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2010年11月1日月曜日

湘南の嵐便り 「権威の終わり」



アフリカンアート

芸術の秋である。

上野の森をはじめ、有名美術館で「日展」や「院展」など東京の各地ではとんでもない数の展覧会が行われている。


しかし芸術家は長期低迷であり有望な新人が全くでない。
正しくは権威主義に潰されてしまう。


何年も掛けて描いた力作が長老達にヨイショをしなかったせいでたった数秒でオシマイ、チョンとなる。長老が次!といえばそれで文字通り次となる。陶芸然り彫刻然りである。

画廊廻りが大好きなので色んな個展に行くが正直心がトキメク様なファインアートにはとんと出会う事はない。ほとんどが非実験的、非挑戦的、非メッセージ的である。
相変わらず山水、南画風、梅原風、東山風、佐伯風、藤田風でありつづける。


秋の叙勲で文化勲章に、蜷川幸雄さん、三宅一生さん、安藤忠雄さんが選ばれた。これは画期的である。何故なら御三方共大した学歴が無い苦労人である。

三宅一生さんはパリで鍛えられ、蜷川幸雄さんは役者失格から演出を目指し、安藤忠雄さんに至ってはボクサー上がりの闘志をル・コルビュジェに向け高卒ながら東大の教授になった。今まで初めての事だろう。


アフリカンアート


例えば私が知っているグラフィックデザインや広告界やファッション界で活躍している人間はみんな高卒または研究所卒である。
浅葉克己氏、仲畑貴志氏、葛西薫氏、副田高行氏、糸井重里氏(法大中退)、井上嗣也氏(順不同)トップクリエイターは大学を出ていない。彼等に続く人材は出ていない。


ある人の調査によるとアート系や音楽や芸術系は大学の四年間で大切な感性を失ってしまうという。科学とか物理とか医学とか建築などは大学や大学院での研究が大切だというが、棟方志功や山下清などの天才的人々には大学は全く必要としないという。

学歴は益々無用となって行くだろう。

幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学校とエスカレーターで上がった子供たちの将来は決して明るいとは言えない。20年後の日本がのんびり上がって来た人間を受け入れる余地はない。一芸に秀でよ、逞しく生きよ、夢とロマンを持てと言いたい。


革命的、革新的な人間になって欲しい。
子供達には無限の可能性がある。可愛い子には旅をさせよ、千尋の谷に落とせと言いたい。


ノーベル賞を受賞した先生の言葉に共感した。
一人は「日本人よもっと海外に出て日本を見よ」(旅行者としてではなく)もう一人は「誰もやらなかった事をやれ」と。

子供が描く絵は伸び伸びしていいですね


ジイジイ、バアバア、パパ、ママ、グランパに囲まれたボクちゃんよ一人で外に出よ。
君の将来は君が生み出すのだよ。君の個性は君でしかない、磨くのも君自身だ。

私は子供の描く絵が何より好きである。素晴らしい。
子供に勝てるのは二人だけ。ピカソと岡本太郎それとアフリカンアートだ。

岡本太郎氏



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