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2014年2月7日金曜日

「信じる者は」




東京の下町に「亀戸天神」がある。
ここでは幸運を招く鳥「鷽(うそ)」と御縁があると知った。
「うそ」という音は「嘘」に通じる。木彫の「鷽」を手にいれれば、過去の災厄、凶事はきれいさっぱり「うそ」になり幸運がやってくる、そう信じられている。
亀戸天神には木彫の「鷽」を求めて人々が列を成す。

ある記事によると、茶人「千利休」はキリスト教徒であり、その影響を受けていたとか。一つ茶碗の同じ飲み口から同じ茶を飲む「濃茶(こいちゃ)」の作法は、カトリックの聖体拝領の儀式がヒントでは。ミサの際、イエスの血の象徴であるワインを杯に入れて回し飲みする、それをヒントにしたのでは。
茶入れを拭く際の袱紗(ふくさ)捌きや茶巾の扱いは聖杯を拭く仕草と酷似している。

利休は決して「恬淡とした茶人」ではなく、茶杓の工房を運営し、良質な茶を手にいれて販売するなど茶の湯にかかわる産業を総合的に運営した「商人」であった。
昨晩は「売僧(まいす)」、商売をする僧と悪口を言われた。
ホントかな、そういえば何かで読んだが、「千利休」という名は「千」の「利」を求めるのを「休」めからだと書いてあった。ホントかなーウソみたい(?)

現代のベートーヴェンだなんて言われた男が、実は大変な嘘八百野郎であった。
ウソダローと日本国中が大騒ぎ、ゴーストライターに対しての接し方がダメだったのだろう。払うべき物をキチンと払わないと「影の男」は表に出て来て告白するとほぼ決まっている。
大学の非常勤講師の給料を聞いてビックリした(余りに安い)。

大作家、大画家、大巨匠、大先生、「大」のつく人には殆ど「ゴースト=影の男」がいる。大名に必ず影武者がいた様に。
それにしても18年間臭い芝居をしていたな「佐村河内守」よ。
豊川悦司のダイハツ「タント」のCMを観ていて、髪の毛を長くすれば、まるでソックリではないか。豊川悦司もきっとウソダローと思っているのでは(彼には何の罪もない)。

トボトボと会見する、か弱き講師こそ現代のベートーヴェンではないか。
これを機会に表に出て活躍する姿を応援したい。「共犯者」でした。
彼もまた中々の役者である事は間違いない。

この上は高橋大輔の金メダルを期待する。
そうすれば大学講師はスーパースターへ。佐村河内守は奈落の底へ落ちる。
信じる者は救われるというがそれ自体ウソぽく思えてならない。

ダマした男が悪いのか、ダマサれたアタシが悪いのか。
老人たちを嘘八百でダマす人間たちが一年間で500億近く稼いでいるという数字が発表された。この男たちは都会の影の中で大笑いをしている。
詐欺罪を無期懲役にせよといいた。生涯刑務所の中で働かせるべきだ。

私の友人はこんな事をいった。「いいんだよ、ずっと貯め込んだタンス預金を表に出して、詐欺師たちがバンバン金を使えば景気回復に役立つんだから」
うーむ、もしかして詐欺師たちがタンス預金をしたら(?)友人は説得力満々だった。

都知事選の候補者の一人が同じ様な事を過去に言い放っていたらしい。
ホントなら当選してもアウトになる(映像がちゃんとあるから)。
また選挙か、ウソだろう。
担ぎたくもない嫌な野郎を、担いでいる人の身になってみろといいたいのだが。

2014年2月6日木曜日

「雲水に謝る」


※イメージです


東京駅十一時十二分発小田原行きは、大磯−二宮間で起きた人身事故の影響で遅れて入線して来た。午後六時頃に事故があったらしく、大幅にダイヤが狂っていた。
特別列車(グリーン)料金950円を払っていたのだが、戸塚駅まで座れなかった。
隣のホームに国府津行きが来たのだが、とにかく帰るべしとそのまま立って行く事にした。

前から四列目の所に立った。
横に座っているのは、四十五歳位の女性、林真理子と木嶋佳苗を足して二で割った様なヒトであった。その隣には、スキンヘッドの四十歳位の男、作家百田尚樹と銀座和光の前に立っていた雲水を足して二で割った様なヒトであった。

「ざけんじゃないっていうんだよねぇ」とか、「ブルってられないじゃん」とか、「すっとこどっこい」とか、「バーカ、バーカー、ムシ、ムシコロリよ」とか。
女のヒトは次々に乱暴な言葉を大きな声で連発する。
二人の手にはウイスキーハイボール缶。
黒い髪、黒いマフラー、襟に黒いファーが付いた黒いオーバーコート。

まるで黒い固まりの様なずんぐりむっくりの体から「オイ、オマエ今度逃げたら許さんぞ」なんていう声がアルコールの臭いと共に放たれる。
百田尚樹風の雲水は、どうやら部下らしい。

ブイブイ乱暴言葉を発しつつ戸塚駅で降りる事となった。
まともに顔を見てしまった。相当にゴツイ造作の鼻ペチャンコの顔立ちであった。
そしてやっと座って帰った。

十二時四十五分から約五十分、BS3ch、プレミアムアーカイブス、一九七七年作、NHK特集「永平寺」を見た。
列車の中の黒い固まりの女性と違って、永平寺で修行を重ねる二十代の雲水150人位は黒いアートであった。

福井県の冬、零下10度、午前四時三十分から午後九時まで、道元禅師の教えを雲水たちは黙々とする。寒いというよりも痛いという。
読経する口から出る息が白い、白い、白い。黒の雲水と銀色に光る頭。
それを見ながら「曹洞宗道元」の教え、七百年の歴史に息を飲んでしまった。

朝食、お粥、たくあん、ごま塩。
昼食、麦飯、たくあん、味噌汁(ワカメ少々)。
夕食、麦飯、たくあん、味噌汁(お豆腐入り)、煮物少々(高野豆腐、芋、野菜)。
一日1500キロカロリー、大概の雲水は「脚気」になるという。
それぞれの目的とそれぞれの事情と、それぞれの覚悟で壁に向かって座禅をする。
睡魔に襲われたり、妄想すると体が前に傾く。
その時は警策で肩の部分をバシーンと叩かれる。

列車の中を思い出す。
どうしようもねえなあの女、きっとTV局に勤めているな、話の内容からすると。
どうしようもねえなあの男。

その夜打ち合わせが終わった後、男三人で中華店に行った。
安い、早い、旨い「菊鳳」へ。三人で酢豚一皿、エビチリ一皿、餃子一皿、焼売一皿、チャーハン一皿を食べた。

若き雲水たちの食事する姿を見て申し訳なく、思わず手を合わせていた。
すみません、明日はきっとお粥とたくあんと、ごま塩だけにします。
そういえば修行僧の事を「大衆(だいしゅう)」というのを知った。
大衆は修行せよだな。道元はとことん反権力であったとか。

2014年2月5日水曜日

「名優を悼む」




「心に太陽を、口びるに歌を」少年の頃こんな言葉を学びました。
「右のポッケにゃ夢がある、左のポッケにゃチューインガム」こんな歌を口にしました。

先日アメリカの名優「フィリップ・シーモア・ホフマン」が46歳の若さで死んだ。
当代最高の演技者と言われた彼の腕には注射器が。
その周りにはヘロインの入った袋があった。浴槽の中で彼は息絶えたのだ。

映画の世界には「役に食われる」という言葉がある。
演じている役柄と演じている人間がせめぎ合い、結果役柄に食われてしまうのだ。
ミイラ取りがミイラになってしまう様に。

ホフマンは「ブギーナイツ」で同性愛者のポルノ俳優を演じた。
「ザ・マスター」では偏執的な宗教の教祖を演じた。この役でホフマンは絶賛された。
ホフマンは「冷血」で知られる作家「トルーマン・カポーティ」を演じた「カポーティ」で、アカデミー賞主演男優賞に輝いた。

カポーティ自身「冷血」の残忍な事件を徹底的に取材をし、やがてアルコール中毒と薬物中毒で数奇な終わり方をした。
ホフマンもカポーティに成り切ろうとして「役に食われた」のかもしれない。


ホフマンは2006年、米CBSのテレビ番組「60ミニッツ」で薬物中毒、アルコール中毒を告白、リハビリ施設に入ったと言った。
46歳には見えない老成した風貌と突き出たおなか、肥満した体は薬物に蝕まれていたのだ。

人間は強い様で軟弱、人間は恐い様で慈愛あり、人間は美しい様で醜悪。
誠実な様で偽善、純粋の様で混濁である。一人ひとり自分の役を演じる役者である。
自分の悩みの種は、自分の中にある。

芥川龍之介は「運命は性格の中にある」といった。
人生は自分という実像と、自分という虚像の闘争であると言ってもいいだろう。

ブルースの女王と言われた「淡谷のり子」は、その著書の中でこう言っていた。
「自分から逃げれば逃げる程、生き甲斐も遠ざかる」自分という役に食われない様に前へ進み、後に学ばねばならない。

今週末はホフマンの代表作を観て、彼の死を悼みたい。
今、あなた方一人ひとりはどんな役を演じているでしょうか。
その役に食われていないでしょうか。おいしい役はめったにないものです。
表と裏で息をして生きている生き物が人間なのです。
ずっと付き合えば結構、面白い生き物です。

2014年2月4日火曜日

「ハンチクな奴」




あいつは全く「ハンチクな奴」だなという言葉がある。
決して褒めてもらっているのではなく、役に立たない、使えない、何をやってもハンパ。なんとなく全体像が見えない。

「存在のあまりの軽さ」という映画があったが、ほぼその題名に似ている存在だ。
ハンチクを「半竹」と書くのではと思っているのだが、正しい漢字は誰も教えてくれない。

二月三日の夜のメインディッシュは「おでん」であった。
おでんというと「高橋お伝」を思い起こす。毒婦として有名で最後の斬首刑にあった人間である。首切りの名人、山田浅右衛門が切り落とした。
その首は、現在東大医学部にホルマリン漬けとなって保管されているとか。

で、食べる方の「おでん」に話を戻す。
おでんの中には「その存在の重さ」を知らしめる具材が多い。
特に「竹輪」と「竹輪麩」は絶対的存在だ(具材の中では安い)。

おでんの人気は、大根、はんぺん、こんにゃくがトップスリーの様だが、私は竹輪麩、竹輪、ガンモをベストスリーとしたい。以下つみれ、スジ、ウィンナー巻き、昆布、シラタキと続く。肥大化したはんぺんはいただけない。
ぐったりした方が旨い。特待生には蛸、ネギマ、玉子、キンチャクと牛スジがある。


おでんは「蛸」を煮て出したのが始まりだとか(?)
銀座「お多幸」は元々は「おたこ」だったのだろう。「やす幸」という人気店もある。
一度友人と入って余りにバカ高いので大喧嘩した(気取った薄味)。

で、我が家のおでんなのだが、やはり竹輪麩と竹輪に目が行った。
おでんの良し悪しは、味が全くついていない、ただのでん粉の固まり「チクワブ」がリトマス試験紙となる。だし汁の味をソックリ染みこませるからだ(大根説を強くいう人も多い)私は人生の中でおでん以外で竹輪麩を見た事も食べた事もない。

少年の頃毎日「すいとん」を食べたのが我が身に染み込んでいるのだろう。
なんとなくだらしなく煮込まれてトロトロになった姿にすいとんを見るのだ。
筋目を欠いてしまった、何本かのギザギザの筋。
ブニョブニョ、グニョグニョとした食感、質実剛健の真反対の姿。
これぞ究極の「ハンチク」だ。

おでんの中においては、役に立つ、使える、なくてはならないメリケン、デンプン野郎だ。気のせいか鍋の中にやけに竹輪麩が多い。
残したら鍋の底に必ず竹輪麩がだらしなく、少し焦げ目をつけてへばりつく。
翌朝それをはがし、冷たいままで少し強めの辛子で食す。
熱々のご飯にメザシ、白菜の漬物に海苔、浅利か大根の味噌汁とくれば最高だ。
冷たい竹輪麩に染み込んだおでん汁が、ご飯とベストマッチするのだ。

私は朝食を食す週間がないのだが、おでんの次の日は楽しみなのだ。
茶飯ならもっと最高だ。「ハンチクな奴」は大好きである。但しおでんだけ。

2014年2月3日月曜日

シシトウと獅子舞

石川県のとある限界集落に一人の若者がきた。

集落には七世帯二十数人しか住んでいない。
三十代ソコソコの若者は無農薬野菜を作りたいと思って来た。
集落は老人ばかりだ。ダメダメ、ヨセヨセ、帰った方が身のためだと老人たちは若者に言うのだが若者の意志は固い。
若者は貯金をして作った100 万円を元手に自分の野菜を作るのだと言う。
集落の人間は話し合い、若者に一軒の家を提供し、その家の前の畑も提供する。

若者は土作りから始める。インターネットで様々な情報を入手する。
魚市場に行って魚のアラを大量に頂いて来る(無料)それにアレやコレや自己流のレシピで肥料を作る。
漬け物樽の様な入れ物にそれを入れて石で押える。だがその異臭は想像をはるかに超えて集落の人から臭い、臭いと苦情をいわれる。
集落の人は小屋を提供する。そこに置くのだが扉を開けると余りの異臭に若者はぶっ倒れそうになる。

そんなことを繰り返しながら、なんとか畑に野菜の種を蒔く。
100 万円の持ち金は直ぐに60 万円に減っていた。

若者の熱意が集落の人々に伝わって行く。
取っかえ、ひっかえ、アドバイスや差し入れを持って来る。

はじめて出来た野菜は虫に喰われてボロボロになる。老女は科学肥料を使わなきゃ同じ事の繰り返しだと言う。でも化学肥料を使ったら僕はここで野菜を作る意味がないという。
次に野菜が出来たら夜中から朝にかけて、イノシシが畑を荒らしまくり全てパアになる。若者は全然メゲない。又、畑を肥やし自前の肥料を土に与え種を蒔く。

そして、一年、二年、若者の作った無農薬野菜はインターネットで販売されている。
又、農協やJAを通さずに自分の名をつけ町に出て売る。他の野菜より高いのだが少しずつファンの輪が広がって行く。

集落にもう一人若者が来た。少し離れた所には都会から離れて来た若者夫婦が(子ども二人)古民家を改装して珈琲店を経営している。(ここは大人気で都会にいた時より収入が増えた)
老人だけの集落はイベントらしいイベントはすっかり絶えていた。
農民は毎日々酒を飲み交わし、語り合わないと心を通じてくれない。若者は毎夜それをする。
やがて収穫の時、若者の父親が集落に手伝いに来る。
白菜、キャベツ、シシトウ。ピーマン、トマト、キュウリ等々。都会のレストランからインターネットで注文が入る。
なんとか食べて行くだけは出来るかもと清々しい笑顔であった。
メガネを外したその二つの黒目は、よく磨かれた碁石の如く美しく輝いていた。


IPS 細胞よりも凄いというSTAP 細胞を発見した、小保方晴子さん(30)の両の目を見ていて、過日NTV のドキュメント番組で見た、集落の若者の目を思い出した。
二人ともメールや、スマホやゲームのやり過ぎで疲れ切った目ではなかった。

若者たちの澄んだ目に会って、この国の若者たちの可能性に大いなる希望を持った。
畑を肥やす若者、試験管とニラメッコする若者。すばらしいではないか。


限界集落ではお正月に何年振りかで獅子舞が行われた。
勿論獅子になっているのは若者、太鼓を叩くのは珈琲店の若き主人だ。
老人たちは底抜けに明るい笑顔でいう。エカッタ、よかった。こんな楽しい正月は久々だと。

春一人の女子小学生が誕生した。珈琲店の上の子が赤いランドセルを背負って記念写
真を撮ってもらっていた。パパもママもキチンをと正装だ。


かつて寺山修司は「君を捨て街へ出よう。」といったが、「街を捨て、村へ帰ろう。」こんな時代も始まっている。


イメージです



2014年1月31日金曜日

「ジョーカーを持っている」




東京都知事選で舛添要一を担ぎ支援をしている自民党議員で心から指示している人は余程キワモノ好きだろう。それを証拠に自民党を出た時一人も付いて行かなかった。

仕方ねえから担いでやってんだ、調子に乗んじゃねえぞ、担いだ以上、立場上勝つために動いてんだ。この恩忘れたらビシッとケジメつけるからな。
言葉は悪いが私がその役ならそういうだろう。

舛添要一のトイメンの相手は狂気の人、集客力抜群、私が見たところ舛添要一の数倍以上集めている。それ故そのシーンを徹底的にTV報道に流さないようにプレッシャーをかけている。株価の上昇でしか支持されていない安倍晋三総理にとって絶対に負けられない。
何しろ恩人であり、師匠でもある人間を相手にしているのだから。
根性出して舛添要一の応援演説の為に選挙カーの上に立ったら、恩人への裏切り者として歴史にその名を残すだろう。

明智光秀は信長の首を獲ったが、小泉純一郎という織田信長は負けても生き残る。
私は信長殺しの本当の裏切り者は間違いなく豊臣秀吉だと思っているのだが(?)
我が子、小泉進次郎にその恨みと怨念は引き継がれて行く。

手柄は自分のもの、失敗は人のせいにする僕ちゃん政治家は、勝利する事によって失うものの方が甚大といえるだろう。小泉純一郎は敗けて勝つ策を選んだといえる。
小泉進次郎に天下を取らせるために。

息子が居なければ、負ければただの老人になるが、ジョーカーである息子を持っていればいつでも勝負が出来るからだ。
日本人は判官びいきだから小泉進次郎を源義経にして次の戦いを応援するだろう。
猪瀬直樹を追い出す報道に比べると余りに少ない報道の量である。
殆ど無きに等しい。それだけ小泉純一郎の恨みと怨念は積み重なっていく。

小泉純一郎は狂ったとか、ボケたとか、終わったとか、完璧なまで叩き潰すというが役者は相手の方が何枚も上手だ。

一月二十五日(土)日経のエース記者、田勢康弘が司会をするテレビ東京の政治番組(朝十一時半〜十二時)になんと同志社大学経済学の教授「浜矩子」を出演させた。
アベノミクスをアホノミクス。
安倍晋三の政治を、アダム・スミスの「国富論」をもじって「僕富論」といった教授だ。

僕の好きな人、僕のしたい事、僕の事なんとか気に入って下さいオバマ大統領。
全ては僕の為にしか思考しない僕ちゃん政治家でしかないと切り捨てた。
何故いつの世も政権政党のヨイショをする、日経新聞社系列のテレビ東京が教授を出したか、きっと勝っても敗けてもこの政権は長くない、小泉純一郎の深謀遠慮を読み切ったからではないだろうか。

反安倍晋三の方々教授の見立てでは今年の終わりには株価は10000円を切るだろう、そして安倍政権は終わって行くだろうであった。
いい人なんだよな〜、アベちゃんはという人も実に多い事も知っている。
それはそれとして政治家は常在戦場だ。 

NHK、フジTVTBS、日テレはプレッシャーに屈しているか、先が読めていない。
各新聞社も同様に近い。勝負は最後に勝った者が勝ちなのだ。
舛添要一という男は、例え勝っても何もかもやってもらった自民党のパシリまたはパペットでしかない。

負ければ先妻の子どもの養育費支払い要求と戦う為に裁判所に通う、一人の酷い父親、ケチな男でしかない。

政治に興味ない人も、人間の浮沈劇を見て下さい。
まるでシェークスピア劇か、シーザー暗殺劇と同じですから。
シーザーは元老院によって殺された。いつの世も老人を敵に回してはいけません。

そういえば細川家の700年の血は裏切り、寝返り、すり寄り、ブン投げの血だった。
週末からいよいよ後半戦、潮目が変わって来た気がする。(敬称略)

2014年1月30日木曜日

「日本人よ」




夜空に向かって鎖に繋がれた、犬が鳴いている(柴犬だと思う)。
飼主がエサ入れに入れた数日分のエサは寒さで凍りつく。
飼主は数日に一度一時間余をかけて車で愛犬にエサや水をやりに来る。

原発事故で避難して以来ずっと続けている。
仮設住宅ではペットを飼えないからだ。
車から飼主が降り、近づいて来ると愛犬はちぎれんばかりに尾を降り、クルクル回り飛びつき最大級の喜びを表現する。
丈夫な鉄の鎖は野犬にならないための飼主の愛情であり、自由を奪う悲しい行為でもある。

「お前胴回りが随分細くなったね」とタオルでほうかぶりした老女は涙を流しながら体をさすってあげる。沢山入れてあげたエサが夜中、ネズミに食べられてしまっているのだ。
その数一夜で延べ二百数十匹。手作りのご飯を持って来ると、愛犬は気も狂わんばかりに一気に食べ尽くす。そして数日間に一度の楽しいお散歩だ。

「家族一緒に、愛犬と一緒にここで明るく楽しい生活をしたい」と老女は涙を流す。
この老女にもしもの事が起きたら愛犬はどうなるのだろうか。
農家の納屋に繋がれた愛犬は骨と皮になり、命果てるまでそこに居なければならないのだろう。

老女が帰途につく時、愛犬は決まって大きな農機具の向こうに回り顔を隠す。
また来てくれる日までの別れが辛く悲しいのだろう。

愛犬の名前は「太陽」であった。
三年間鎖に繋がれている土地の名は「飯舘村」である。
深深たる冬の夜、黒い雲がゆっくり流れ動く、その合間に青黒い夜空が見え隠れし、月が顔を出し静かに輝く。まるで狼の遠吠えの様に「太陽」は「月」に向かって泣き続ける。

天地の怒りは地震帯の上で生きる日本人に何を教え、何を暗示したのか。
ペットを愛する人も、そうでない人も、原発を必要とする人も、しない人も、「太陽」と「老女」の鳴き声を聞き、明日のためにどうすべきかを学ばねばならない。

どうしようもない男がNHKの会長になったが、必死に被災地の今を伝えようとしているNHKのスタッフたちがいる。
数えきれない犬や猫。鳥や虫も、鯉も金魚も、亀たちも愛してくれた人と一緒に暮らす事が叶わない。

二十九日(水)夜九時三十分、NHK「ニュースウオッチ9」を見て思いを広げた。
日本人同士が争っている場合ではない。地球に住む事を許されている(?)
日本人の問題なのだから。

2014年1月29日水曜日

「無事の帰国を」




厳重な警備というより内乱の鎮圧中、あるいは戒厳令下というような中でオリンピックはスポーツの祭典と言えるのだろうか。

ロシア「ソチオリンピック」はテロの恐怖の中で行われる。
白い雪景色が赤い血で染まるかも知れない。

アマチュアスポーツの祭典がいつからか商業主義オリンピックになってしまった。
また政治色も色濃いものになってしまった。
ロシアでは聖火リレーは車で運び、ちょっと降りてちょっと走り、また車で移動するというリレー方式で、オリンピックの火を前進させている。
装甲車や機関銃を持った人間がガードを固める。

金メダル、銀メダル、銅メダルを期待された選手たちはドーピングすれすれの薬を使用せずには期待に応えられない。女子のアスリートたちは女性である事を示す体の証を薬によって調整しなければならない。心身共にボロボロになるアスリートも多いという。

観客である私たちはいい気なものでミカンや煎餅をボリボリ齧りながら何やってんだよとか、しっかりしろよとか、根性出せもっと気合を入れろなんて言いたい放題だ。
日本選手団のファッションを見て、なんてセンスが無いんだと思った。

まずはファッションで金メダルを目指せだ。
東京オリンピック2020年の時はいいデザイナーに頼んだ方がいい。
ともあれアスリートの活躍と無事の帰国を念じている。

おみやげで頂いた「栗かの子」があまりにも旨いので二缶も食べてしまった。
この味は和菓子の金メダルだ。

深夜二時過ぎから四時過ぎまで友人から借りた2000年代の中国のドキュメント映画(全部で九時間余)を観ていたら気持ち悪くなってせっかくの「栗かの子」を戻しそうになった。中国14億以上の国民の内、13億以上はきっと今もローソクの火を頼りにまるで糊のようなおかゆの鍋を、何人もでむしゃぼり食べているのだろう。

一方、冬のオリンピックでも中国勢が台頭して来ている。
全く「金」の無い民と、「金」メダルを目指すアスリート、中国は超格差社会となっている。彼の国とはモメない方が得策だと私は思う。ラーメンを支那そばという位に止めて置いた方がいい。

2014年1月28日火曜日

「沼科」




NHK新会長の人とマルハニチロ毒物混入の容疑者の見た目がなんとなく似て見えたのは私だけだろうか(?)不潔ぽく汚らしい。

NHKの方は会長にしてもらったのが余程嬉しかったのだろう、次から次に国民からの料金収入で経営している組織の代表とは思えない暴言、失言、自論を水を飲み飲み一杯機嫌で語り続け、最後に撤回撤回を繰り返した。


 安倍晋三総理ありがとうございます。
自民党さんこれからはきっと官邸の広報として妄従して行きます。
そんな心根がありありであった。

一方マルハニチロの容疑者は金髪のかつら、改造バイク、ワンピースのマンガに出てくるコスプレ。言葉ではなく毒物混入という会社への「イヤガラセ」を国民を巻き込んで行った。

二人に似ているのは「沼科」にいる生き物的という事だ。
ヌルヌルしている。「カエル」みたい。
または「ナマズ」か「ライギョ」みたいなドロドロした息遣いを感じる(人の見た目を言える身ではないが)。

二人の生き物を見てこの国に沈殿する心の闇の深さと、権力の怖さの乱用を感じる。オウムの様な事件が起きるやも知れない危険を感じた。
また情報を支配し操作するという戦前の姿を見る、そんな感じがする。


都知事選の争点の一つである原発のテーマがNHKを筆頭に他のマスコミから消えてしまって来た。誰が勝つにしても、誰が負けるにしても、選挙後に新しいエネルギー政策を党是とした政党を作る動きが顕在化するだろう。
原子力村VS新エネルギー村の対立構造で。
ちなみに原子力村に多く見られる生き物は当然「沼科」である事はいうまでもない。

働く女性の3分の1が年収115万円以下の非正規社員だという数字が出ている。
「女性を大切にしないと、とんでもない事になりますよ」と「笑うせえるすまん」の喪黒福造さんは言う筈です。女性は基本的に「沼科」の生き物が大嫌いなんです。

「飾り窓」の女性なんてNHKの会長が口に出してはイケマセン。
職業を差別してはイケマセン。

2014年1月27日月曜日

「寒川さんにて」



イメージです

B級スターの面々、麺々が待っていたぞよと声をかけて来た。
広島風焼きそば、ヤキトリ、綿菓子、タコ焼き、寒川ラーメン、寒川そば、焼き肉のせ焼きそば、イカ焼き、フランクフルトソーセージ、手羽先揚げ、富士宮やきそば、イチゴ飴、七味唐辛子、ベーコン巻き焼き、輪投げ、お面、今川焼き、たい焼き、射的、金魚すくい、あま酒、秋田きりたんぽ鍋(今年初めて登場)等々の屋台が勢揃いして並んでいた。

一月二十六日(日)相撲国寒川神社である。
温かい日であったので多くの人々が参拝に来ていた。私といえば参拝より縁日のような気分を楽しんだ。
とりあえず昨年お世話になった御守や御札を渡し、箱に入れてもらった。お賽銭箱にお金を少し投げいれてムニャムニャとお願いする。

小さな破魔矢と御守を買い、いざ屋台へ。
カップ酒一合、ヤキトリ三本(レバー、皮、ボンジリ)、イカ焼きを楽しみメインの寒川ラーメンを食す。これが実にさっぱりとした醤油味で、家族一同大ファンだ。
おじさんは一年経っても変わらず元気であった。
自分で作ったラーメンを自分ですすってウマイといって笑った。

一杯500円、発泡の白い入れ物に透明感のある黄金色のスープ、中細の麺、ネギ、ナルト、メンマ、絶品の味のチャーシュウ一枚(私には二枚入れてくれた)寒川ラーメンは土日だけ出ている。チャーシュウを一枚余分に入れて欲しい人は私に声を掛けて下さい。
ご一緒してあげます。

何故一枚入れてくれるかというとある年、おじさんいい顔してるね、と言って写真を撮ってあげたからだろう。今年は大事な仕事を成し遂げなければならないので、寒川さんヨロシク!なのだ(寒川さんに来るのは縁起担ぎみたいな事)。

一年も欠かさず三十六年通っている。
子どもや孫の七五三は寒川さんで、写真も地下の写真スタジオで撮ってもらって来た。今の世の中何が起きるか分からない、何もかもお願いしたら少しばかりのお賽銭じゃ叱られてしまう。本殿には白い羽織みたいなものを身につけた人、人、人の願い事が叶えられるよう、神主さんが神様にそれを伝えていた。

私は無神論者であるから、人が何を信心していても全く問題なくお付き合い出来る。
キリスト関係の本も読むし、仏教や新興宗教関係の本もよく読む(学がないのでよくわからないのだが)。

人間は悩みの生き物、迷いの生き物、邪悪な生き物、そして必ずこの世と別れをする命に限りある生き物だから。その人、その人がそれを信じていれば心が安まるなら、それでいいのだと思う。

信じる者は救われる(?)但し私の人生経験では、お金を信じ過ぎた人、名誉や権力や地位を信じ過ぎた人は殆ど幸せな人生の終わりを迎えていない。


午後三時過ぎ、突然ピカッとして雷の音がした。空はあっという間に黒くなった。
ヨシッ今年はきっといい年だぞと思った。帰り途、雨が強く降った。
雨降って地固まるという。年の始めとか人生の門出の雨は何より吉兆の証なのだ。

今、人生の絶頂の晴れ間にいると思っている人は要注意を。
土砂降りの雨だと思っている人は、ネバーギブアップきっといい日がやってきます。