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2012年3月27日火曜日

「アリラン」




私が大好きな、というよりその才能に恐怖を感じる監督がいる。
その名をキム・ギドクという。
現在52歳、その経歴は貧困との戦い、学歴との戦い、絵画との戦い、宗教との戦い、哲学との戦い、軍隊での戦い。
全て戦いの半人生であった様だ。

カンヌ、ベネチア、ベルリン等各映画祭でグランプリ等を受賞、キム・ギドクの作品は圧倒的な支持を得て来た。
今渋谷のイメージフォーラムで「アリラン」という映画を上映している。
自分との戦い、社会との戦い、仲間との戦い、映画界との戦いに疲れ切ったキム・ギドクは山小屋の中に一人籠もる。

一年、二年、三年そしてキム・ギドクは一台の小型カメラに向かって独白を始める。
その凄いのなんの狂気と殺気と正気と怒気がカメラに向けられる。この映画は製作、監督、脚本、撮影、美術、音楽、何もかもキム・ギドク一人である。出演者も本人だけ。

かつて観た映画「ゆきゆきて神軍」を思い出した。 
NO.1になった原一男の映画だ。自分に悩んでいる人はぜひ観て欲しい。
ただしキム・ギドクの用意したラストシーンを選んではいけない。アーティストやクリエイターはその一秒、その寸分まで戦いなのだ。人生とは全ての人間の戦いの歴史なのだ。決してあきらめるな。

「アリラン」とはそれは韓国の名曲の題名、人生の題名だ。

2012年3月26日月曜日

「ジュリーな日」


※サンスポより


鼻水がたれて口の中に入る。目から涙がこぼれ出てマスカラが取れてホッペにくっつく。
髪をふり乱しザンバラとなる。二段腹、三段腹をうねらせ、泣き叫び喚き黄色い声を張り上げる。
手を上げ振り過ぎて時計も腕輪も吹っ飛ぶ。

もうそこはこの世の光景とは思えない大同窓会、大クラス会場であったそうだ。
ジュリー!ジュリー!ギャー、キャアー、ジュリー!

20121月のある日の武道館、沢田研二ライブだ。岸部一徳、瞳みのる、森本太郎がステージで青春カムバックだ。
太ったがジュリーの声は相変わらず艶があって美しい。
白い髪でギターを弾く岸部一徳は相棒に出ていた警察官僚とは別人だ。岸部シローは一度ゲストで出たらしい。
男気のある沢田研二の思いやりだったらしい。借金まみれの岸部シローもジュリーありがとうと涙を流したという。

323日(金)雨の中家に帰りテレビ欄を見るとNHK3chでそのステージをやっていた。
残念ながら1時間30分の内11時からの30分しか見れなかった。
友人から聞いた通りそこはオバサンたちの熱狂の渦模様、オジサンたちもあの時の僕は若かった、恋をした、君だけに~、君だけに~、君だけわ~と。

ああ残念月日は残酷、もう帰ってこない。
知人の連れの女性はライブが終わりトイレに入り、鏡に映った我が顔を見て愕然とする。
口紅は鯉の口元の様になり、つけまつ毛は取れて行方不明、髪は流した汗で脱色し首筋にへばり付く。

ワァーこれ誰の顔と思わず両手で顔を隠す。何で早く出てくれないの、マッタクあのブス女、私もうオシッコ漏れちゃう、ジュリー!ジュリー!漏れちゃうよぉー(想像です)。

2012年3月23日金曜日

「仙台市八軒中学校」



2012年夏、少年少女合唱隊の声は東京日比谷野外音楽堂のステージから流れた。
3.11以降すっかり歌を忘れていた人々の心に染み渡った。

私がお世話になっている広告代理店、フェザンレーヴの社長大泉勉さんから電話があったのは金曜日であった。
日曜日の午後、日比谷の野音に仙台の少年少女合唱団を呼んだんだ、ぜひ聞きに来てよとの事だった。
南こうせつの野外コンサートの真ん中にその少年少女合唱隊が登場した。男女合わせて40人位であった。
 伊勢正三やイルカ、南こうせつの名曲の後会場は正に水を打った様に静になり歌い終わると万雷の拍手の渦となった。
なんだか出来すぎた青春映画のワンシーンの様であったが実話である。私も思い切り手を叩いた。

その少年少女達が通学した学校は仙台市八軒中学校、熱心な先生の指揮の中で沢山の表彰を受けている合唱隊の名門校だ。
大泉勉さんは震災にあった仙台に支店を持つ、傷ついた被災地の人々の心を癒す事はできないかとずっと考えていた。
 ある日NHKの番組で少年少女を知った。そして直ぐに交渉を始めぜひ日比谷へと熱意を語り実現したという。
そしてCD化したのだ。勿論ビジネスは度外視しての事という。その行動力に敬意を持った。

私の処にいた新人デザイナーの高橋舞ちゃんが仙台へ行き広瀬川の辺りで少年少女を撮影しCDジャケットのデザインをさせてもらった。その歌の名は「あすという日が」静かに聞くと静かに泣けて来る。熱く聞けばこぼれる涙が熱く感じる。

3月25日(日)TBS夜11時〜11時半「情熱大陸」でその歌の世界が放送される。是非観ていただきたい。
一人の広告マンの情熱と少年少女とそれに関わった人々の情熱を。被災地の方々に一人でも多く聴いて貰いたい。
その方法を私は考えている。第二次大戦後の焼け跡の大地に流れた“リンゴの唄”が国民に生きる希望を与えた様に。
この世の生き物の中で希望を持てるのは“人間”だけなのだから。

「八つ当たり」




この世の商売の中でいちばんサービス精神がないのは「本屋」です。

気持ちよくいらっしゃっいませとか、何をお探しですかとか、毎度ありがとうございますとか、またぜひお越し下さい、ありがとうございました、なんていわれた事はない。

その日図書券を買いに銀座の「教文館」の二階に行った。
そこの社長は私のところにいたCMディレクターの渡部くんの父親。
まるで愛想のない女性店員三人とおじさん店員(店長風) に料金を支払いながら、ここの社長はまだ“渡部さん?”と聞くと、ええそうですよとぶっきらぼうにおじさん店員。君たちだから本が売れないんだよ、分かる君たちはサービス業なんだから、新刊本なんて生鮮食品と同じだよ、もっと売る気にならなきゃと言ったら、若い女性店員が私たちは本屋ですからだって。

書店は置くだけで金になる売り場販売業だからしょうがねえかとブツブツいいながら階段を下りるとガクッと足首をひねった。チキショー“渡部”てめえのオヤジの処では絶対本を買わねえからなと階段に八つ当たりした。

ちなみに“渡部君” はとても優秀なイイ奴です。

2012年3月21日水曜日

「寺山修司」


寺山修司さん


その日3月11日の朝、52分に起き新聞各紙を読む。
当然の如く昨年の311日の出来事一色の記事である。

朝日、読売、日刊スポーツ、日経、毎日、やはり予想していた通りの紙面であった。
そこには国のリーダーの決意と復興にかける熱意もビジョンも何もない。経済界も医学界も建築界も物理、化学、天文も芸能界もリーダー達の姿はない、何もない。誰も顔が出てない。コンセプトのない国なのだとつくづく思う。

いよいよこの国の明日は危ういと思わずにはいられない。
ただ山盛りの書籍関係の広告がズラズラと雁首を揃えていた。ステートメントとミッションのない国家なのだ。

寺山修司は「時計の針を前に進めれば『時間』というが止めれば思い出だ」みたいな事をかつて書いていた。
 この国には「貴重な時間」へのグランドデザインがないのだ。

午前7時から30分吉川晃司とお笑いコンビ、サンドウィッチマンがテレビで対談していた。
吉川晃司が一番クールで真っ当だった。非難を承知で言えば1月元旦の正月の紙面の様だ。正月は明けましておめでとうございます一色だが、本日は被災地と絆と放射能と復興予算の行方一色だ。偽善的記事一色だ。
国家百年の計をどーっと全面に出て語りかけねばならない。

例えワタクシどじょうがぐつぐつの柳川鍋になってもこれだけは必ずやるとの決意を。
「話し合い解散」などという戦いを放棄したような一杯気分の政治家は辞めろといいたい。未曾有の大災害から未だ一年、こんな時に増税する政治家は世界中に一人もいない。テレビではこの世の終わりを嘲笑う様なとんでもない阿呆なバラエティの大津波だ。

2012年3月19日月曜日

「医師の鏡」




“蹴っ飛ばし”を食べた、といっても靴の底を食べた訳ではない。
「馬刺し」を食べたのである。

 3月16日(金)仕事場近くの小さなビジネスホテルに泊まり、東京駅1044分発の長野新幹線に乗り佐久平へ向かった。
乗車時間約1時間20分で到着、私が独立したのが24歳、その後初めて私が正社員に迎えた男が迎えに出てくれていた。
彼は私と共に37年仕事を共にしている。今も右腕である。
 長男であった彼は父上が亡くなった後佐久平に帰り今は毎日そこから通勤している。

 その佐久に医学界でも有名な「佐久総合病院」がある。
東京大学医学部を出た若き医師「若月俊一」先生が赴任し、農民のための医療を目指した。無医村での出張診療を行った。一軒一軒、一人一人にその手を差し伸べた。手術をしてはいけないといわれた脊椎カリエスの手術に挑戦した。
その手術を農民たちに見せ恐怖を取り除いた。「二足のわらじ」を履けというのがモットーであった。
 先進医療への取り組みと予防医療、塩分の摂りすぎをコントロールさせて回った。

そして今年も長寿県NO.1は五年連続長野県であった。
駅に着くと127分、日本の列車は正確である。迎えに来てくれていた男とおそば屋さんに行く、そこで“蹴っ飛ばし”こと馬刺しとほうとうを食べた。生憎小雨模様で浅間山は見えなかった。

それから目的の佐久総合病院の教育ホールへ、昨年度日本ペンクラブ映画賞年間第二位のドキュメント映画「医(いや)す者として」を観る。50年余に亘って撮影した約30万フィート100時間余になる記録フィルムを1時間48分に編集した画期的なドキュメントフィルムだ。

ガァーンと頭を打たれた。グサッと胸に刺さった。
一体俺は何をしていたんだと強烈に思った。若月俊一先生は96歳でこの世を去った。2006822日であった。
その志は多くの医師に受け継がれている。医師の中の医師、世界中から尊敬される医師である。

なんとかこの先生の偉業を一人でも多くの人々に観て貰いたいと思った。

このところ腹が刃物で刺された様に痛い。
背中がキリキリ痛い。だがそんな事は大した痛みではない。

新聞には全共闘世代に圧倒的影響を与えた「吉本隆明」が86歳で逝去したと書いてあったその熱狂的全共闘世代の殆どはプチブルと化した。そして今続々と定年を迎えている。思想家からの何の影響を受けたのか、彼等の好きな言葉「総括」をしてもらわないといけない。
中核や革マルの残党は今も内ゲバを繰り返し、連合赤軍の坂口弘は死刑囚として今も生き、超法規的扱いで解放された者たちは中東のどこかに潜んでいる。

アフガンで米兵が16人近くの命を奪ったり傷つけたりした。タリバンは必ず米軍に復讐するだろう。
テロルの時代は永遠に終わらない。中井洽といういかがわしい?民主党議員に切断した小指が送られた。
世界は利権を求め病んでいる。偉大なる若月俊一先生でも治療不能なのだ。
拝金主義病患者の最後ほど残酷で哀れなものはない。歴史がそれを証明している。

2012年3月16日金曜日

「突然の話」




アッ危ネエー、急ブレーキだ。
お客さんビックリさせないでくださいよと運転手のお兄さんが言った。

高速道路を運行中ファークションとでっかいくしゃみをしたのだ。
花粉が鼻にたっぷりと入ったせいだ。目がかゆくしょぼしょぼする、全く厄介な季節だ。
運転手のお兄さんは後の席から発せられるクシャミの度にドキン、ドキンと体を動かした。

銀座の街を歩いているとまるでSFの世界の様に白いマスク、マスク、マスクだ。
現代病なのだろうか、又は文明症なのだろう。病気ではないが酷い症状が出るのだ。

お客さん、クシャミをする時はスミマセンひと言いってくれますか、ビックリしちゃうんでなんて気弱な声で言うではないか。
突然出るのと、ファファファとイントロがあるクシャミと二通りあるんだよ。
ファファファの時は口がモグモグして喋れないの、突然の時は突然なんだから仕方ないのと言った。

そういえば誰だったか名前が出て来ないのだけれどある高名な女性が書いていた。
大嫌いな男は1.くちゃくちゃ食事をする男、2.部屋の中で屁をする男、3.突然くしゃみをする男。

誰だったかな、なんでも一緒に住んでいた男は屁をしたくなると庭に出てしたとか。
本当かなクサイ話だ。ファファファ出そうだ車の外に出るか。

2012年3月15日木曜日

「リーク屋」




会談と怪談は背中合わせ。
まして政治の世界は密会の世界、会っても会わず話しても知らぬ存ぜずがまかり通る。
そして必ずリークという手段をとって動きを探る。

正しく言えば戦略と戦術だが、堅気の人から見るとそれはキタネエーとかズルイとかユルセネーとかとなる。密会をしていた人間に、今夜は何の密会ですか、なんてスットコドッコイの質問をする記者がいる。首相→官邸→役人→取り巻き→リークは単純な公式なのだ。

ある陣笠議員と飲んだ時、これは秘密だよといって記者達に語る時程のよろこびはないと言ったのを思い出した。又、そのリークを貰った記者がどこぞのクラブかバーか焼き鳥屋なんかで、これは秘密だよとリークする時程嬉しい事はないと言った。

この頃そのリークはネット上でやるらしい。
あるリーク魔というとか、チクリ屋がいった。ツマンネエんだよな、ネットは。俺が昔怪文書を書いてあっちこっちに流した時、あの気分は最高だったな、今頃じゃリークしたってツマンネエ。怪文書が怪文書じゃねえんだから。


全くもってつまんないネットという極度にサブーイダジャレを言いながら焼き鳥の砂肝とぼんじりを塩で食べてました。このオッチャン時々飛び切りの情報をリークしてくれるのです。さて、それは何でしょう。相当に興味をそそられます。政治の世界は一寸先は闇なのです。

2012年3月14日水曜日

「凄い男」



青木克憲さん

二日間ブログを休みました。

この間私は何をしていたか、それは「うんざり」です。
先ず何にうんざりか、それは自分自身にです。
意志の弱い自分にうんざり、頭に来るばかりの自分にうんざり、悪口、悪態ばかりの自分にうんざり、首、肩、腰の痛みにうんざりです。あーあ全てこの世はうんざりだ。人生とはうんざり過ぎる人間関係の上に成り立っているんだと分かりつつもあまりに、セコイ、ズルイ、ダサイ、チンケでケチな世界を見るとつくづくうんざりする。

若かりし頃切った張ったで毎日血を流していた頃が懐かしい。
だがそんな中でやっぱりいい男、凄い人間はいる。数は少ないが男女を問わず、老若を問わずこの男、この人には勝てないという人物がいる。

そんな凄い男の一人に青木克憲さんという日本を代表するアートディレクターがいる。
黙しくて語らず、リスクは背負う、人を育て人に未来を与える。利潤は追わず、名誉も追わない。
ひと言頼めば一瞬にして百を知る。なんとも現代の西郷さんの様な男です。こんな人にはいかなる手を使っても勝てない。
私などうんざりする小心翼々たる人間とはスケールが違うのだ。

「ああ我ダンテの詩才なく、バイロン、ハイネの熱なきも、友を選ばば書を読みて、六分の俠気、四分の熱」と先達より教わったが、今や自分自身がすっかりうんざりの状態となっている。

誰が生んだか人間とはつくづくうんざりする程困った生き物だ。
だが待てよ、大切な兄弟分をはじめあの人、あの男、あの女性、あの老人、いいなぁ、凄いなぁ、負けてるなぁ、そんな人もにっこりする程いるのだ。

先夜のお刺身も、サザエのつぼ焼きも、白子のポン酢も、穴子の白焼きも、この男は絶品だと思う人間と共に食すると誠に絶品であった。

2012年3月9日金曜日

「上等だらけ」



男がセクシーに感じる男、それは修羅場をくぐり続ける男、リスクを背負う男、強いけど弱い臆病な男、3月8日BSプレミアムで矢沢永吉のSongsを見てそう思った。

矢沢は金に汚い、矢沢はセコイ、ズルイ、逃げる、矢沢に負けた男達は陰でそういう。 
30億以上の借金をチャラにし、今はスタジオ付のビルを建てているとも建てたともいう。彼はいう自分は臆病者、夜は眠れない、ステージに立つ前は不安がいっぱいだと。友達なんてそんなに出来るもんじゃない、孤独だと。

成り上がった者勝ちの姿がそこにある。ソフトバンクの孫正義も矢沢的だ。
ユニクロの柳井正も、ホリエモンこと堀江貴文も。ただ一つ違うのは矢沢永吉には滅びの美学を背負っている色気がある。
天から地に落ちる事の恐さを知っているセクシーさがある。

キャロルの頃より今の矢沢永吉が好きだと思うのは私だけだろうか。
ビートルズに出会う事がなかったら今の矢沢はないかもしれないとYAZAWAはいう。
さあ、もう一度YAZAWAを見て聞いてとことん戦って行こう。イエーイ、カモンベイビー、男は滅びてこそ男なんだ。
人の陰口なんて上等、借金上等、裏切り上等、失敗上等、破産、倒産上等だよ。

タフガイこと石原裕次郎、マイトガイこと小林旭、勝新太郎、萬屋錦之助、三船敏郎、みんな大借金を背負って生きて滅びの男たちだ。だがその残したものは途方もなく大きい上等な男たちだった。江川卓の借金や星野仙一、坂東英二、桑田真澄たちの借金とは借金の値打ちが違うのだ。