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2010年10月29日金曜日

湘南の嵐便り 「血」


私の好きな作家が先日亡くなった。私小説と短編の名手であった。


「忍ぶ川」で芥川賞を獲り、選考委員も長く務めた。作家の名を三浦哲郎という、79歳であった。


この人の不幸を知ると余程の人は自分は未だ幸福だと思うだろう。本葬は岩手県一戸町で行われた。


6人兄弟の末っ子に生まれた。






6歳の誕生日に次姉が津軽海峡で入水自殺、次に長姉が自殺、次いで長兄が失踪する。更に次兄が行方不明となる。


破滅の血は己の身にも流れているのか悩み続けいっそその血を架空の試験管に採って研究し理解することが自分自身だと思う。


架空の試験管とは文学だった。22歳で早大仏文科に再入学、作家井伏鱒二に師事する。3年後学生結婚する。






私は惨たらしい人間です、おふくろの嫌がる事をずけずけと書いた。でも、その惨さを引き受けるのが作家と言い切ったと云う。




忍ぶ川




 一族の血に流れる暗い宿命に書くことで打ち勝った。北国の人らしい粘り強さで。


遺骨を埋めた寺の墓地には真っ赤なサルスベリが咲いていたそうだ。喪うことを豊かに描ける天涯孤独の作家であった。


切実な主題を研ぎ澄まされた文章で綴った。血は水より濃いという。私たちの体の中には長い長い月日を経た今はなき一族の血が流れている。






日本で血のルーツとされているのが天皇家であるがそれがどうして生まれたかは正しくは判らない。


ただ一族一血を守るには誰かが血の本家として必要であったのだろう。サルが人間に進化したのか遠いアフリカからの大地を旅してシベリアから渡来して来て日本人は生まれたそうだ。


一族の血はそこに原点がある、となると人の血は殆ど近親の血という事になる。






悪魔のような血、成功の血、滅びの血、様々な血は繋がっているのだ。


DNAの進化でいずれ解明できる日が来るだろう。ノーベル賞の人とスポーツマン、文化勲章と親分さん、芥川賞作家と風俗の女王とが血で繋がっていても全く不思議ではないのだ。


血は不気味だ。


2010年10月28日木曜日

湘南の嵐便り 「孤舟」

いやはや切なく悲しい本を読んだ。
渡辺淳一の「孤舟」だ。

渡辺淳一 孤舟

大手広告代理店の役員だった主人公が社長一派に入っていなかった為60歳で地方に飛ばされる事になる。プライドの高い主人公はそれを断り定年となる。退職金と企業年金も貰って。

今までは朝から深夜まで仕事仕事であった。
これからは妻と一緒にバラ色の第二の人生と思っていた。だがしかし現実は全く違っていた。


先ず早起きしても行くところがない、やる事がないという現実に慌てふためく。
朝から晩まで家に居る夫はアレコレ細かい事に口を出す。やたらとご飯はまだかと腹を空かす。妻は習い事や友人との交流で結構忙しい。
全然相手にしてくれなくやる事がないという地獄にあえぎ、傷つき、苦悩する。




妻から貰う小遣いは5万円だ。月収200万近くあった給料はもう入らない。娘は26歳、息子は25歳それぞれ外に出て行ってしまう。妻は「主人在宅ストレス症候群」に罹ってしまう。仕方なく外出するが行き先はない。道を歩いていると元居た会社の人間に会うのではという気持ちが支配する。

囲碁教室に行くと嫌なジイさんにコテンパンに負ける。就職活動をするがかつての高収入、高学歴がジャマになって見つからない。月収20万とかつての10分の1のビル管理会社も採用してもらえない。

妻は洗濯物を入れてとかお風呂を掃除してとか自分の事は自分でやってとかいう。
二人で旅行でも行こうと言えば嫌ですかえって疲れるからと言われる。
自分で何かする事を見つけたらと追い込まれいよいよピンチだ。
図書館に行っても落ち着かない、俺は孤独なんだと実感する。


つまらないプライドが第二の人生をつまらなくしているのだ。


私は若い頃会数年社勤めした経験があるがまるで駆け出し、出世競争とはこんなにも男にとって命懸けなのか、私も12時前に帰宅する事はまず無かったが愚妻はソファーに猫の様になって私が帰るまで待っていた。


一人で会社を立ち上げたので未だに上司もいないし出世も関係ない、優秀なスタッフにおんぶにダッコちゃんなのだ。

で、孤舟の主人公はやがてデートクラブに登録して若い娘と出会う事となる。
その後が知りたい人は買って読んで下さい。「孤舟族」はどんどん増えているのです。




公園で孫といつも遊んでいる、犬の散歩係を命じられている、スーパーやコンビニで買い物をメモを片手にマッタリ行っている、いやはやガックリしています。先は長い。

2010年10月27日水曜日

湘南の嵐便り 「セン公」


昨今テレビや新聞で悪夢を見ている。

私が大嫌いな星野仙一がエラソーに記者会見をし、ボクは野球がしたいんやなんて素っ頓狂な事を言っている。正しくは僕はやはり野球でしか大金を手に出来ない、楽天しかオファーがなかったから楽天に行くことにしたんだ。

あれやこれや投資も上手くいってないし、愛人も金がかかるしシャアナイネンというのが衆目の一致した意見だろう。


星野仙一(通称セン公)は私と同じ岡山出身だ。
岡山はあらゆる分野から人物を輩出している。しかし岡山県人のくせに大阪弁を喋るセン公を見ると岡山県人を辞めたくなるのだ。

日本で初めてと言われる個人の美術館、大原美術館を造った大原総一郎、将棋の大山康晴永世名人(玉将を隅に隠す穴熊が得意)、宮本武蔵(試合に遅れるのが得意)、内田百聞(嫌われ者冗談がキツイ)、橋本龍太郎(スゴム、スネル、イバルで嫌われ者)、太田薫(労働界の巨人)、江田三郎(左派の論客)等々多士済々な事は日本一。
大山康晴永世名人


内田百聞


橋本龍太郎
江田三郎


ジーパン日本一、学生服日本一、鰆の水あげ日本一と意外な日本一が沢山ある。

星野セン公は人を利用する事、日本の利権に群れる事日本一、ジジイ殺し日本一、腹黒い事と日本一と悪行は続く。
またあの熱血漢、正義ぶっている姿を見るのかと思うとゾッとしないではいられない。無能の田淵幸一がやはりノコノコついて行く様だ。


田淵



杜の都仙台は岡山が生んだ稀代の悪人に乗っ取られる事となる。
岡山県人としては益々テレビを見ない事になる。

甲子園の人々にまたココに還って来ます、日本シリーズでなんて嫌みな事を言う。
今はギャラの詰めをしっかりしているのだろう。


セン公スポーツはフェアプレイだぞ、ある本でこんな一節を読んだ記憶がある。
「敵は怖くない、一番怖いのは味方だ」セン公はきっと内部からタッチアウトする。

2010年10月26日火曜日

湘南の嵐便り 「オムライス」


長い付き合いの写真家に藤井英男さんがいる。

先日行った藤井さんの個展

先日個展に行って来た。
スペイン、ポルトガルを一年回って撮ってきた作品だ。
藤井さん独特のモノクロームの世界はやわらかい視点で捉えられている。
藤井さんは若い頃、パリで勉強し雑誌「ELLE」などで活躍、日本に帰り本格的に売り出しビッグネームとなった。
写真家は個性が強い人が多いが藤井さん程マイルドな人は少ない。
何人も若い写真家を育てて世に出した。

会場が路地の中であり早めに出て12時オープンの30分前には着いてしまった。

会場の前に二軒の店があった。
一軒はインテリア&ジュエリーショップ、もう一軒は麻布食堂だ。

インテリア&ジュエリーショップ

麻布食堂

インテリアショップでコーヒーをご馳走になって友人を待つ、そこで麻布食堂のオムライスは凄く美味しいですよと教えてもらう。
で、個展を観て友人と麻布食堂へ、入り口は小さいが中はとても広いしお洒落であった。


昔ながらの洋食屋さん風、家庭的で落ち着ける、私と友人はオムライス、私はデミグラスソース、友人はホワイトソースをオーダーした。

私が頼んだデミグラスソース

隣の若い三人はカニクリームコロッケが二人、ハンバーグが一人、シンプルでとても美味しそうであった。今度はメンチカツを食べようと心に決めた。カウンターの人が食べていた。

カニクリームコロッケとハンバーグ

インテリアショップの女性が美味しかったでしょうと言った。
コーヒーを二杯ご馳走になったので5700円のガラス玉を買った。

インテリア&ジュエリーショップの女性


いい写真、いいインテリア&アクセサリー、いいランチ、ギャラリーの名はイー・エム西麻布です。

2010年10月25日月曜日

湘南の嵐便り 「どぜう伊せ㐂」


高ばし 伊せ㐂

過日深川高ばしにある「どぜう」の名店「伊せ㐂」に三人で行った。

佐藤隆介先生

一人は池波正太郎の一番弟子で日本を代表する食通、佐藤隆介先生。
もう一人は佐藤隆介先生の一番弟子でやはり食通の加藤雄一さん、お二人は博覧強記で知らない事はない。

どぜう鍋
「どじょう」とも「どぜう」とも云う。
コイ目ドジョウ科に分類される淡水魚である。この日の目的は、柳川鍋、蒲焼き、丸鍋の三種。ぬき鍋という骨抜きのもある。しかし残念蒲焼きがなかった。

この季節は大きさが足りないので蒲焼きはないとの事。
先生はしまった俺としたことがと声を上げた。それでも柳川と丸鍋をしっかり食べた。


伊せ㐂」「飯田屋」という名店と「駒形どぜう」がベスト3といわれている。

飯田屋の柳川鍋とどぜう鍋


江戸っ子は気が早いので鉄鍋を極端に薄く仕上げており、またどぜうに酒を染み込ませ身を柔らかくして火の通りをよくしている。安い、早い、旨い、江戸っ子のファーストフードであった。

飯田屋のどぜう蒲焼き
店内は開放感に溢れている。


一体この国はどうなっちまったんだろうと先生はつぶやき、この頃かなり右傾化交戦的になっている加藤さんは、元々日本は強いんだ中国にもロシアにも負けてない、勝負すべしといったお言葉を発す。まあ中国やロシアはドジョウみたいに掴み所のない沼科の生き物だからなと思った。
日本もかつては世界中の物をパクって世界の嫌われ者だった。


先生はかなりご機嫌、次の日出張とかで早帰り、最後に鰻の白焼き、加藤さんは白焼き丼、先生ちょっと白いご飯をくれと言ってこりゃ旨いやそして風の様に去って行きました。
雪駄の音が小粋でありました。

飯田屋の鰻重

私はその後銀座のクラブで友人と待ち合わせ、そしてとんでもない目にあったのです。

2010年10月20日水曜日

おしらせ

いつもご覧頂きありがとうございます。
明日、明後日のブログはお休みいたします。


今後ともよろしくお願いいたします。

湘南の嵐便り 「筋者」





先日一人の男が自宅に来た。遠い昔の後輩である。

少年の頃傷害で初等印旛少年院、出所後殺人で久里浜特別少年院、出所後広域暴力団の若衆に。体半分は刺青が入っている。
左手の小指は第二関節、右手の小指は根元からない。


現在56歳。バリバリの親分であり直系の若衆も七人いる。
その男がすすり泣く。

やっと生まれた男の子が死産だったのだ。
バチが当たった、バチが当たったと白い髪ばかりになった頭を下にして。


その日家の奴は留守だった。
家の外にベンツに乗った若者が二人いるので少しずらしてくれと言った。
亡くなった母が少年院を出て挨拶に来た時、もう馬鹿は止めなさいと言った時、自分はこの道しかないので必ず親分になりますと言った。

荻窪駅南口の飲み屋街で喧嘩になり短刀で刺した。
刀は背中まで突き通っていた。何回も面会に行ってやった。


久里浜の特別少年院で水泳の教練が厳しく水泳が苦手な自分には死ぬより辛いと言っていた。こんな狭い家にいてもしょうがないから海でも行こうと海に向かった。
男は涙を拭った。

海辺の防波堤に座り語り合った。
お前堅気になりたいんだろと聞くと今更堅気にはなれないと言って笑った。



今追い込みをかけられていると云った。
何しろ極道の世界も金、金、金の時代だから。
会長代行の奴とどうにも合わないんだ、どうしても我慢出来ない事が何度かあった。


この間若い者連れて夜中さらって片を付けたかったのだが何処で嗅ぎつけたか家に行ったらガードの堅い事、それ以来禁足にされてしまった。未だ破門まではいってないんだが。ガキの頃から博打で生きて来たから。





デリヘルや乱交パーティやシャブや美人局などは絶対やれない。

しっかりケジメつけるか、トコトン堅気になって笑われるかどっちしかないかと私は言った。
お前は元々金筋の親分になるために生まれて来た様な男なんだから、半竹に身を引いたら一生追い込まれるからな。その後男がどの道を選んだかは判らない。




秋の海辺に赤とんぼが飛んでいた。
私は確信するのは必ずあの男は自分でケジメをつけるだろう。
その男の女房になったのは私が育った街のいいとこのお嬢さんだった。
いつもバイオリンを持っていた。56歳の後輩が新年をどこで迎えるかは判らない。
男が惚れ惚れするいい男だった。


ちなみに若衆から一番嫌われる極道(ヤクザ)は
一、金儲けしか頭にない。
一、金にブシイ(シブイ)
一、人を信用しない、銀行は全て自分で行く
一、飲み代を値切る
一、語る(人の名を借りる)
一、フケる(いざという時逃げる)
一、歌う、チクる(密告)(パクられた時直ぐ喋る)
一、スゴム、これ見よがしに自分の女にスゴム。女に手を上げる。
一、フカス、小さな話を大きくするラッパ。
一、ジャッキを入れる、自分で出来ないので人をのせる。
一、根性がまるでない。楊枝一本で刺されて青くなる。血に弱い。
一、銭に異常に汚い。貯めたがる、金の離れが悪い。

こういうチンケな奴人はいつか必ず沈む。

多分狙うその相手はこれらを全部満たしている筈だ、シャブや女の子の体を売って得た金だけでのし上がって来た男なのだろう。


えっ、私の上司もこんな男だって!?
すっかり筋の通った男が居なくなってきましたね。


2010年10月19日火曜日

湘南の嵐便り 「人間の知力」


チリの鉱山から奇跡的に33人全員を脱出、生還させた人間の英知と努力は心から凄いと思う。

正に生きて還るのライブなヒューマン劇場だった。
一つ一つの救出の器具にあらゆる工夫がされていた。
それを見ててある日の感激というか感動を思い出した。

松ヶ岡開墾場記念館

山形県に松ヶ岡開墾場がある。
そこにいかに人間が生き延びるかの知恵を、いかに一粒でも多くの米と一つでも多くの野菜を作るかの工夫が、広い広いかつては養蚕場だった展示場に一大歴史ドラマとして展示されている。


明治維新の時、官軍に逆らった武士達がお前らに与える土地などありゃせんごわすと言われ、何もない何も育たない雪国に追いやられた。

開墾場記念館の中、沢山の農具がありました
武士は刀を鎌(かま)に、樏(かんじき)、背負子(しょいこ)、鍬(くわ)、鋤(すき)、篩(ふるい)にシャベル、様々に工夫した農耕機具に持ち替えた。
この松ヶ岡開墾場で私の尊敬する先輩が水彩画展を行った。
山形県鶴岡出身の素敵な画人であり、名文家であり、日本チーズ協会の会長でもあった。

開墾場を描いています
麻生ご夫妻


こよなく鶴岡を愛し、こよなくフランスのプロヴァンスを愛している人だ。一年に一度は必ずお料理の先生の奥方とスケッチ旅行に行く。
銀座プランタンでは人気作家の一人であり毎年の様に展覧会をする。


農具の数々


もちろん水彩画もよかったが農耕機具にも心を奪われた。
嵐の日には、風の日には、雨の日には、雪の日には、それぞれ細やかに工夫改良されている。溶接もない時代に何でこんな曲線や曲形が創られたのか、心から人間の歴史に敬意を感じた。自然の生物をみんな味方に取り入れたのだ。木、草、土、水、火、そして決して怯むことなき根気だ。



今は何でも手に入る。東急ハンズに行けばいいのだから。
隣は庄内映画村、今や一大観光スポットだ。時代劇の名作を生んでいる。
夥しい数の農耕機具と時代劇を見ると日本人がしっかり見えて来る。

今、何が欠けているのか、今、何が不足しているのか、これから何処へ向かうのか。



私は日本は再び農業の時代が来ると思っている。
漁業や林業は自然任せのところがある。特に漁業は魚群探知機の発達とFRPの高速船の発達、無線の進歩で魚を捕り過ぎて寿命を縮めた。地球の生態系も狂ってきた。
林業は国があまりにたるんでいて森を見て木を見て来なかった。
100年、500年、1000年を見据えた国家的計画が必要だ。

言い方は悪いがお百姓さんの時代となる。彼等は強かの上にも強かだ。
板子一枚に命を掛けている漁師とは全く違う。林業は計画投資的、漁業は博打的だけ、農業は季節の恵みという強い味方がある。


昨日400円したキャベツやレタスが一日で100円から200円になった。
これはJAあたりの悪知恵、浅知恵である。
ぐにょぐにょに曲がったサツマイモや凹凸の京茄子が一個60円で売っていた。

食べてウンコになればみんな平等だ。
自給自足の時代に備えよう。

2010年10月18日月曜日

湘南の嵐便り 「アンティーク着物と聖教新聞」

私の仕事場の30メートル近くの処に骨董品屋さんがある。



「三希堂」という小さな店だ。
河井寛次郎の書とか、中国元の時代の骨董品とか珍しい物がある。

中でも品が揃っているのがアンティーク着物だ。今静かなブームだという。
私は骨董には全く知識がないが歩いているといつも店の前の着物が気に掛かる。



週に一度着付けを替える。
一着八千円から三万円位で素敵なデザイン、絵模様の着物が手に入る。何着か買って家に置いてある。


現代の着物は花鳥風月が主たるパターン、十万や二十万や三十万ではペラペラの着物しか買えない。
その代わりアンティークな着物は、明治あり、大正あり、モダニズムあり、アールヌーボやアールデコもある。大胆な色使い、シンプルなデザイン、シュールリアリズムもある。

種類も沢山あります

着付けが毎週変わります
着物というよりは絵画を見る様で楽しい。帯の組み合わせも面白い、帯は三千円から一万円でいいのが手に入る。孫の七五三にアンティーク着物はどうかと思ったが何を考えているのと一蹴された。これから育つ女の子に昔の着物はないかもしれない。
江戸紫のシンプルな着物に線画きの白い朝顔だけ、帯は黄色一色のみ、中々モダンであった。


近頃銀座のママさん、ホステスさんたちも勝った組と負けた組とは着物を見れば一目で判る。一千万以上もする総絞りの着物とか、辻が花風仕立て物は勝ち組、レンタル着物でナフタリンぽい臭いがするのは負け組、見栄と虚飾を生き甲斐にしている夜の蝶達もこんな不景気は経験した事がないと泣きが入っている。

三希堂さんご夫婦はとても仲良い夫婦、今ある企画を協力してもらっている。

先日ガマガエルの置物を写真に撮りたいのであるかと聞いたら、奥さんがお店にはないけど私がいつも新聞を配っている家の庭の池の側に確かガマガエルが置いてあった様だという。申し訳ないけど借りれないかなと聞くとちょっと自転車で行って来てあげると言ってくれた。


中々見つからず困っていたので私はちょっと出掛けるけど会社の者に連絡しておいて下さいとお願いした。そうしたら見つかったら私のお願いも聞いてといわれた。

何?と聞くと聖教新聞をとってくれるかだって。新聞配達の意味が分かった。
その場はお茶を濁しつつ立ち去って暫くして会社に電話すると、ガマガエルじゃなくて亀だって言ってましたという伝言。

忌々しいよりイボイボしい。

骨董品の数々


そうか三希堂にいつも数人集まっているのは学会の人たちだったんだ。
それ以後私は折伏され続けている。仕方なくアンティークの着物と帯を買った。

中々にいいが着てくれる女性がいない。
着物好きの女性が申し出てくれればお送りします。
その代わり一度デートする事、ただし誰から見ても美人である事。