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2015年1月8日木曜日

「美しいバカたち」




「美しくも愚かしいこと」竹林に吹く風は人間の小ささを笑っている。
世界も日本も戦いに明け暮れた時代、藝大を創った岡倉天心はこんな言葉を語り残した。戦っている者同士しばし共に茶でも飲んだらどうだい、みたいなことだろうか。
「美」と「愚」が一つのフレーズの中で見事に融合している。

私たちは日々働いている、その姿は美しい。私たちは日々余計なことを考えている、愚かなことを考えている。あのバカ、あのアホ、あのヤロー、あんちくしょう。
いかなる高尚な人も実は日々愚かなことを考えている。
そこで、あのバカとお茶でも飲むか、あのアホとお茶でもするか、あのヤローとあんちくしょうとお茶でも、と思う心を持つとずい分と世の中はゆったりするはずだ。
私ごとき人間にはそこまでの達観はない。が、それを実践しようと心掛けては来た。

昨年1226日、やっと30分の短編映画が出来上がった。
みんなでお金を出し合い、いろんな人たちのご協力をいただき、みんなが忙しい中時間を作り合い、牛歩のごとく一歩一歩いろんな映画野郎の才能を得て出来上がった。
青山の編集室でとりあえずの完成試写をした。拍手、拍手だ。

私は映画は「美しく愚かなこと」の代表だと思っている。
絶対に儲からないことを承知で一分一秒も無駄なきようにスタッフや出演者が頑張る、その姿ほど美しいものはない。年末みんなヘトヘト、ヘロヘロなのだが、仕事の合間を縫って集まり、自分たちの手で作った映画に拍手を重ねる。

映画史上誰も考えなかったある食べ物を出す。神聖な食事として。
213日、正式な完成試写会をする。そして日本、いや世界の映画界をオドロかしてやる。映画のベースに岡倉天心の名著「茶の本」を生かしている。

皆さまにもいずれ観ていただく機会を作りたい。超低予算映画だが、美しさと、愚かさに満ちている。目茶苦茶に忙しい中でこそ作る意義がある。
私は映画バカになっている時がいちばん精神が安定するのだ。
東京乾電池の名優「ベンガル」さんがシナリオを読んで出演してくれた。
そして信じられない食べ物を日々食べるのだ。































2015年1月7日水曜日

「バチカンにカンカン」




謹賀新年、2015年が皆々様にとって実り多き年でありますように。
そのためにある戒めを書きます。

以下書くものは昨年1222日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が枢機卿らに向けたクリスマスのあいさつです。
「自らを批判し、改善できない法王庁(バチカン)は病気だ。その官僚主義的体質を厳しく批判しています。バチカンの聖職者たちがあまりに乱れまくり、マフィア化、官僚化、ホモ化してしまい、救いがたいことへの戒めです。あるいはバチカンへのカンカンの怒りです」フランシスコ法王が語った。

「バチカンが患う15の病気」1224日朝日新聞(原文ママ)です。
①自分たちが不滅で不可欠だという感覚「自らを批判し改革できない法王庁は病気だ」
②働き過ぎ「仕事をしたら休むことが必要」
③心が石のように頑固になること「泣いている人共に泣き、喜ぶ人と共に喜ぶ。人間的な繊細さを失うのは危ない」
④計画しすぎること「計画を変更しない方が楽かもしれないが神のみ心に従う自由を失ってはいけない」
⑤調和なく働くこと「和が乱れれば、雑音が混じる楽団のようになる」
⑥精神的な「認知症」神との出会いを忘れた者がいる
⑦張り合ったり虚飾に走ったりすること
⑧存在の「統合失調症」「現実の人と向き合わず、官僚主義的な仕事に収まっている」
⑨陰口を言う「はっきり物の言えない臆病者の病気だ。『陰口というテロ』に警戒心を」
⑩上司を神格化する「出世第一主義と日和見主義の餌食だ」
⑪他者への無関心
⑫お葬式の様な深刻な顔「伝道者は喜びを伝えなければならない」
⑬物欲
⑭閉じられた「内輪」を優先する
⑮世俗的な利益を求め、見えを張る。

とまあ法王がここまでいわなければならないほどバチカンは乱れに乱れ切っているのだろう。さてと自分に当てはめて見ればいちいちあたっているではないか。
こんなことで新しい年を過ごしてはいけないと思っている。
皆さんはいかがだろうか。

世界が乱れ狂って来ていることをしっかりと見定めなければならない。
年末はボクシングを見て、年始は駅伝をテレビで見た。青山学院大学に大感動をした。
為せば成る、ひたむきに努力をすれば。

1231日までゴソゴソと仕事をしたがやり残したことが山盛りにあり、正月は殆どゴソゴソの続きであった。青山学院は確かキリスト教(?)、そんじゃと1224日に切り取ってノートに貼ってあったローマ法王を戒めを2015年「400字のリング」のはじめとした。
キリスト教徒でない人でも法王の戒めに当てはまる人がいるのではないですか。
一年中気が付かないでいると、トンデモナイことになりますよ、ウァハァハァハハハ…と「笑うせぇるすまん」が指差しています。

モーゼは「十戒」であったが法王は「十五戒」にした。
私といえば二十いや三十戒が必要であろうか。

2014年12月24日水曜日

「良いお年を」




1224日クリスマスイブです。今年最後の400字のリングです。 
17日頃から再開します。

朝のモーニングショーは大韓航空の「ナッツ姫」の話でもちきりです。
ニュース枯れというやつでしょうか、たいしたネタがないのでしょう。
ナッツとくればゲッツ坂野、ゲッツとくればガッツ石松、ガッツとくればメッツの松坂、なんで横浜ベイスターズに来ないんだよと思うのだがどうでもいい話ですね。

今年の十大騒動ニュースをやっていました。
つまんねえ話にマスコミが群がる姿の方が“重大”なんです。

私にとっての理想のテレビは、今日は何事もない無事な朝ですといって画面はずーっと美しい景色。今日は昼になっても何事もない無事な昼です、といって画面はずーっと美しい景色。夜になると今夜は何事もない無事な夜です、といってずーっと美しい景色。
年末年始が穏やかでありますように心より願っております。

待っててごらんウールだよ。良いお年をお迎え下さい。

2014年12月22日月曜日

「みんな、みんな」





おじさんは一年中手焼きせんべいを焼いている。
お兄さんは一年中うなぎの串を刺している。
おばあさんは一年中古い着物を売っている。
おっさんは一年中果物を売っている。
親と子は一年中ラーメンをつくっている。
おねえさんは一年中有機野菜を売っている。
みんなみんな一年中同じことをしている。

靴の修理、ペットショップ、とんかつ屋、お蕎麦屋さん、花屋さん、整骨院、お弁当屋さん。みんな一年中同じことをしている。
人間の営みとは日々同じことを繰り返すこと。
急いでやろうとすればケッつまづいたり、自転車で転がったり、ナイフで手を切ってしまったり、火傷したり、せっかく作ったお弁当を床に落としてしまったりする。

天皇陛下も我々市井の民も時間は平等だ。
一日は24時間なのだ。仕事場の真ん前で何やら大工事をしている。

ガードマンが3人棒を振っていた。その内の一人に1年中大変だねといったら、今日で2日目ですといった。それじゃ一日がなげえ~だろといったら、一日が1週間くらいに感じますといった。

今年も残すところ10日となった。26日で仕事納めの会社が多い。
この季節は借金トリという意地の悪いトリが弱い者からなけなしの金をむしりとっていく。
借金トリという位だからピーピーと鳴く相手から容赦なく取り立てる。黒いママチャリの前のカゴに大きい黒いカバンを入れた男たちが目につく。銀行や信用金庫の人たちだ。お~元気にやってるかと知り合いの融資課の人間に声をかける。

何かと気ぜわしくなって来たのを肌で感じる。
今から10年前の仕事場付近の写真を観ると同じようだが8割以上の店が変わっていた。夫婦でずっとやっている小さな喫茶店に入ってモーニングサービスを頼んだ。
メニューはモーニングだが頼んだのは1時過ぎ、その名をトーストセットに変えてあった。
ゆで玉子をおでこにゴツンと当てて割った。赤と黄色のジャムが私を見ていた。焼けたトーストと一緒に。

2014年12月19日金曜日

「天野教授と作家椎名誠さん」




愛読するアナーキーな「日刊ゲンダイ」を読みながらウトウトしていた。
昨夜はNPOの人と友人の広告代理店の人と後輩と私、合計5人で仕事場の近くの安くて旨い!イタリアンレストランで食事をし、白ワインを二杯飲んだら酔いが来た。
体が酒を拒否していた。

食事の後仕事場に戻り、一人ゴソゴソと残していた仕事をやり、セブンイレブンにより愛読紙を買った。140円を出すと胸に中国語の名前を付けたお兄さんが、アリガトーゴザイマース、リョウシュウショウイリマスカーといったので、いらないよといった。

東京駅までタクシーに乗り、車の中のほの暗い灯りの中で新聞を広げた。
私は車の中で何かを読むのが大好きで、何時間でも楽しめる。
お客さん気持ち悪くなりませんかとよくいわれるが、ゼーンゼンとこたえる。

日々生活している寝床がほの暗い。五本ある蛍光灯はずーっと前から三本だけになり、その内の一本は半グレの状態でビシッとしない。

さて、ペラペラとめくると、ドカンと見出しに「睡眠薬の常用が一番困る」飲んでいる人は手術がしにくいと天皇陛下の心臓を手術した天野篤教授の記事がバーンと1ページ書いてあった。そうかそんじゃオレはまず心臓の手術はダメだなと思った。
喫煙者もダメと書いてあったがタバコは喫わない。

パラッとめくると椎名誠さんという作家がバーンと1ページ、僕は眠れない「不眠症35年」という新書を出したとか。椎名誠さんは読んだことはないが、不眠症仲間だという親近感を持っていた。世界中旅をしながら不眠と戦うというか実験的試みをしたことが書いてあった。日本は日々雑誌の見出しに不眠という文字が出ている世界でも稀な病的社会とも書いてあった。

ワインの酔いが少し残ってウトウトしながらなので流し読みだが、私と椎名誠さんも共通しているこれはいけないというのをやっていることがあった。
お酒と睡眠薬を飲むことだ。椎名誠さんは35年、私は20年だ。
一度ぜひお会いして不眠談義をずーっと眠らないで語り合いたいと思った。

私がお世話になっている東洋羽毛さんの本社のショールームにバーンと大きな文字があるのを思い出した。「無薬快眠」だったと思う。なんとすばらしいキャッチフレーズか。
最高の羽毛ふとんは薬を無くしてぐっすり眠らせてくれることを表現している。
椎名誠さん、キラリトギンザ3Fオルハショップに、そのフレーズを生んだ人が睡眠改善インストラクターでいますのでぜひ訪ねてみてください。
許されるならぜひそこでお会いしたいものです。

2014年12月18日木曜日

お知らせ

このたび12月13日(土)に東本三郎の書籍、「若者よ、天下を取れ。」が上梓いたしました。


全国書店にて販売しております。
ぜひお手にとってください。




「エボラとズボラ」




ふと気がつくと「エボラ出血熱」のニュースに殆ど気がつかなくなった。
Why何故だろう。「ゴルゴ13」風に読み解くと国際的薬マフィアたちが巨大利権を生むために動いたのではないだろうか。アメリカ人たちは何故か治ってしまった。
アフリカ人たちが犠牲になったのか?
新薬開発は闇の中で生まれ、闇の中で増殖をする。

12月もあと2週間余りとなると私は「ズボラ熱」を発症する。
大掃除とか、中掃除とか、小掃除とかが嫌で嫌で仕方ないのだ。
生来整理整頓が苦手なのだ。一年中何かを探しているのだ。
雑然と混然が一体となって整然としているのが私の理想なのだ。

つまり身の回りのことにズボラなのだ。
これにより人々に多くのご迷惑をかけ続け来た。あー嫌だな12月はなのだ。

粗大ゴミなどをマメに出しているご主人たちをみると心からエライ人だと思う。
私は現在まで一度も粗大ゴミを出したことはない。分別ゴミというのを実に美しくするご主人を見ると思わず敬礼をしてしまう。

日本人というのは決められたことに対しては実に忠実に守る、この国民性がある限り日本は大丈夫だと思う。だが戦争すべしと決められるとそれに対しても忠実に従い行動する、この国民性は怖いのだ。政治に対してズボラはいけないと思う。
気がつくと尊い命が捨てられてしまうからだ。世界は混然となって来た。

仕事を求めて“戦争に就職する”若者が増殖し、イスラム国だとかタリバンに続々と入っている。日本国は国際問題となるとまるで相手にされない。エネルギー戦争にズボラを決め込んでいるととんでもないことになるだろう。コラッ!その新聞を捨てるな!大事なことが書いてあるから。今年もきっと何もしないで掛け声だけのダメ男だな。

「串かつと半ペン」



裏社会ではドジを踏んだり、ケチがついたりすることを「イモを引く」とか「ガミを引く」などと表現します。その語源はよく分かりません。
(私は表社会人なので)裏切られたり、憎たらしい思いをさせられると、あのヤロー串刺しにしてやるとか、串かつにしてやるとか怖い顔していいます。

一昨日は大雨、強風、寒気強烈であった。
私はとてもいい友人と、とてもいい仲間と三人で「串かつ」を食べました。
全然憎たらしくなく、全然楽しい串かつだったのです。

7時〜9時、銀座のおでん屋「お多幸」です。
大根1/4と竹輪1/2、がんも1/2、お豆腐1/4ずつ、三人で仲良く分けあって食べました。
それとマグロのぬたを少々、おでん屋だけどお多幸の串かつは相当カリコリしていい味なのです。太いネギ二本と太い豚肉二本が、コノヤローとばかり太い串でブスッと刺されて出て来るのです。

一人前二串だから二人前四串を三人で、私が一串、友人が二串(二本目のコロモは取っていた)、仲間が一串であった。思い出話はパチンコの玉みたいに楽しく弾けた。そしてソロソロと店をでると雨は上っていた。
二合ばかりの菊正宗がずい分と効いていた。

そんじゃ今夜は帰るからと別れ新橋駅に向かって歩いた。
久々に食べた串かつの味を思い出していた。いけねえ、また自慢話をしてしまったと反省した。

むかし何かというと、あいつら串かつにしてやるといっていた先輩の顔を思い出した。その先輩はもう一つ口ぐせがあった。
喧嘩して相手をコテンパンにすることを、「半ペン」にしてやるというフレーズだ。
体中骨抜き状態になるまでヘロヘロにしてやるという意味だ。
そういえばおまかせ1.5人前に半ぺんは入っていなかったことを思い出した。
若い会社員たちがベロベロになって群れていた。ビューと強い音をたてて北風が吹いた。

2014年12月16日火曜日

「ヤクザの判定勝ち」




これはコントではありません。
記事を読み笑ってしまったのです。
傷害と銃刀法違反の罪で捕まった暴力団の組長が、ある地方裁判所に出廷しました。

組長は最初からイライラしたようです。
細身でメガネをかけた二人の検察官が、ボソボソと聞き取りにくい声で証拠を読み上げました。すると「聞こえねえよ!腹から声を出せ!」と小爆発。
さらにボソボソが続くと、「こんなしけた証拠かよ!却下だ!」さすがに裁判長から「却下って被告は裁判長じゃないでしょ」といった。

「俺はヤクザだ!」知ってます。
「こんなくだらない証拠を出すために、何日ブタ箱に入れられたと思ってんだコラ!」「ヤクザなめんなよ!命張って極道やってんだ!!」と検察官を完全に圧倒。さらに裁判長ものみ込まれ、「組長…いや被告、冷静に」とむしろ裁判長は冷静さを失った。

結局この日の公判は、組長の独壇場で終了。
最後に裁判長から「何かいうことはありますか?」と聞かれると、「法律を守るか守らないか決めるのは俺だ!」自白のようにも聞こえるコメントで閉廷し、判決は次回に持ち越された(週刊文春12/19のコラムより)。

ヤクザの組長には意地とプライドがありありと有り、検察官と裁判長にはヤル気がまったく無いのであった。
次の法廷にはどんなやりとりが用意されているのだろうか。
第一ラウンドはプライドの判定勝ちであった。


世の中には「無法」という「法」が大手を振ってまかり通っている。
六法全書が怖くて極道をやって行けるか、とある親分は若い衆に号令をかけたとか、これからの極道はちゃんと法を守れという親分も多いという。

「コインの裏表」



ある高名な方と食事を共にした時に、キミねえ酒を飲む時に何が楽しいって「人の悪口」だよといった。悪口を焼いたり、煮たり、古漬けにしたり、フライパンで炒めたりする。これほど美味しくなるものはない。

それとねえキミ、敗軍の将兵を語らずというがな、敗軍の兵を語りつくすというのも実に酒が旨い。敗けた原因はみんな部下のせいにするんだ。
あいつがあそこでドジ踏んだ、あのヤローがあそこで逃げやがった。
あいつらみんな揃いもそろって裏切りやがった。

と、まあでっかい声で酒を飲む。悪口をつま味にし、人のせいにしてゴクッゴクッ飲む姿を見て奇妙な爽快感を感じた。
裸一貫一代でその地位を築いたその高名な方は、実は妻にコケにされ、息子と娘には見放され、家の中でたったひとり、次々と悪口を連発していた。

何故私がそこにいたのか。
それをいうとかなりその高名な方の悪口になり、部下だった人たちのあまりのいい加減さを語らねばならない。高名と悪名はコインの裏表みたいなもの。
その高名な方がやっとこさ選挙で比例復活して、ヘコヘコ、ペコペコ、ニタニタし頭を下げていた。腹の中ではきっと舌を出しているだろう。