ちょっと恐い話を、知人のご住職から聞いていたけど、そのものズバリの本が出ていた。著者は葬儀・お墓コンサルタント「吉川美津子」ジャーナリスト「芹澤健介」特定行政書士「中村麻美」の三氏だ。本の腰巻きには「夫と同じ墓に入りたくない!」「姑の世話がしたくない!」「義実家と縁を切りたい!」妻たちの密かな願いをたった1枚の書類で可能にする「死後離婚」とはなんなのか?(洋泉社)新書y。実はこのテーマは、私も岩手県一関市曹洞宗常堅寺の後藤泰彦住職から聞いたときから興味を持っていて、今、ある企画を進めている。当然のように死後離婚を希望するのは女性たちであることは、言うまでもない。昔ならともかく長男の嫁に入り、日々姑や小姑、その上舅や、親類、親者たちから、イヤガラセ、イジメ、過重労働や、夫の浮気やバクチや投資、パチンコ、キャバクラ通いや、ゴルフや釣り、カラオケ三昧、動かず、働かずで日がなゴロゴロしながら、酒だ、つま味だと命じ、あろうことか、モタモタすんなと文句をつけブータレる。愛する我が子が何人かいる。必死に堪える嫁、あるいは結婚してみたら、それまでとはまったく逆、マザコン、パパコンで、料理がママよりマズイだとか、パパのつくった料理のが旨い! しまいには会社の帰りには、そのまま実家に帰り食事を済ます。また、浮気ぐせが治らず(これは病気なので死ぬまで治らない)、日がなスマホをいじってニヤニヤメールをしたり、コソコソとしたりしている。健全たる働き者で、健気で愛情深い嫁は夫からのDVや、姑たちからのイジメに耐えて必死に子育てをする。夫が浮気しているかは、長年の勘で分かる。すでに殺気は目覚め、コイツらを殺してやると思ったりしだす。しかしさすが殺人はしないが、嫁はじっと耐える。そしてついに子どもから手が離れ、やっとこさ楽になれると思ったら、“好事魔多し”で、子宮癌やら乳癌などを宣告される。親族は生命保険などに関心を持つ。夫は妻の入院をいいことに、遊興に明け暮れ、浮気を重ねる。アーヤダ、ヤダ、こいつらとは絶対に一緒の墓に入りたくないと決める。こんなケースが実に多いと聞いた。たった一言、たった一枚の服、一足の靴、一杯の酒、一枚の服やシャツ、一枚の寝具、一台の車、一度の改築などのことなど身近な問題が陰れた要因となっている。夫婦とはもともとまったくの赤の他人だが、血の通う同士のトラブルは、血で血を洗う惨劇へと向かう。問題が起きると逃げてしまう。そんな光景を日々見ていると自分の夫のふがいなさに気づく。こんな奴らとは一緒の墓には入りたくないから、「死後離婚」を考えている嫁は多い。この頃やたらに多い親類身内間での事件。家庭内における事件が多い理由はここにある。お嫁さんを大切にしなければならないのだが、強すぎるお嫁さんもいる。世の中はお墓の中に入っても分からないのである。
2019年11月23日土曜日
2019年11月21日木曜日
「重くて、ためになった一日」
“ふるいようかん”と言ったら、“古い羊羹”を連想するのがフツー。昨日、私と親愛になる兄弟分と行ったのは、“古い洋館”だった。ところは九段下靖国神社のすぐ側だ。グラフィックデザイン界の巨匠「井上嗣也」さんが是非観てちょうだいと、独特の言い回しで電話口でおっしゃった。井上嗣也さんは、本年度ADC賞(日本で一番名高いデザイン賞)のグランプリを受賞した。ADCとは東京アートディレクターズクラブのこと。九段下の目的地に着くと、外観は大きな日本家屋(旅館か料亭みたい)銀色に黒い英文のロゴタイプひとめ見て井上嗣也作と分かる。「AnyTokyo2019 Crazy Futures / かもしれない未来」であった。大きな門を入り玄関とおぼしき広い所に着くと、クリエイターの卵か(?) 若い男女たち、和服を着た番頭さんのようなおじさんが、灰色のビニール袋を持って立っている。脱いだ靴などをそこへ入れて番号札渡してくれた。建物内部はかなり古いが造りが凄い。きっと相当に地位のあった人とか、桁違いにお金があった人が住んでいたのだろう。現在は個展とか、展覧会やいろんなイベントに使っているらしい。重厚にして重層、そして重大なクリエイティブ作品が、いくつもある部屋に展示されていた(内容を詳しく書くと相当な枚数を要するので省略する)。一階、二階、そして三階の広いフロアすべてが井上嗣也さんのワールド。本当にこの人はグラフィックに命をかけている(内容を詳しく書くと相当な枚数を要するのでインターネットで検索すれば、その凄さが分かるはず)。昨日はクリエーターと次々と打ち合わせをしたり、お願いしていた作品を受け取ったりした。打ち合わせはすばらしいアートディレクター清水正己さんと、渋谷の事務所にて(まるで一流ホテルかそれ以上)。その後青山にて、グラフィックデザイン界のレジェンド浅葉克己先生の事務所へ。金色の名物的扉は先日塗り替えが終わったとかで、金ピカピカ。ある大会社の創業者に金曜日にお会いするので、浅葉先生の作品を持って行くことにして、先日お頼みした。そのときやったよ“5連覇”だと、八丈島で毎年行っている卓球大会の成績表を見せてくれた(いつもイッセイミヤケを着ている)。浅葉先生は、ポツポツと歩き、ポツポツと話す。知らない人が見ると、変てこなヒトに見えるだろう。ギラギラのイッセイミヤケを着て首からライカのカメラをぶら下げて、ポツポツ歩いている姿からは、とても卓球の大会で優勝する選手には見えない。浅葉先生は卓球命でもあるから、フツーのときはスタミナを使わず温存しているのだ。出来ているよと言って見せてくれた作品はさすがにいい。私が思っていた通りだった。それから九段下に行った(ここで兄弟分とはサヨウナラ)。その後、現台北代表処・張仁久さん(日本で言えば副大使)の講演を聞きに行く。一人の老政治家が40年近く行なっているセミナーで今日が88回目であった。「アジアの中の日本と台湾」について日本人よりうまい日本語で話してくれた(パワーポイントを使って)。浅葉先生が重い作品(額縁入り)に持ちやすいようにとお弟子さんに、取っ手をと言ってくれたが、大丈夫ですよと頂いたサイン入り著書3冊と、作品を持って出た。何だよそれ重そうじゃないのと兄弟分、重いんだが大切な作品、どうにか指先で下に落とさないように、青山 → 九段下 → 飯田橋 → 東京駅 → 辻堂 → 自宅とタクシーに乗りつつ持ち歩き、東海道線に乗り家に着いたら10本の指がぶっとくなり、感覚がマヒマヒになっていた。両肩はバンバンだが、妙にいい気分だった。最高のクリエイターと会うと、最高の気分を味わえるからだ。前日は横浜高島屋で、その昔「赤いきつね」の筆文字を書いてくれた書の達人「木之内厚司」さんと会い、お願いしてあった書を受け取った。やはり達人は抜群だった。この頃どういうわけか台湾の話が多い。香港の次は台湾と中国は狙いを定めている。フリーのライター「須田諭一」さんとある出版社の二代目社長と一緒に張仁久さんの話を聞いた(その後立食のパーティ。空腹だったのでガッツリ食べた)。重くてためになる一日であった。
セミナー会場 |
2019年11月19日火曜日
「初の忘年会」
昨夜、今年初の忘年会をした。大変お世話になっている人である。一人は政財界通であり、一人はジャーナリストだ。料理は土佐料理、酒は船中八策という超辛口であった。話はいろんな方向にバチバチと音を立てつつ飛んだ。ところで東京都知事選には誰が出るかとなった。小池百合子知事に勝つ候補となると誰か。東国原英夫氏は? う〜ん本人はあきらめたようだよと。私もそう思った。殿と呼んでいる“ビートたけし”がすっかり毒気がなくなり、発信力は著しく低下した。妻子を捨て、世話になった人を捨て、かわいがっていた家来たちを捨て、愛人のところにへばりついてしまった。大貧乏から大金持ちになってすっかり体制的になってしまった(明石家さんまに勝てなかった)。殿の支えあっての東国原英夫氏である。文化人や学者にも見当たらない。日本国は人材不足国家になっているのだ。私は頭の中で思った。そういえば鳥越俊太郎氏はどうなっているのだろうか。もう一人の殿こと細川護熙氏は相変わらず、陶芸などに精を出しているのだろうか。細川家といえば名門中の超名門の家柄、武家社会の混乱には、いつもその中心にいて、裏切り、寝返り、陰謀の画策、そしてぶん投げが得意であったなと。土佐名物九絵鍋はやっぱり旨い! 話が進みこの男が出たら、いい勝負だと意見が一致したのが「橋下徹氏」だった。今のままじっとしているはずはない。衆議院選挙があれば別だが、都知事選挙は彼にとって面白いはずだ。大阪は松井一郎市長が押さえている。維新の会を生んだのは彼、東京を押さえれば、東西を手に入れることができる。その上オリンピックを迎える都知事の椅子は悪くない。その名を世界にアピールできるのだから。そりゃ面白い、あるかも知れないとなった。政界は一寸先は闇だから、先を読むのにかけては、人一倍の小池百合子都知事だから、ひょっとしてすでに読んでいるかも知れない。200万票以上獲った者に勝つのは並大抵ではない。知事は二期目が一番強いと言う。総理大臣自身が桜を見る会の領収書が、あるの、ないのと問答する情けない国に未来はあるのだろうか。桂太郎を抜いて最長の総理大臣となるが、何がレガシーかと思えば、“国家低迷”しかない。だがしかし支持率は低下しない。いっそ東京都知事も兼任すればと言う側近がいるかも知れない(言いかねない側近たち)。年が明ければ、ヨイショの人間たちも次のヨイショを見つけ始めるだろう。“機を見て敏なり”とか言って。しかしワンポイントを誰かにさせて、その次をとも言えるからな。やっぱりヨイショだろうか。今後は橋下徹氏の動きに注目する。先見の明があるお二人も読んでいる。帰宅してニュースを見ると、沢尻エリカがずっと前から、いろんな薬物を使用していた。芸能人が薬物で逮捕されると、次は私かと思い続けていたと口を割ったとか。今、きっと長くてつらい呪縛から解けて、ホッとしているだろう。通信履歴を押さえられたら、もうどうにもならない。人間はまな板の上の鯉になると、信じられないほど、気が楽になる。お母さんのところに帰ったら一から出直しだ。芸能人は「歯が命」という名コピーがあったが、「薬が命」であってはならない。先日薬物中毒だった、清原和博選手が小さなリーグの監督に就任した。グラウンドに立った清原選手は泣いていた。そしてファンたちは大きな拍手でかつてのヒーローを迎えた。沢尻エリカもピエール瀧もその才能は飛び抜けてある。ファンはきっと待っている。(文中敬称略)
2019年11月18日月曜日
「夜のクラブ活動中止」
沢尻エリカ(33)合成麻薬所持使用で緊急逮捕のニュースを見る。いい女優になったきていたのに残念だ。芸能界という特殊な世界では、一度脚光を浴びるとその光が忘れられなくなる。と、同時にその人気が、いつかは落ちてしまうという恐怖との戦いになる。栄光を見た人間は、その栄光によって滅びるのは歴史の常である。英雄たちがどういう命の終わりを迎えたかは、あてにはならないが世界史、日本史の教科書を見れば分かる(いずれも推測であって正しいかは不明)。栄光が大きいほど、不安も大きくなり、孤独感は増幅し、人への猜疑心は強くなる。また、その栄光を遠くより見る者は、嫉妬の炎をメラメラと燃やす。あいつをいつかきっと地獄の底に落としてやると思う。そんな人間に日々ニコニコと囲まれる(憎悪を持つ人間ほど、あいそ笑いで接する)。人間という動物で、完成度100%というのは一人もいない。全員不完成なのだ。光を浴びた人間が一人消えれば、その陰にいた人間や、影の役をしていた日陰の人間に機会が来る。一人の不幸は、一人の幸福の始まりである。成功した人間は、その成功によって滅びる。芸能界に限らず、○△界、×△界、△○界……等々、人間社会はこの夥しい数の「界」の存在によって成り立っている。その界にいる人間はまい日が足の引っ張り合いであり、顔は笑顔だが、心の中には悪魔が猛毒を仕組んでいる。人間には善人がいないと思っていたほうが、いい人間関係がつくれる。善い人間だと思っていたのに、酷い裏切りにあい、殺してやりたい! こういうのは人生の学びが足りない。人は全員、自己保身なのだ。沢尻エリカは10日間は留置される。しかしこの10日間で自分の素顔に会える。特別なトイレを使わせてくれるわけではない。キラキラファッションも、イケイケのメイクアップもできない。ご自慢のブーツやヒールも履けず、「留」と印字されたゴムのスリッパになる。コッペパン2個と、小さくて四角いバターと、小さなジャムが入ったビニール袋を持たされて、東京地検の地下室に入る。きのうまで乗っていた高級車ではない。有名人は布で外をかくした車に乗ることになる。警察が内定していたという事は、チクリ(密告)があったということだ。私は別に沢尻エリカのファンでもなんでもない。もし、日本国の警察が本気で合成麻薬や、マリファナや、シャブの摘発をしたら、日本中の留置所は、即日満杯になるだろう。あらゆる「界」の人間がそこにいるはずだ。人間の体は一度憶えた快感を忘れることが難しい。だが、それを克服している人間も多い。かつてミュージシャンは麻薬(主にヒロポン)をやって一人前と言われた。飛び切りいい音が出せたと言う(あるいは疲れがとれた)。この騒ぎで“大マスコミ”は大喜びだ。これで安倍総理の桜を見る会の“私物化”を忘れさせることができると。あまりタイミングがいいので、私はうがった見方をしている。栄光と転落を生かして、いずれ悪女女優として輝けと言いたい。若者の人生は長いのだから。ただし、クラブ活動はもう卒業だ。留置所の弁当も、この頃はかなり旨いという。お風呂だってかなりヌルいけど、週に二回は入れるはずだ。自分の恥をさらけ出すんだ。役を演じるように。そして、出所したら、「復讐は最高の健康法」ということを実践する。密告者には「刃」をだ。人生は楽しいぞ。
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2019年11月15日金曜日
「坂内ラーメン」
次の人は長生きする。権力欲、金銭欲、名誉欲、物欲、食欲、そして性欲のある人だ。男は50代、60代、70代となると前立腺癌になる危険性が増す。そのいちばんの予防法は、週に一度か二度は射精することだと医学は教える。性欲がある人が長生きするのは、人より射精することが多いからだ。射精の方法論は人それぞれで決まりはない。風俗通いや浮気もその一つだが、恐い奥方を持った人は十分に気をつけねばならない。女性は臭いに敏感だから。一日一回は放射するという豪の者を知っている。この男は決して前立腺癌にならないだろう。人間は食欲がなくなったら終わりという。巨人軍の監督だった故川上哲治や故黒澤明監督などは、90歳近くになっても、日々600gぐらいのステーキを食べていたと伝えられる。名優仲代達矢さんは80を大きく過ぎた今も、ステーキ、ステーキ、ステーキを食べていると何かの記事か、インタビューで知った。私が憧れるのは無欲の人である。昨日、権力欲、金銭欲、名誉欲など一切なしの人と会った。店は五反田の「坂内(バンナイ)」という、喜多方ラーメン。頼んでおいた中国映画「胡同のひまわり」が届いたというので、受け取りに行った(胡同[フートン]とは下町のこと)。午後5時頃すでに外は陽が落ちて暗い。どこぞで一杯飲んで食事でもと思った。立ち食い寿司を探した。一貫75円という店があったが、店内を見るとマイナスオーラがユラユラしているのでやめた。その近くに坂内があった。喜多方ラーメンはいろいろあるが、私は坂内が大好きだ。太目のチリチリの麺がいい。チャーシュウが実に旨いからだ。スープはさっぱりむかし風しょうゆ味だ。ここにしようかと無欲の達人、フリーライターの人と入った。この人は12〜15kg減量に成功した。先日、血液検査を受けたら、すべて標準値以下になったと言った。もともと酒を飲むのを好んだが、それを止めたらすべてOKになったのだ。そんじゃ乾杯とフリーライターの方は、ハイボールを飲んだ。私は冷酒であった。つま味は、枝豆とチャーシュウ、ギョーザを一皿。いつものようにアレコレ楽しく話をした。このフリーライターの方といると、心が安定する。何故かと言えば、無欲だからだ。今、二冊プロデュースしている本の、ライターをしてもらっている。何を飲んでも旨いと言い、何を食べても旨いと言う。かつてはトリのカラ揚げとか、トンカツ、コロッケ系が好物であった。ソロソロ何かをとなり、フリーライターの方はネギラーメン、私はチャーシュウワンタンメンを頼んだ。店員さんはインド人のような女性だった。久々(今年初)の坂内ラーメンは期待通り、福島県喜多方の味が入り我が腹は十分によろこんだ。話はやはり先日の井上尚弥選手のボクシングの話で盛り上がった。50歳をすぎて独身、仕事があれば仕事をし、無ければ日がなゴロゴロしたり、読書を楽しみテレビを見ているとか。それ以上のものは望まない。日々アクセクしている私から見ると、夢のような生活である。前立腺癌を予防する発射行為をしているかどうか、していたとしたらその方法論を聞きそびれた。五反田は風俗店が数多いところで有名である。店を出るとその種のネオンがピカピカと妖しく輝いていた。歩いて駅に向かうと若い男が一人、若い女性が一人、どうぞとかどうですかと声をかけてきた。早く帰って「胡同のひまわり」を見なければと思った。
2019年11月14日木曜日
「BOXINGは最高だ、そして赤いきつね」
KING OF SPORTS(スポーツの中のスポーツ)と言われるのが、BOXING = ボクシングである。リング上で殴り合って殺しても、殺されても、それを許すスポーツだからだ。モンスター(怪物)と言われる井上尚弥選手と5階級を制覇して来たフィリピンの伝説のチャンピオン・ノニト・ドネア選手との世界4団体統一世界タイトルマッチが先日あった。井上選手26歳、ノニト選手36歳、その差は10歳であった。私はどのスポーツよりもBOXINGが好きである。同じ体重(リミット)内で戦う。そのために猛烈な練習と、猛烈な減量と戦う。井上選手以前のモンスターは、内山高志選手であった。世界チャンピオンの中のチャンピオンにつけられる、スーパーの称号が与えられた。井上 vs ノニトの12R(ラウンド)の激闘が終わったあと、ボクシングファンも、そうでない人も最高の試合だったと感動した。井上選手はノニト選手の必殺の左フックの打ち方を見て憧れ、リスペクトして来た。そして、その左フックを徹底的に身につけた。登って行く26歳の井上選手と下って行くノニト選手。スポーツ紙は早いラウンドで、井上選手がKO(ノックアウト)するだろうと予想した。赤色輝くサーチライトの中、二人の肉体を見たとき、その差は歴然だった。井上選手の体は1gの無駄もなく鋼鉄のように美しい。一方ノニト選手は肉体的にたるみがあり、脇腹はゆるんでいた。私は井上選手の左ボディーが食い込んだら、それにて終わりだと思った。がしかし5階級を制覇して来た伝説のチャンピオンは、とてつもなく強かった。左は世界を制すといわれるのがBOXINGだ。左ジャブ、左ストレート、これを出しつづけないと右は当たらない。井上選手は基本通り1Rから、左、左、左と左ジャブ、左ストレートを出す。2Rに入って相方接近して打ち合いになったとき、伝説の左フックが井上選手の右目にバチーンとヒットした。今まで早いラウンドでKOして来た、井上選手の顔は、傷一つなく美しい。その顔に右目からの鮮血が流れた。この一発で眼底を骨折した。目の上はパックリと切れている。相当効いてダウン寸前。あと皮一枚深くなっていたら、ドクターストップでTKO負けだったと、試合後リングドクターは言った。井上選手は相手が二重に見えるので、ガードを高くして、傷ついた目をカバーしつつ、焦点を絞った。館内もテレビの前も騒然となった。それから高度なBOXINGの打ち合い、守り合い、足の使い合いとなった。BOXINGは0.01秒でKOできる。プロは1秒の間に10発ぐらいのパンチを出せるからだ。クリンチはない。ホールドもバッティングもない。2人ともBOXINGの教科書のように戦う。グローブの握り方、ジャブ、ストレート、フック、アッパーの打ち合い方。ダッキング、ウィービング、ヘッドスリップ、両手をクロスさせたりアームブロックでパンチを防ぐ。1秒たりとも目を離せない打ち合いがつづいた。一進一退、井上選手やや優勢の中で11Rが来た。パンチを出し合ったとき、ノニト選手のボディーが空いた。もっとも効くレバーからキドニーにかけてのところに、強烈な井上選手の左ボディが食い込んだ。フツーなら即悶絶だ。打たれてすぐに効いて、さらに効いてヨロヨロしながら、ノニト選手はヒザをついた。通常ボクサーが後でなく、前に倒れた場合は立ち上がれない。レフリーのカウントがもう10になってKOかと思ったが、大歓声の中ノニト選手は立ち上がり、相打ちを目指し左フックを打った。この感動的な打ち合いは、全世界のボクシングファンに配信された。数億人が感動したはずだ。間違いなく今年のベストマッチだろう。次の12Rは最終回、さらに激しい打ち合いはつづいた。最高峰のBOXINGだった。試合は判定で井上尚弥選手が勝った。そしてすぐにノニト・ドネア選手のコーナーに行き、ひざまづき、ドネア選手にありがとうございます(?)と言った。ドネア選手はやり切った顔で君が強かった。これからは君の時代だと語りかけているようだった。大拍手の嵐、これほど清々しいBOXINGのシーンは、長い間なかった。最強のスーパーチャンピオンだった。内山高志選手の後継のスーパーチャンピオンの誕生だった。私の仕事は減量もなく、猛練習もなく、殴られることもない。なんだか悲しくなるほど考えさせられた。私はまだ全然努力が足りないと思った(何しろ未だ生きている)。11月12日NHKの「プロフェッショナル」を見て、井上尚弥選手の人間性と幼児期よりBOXINGを教えた、父親との愛情の深さに感動した。ハードな合宿から帰ったとき、今何がしたいですかの問いに、「赤いきつね」を食べたいですと言って笑った。この商品のネーミングとパッケージのデザインのお手伝いをした、一人としてうれしかった。
PKGはじめのデザイン |
2019年11月12日火曜日
「バカヤロー」
美樹克彦が歌った ♪ かおるちゃん おそくなって ごめんね かおるちゃん おそくなって ごめんね …… 花は 花は 花は ……とつづきラストにバカヤローと叫ぶ歌があった。歌詞が定かではないが、バカヤローだけは今も記憶に残っている。今年も残り少ないことを天気予報の、いよいよ木枯らし一号が吹くかもという予報で、肌身に感じた。本日朝、日経新聞の朝刊を読みながら、つくづく「バカヤローな時代になったな」と思った。茅ヶ崎出身の力士“服部桜”は黒星スタートであった。入門以来2勝しか挙げてないから、もう120〜130敗ぐらいしているのではないだろうか。でも一生懸命がんばっている。横綱白鵬敗け、大関高安敗け、大関豪栄道休場、関脇御嶽海敗け、栃ノ心敗け。横綱、大関、関脇が全員敗け、これは一場所15日制が定着した1949年夏場所以来の二度目の出来事。バカヤローなのだ。何しろでっかくなり過ぎている割りには、稽古をしっかりしないので怪我が多過ぎるからだ。新天皇即位パレードのとき、NHKの中継でなぜか皇室担当ではない政治部の女性記者が中継をした。いくら安倍総理のお気に入りとは言えパレードの政治利用で、やたらに安倍総理のことばかり中継していた。バカヤローなのだ。地方銀行が低金利であえいでいて、福島銀行がSBIグループから出資を受けることになった。ついに地方銀行は合併の嵐を加速する。で地方都市はさらにシンドイことになる(融資が厳しくなる)、政府のバカヤローな金融政策と、日銀のバカヤローな政策がマイナス金利となり、バカヤローな経済を生んでしまった。お金を貸します、お金を貸しますと言うから、それじゃ×××貸せといえば、担保、担保、湯タンポみたいで貸しはしない。バカヤローなのだ。信用金庫によろしくと頼むしかないのだが。香港ではデモ隊に向かって、バン、バン、バンと銃を発砲、かつて天安門事件があったとき、鄧小平は中国にとって、10万人ぐらいの命はどうってことはないみたいなことを言った。14億人近い超大国がバカヤローなことになって行くと、いずれ台湾もとなる。香港のデモはどこぞの国がジャッキ(空気を入れて騒ぎを膨らませる)を入れているはずだ。若者たちは純粋だったはずなのに。街角景気、減速感強く、10月の景気指数急低下増税・台風重荷。パラパラと新聞をめくれば、減損、減益、売り上げ減、大幅リストラ、景気後退確率75.3%に低下、大幅赤字、どこが好景気なんだ、経済の安定なんだ、バカヤローと言いたい。新車販売も、減、減、減だ。我々の業界のNO2でもある大手広告代理店、博報堂DYも、純利益28%減。NO1の電通も、いつの間にか買収したはずの外資に引きずり回されている。バカヤローと言ってやった方がいい。英国の企業家はいまだに海賊である。ワッパ(手錠)をつけたまま脱走していた男が逮捕された。もう疲れたと言ったという。脱走されたのも、脱走したのもバカヤローなのだ。私もすっかりバカヤローになってしまっている。もともとそうであるから仕方がないのだが。私の期待するリーダーが表舞台に登場して、この世を直してほしいと願う。“服部桜”よがんばれ、応援しているぞ。(文中敬称略)
2019年11月11日月曜日
「山中鹿之助と宮本から君へ」
人生とは七難八苦との戦いである。訳あって松本清張の「山中鹿之助」を読んだ。小・中学生のために書いた児童文学的なので分かりやすく、読みやすい。私の学力に丁度いい。“真田十勇士”と共に、私が少年だった頃のヒーローは“尼子十勇士”であった。その中のスーパースターが、「願わくば我に七難八苦を与え給え」と後世に残る言葉を発したと言う、山中鹿之助だ。「恩と仁と義。忠節の見本」として旧日本軍に都合よく活用された。ここでは山中鹿之助については多くを語らない。作家によっては、山中鹿介と書く。多くの歴史作家がその生き様を書いた。島根県出雲の国の有力大名、尼子家の家臣であった、戦国時代の当然のように、陰謀、調略、裏切り、寝返りの争いの中で、かつては格下だった毛利家の台頭の中で、謀られて殺される。34歳であったと伝えられる。滅ぼされた尼子家再興のために立ち上がったときに、七難八苦の言葉を発したという。私は山中鹿之助の大ファンで少年の頃、貸本を借りて来て読んだ。松本清張は山陰地方の出身である。今の世の中は「恩」も「仁」も「義」も、風の中に舞う言の葉のように飛び散ってしまう。去る10月26日一人の政治家が、あの世に旅立った。享年70歳。この政治家のことは世間ではあまり知られていない。私も新聞記事などで知るぐらいでしかいない。政界では「無名の実力者」と言われていたと言う(名は伏す)。この政治家の追想録を新聞で読んで、少し共感する言葉に出会った。事業に失敗し、借金取りに日々追われていた父親を見て育った幼少期に、父親からこう教えられたと言う。「カネは使えばなくなるが、人へ世話することで得られる、徳や仁義はなくならない」と。今の世の中、こういうことを実践している人は極めて少ない。私が大恩を受けた人の中に、今でも弱き者のために労を尽くしている人がいる。私はその人の徳や仁義はなくならないと思う。残念ながら私はいまだ受けた恩義を返していない。弱き者の七難八苦を引き受けている。きっと幼少の頃からのご両親の教えを守っているのだろう。北国の出身なので粘り強い。叩き上げの人間は、いわゆるエリートと違って、心根も強い。ちなみに山中鹿之助が毛利軍によって謀殺されたのは、私の父が生まれ育った、岡山県に流れる高梁川の地であった。父は、軍国主義に対して徹底的に抗したと亡き母から教えられた。50歳没という短かい生涯だが、弱者を守ることに尽くしたと言う。不出来である私は、どの教えも守ることができていない。そして今年も残る月日は少ない。いろんなデザインの来年用のカレンダーが送られて来る。先週末金曜日の夜8時50分〜11時、渋谷のユーロスペースにて真利子哲也監督の「宮本から君へ」を観た。この映画については後日記す。池松壮亮と蒼井優は、もの凄い演技だった。大森立嗣監督の「タロウのバカ」と今年NO1を争うのではないかと思う。菅田将暉も、またもの凄い演技力だった。強者と弱者の格差が年々大きくなってきている。が、弱者を甘く見るなよである。「宮本から君へ」の主人公は、ひ弱な男であったが、愛を守るために、強烈な男となった。山中鹿之助とダブって見えた。(文中敬称略)
2019年11月8日金曜日
「夢追い人たらん」
「蟻の一穴」とはよく言ったものである。今年の台風と豪雨、そして洪水はまさに蟻の一穴から増水し大河も小川も氾濫することを、まざまざと見せた。人間関係も、夫婦関係も、親子関係も、友人関係も同じだ。たった一つの目つき、たった一言、ちょっとした仕草、一本の電話、一枚の葉書や一通の手紙で破壊は始まる。人間と人間の関係は脆いものである。自分の目先きのことばかりを考えている時代にとって極めて顕著だ(反省)。近親憎悪というが、近親であればあるほどその結果は醜い。兄が弟に対してあいつは能力がないくせに、勘違いしていると言えば、弟は兄貴はタニマチ気分で終わった人間たちを引き連れていい気になっている。兄貴はコンプレックスの塊だと。不倫をしていない夫に、あなたはウソつきと言ってヤケ酒を飲む、不安神経症の妻。なんでこんな簡単な問題が解けないの、と言ってヒステリーを起こす母親、そんな母親をいい加減にしろと叩く父親。どうしても10万円貸してほしいいんだという学生時代からの親友に、借用書を書いてくれよと言う友。失敗を叱咤されたときにした憎悪の目つき。すがる気持ちで電話をして来ているのに、つれなく応対した電話。もう二度とメールや電話をしないでねと書いた葉書。人の気持ちも知らないで、自分の近況ばかり、自分の成果ばかり長々と書いた手紙。無防備にも不快を表わし、電話をしないでと、人の好意を知らない話。何年、何十年の付き合いも、ジ・エンドとなる。蟻の一穴の代償は時に悲しく、時に悔しく、そして時に残酷なこととなる。私は若かりし頃、話している相手の男が、ゴミ入れに足をのせ靴下のズレを直しているのを見て、激怒したことがある。10年早いと。相手の男はキョトンとして、そして平謝りした。それ以来その男との付き合いは終わった。そのまま付き合っていたら、きっと☓☓☓☓にしていただろう。1日24時間が無駄に使えない歳になってきているので、大切な人間と会うことを心掛けている。今年は大切な人を亡くした。思いもよらぬ人と再会をした。穴ぼこが空いていた人間と元に戻った。ステキな人、すばらしい人との出会いも多かった。その中に、金モウケの話をする人は、一人もいない。みんな夢追い人だ。左官職人、映画、小説、画家、文学評論、歌、建築、大工、陶芸、スポーツ、舞台、オペラ歌手、鮨職人、チェロリスト、ワイナリーオーナー、ジャム、甘酒、焼菓子製産者&オーナー、レストラン&ウェディング、レストランエネコ東京の社長には感動した。みんな目がキラキラと輝いていた。うらやましいほどに。今、あっとオドロクような仕掛けをいろいろ思案している。たとえ夢で終ってもいい。
レストランエネコ東京の店内 |
2019年11月7日木曜日
「おばあちゃんはやさしい」
10月26日(夜)新進気鋭の美人建築家(いずれ世にその名が出る)から、2本の映画をススメられた。1本は韓国映画の「おばあちゃんの家」、1本は中国映画「胡同のひまわり」である。翌日すぐにTSUTAYAに行った。「おばあちゃんの家」はあったが、もう1本は辻堂店、茅ヶ崎店になく、アマゾンで探してもらったら、あったので購入を頼んだ。映画談義は何よりも楽しい。そのなかでいまだ見ぬ映画を教えられると、居ても立ってもいられないことになる。この頃の韓国映画といえば、強烈な暴力とか、猛烈なSEXとか、陰謀渦巻く政治・経済物が多い。かつては韓流ラブストーリーが多かった。私は韓国映画は相当見ていると思っていたが、「おばあちゃんの家」、こんないい映画を見ていなかった。“すべてのおばあちゃんに捧ぐ”とラストに文字がでる。この作品を生んだ監督の自伝的映画なのだと思う。物語は実にシンプルだ。韓国のとある山の中の停留場に、一台のバスが停まる。女が一人の少年と降りて来る。道は砂利道だ。多分一日に、一本か二本しかバスは来ないところだろう。女は小学校4年生ぐらいの男の子に、おばあちゃんは耳が聞こえなく、言葉もしゃべれないからと言う。こんなところは嫌だ、嫌だと子どもは言う。10軒もないであろう、山の中の一軒家におばあちゃんは一人で暮らしている。腰は直角に曲がって杖をついている。顔はクシャクシャのシワだらけ、動く早さはカタツムリのように、ユックリ、ユックリだ。子どもはソウルから来たらしい。一匹の虫がいるだけで恐いとか叫ぶ、殺してと言えばおばあちゃんは、手でつかんでしまう。おばあちゃんが食べ物をつくって出すと、こんなの食べられないと泣き出す。おばあちゃんは無表情でやさしい。水をくみ取りに天秤棒に水桶けをつけて、ユックリ、ユックリと歩く。子どもはゲームばかりしていて、電池がなくなり大騒ぎとなる。おばあちゃんは、かぼちゃをいくつか風呂敷に包んで、やっとこさ街に行き、乾電池に変えてもらう。子どもはケンタッキーフライドチキンが食べたいと、形態模写でニワトリの真似をする。おばあちゃんは庭のニワトリを絞めて、ゆでて足を切って胴体と共に出す。キャーとオドロキ、こんなのケンタッキーじゃないと大泣きする。こんな日々が続く。ある日、縫い物していたおばあちゃんが、なかなか針の穴に糸が通らない。それを見ていた子どもが糸を通してあげる。いつしかおばあちゃんのやさしさが、腕白坊主に伝わり二人の間に固い絆が生まれる。そして別れの日が来る。母親が迎えに来て都会に帰って行く。ガタガタ道を登って来たバス。土ぼこりの中迎える母親、見送るおばあちゃん、美しい山並み、田舎の高貴な風景、ほとんど文明のない家。言葉を出せないおばあちゃん、かわいくてならない孫。古い型式のバスは動き出す。後部座席から大きく手を振る孫。小さく、小さく手を振るおばあちゃん。静かな映画は静かに終わる。直角に腰の曲がったおばあちゃんは、生きてもう腕白坊主に会うことはないだろう。ユックリ、ユックリと山道を歩いて登って行く。それはまるであの世へ向かうようだった。生と死の行き来を暗示する名作だった。我々は急ぎすぎている。
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