私は「筋肉」である。私筋肉には人に見せるほどの筋肉はない。しかし世の中には余りある人も多い。私筋肉が思うに、筋肉は有り金に似ていて、一度身につけたら金輪際離したくないようだ。人に見せたい筋肉は日々の鍛錬とプロテインを飲むことにより生まれる。通常の運動によって作られた使う筋肉と違って、ボディビルダーが如くのようになる。それは一見して分かる。こうして作られた筋肉は人に見てほしくなっていく。白いタンクトップを着ることを好み、ハチ切れんばかりの両腕や、肉体に砲丸が入ったかのような“チカラコブ”を自慢する。胸の筋肉は両腕の動きとともにビクビクンと動き、その下の腹筋は、モナカアイスのように分割される。あ〜なんて美しいのだと鏡の中の自由に魅入る。さらに両足はとなると、両ももは巨大な手羽先のようであり、両ふくらはぎは、柳葉魚(シシャモ)の大親分みたいになる。二つのお尻の山はまるでスイカだ。こうなるとやはり体は褐色というか、小麦色でないとマズイ。オイルを塗っては、日焼けサロンの紫外線を浴びる。タンクトップ(Tシャツ)を着ると、スカスカしていたのがウソのようになる。ズルズル、ブカブカしていたジーンズはパチンパチンと両足にへばりつく。オオ〜ついた。“アーノルド・シュワルツェネッガー”になったぞよとなる。道を歩く時は人の視線が気になって、道の隅を下を向いて歩いていたのがウソみたいになり、さあ〜見てみろと、全身の筋肉を脈打たせる。ショーウインドーに写る自分に見とれて、時を忘れる。私筋肉はあるジムに通っていた時、そんな大筋肉の人たちを見た。そこは○×気なとこだと聞いて、エッ、ナニッ、ソ、ソウなのと知りジムをやめた。そう言われてみれば、みんなやけに鏡を見ていたなと思った。私筋肉は昨夜、作家三島由紀夫のドキュメンタリーのフィルムを見た。天は三島由紀夫にありとあらゆる才能を与えた。さらに確かな家柄と、不足なき財力も与えられた。天才としての要素を全て持っていた。当然のように語学力にも優れていた。だがしかし天は一つだけ三島由紀夫に与えなかった。それは生来の肉体的コンプレックスに対して、私筋肉を持たないことだった。歴史にもしがあるとしたらと私筋肉は思う。もし、三島由紀夫が生まれながらに、長身であり、運動神経に優れ、スポーツを愛し日々練習によって、“自分の筋肉”を持っていたなら、全く違った人生を歩きつづけたのではないかと。軍隊の入隊検査で丙よりも下で不合格になった。つまり国家に役立たないと苦悩した。ならば思想でと右翼的思想を持ったにせよ、もっと違った行動をとったのではないか。私筋肉はドキュメンタリーを見ていてそう思った。あまりにも純粋すぎて、あまりに劣等感に満ち満ちていた。今朝少しばかりのウォーキングした。近所の海岸の側にある、ウッドデッキのところに立ちつくし、深呼吸などをしていた。そこへ一人の浅黒い筋肉隆々の小さな老人が、ひと息つきに立ち止まった。短パンにタンクトップ、ビッシリと筋肉がついている。きっとロングランニングの途中だろう。オッイチニ、オッイチニと声をかけながら体をほぐしている。私筋肉はひと言声をかけた。オジイちゃん、いい筋肉してるね、“ミシマスキ”と言った。オジイちゃんはタオルで汗をふきふき、ナヌッみたいに私筋肉を見た。もう一度“ミシマサンスキ”と聞くと、“アリヤーオオシマだ”と言った。確かに遠くに大島がぼんやりかすんで見えていた。天才というのは実にややこしく生き、そして市ヶ谷の自衛隊内でと思った。筋肉さえついていれば。私筋肉はこのコロナ戦争を三島由紀夫なら、どう論じるだろうかと思った。老人は富士山に向って走り去った。プーマのランニングシューズが音もなく見えなくなった。(文中敬称略)
2020年5月28日木曜日
2020年5月26日火曜日
第68話「私は散歩」
私は「散歩」である。初夏の海ひねもすのたりのたりかな、家から歩いて7分で海岸に着く。歩道橋への階段を上り下ると、江ノ島までのサイクリングロードがある。ウォーキングロード、ジョギングロードでもある。右を見て富士山が出ていればそれに向い、あいにく見えなければ左へ向う。時速4K位の速さで歩くと、次々と人に抜かれる。時には健脚のご婦人にも抜かれる。15分位でバーベキューができる場所になる。ウッドデッキにつかまってスクワットを30回する。バーベキューは誰もしていない。30分すると辻堂海水浴海岸に着く、すぐ側に広い海浜公園がある。広い駐車場はいつもなら満車だが、すっかり空いている。いい気持ちで深呼吸をする。ここにはかつて“おでんセンター通りという有名な(?)通りがあった。今ではサーファーストリートになっている。朝までやっているおでん屋さんが、長屋のように軒を並べていた。私散歩は深夜とか早朝によく気にいった店に行った。わずか40、50メートル位のところに20軒ほどあった。“ひげ伝”というのが有名で2店あったが、私散歩は一人では行かない。他より高いのと気位も高い。私散歩が通った店には、若い頃中居正広もよく来ていた。彼は平塚出身である。今ではスーパータレント中居さんなのだ。高校が平塚学園であった。残念ながらその店は、先年火事で全焼となった。今は辻堂駅近所でカウンターだけで営んでいると聞いた。私散歩は好きなおでんが目の前にある場所が空いていたら入った。おでんはやはりカウンターでおでん種を見ながら食べるのがいい。座席とかカウンターだと気分がおでんにならない。基本はやはり屋台だ。九州に行った時、一度博多大丸前の屋台に知人と入ったら、ビックリするほど高かったので、間違いだろうとモメた事がある。観光客はいいカモなのだろう。バーロこれからずーと博多にいるんだから毎日来てやるからな。ナメた値段をつけるなよと言った。観光客相手なのでどうせ一見の客からは、ボッタクリだ。店と店がケータイでつながっていて情報を交換していた。昨日江ノ島神社まで歩いた。往復約6時間だ。でもいい風と香り、いい気温、人はかなり出ていた。鵠沼ガーデンプールあとの、スケボー練習場なくなっていた。少年たちは道格とかで遊んでいた。さあ、あと一時半で江ノ島灯台だ。かつてここにかかる橋には、たくさんのおでん屋とか、ハマグリ、アサリ、サザエを買うおばさんがいて名物だった。私散歩は自転車でよく食べに来た。そして潮風に乗ってペダルを踏んで家に帰った。ただし観光客相手にはすこぶる高い。橋を渡ると突き当たりに有名な店がある。ボロモウケの店だ。私が行ったら店の主人は留守だった。サザエのつぼ焼き、イカの丸焼き。トーモロコシ焼き、ハマグリの潮焼き、この五点プラス飲料で、がっぽり稼ぐ。ハマグリは、ハマグリ的、浅利は浅利的、つぼ焼きは金正恩的、とほとんどが外国産。江ノ島でなんかほとんど獲れない。オーイ! バカ者いると聞いたら、トウモロコシを焼いていた若い衆が、スミマセン今日は組合の寄り合いでと言った。家から2時間半かけて歩いて来たから、早く来いと言ってくれと言った。江ノ島もコロナ対策で寄り合いが多いらしい。昨年は台風. 15号19号で完全にギブアップだった。階段を上がり、本殿に着いた。どうかみんながコロナになりませんようにと、手を合わせた。ここまですでに2時間余であった。それでも気分はよかった。水族館に行きたかったが、閉館中みたいだった。江ノ島でサザエのつぼ焼き二個と、ハマグリ的を一個食し、缶ビールを飲んだ。潮の香りがいいのと、しょう油の香りで大満足。本殿で200円おさいせん箱に入れた。私は神頼みはむかしから一切しない。人はいつもより少ない。もともとこれ位がフツーだったのだ。体中汗がビッシリだ。知人のワイナリーのオーナーに、ケータイから電話して頼んだ。実はあるはずのものがなくて、実にみっともないことがあったのだ。トウモロコシはいくつ粒々があんの、と先程の店の若い衆に聞いたら、えっ分かんないスッよと言った。じゃまた来るから今後まで、粒々数えておいてと頼んだ(笑)。それからゆっくりと3時間かけて歩いて帰った。サザエのつぼ焼きはいい香りであった。中味のなくなったサザエさんをよく洗って乾かしてブルーのカラースプレーで塗ることにする。きっといい置物になるはずだ。(文中敬称略)
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2020年5月25日月曜日
第67話「私は反対」
私は「反対」である。私反対は早急に自粛要請を解除することに反対する。何故ならば“生命をとるか、経済をとるか”との二者択一の問題に、それは当然“人の命”だろうとなった。その道を選んだ以上、例え他国が解除したと言っても急いで真似することはない。私反対はすでにあらゆる場面を想定している。私反対などの業界が元に戻ることはない。ほぼアウトだと思っていた、英国のジョンソン首相が、本人の言う通り“もうダメ”だと思ったほど、新型コロナウイルスの感染力は強い。私反対がお世話になっているさまざまな会社や、お店は一大事となっている。年が明けわずか二、三ヶ月で世の中は一変してしまった。みんなこうなったら、腹を決めねばと思っている。私反対が、反対するのは国も都も、経済界や医師会も、専門家たちも信用できないからだ。現場でがんばってくれている、医師の方々や看護師さんや介護士さんには、心から感謝し尊敬をする。分母(検査数)を出さないで分子(感染者数)だけ発表しても、全く信用できない。100年に一度の世界的パンデミックだというのに、二、三ヶ月で解除して本当に大丈夫なのだろうか。昨日夜九時〜十時五分まで、NHKスペシャルを見たのだが、コロンビア大学教授の伊藤隆敏なんかの分析は、高校生でも話せる位の内容でしかない。NHKは政府の御用機関でもあるから、ゲストを選ぶ人間は都合のいい人でしかない。他に海外のノーベル賞経済学者とか、元アメリカの財務長官とか、700兆円のファンドマネーを動かす投資会社の人間が、コロナ以降の経済とか景気の話をしていたが、いずれも一部の富裕層とか、内部留保をしこたま持っている大企業が相手の話だ。日本の99.5%位は中・小・零細企業や、村や町や街の中のお店なのだ。これからは持続性のある経営をしなければ、などと言っているが、そんなことはできれば何の苦悩もないんだ。ブルジョア学者よと言いたい。今、そして短・中・長期をどうするのかを目線を下げて、ちゃんと学問的に話せよと言いたい。三菱総研だかの女性がいちばんマトモなことを言っていた。(楽観できないと)伊藤隆敏なんかは歴代内閣の相談役みたいのもやって来た学者で、日本を世界一の借金国にした。つまり持続的なことを政府に教えずに、時の政府のご都合主義に合わせて来たのだ。国民一人ひとりに850万円近い借金を背負せた人間の一人なのだ。お気軽論でボーとしてんじゃないよ! と言いたい。私反対にとっては若いスタッフの人は、人さまの子の命。それを授かっているのだから、何より命が最優先なのだ。NHKが新型コロナウイルスとは“何物”かもはっきり分かっていないのに。「ウィズコロナ」なんて言っている。ウィズするには、その相手が分かってないと、ウィズの仕方もファジーなのだ。例えが悪いが結婚しても一緒に暮らす相手をずっと知らずにいるようなものだ。世の中みんな、みんな、みんな苦悩し、泣いているんだから、もっと100年に一度に対する真剣さを見せてほしい。NHKには政府代表で西村康稔コロナ担当経済再生相が出演していたが、中学生レベルの話しかできないことに、泣けてしまった。都知事選にホリエモンこと堀江貴文が98%出馬か(?)と書いてあったが、出馬したら小池百合子はきっと勝てないだろう。何故なら。政界渡り鳥より、刑務所でクサイメシを食った人間の方に、無党派は一票を投じるだろう。私反対は“急いては事を仕損じる”の教えを守る。たとえ地獄になろうとも、人さまの子の命は守らねばならない。富裕層には預金供出令を。大企業には増税を。無駄な公共事業は中止、当然オリンピックも。国会議員は大幅に減員。そのお金を教育関係に。中・小・零細企業や、フリーター、いろんなお店には減税と、給付金をいち早く。私反対のところに政府のマスクも、給付金の申請書も来ない。が、固定資産税を納付せよはまたちゃんと来た。日本には感染学者の専門家は、白鴎大学の岡田晴恵教授しかいないのか(?) もう見飽きてしまった。100年に一度には、100年に一度に対応できる対制を願いたい。第二波、第三波はどんなことになるのだろうか、安倍内閣の支持率が27%台(毎日新聞調べ)になった。今からでも遅くない、最後の一仕事と思い、キャリア豊富な人間を結集してほしい。そして、もう少しはましな学者たちを呼んでほしい。少なくても大学生レベルの話ができる人だ。もっと在野から人材を集めてほしい。(色つきでない直言屋士)私反対は今月末まで、座敷牢生活をつづける。格言「教式で計れないのが感情だ」早朝まで今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」を久々に見た。もの凄い作品だ。日本の女性は強くてたくましい。(文中敬称略)
2020年5月22日金曜日
第66話「私は解除」
私は「解除」である。私解除を国民全体が求めている。私解除は昨日やんごとなきことがあり東京へ出た。午後三時頃に新橋へ着いた。列車の中はガラガラであったが、新橋はもっとガラガラであった。運動不足気味だったので、知人と待ち合わせをしている溜池方面に歩いて行った。やけに寒かった。この時期では32年ぶりの寒さだとあとで知った。いつもいる人々がいない景色は不気味だ。富士山がなくなった静岡とか山梨県みたいだ。立ち食いそば屋さんは閉業中、フリスクを買うかと思えばキヨスクも閉業中、機関車広場も人はマバラマバラ。SL横の喫煙所にも人はいない。マクドナルドの店に並ぶ人はいない。いきなりステーキ店は、いきなり閉店状態。おっメンズショップの高久はと見ると、開店しているがお客がいない。不気味な気分で歩いて全日空ホテルのコーヒーラウンジに着くと、気のせいか照明が暗い。入り口に清毒液があった。いつもはかなり人が入っているのだが、私解除以外11人しかいない。私解除はソロソロ、アチコチ、アレコレ解除になって行くのだろうが、長い長いトンネルを抜けると、そこは、もっと長いトンネルだったとなることを予感した。他県から東京へ来ない、外国人も来ない。聞けばラウンジにいつもいた女性たちは、間引きされているとか。当然外人さんの姿はない。いつも打ち合わせ場所に使っている、老ジャーナリストの田原総一郎氏の新聞を広げている姿もない。外はやけに寒い。中はもっと寒い。私解除と会った右系知人は、安倍内閣を武装解除、解体するのがこの国にとっていちばん大切だと、着席してすぐに言い放った。すこぶる怒っていた。民主党政権時代を悪夢の時代と言ったが、今では悪夢より悪い安倍政権時代としてその名を残すだろう。オーイ誰かいないのと声をあげた。いつもならいそいそとオーダーをとりに来る女性が少ないからだ。こういう内閣が続くと大地震が来るような事になる。ヤバイよ日本中がガタガタ揺れているんだから。珍しく私解除はずっと聞き役であった。何故かと言えば、私解除もそう思っているからだ。内閣の内部内崩壊ではないだろうか。黒川検事長のマージャン賭博はもう言葉を失う。カジノと犬が趣味なんてよく分かんねえ奴だ。パクる(捕まえる)側のボスが、パクられることを新聞記者(この人たちは情報入手のためならなんでもする)とやっていたなんて、実は前からそんなことは、知っていたが、それが外にダダもれするという、内部からのリーク(密告)で、政権がグリップされていないことをさらけ出した。なにしろ警察庁出身の幹部が、官邸にいてあらゆる情報をつかんでいる。(この中の誰かの指途だろう)FBIとかCIAと同じだ。きっと訓告処分位で退職金一億円近くを手にするのだろう。海に向かってバカヤローと声を発するしかない。(今日四時半頃の海はブルーグレー、波打ち際には釣り人ひとり)私解除は甲子園中止に涙する。来年の箱根駅伝も中止かもしれないとか、オリンピックもかなり中止に近づいている。私解除は新型コロナにお願いしたい。どうか少年少年の夢をイジメないで、新たな生命の誕生をイジメないで、私解除たち弱き者。貧しき者をイジメないでと。そして老人たちをイジメないでと。昨日午後七時東京駅から湘南ライナーに乗ったが、おもしろそうな人も、おもしろくない人も、あまり乗っていなかった。東海道線内がおもしろくなる日は来るのだろうか。柿ピーとか、サキイカの臭いがなつかしい。家に帰り、ネットフリックスの海外人気ドラマシリーズの続きを見る。何しろ長い。「ハウス・オブ・カード 野望の階段」、私解除はつくづく思った。やっぱり最後に勝ち残るのは、女性の魔力、女性の野望だ。すがりつく男との関係なんて、いつもカンタンに解除する。物語りはアメリカのホワイトハウス内の権力闘争と、女性たちの性力だ。新型コロナウイルス級に女性は怖いと、思いつつ私解除は明け方まで見ていた。
2020年5月20日水曜日
第65話「私は満席」
私は「満席」である。私満席は各界の興行主さんとか、各業種の店主や支配人、お女将さんたちに大いによろこばれた。今日はお客さま様が満席でよかった。そうですねようござんしたねと、店の看板の灯りを消したり、のれんを外して店の中に入れながら、私満席をよろこんでくれた。店の主人やお女将さんがお店で働く人に、まあ、今日はおつかれさん、冷たいビールでもとなった。日本語の中で「満」という字は、かなり好ましく使われている。マージャンの役満とか満貫。自信満々とか組合運動で給料の交渉満額解答。桜の花が満開とか、刑期満了、定期積立満期。他に満々とある、嫌な使われ方と言えば“満員電車”位だ。今はどこもかしこも閉店が多い、店を開けていても、満席なんて夢のまた夢だ。これからはソーシャルディスタンスとかで、口角泡を飛ばして議論風発なんて許されない、またお客も好まないだろう。マスクをした者同士が、マスクを外しては飲み、またマスクをする。またマスクを外しては酒の肴を口にする。奇妙なシーンが新常態となる。あ〜嫌だ嫌だの世の中になるのだろうか。昨夜映画「白と黒」を見た。脚本が橋本忍、監督は堀川弘通である。主役は小林桂樹と仲代達矢。当時の名優たちの名がズラリズラリとクレジットに出る。お〜久しぶりみんないい役者さんばかりだった。でもみんな死んでしまったなあ〜と思った。おっ、まてよ一人生きているぞと映画を止めた。「大空真弓」さんだ。当時は東宝の新人だったのだ。私満席が十代の時にこの映画を見たのだから、大空真弓さんはもうかなりのお歳だろう(女性に年令は禁物)確か七度位癌の手術をしたはずだが、常に前向きで明るく、知的で強い女性だと、神楽坂の焼鳥店に通う先輩に聞いた。その店は“○△ちゃん”と言って、著名人、芸能人、文化人のお客さんでいつも満席であった。大空真弓さんも通客であった、壁にサインした色紙があったのを、憶えている。映画での役は仲代達矢演じる若手弁護士の恋人役だった。(とても美しかった)この弁護士には愛人がいた。昭和は愛人の時代だ。夫は老弁護士で、若手弁護士はその先生のところで働いていたのだ。ある夜ベッドを共にしたあと、話がもつれて首をしめてしまう。そしてその場から逃げる。キャーッ死体を見つける、(夫人宅の女中さん)ところがすぐに犯人逮捕となる。その夜殺人現場近くでドロボーが捕まったのだ。若手弁護士はビックリする。担当になった検事(小林桂樹)は自白をさせる。が、詳しく調べるとどうも犯人は別にいるのではと思う。ドロボーの弁護士になんと、若手弁護士の事務所の先生、つまり殺された女性の夫が受けることになる。さあ〜この先は松本清張的ワールドになる。それは黒い世界だ。昭和の時代は、私満席の世界でもあった。満席の飲み屋、満席の喫茶店。満席のパチンコやビアホール。出世がからむ検事は自白を強要している。もし若手弁護士が自分が調べたように真犯人だったら、検事としての地位はパーになる。アスファルトではない砂利道の先にある旅館。暗い路地、千駄ヶ谷駅、ギューギューの満員電車、社宅に文化住宅。カーラジオからファンキーな音楽、大金持の娘、その娘と結婚して名を成したい若手弁護士、出世が近い敏腕検事。事件の先の白と黒とは。私満席は松本清張的映画の大ファンである。故三島由紀夫は文壇の中で、いちばんジェラシーを感じていたのは、松本清張だったと何かで知った。映画は見てのお楽しみだが、令和の時代でも冤罪は生まれる可能性はある。浮気や不倫は事件を呼び、人生を崩壊させる。検察庁の人事の法案があったのでこの映画を選んだ。1963年製作テレビは白黒であった。私満席の家にも小さな白黒テレビがあった。何故か画面の前には緞帳みたいのがあった。メーカーはゼネラルテレビだったはずだ。(文中敬称略)
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2020年5月19日火曜日
第64話「私は成程」
私は「成程」である。私成程は現在、座敷牢にいる時間が多いので、以前より何故だったのかと言うテーマが追えた。それはA・ヒトラーが生んだ戦車主体の機甲軍団が、戦史、戦略家も「こんな速い進軍は考えられない」と思っていた謎だ。何故一日二日で森林の中200数十キロも進めたか。又、空軍も海軍も潜水艦も、“アンビーバブレ! こんなの信じられない”作戦が可能になったか、等々である。その答えは、ドイツ軍はずっと眠らなかったのだ。私成程はエベレストに登頂するがごとく、ローレンス・フリードマンの「戦略と世界史/上下」約1000ページを30日位かけて、やっとこさ読んだ。浅学を極める私成程には難事なことであった。購入してから二年近く積んであった。ネットフリックスで「ヒトラーの共犯者」とか「ヒトラーと麻薬」とかのドラマシリーズや記録映画を見た。ヒトラーは第一次大戦の時はただの伝令だった。最高軍位は伍長であった。オーストリア生まれで生来胃弱な男、絵描きか建築家を目指していたが、才能はなかった。得意と言えばファナティック(狂ったような)な演説力だった。第一次大戦でコテンパンにされたドイツは、巨額の賠償金を負わされていた。不況のどん底だった。ヒトラーは伝令として従軍、銃弾飛び交う地獄のような塹壕戦の中で、被弾して戦場を離脱、入院生活をする。この入院生活の中で、体の中に潜んでいたサイコパス的性格が現われる。この取るに足らない胃弱な男に目をつけたのが、富裕層の代表で熱烈な人種差別主義者(反ユダヤ人)劇作家のD・エッカートであった。ある日ビアホールのような酒場で、熱弁をふるうヒトラーを見て、これぞ求めていた“救世主”だと決める。影響力が大きい、エッカートの支持を得てアレヨ、アレヨという間にリーダーとなって行く。私成程は知った、ドイツ第三帝国といっても、実は数人の側近たちによる権力と権欲の、取り合いであった。エッカートの一番弟子だった。ルドルフ・ヘス(副総統後に自殺)、策略家でゲシュタボのトップになったH・ヒムラー(後に自殺)片足が不自由で冴えない脚本家だった。Y・ゲッペルス、天才的な弁舌で宣伝相となる(後に自殺)冷血漢で最悪の男と言われた。M・ボルマン(後に自殺)突撃隊、E・レーム(後に射殺)そして一番の大物が空中戦で22機を撃遂したと言う、空軍の英雄H・ゲーリングであった。伍長だったヒトラーに、国民的英雄で空軍大将のゲーリングがつきナチス・ドイツは猛ビートで進撃を始め、奇跡的に第三帝国を生む。ゲーリングはモルヒネ中毒で、アル中だった。無類の美術収集家で、侵略した国々の美術品をかたっぱしから手に入れた。実業家で社交界のスターだったゲーリングがつかなければ、第三帝国は出現しなかったはずだ。私成程はそうかと知った。ゲーリングは精神科に入院していた。これら数人の異常な側近たちが、時に手を組み、時に敵対し、それぞれ疑心暗鬼を持ちながら、強大な権力と権欲を手にした。さて、話は長くなった。ドイツ軍は何故強かったのか。それは、戦後連合国が手に入れた資料で分かった。答えは“覚醒剤”である。酷い胃弱だったヒトラーは、主治医にいろんな薬を調合させていた、睡眠剤、精神安定剤、興奮剤、数十種に及ぶ覚醒剤であった。熱狂的演説をするヒトラーは、実はヘトヘトに疲れていた。性的コンプレックスを抱えていたので、シャブ中(覚醒剤中毒)になるのは必然であった。そしてドイツ軍全体をシャブ中にして行ったのだ。ドイツ軍は一睡もしないで進撃していたのだ。私に成程は合点がいった。一日に何本も打ったり、錠剤を服用した。陸・海・空ドイツ軍全体が眠らない殺人鬼と化して行った。シャブ中はエスカレートする。その先に「アウシュビッツ」などの強制収容所でのユダヤ人虐殺があった。“砂漠とキツネ”と言われたロンメルの戦車隊の奇跡は、シャブ中だからできたと分析された。(何しろ眠らないのだから、速い作戦が可能になる)ドイツ軍には何かあると読んだのは、英国のW・チャーチルであった。答えは薬物とつきとめ反撃に出たチャーチルは、薬品工場を徹底的に空爆して行った。日々数千万錠を必要としていたドイツ軍は、クスリが切れて、疲労度が過足度的にアップ、兵士はヘトヘトになって次々と敗戦をした。ヒトラーは朝から強力な覚醒剤や、胃弱の薬を打ったり飲んだりしなければ、恐怖と不安と戦えなかったのだ。サイコパスであったヒトラーが最後に側近にしたのは、若い愛人エヴァ・グリーンのために建てた、別荘の建築家A・シューペアであった。シューペアはサーチライトの天才と言われた。政治家でもなく、軍人でもなく、策略家、殺人鬼でもない一般人だった。シューペアは処刑されず20年の刑となり、七十六歳で死んだ。回想録を書き遺した。「恐ろしいのは物語りの始まりより、結末の見えない終り」だと言う。私成程はどこかの国の話に似ているなと思った。又、コロナは始ったばかり、その結末はと思うのであった。
2020年5月18日月曜日
第63話「私は残念」
私は「残念」である。私残念はずっと座敷牢生活をしている。4月17日と5月15日だけ東京に出た。ガラガラの列車、ガラガラの街、休業中の店ばかり、デパートもやっていない。こんなの見たこともない、終末的風景が広がっている。おもわず顔を叩いたら痛い、夢ではないのだ。15日夜ついにというか、やっぱりファッションの名門「レナウン」がとても残念になった。既に香港資本の傘下に入っていたが、コロナショックでトドメを刺されたようだ。かつてはNO1ブランドであった。私残念が食を得ている広告界には“レナウン以前。以後”という言葉があった。それは、レナウンの有名なCM「ワンサカ娘」が衝撃的であったことと、当時「太陽がいっぱい」という大ヒット映画の主役「アラン・ドロン」が、日本のCMに登場し、ヘンテコなフランス語(フランス語が分からないので)で「ダーバン」というブランド名を言った。小林亜星大先生の作曲によるCMソング「ワンサカ娘」は、おシャレで、動感があって、チャーミングで、画期的であった。♪〜 ドライブウェイに 春が来りゃ……プールサイドに夏が来りゃ……イェイェイェ イェイ イェイ……。と、みんなが口ずさんだ。’92年当時「日曜洋画劇場」という番組があった。淀川長治さんが番組のシメに「映画っていいですね〜、それじゃ、サイナラ サイナラ サイナラ」で有名であった。広告を目指す者なら、みんなこの番組を提供している四社の仕事したいと夢見た。私残念もその一人であった。「レナウン」「サントリー」「松下電器」(当時)「ネスカフェ」の四社であった。60秒のCMを流し、その作品で優劣を競った。クリエイターの超花形ジョブ(仕事)であった。CMソングの名作は数多いが、「ワンサカ娘」は歴史的名作だったと言える。レナウン以後外人モデル、先鋭的ファッション、超大物外人俳優が日本でも起用できる。その先駆けであった。日曜洋画劇場で他社よりいい作品をつくり広告賞をとらないと、制作者が変えられるという話まであった。四社はエース級のクリエイターたちを起用した。レナウン以前、日本のファッションは、“ネズミ族”と言われるほど地味であった。日本人は灰色のイメージであった。レナウンブランドはデパートに対しても、特別なポジションを得ていた。ファッションが文化となって行く。PARCOがデビューした時、「モデルだって顔だけじゃだめなんだ」とメッセージした。つまり顔やスタイルがよくたって、ファッションセンスがない人はダメよと言うことであった。“ファッションに強い国民になろう”がコンセプトだった。サントリーはスコッチの国イギリスで、“サーの称号”を与えられていた。ジェームズ・ボンド役「ショーン・コネリー」を“日本のウイスキー”のCMに起用するという快挙を成しとげていた。ネスカフェは「違いがわかる男」シリーズで遠藤周作先生を起用、松下電器は日本の電化文化を、三田佳子さんを起用して、軽妙かつコミカルに表現して数々の名作を世に出した。私残念は一張羅に“ダーバン”のスーツを買った。レナウンが再生されることを願う。大変お世話になった「オンワード樫山」さんや「三陽商会」さんも、かなり厳しいようだ。なんとか、がんばってほしいものだ。私残念の業界も先が見えない中にいる。ガランガランの銀座を歩いていると、ファッションのブランドショップも当然クローズしていた。このまま終わってしまわないでと、ショーウインドに声をかける。それにしても、小林亜星大先生は、演歌の「北の国」から、「ワンサカ娘」まで、360度の音楽の世界を持っている。私残念は心から大尊敬をしているのだ。ガンバレ! レナウン。このままサイナラ、サイナラ……にならないでほしいものだ。記憶が正しくないところがあるかも知れない。確かボギーこと、「ハンフリー・ボガート」がレナウンのアクアスキュータムのコートを着ていた。(通称ギャングコート)(文中敬称略)
2020年5月15日金曜日
第62話「私は無視」
私は「無視」である。何を無視するかと言えば、いわゆる「有識者会議」とか「専門家会議」という政府からお声がかかりの会議だ。これらの会議には、一言居士の人とか、石垣直角の正論居士の人とか、ノーベル賞受賞者とかの、最高学者はほぼ出席しない。と言うより政府は呼ばない。お上の言いなりになるいわゆる「御用学者」とか専門家、あるいわしっかりと言いふくめた通りに会議をリードできる人たちを集めるようだ。20人以上集まってやる会議となると、何もしゃべらない人の方が多い。でも日当はもらえるし、専門家会議に呼ばれて、気分は悪いことはない。飲み屋とか銀座のクラブなどに行って、今日は○×○×専門者会議に出てきたんだ。えっへんとなる。まあ〜なんだなあ、××君は×××で頭が固い。(?)(?)君は相変わらず(?)(?)でよく分からん。△△君は古い理論ばかりで勉強が足らん。で、先生はどんなことを言ったの、教えて、教えてと、大きなお乳を寄せられると、水割りなんかをこぼしながら、実は今日はワシが話すことはなかったのだ。会議の前日に政府の仕切り役から電話があって、こうして、あ〜して、こう話を進めますから、大先生はただひたすら、フムフムその通り、それでいいとの態度をとってくれとのことじゃった。キミ水割りがちょっと濃いね、お乳が体に触れすぎだ、キミはいくつ、かわいいね、生まれはどこ、えっ○×県ワシと同じだ、いいね、いいねとなる。付き人は女性が次々と出す名刺を、せっせと集めている。私無視はこんな風景をかつて夜の街で何度か見て来た。テレビのゲストコメンテーターを生業としているような、不届きな連中も多い。政府のスポークスマン「田崎史郎」と言う、恥知らずのジャーナリストとは会ったことはない。いわゆる評論家たちとか、アナリストとか、テレビ弁護士とか、客員教授、特任教授、専任教授とかいう肩書き教授たちだ。私無視は物好きなので、そんな教授とかアナリストたちがいると、ヤァ〜お久しぶりですなんて言っては、ちょいと同席し、まぁ一杯どうです。オ〜イちょっと黒服さんとか、チーママを呼ぶ。えっ、あなた誰(?)みたいにキョトンとされるケースもあるが、私無視は無視をして取材(?)する。みんな遊び慣れていないのが多い。自分のお金では飲める場所ではない。(私無視はずーと行ってない)私無視が無視しないのは、いわゆるゴロ新聞の社長や記者たちだ。発行部数500部位のペラペラ新聞で、途方もない広告料をとる。あるいわ裏情報を高く売る。夜の街は生きた情報の街でもある。怖い筋もいれば、ライトウィング系もいる。有識者とか専門家たちは、夜の街では取るに足らないつまんない存在である。女性にはまずモテない。御用学者はよく見るとわかる。必らず目が泳いでいる。周囲が気になるのだろう。そしてのどがよく乾く。女性の胸の谷間に目が釘付けになる。先生は御用学者ですよね、なんていきなり言うと、実にオドオドとする。中には、その通りだワッハハハと笑う強者もいる。こうした所でいい酒が飲めるからな。政府御用達の学者たちは、東日本大震災の時、次々とテレビに出て、原子力発電所は決してメルトダウンはしないと言い続けた。それ以来私無視は、御用学者は無視している。そんな事より、銀座、赤坂、夜の街が大ピンチだ。これは無視できない。政府の救済の対象外業務だからと言う。あれだけオッパイ触ったり、おしりを触っていたのに、あれは必要ないなんて、あまりじゃないのと、私無視は怒るのだ。職業で人を区別してはイケナイ。乳飲み児を抱えている女性や、女手一つで子育てをしている女性も多いのだ。ぜひ「夜の街救済の有識者・専門会議」を開催してもらいたい。私無視の友人を呼んでいただければ、きっとよろこんで参加する。又、「映画、演劇、音楽業界等救済会議」もすぐに開催してもらいたい。ミュージシャンやアーチスト、文化人たちが息も絶え絶えとなっているので至急を要する。この会議には私無視は参加できない。文化の知識を有していない。が人は紹介できる。(文中敬称略)
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2020年5月14日木曜日
第61話「私は周戦」
私は「周戦」である。終戦とは違う。新型コロナとの戦いに終戦はないことを、今後しっかりと身につけなければならない。グルグルと周回を繰り返す戦いが、このウイルスとの戦争である。時には大きく動き、時には静かに小さく動き回る。私周戦はこんな経験をしたのは、新型コロナウイルスがはじめてである。モノゴコロがついた時から戦さに明け暮れて来た。その場合はちゃんと相手が見えていたので、勝つための戦略とか戦術が成り立った。原始人類から現在の人間まで、歴史は戦いの歴史である。古代エジプト・ギリシャから現在に至るまで、人と人は戦争を周回させて来た。それはまた疫病との戦いでもあった。人間が動物である以上、疫病から逃れられない。人間が英知を集め疫病を克服しても、疫病も進化し人間を克服する。追いかけっこなのだ。“悪女の深情け”とか“情悪男の泣き落とし”と同じで、どこまでもヒタヒタとつきまとう。最後は生きるか、死ぬかになる。疫病を生むウイルスは“ヒトのココロ”を持つがごとく、あざ笑うように拡散する。疫病はほぼ制圧して来たが、その種は生きつづけている。ウイルスは完全にはくたばらない。人間でいえば、ジメジメと嫉妬深く、ヌメヌメと掴みどころがない。嫌な奴なのだ。見えざる手によって首を絞めるがごとく、人間を苦しめる。人間という字は、人と人の間だとしたら、今回の新型コロナウイルスは、人と人との間を2メートルに引き離した。社会と会社、人間と人間、家庭と近所、家族や夫婦、それらの距離が劇的に変化するだろう。この変化に応じる戦略と戦術がないものに明日はない。出口戦略と言うが、出口などはない。新型コロナウイルスはグルグルの同心円状だからだ。拡散するその周囲が大きくなったり、小さくなったりするだけだ。第2波、第3波と回る。人間は人類が進化した“動物”であることを、改めて知らねばならない。(動物界では唯一なんでも飲み食べる)私周戦は想像する。今日14日、解放された人々が、まあ〜長かったな、退屈だったな、もううんざりだよ、さあ、まあ一杯、マスクなんか取れよ、そんな2メートルも離れないでよ、お酒が届かないじゃん。えっ、国からのマスク2枚届いてないの、ウチもそうだよ。あ〜やっぱり外で飲む酒は旨いな、家でさ女房がお酌してくれたんだよ、ニタッと笑ってさ、不気味だったよ、命を大切にしてよだって。テレワークってやだね、このまま会社に来なくていいよ、と言われそうでさ。明日上司に呼ばれてんだよ。私周戦は久々にカミュの「ペスト」を読んだ。何をすべきかと言えば「自分のできることを誠実にする」と言うことであった。それをグルグルと周回させて行くしかない。一人ひとり、そしてみんなで。新型コロナウイルスと「共生」する。孫子曰く「相手を知り、自分も知って戦わないで勝つ」。まずは、堅気の人は手を洗う。ヤクザ者は、足を洗う。そして次へ……。すこぶる誠実に生きて来た、私周戦は明日東海道線でいざ東京へ。
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2020年4月30日木曜日
第60話「私は家賃」
私は「家賃」である。落語の世界では私家賃を取り立てる大家さんが多く出てくる。話の分かる大家さんもいれば、鬼のような大家さんもいる。総じて江戸時代長屋の大家さんは善い人であったようだ。“職人殺すには刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい。”と言われた。職人たちは雨が降ったら仕事ができないからだ。私家賃も職人さんたちと同じで、雨ならぬ電話が三日も鳴らねば仕事にならない。それが一ヶ月、二ヶ月と続くと、大家さんに頼んで私家賃をしばし止めてもらいたいとか、この際少しばかり相談に乗ってもらいたいとなる。私家賃の亡き父は貧乏弁護士であった。専門が「借地借家法」であった。出て行ってくれと言う、大家側の弁護士は成功報酬は高いが、亡き父は出て行かされる方の側なので、全く報酬には結びつかない。故に貧乏であったと亡き母からよく言われた。鬼のような大家は幼い子どもがいる家族でも、強制執行をして家の外に放りだしたと言う。大きな家屋敷に住んでいる人間は、ほぼ悪事に手を染めているか、金の亡者が、代々弱い民からなけなしの金を、搾り取っている人間と思って間違いない。世のために人のために生きていたら、大きな家屋敷に住むことはできない。亡き父はそう語っていたと言う。私家賃は今日参議院の予算委員会を、朝から午後四時頃まで見ていた。今、世の中の仕事は殆ど動いていない。各種企業をはじめ流通や飲食、映画演劇など娯楽施設をはじめ殆どが、自制・自粛している。そしてフリーランス。それぞれみんな私家賃の支払い問題を抱えている。仕事があってこその私家賃だからだ。小は畳一畳から大は大フロアのオフィスまで、お客が入ってこその商業ビル。そこに入っているテナントが全部出てしまったら、ただの箱空間になる。国会風景を見ていると、与党席の何人かが熟睡しているではないか(名は伏す)そんなアホ人間に、今大問題の私家賃を心配する気など毛頭ない。私家賃の住んでいた、杉並区天沼の小さな家には、父亡きあと、大家から追い出された人たちの裁判記録の書類が、山ほどあった。財産らしき物は何もないのに、なんでこんなに書類があるのと、差し押さえに来てアレやコレやに赤紙を貼っていた、役所の人間が言っていた。その頃私家賃は中学生だった。家賃を滞納していたからだと知った。私家賃は金持ちに嫌悪を感じるのは、家中ベタベタの赤紙を見たせいだろうと思う。時代劇の中の大家にはヤクザを使って追い出す悪人が多い。今も続いているか分からないが、かつて毎月15日は競売の日だった。会社が倒産したり、諸事情で破産したり、家賃が払えず強制執行されたりした諸物件が、競売にかけられる。その日、その日の仕切り役が事前の談合で決められていて、アレはアソコ、ココはオレ、アレとアレはこうして、ああしてと次々に競売は進んでいく。伝統ある老舗旅館とか、誰が何をやって建てたのかという大邸宅や、私家賃が住んでいたような家屋まで、二束三文のような値段で取り引され競売成立となる。役人たちは見て見ぬふりでシャンシャンとなる。今話題の地面師たちだったのだろうと思う。少年時代の忘れられない光景だった。国会を見ていて思った。これからは家賃問題に取り組む法律家や、政治家が国民の支持を得るはずだ。給付金は一回か二回こっきりだが、家賃は何年もだからだ。私は亡き父の遺影に向って、日本国中“家賃”の問題になったよと声をかけた。神田の古本屋さんに行くと、亡き父が著した専門書物があると、聞いた記憶がある。私家賃は貧乏人の代弁者であった亡き父を誇りにしている。悪事悪業をしない貧乏は人間の誇りなのだ。五月七日まで休筆をする。いい弁護士を必要としている人には、いい人を紹介する。
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