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2019年11月11日月曜日

「山中鹿之助と宮本から君へ」

人生とは七難八苦との戦いである。訳あって松本清張の「山中鹿之助」を読んだ。小・中学生のために書いた児童文学的なので分かりやすく、読みやすい。私の学力に丁度いい。“真田十勇士”と共に、私が少年だった頃のヒーローは“尼子十勇士”であった。その中のスーパースターが、「願わくば我に七難八苦を与え給え」と後世に残る言葉を発したと言う、山中鹿之助だ。「恩と仁と義。忠節の見本」として旧日本軍に都合よく活用された。ここでは山中鹿之助については多くを語らない。作家によっては、山中鹿介と書く。多くの歴史作家がその生き様を書いた。島根県出雲の国の有力大名、尼子家の家臣であった、戦国時代の当然のように、陰謀、調略、裏切り、寝返りの争いの中で、かつては格下だった毛利家の台頭の中で、謀られて殺される。34歳であったと伝えられる。滅ぼされた尼子家再興のために立ち上がったときに、七難八苦の言葉を発したという。私は山中鹿之助の大ファンで少年の頃、貸本を借りて来て読んだ。松本清張は山陰地方の出身である。今の世の中は「恩」も「仁」も「義」も、風の中に舞う言の葉のように飛び散ってしまう。去る10月26日一人の政治家が、あの世に旅立った。享年70歳。この政治家のことは世間ではあまり知られていない。私も新聞記事などで知るぐらいでしかいない。政界では「無名の実力者」と言われていたと言う(名は伏す)。この政治家の追想録を新聞で読んで、少し共感する言葉に出会った。事業に失敗し、借金取りに日々追われていた父親を見て育った幼少期に、父親からこう教えられたと言う。「カネは使えばなくなるが、人へ世話することで得られる、徳や仁義はなくならない」と。今の世の中、こういうことを実践している人は極めて少ない。私が大恩を受けた人の中に、今でも弱き者のために労を尽くしている人がいる。私はその人の徳や仁義はなくならないと思う。残念ながら私はいまだ受けた恩義を返していない。弱き者の七難八苦を引き受けている。きっと幼少の頃からのご両親の教えを守っているのだろう。北国の出身なので粘り強い。叩き上げの人間は、いわゆるエリートと違って、心根も強い。ちなみに山中鹿之助が毛利軍によって謀殺されたのは、私の父が生まれ育った、岡山県に流れる高梁川の地であった。父は、軍国主義に対して徹底的に抗したと亡き母から教えられた。50歳没という短かい生涯だが、弱者を守ることに尽くしたと言う。不出来である私は、どの教えも守ることができていない。そして今年も残る月日は少ない。いろんなデザインの来年用のカレンダーが送られて来る。先週末金曜日の夜8時50分〜11時、渋谷のユーロスペースにて真利子哲也監督の「宮本から君へ」を観た。この映画については後日記す。池松壮亮と蒼井優は、もの凄い演技だった。大森立嗣監督の「タロウのバカ」と今年NO1を争うのではないかと思う。菅田将暉も、またもの凄い演技力だった。強者と弱者の格差が年々大きくなってきている。が、弱者を甘く見るなよである。「宮本から君へ」の主人公は、ひ弱な男であったが、愛を守るために、強烈な男となった。山中鹿之助とダブって見えた。(文中敬称略) 


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