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2010年9月15日水曜日

湘南の嵐便り 「紅がら」


湘南茅ヶ崎、辻堂に来たらぜひ「手打ちそば 紅がら」に寄って下さい。

紅がら外観


目印は松下政経塾の塔の隣、ポルシェのショールームの斜め前です。

ポルシェのショールーム


30年余、開店以来のお付き合いです。
とても人気がありいつも待合い室から外までお客さんでいっぱいです。
開店当時はご主人が、今は娘さんのご主人がそばを打っています。



我が家はみんなおそば大好き。
私も日曜や休日の昼に行きビールか冷酒に板わさや出し巻き玉子、ヤキトリ二本、季節によって富山の白海老や駿河湾の赤海老の天ぷら、天然鮎の焼き物や天豆などをつまみに新聞を読む。仕上げは天ざるか、つけとろそばか鴨せいろを食すのが長い間の週間となっている。時に茶そば、紫蘇切りそばとかを食す。



嫁に行った娘や近所に住む息子は「紅がら」のお座敷で育った様なところがある。娘達は我が家に来ると必ず「紅がら」に行く事になっている。とても明るく素敵な女将さんとは仲良しである。私の展覧会の時は家族揃って来てくれました。

おかみさん


混んでいる時並んでいるとグラスにビールを注いで持って来てくれる特別な仲なのだ。
私の紹介で来ましたと言ってくれればきっと喜んでビールセットを出してくれるかも。


政経塾出身の議員も「紅がら」ファンだ。
それでも一時に比べるとお客さんは減ってきたとか、見た目と違って何人も使っているので厳しいのかもしれない。

孫達は支払が終わると1人に一個お菓子が選べる、それが楽しみなのである。
私の行動をよく知っている友人は休日家に来て居ないと「紅がら」に来る。

2010年9月14日火曜日

湘南の嵐便り 「再びヲットマン」

若かりし頃いろいろやんちゃをして体中怪我だらけとなった。
年を重ねるとアチコチが痛くなる。過去は現代の体に生きているという訳だ。

首、肩、背中、腕、腰、坐骨が特に酷い。寒くなると格別に痛くなる。

辻堂駅西口駅前にヲットマンという友人が経営者として名を連ねる治療院がある。
ヲットマンは長椅子から足を伸ばすとそれを支える小さな椅子の事である。訪問治療も行っている。横浜と合わせて20人近いスタッフがいる。

ヲットマンのみなさん


私が世話になっているのが写真右から冨田さん、長田さん、細渕さん、内藤さんだ。

週に二度は行く、超不眠症の私にとってヲットマンや会社の側のからだリフレッシュ工房での20分か30分の熟睡は命綱なのだ。

人間には108のツボがあるというが(煩悩の数と同じ)足ツボをグイグイ押されると悲鳴をあげていわゆるイタキモという痛いほど気持ちいいという訳なのだ。

鍼、灸、アロママッサージ、マッサージ、足裏マッサージ等でグイグイ体を攻めてもらう、イテーとかイタイイタイとかアツーイとかヤメテクレとか声だけ聞いているときっとSMクラブの様であるだのだろう。

スタッフのみなさんが心を込めて私の体を手入れしてくれるのです。

みなさん体の手入れを怠ってはいけませんよ。
のたうち回って生き返る、これが大事なのです。
同じベットの上でも違う気持ちいいことがあります、それを楽しむためにも。

「人生は重き荷物を背負いて歩くが如く」と徳川家康は言った。
人生の旅夢を追う旅を続けるためにも。
イタキモのススメです。



是非ヲットマンへ本当に優しくていい人達なのです。

2010年9月13日月曜日

湘南の嵐便り 「まさに」

政治家達が演説をするとやたらに「まさに」を連発する。

「まさに」今、「まさに」これから、「まさに」その問題にという具合に何度も「まさに」を口から放出する。
物事に自信が無い時や、展望が開けない事に政治家は「まさに」に頼る。


サラリーマンが退社後元気一杯になる。
一杯飲み屋に居ると「ハッキリ言って」とか「正直言って」とか「俺はヤル時はヤル」とか「言うときは言う」とかを連発する。



例えばこんな調子で、あいつ(上司)の事は俺は絶対許さない、ハッキリ言って直接言えるのは俺だけだろ、正直言ってみんな意気地がないんだよ、俺は昔からヤル時はヤルし、言う時は言うんだ。君たちよく知ってるだろう、理不尽な事は許して来なかったんだから。

なんて焼酎のお湯割り梅干し入りを飲む。割り箸で梅干しを突いて崩しまくる。お母ちゃんから割り当てられたお小遣いは1000円だ。つまみはモロキューともつ煮込みだけ。お湯割りは二杯までだ。



この頃不景気のせいか立ち飲み屋が大繁盛、先程の元気のいいおじさんサラリーマンの話を聞いている若手二人はシラーとしている。
又始まったよ、まったくとハッキリ顔に描いてある。


実はこういうお湯割りおじさんサラリーマンは会社ではいるかいないか判らない人が多い。プライドなし、向上心なし、反骨心まるでなし、バカアホ辞めちまえ役立たずと上司に怒鳴られてもひたすらぺしゃんこになって時を稼ぐ。口応えなんてとんでもない事なのだ。
だがしかし会社を出て赤のれんや立ち飲み屋に着くと別人と化すのだ。イワシの死んだような目はランランと輝き、お湯割りをグイと呑み込むとブルブルと身震いし体中にモリモリと力が湧き出て別人へ向い出す。



「まさに」今、私はこんな本を企画し出版しようとしている。
神田和花さんという女流作家に執筆を依頼している、それ故大嫌いな赤のれんや立ち飲みやさんの取材をしている。私は群れた行動が嫌いで出来ないので正直シンドイ。

神田和花さん


本の題名は「何故サラリーマンは夜になると元気になるのか」
お湯割りから一歩ジャンプアップしてスナックに行きトリスのハイボール一杯でカラオケを何曲も歌うサラリーマン達の元気一杯の事といったらない。

河島英五の酒と泪と・・・なんて曲を歌っている男はコーコツの世界に居る、飲んで飲んで飲まれて飲んで、ハッキリいってヨォ、ウルセイんだよ。
正直言ってヨォ、下手なんだよ。

他のお客さんから叱られても全然平気なのだ。

2010年9月10日金曜日

湘南の嵐便り 「栄華の五目中華ソバ」


私は五目中華ソバが好きである。

旨い店があると聞けば洋の東西を問わずその店に行ってみる事にしていた。
結果、いかに名のある店もこの「栄華」には勝てない。

栄華の外観
一見不景気のあおりを受けて閉店した訳ではない、私が通り過ぎた日丁度定休日だったのだ。


「栄華」といっても栄耀栄華を極めた訳ではない。
「栄華」を辞書で引いてみると世の中にときめき、栄える事、贅沢。英語ではプロスぺリティと書いてあった。

この店は私がかつて住んでいた藤沢市辻堂の住宅街にある。
昔から正直汚く、今は更に汚くなっている。かつては夫婦でやっていた。入って直ぐ左に五人掛けのカウンター、その側にマンガ本のはいっている書棚がある。右に四人掛けのテーブルが二席ある。見上げると古いテレビ、顔を横にすると冷たい水が入ったタンクがある。

奥さんはかなり前に病気で亡くなった。愛妻家であった店主は暫く店を休んだ。
私は月に二度この店の30メートル位のところにある床屋さんに行く。今住んでいる茅ヶ崎から自転車で15分位である。

ある日床屋さんに行くと「栄華」がまた始めたよといわれた。何でも娘さんが手伝う事になったとか。あっそうじゃあ五目中華ソバを食べに行こう、色んな店で食べたが「栄華」が一番、次がやはり小さな店だが銀座二丁目にある「菊鳳」だ。どんな一流店もこの二軒には及ばない。

栄華の中華ソバ

正しい五目中華ソバには、切り身を入れたイカ、カニかま、ゆで卵(二分割)、伊達巻き、チャーシュー、筍、青梗菜、人参、かまぼこ、白菜、ネギ、キクラゲ、小さな海老が絶妙の味付けで入っていて美しく麺の上にデザイン的にレイアウト、ディスプレイされていないといけない。麺は細めがいい、つゆは白濁の色合い、塩の味加減で決まる。

ほんのりした塩鰺がいい。少し垂らしたラー油と少しかけたコショウと食べる事にしんなり、はんなりコラボレーションしていく。スープは飲む度に深味が出て来ないといけない。
この決まりというか掟を守っているのが「栄華」と「菊鳳」だ。
菊鳳外観

菊鳳の中華ソバもこれまた絶品!

「栄華」に入るといらっしゃーいと若いはずだが老け顔の小柄な娘、父親は髪の毛がほぼ無くなり扇風機の風に残り毛がそよいでいた。首には日本手拭いがネジのように絞られ巻かれていて汗まみれだ。やがて五目中華ソバの登場、久々だ、ご対面だ、相変わらずほれぼれするお姿ではないか。

まずレンゲでひと口スープを飲み目に涙が浮かび、箸を投入し麺をすする。
美味しい泣ける程美味い。目から一筋涙がこぼれた。750円なりだ。


ホテルオークラの「桃花林」だと2800円(?)、銀座アスターだと1800円(?)。
全く勝負にはならない。親娘仲良く言葉を掛け合い励まし合いながら働いている。五目入りました、ハイわかりましたなんて調子で。

娘が汗を拭いている父親に冷たい水の入ったコップを差し出す。
お客さんが入って来た、一人は担々麺と半チャーハン、一人はレバニラ炒め定食を頼んだ。


おっといけねえ床屋さんが終わったら秋刀魚と浅利の味噌汁で昼メシ食うぞと言って出て来たのを忘れていた。

2010年9月9日木曜日

湘南の嵐便り 「バツイチ」

かつて芸者さんをしていた女性に聞いた話だ。

三味線に使う猫の皮は一度お産をした猫の皮がいいという。実によく弾け艶っぽくしっとりとした音色を出すらしい。化け猫はどうだと聞いたら笑っていました。


この頃活躍している女性達にバツイチの人が多い。
一度結婚を経験し、時に一度お産を経験した女性は、誠に多岐に亘り魅力的になるらしい。


言葉遣い、仕草、目配り、色っぽさ、何もかも一回りも二回りもスキルアップするのだ。
竹内結子、広末涼子、加藤紀子、藤原紀香、60歳のショーケンを虜にしたカリスマ主婦、周りを見ればバツイチだらけ。



離婚後暫くするとフェロモンの出方が全然違ってくる。
生活臭さが消え、開き直った女の性が男を虜にする。彼女らは決まってこういうという。「惨めなオバサンになるのは嫌」と、夫に捨てられた女と見られたくない、別れた旦那を必ず見返してやる、見下ろしてやる、その決意が又一段と輝きを増す。

沢尻エリカに捨てられた男は「男やもめにウジが湧く」という通りウジウジしている。
一方開き直った沢尻エリカはやりたい放題だ。
金の切れ目が縁の切れ目、げに女性は恐ろしい。

バツイチを口説く時に下手な同上は逆効果、“寂しいんじゃないの?”なんて冗談でも言ってはダメ。それよりも辛い経験がアナタをより魅力的にしたねなんて離婚経験を肯定してあげるといいらしい。

バツイチ女性は経験豊富というイメージが強い、よし俺なら前の男よりきっと心も体もしっかり掴んでやる、なんて意気込む男が多く、色んな貢ぎ物をしてアプローチするのです。
だがしかし女っぷりが上がった女性は相当手強い相手である事を肝に銘じてください。

次の一手が見つからない人は私が相談にのります。よろず相談室ですから。


2010年9月8日水曜日

湘南の嵐便り 「台本」


土曜の朝九時半から十時半まで日本テレビで「ぶらり途中下車の旅」という番組がある。
家にいる時は必ず観る様にしている。

番組の中に色んな楽しい所や楽しい人達や職人さんや名人達が出て来る。
番組の中に人と人、町と町、食と人が触れ合っている長寿番組だ。

過日私が辻堂にいる頃通っていた「玉寿司」という店に取材が入ったと床屋のご夫婦から聞いた。テレビに写ったのはほんの数分だが、取材は一週間に及んだそうだ。

はじめに制作スタッフが打合せに来る、次に撮影や照明、録音スタッフやらが来る。
テスト撮影などをする、又制作スタッフが来て当日の香盤(撮影スケジュール)の打合せ、次に当日のメインのメニュー、板前さんの芝居やセリフの打合せとすすんでやっとディレクターのお出ましとなる。

食べ物番組やこの手の番組「ちい散歩」はこの番組のパクリです。
で食べる時は、はじめのひと口、うまい!そしてカメラはカットされ中頃のひと口、そして又カットされ最後の完食シーンと決まっている。


全部食べ歩いたらタレントはみんな糖尿とか痛風、高血圧、高コレステロールになってしまうからだ。事前にタレント事務所やマネージャーから申し入れがある。
阿藤快とか太川陽介とかあの人は今的な人々に久し振りに会える。

で、「玉寿司」はもう二度と取材はお断りと言っているとか、一週間仕事にならず常連さんから苦情殺到。テレビ局の友人が言うにはぜひ取材して下さいという申し込みが多いとか。まあ全ては台本通り。


玉寿司

その友人はやはり日本テレビの看板番組「笑点」を制作していた事がある。
あの番組は落語家や色物たちの憧れの番組、売れっ子ばかりなので三週間分位を一緒に収録する、だから台本を用意しないといけない。

あれも全て台本通り、でも忘れちゃう師匠も多い。私は家にいれば必ず観る。寄席大好きでもなかなか行く機会がないので夜中CDを聞く。CDには台本がないからいい。
この世の行く末、落としどころは誰が台本を書いてくれているのだろう。


2010年9月7日火曜日

湘南の嵐便り 「男たちの挽歌」


香港のフィルムノワール(暗黒映画)の巨匠、ジョン・ウーの代表作に「男たちの挽歌」がある。その映画のキャッチフレーズが「恥じて生きるより熱く死ぬ」であった。

ポスターをひと目見てビビッと来た。



主人公の兄貴が抗争で刑務所に入り弟一人が街に残される。
片足を引きずる男は後に大スターとなるチョウ・ユンファだ。相手にこづかれ床に落ちた物を拾わされあらゆる侮辱を受ける、周りから何てみっともない男だ恥知らずとバカにされる、毎日相手方の店の掃除をさせられたりする。ひたすら兄貴の出所を待っているのだ。

そしてその日は来た。二人でバーに入る不自由な片足の(相手に刺されたが兄貴が出所するまで我慢していた)の膝の上にウイスキーのオンザロックを置き、足を上げグラスを口にくわえオンザロックを一気に飲む、兄貴お帰り待っていたよと二人はグラスを交わす、さあ、復讐だ。


このシーンが最高に良かった。
何度かバーで真似したが遂に上手くいかなかった。それ以来私の座右の銘は「恥じて生きるより熱く死ぬ」とアチコチに書いた。で二人が相手に殴り込む、どこか東映の高倉健の映画の様であった。

低予算で作った映画だが大ヒットして「男たちの挽歌」シリーズとなった。
チョウ・ユンファは香港最大のスターとなっていった。又、監督のジョン・ウーも世界的に有名になった。低予算でもいい映画は作れるのだ。それまではブルース・リーとジャッキー・チェンであった。


この頃ヤクザ映画の秀作がまるでない。私は何本かシナリオを書いている。
一億円か一億五千万円で最高のフィルムノワールが出来る。どこかに出資者はいないでしょうか。その筋の映画が好きな大金持ちを紹介して下さい。何処へでも飛んで行きますので。


思えば恥ばかりさらして生きているのだが。

2010年9月6日月曜日

湘南の嵐便り 「映画は猛暑」

八月二十九日(日)千葉県市原市の畑の中に通る一本道で来年のカンヌ国際映画祭の短編部門に出品する作品「水-water」の本番撮影だった。

市原市の畑の一本道



埼玉、茨城、栃木あちこちにロケハンをしてこの地に決めた。朝七時から陽が落ちるまで日陰が何もない畑の側、暑いのなんの乾いたタオルがびっしょりになってりまう程だ。

主役の女性は天村敏美さん。私の知人が経営する銀座の超高級バー「サロン」のマスターの義姉の人。時々店に出ていたが今はKUMONの先生であり空手家でもある。11歳になる男の子がいる。私のイメージにピッタリだ。


天村さん

男の子役は私の会社の専務の息子、清水光太朗君がわざわざ軽井沢から来てくれた、私のイメージにピッタリ。
お坊さん役は私の著作を手助けしてくれている出版社無双舎の編集長の神崎東吉さん、私のイメージにピッタリであった。

光太朗君と神崎氏


スタッフみんな猛暑の中監督とカメラマンの指示のもと一切の無駄なく、暑い暑いという事もなく動いてくれた(私は時々ロケバスに避難した)。


監督はCM界の売れっ子ディレクター寺尾学さんが引き受けてくれた。寺田さんは必ずNO.1になる若手の旗手。既に海外でもたくさんの賞を受賞している。
カメラマンの猪俣克己さんは私の長年のコンビ。今回も無理をお願いした。

畑での撮影が終わったら急いで移動して銀座のバー「サロン」での撮影であった。ビルは休みだったが特別に二時間半使用させてもらった。

自主映画は何しろ低予算、映画好きが集まらないと製作できない。プロデューサーの奥野和明君、アシスタントプロデューサーの森美香君が苦労をしてくれた。全体の仕切は私のところの社長鈴木智暢が行った。スタイリストは私のデスク上原有美君。少ない予算の中やりくりしてくれた。



朝食はおにぎり2個、昼食は鮭弁だけ、夜食は無しであった。

ストーリーは水商売でがっぽり稼ぐ女性が畑の側でエンストを起こす(ベンツ5000CC)この女性は一万円札しかお金と思っていない、目の前に飲み物のベンダーがあるが一万円札を入れる所が故障中、小銭がないので飲み物が買えない。

女性はだんだんイライラ、カッカしてベンダーに八つ当たり、殴る蹴る、案山子の木を引っこ抜いて来ては張り倒す、チクショウ120円が欲しいとクタクタになる。そこに1人の少年がベンダーからジュースを買い美味しそうに飲む。オイガキ、そのジュースとこの一万円と交換しろと言うがアッカンベーと逃げられる。

チキショウ、携帯は二つとも圏外だこの役立たずと投げ捨てる。ヘタヘタになって泣きながら座り込む。そこに1人の坊さんが近寄って来る。さてどうなるか、とまあ大筋こんな映画なのです。

「一円を笑う者は一円に泣く」この教えを映像化してみたのです。

これから編集開始だ。音楽作り、効果音入れ、タイトル入れが待っている。
出来上がったらご報告を致します。
それにしても今までの撮影で一番暑かった。みんな本当に映画好きだった。

スイカがとっても美味しかった!

2010年9月2日木曜日

湘南の嵐便り 「キャタピラー」



先日有楽町で若松孝二監督の「キャタピラー」を観た。
寺島しのぶが今年のベルリン映画祭で最高優秀主演女優賞を受けた作品だ。
1時間27分、圧倒的なメッセージ性のある映画に驚愕した。


若松監督73歳、今最も世界の映画祭で光り輝く存在である。
かつてはピンク映画屋といわれ蔑まされた。しかし低予算の中で猛烈な早撮りの名手で独自の名作を生んでいった。今回の作品もなんと14日の予定を12日間で全てを撮り終え編集はわずか3日であったという。

ワンシーンに何回もだめ出しをし、ワンカットの為に一週間も十日もかけた小津安二郎監督、黒澤明監督、溝口健二監督たちとは対局にある。基本的にワンテイクである。
CM作家はスポンサーから沢山の予算を貰っているから一秒のカットの為に何テイクも撮る。それが当たり前となっている。誠に映画とは似て非なるものなのだ。
「実録、連合赤軍あさま山荘への道程」は三時間くらいの作品であったが、どの赤軍派映画も圧倒した。年を重ねる事に凄味を増し若々しい完成を発揮し凄まじい表現をする。

宮城県の高校を退学、中退し数々の職業を経てヤクザの世界に入る。ある時映画作品の見張り役兼手伝いをした事により映画の世界に身を投じる。映画の世界もヤクザな世界だからスムーズであったのだろう、その後ピンク界で伝説の映画を発表し続ける。
海外の映画祭に出品してブーイングを浴びる、それでも何のその不屈の魂で今やカリスマとしてリスペクトされている。勿論私もその一人だ。

午後1240分上映開始、映画館は満員だ。寺島しのぶが両手両足を失い、聴力も失い、顔も奇形となって帰還した夫をみて驚愕する。夫は「軍神」そして大日本帝国新聞の一面に紹介されている。村の人々も「軍神」様と崇めるのだ。



「キャタピラー」とは日本語で「芋虫」夫は芋虫になって帰って来たのだ。かつて「ジョニーは戦争に行った」というやはり両手両足を失って帰国した兵士とそれを看護する女性との物語の名作があった。江戸川乱歩の作品に「芋虫」というのがある。多分にその影響を受けたのだろうが若松孝二監督は見事に最高峰のメッセージの映画に仕上げた。

全裸、騎乗位、全裸、騎乗位の繰り返し。
人間国宝尾上菊五郎と富司純子の娘寺島しのぶはここまでやるかというまで「夫」の食欲と異常な性欲に応える。だがしかし一方では「夫」を性の道具として自らの性欲を満たす。時として芋虫は肉の塊として寺島しのぶの上に乗る。その演技は絶品である。
ノーメイク、お尻の割れ目もアップで出し自ら夫のモノを何度も入れる(夫は手がない)その映像は神聖的ですらある。



ここまで演じたら断トツの世界NO.1だ。
寺島しのぶの夫のでっかく毛深いフランス人を知っているだけに尚更リアリティを感じた。
「忘れるなこれが戦争だ」と若松孝二監督は記した。

どうしようもなり映画ばかり観ていてうんざりしていたこの頃思わず立ち上がり拍手をしたくなった。「元ちとせ」の歌う主題歌が切なく悲しく心に刺さる。

一人でも多くの人に観て欲しい。低予算早撮りに拍手だ。

2010年9月1日水曜日

湘南の嵐便り 「シネマ・ラ・プラーヤ&東本」


折角短編映画をつくりながら上映の機会がない、上映する場所がない、そんな映画作りをしている人のためにスペイン料理の巨匠、児玉徹さんがスペースを解放してくれました。


児玉徹さん


短編映画製作人の私とスペイン料理の名店がコラボレーションして、シネマ・ラ・プラーヤ&東本を生み出しました。

美味しいワインと美味しいスペイン料理のランチ+短編映画2,3本を上映します。
限定30名様(予定)、午前11時半から午後2時まで。
料金は映画800+シネマランチ1500円(税込み、ワインは別です)の予定です、詳しくは後日。





友人知人をお誘い合わせの上是非参加下さい。又、作品募集をします、自主映画で短編を製作して是非観て欲しいと思っている人はご連絡下さい。

東本三郎YOROZU相談室 シネマ・ラ・プラーヤ&東本係
担当 上原 有美
TEL 03-3547-0581/Email:uehara@advision.co.jp