かねてより鎌倉雪ノ下に居を構えていたのだがそこに新たにギャラリーを建て東京にあった事務所も移転して新設、そしてご本人が何より好きだという珈琲の焙煎をし、お客さんに飲んでもらうという珈琲店も併設した。
小町通りに入ってゆっくり歩いて4、5分、右側に30メートル位のアプローチがありその先が大先生のかねてよりの場所だ。
私は花はいらないだろうからとローストビーフで有名な鎌倉山へ行き、特製のチーズケーキと特製の塩(縁起担ぎに)と特製の飲めるオリーブオイルを買って持って行った。
久々に暖かかったので鎌倉山のレストランもセレブな人達がランチをしていた。近くのお蕎麦の名所、檑亭も人、人、人。日本酒を一杯飲んで盛り蕎麦をと思ったがとてもとても食べれそうになく目的地に向かってと運転手さんに頼む。
着くと和服のよく似合う女性マネージャーがギャラリー奥から出て来て、よく来てくれました、丁度良かった昨日パーティーで忙しかったので今日は一時からオープンにしてたんですよと、時計は一時十五分であった。
いやーどうもどうもと先生、珈琲店のマスター風ファッション。
長いコットンの白いシャツともう一種のシャツを重ね着し、大きめの薄いグレーのやはりコットン風のベスト。えらく格好良く優しそうな笑顔。いつも仕事場では鬼の様な顔をしているのがまるで別人の顔。美しく広い鎌倉庭園がよく手入れされている。
現在六十二歳。マネージャーから是非本人が焙煎した珈琲を飲んで行って下さいと珈琲店の方へ。程よい広さ、センスのいい木材を使った店内、カウンターの中で先生はニコニコしながら仕込み中。若い女性スタッフが確か四人、きびきびと動いている。
凄いですねと言うと前から考えていたんだよ、ギャラリーは若手を育てたいからその場所にしたいんだ。昔から仕事から帰ると深夜でも珈琲豆を焙煎していたんだ。
何か気持ちが落ち着くんだよねと言った。それにしても別人に変わりますねと言うと好きな事をやっているからだと思うよ、映画やっている様でいいねと映画談義。
その内お客さんがどんどん入って来る。いらっしゃーいと先生は明るい声。先生もカウンターの中から出て来て音楽をセット。なんと流れて来たのは、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」だった。
「アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい 夜が明ける 日がのぼる
朝の光りのその中で 冷たくなった私を見つけて あのひとわぁ〜」と静かに店内に流れる。かつて全共闘の学生達が涙を流した曲だ。こんな暗い歌絶対売れないという会社を見事に裏切って大ヒットした曲だ。いいねえーと言うと、いいでしょと笑った。まさか鎌倉庭園を見ながらこの曲を聴くとは思いも寄らなかった。
かなり混んできたので又来ますよと言って帰途に着いた。海岸線を走っているとあっと思った、すっかり感激して先生の珈琲を飲むのを忘れて来てしまった。
鎌倉に行ったら是非お立ち寄り下さい。素敵な人生がそこにあります。現在ギャラリーでは「FACES Ⅱ」を展示してます。コレが又、凄い写真です。ピカソのゲルニカの様です。
1947年、神奈川県横浜市生まれ。
1970年に写真家としてデビューした。人物の顔だけをフレーム・アウトした作品「untitled(首なし)」が1974年ニューヨーク近代美術館にて開催された「New Japanese Photography」展に招待される。広告写真に携わる一方で、独自の体験に基づく作品を数多く発表。代表的作品として、ハワイ日系一世を取材した『蘭の舟』(81年伊奈信男賞)や日本の伝統文化を「黄金」という切り口で古代から近世までを撮り下ろした『黄金 風天人』(90年土門拳賞)がある。3Dによりインスタレーション「日本の王朝美術」がボストン美術館で公開されるなど、国内外で活動を続けてきた。2007年に刊行した『感性のバケモノになりたい』(08年日本写真協会作家賞)は、20代の未発表作品から60歳のデジタルカメラを駆使した作品まで40年間の作家活動を集成したものである。2008年には新作「FACES」を発表。今回展示されている作品は、それをさらに発展させたものである。
1 件のコメント:
素敵ですね~!アートはあまり分かりませんので、コーヒーを飲みに近々お伺いしたいと思います。
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