心越すという意味を込めたのか、離島大好きの親友渡辺修一さんは沖縄の瀬底島にフォールームスという四部屋だけのホテルを作りました。これが何とも素敵なホテルなのです。渡辺さんは、テレビやラジオ番組の企画や広告のコピーライターをしていました。


四十歳を目途に、いつか自分の手で、自分のイメージで、自分のホテルを作りたい、そう計画していました。大好きなお酒を少々にして、着々と計画を進めたのです。山を切り拓いた白いホテルです。一階が広い食堂、2階に4部屋、屋上がジャグジーです。フルチンだってフル○ンだって全然大丈夫。誰にも見られません。ジャグジーに浸かって、夕陽を見る。手にはオリオンビール。ワンダフルにしてビューティフル。


人間、夢を本当に形にする人は中々いません。評判が評判を呼んで予約はいつも一杯。何しろ、料理が抜群。沖縄料理じゃなく、フレンチやイタリアンが主です。但し沖縄のアグーという、黒豚のしゃぶしゃぶは、絶品を通り越して絶叫です。うめぇ〜。二頭の白い犬がまた可愛いんです。私の別荘と思って下さい、なんて優しい事を言ってくれるのです。いい奴なんです。最高なんです。今からでないと連休辺りはもう一杯になってしまいます。

美人でない人はあまり似合いません。ちょっと訳ありの感じで美人となんてかなりイケてます。

朝食なんて東京のホテルの比較になりません。正しいブレックファーストです。コーヒーが又旨い。ミシュランなんて田舎者のタイヤ屋がつけるマーク。私がつける☆印の方が正確です。☆☆☆です。

いい本一冊、いい女性一人、これが基本。フォールームスです。

私の名前を出せば、コーヒーは飲み放題、犬が好きな人は犬の散歩をさせたら、きっと卵料理は多めに出してくれます。

直ぐ側に海洋博の時に作ったでっかい水族館。これが又、海の中に入った気分。何時間でも見ていて飽きません。

2009年12月9日水曜日

人間市場 ヲットマン市篇

この世で気持ちいい事をしない人はあんまりいない。椅子に座り、足を伸ばす。

その足を乗せる物をヲットマン(オットマン)と言う。

私は、足は伸ばさないが、毎週体を伸ばす。その場所の名が「ヲットマン」。辻堂駅西口前にある、友人のフーちゃんこと尾崎文彦氏が友人と作った。鍼、お灸、マッサージ、アロマオイルマッサージの治療院だ。ここに行かないと私の全身はアウトになる。在宅の人の為の訪問マッサージもしている。個室のベットが一つ。間仕切りされたベッドが三つ。色々、ヘロヘロ、ヘトヘト、ボロボロになった人。ストレスでカチコチになった人。何かの後遺症でアチコチがコチコチになった人。アンチエイジングで美しい肌を保とうとしている人。など様々な老若男女が来る。ここは私の心身のオアシス。


デスクの女性細渕さん、私を見ると、大丈夫ですかぁ?必ず大丈夫ですかぁ?と言ってくれる優しい人。美人で可愛い女性。趣味はハーレーダビットソンに乗って、西湘バイパスをぶっ飛ばす。愛妻家のご主人がいる。私のマッサージとオイル担当は富田さん。パン食主義の女性、私の体の隅々を一部を除いて(?)知り尽くしている。「そうなんですかぁ、そうなんですかぁ」が口癖の人。私の情報を担当してくれるのが佐賀出身の内藤さん。マッサージもとても上手いがパソコンが凄い。とても優しい二児のパパ。とにかくパソコンから私の希望する情報をほぼパーフェクトに出してくれる。この人もハーレーダビットソンのメンバーの一人。私の体はこの三人で守られている。気持ち良い仲なのです。

もう一人、関西出身の長田さん。この女性は私の親友担当。ボーイッシュで男っぽく、切れ味のいい人。かなり博学の女性。在宅のメンバー以外はこの四人がテキパキと痛んだ人たちを元気にしてくれる。私にとっては家族同然の人たち。時々、食事にご招待する。坂本九ちゃんの親戚が経営している焼き鳥「鳥仁」はみんなお気に入り。(12月から銀座博品館裏に進出。茅ヶ崎に兄弟店がある。抜群に旨い店。体を不自由にした大島渚さんは今でも車椅子で来るらしい。)

人間の体は精密機械と同じ。キチッとメンテナンスしないとトラブルを起こす。鍼、お灸、マッサージ。どんなに痛くとも、どんなに熱くとも我慢が大切。自分への投資、自分への思いやり予算と思っている。私が帰る時、必ず四人で送ってくれる。一歩出た瞬間に体は、又してもらいたがってる。その引力は強い。こんな世の中に贅沢かもしれませんが、みなさん、三度のご飯を二度にして、二度のご飯は一度にし、一度のご飯は抜きにしてでもメンテナンスです。

あっ、先生、ソコソコ。あっ、キモチイイ。あっ、効く効く。痛っ。かなりイケナイ気持ちです。

2009年12月8日火曜日

人間市場 団々市篇

暴力団から、暴力を取るとどうなるか。

団である。団となると色々ある。歌を忘れたカナリアと同じであって、俺たちは何をすりゃいいんだという事になる。バレエ団、雑伎団、消防団、応援団、青年団など様々になる。団という文字が一番恐いのがやはり暴力団である。本物の渡世人、ヤクザ者は暴力団と言われる事を極度に嫌う。プライドが許さない、キャリアが許さないのである。俺たちは筋者なんだと言う。筋者の世界では、揉める事が拡大すると踊ると言う。

例えば、「ヨシ、俺とトコトン踊るか、上等じゃネェか」なんて具合に使われる。踊るだけなら舞踏団だが、筋者はそうは行かない。一度筋道が狂うと行くとこまで行かないと話が終わらない。

世の中で暴力団と言うと、全国民が悪い人だと位置づける。暴力は最後の理性と言った哲学者がいた。ある意味究極の意志の表し方なのだろう。


この頃、弱い者を痛めつける暴力が酷い。老人へ、子供へ、若い女性へ、およそ理性のかけらも無い事が起きている。

本来、強い者と強い者が、どっちが本当に強いかを決める為の手段。あるいは、許されざる侮辱に対し決着をつける。あるいは、愛すべき者を守るために動物的本能を発揮する。そのために暴力はある。私は仇討ち令を作る事を提唱したい。子供や、身内が殺された者には仇討ちを許す。正しい暴力を許す。もし、あなたは自分の子供を殺めた人間が、のうのうと生き続けているとしたら許せるか。私なら許せない。一人しか殺していないからという理由で娑婆に出て来る。勿論殺される側に殺されるべく事も多いと思う。が、真っ当な人間が通り魔的に殺されたり猟奇的に殺されるのは許せない。又、保険金目当てで妻や夫を殺す。私は大した保険に入っていないので保険金目当ては大丈夫だ。積年の恨みは大いにあり得るが。

ある法律家が真面目に言った。(一)仇討ちを認める(場所は高田馬場にする。又は巌流島か鍵屋の辻。)(一)島起こしにもなるので、どこかの島でシメル。(一)暴力団に入れて徹底的にシメル(一)東大の応援団に入れる(もの凄く厳しい)この頃になると法律家先生はかなり酔いが回って来た。そこへある組の大幹部、いや、先生お久し振りで。おお〜と先生、その節はどうも。聞けばその人は、自分の組のケジメをビッシリつけて(暴力の極みをして)懲役八年を務めたとか。その時の担当の法律家でした。先生曰く、あの男は本当の男だ。ああいうのを一括りに暴力団と言うのは僕は反対だ。この頃、堅気の方がよっぽど悪党だからな。君、何かいい言葉考えろよ。正しい暴力団の言い方を。僕が特許を取ってやるよだって。もう先生はヘロヘロ、若い女の子の胸に顔を埋めてメロメロ。明日法廷があるけどシカトすっか、なんて言い始める始末でした。

その夜、帰りのタクシーの中で先生は運転手さんに手を出し、警察に保護されました。

暴力は最後の理性だったのでしょうか。次の日の法廷は果たして(?)ご想像にお任せします。

2009年12月7日月曜日

人間市場 ノーベル市篇

ノーベル賞を貰ったからって思い上がってはいけない。

科学者、研究者だからといって特権意識を持ってはいけない、そう思う。

科学者と大田区辺りで一人苦心を重ね発明、発見しているグリスまみれの社長とどう違う。


凄腕の職人や大工さんや庭師の人たちとどう違うと言いたい。国の予算、即ち税金を使っているのだから謙虚にならなければいけない。自民党の放漫経営で国は破産しているのだから。(私はどの政党にも属していない)確かに、科学は人類に貢献し、文明、文化を切り拓いて来た。

人間を月に立たせたり、歩きながら電話をかけられる様にしたり、宇宙から車を誘導出来る様にしたり、又、原爆や水爆を作ったりしてきた。人を生かすも殺すも、あらゆる便利も作って来た。だが、一方でこんな警告をしっかり心しなければいけない事がある。過日百歳で死んだ、フランスの社会人類学者、思想家のクロード・レヴィ=ストロースはこんな事を書いている。

「世界は人間無しで始まった。だから人間無しで終わるだろう」と。中国の言葉に「歴史は作った者によって滅ぼされる」とある。ならば、人間が作った文明、文化は人間によって滅ぶという事になる。


科学の予算が削減されそうだと聞きつけて、普段は犬猿の仲の大学の学長十人がひな壇に揃う。

五人のノーベル賞受賞者が揃う。その中の一人は口をわなわなと震わせ、削減した者は後世の歴史の法廷に立てるのか、などと怒った。ips細胞の研究者もノーベル賞を受けるかもしれない。

その研究は、死んだ細胞を再生させるという夢の様なものである。ひょっとすると人間は永遠に死ぬ事が出来なくなるかもしれない。自分と同じクローン人間が自分の隣に座るかもしれない。神の領域に迫るものである。

宇宙の先に何があるか。あったらどうなるのか、夢は尽きない。その功績は計り知れない。だからこそ私は言いたい。もし、あの席でこんな話し方をしたらどれだけ値打ちが上がっただろうと。

例えば「今日はみなさんお忙しいところお集まり頂き誠に恐縮。我々ノーベル賞受賞者と言っても、大変な税金の無駄遣い者。何しろ浮世離れした夢を追って居りますので、誠に経済はオンチであります。科学は人間の欲望みたいなものでお金がかかってしまいます。この度、政権交代により科学研究の予算が削減されると聞き、これは一大事と思いここにうち揃ってこんな高い所に座って居る訳です。研究はSEXみたいなもので途中で止める訳にはいきません。あっ、イカンイカン、失言です。お許し下さい」等と言えば、流石という事になったでしょう。


私が尊敬している立花隆氏まで、事業仕分けしている者は、バーバリアン(野蛮人)だ。日本は科学技術でしか生き残れない等と言った。がっくりです。やっぱり彼も東大出の限界だと思った。それじゃ、農業、商業、林業、漁業、工業、職人、民芸、大衆芸能なんて全滅してしまうのかと言いたい。彼等はどこかに学歴主義、権威主義、見下し主義の特権意識がある。どうせなら、「ガバッと金を寄こせば、ガバッと国を儲けさせっから、発明、発見は無駄遣いの結果じゃけん、ケチケチしてたらイカンぜよ。」と坂本龍馬的に言った方が余程スケールがあると思うのです。いい女を抱くには、金がかかるんじゃけんのぉ〜(これは広島弁でした)

元々研究なんてものは私財を投げ売っていたのです。体を張っていたのです。華岡清州の妻の心が必要なのです。野口英世の母の心が必要なのです。


ちなみに、銀座のクラブで一番スケベェなのは大学の教授です。それを連れて行くのが文部科学省の役人、天下り団体、重機械業メーカー、教育関連メーカー、薬品メーカー、医療費メーカー等の関連会社。又、芝白金で愛人を囲っているのもその人たちが断然多いと聞きました。いい身分なのです。


立花さん、病気してから鋭さ不足です。この前の月刊文藝春秋の小沢一郎研究も、あの田中角栄を追い込んだ、殺気も熱気もありませんでした。私にとって唯一のジャーナリストと思っていたのですから、他のマスコミと一緒に群れを組まないでください。

あんだけ怒った次の日に五人はがん首揃えて宇宙人総理大臣に表敬訪問最敬礼。なってねぇな、やっぱり学者は。喧嘩の仕方が全く判ってないと見下したのです。もっと矜持を持てと言いたい。もっと自分の金を使って銀座で飲みなさい。


私は、権威主義者は大嫌いです。真っ向勝負です。

追記として、クロード・レヴィ=ストロースは「野生の思考」の中でこう主張している。

野蛮の中にも思想があり、技術があり、人間的生き方の尺度もある。サベージ=バーバリアンを植物に置き換えると野性という意味になる。

ミシェル・トゥルニエは「フライデーあるいは太平洋の冥界」の中で、文明と野蛮とを共存させようとした。つまり、戦争を起こす人間、その最新技術を生んだ科学者たちも。南海の孤島で、一人山羊と戦い、それを殺し皮を剥ぎ、骨で楽器を作り風に音を生ませる人間。そのどちらも野蛮人という事かもしれない。

教授達よ、一度南海の孤島で一人暮らししてみるといい。ロビンソン・クルーソーの様に。立花さんも又、孤島に一人になった時、その日その日を食べて行くために野蛮人、つまりバーバリアンとなるだろう。科学者はもっと人間的に偉い人になって下さい。

ご無礼はお許しを。

2009年12月6日日曜日

人間市場 社説市篇

朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞、毎日読む度に社説の言葉使いが気になっている。
全てが命令調なのだ。
何々しろ、何々に目を向けろ、急げ、するな、示せ、動け、考えろ、しっかりしろ。
どこか、運動部の先生風だ。それじゃ書いている自分たちはというと、飲み、打つ、買う、くどく、最高給、ハイヤー、高級ワイン、高級バー、高級ホテル、ファーストクラスの特権階級。自分たちが命を張ってジャーナリストの矜持をもって、ノーブレス・オブリージュを全うしている人は一人もいない。
どっぷりと旧体制に浸かって来て、今なおそれを懐かしんでいる。何しろ大好きな料亭、あの子のいるクラブ、いかがわしい所大好きなのに。お土産とお小遣いが貰えない。命令調は少し脅し入れりゃ、少しは出すだろみたいな感覚だ。

朝日新聞に早野透というコラムニストがいる。日刊スポーツに「政治の時間」というコラムを日曜日の朝刊に載せる。読むともう、笑笑とか和民当たりで一杯機嫌で書いている感じ。いつも問題を提起しつつも、じゃあんたはジャーナリストとしてどう行動すんのよ。書きたい事あればまず朝日を退社してからにしろよと言いたい。
お宅の会社の社内戦争は、まるで仁義なき戦いじゃないの。

何で朝日は部数減に歯止めがかからないのか、どっぷり赤字体質になったのは何故か、紙面の作り方がへたくそになったのは何故か、取材写真が下手になったのは何故か(読売の方が全然上手い)。それを総括してから記事を書けと言いたい。

かつて好きだった、星浩さんも田原総一郎辺りに仕切られちゃったりして。
がっかりしてる。どんどん体制的、批評家調になってしまった。
まず、自分たちを見ろ、そう命令したい。金払って読んでいるんだから。庶民感覚から一番離れているのが、大マスコミの記者たち。勉強しない人たち、頭の悪い人たち、全然行動しない人たち、酒と女と噂話の好きな人たち。

君たちに命令する権利はない。文句あったら言って来て下さい。待ってます。

2009年12月5日土曜日

人間市場 坊主市篇

銀行とか、証券、いわゆる金融業。実態は金貸し業。その基は実はお寺の坊主だった。

時は室町時代、堺に大徳寺とか海会寺という寺がある。
この頃、寺はとんでもない事をしていた。堺の商人から安い金利で金を借り、将軍家や朝廷に金を貸す。それで得た利益で、海外貿易に投資。
又、勘合という将軍家のお墨付きをもらい、明との貿易で莫大な金を掴んだ。
それは大阪城夏の陣で焼失するまで続いた。火薬の素になる硫黄や刀剣、漆などの工芸品を明へ送った。特に硫黄は利益の主役だった。
なんの事は無い。将軍より天皇家より上に金貸しの坊主がいたと言っていい。
その坊主の親玉の名は取龍(しりゅう)という。
この坊主の作ったシステムが現在の金融業、金貸し業のモデルケースとなっている。預金をもらう時は、45度の角度で揉み手をして、金を返せの段になると、そっくり返る。鬼と化す。長い友人が自己破産をした。その時の銀行は正に鬼であったという。

さんざん利子を取っておいて、いざとなると、ハイここまでで万歳しましょう。で、残っていたローンの家を召し上げだ。


何でこんな事を書くかというと、私は、坊主大嫌い。ある事で坊主を呼ぶか呼ばないかという事となった。当然私は反対。坊主無用を主張した。


私の知っている鎌倉の高僧はカラオケ狂い。新宿の坊主は、博打狂い。青山の坊主は、フィリピンバー狂い。魚藍坂の坊主はSM狂い。坊主憎りゃ袈裟まで憎い、だが民主主義は多数決。私の主張は坊主に関してのみ却下されました。
坊主を見たら金貸しと思ってもいいですよ。近頃は少々焦げ付きが多くて泣きが入っています。坊主丸儲けとはいかないのです。ザマーミロです。
先日、火葬場で煙草を吸いながら真っ赤な携帯電話で、何やら遊びの話をしてました。オイッ、坊主、お前も焼いちゃうぞって言ったら、アチャなんて坊主頭を叩きました。


皆さん、坊主は叩けば叩く程、値段が下がります。

そうそう、鎌倉の高僧の持ち歌の一つが「骨まで愛して」でした。小町通りの中程のカラオケバーによく居るそうです。

2009年12月4日金曜日

人間市場 コシノ市篇

この際ハッキリ言います。不美人ほどファッションの世界では活躍します。

ご存知、コシノファミリー。母、小篠綾子、弘子、順子、美智子と文字で書くとかなり美人家族を想像するでしょう。しかし、想像を超えたそうでない親子なんですね。四人揃うと小さな子供は泣き出したり(?)引きつけたり(?)ある子は登校拒否になったりします(?)暗闇からヌ〜っと出ると死ぬ人もいます(?)ルーツを訪ねるとそれはもう、日本不美人史です。恐いです。凄いです。私の三人の姉といい勝負です。

今年の初め、谷崎潤一郎の「細雪」を読みました。こちらの四姉妹はきっと鏑木清方や伊東深水が描く様な美人だったのでしょうね。かなり長い小説でしたが、絶品の文章心地よい読後感でした。


ちょっとある事で、コシノ家のファッションを調べました。色、ライン、カット、プライス。結構、中々なんです。あの鳩山幸さんもご愛用、四人が海外でショーをやっているDVDも見ました。絶句。でかい、厚い、太い、ズングリ、もう一歩で天童よしみに重なります。青山骨董通りにある友人がいる会社の一階にヒロココシノのブティックがあります。

おっ、このセルリアンブルーのジャケットいいジャン。これ着て似合う女性はかなりの美人じゃないと駄目だな。値段は十一万八千円(確か?)か(別に買いませんでした)。コバルトブルー、ヴィリジアンブルーの使い方とグレーの組み合わせはいいなと言いながらも、あの顔と顔と顔が私を襲って来ました。かなりブルーな恐怖です。

刺青を織り込んだ様など派手のセーターを着た親分、いや若頭、いや幹部風のお兄さんが、お前あのブルー良いじゃねぇか、ヨォ、どうだい、なんて金の指輪だらけの手でウィンドを叩いてました。全然似合いそうもない女性でした。待ち人が着たのでその後どうなったかは判りません。


ちなみにコシノ家の様な顔は学術的に言うと、遥か数万年前アフリカ大陸で猿から進化して生まれた人間が、アフリカ系、ヨーロッパ系、アジア系に分かれました。アジア系は主食マンモスを求めシベリアの大地に向いました。極寒の地で人間は進化しました。凍傷から身を守るため、手足は短く体はずんぐりとなり、目尻は細く唇は太く厚く、口は固いマンモスの肉を噛むために大きくなり、下顎は力強くなりました。と、まぁコシノ家は正当なアジア人と言う訳です。どんどん優秀な人間を残して欲しいと思うのです。私も人の事を言える様な姿形ではありません。正しいアジア系です。

紫式部なんかもの凄いアジア系であったという学説があります。美人へのコンプレックスがあの王朝絵巻を生んだのです。


もっとも学説は当てになりません。誰も本人に会っていませんから。

2009年12月3日木曜日

人間市場 椿市篇

私の家に坪庭がある。(二坪位)

実生(みしょう)、椿の実が落ちそこから新しい椿の木が生まれる事を言う。と長いお付き合いの庭師のおじさんから教わった。数木ある寒椿が咲き始めて目を和ましてくれる。椿は別名、首切り花とも言う。ポツンと落ちるからだろう。一木の牡丹がある。一年毎に、二輪見事に咲く。牡丹は崩れ花。バサッと崩れ落ちる。二本の梅の木がある。二十年前母が家に来た時、一緒に植木屋さんに行って買ってくれた。親指ほどの太さだったが今では立派な梅の木になり、美しく花を咲かせ、又、たくさんの梅の実をつける。毎年それで梅酒を作る。家ではおばあちゃんの梅の木と言っている。梅は飛ぶと言う。菅原道真の東風(こち)吹かば匂いをこせよ梅の花、から来たのだろう。春風と共に花は飛び去る。

一本桜の木を植えたいと庭師のおじさんに言ったら、家に桜は縁起が悪い、桜は散るからだと言う。お城や学校や公園や川べりなんかに植える木だと言われた。


二年前友人夫婦と吉野の山桜を観に行った。少し季節を逃していたが、それはそれで風情があった。坂口安吾の「桜の花の満開の下」を読んだ事があったので、ぜひ観たかった。薄曇りがかえって、夢幻の世界を生んでいた。同じ桜が咲き誇るではなく、一本一本がそれぞれ個性的な色香を出し、それが西行の詠んだ歌の見事を証明する。小説では確か、吉野の桜の下を通ると人間の気が狂うと書いてあったと思う。篠田正浩監督で映画化され、主役は都の女性が岩下志麻、山賊が若山富三郎であった。その舞台となった寺があり、実にいい。特に壁画がいい。その庭にある桜の木が又、いい。能の世界がこの寺にある。闇があり、滅びがあり、秘があり、密があり、血の臭いがある。これ程光が似合わない寺も少ない。


更に山の上には、誠に小さな一つの庵がある。吹きさらしの佇まいである。畳にすると二畳程であろうか、西行がここに二年ほど住んでいた。西行庵という。そこから吉野の山々、木々の変化を目に憶えさせ旅に出た。命を懸けて想う一人の女性の為に。一度ぜひお勧めしたい。


さて話を実生に戻す。私の命も親が落とした一つの命である。親木の様になるには私はいささか劣等である。私の実生たちが立派に育っているのが救いである。

2009年12月2日水曜日

人間市場 孫市篇その2

愛する孫が少年野球のチームに入った。小学1年生である。

日曜日の朝から昼まで、又は午後1時から4時まで練習したり、試合形式をする。孫は一番チビである。熱心な大人が監督、コーチをする。優しい人たちだ。当番のお母さんたちがおにぎりや、お茶を用意している。1軍、2軍、合わせて40人位いる。

若かりし頃、私の家の前の公園で息子に野球を教え始めた。もっと、もっと、もっと、とせがまれた。上から投げると打てないので、下からボールをトスした。

おっ、なんだあの黒い固まりは、と思った。丁度、中位の火針位の大きさだ。何だろうと見ていると、その中からポコッと白いボールが出るではないか。丁度私が息子にトスした様に、ポコッ、ポコッと3メートル位先から打者に向かって山なりのボールが出る(投げるのではない)。孫たちは、それを打って走る。いいぞ、いいぞと監督さん、空振りしても、いいぞ、いいぞとコーチさん。ホメまくる。決して怒らないのだ。息子から、余計な事言わないでよと言われていたけど言うまでもない。良い教え方だ。私としては、ただ応援して手を叩くだけだ。その昔、息子を少年野球に入れるかと見学に行った時、あんまり細々注意ばかりし、怒ってばかりいる監督やコーチを見て、オイッ、コラァー、ボールの握り方、バットの持ち方、ちゃんと教えてんのか、何で子供にバントなんかさせんだ。いちいちサインなんか出すな、スクイズなんてやるな、と言った事を思い出した。思えば若かったんです。

で、息子は入れませんでした。体が小さいので、肘や肩を壊させたくなかったのです。中学から野球を始めた息子は、朝練、猛練、熱練、激練を休む事なく頑張り通し、2番、2塁のレギュラーとなり、22年ぶりに優勝しました。体調を壊していた私も、10日間応援しました。ダイクマで200ミリ望遠レンズ付き一眼レフを買いました。

今では息子が、息子の息子に野球を教えているのです。私、グランパはトスの機械になっています。孫からちゃんと投げろと叱られます。

2009年12月1日火曜日

人間市場 ジム市篇

丸まる太った女性、まるで黒い大木。乱れ髪から汗が吹出る中年女性。鉛筆の様に細く折れそうな女性。口が浅利の様に開く女性。右手をぶらぶらさせる女性。花柄のフリルをいつも着ている女性。マットの上で絞め技をやっている女性、等々。この女性たちは、私が通っているスポーツジムで日々いい汗を(?)流している女性。

重量挙げ、ランニング、ウォーキング、自転車漕ぎ、ペダル踏み、レスリング、ボクシング、バレー、格闘技、エアロビクスなんかをガラス越しに見るともういけません。

鰺、秋刀魚、馬面(カワハギ)、辰の落とし子、鯨、たらば蟹、マンボウ、まるで江ノ島水族館の如し。

中、高年の女性がハイノ、ハイノ、ハイノ、ハイノ、ハイ。恐いですね。凄いですね。

ジムに通う事15年。未だかつて一人もいい女性、ああ、あの女性来てっかな、という女性に会った事無し。つまんねぇのばっかり。

今度は気持ち悪い程日灼けしたおっさん。とんでもなくでっかい掟破りの巨根の兄ちゃん(ちゃんと隠せよ)。洗濯用具を持ってくるおじさん。気が狂った様に走り続けるメガネの会社員(だと思う)。走り終わった後、馬鹿丁寧に器具を拭く肩に刺青入りのお兄さん。携帯を掛けながら自転車漕いで叱られた入門者。

その人たちのあだ名を付けていこう。楽しいな人間は(?)。

時速6kmで1時間。シャドーボクシング3ラウンド、サンドバッグを2ラウンド。これが、私。誰かに見られている気がすんな。あだ名を付けられてんだろうな。

おっと、杉山愛ちゃんがやってきました。グレートムタがジャグジーに沈んでました。一緒に入りました。