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2013年4月4日木曜日

「ゾッとするもの」




女優岸恵子(80)?が映画監督山本晋也に八芳園でインタビューを受けていた。
幻冬舎刊、“わりなき恋”の著者インタビューだった。

わりなきは→“理なき”の意だという。
とても八十歳とは思えないその姿に山本晋也は息を呑む。

本の内容は七十歳の女性ジャーナリストと五十八歳の会社社長との濃密な愛と性であるとか。いつもながら幻冬舎編集者の目の付け所に感心する。
勿論読む気などはないが、きっと売れるだろうと思う。
岸恵子さんは女性の友達に取材を重ねたという。
「みんな凄いのよあなた、七十歳を過ぎた女性たちが今でも体が疼いて仕方ないっていうのよ」もし岸さんの前にステキな男性が現れたらどうしますかの問いに対して、勿論決まっているわよ、うふふとなり、今までご自身はどうですかと聞かれればそれは企業秘密よ、うふふと応える。

胸の大きく開いた黒字に白の花がらのドレスにピンヒールの靴、首から見事なネックレス(というよりは首輪みたい)黒く太い革のバンド、一分の隙もないパーフェクトなパリのファッションであった。メイクアップが実に上手い。

サルトル、アンドレ・マルロー、ボードレール、オードリー・ヘップバーンなど十八年間結婚生活をしていた時のお友達の名がバンバン出てくる。
イブシャンピというフランス人監督と一緒だったからだ。(恋多き女性は枯れる事なしだ。女性は人の視線を浴びて美しくなるという。当然そうならない人の方が圧倒的に多いのだが。)

高齢化社会、これから七十代、八十代の不倫問題がボロボロ厚化粧が崩れ落ちる様に出てくるだろう。内面に教養を含んでいない七十代の女性たちが“アタシダッテステタモンジャナイ”とゾッとするほど大手を振って歩いている。
目のやり場に困るのだ。図々しいのもほどほどにせよだ。
愚妻には明るいうちは外を歩くなよと言い聞かせている。

2013年4月3日水曜日

「一枚の紙切れ」


約束手形 ※イメージです


若者の特権とは何か、それは何度でも失敗が許されやり直しがきく事だ。
20代、30代で起業する人が増えている。
男子たる者「鶏口と為るも牛後と為るなかれ」と古人はいう。

「鶏口牛後」という。
牛の後にくっついて歩く鶏より、小なりといえども一国の主を目指せという励ましだ。
何度でも敗け続け挫折し、悩み苦しむ事だ。世の中は簡単に成功への門を開けてはくれない。信頼していた知人や先輩や友人に裏切られ、入ってくる筈のお金にはトンズラされ、出て行くお金は待ったなし。
こんな筈じゃなかったとチクショウと屋台のヤキトリ屋でヤケ酒を飲む、が旨くもなんともない。


私は20代で会社を作ったが世の中の事が全く分かっていなかった。
何度か不渡り手形をつかまされた。今日は集金日だと行ってみれば、そこには管財人の貼り紙一枚、相手の会社は行方不明だ。入るのが入らなくて、出るものは出るのだから大事件だった。


私が初めて約束手形を受け取ったのは、ある大手写真機メーカーだった。
会社設立二年目初めての大仕事をしたお金を支払い指定日に集金に行ったのだ。
経理の窓口には列を成していた。

やっとこさ順番が来て渡されたのが約束手形という紙切れだった。
これ何ですかと聞けば、これは約束手形です、今日から六ヶ月後に現金になります。
えー!現金じゃないの、六ヶ月後だって、カメラマンやモデル代、スタジオ代やいろんな処に支払いがあるんですよ、といっても、ハイ次の方どうぞであった。

当時の65万円は大金であった。
途方にくれて知人に相談すると、この手形に裏書する個所が何箇所かあるだろう、ここに誰か裏書してもらうんだな、まあ保証人みたいな人だ、それを金融機関に持って行って割引手数料を払って現金化してもらうんだな。

えー、請求書出して集金に行くまで60日、それでこんな紙切れ一枚、その上裏書だとか保証人だとか、手数料までとられるとか、ヒデー話じゃないですか、マッタク。
最初に支払い条件を聞かなかったのか、先輩の紹介だったので全く聞きませんでした。
もう、トホホのホだったのです。

結局母親に裏書をしてもらいやっとこさ現金化したのです。
こんな初歩的な事を知らずとも、とにかくがむしゃらに働いて約束手形を手にして行ったのです。この手形がちゃんと決済出来て行くと金融機関に信用がついて来たのです。
以来現在まで無事故で来ているのです。

若者たちよ、めげるな、しょげるな、自分に自信を持ってガンガン働けばきっと活路は見いだせる筈だ。社会から信用を得るには高い月謝がかかるのだ。
どんな大企業だってはじめは一人とか二人、数人で始めたのだから。

私の周りにも若くして起業している人間が増えている。
一つアドバイスをする、オイシイ話には決して乗ってはいけない。
酷くマズイ話になるからだ。

2013年4月2日火曜日

「二万回死んだ人」


福本清三さん


1969年東映製作の映画「日本暗殺秘録」というのを一本100円で借りて来て観た。
今から44年前の作品には当時の東映のスターがズラリ勢揃いであった。

片岡千恵蔵を筆頭に鶴田浩二、若山富三郎、高倉健、千葉真一、桜町弘子、藤純子など。それに大部屋俳優も勢揃いだ。桜田門外ノ変、大久保利通暗殺、安田財閥の安田善次郎暗殺、やがて五・一五事件から二・二六事件まで中島貞夫監督が140分余をかけて作っていた。

貧困、汚職、財閥の貪欲、権力の腐敗、軍部内の権力争い、右翼思想の発芽、天皇陛下万歳となって日本は戦争に突き進む。

正直映画はいまいちというか、いまふたつであった。
私がずっと目を凝らしていたのは、映画のはじめに出る出演者のロールの中にオッ、近藤正臣が、オッ、里見浩太朗がその他大勢みたいの中にあったのだ。
どんな役でいつ出て来るかを見つめた。

結局近藤正臣は分からずじまいであった。
里見浩太朗はひと言セリフがあったがよく聞き取れず、顔半分は木の格子で隠れていた。

で、何がいいたいかというと、人間好きなことをバカみたいに一生懸命やっていると、いつかはきっと報われるという事なのだ。
かつて仲代達矢は通行人役だったし、小林旭はセリフのないバーテンダー役だった。
いきなり大スターになったのは、後にも先にも石原裕次郎しかいない。

映画を観る楽しみは脇役や、いわゆる大部屋俳優さんたちの渋い動きや目立たないが光る存在だ。

私が大尊敬する大部屋俳優さんがいる。
その名は「福本三」さん、会った事はないが大ファンである。
この人は斬られ役の名人、今日までバッサリ斬られて死んだ事なんと2万回を超すという。

トム・クルーズ主演の「ラストサムライ」ではその存在がギラッと光っていた。
「福本三」さんは1943年兵庫県生まれ中学校を卒業後東映に入った。
いつかこのひとを主役に短編を作ってみたいなと心秘かに思っている。

監督は勿論中野裕之さんにお願いしたい。
中野監督は人を殺すシーンが好きでないピースな人だからだ。役者を目指す人は、とことんバカになって下さい。きっと機会がやってきます。
役者バカ一代、なんてステキな人たちだろうか。

2013年4月1日月曜日

「諸説フンプン」



イメージです


明日42日(火)は大安である。
新歌舞伎座の杮落とし興行が一年にわたって始まる。

興行の成功を思うのだが気になる事がある、昔から興行の世界や相場師の世界、勝負師の世界は42日を嫌った。

42日は“シニ”といって縁起がよくないとされていた。
大安だからいいじゃないかという者と、“シニ”は避けるべきだという者がきっと激論を交わしたはずだ。取り壊し前とそっくりの歌舞伎座の後に超高層ビルが建った。
その異様な姿は大きな墓石の様である。

歌舞伎好きの私としては気に入らない。
團十郎が“シニ”勘三郎が“シニ”芝翫も“シニ”である、私は縁起かつぎはしないが数字を見ると足し算する癖がある。足して“9”になると、オオ“カブ”かと喜ぶ。

バクチの世界は“9”が一番強い数だ。
例えば18→イッパチスリバチノカブとか、234→ニイサンヨッテラッシャヨシハラノカブとか、10109→ドンドンクツリガネカブとか、531→ゴサンピンオツタチノカブ、いろいろだ。
ちなみに私の名はサブローだから、36→サブローノカブとなるのだが大した事はない。 

29日朝起きて小さな池を見ると金魚から成長して鯉となった三匹の内一匹が忽然と消えていた。また、また、アライグマ説、シラサギ説、たぬき説、猫説は不可能ということで前回で消えた。新たにテン説やハクビシン説が持ち上がって来た。

12年前は大きい鯉が三匹、十年前は中位の鯉が八匹、一夜にして消えた。
こんどこそ監視カメラを取り付けるべしと思うのだが、不思議大好きともいうから謎はとっておくかとも思っている。藤沢市辻堂東海岸にあるうなぎの名店“うな平”のご主人は錦鯉のでっかいのを何匹も養っているので有名だ。
そのご主人は絶対シラサギ説なのである。

小宅の目前の家の屋根に鳥の糞とおぼしき一本の筋が30センチ程あるのを見つけた。
やはりシラサギか(?)いつかとっ捕まえて“焼き鳥”にしてやる。

2013年3月29日金曜日

「根比べ」






汚職にまみれた政治家も、権力に吸い付く経済人も、マフィアのボスも、テロリストも、殺し屋も、小判鮫の様な新聞記者も、スクリーンで華やかな女優や男優も、日曜日にはミサに行き十字を切る。

イエス様どうかノーといわないで下さい。
悪行を重ねた身ですがどうか天国に行かせて下さい、アーメンと。

世界中には数十億人近いキリスト教徒がいるという、バチカンが“コンクラーベ”なのか“根比べ”なのか詳しく分からないがあっさりと新しい法王を決定した。
煙突から白い煙が出たのだ。バチカンは世界の裏の総本山ともいわれている。

バチカンから“”を取ると“チカン”となる、そんな様々なスキャンダルが露出してしまったので何としてもスムーズに決定したかったのだろう。
また目先を変えるために欧州からでなく、アルゼンチンから選んだ。
信者の40%が今や中南米人だからか。ヨハネとかパブロでなくフランシスコという名を持つ人を選んだ。
日本にキリスト教を伝えに来たフランシスコ・ザビエルの名を思い出した。
同じイエズス会の出身だ。

その夜イタリア政治史にその名を残す男の映画を観た。
あらん限りの悪事の黒幕と言われて26の罪状で査問にかけられたが、魔王と呼ばれたその猫背で能面の様な偏頭痛持ちのアンドレオッティ首相は逃げまくる。そして全て無罪に。その男を支える人間の中に聖職者たちがいた。

イタリアは世界で一番好きな国だがその裏面史は暗殺の歴史だ。
カンツォーネを唄いながら、パスタを頬張りながら、ワインを一杯飲みながら蟻ん子を踏み潰す位の気軽さで政敵や余計なおしゃべり者や裏切り者を殺して行く。
謎めいて薄暗く、皮肉屋で有名であったその男はある日秘密を告解する。
初めて恋を感じた乙女の事を、毎日その娘の事を考えていた事を。
魔王にも少しほろ苦く淡い時代があったのだ。

第七次内閣まで組閣した男の最後とは、イタリアのオドロシイ政治史とマフィアとは、聖職者とは、それは観てのお楽しみ。

映画の題名は「イル・ディーヴォ魔王と呼ばれた男」善を守る為には悪が必要だ。
それが信条であった。ならば悪を守る為には何が必要かを考えたが、結論は国家権力だという事に私は落ち着かせた。日本国は極悪に向かっている。
それを守っているのは高い支持率を与えている勿論国民だ。
国家権力がやがて断末魔となって行くのを見るための根比べが始まった。
悪の跳梁跋扈を許しては行けない、決して諦めてはならない。

2013年3月28日木曜日

「しみじみしじみ」

十三湖



風力発電は良くないらしいぞ、何しろ渡り鳥が風車に衝突してバンバン死ぬらしいから、と教えてくれたのは、出版界のカリスマと呼ばれる人だった。

三月二十二日(金)の読売新聞の夕刊にそれを裏付ける記事が大きく載っていた。
「十三湖で風力発電。環境省待った」と大見出し。
野鳥「年間1200羽」風車に衝突試算でと中見出し。
「渡り鳥ルートなどHPで公開へ」と小見出しがあった。

青森県十三湖に亡き親友と行った事があった。
ヤマトシジミを知るために行ったのだ。風強く、波高く、海ではないかと思えば湖である。淡水と海水が入り混じる汽水湖であった。

かつては日本七港の一つとして知られた十三湊(とさみなと)があった。
江戸時代にはコメの積出し港として栄えていたという。湖の側には小さな出店が並んでいた。勿論ヤマトシジミ関係のおみやげ屋さんだ。
ヤマトシジミは浅利位大きいので有名だ。

奈良屋さんという店に入った。
目的はしじみラーメンを食べる事と、シジミを4kg自宅に送ってもらう事だ。
酒飲みの肝臓にはシジミがいいと法律で決まっている(?)で、「しみじみしじみ」なんて酒飲み用の飲料を開発したらと思ったのだ。

友曰くシジミといえば宍道湖か十三湖か東京湾という事であった。
宍道湖は行った事がある。ヨッシャ!十三湖に行くべしと決め行動を起こした。
ついでに三大丸山遺跡に行こう、大好きな縄文時代に会えるからとなった。
しじみラーメンは薄塩ラーメンの様でなかなかしみじみした味であった。
海と湖の味が混然としながらも躾よく感じた。

さて、渡り鳥たちの話だが犠牲鳥は主にマガン、オオハクチョウ、マガモだと記事にある、それをバクッと食べる国の天然記念物オジロワシや数十羽しか生息していないチュウヒなどの猛禽類が集まるため、湖全体が鳥獣保護区に指定されている。
環境省の数字に対し風力発電事業者側の数字は10羽程度、年間でも100羽も衝突していないと相方の言い分は大きく違う。

私は風車にぶち当たっては無残に死んで行く鳥たちの味方でありたいが、脱原発派だ。
風力発電も必要だが鳥たちも守らねばならない。
良い知恵を出しあって欲しいと切に願わずにはいられない。
十三湖のざわめく湖面にうずくまる様にしていた鳥たちの姿が目に浮かんだ。


記事を読みながら亡き友を思い出した。
遺影の前においてあるぐい呑みにお酒を注ぎ入れた。風車に追突せずとも大きな鳥に食べられてしまう。オレたちも渡り鳥の様な人生だったなと語りかけた。
友が微笑んでまた十三湖しじみラーメンを食べましょうと言った気がした。

2013年3月27日水曜日

「書き直し」




松本清張の初期の作品に「西郷札」というのがある。
西南戦争で旗色が悪くなり敗走していた西郷軍がお金の替りに、西郷札という紙切れを作って戦費としたのだ。

現代でいえば決して決済の出来ない不渡り手形みたいなものだ。
それでも西郷隆盛の人気は高く、豪農や豪商、また西郷ファンたちは不渡り覚悟で西郷札をお金や物に替えてあげたという。

あなたは「安倍札」というのをお金に替えてあげますか。
これから日本は間違いなく経済が大混乱になります。
何しろリフレ(リフレーション)に成功した例はないのです。
お金をジャブジャブ刷れなんて偽札作りじゃないんですから乱暴の極みです。

インフラの価格が上がる(原油、ガソリン、灯油、LNG、電気、ガス等)となると物価は上がる、だがしかし政府に媚を売る大企業の一部以外給料は上げたいとしても上げられない。低価格競争に慣れた人々は無駄なお金は使わない。
それ故値下げ競争やクーポンサービス合戦は続く。

銀行は政府が突然持ちだした連帯保証人の責任をなくせなんていうちょっと見、いいじゃんという法案を考えているのに反発している(融資をもっとしろという狙いなのだが)。金貸し業にとって土地や不動産の担保と連帯保証人は必須の条件、だからなんだかんだといって融資はしない。日銀の金庫にはだぶついた金がひたすら貯まってしまう。
ハイパーインフレになって一万円札は西郷札となってしまう。
つまり紙切れ化だ。五万円札や十万円札が登場するやもしれない。

過日ある金融機関にカクカクシカジカの事で少しばかり融資しろや(正確にはオレの夢に融資しろ)で、うらなりビョータンみたいな担当は、シドロモドロ、ドロドロウレメシヤーみたいな青い顔をして断りました。
何か担保に、誰か保証人をといって。
国がどんどん融資しろっていってんのにといっても仕方なし。
夢には駄目なんだと。

「もしもし◯□銀行の☓☓ですけど」と日曜日に自宅に電話があった。
「何だい」といえ「私五日間有休中なんです消化しないとマズイんです」「そんなのオレに関係ないの、で、何今どこにいるんだい、子どもの声が聞こえるけど」といえば「今、子どもと公園にいるんです」「日曜日なのになんだよ」というと、「先日書いていただいた数字の“0”が“6”に見えるので書き直しをして欲しいんです」だと。
「またかよオタクの銀行は書類が多すぎるし書き直しが多すぎるんだよ、以前なんかたった一文字“7”が“1”に見えるとかいって横浜まで出て行ったんだぜ、だいたい日曜だぞ今日は」「ス、ス、スイマセン」

この人、聞けばかなりの高給取りなのです(自分でもいってましたから)いつも体を海老みたいに半丸状態にして現れ必ず海老みたいに体をくの字にして後ずさりしながら帰って行くのです。つい先日の話なのです。「日曜はダメよ」という映画が確かあった気がする。

2013年3月26日火曜日

「マッ苦」




100円マック、マック難民、朝マック、デフレ時代の勝ち組の代表であった。
そのマックが大苦戦をしている。安かろう経営方針マズかろうが定着した結果だ。

深夜になると外国人のバイト店員が多くサービスが雑だ。
店内の汚れも目立つ、終電に乗り遅れマック1個で始発を待つ人。
マック1個で一晩中パソコンを使用する人、マック1個で寝所代わりにしている人。

 マックは家庭料理のない米国文化の象徴だ。
その米国人は今マック太り(マック+コーク)が国家的問題となっている。
日本マクドナルドホールディングスの原田泳幸会長兼社長の役員報酬は31700万であったが(有価証券報告書より)業績不振の責任の証なのか半減して16800万になっていたと明らかになった。
原田泳幸会長兼社長はデフレ化の中で勝ち組代表としてマスコミに出まくっては天狗のように鼻を高くして独自の経営論をのたまわっていた。

だが満月はそう長くは続かない。
業績不振を挽回せんと様々な奇策、怪策、愚策を重ね更に傷口を深くしていってしまった。それでも16800万年間報酬をいただけるとは、大人物、大経営者なら一年間は100円の報酬でいいと言って欲しかった。

三月二十三日(日)藤沢駅南口で人に会うため街を歩いていると大行列が二箇所あった。そこはカラオケ店兼食事処であった。聞けば出前もとれるという。
老若男女が順番を待っていたのだ。昼食をしながら唄うという寸法が流行っているらしい。低価格競争、サービス合戦に敗れた店は潰れているとも聞いた。

時計を見ると午後十二時十一分七秒であった。
カラオケ店のすぐ側のマックは二階まで見通す事ができた。
そこには行列はない。昔日の面影はなくガランとしていた。
ガラス越しに見える主婦が何やら答案用紙の採点らしき事を黙々とやっていた。
フライドポテトがテーブルの上に散乱していた。
目と目が合った気がした。誰かに似ているなと思った。
そうだ脚本家の橋田壽賀子だ。まさか?

2013年3月25日月曜日

「お金で買えないモノ」






バスケットといってもスポーツではない。
竹や樹の蔦などで編んだ物入れだ。

この中におにぎりとか、サンドイッチとか、枝豆や玉子焼きとか、ゆで玉子とか、バナナやみかん等の果物とか、ハムとかウインナーソーセージとかが入ると親子連れの楽しい思い出が似合う事となる。

父を幼くして亡くした私には父親とのバスケットの思い出は無い。
桜が咲き誇る季節となった。レッツゴーバスケットの出番だ。
日本中で桜を観るために、その家それぞれのお料理を入れている事だろう。

日産自動車の広告のキャッチフレーズに“モノより思い出”というのがあった。
とてもステキなフレーズであった。なんでもお金さえあれば手に入る時代に現代人が失った心の置きどころを実に素直に素朴に語りかけてきた。
親と子がバスケットを持って歩いている風景ほどいいものはない。
バスケットを囲んで座っている風景ほどいいものはない。

私は残念ながらその風景を体験していないから余計に世の中の親たちに“モノより思い出”を大切にして欲しいと願うのだ。思い出はショーケースには並んでない、当然値段もない。
アマゾンや通販で買う事もできない。
使い切れない程お金を持っていても心に花を咲かせない人には手に出来ない。

さあ、疲れたとか、お前たちだけで行って来いだなんてそっけなく言わないで、思い出を作って下さい。枝豆はお父さんが茹でて、ゆで玉子の殻も向いて下さい(手をよく洗ってね)スポット綺麗に向けたらきっといい事が手に入ります。

ゆで玉子は心が乱れている時は決して上手にむけません。
“魔法瓶”なんてネーミングを考えた人は大天才です。魔法瓶の“蓋=フタ”で飲み合えば喧嘩ばかりしていた親子も魔法がかかった様に仲良し、こよしと完全になるのです。
何!お茶なんかペットボトルで買うってか!それじゃ“身も蓋もない”。

「汚き者共」







美空ひばりさんが“柔”という歌を大ヒットさせたのを記憶している方々は、もうオジサン&オバサンだろう。♪〜やると思うな思えば負けよ、と。柔の道を唄った。

黒澤明監督のデビュー作ともいえる映画“姿三四郎”を知っている方々は、相当にオジイサン&オバアサンだろう。

“柔道一直線”という劇画を本屋さんで立ち読みした方々は戦後っ子たちだろう。
昭和二十年に生まれた戦後っ子は、“水とん”の汁をすすり、麦の穂をガム替りにかじり、竹の皮に梅干しを入れて吸い付き、焚き火にイモを入れ作った“焼きイモ”を食べ、冷たいご飯に醤油だけかけたご飯を食べながらも決してめげずに生きた。
“心に太陽を唇に歌を”とか“清く貧しく美しく”なんて大人たちから教えられた。

柔道連盟の役員たちが全員留任したというニュースを見ていよいよニッポンの柔道はお終いだと思った。女子選手たちに対する性的行為、暴力行為、暴言の数々、更に助成金の不正使用、柔の道を外した外道共が利権にしがみついている。
“汚く金にまみれ醜く”がスローガンだ。

正々堂々と勝負するのが柔道の基本中の基本、スポーツの基本だ。
黒帯をドス黒く締めて生き残りを計った者共を世の中という道場から破門追放しなければならない。ましてこれから中学校に入学すると、柔道、剣道などから学校サイドが選択して生徒たちに強制的に学ばせる事となる。
教える資格のない者共が教えるのだ。受け身もしらない教師が教えるのだから危険この上ない。柔道の練習中における死亡事故は他のスポーツに比べダントツに多い。
今も植物人間になっているかわいそうな少年少女も多い。

私はこんな教育に断固反対をする。
軍国主義の復権だ。
幾らオリンピックが商業化し、堕落しきっていても、日本の柔道界のお粗末さを見たら、やっぱトーキョーはヤメルベえー、やっぱ、イスタンブールが本命だなとなるだろう。
だがしかしJOC(日本オリンピック連盟)の得意技は寝技だ。
見えない所で汚い手を使っているはずだ。禁じ手、反則技なんでもありだ。(これをロビー活動と広言する)

文科省なんていう役所は救い難き最低で省だ。
イジメ、体罰、やらせ入試、自殺、何もかもひた隠しで省だ.

講道館なんていまだに創設者の嘉納一族に支配されているのだから世界のJUDOに全く歯がたたないのだ。柔道をやる子供がどんどん減っているから学校の教科に取り入れろなんて話になってしまった。柔道着がバンバン売れるし、段位も売れるからだ。子どもたちを守らねばならない、薄汚い連中から。真っ当に柔道をやっている人々のためにも。美空ひばりさんのためにも。