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2020年2月3日月曜日

第15話「私はイヌ」

私は「イヌ」である。使用する言語は、ワンフレーズだ。イヌと言っても誰かの番犬でもポチでもない。雑種であるが意地もプライドもある。今は猫ブームであるが、かつては愛犬ブームであった。私イヌは何よりキレイ好きなので、散歩が大好きである。できれば朝夕してくれると、とってもウレシイ。飼い主が老人化して面倒になった。でもやさしい飼い主は私イヌのことを、人間以上にかわいがってくれる。世の中では強い者にくっついて、尾っぽをフリフリしていると、あいつは、あいつの犬だ、ポチだと蔑まされる。人間が集団を生むと、そこにヒエラルキーが生じる。人間の本性は実にシンプルで、あいつには負けたくない、あいつらの風下には立ちたくない。あいつより出世したい。でヒエラルキーの上の人間に接近を試み、日々密着する。遠くへ物を投げれば、すっ飛んで行ってそれを持ち帰り、飼い主に頭をナデナデしてもらう。余りにうれしい時などは、オシッコをもらしてしまう。それは出世を表わすポストである。私イヌは、主人を持たない、一匹オオカミならぬ、一匹イヌだ。えばりくさった強い者を見ると、飛びかかりたくなる。犬のくせに上等な洋服や毛糸の足首ウォーマーや、マフラーなんかをつけていると、お前それでも犬かと、私イヌは吠えてやる。私イヌは、今犬に関する本のプロデュースをしている。いわば「犬が人間を躾けるような」ものだ。ずい分時間がかかっているのは、予算と時間のためだ。先日立憲民主党の枝野代表が、ノンベン、ダラリ。ヘンナリ、モッタリと政権寄りの棚橋予算委員長に、政権のポチかと怒ったが、これはいくら相手が自民党の変わり者でも、公然と言ってはならない。せめて、ポーチ(肩からナナメにかける小さなバック)位にしといたほうがよかった。戦いは正々堂々だ。ペットを愛してくれる人は、ペットを失うとペットロスと言って、人によってはかなりのうつ状態になる。でも時が来ればきっと治る。やさしい人がなるので、そっとやさしく接してほしい。たかがペットがなどとは絶対禁句だ。犬は愛してくれた飼い主の恩は絶対に忘れない。(人間はすぐ忘れる)私イヌは今ある言葉にとまどっている。「濃厚接触」という言葉だ。飼い主が愛犬を抱きしめる姿は濃厚接触だが、新型コロナウイルスの問題で、やたらに濃厚接触という言葉を耳にすると、なんという役人言葉なんだと思う。濃厚接触と聞くと、男女の愛”“男と男の愛”“女性と女性の愛の濃厚なシーンを想像してしまう。早急に表現を変えてもらいたい。私の友人がむかし、いいキャッチコピーを書いた。口臭を気にしないで、近づけますという、何かの商品だった。それは「30センチ以内のおつきあいなら」だった。そこで短くして、「30センチ接触」なんかどうだろうか。私イヌは遂に自衛隊の護衛艦「たかなみ」が中東地域に向かって出撃(?)するのを見た。軍艦マーチが鳴っていた。いよいよ戦争と濃厚接触となる。国会議事堂前で私イヌは怒りを込めて吠えまくった。しかしJNNの調査によると、中東派兵賛成の方が、反対を上回っていた。私イヌは、この国の人がよく分からない。猫によく聞いてみよう。

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2020年1月30日木曜日

第14話「私は辛抱」

私は「辛抱」である。人間辛抱だ”と初代若乃花(横綱)が何かのCMで言った。それを聞いたのは、私辛抱が十代の頃だった。初めて相撲部屋で朝稽古を見たのは二十代に近づいた頃だ。そこには、竹刀があり親方がおすもうさんのお尻をバッシン、バッシンひっぱたく。ぶつかり稽古でゴロン、ゴロンにされて気を失うと、バケツの水をバッシャーンとぶっかける。オリャーしっかりせい! オリャーガァーンと行けガァーンと、オリャー、オリャーであった。今なら100%パワハラで親方は刑務所行きになるはずだ。土俵には金が落ちている”と言うのが相撲界。しっかり稽古して番付を一枚、二枚と上げて行けば、いつかは十両関取に、そうなれば給料がもらえる。さらに幕内、三役、大関、横綱となれば、ワッサワサにお金が入る。ごひいきが(タニマチとも言う)一人、二人とつきはじめる。江戸の横綱より、オラが関取と言うほど、郷土の力士を愛す。例え序の口、序二段でも郷土の人々は、声援をおくり支援する。お米に、野菜に肉。水にジュースにお酒などを部屋に送る。カニとかメロンを人に贈って大臣を辞めるのは政界、当たり前のように清き一票を贈り物で得てはならないからだ。しかし土俵に落ちているお金を得るためには、食べて、食べて、食べなければ強くなれない。で、相撲界には食料、飲料などが支援物質として届く。ごっつぁんです”でいいのだ。初場所で幕内どん尻の「徳勝龍」が、その場所番付最上位の大関貴景勝に見事な取り口で完勝した。私辛抱は古女房とテレビを見ていて、ヤッタァ~、ヤッタァ~と大拍手をし涙をボロボロと流した。その前々日、尊敬する画家の先生が、徳勝龍が優勝する気がするんだけど、と言ったのを泣きながら思い出した。奇跡は奇跡的には起きない”と言ったのは、確か奇跡的に命を得て(ホテルから拉致された)大統領になった、「金大中大統領」だったと記憶する。拷問をたっぷり受けたためか、顔にはアザが残り、片足を不自由にしていた。きっと死を覚悟をしながら辛抱をしていたのだろう。徳勝龍はエレベーター力士といわれた。幕内と十両の間を上がったり、下ったりしていたからだ。私辛抱が泣いてしまったのは、この人は一度も休場をしないで、ひたすら土俵に上がり続けていたからだ。万年脇役に栄光が与えられたのだ。例えていうなら中学校しか出ていないが、ひたすら勉強、研究を重ねてノーベル賞を受賞したようなものだ。もう33歳でなく、まだ33歳と思ってこれからも精進しますと言った。相撲界の33歳は一般社会ではもう定年になる歳なのだ。弱者に栄光あれ、脇役に栄光あれだ。その夜私辛抱は、「サイドマン」というドキュメンタリー映画を見た。英語の題名は「Sidemen: Long Road To Glory」世界の音楽史上伝説のピアニスト最高齢(98歳)でグラミー賞を受賞した。ピアニストのパイントップ・パーキース、ドラマーのウィリー・ビッグ・アイズ” ・スミス、ギタリストのヒューバート・サムリン三人の物語だ。これがまた泣けて泣けて涙ボロボロなのだ。血も涙もない人間も、これを見たら泣く。ギタリストも、ドラマーも、徹底的に脇役だ。決してメインボーカルのジャマをしてはいけない。メインより目立ってもいけない。黒人にとって音楽は貧困から抜け出す数少ない手段であった。主役がギャラをみんな持っていく。サイドマンのギャラはわずかだ。パイントップの楽しみはマックのWチーズバーガー2個を一日2回、それにスプライトとアップルパイ。超ヘビースモーカーだ。だがこの脇役三人のテクニックは超一流であり、神がかり的であった。あらゆるミュージシャンに影響を与えた。ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックス。天才たちの憧れだった。そして三人のサイドマンに栄光の時が来た。(ドラマーはなくなっていた。息子が代わりにトロフィーを受けとった。)2011年レッドカーペットの上を歩く時がきた。トロフィーを片手にパイントップ・パーキースは、こうスピーチした。最善を尽くしたよ”グラミー賞の会場は最高潮となった。ロックがどうして誕生したかを知りたい人は、この映画をおススメする。私辛抱はこれから徳勝龍とパイントップ・パーキースを師として学び直す。 









2020年1月28日火曜日

第13話「私は諸説」

私は「諸説」。この頃やたらにヤバイという言葉が出る。当然のように裏社会では、バイヤと言う。気安いは、ヤスキーと言う。慣れ慣れしい奴を、ヒタシイ奴と言う。で、こんな会話となる。オイ、ソコノヤロー、さっきからずい分とヒタシイんだよ。ショダイ(初めて会うこと)なのに、ヤスキーんだよ。オマエかなり、バイヤだからあっち行ってろよ。シマイ(終りには)には、シメル(暴力をふるう)ぞ。私諸説は常にヤバイ(危ない状態)で使われて来た。何故こんな裏社会の会話を書くかと言えば桜を見る会という今問題の招待メンバーの中に、こんな会話をしているヒトビトが来ていたのでは(?)と問題になっているからだ。まさかと思うのだが。この頃は、若い男女も中年男女も、後期高齢者さえも、ちょっと美味しい物を食べたりすると、ヤ、ヤバイこの味! とか、ちょっとファンキーな服を着ると、ヤ、ヤバイ、アノオヤジチョーヤバイとか使われる。私諸説は、アブナイヤバイの関係が同じような、使われ方をしていて困惑しているのだ。私諸説は、ヤバイについて諸説あることを言うが、もともとはアブナイの意味である。主に裏社会で使われてきた。現在の日本の書類は相当にアブナイ事になっている。公文書を隠したり、破棄したりと無法状態になっている。内閣府自体がズサンな管理体制で、アブナイことばかりしている。絶対あってはならないことを、いともカンタンにしている。尻ぬぐいは官僚のせいにして、ひとまず処分、後日その穴埋めにと出世させる。国家財政は大借金でアブナイ。増税、増税で実質年収はダウンにつぐダウン、生活がアブナイ。日銀なんかは骨抜きにされて無能力状態で、この先もっとアブナイ。オリンピックが終わったら、アブナイ度倍増。地震対策や防災対策も毎度その場限りでアブナイ。地球温暖化対策もアブナイ、日本はアメリカ追従だから相当にアブナイ。人口減少に歯止めがかからずアブナイ、私諸説は、正しく伝えてくれれば、いいのだがと願っている。私諸説は、今新型コロナウイルスを心配する。中国発表の数字に諸説あるのでは(?)。中国人はお金持ちになって、世界中に拡散している。世界各国が情報を共有して、対策を迅速にとらないと、超アブナイことになるだろう。オリンピックは無事迎えられるのだろうか。オイ、さっきから、ずい分ヤスキーかんじ、ヒタシイかんじで人の話を聞いているけど、ちゃんと30秒かけて手洗ったか、顔も洗ったか、オイオイ、でっかいくしゃみすんなよ、ちゃんとマスクしろよ。え、マスクが売り切れだって。私諸説からの緊急提案、今すぐに裏のヒトは足を洗表のヒトは手を洗いましょう。ヤバイでもアブナイでもいいから。ちなみにヤバイの語源には諸説ある。まず盗人や的屋などの隠語で危険を指す「やば」という言葉が、江戸時代に形容詞化されヤバイが生まれる。そして矢場(射的場)で違法の売春が行われ、役人に見つかったら危ないという意味で使われて流布したとか、戦前の刑務所では囚人が看守を「ヤバ」と呼んで広まったとか、または「夜這い」が転じたとか、とにかく裏社会から発生した言葉だ。久々に国会で論戦が始まった。エライお役人さんから実に諸説が出て、珍説になっている。私諸説は、玉虫色になり苦笑している。私諸説はフンプンカンプンとなる。
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2020年1月27日月曜日

第12話「私は2153人」

私は「2153人」この2153人だけで、世界人口の60%46億人の富と同じだ。ボクシングの聖地後楽園ホールが超満員になると2000弱だから、ほぼそれ位の数である。私2153人クラスの超〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃超富裕層になると、「吉野家」の特盛牛丼、辻堂「大関」の特上ロースカツ定食(とん汁付)銀座「共楽」の特盛チャーシュウワンタン+メンマ、新富町「寿し辰」の特上ちらし寿しや赤坂「ローリーズ」の特大ローストビーフなどを、何何百年も食べ続けられる。もうやんなっちゃうほど食べられるのだ。地球上には一日何も食べられない子どもたちが何十億人もいる。私2153人はそんなこと知っちゃいない。もっと、もっと富を増やしたいのだ。いちばん富を生むのが戦争だ。平和な世などは許せない。46億人の民などは、バッタやイナゴの集団みたいなもんだ。私2153人は悪魔なのだ。先日レイトショーで、今年度アカデミー賞の最有力候補の映画「パラサイト」を観た。すでにカンヌ国際映画祭の最高賞、パルムドール賞を受賞している。アカデミー賞はハリウッドで制作した作品にしか与えられて来なかった。もしこの韓国映画が受賞したら、ハリウッドは大成長したといえる。他の有力候補に「ジョーカー」とか、「アイリッシュマン」がある。アイリッシュマンはハリウッド制作でなく、ネットフリックス制作だ。私2153人のほとんどは、ユダヤの資本家、アラブの王族、華僑やインド人だ。私2153人は実は日々恐怖心でブルブルしている。世界の人口は貧しい国々で爆発的に増加している。その中からきっと絶大な力を持った人間たちが、私2153人をやっつけろ、やっつけろ、となるだろう。食べ物の恨みは恐い。特大、特上、特盛の恨みを持って私2153人を、やぶ蚊を殺すようにフマキラーの殺虫剤みたいので総攻撃して来るだろう。どこへ逃げても簡単に探し出されるだろう。私2153人の動きは鈍い、何故かといえば、超特大の富を背負っているからだ。私2153人を総攻撃して来る時のテーマソングは、西部劇の名作「リオ・ブラボー」の主題曲皆殺しの歌だろう。きっとそうに違いない。ポン・ジュノ監督、ソン・ガンホ主演といえば、かつて「殺人の追憶」という名作があった。最高のコンビだ。半地下生活をする貧しき家族が、550坪の超豪邸に住む家族を……(観てのお楽しみ)「アイリッシュマン」は、名作「グッドフェローズ」のメンバーを再集結だ。両作を見たほうがいい。監督マーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、そしてジョー・ペシだ。貧者の臭い階段というモチーフで格差社会をパラサイトは描いた。あの家の子汚れて臭いとか絶対に言ってはいけない。ヤクザ者の世界ではオマエサクイ(臭い)なと言われたら、殺すぞということになっている。裁判で臭いと言われたから殺したと言うと、かなり減刑されるはずだ。臭いという言葉は最大の侮辱なのだ。私2153人は超高級のオーデコロンの香りでかなり臭いはずだ。だから見つけるのはたやすいはずだ。アカデミー賞は、きっと「ジョーカー」だろう。これも凄い名作である。主人公はやはり貧者だった。主演のホアキン・フェニックスはこの役を演じるために20数キロ減量したという。私2153人は今夜も枕を高くして眠れない。今夜の食事は貧しく、イワシとイカの煮付、ヒジキ、ジンタ(小アジ)のから揚げ、豚レバ煮込み少々と漬け物(白菜)浅利のみそ汁にした。

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2020年1月24日金曜日

第11話「私は突然」

私は「突然」である。私突然は何の前ぶれもなく、いきなり襲いかかったり、出会ったり、起き上がることを得意技とする。例えば今大相撲で、突然現象が起き上がっている。幕内17枚目どんじりにいる「徳勝龍」がな、なんと今日を終って12勝1敗となり優勝争いの筆頭に立った。同じ幕内の4枚目の「正代」が12勝1敗で同じく優勝争いの筆頭に立った。突然二人は強くなったと言ってもいい。徳勝龍は幕内と十両を行ったり来たりしていた。正代はきっと強くなるとの期待をずっと裏切って来た。が、人間一生懸命やっていると、突然ごほうびをもらえる現象が起きる。プロレス技のようなエルボーバンチと、張り手が横綱らしくないと叩かれて、やる気を失った「白鵬」は初日勝った後2連敗で、もうやだと休場、もう一人の横綱鶴竜は、初日から敗け、2日目勝ってから2連敗でもうだめと休場。大関豪栄道はカド番脱出が得意だったが、ついに8敗大関陥落となった。もし大関「貴景勝」が怪我でもして休場したら、最高位は関脇となる大珍事だ。大相撲の神様はこりゃヤバイと思ったのだろう。番付表を見て目をつぶり二ヶ所を指した。そこが徳勝龍と正代であった。二人共真面目で心やさしい。幕内どんじりというのがよかった。私突然は、大相撲の神さまから命令を受けたのだ。不思議なもので突然現象が体に乗り移った二人の力士は、日毎に強そうに見えて来るではないか。勝っている本人たちも、最初はなんで勝ったのか、みたいだったが、かなりというか、そこそこ自信満々になって来ちゃった。但し突然現象には厄介なものが襲いかかる。もしかして優勝か、ひょっとして優勝できんのか、これを考え出したと同時に猛烈なストレスが襲う。体はでかくても心臓がでかい訳ではない。胸はドキドキ、バクバクしはじめる。そして眠れなくなる、目の前に優勝の2文字がキラキラと輝くのだ。私突然は実にそれを楽しむのだ。だが優勝は一人だけだが、二人で優勝をと考える。そしてこんなイタズラを考える。正代と徳勝龍がバーンと立ち上がって、がっぷり四つに組んで、土俵中央で二人が突然デープキッスをする。行事が分けて入っても二人は恋人同士のように、キッスしたまま離れない。だって離れたらどっちかが勝って、どっちかが負けるから。この突然現象にNHKは大慌てとなり、緊急会議を招集、キッスの部分にモザイクを入れようとなった時は、すでに放送時間が終了してニュースが始まる。私突然は徳勝龍と正代の二人に優勝させたいのだ。待てよ、大関貴景勝が2敗でぴったしくっついている。さて、どんな突然を用意しようか、突然ストレスが襲ってきた、今夜はきっと眠れない。春には珍事が起きる。
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2020年1月23日木曜日

第10話「私は落花生」

私は「落花生」一族に、ピーナッツや南京豆や、バターピーや、シュガーピー(砂糖まぶし)(?)がある。生ゆでのや、塩ゆでもある。親戚に柿の種と一緒になった柿ピーがある。これは柿の種が主役か、ピーナッツが主役かの論争が今だに定まったていない。私落花生といえば、千葉県八街(ヤチマタ)産が有名だ。八街といえば、初等少年院で有名、遠い昔少年院が恐かった頃、ヤキは印旛か八街か、と言われた。印旛とは、印旛沼少年院だ。入所するとマッサラ(新入り)は二、三ヶ月間、古年兵のような先輩から、ボコボコにされるヤキが入る。ヤキとはリンチの事である。私落花生は八街の名産であって、食べ出すと止めることができず、落下生でなく落下死するほど、食べ始めたら止められないほど美味しいのだ。途中で何度かこのまま食べていては、マズイ、ヤバイ、死ぬかも分からないほど美味しい。食べるリンチだとなる。他の物に比べて高価であるが、ひとたびパコッ、プチッ、ポコッと割ると、ヒュータンみたいな中に強力な味が、ザ、ピーナツみたいに入っている。ロッキード事件で、ピーナッツは有名になった。米国のコーチャンと共に一粒一億とかで。昨日夜、男三人で私落下生談義で、談論風発した。食べ出したら絶対途中で止められない。このまま食べ過ぎるとヤバイと思い、アチコチ手の届かない所に置いても、もうちょっと、もうちょっとと食べてしまう。袋に入れ輪ゴムでガッチリ固めて、食器棚の一番上とか、天井裏みたいな所に隠しても、やっぱり食べるために脚立などに乗って食べてしまう。私落花生は先日、私の持ち主である人が、千葉県八街産の落花生を頂き物して、食べ始めたのだが、どーにも止まらない。このままでは、落花死してしまうからと、持ち主が平塚の鍼灸の達人に連絡をし、もうヤバイ、半分取りに来てくれと連絡をして、半分トレードされた。落花生や、ピーナツ、バタピー、柿の種を、ハイ、今日はここまでと、ピタッと止めることができる人は、奇跡の人と言って間違いない。偉大な人といってもいい。何故千葉県産、特に八街の落花生は美味しいのかについては結論は出なかった。森田健作知事は分かっているだろうか(?) 落花生一族はカロリーが高い。11粒以上はとんでもないカロリー過剰となる。鼻血ブーと、今は亡き谷岡ヤスジさんのマンガみたいになる。私落花生は東海道線内のトラブルのもとでもある。私を食べている人の隣に臭いに敏感、狂暴、乱暴、暴言を言う人が座ると、大事件に発展することがある。茅ヶ崎在住の人は、ウルセイ、クセイ、家で食え! と言ってモメた。が、その人が落花生地獄にオチイッタのだ。モシモシ、アノネ、千葉県八街のスッゴク美味しい落花生取りに来てくれる。オレ死にそうだから持って行ってと。ワンタン3等分、小チャーハン3等分、他にレバニラ(ニラレバ)春巻き、焼売、を3人で仲良く食べて落花生話は終った。私落花生はいささか心苦しかったのだ。私は、善と悪の間を行ったり来たりしている。何故か11粒までは、実に健康食らしいのだ。
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2020年1月22日水曜日

第9話「私は椅子」

私は「椅子」である。通常は人が座る。私の上に立つ人はあまりいない。小学生の頃に私の上に立って、大きな声を出していた子は、先生にちゃんと座りなさい、とか。静かにしろ、ちゃんと座れ。などと叱られた。一年生や二年生の頃は、メソメソ泣いていた子も、四年、五年となると、先生つまんない、とか。先生ダサイとか、言い出す。中・高になると、椅子を持ち上げ教師に向かってブン投げて大騒ぎする、乱暴者も出る。一時期中・高が荒れまくって社会現象化したが、この頃はもっぱらスマホを見ていて、授業中は荒れていないようだ。ガキ共が大人しくなったのは、いいようで、悪いようでもある。悪ガキが出ないようでは、その学校から人物は出ない。法を犯してはならないが、自分なりの言い分があれば、それを主張しなければ将来性はない。全共闘全盛時代、私椅子はバリケードとして使われ、重ね重ねにされた。学生は学校に言い分ありと主張した。私は機動隊にボコボコにされたり、水攻めにされたり、発煙銃を打ち込まれた。今、日本中の大学は、静かなること水の如しと、なっている。怒りを持たない若者の姿態が、私には心配でならない。怒りを爆発させるのは、若者の特権なのに、その権利を行使せず、仕方ないじゃんとか、カンケーナイとか、かってにすればとなっている。私椅子は社会に出ると、奪い合いとなる。ポストとも言われる。会社に入ると、平社員、主任、係長、課長代理、課長、次長代理、次長、副部長、部長、さらに、副本部長、本部長、執行役員、取締役、常務、専務、副社長、社長と私椅子はその存在が変わる。仲間同士、同僚同士の争いを生み、○××派、日和見派、風見鶏などに分かれて、血みどろの争いとなる。人間社会が生まれた時から、人と人は、その身分争いをして来た。私椅子は、その身分の証であった。パイプ椅子から、革張りになり、背もたれが付き、ゆったりと両肘が付くようになって行く。人間社会は肩書きを争う社会でもある。特に官僚社会となると軍隊と同じ階級社会で、私はその象徴となる。変じて政治の世界ではポストこそ力の源泉となるから、すさまじい争いとなる。総理大臣の椅子は一つしかない。故平尾昌晃の歌に、~「星はなんでも知っている 夕べあの娘が泣いたのも……、」と言うのがあった。又故仁木悦子の小説に、「猫は知っていた」と言うのがあった。私は、星のようになんでも知っていて、猫のようになんでも見ていた。私椅子は座ってくれる人がその時の主人である。私は必死に主人を支えるのだ。大志とか野心。希望と絶望。絶頂や転落も。人間と言う魔物のような生き物の有り様を、主人のお尻の感覚で知るのである。先日サッカー界のレジェンド、三浦和良選手が、お尻の疲労で欠場と言う報があった。その理由は三浦選手愛用の椅子がいちばん知っているのだろう。私は今、大学生が私たちを投げ飛ばして意見を主張していた時代を懐かしんでいる。

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2020年1月21日火曜日

第8話「私は結婚」

私は「結婚」離婚とはコインの表と裏みたいなものだ。この頃結婚しないという風潮がある。その先に希望とか夢が見えない。金がかかるし、面倒臭いなんていう人も多い。その一方今日こそ別れてやる、今日こそ判子を押す、なんていう人も多い。そこで、偉人、賢人などは、私結婚についてどんな言葉で表現していたか、私は古いノートをパラパラとめくった。例えばこんな言葉。「結婚とは、のべつまくなしのバカバカしい口論に情熱を傾けること。」又こんなのも、「よい結婚はあるが、楽しい結婚は少ない。」そしてこんなのも、「結婚は雪雪景色のようなもの、はじめはきれいだが、やがて雪解してぬかるみになる。」さらにこんなのも「妻は妻として立派になるほど、女でなくなる。」その他に「理想的な夫、そんなものは世の中に存在しない。それは乾いた水、焼いた氷を探すのに等しい。」「結婚へは歩け、離婚へは走れ。」あえて誰が何を書きのこしたかは伏す。偉人も賢人も、私こと結婚については、悩ましいことであったようだ。私結婚は成りゆきにまかせてというしかない。我慢比べのようなものだから、喧嘩するほど仲がいいとも言うし、夫婦喧嘩は犬も喰わないと言う。新年早々海の向こうアメリカから、結婚しましたといううれしいAIR MAILが届いた。又武州三多摩から息子たち夫婦は、まい日イザコザしているとのお手紙も来た。イザコザを実は楽しんでいるとしたら、「結婚の達人だ」生死の程は分からないが、ずっと会っていない知人に、結婚を六度した人がいた。六度共キチンと入籍をした。大手広告代理店のすぐれたクリエイターだった。スキンヘッドにアロハシャツ、丸々とした目をしていた。指は太くてふっくらしていた。結婚好きで有名であった。ひょっとしたら今では、十度位しているかも知れない。離婚をするのも当然早いということになる。相手を傷つけだと思うと、さっと離婚する。私結婚はこの人をよく思い出す。何故ならとてもよく結婚してくれたからだ。私結婚に悩んでいる人にある賢人の言葉を伝える。「私は人生の岐路にたった時、いつも困難な道を選んできた。より険しい人生の道のりを自分で選ぶには、相当な意思の強さが必要だ。」この賢人は終生子どものようであった。正式な結婚はしていない。ゲ、ゲ、ゲージュツは、爆発だと言った。私結婚ほど険しい道はない。でも、ジョナサンというファミレスで、結婚したてのような若い夫婦が、クーポン券でもらったショートケーキを、二人で仲良く分け合って食べているのを見て、私結婚は、かなりうれしかった。やっと冬らしい冷雨降る土曜日の午後のことだった。
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2020年1月20日月曜日

第7話「私はすべり台」

私は公園にある「すべり台」である。長い長い間いろんな幼児や少年少女を乗せて来た。とってもかわいい女の子、とっても乱暴な男の子、とっても臆病で泣き虫の子、みんな、みんな私すべり台の上では、正直で素直で、必死で勇気があった。ご両親やご近所の人々、保育園の先生などの言うことをちゃんと守っていた。だがしかし、運命とか宿命は幼い子たちに襲いかかる。年を経て、いちばん静かな子は、殺人者になり、いちばんかわいかった子は風俗に身を落とし、いちばん運動神経のよかった子はホストになり、いちばん臆病だった子は冒険家になり、昆虫大好きだった子は市役所の駆除係となり、いちばん勉強できた子は引きこもり、いちばん地味だった子が政治家になっている。みんながあこがれた女の子は見る影もなく、月に一度韓国に行って整形をする。美人じゃないと言われた女の子は、有名な役者になっている。人一倍元気だった子は、事故で片足となりパラリンピックの選手となった。カラスの攻撃を受けてギャーギャー泣いた子が、暴力団の組長になっている。私すべり台は、そんな物語を見て来た。一流大学の教授になったり、弁護士や検事もいる。嘘つきで有名だった子は、大会社のトップになっている。私はすべり台だから、すべり落ちる人間をよく知っている。いちばん成功したのは、いちばんバカだった人、何でもバカみたいに一途になった人。長い人生は私すべり台と同じで、すべらない人はいない。落ちた先の砂場で泣きわめくか、よし、もう一度すべり台をはい上って行くかだ。

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2020年1月17日金曜日

第6話「私は度胸」

私は「度胸」である。実体はない人の中にある。私はあいつは度胸があるとか、度胸がないというように使われる。この世を動かし制する者、又、いざという時守るべきものを守れるのは、度胸のある人間だ。もし強さだけで世を動かせるなら、怪物のようなプロレスラーとか、格闘家、武道家、ヘビー級のボクサーが制すだろう。冒険家、探検家、登山家、マタギの名人、屈強な軍人たち、凄い人間は山ほどいる。が体力的に強い者がリーダーになれる訳ではない。体は小さくて、戦闘能力もない。吹けば飛ぶような人間が、実は最高実力者になり、歴史を動かして来た。何があったか、それは知恵と度胸、そして愛嬌だ。あとピストルの引き金を引く指の力さえあればいい。但しその度胸は並外れていないと命を落とす。人の心を掴む度胸、全財産をバラマク度胸、虎穴に入って行く度胸だ。人生とは度胸試しと言ってもいい。修羅場を乗り切るには度胸なのだ。金を貯め込んでいる人間は、実のところ金が減るのが恐くて仕方なく、いつも用心深くブルっている。でも、人に好かれたいと思って動くが、相手はただ金に付いているだけだ。本物の人間は嫌われる度胸がある。逃げなければならない時は、逃げ出す度胸がある。愛する者を守る時、引き金を引く度胸がある。(日本ではピストルは持てない)正月休みメキシコの麻薬王「エル・チャポ」を描いたドラマシリーズを見た。シーズン(1)、シーズン(2)、シーズン(3)、合計1200分位以上ある。チャポとは、小さいとか、チビの愛称である。この小さな(165センチ位)男が、一年間で5000人位殺されるという、メキシコの麻薬戦争を制す。(二度脱獄して現在投獄中)残酷な男たちのボスになる。何故かと言えば度胸がある。約束を守る。引き金を引く度胸がある。チビだからかわいい。そして、大統領をはじめ政財界から、税関、軍隊、警察、検察すべてに金をバラマキ思いのまま操る知恵がある。ナポレオンやチャーチル、鄧小平も、ガンジーやマンデラも体は小さい、が、度胸があったのだ。私は度胸であって、私から人は選べない。できることあれば、100人の敵を前にしても、ニコッと笑っていられる人の中に入りたい。でも、バァーンと人が銃を撃つ時は、胸を狙うから痛いのは嫌だ。日本国の野党のリーダーには度胸があるのがいない。小異を捨て大同につく度胸がないのだ。肩書きや政党助成金を取られたくないからだ。選挙に落ちるのが恐くて仕方ないのだ。島根出身の小さい体の元総理大臣は、目配り、気配り、金配りをモットーにして、大親分田中角栄を追い込んで、派閥を乗っ取った。ここ一番の時に金をバラマク度胸があったからだと言う人は多い。人間は現ナマを前にすると、99.5%の人間は取り込まれる(?) エル・チャポはそれを知り尽くしていた。

エル・チャポ