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2011年8月30日火曜日

「デリバリー、バリバリ」

先日五反田で日本最大といわれるデリヘル嬢の斡旋会社がアウトになった。

デリヘル嬢の登録数はなんと1800人とか。その中心はOL、女子大生、主婦などが多数占めていたらしい。


つまりあなたの目の前にいる教授、先生、坊主、判事、弁護士、政治家、上司、同僚、友人、先輩、後輩、医師、官史、部長、課長、係長、店長、社長、会長、隣人、検事、刑事、自治会長、PTA会長、教育者、小説家、新聞記者、デザイナー等のカタカナ職業、異常者、変態とありとあらゆる人々が利用していたのだ。

その逆にあの女性もあの奥さんもあの女子大生もまさかと思っていたあの方もデリヘル嬢だったなんて凄い事になってしまった。



デリバリーサービスはドミノピザとか釜飯とか寿司とかと思っていたがデリヘルとは家に行ったりマンションやアパートだけでなくその場でいけない事をしていたらしい(いい事かもしれない?)


一万円が欲しい、二万円がいや五万、いやいや十万二十万揃いであのブランドが欲しい。しつこい恋人と別れたい。

海外旅行に行きたい。ミルク代が養育費が学校が月謝が生活費が。ダンナガリストラされてサラ金に追われている。

などなど1800人分だけ訳がある。


いいじゃない、したい男とそれを満たして稼ぐ女性達。

例えばヒモみたいな男や酒ばかり飲んで何もしない亭主、そのくせしつこく求めるただのりの乗客、その方が余程タチが悪い気がする。ま、斡旋屋が中抜きしてどえらい稼ぎをしているのは許せない。なんだかよく分からなくなってしまった。

いいんじゃないのと、とんでもない。駄目だよがギッタンバッコンしてしまった。


知り合いのある小企業の経営者は奥さんを癌で失い、二度目の奥さんも癌で失った。子はなく、ヤル気を失って会社は傾いてそして終わり。周りにいた取り巻きはみんな離れていってしまった。そんな時に社長を勇気づけ励まし続けてくれたのは一人の体を張って生きている美しい女性だった。社長は通い詰め傷ついた心を癒してもらった。


聞く度に純愛の様でありそしてやがて本当の愛となりグアム島で二人だけの結婚式を挙げた。

グアム島ではあまりの若くて美しい花嫁といくつ離れているか分からない小柄でか細い夫とのギャップに話題が集中したという。私はこういう話がとても好きなのである。本当の結婚とはお互いの足らない部分を補い合うのだ。職業なんか関係ない。

高学歴同士や家柄の高い同士、高収入の夫婦の方が圧倒的に離婚が多いのにはその理由があるのです。


街を歩いていて一年に一度も美男美女のカップルに出会う事はない(それ故自分にもチャンスがと思ったりする)

特に外国人と日本女性のカップルで美人に出会った事は今まで一度もない。おにぎりひとつ三角形に握れない、パンにハムを挟むだけのサンドイッチも作れないゴーマンな女性に未来はない。あるのはデリヘルに登録する事くらいだろう。

話は飛躍してしまった。

2011年8月29日月曜日

「狢そば知ってる」





ある年、酔っ払ったおじさんがワンワン吠える犬を噛んだというニュースを読んだ事がある。

確か地方のどこかだった。


犬が人を噛むという事は日常的な話だがおじさんは余程いい酒か、あるいわ悪い酒を飲んだかやおら四つ足と化しガブッとやったらしい。キャイーン、キャイーン意気地無しの犬は泣きを入れたらしい。


過日、岐阜県美濃市の公園で体長70㎝の「鹿(メス五歳)」が頭から血を流して倒れており間もなく死んだ。

警察は器物破損容疑で調べているという。何で「鹿」が“器物”になるのか分からない。「鹿」は動物と決まっているのに。


調べによると、水飲み用鍋(直径56㎝)の裏側に血痕が付着していたらしい。

何者かが夜間に柵を越えて侵入し、鍋で「鹿」を殴ったのだろう。可哀相に「鹿」は人間が近づくとシカトする事が出来なく身がすくんでしまい抵抗できなくなるらしい。何たる弱い者イジメではないかい。


まるでか弱き女性が騒ぐとこの鍋で頭をカチワルぞ、静かにしろいなんていって脅したら相手の女性がミッツマングローブみたいで抵抗されずに逆に脅されてしまった。焦った男は持っていた鍋でこれでもかとひたすら頭を殴った。

ミッツマングローブかと思った「メス鹿」は出血大量とショック死であった。


サルの小屋やウサギ小屋に花火などを投げ入れる事も多いという。全く情けない話だ。

きっと動物嫌いの中年男か受験に失敗した学生か就活にうまくいかない男あたりの仕業だろう。

こういう奴はとっ捕まえて一生四つんばいになって鹿達と生活させるとか、一生ウサギ小屋で飛び上がり続けるとか、一生サルの小屋で木の上で生活させる刑を直ぐに作らないといけない。



オットトット、この近所で奥さんから受ける暴力に耐えきれなくなって近所の神社のやや大きめの小鳥小屋に逃げ込んで出て来ない男や「タヌキ」や「キツネ」の小屋に逃げ込んだおじさんもいるという。

タヌキは冷やしタヌキになってしまい、キツネは冷やしキツネに姿を変えたと言うではないかいな。



先日赤坂TBSのところから乃木坂に向かっていった処に長寿庵があった。

スタジオに入るにはまだ時間がある。で、遅い昼食をとなった。そこに一枚の白い紙の短冊の品書きが扇風機の風でゆらゆら筆文字でおすすめ「狢そば」とあった。狢はムジナと読む。あの同じ穴のムジナのムジナだ。

好奇心の強い私はかなり太った店の男に「狢そばってどんなのだい」と聞いた。若いバイトの女の子二人がキョロと私を見た。


いや〜私もよく分かんないですがね、おじいちゃんがいうには狢そばはずっと歴史があって、なんでもキツネとタヌキの揚げ玉カスがサラの上で化かし合うみたいな感じでしょうか。



有能な私のデスクの女性は手持ちの何やらで直ぐ調べてくれました。あります、狢そばと教えてくれた。

何だか暴力妻から逃げおせた男の変わり果てた安らかなそばに見えた。


しかし私らが食べたのは「鴨せいろ」。

店員は外で鉄柵に腰かえ一服していた。今度狢そば食べに来るからなと言ったら、ヘイお待ちしてやすと言っていたのだ。

一度是非食べて見て下さい。同じ穴のムジナになりましょう。

2011年8月26日金曜日

「貪と貧」


貧、貧、貧という一文字を巨大に書いた書道家がいます。

名は「井上有一」大巨匠です。天上まである位の大きな一文字です。

体育館みたいなところでぶっとい筆をバケツに入った墨の中に入れ、オリャーと書くのです。


「貧(ヒン)」は貧しいヒン。とても似ている文字が「貪(ドン)」貪欲の意味のドンです。


貪欲に生きた人間はその末路は皆哀れです。古今の歴史が証明しています。

金銭に貪欲、権力に貪欲、性欲に貪欲などです。金銭の代表サラ金王武富士は哀れでした。権力に貪欲な菅直人の先輩達、近頃では森喜郎元総理大臣も長男を○×で失い哀れでした。


性欲に貪欲な人は腹上死が多いので書けません。このケースの場合見た目は哀れですが本人は本望やもしれません。ホテルに勤めていた人間に聞くと多いそうです。ホテルマンは三日やったら辞められない程おもしろい。何しろとんでもない事を知れるし、チップが貰えると。


私は「貪」より「貧」の方が理想です。金まみれより永井荷風先生の様に一人新聞紙といろんなゴチャゴチャの中に住みたいですね。最も荷風先生は預金をゴッソリ持っており、預金通帳は大事に持っていた様です。

近所の大黒屋というそば屋さんに昼過ぎ毎日生き、必ず「かつ丼」を食べていたのです(かなり贅沢かも)。その大黒屋にある時友人と二人で行ったが、かつ丼は全然美味しくなかった。期待裏切り度100%だった。先生が食べている頃はきっと美味しかったのだろう。今は刺身も寿司も、色々なメニューがあった。


司馬遼太郎大先生は機能不全(人間ならインポテンツ)になった組織は「電池が切れてスイッチを入れてもつかなくなった懐中電灯と同じ」といっていた。正に今の日本の状況と同じだろう。

乾電池式が「菅電池式」になった後まったく先が見えない民主党懐中電灯だ。


みんなでホカ弁食べて人の足を引っ張って裏切り合って、家に帰って気の強いカアチャンにもっとあたしに美味しい物を食べさせなさい、そうじゃないと別れるわよと尻を叩かれ続けやっと掴んだ美味美食生活。寿司、中華、イタリアンを一晩ではしごするなど当たり前となるともうホカ弁生活に戻れない。自称市民派、いっそ毎日カイワレで行けばいいのだが。そして来週カイワレの後釜が決まる。この国の政治はずーっと島国政治を続ける。


司馬先生は日本は農耕民族だから根回しの裏技、寝技を使い何事も大した事はないと過ごして来たのだ。日本陸軍はこの見本、一方狩猟民族は年齢や経歴に関係なく、現時点で最も能力のある人間を選ぶ。大した事はないなどと呑気な事をいっている間に全滅してしまう。

それ故危険察知能力に優れ、解決する力が求められる。日本政府の発表が大本営の発表と同じといわれる所以だ。



夏になるとドキュメント番組がNHKから流れる、毎年毎年。

知られざる真実とかいってずっと隠していた情報が知らされる。ある映像シーンに「欲しがりません勝つまでは」というスローガンがあっちこっちに貼ってある。「貪欲は敵だ」なんていうものもあった。


戦後ダイアモンドとイモとかカボチャとが等価交換された。国宝級の絵画や陶芸品、掛け軸などがお米一升位と等価交換されたのだ。自分の妻とヤギ一頭とを等価交換したのだ。勿論娘も。

「貪と貧」とは似ている様でかなりの違いがある。貧乏でも明るく楽しい生き方を目指すか、人を踏み続けても貪欲に生きて行くか。いま「自分達の先」を考える時に来ていると思う。


鈴木清順監督48歳差婚ブラボー、加藤茶が45歳差婚、やるでないかい。

堺正章再々婚、やるじゃないかマチャアキ。

人間「ソッチとアッチ」に貪欲なうちは大丈夫だ。


そうそう「貧」で思い出した事を一つ。

清貧を第一に日々精進しないといけないお坊さん達が休みの日何をしているかというインタビューです。第一位、ギャンブル。競馬、パチスロ、デイトレードの順でした。何の為にといえば勿論女性と遊ぶためなのです。人間的ではないですか。釣り道具を買いたいという人もいました。何を釣るかはわかりません。

2011年8月25日木曜日

「鑑定の結果NOです。AさんからBさんへは」


アカデミー賞受賞作、ハリウッド映画の金字塔「ゴッドファーザー」のファーストシーンを思い出してほしい(見た人は)。

ボスの娘の結婚式を屋外で行っている時、ボスの部屋では一人の歌手(シナトラがモデルといわれている)がある映画の主役をやりたいが大物プロデューサーが出演させてくれないと泣きつく。

一人で葬儀店を経営している男が娘を犯した男に復讐してほしいと頼む。ボスは次々と指示を出し願いを叶えてやるのだ。


但し、いつか私に頼む事が出来たらその時今日の事を思い出してくれという。

後日葬儀屋はボスの長男が機関銃で顔の形も変わった時、顔をキレイにして恩を返す。



島田紳助が芸能界を電撃引退した。私は任侠の世界(暴力団、ヤクザ者含む)を一方的に否定するものではない。

かつては侠客、博徒、的屋、渡世人といわれた。島田紳助はしゃべくりMCとしては希有の存在であったがこの頃は度を越した言葉を発していた。驕り高ぶりであり、オレのバックはわかってんのんかと凄んだという(コレをカタリといって筋者は後々メシの種にする)世の中はキレイ事だけでは進めない。


明治維新の時、駿河湾に浮かんだ夥しい数の戦死者を清水次郎長に頼んだ。

又、江戸がもし火の海となった時力を貸してほしいと勝海舟は新門辰五郎に頼んだ。

最近では阪神淡路大震災の時の政府は広域暴力団に協力を頼んだ。

月刊文藝春秋九月号で堺屋太一氏は震災復興はオールジャパンでないとできない、その中にはその筋の協力も必要だと思われる発言を稲盛和夫氏との対談で話している。


市川海老蔵の事件もその筋が大きく動いているといわれる、そうでないといつまでも市川海老蔵は舞台に上がれていないだろう。何故人々はヤクザ映画を列を成して見るのか、何故「仁義なき戦い」は名作といわれ続けているか。

高倉健の「唐獅子牡丹」をオールナイトで見て拍手を送ったか。


それはそこに自分達の代弁や自分をメタファーした世界があったからだろう。今すぐに何の方策もなく彼等を除くとしたら。大相撲、スポーツイベント、コンサート、日本中の祭り、○○界、△□界、○△界、界と名の付く世界はほとんどその世界が成立しなくなるだろう。警察や検察も同じだ、司法取引を法制化しようとしている位だから。


吉本興業の台頭を好ましくない対抗勢力も多い。

吉本の中もグチャグチャにモメている。実力者中田カウスなどはこの間まで会長室より大きい部屋にデーンと構えていたという。今回の島田紳助の件でインタビューを受けた時ニヤリと笑って「おつかれさんでした」といったとういう。


桂三枝は大名跡文枝の襲名を控えている。

笑福亭仁鶴や桂文珍、西川きよしたち真っ当なほとんどの芸人達は実はホッとしている筈だ。

既に島田紳助の後釜は東野幸治だ、今田耕司だあいつだ、いやオレだ、オレだと心を躍らされているのだ。

島田紳助は過ぎたるは及ばざるが如しであった。一ヶ月もすればもう忘れ去られるだろう。

財産のほとんどは違約金に持っていかれるだろう。更にもっと酷い話があるかもしれない。


かつて組織暴力団壊滅作戦というのがあった。頂上作戦、次々と解散した。

山口組三代目はこういったと伝えられる。解散は簡単だがいま自分が押さえている暴発しそうな人間達を世の中に出したら誰がどう面倒を見てやってくれるんだと。


マスコミは正義ぶっているけど自分達も筆の暴力や情報の暴力で何人の命を奪ったかを猛省しないといけない。

困った時には訂正して後はゴメンナサイ、ハイサヨナラという訳にはいかない。

まず政府、警察と新聞社、テレビ局、雑誌社も身を正して欲しい。毎晩アチコチで飲み歩いているのだからマル暴関係と。

世の中が大岡裁きをしなければいよいよイケナイ事となった。

2011年8月24日水曜日

「生と詞の果て」



“山中明”決して“山中湖”ではない。ジョー山中の本名だ。

名は体を現すというがジョー山中と山中明ほどイメージの違いが大きい人も少なかったと思う。



猛暑の中、元ボクサーのR&Bの魂は逝った。

彼が歌った人間の証明という大ヒットした映画の主題歌。あの歌の世界も夏であった。

西條八十の詞は盲目の宿命を背負った人々にも夏空の中の麦わら帽子がゆらゆらと白い蝶々の様に谷底に落ちていくシーンが連想されるだろう。ママ、アイリメンバー日本国中がジョー山中の存在に手を合わせ拝んだのだ。


丁度協会の十字架の前で跪き、過去を懺悔して許しを請うその姿だ。

ゴスペルの絶晶とは違うR&B。あの時のジョー山中はシーザイスクライストスーパースターであった。


牢獄で足を鎖に繋がれた奴隷が何で自分の肌の色は黒いんだ、流す血は赤いのに何でこんな自分を生んだんだ。

ママ何故なんだ、ママも何故肌の色が黒かったんだ。パパは誰だったんだんだ。レイ・チャールズはアイキャンストップラビングユウ『愛さずにはいられない』でR&Bの存在を日本に広めた。


ジョー山中を私は直接知らない、しかし彼の生き様はよく知っている。

それは麻薬という二文字に彼が支配されていた事を知ったからだ。かつてミュージシャンやシンガーは麻薬をして一人前といわれた。普通では出せない音に会える、出せない声に会えるそんな気がしたのだろう。


安い報酬、ハードなスケジュール、沈んだら二度と浮かぶ事の出来ない不安と恐怖の中、そうそれはまるで牢獄の中から引きずり出された虫けらのように死を与えられる恐怖の姿なのだ。人間だって動物であるから逃亡してもいい筈だ。


ライオンに追われるシマウマの様に、トラに追われるヌーの様に、ピューマに追われる子象の様に。

だがしかしこの世という野性動物園では逃亡は許されない。金を得た強者は弱者に対してでも牙を剥きだし襲いかかり、本能のままおいしいとこだけを貪り食べ尽くす。その後にはハゲタカやハイエナが群がり骨までかみ砕く。


人間の証明とは、人間の条件とは、宿命とは、運命とは、生と死とは、勝者と敗者とは。でも例え一本の骨になっても人間は人間を骨まで愛さずにはいられない私の大好きなR&Bがすっかり拝金主義のハゲタカの群れに消えて久しかったが、ジョー山中こと山中明氏の死によって甦った。


いま西條八十の詞を読み直し、ひたすら感服している。

この詞こそ人間の証明だ。人間以外の動物には詞を書く事は出来ない。リズムとはブルースなんだ。



話はR&Bと違うが私は「なかにし礼」の詞が大好きである。シャンソン&演歌&ブルースみたいなのがいい。

中でも北原ミレイの「懺悔の値打ちもないけれど」が一番だ。


私の人生にこれ程ピッタリのフレーズはないからだ。罪深き我が身をお許し下され、ご迷惑をお掛けした人々よ。

人からよく言われます。あなたはいろんないい人に恵まれて羨ましいと。

しかし恵まれているといわれる程の孤独感はないのです。


一人ぽっちなんですよ、人に背後を見せられない、敗北の姿も見せられない、苦悩する姿も見せられない。

勿論涙も見せられない、逃亡は許されない。深夜三時二分十二秒、ひとりぽっちで眠れぬ夜の恐怖の中に居るのです。

だから誰かを何かを愛さずにはいられない。

「愛」は私にとって生と死を繋ぐ酸素ボンベなのです。外した瞬間無間地獄へと引き落とされるのです。

逃亡者になれない追跡者になるのだ。少し眠り薬&アルコールが効いてきたようです。夜明けまではまだまだ長い。

2011年8月23日火曜日

「ジャージーとお尻の割れ目」



たった一人のチャイナヒゲの中国人料理人が、顔は笑いながらも飛び散るナスやキャベツや八宝菜で火傷しつつ限界に挑戦している夜だった。そこはまるでかつての料理番組、料理の鉄人を一人だけでやっている厨房だった。


八月十三日、娘たち息子たちそして五人の孫たち十一人(一人は四ヶ月の赤ちゃん)と老林という中華店に行った。

凄く美味しいのに場所が離れている上、駐車場に三台しか停められなく、いつもはよくて三分の一位の入客であった。

お盆休み、まあもしかしたらと思い一応予約しておくかと息子が六時半にと予約を入れた。四時頃に電話した。


で、六時半に店に行くと何やら人がたくさんいるではないか、階段を上がり二階に行くとお客さんは大盛りで溢れているではないか。六人から十人座れる長方形のテーブル十台がギッシリ。

入口のキャッシャーの前に短パンにTシャツの眼鏡を掛けた萩本欽一さん風のおじさん(60歳位)、その奥さんらしき人、娘小学四、五年生位一人、それとゲストだろうかトンガ人みたいなでっかい男とその妻風、やはり小学生位の男の子一人と女の子二人がまだかまだかと待っている。他に三人組と四人組どうやら予約を入れたのだが店がミスをしたらしい。


そこへ私達一行が入ってきて奥の十人掛けに直行した。

フロアには中年太りの五十五歳位のおばさん(石井ふくこ風)と黒いトレーナーが動き回ってお尻の割れ目が出てしまっている四十五歳位の日本人女性(現代の山本リンダ風)、もう汗びっしょり、あんまり役に立っていない子豚の様な二十五歳位の日本人(ピンクの電話の太い方風)座っているお客は、もうこれもこないあれもこないのシュプレヒコール。


我々の隣には中年の女性四人と全員アロハの男性六人。やはり今か今かと目が血走っている。

な、なんでなんだ、オ、オ、オレはナ、ナ、ナカダなんであっちの人間が先に座ったんだと凄い怒声。

石井ふくこ風がノートをめくり確認する。予約入ってませんが、何、何いってんだオレが電話したんだバカヤローふざけんなとなった。


そこへ厨房から大ブタの様な三十くらいの男(松村邦洋風)、耳に変なピアス、手には野菜の束を持っている。

オイ、生ビールまだ?すいませーん、ピータン、ザーサイ、焼きそばマダァ?青菜チャーハン、回鍋肉、鉄板餃子、小包、五目おじや、カタ焼きそば、麻婆豆腐、紹興酒、白ワイン、焼酎ロック、シーフードビーフン、ダック巻き、酢豚、八宝菜炒めマダァ〜?マダァ〜?マダァ〜?と隣の男女。出っ歯で出しゃばり、仕切女(泉ピン子風で酔っ払っている)陽灼けした色黒の女たち、まあよく頼んだ事。オーダーしたメモを読み上げる。


入口ではもういいバカヤロー、二度と来るかとトンガの家族を連れて出て行く萩本欽一さん風泣き声になっていた。

こうなると愚妻や娘、息子が私が隣に向かってウルセイババァ静かにしろという事当然状態となり高校野球の話など持ち出して私の気を紛らわす。孫の手前がありじっとこらえる。仕方なく自分で頼んだ生ビールを入口の方に取りに行った。


周りはアロハにジーンズ、ビーチサンダルの人相のはなはだ悪い男が一気に厨房に向かったので固唾を飲んでスワッいよいよかと視線が集まった。厨房の中では料理人が中華鍋で大量のチャーハンを作って手で少しつまんで味見をした。

そして私と目と目が合った。汗びっしょりの顔で笑いながら「イッツモアリガトウゴゼイマス、キョウハオキャクサンタクサンウレシイノコトヨ」みたいに言った、ずっと昔他の店に居た時からの顔見知りだった。


料理人四人が放射能が恐いと言って帰国したまま戻って来ないのだ。

「燕」さんといった。スイマセーン子供がお腹空いたって泣いているんですけど早くシテヨォーと大声がした。黒いジャージーの女性のお尻の割れ目が更にクッキリとしてきた、一人で店内を走り回った。ますますゴムが緩んでしまったようだ。我々が料理を口に出来たのは八時十分であった。孫たち五人は寝てしまっていた。みんな待ちくたびれて食欲を失っていた。


隣ではウルセイ、ダセイ、胃袋みたいな女共がよくまあ食べるものだと感心する程食べまくり、飲みまくり、ダベりまくり、笑いまくっていた。その後どんな寸劇が起きたか私とは思えないお盆休みの始まりであった。


ご想像におまかせします。湘南鉄砲通り始まって以来の事が起きたのです。

主犯は決して私とは限りません。

2011年8月22日月曜日

「洗濯物注意報」



「時間ですよ」と「痴漢ですよ」の違いを長い人生の間ずっと疑問に思ってきた。

久世光彦演出、森光子主演の大人気ドラマがあった。劇中必ず女性の入浴シーンがある。

私は女性の全裸の姿を見る趣味はないが、銭湯に行く習慣はあった。


ドラマの主人公の商いは銭湯であるからして当然入浴シーンがあってよいのだが、番台に船越英一郎が座って女性のオールヌードをずっと見ていても全く「痴漢ですよ」にはならない。

又、女性達も番台にどんな男性、例えば2代目のお兄さんとか、いかにも助平そうなおじさんとかが座っていても一つの物体にしか見ないし気にしない。


銭湯の番台に座っていた主人が痴漢でパクられたという話は聞いた事がない。

しかし番台の横から左とん平かなんかがお金を払いながらチラッと見ると「痴漢ですよ」となってしまいお巡りさんなんかにこっぴどく叱られる。女性の心理とは分からない。


後輩の家が東京の井荻という処で銭湯を経営していた。お前の変わりに一度座らせろと命じたらそれだけは勘弁してくださいと泣きを入れられた。


もう一つ分からないのが「水着」と「下着」の境界線だ。

下着ドロボーなんていうのが近代史の中で誠に多い。最近流行っているのは女性を脅して何と下着を脱がしそれを持って逃亡する。捕まえると、教師、自衛官、警察官が上位に位置する。


家の近所の海岸を歩いているともう露出狂みたいな水着とも紐とも区別のつかない女性達が多い、しかも日焼けをするためにほとんど外している。

ずっと立ち止まって見ていると怪しい奴と思われるので横目チラリズムである。


ビキニの水着とブラジャーとパンティの犯罪的差異はどこにあるのかと思ってしまう。

洋服の下につけているから下着なのだろうが両方の形は全く同じなのだ。むしろ水着の方が年々際どくなっている気がする。もし水着を洋服の下に付ける「水着下着」という事なのだろう。


なんだか長引く残暑で頭の中が「水」と「下」の区別もつかなくなってしまった。

一人の下着ドロボーが警察にパクられた、その数なんと3000着。中には水着も沢山あった様だが警察も区別が付かないので途中で諦めたとか。Tバックみたいな水着も多いからだ。


そのドロボーの手口は釣り竿の糸の先にフックをつけて目にした物を引っかけリールで巻いていたという。釣りは魚を釣ると決まっているのにとんでもないドロボーだ。

釣り人風の格好をしていればばれなかった。釣った下着はアイスボックスの中に入れたという。その日の釣果は克明にノートに記してあったそうだ。そのドロボーでさえ、変態の俺が言うのもなんだがこの頃は水着と下着の差がよくわかんねんだよ、最近の女性は見せたがりの変態じゃなんて開き直ったとは実は聞いていない。


かつて吉展ちゃん事件や三億円事件で有名になった警視庁の名物刑事平塚八兵衛が書いていた。その家の女性や奥さんの性格や生活を見るのは洗濯物の干し方と下着の色と柄と形と幅の広さ、薄さでハッキリ分かるんだと。信号旗みたいな派手な下着をダラしなく外から見える様に平気で干しているのは××だとかあーだこーだとか、お育ちと躾のいい家に育った女性は洗濯物と洗濯物の間に見えないようにするとか、室内とかお風呂場にそっと干すんだとか。


アレ釣り竿とアイスボックスを持ったおじさんが家の物干し場を見ながら歩いているぞ、釣り人か否か下着ドロボーか。家には既にビキニみたいな下着をつける女性はいない、いるのは一人のバアバアだけだ。そして夏はだんだん終わっていく。


新聞に連日信じ難き下着ドロボーの記事が載っている。

何故か水着ドロボーの記事はない。「寄せて上げるワコール」は私の大親友の名文だ。

下着ドロボーは捕まった時警察官に「見せてあげる」と言ったとか。その警察署の柔道場はビッシリと「見せてあげる」の一代現代アートの世界となったのであった。

中には男のブラとか男のキャミとかがあったそうです。


すいませんつまらない下ネタでした。猛暑のせいで上と下の関係も分からなくなったのです。いずれ「上着ドロボー」の話も書きます。残暑お見舞、洗濯物注意報でした。

2011年8月11日木曜日

「レオクリビ→オレビックリ「毛」ビックリ」



遂にというか、いよいよ来たかという事が起きた。

「毛沢東」や「周恩来」があの世で聞いたらそんな真っ赤な赤旗もびっくりする様な事がある訳はないだろうと老酒をガブ飲みするはずだ。



何しろ中国共産党の国にいるはずのない女子プロゴルファーが日本のゴルフトーナメントで優勝したのだから。

ゴルフなんて資本主義社会に於けるブルジョアたちの最たる遊び、何てこった。


おい「周恩来」よ一体どうなってんだ。体操や水泳や陸上は体力向上や国威高揚にいい。

どんどん記録を伸ばし日本帝国主義や米英仏伊独を負かすのはたまらなく老酒が旨くなるのでいいがゴルフはどうかと思うぞ。それに勝った何とかといったな、そうファンファンみたいな「フォンシャンシャン」という女子選手優勝インタビューを英語なんかでしやがって俺様が生きていたら公開処刑ものだ。なあ「周」よ、そうでんな「毛」さん。


でももーどうもならへん中国は科学的社会共産資本主義国家に向かってしまっているんだわ、かつて我が国の舎弟だった韓国なんてみんな焼肉店の娘みたいだったがすっかり美人ばかりになって日本のゴルフ界で勝ちまくっているんだ。

我が国はなんといってもパクリの天才国家、ゴルフだって航空母艦だって朝飯前のお手の物だ。


米国や日本は国債格下げで右往左往だ。ゴッソリ買ってやってんのにしっかりしろといいたいな、そうだろ「毛」さん。

もう少しで世界の支配者になれるな「周」さんよ、あんたには随分と酷いことをしたがよく俺様の独裁に耐えてくれた。

俺様なんて人民を騙す嘘の天才だからな。重い癌だったのにコキ使ってしまった。


歴史上帝国と名の付いた国家は全て滅亡した。ローマ帝国は飴とサーカスで、つまり享楽に濡れ過ぎた。

肥満人ばかりの米国も同じ運命さ。資源がまるでなく外国頼りだというのにまるで外交術がない日本も同じだ。最もこのまま行くとわが五星旗の国旗の国も同じ過ちを繰り返すな、まさか飴とサーカスまでパクる事はないのだ。

中国人に似合うのは苦力(クーリー)なんだからな。


しかしなんだな、やけに国が広くて数が分からない位人間がいるっていうのも考えものだな。

いずれそれが命取りになるって事だ。中国人女性はフランス女性と甲乙つけがたい程「アレ」が大好きだしな。俺様も「江青」には手を焼いたものさ。あの女は何から何まで名前の通りアーセーコーセーと口を出して来たのでマイッタよ。

「毛」さんどうやらあの高速鉄道の事故もかなり我々がやった手口と同じ権力闘争の仕掛けらしい。

手の込んだ「ヤラセ」だ。北京の胡一派と江沢民と習近平たち上海派が暗躍している。

江沢民なんてきっと死んでいるはずなのに隠し続けている。


来年は権力が変わるからな。胡と温家宝たちが進めた高速鉄道で大失敗すれば上海一派にとって大きな成果だ。

色々裏が有りそうだな。脱線から車輌を直ぐ掘って隠し、又直ぐ掘り出し直ぐ運行をやらせた。乗客はもちろんみんなヤラセ用に集めた苦力たちのへ変装させた姿だ。誰が事故の直ぐ後に乗るものか。何だか面白そうだな。とあの世のゴルフ場でハーフを終えた「毛沢東」と「周恩来」がビールを飲みながら話している。


ところで「周」よ、いくつで回った。何(38)だって、凄いな俺様は(46)だ。えっ(48)だって何でだ。

OBの2打を過少申告しているだっていいじゃないかそんなささいな事。駄目だっていいじゃないか握ったチョコレート分はちゃんと支払しますよ、英国人ってやつは本当に掟の厳しいものを作るな。


ところで後の組のスターリンに打ち込むなちゃんとルールを守れって言ってくれいつもあの野郎達は後から攻めて来るんだから。汚ねえ奴等だよまったく。チャーチルとルーズベルトはどうかな、今日こそ負かしてやる。

だから「周」よ、次のハーフは(34)で決まりだそうすればパープレーだ。はじめからスコアブックに書いておくとしおう。


今日のキャディの東条英機とやらはパットラインが全く読めない奴だな。元々政治オンチで使い物にならなかったからな。

上がったら処刑だな。

2011年8月10日水曜日

「朝日とサヨナラ」



そしてどこも見せなくなり、どこも書かれなくなり、誰もいなくなった。

賢明な人はもう分かっていると思う。感じていると思う何か変だと。


毎日出ていた原子力専門の御用学者達は何処へ行った。

朝日新聞は民主党べったり、反小沢だ。今や超親菅直人となり反菅的記事は載せない。

政治部は開店休業状態、次の権力に取り入るために洞ヶ峠を決め込んでいる。

救いがたき朝日だ。そして秋山太郎社長が念願の新聞協会会長となった。

朝日の部数減は特に激しい。


むかし朝日インテリ、読売ヤクザ、毎日ノンポリといわれた。

朝日新聞は、インテリや一言居士はうるさいのでアエラや週刊朝日やテレビ朝日へ出してしまいもっとインテリは地方に飛ばしてしまう。茶坊主記者ばかりがよってたかって菅民主の側に立っている。NHKには全く期待出来ない予算を権力に握られているので手も足も出ない。テレビは今や脱原発一色、放射能汚染の一色、再生エネルギー一色となっている。


アンポン(安本)こと孫正義氏なる希代の借金王が虎の尾を踏んだ。

今やCIAや公安は孫正義氏のスキャンダル探しだ。

そして親中となった田中角栄、竹下登、金丸信のように一服もられる事だろう。

原発はアメリカにとって金のなる木、簡単には手放さない。孫正義氏はおそらく小佐野賢治とか堤義明(福田派にどっぷりなり過ぎた)みたいになるだろう。世の中が一服した時(菅が退陣)その45年後テレビのテロップにニュース速報としてソフトバンク孫正義氏急死なんて事になる可能性が大だ。


CIAにとって孫正義氏は居てはならない存在となってしまった。

「策士策におぼれる」という。孫正義も田中角栄と同じ貧しい生活の中から這い上がってきた。CIAは成り上がりが大嫌いなのだ。次の首相がなかなか前原誠司にならないのは彼も又、貧しい中で育った、つまりエリートではないからだ。


吉田茂、佐藤栄作、岸信介、池田勇人、大平正芳、宮澤喜一、鈴木善幸、福田赳夫、安部晋三、麻生太郎、福田康夫たちはみんな超エリートであった。

CIAは超エリートが大好きなのだ、コントロールしやすいからだ。


途中の繋ぎの様な海部俊樹とか村山富市とか小渕恵三(この人はいい人物であった)、森喜郎、宇野宗佑等はどうでもいいのであった。


最もCIAにとって可愛い存在は中曽根康弘と小泉純一郎であった。

それ故長期政権となった。

アメリカという国は恐い、全ては金儲けだから利権を守るためなら何でもやるのだ。

この国の人々のほとんどは東北の被災者の事を忘れてしまった。

テレビ、新聞、雑誌、なでしこジャパン一色だ。あれ程大騒ぎした沖縄基地の問題なんか話題にもならない。やっぱり8月で朝日新聞とサヨナラだ。

2011年8月9日火曜日

「深夜の中華丼」


その夜私は会社の側の小さなホテルにいた。


下手な原稿を書いている内にお腹が減ってきた。

近所にファミリーマートがあるので何かを買いに行った。サンドウィッチでもと思ったがいまいちそそらなかった。

午前三時頃であった。


冷凍のコーナーにエビグラタンがあったのでそれをチンしてくれと頼んだ。

その時私の前に一人の女性が中華丼のチンを頼んでいた。年の頃は45歳位、涼しげな薄いねずみ色の着物を召していました。

しかしいかんせん午前三時、着物はややはだけ首には汗がしっとり、髪は少し乱れ気味、きっとどこぞのママ風情である。

何故ならバッグの中の売上帳が見えている。ママはきっと一通りのお付き合いをこなし、私が働く会社の側のマンション辺りに帰るのであろう。絶望と疲労と観念と諦めとが後ろ姿にしみじみ出ている。


すみません、これ温めてください。顔を見ると美人ではないがそれとなく色香がある。

丁度由美かおるが年をとってママになった感じだ。いい着物を着ている、チンし終わった中華丼はビニール袋に入れられた。

丁度正三角形の様であった。私が新聞を買って外に出ようとすると少し体が接触した。

おやすみなさいとママ風の女性、声はすっかりまったりしている。心もちか胸がはだけている。

どを?銀座はと声を掛けるとかなりキツイですよね、やっぱりあれだけの震災の後ですからと。来年には少しよくなるよというと、来年まで持つかわからないですよと笑った。


内股で歩く後姿、正三角形のビニールの中の中華丼のうずらの卵の位置がズレていて妙に気になった。

私はこんな空気がたまらなく好きである。落ちるか上がるか。思わず頑張れよと後姿に声を掛けた。



部屋に戻りエビグラタンを食べた。少し火が通ってなくガッカリした。夜の仕事をしている女性とは16歳の時から関わりがある。みんな淋しがり屋だ。みんなヤキモチ焼きだ。みんな過去を背負っている。それがまた愛おしく可愛いので通うのだ。


17歳の時京都の寿司屋の娘と一緒に暮らしていた。着物がよく似合う器量よしだった。

一週間おきに私の母親から手紙が来ていた。「ウチオカアハンツライワ ソッチチャントガッコウイキナサイ」などという。

いまさら高校行ったからってどうしようもないよと応える。「ウチオカアサンヌキヤネン ヤサシイワー コレオコズカイハイイトルワ」といって封筒を出した。何か服でも買えよという。


六畳一間簡易ベッド一つ、扇風機一台小さな茶箪笥一つ、茶碗二つ、湯呑み二つ、二合炊きの電機釜一つ、小さな小さなスペースにガス台一台、共同トイレ、何も会話しない、何もしない。ただ一緒にいるとホッとする。


実はこのときの同居人が店で酔客にいいよられ怪我をさせられた。それを知った私は店に駆けつけしたたか男を打ちのめした。

10日間留置された。私自身コレを機に別れようと思った。