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2013年3月29日金曜日

「根比べ」






汚職にまみれた政治家も、権力に吸い付く経済人も、マフィアのボスも、テロリストも、殺し屋も、小判鮫の様な新聞記者も、スクリーンで華やかな女優や男優も、日曜日にはミサに行き十字を切る。

イエス様どうかノーといわないで下さい。
悪行を重ねた身ですがどうか天国に行かせて下さい、アーメンと。

世界中には数十億人近いキリスト教徒がいるという、バチカンが“コンクラーベ”なのか“根比べ”なのか詳しく分からないがあっさりと新しい法王を決定した。
煙突から白い煙が出たのだ。バチカンは世界の裏の総本山ともいわれている。

バチカンから“”を取ると“チカン”となる、そんな様々なスキャンダルが露出してしまったので何としてもスムーズに決定したかったのだろう。
また目先を変えるために欧州からでなく、アルゼンチンから選んだ。
信者の40%が今や中南米人だからか。ヨハネとかパブロでなくフランシスコという名を持つ人を選んだ。
日本にキリスト教を伝えに来たフランシスコ・ザビエルの名を思い出した。
同じイエズス会の出身だ。

その夜イタリア政治史にその名を残す男の映画を観た。
あらん限りの悪事の黒幕と言われて26の罪状で査問にかけられたが、魔王と呼ばれたその猫背で能面の様な偏頭痛持ちのアンドレオッティ首相は逃げまくる。そして全て無罪に。その男を支える人間の中に聖職者たちがいた。

イタリアは世界で一番好きな国だがその裏面史は暗殺の歴史だ。
カンツォーネを唄いながら、パスタを頬張りながら、ワインを一杯飲みながら蟻ん子を踏み潰す位の気軽さで政敵や余計なおしゃべり者や裏切り者を殺して行く。
謎めいて薄暗く、皮肉屋で有名であったその男はある日秘密を告解する。
初めて恋を感じた乙女の事を、毎日その娘の事を考えていた事を。
魔王にも少しほろ苦く淡い時代があったのだ。

第七次内閣まで組閣した男の最後とは、イタリアのオドロシイ政治史とマフィアとは、聖職者とは、それは観てのお楽しみ。

映画の題名は「イル・ディーヴォ魔王と呼ばれた男」善を守る為には悪が必要だ。
それが信条であった。ならば悪を守る為には何が必要かを考えたが、結論は国家権力だという事に私は落ち着かせた。日本国は極悪に向かっている。
それを守っているのは高い支持率を与えている勿論国民だ。
国家権力がやがて断末魔となって行くのを見るための根比べが始まった。
悪の跳梁跋扈を許しては行けない、決して諦めてはならない。

2013年3月28日木曜日

「しみじみしじみ」

十三湖



風力発電は良くないらしいぞ、何しろ渡り鳥が風車に衝突してバンバン死ぬらしいから、と教えてくれたのは、出版界のカリスマと呼ばれる人だった。

三月二十二日(金)の読売新聞の夕刊にそれを裏付ける記事が大きく載っていた。
「十三湖で風力発電。環境省待った」と大見出し。
野鳥「年間1200羽」風車に衝突試算でと中見出し。
「渡り鳥ルートなどHPで公開へ」と小見出しがあった。

青森県十三湖に亡き親友と行った事があった。
ヤマトシジミを知るために行ったのだ。風強く、波高く、海ではないかと思えば湖である。淡水と海水が入り混じる汽水湖であった。

かつては日本七港の一つとして知られた十三湊(とさみなと)があった。
江戸時代にはコメの積出し港として栄えていたという。湖の側には小さな出店が並んでいた。勿論ヤマトシジミ関係のおみやげ屋さんだ。
ヤマトシジミは浅利位大きいので有名だ。

奈良屋さんという店に入った。
目的はしじみラーメンを食べる事と、シジミを4kg自宅に送ってもらう事だ。
酒飲みの肝臓にはシジミがいいと法律で決まっている(?)で、「しみじみしじみ」なんて酒飲み用の飲料を開発したらと思ったのだ。

友曰くシジミといえば宍道湖か十三湖か東京湾という事であった。
宍道湖は行った事がある。ヨッシャ!十三湖に行くべしと決め行動を起こした。
ついでに三大丸山遺跡に行こう、大好きな縄文時代に会えるからとなった。
しじみラーメンは薄塩ラーメンの様でなかなかしみじみした味であった。
海と湖の味が混然としながらも躾よく感じた。

さて、渡り鳥たちの話だが犠牲鳥は主にマガン、オオハクチョウ、マガモだと記事にある、それをバクッと食べる国の天然記念物オジロワシや数十羽しか生息していないチュウヒなどの猛禽類が集まるため、湖全体が鳥獣保護区に指定されている。
環境省の数字に対し風力発電事業者側の数字は10羽程度、年間でも100羽も衝突していないと相方の言い分は大きく違う。

私は風車にぶち当たっては無残に死んで行く鳥たちの味方でありたいが、脱原発派だ。
風力発電も必要だが鳥たちも守らねばならない。
良い知恵を出しあって欲しいと切に願わずにはいられない。
十三湖のざわめく湖面にうずくまる様にしていた鳥たちの姿が目に浮かんだ。


記事を読みながら亡き友を思い出した。
遺影の前においてあるぐい呑みにお酒を注ぎ入れた。風車に追突せずとも大きな鳥に食べられてしまう。オレたちも渡り鳥の様な人生だったなと語りかけた。
友が微笑んでまた十三湖しじみラーメンを食べましょうと言った気がした。

2013年3月27日水曜日

「書き直し」




松本清張の初期の作品に「西郷札」というのがある。
西南戦争で旗色が悪くなり敗走していた西郷軍がお金の替りに、西郷札という紙切れを作って戦費としたのだ。

現代でいえば決して決済の出来ない不渡り手形みたいなものだ。
それでも西郷隆盛の人気は高く、豪農や豪商、また西郷ファンたちは不渡り覚悟で西郷札をお金や物に替えてあげたという。

あなたは「安倍札」というのをお金に替えてあげますか。
これから日本は間違いなく経済が大混乱になります。
何しろリフレ(リフレーション)に成功した例はないのです。
お金をジャブジャブ刷れなんて偽札作りじゃないんですから乱暴の極みです。

インフラの価格が上がる(原油、ガソリン、灯油、LNG、電気、ガス等)となると物価は上がる、だがしかし政府に媚を売る大企業の一部以外給料は上げたいとしても上げられない。低価格競争に慣れた人々は無駄なお金は使わない。
それ故値下げ競争やクーポンサービス合戦は続く。

銀行は政府が突然持ちだした連帯保証人の責任をなくせなんていうちょっと見、いいじゃんという法案を考えているのに反発している(融資をもっとしろという狙いなのだが)。金貸し業にとって土地や不動産の担保と連帯保証人は必須の条件、だからなんだかんだといって融資はしない。日銀の金庫にはだぶついた金がひたすら貯まってしまう。
ハイパーインフレになって一万円札は西郷札となってしまう。
つまり紙切れ化だ。五万円札や十万円札が登場するやもしれない。

過日ある金融機関にカクカクシカジカの事で少しばかり融資しろや(正確にはオレの夢に融資しろ)で、うらなりビョータンみたいな担当は、シドロモドロ、ドロドロウレメシヤーみたいな青い顔をして断りました。
何か担保に、誰か保証人をといって。
国がどんどん融資しろっていってんのにといっても仕方なし。
夢には駄目なんだと。

「もしもし◯□銀行の☓☓ですけど」と日曜日に自宅に電話があった。
「何だい」といえ「私五日間有休中なんです消化しないとマズイんです」「そんなのオレに関係ないの、で、何今どこにいるんだい、子どもの声が聞こえるけど」といえば「今、子どもと公園にいるんです」「日曜日なのになんだよ」というと、「先日書いていただいた数字の“0”が“6”に見えるので書き直しをして欲しいんです」だと。
「またかよオタクの銀行は書類が多すぎるし書き直しが多すぎるんだよ、以前なんかたった一文字“7”が“1”に見えるとかいって横浜まで出て行ったんだぜ、だいたい日曜だぞ今日は」「ス、ス、スイマセン」

この人、聞けばかなりの高給取りなのです(自分でもいってましたから)いつも体を海老みたいに半丸状態にして現れ必ず海老みたいに体をくの字にして後ずさりしながら帰って行くのです。つい先日の話なのです。「日曜はダメよ」という映画が確かあった気がする。

2013年3月26日火曜日

「マッ苦」




100円マック、マック難民、朝マック、デフレ時代の勝ち組の代表であった。
そのマックが大苦戦をしている。安かろう経営方針マズかろうが定着した結果だ。

深夜になると外国人のバイト店員が多くサービスが雑だ。
店内の汚れも目立つ、終電に乗り遅れマック1個で始発を待つ人。
マック1個で一晩中パソコンを使用する人、マック1個で寝所代わりにしている人。

 マックは家庭料理のない米国文化の象徴だ。
その米国人は今マック太り(マック+コーク)が国家的問題となっている。
日本マクドナルドホールディングスの原田泳幸会長兼社長の役員報酬は31700万であったが(有価証券報告書より)業績不振の責任の証なのか半減して16800万になっていたと明らかになった。
原田泳幸会長兼社長はデフレ化の中で勝ち組代表としてマスコミに出まくっては天狗のように鼻を高くして独自の経営論をのたまわっていた。

だが満月はそう長くは続かない。
業績不振を挽回せんと様々な奇策、怪策、愚策を重ね更に傷口を深くしていってしまった。それでも16800万年間報酬をいただけるとは、大人物、大経営者なら一年間は100円の報酬でいいと言って欲しかった。

三月二十三日(日)藤沢駅南口で人に会うため街を歩いていると大行列が二箇所あった。そこはカラオケ店兼食事処であった。聞けば出前もとれるという。
老若男女が順番を待っていたのだ。昼食をしながら唄うという寸法が流行っているらしい。低価格競争、サービス合戦に敗れた店は潰れているとも聞いた。

時計を見ると午後十二時十一分七秒であった。
カラオケ店のすぐ側のマックは二階まで見通す事ができた。
そこには行列はない。昔日の面影はなくガランとしていた。
ガラス越しに見える主婦が何やら答案用紙の採点らしき事を黙々とやっていた。
フライドポテトがテーブルの上に散乱していた。
目と目が合った気がした。誰かに似ているなと思った。
そうだ脚本家の橋田壽賀子だ。まさか?

2013年3月25日月曜日

「お金で買えないモノ」






バスケットといってもスポーツではない。
竹や樹の蔦などで編んだ物入れだ。

この中におにぎりとか、サンドイッチとか、枝豆や玉子焼きとか、ゆで玉子とか、バナナやみかん等の果物とか、ハムとかウインナーソーセージとかが入ると親子連れの楽しい思い出が似合う事となる。

父を幼くして亡くした私には父親とのバスケットの思い出は無い。
桜が咲き誇る季節となった。レッツゴーバスケットの出番だ。
日本中で桜を観るために、その家それぞれのお料理を入れている事だろう。

日産自動車の広告のキャッチフレーズに“モノより思い出”というのがあった。
とてもステキなフレーズであった。なんでもお金さえあれば手に入る時代に現代人が失った心の置きどころを実に素直に素朴に語りかけてきた。
親と子がバスケットを持って歩いている風景ほどいいものはない。
バスケットを囲んで座っている風景ほどいいものはない。

私は残念ながらその風景を体験していないから余計に世の中の親たちに“モノより思い出”を大切にして欲しいと願うのだ。思い出はショーケースには並んでない、当然値段もない。
アマゾンや通販で買う事もできない。
使い切れない程お金を持っていても心に花を咲かせない人には手に出来ない。

さあ、疲れたとか、お前たちだけで行って来いだなんてそっけなく言わないで、思い出を作って下さい。枝豆はお父さんが茹でて、ゆで玉子の殻も向いて下さい(手をよく洗ってね)スポット綺麗に向けたらきっといい事が手に入ります。

ゆで玉子は心が乱れている時は決して上手にむけません。
“魔法瓶”なんてネーミングを考えた人は大天才です。魔法瓶の“蓋=フタ”で飲み合えば喧嘩ばかりしていた親子も魔法がかかった様に仲良し、こよしと完全になるのです。
何!お茶なんかペットボトルで買うってか!それじゃ“身も蓋もない”。

「汚き者共」







美空ひばりさんが“柔”という歌を大ヒットさせたのを記憶している方々は、もうオジサン&オバサンだろう。♪〜やると思うな思えば負けよ、と。柔の道を唄った。

黒澤明監督のデビュー作ともいえる映画“姿三四郎”を知っている方々は、相当にオジイサン&オバアサンだろう。

“柔道一直線”という劇画を本屋さんで立ち読みした方々は戦後っ子たちだろう。
昭和二十年に生まれた戦後っ子は、“水とん”の汁をすすり、麦の穂をガム替りにかじり、竹の皮に梅干しを入れて吸い付き、焚き火にイモを入れ作った“焼きイモ”を食べ、冷たいご飯に醤油だけかけたご飯を食べながらも決してめげずに生きた。
“心に太陽を唇に歌を”とか“清く貧しく美しく”なんて大人たちから教えられた。

柔道連盟の役員たちが全員留任したというニュースを見ていよいよニッポンの柔道はお終いだと思った。女子選手たちに対する性的行為、暴力行為、暴言の数々、更に助成金の不正使用、柔の道を外した外道共が利権にしがみついている。
“汚く金にまみれ醜く”がスローガンだ。

正々堂々と勝負するのが柔道の基本中の基本、スポーツの基本だ。
黒帯をドス黒く締めて生き残りを計った者共を世の中という道場から破門追放しなければならない。ましてこれから中学校に入学すると、柔道、剣道などから学校サイドが選択して生徒たちに強制的に学ばせる事となる。
教える資格のない者共が教えるのだ。受け身もしらない教師が教えるのだから危険この上ない。柔道の練習中における死亡事故は他のスポーツに比べダントツに多い。
今も植物人間になっているかわいそうな少年少女も多い。

私はこんな教育に断固反対をする。
軍国主義の復権だ。
幾らオリンピックが商業化し、堕落しきっていても、日本の柔道界のお粗末さを見たら、やっぱトーキョーはヤメルベえー、やっぱ、イスタンブールが本命だなとなるだろう。
だがしかしJOC(日本オリンピック連盟)の得意技は寝技だ。
見えない所で汚い手を使っているはずだ。禁じ手、反則技なんでもありだ。(これをロビー活動と広言する)

文科省なんていう役所は救い難き最低で省だ。
イジメ、体罰、やらせ入試、自殺、何もかもひた隠しで省だ.

講道館なんていまだに創設者の嘉納一族に支配されているのだから世界のJUDOに全く歯がたたないのだ。柔道をやる子供がどんどん減っているから学校の教科に取り入れろなんて話になってしまった。柔道着がバンバン売れるし、段位も売れるからだ。子どもたちを守らねばならない、薄汚い連中から。真っ当に柔道をやっている人々のためにも。美空ひばりさんのためにも。


2013年3月21日木曜日

「サヨナラ、サヨナラ」




ゴクッと飲む度に次の音が聞こえてきた。

一、ガリッ、二、ポリッ、三、ガリッ、四、ポリッ、五、ガリッ、六、ポリッ、七、ガリッ、八、ポリッ、九、ガリッ、十、ポリッ、十一、ガリッ、十二、ポリッ・・・

隣に座っている会社員風の小太りの男は右手に缶酎ハイ、左手に柿ピーの袋を持っている。缶酎ハイをゴクッと飲むとそれを両足の膝の間に器用にはさみ、空いた手で柿ピーの袋の中に手をいれる。
ピーナッツを食べると次に柿の種を食べる。実に正確に同じリズムでその行為を続ける。

その夜私は終電に乗っていた(東海道線)。
新橋から乗ると男はすでに座っていた。東京駅から乗って来ていたからだ。
乗車口脇ポールに男は寄りかかっていた。

人間は一定のリズムが気になりだすとその音に支配される。
時計のチックタックとか、グーグーイビキの音とか、シトシト雨音とか。
気になりだすと全ての意識がそこの集中する。
柿ピーの袋の中に、柿の種とピーナッツがどんな割合で入っているか分からないがその数だけ男は一定のリズムでその行為を続ける。

品川、川崎、横浜、ここで缶酎ハイのロング缶は飲み終わり黒いズタ袋の様なバッグからもう一缶を取り出す。
戸塚まで来た頃に私は読んでいたものが何も頭に入っていないのに気がついた。
柿ピーの臭いはかなり強い。

他の席が空いたのだがあえて移動せず男を観察することにした。
大船、藤沢、ずっと行為は続いている。私は次に降りなければならない。
いっそお前は何者だと声をかけようと思ったのだがそれが一体何になるんだと思い止めた。辻堂駅に着いてしまった。

心残りながら私は降りた。男はずっとそのままであった。
列車が駅を離れるまで私はホームに立っていた。

淀川長治さんではないが、サヨナラ、サヨナラと心の中で手を振っていた。
今度あったらぜひ声をかけてみようと思う。
三十五歳位、ごくフツーのメガネを掛けた男だった。知っている人がきっといるはずだ。

2013年3月19日火曜日

「鍵を置いていって」



※イメージです


“独身実家族”という言葉と“ホームズ”という言葉の意味をある統計によって知った。
独身実家族とは3546歳までの人が実家に独身でいるという事だ。 
6人に1人がその状態であるという。

母さんご飯とか、ママこれ洗っておいてとか、マミーあれ買って来てとか、ババアこれ買ってこいとか、お母さん明日はきっとハローワーク行くから少しお金かしてとかいっては実家に居続ける。

ある心理学者によると4565歳の主婦の一番のストレスの相手は一位が夫、二位が隣人や友人、三位がこの独身実家族だという。
主婦のほぼ80%以上が夫との離婚を何度か考えているらしい。
殺意を感じる相手もほぼ同じ順位という。
離婚して実家に帰ってくる人をホームズというらしい。
当然に娘さんが多い。こちらはいろんなケースがあるので簡単に分析はできない。


独身実家族の第一の原因は親の過保護からという。
子を突き放すことができない親が甘えん坊のままいい歳にしてしまうのだという。
家の女房はよくできた奴で、息子や娘によく尽くしてくれるんだ、なんて呑気な事をいっているとある日突然目の前に離婚届を出されたりする。
やはり心理学者によると妻の自慢話をする男はみんな妻に何かしら不安を感じているからだという。妻本人の内なる本当を知らないとアッサリ捨てられてしまう。
 
5060代の離婚が急増している。
殆どが妻が夫を捨てて出て行くケースと統計は語っている。
世の夫たちよ、私は妻に愛されているなんて思ったらとんでもないお門違いだ。
よくよく気配り、心配りを。
また独身実家族はオレだ、アタシだわと思ったら即家出をすすめたい。

ある家の息子さんがオレは出て行くぞ、本当に出て行くぞ、いいんだな、止めないんだな、と母親に迫ったら、低く重く強い声でどうぞどうぞ、鍵を置いて行ってよっといってニヤッと笑ったらしい。

2013年3月18日月曜日

「ステキな夫婦」



その人の人生の価値というか値打ちはその人が何を残したかで決まると言われている。

私の30年来の大先輩である人の絵画展を銀座プランタンで観た。
今年で20回目であった。

画家の名は麻生哲郎さん(72)、山形県鶴岡市出身、名文家でもある。
奥様は著名な料理家、また麻生さんはチーズ協会の会長をしていた程のチーズ通。
友人二人と共に初日に行った。

夕方五時に会場で待ち合わせた。
行くとご夫婦でやあーどうも、まあーどおもと迎えてくれた。
友人二人はすでに来ていて紅茶とクラッカー、クッキーやチーズを楽しんでいた。

麻生さんはフランスに行ってスケッチをして来ては田園調布の自宅内にあるアトリエで仕上げる。その水彩画は絶品である。直線というのがない。
描き手の人柄がそのまま少し太めの輪郭線に現れている。
色彩は多色であ中でも赤と緑の使い方が誠に上手い。
東北の地で育った人とは思えない。
フランスの主たる地は殆ど描いているのではないか、特にプロヴァンスとパリの街並みがお気に入りの様だ。

一度京都の祇園を描いた有名な会社のカレンダーを頂いた事があったがこれがまた絶妙にして風雅であった。
今年用に頂いたカレンダーはパリが題材でありがたく掛けさせていただいている。
大手広告代理店にいた時は広告界の良心だとみんなにいっていた。

個展をすれば全作品完売する人気を博す。
多くの作品が鶴岡市に寄贈されている。
温厚にして意志強固、博学にしてすこぶる謙虚、東北人の特徴をずっと持ち続けている。
一年に一度は必ずご夫婦でフランスへスケッチ旅行をして来たのを知っている。

私も下手な絵筆を今年はと思っている。
50号を4枚が目標だ。昨年6枚描いているので10枚になったら恥を覚悟で個展でもと思っている。麻生哲郎さんの絵はさすが次々と赤い印(売れた事)がついていく。
私の絵にお金を出してくれる人は決していないだろうそれでも画材専門店のセールの知らせを待っている。

時に麻生哲郎さんは麻生太郎のご親戚といわれるのが嫌なんだとおっしゃっていました(笑)

2013年3月15日金曜日

「反省の頭」






弘法にも筆の誤りというが、弘法にも資産運用の誤りとは呆然とする他ない。
空海(弘法大師)が開創した宗教法人高野山真言宗が資産運用に失敗して六億八千万円の損失を出した。

〇二年から資産運用をしていたと記事にあった。
また曹洞宗の駒澤大学は〇七年と〇八年に、米ドル、豪ドルを対象にした「通貨スワップ」というデリバティブ投資契約を結んだ。
為替が円安になれば利益が狙えるが当時円高が進み、ついに最終的な損失は解約金を含めて百五十四億円に達した。今頃円安になってと悔やんでも時すでに遅しだ。
しかも解約清算金だけで七十六億六千五百万円の支払いを強いられたと記事は書く。

オイ、オイ、一体全体宗教法人はどうなってんのかといいたい。
人々の願いを込めた浄財やお布施を何だと思っているのだといいたい。
 
全国には真っ当に宗教活動しているお寺さんが多いのはわかっているがよりによって高野山が一杯も二杯も三倍も損失を“空海”じゃない“食うかい”と言葉を失ってしまう他ない。きっと地獄に堕ちるだろう。


記事が出た数日後私の長い友人、片桐靖忠さんという密教曼荼羅に命をかける男と会った。もう一人やはり長い付き合いの電通という広告代理店に勤める友人と三人で50m×70mという途方も無い曼荼羅について三時間余語り合った。
何しろサッカー場と同じ位ある巨大曼荼羅はなんと99=81に分割したパートパートを日本をはじめ世界12カ国の10,000人以上の女性ボランティアがパッチワークで縫込み、それを一つにしたものだ。

お釈迦様もびっくりして横になっていたのが立ち上がったとか?ダライ・ラマさんもタイの国王もモンゴルの首相もアンビリーバブル!信じられない状態になって片桐さんは大変な扱いを受けている。

片桐さんは巨大曼荼羅をひっさげて(といっても数十キロあるので自分では持ち運びはできない)アジア諸国を回っている。一針一針に民族の願いが込められているのだ。
私と広告代理店の友人で日本国にもっともっと広げようという事になった。
何しろ大きいのだ。一度野球場に広げた時の映像を観て感動した。
私は無宗教だが片桐靖忠という男の執念にひれ伏した。
密教を日本に持ち帰った“空海”も宇宙の何処かで感動している事だろう。
“スゴイ、スゴスギルヨ、カタギリサーン”と。


男には夢とロマン、スリルとサスペンスがよく似合う。
ただ資金運用などでスリルを味わってはいけない。
特に宗教という人々の心を授かっているお方は。
坊主になって反省しなさいといってもすでに坊主であるから、さてどうしたものだろう。ちなみにヤクザ者が初めて赤落ち(刑務所に入る事、刑務所の服の色の事)する時に、反省坊主といってよく頭を丸める。宗教とはなんの関係もない。気合入れみたいなものらしい。

2013年3月13日水曜日

「オジサンの夜」





♪〜およばぬことと、あきらめました。だけど恋しい、あのひとよ、ままになるなら、今一度ひと目だけでも会いたいのぉー。
知っていますか、遠い昔大ヒットした井上ひろしの“雨に咲く花”という歌です。

オジサンは昼はエステ、夜はバイトでスナックBARに勤めている女性の肩に手を置きながらマイクを持って手の小指を立てて、それはそれはこの時を待っていたぞよという満足感に満ち溢れた顔で歌うのです。

聞けばオジサンはその女性にゾッコンだとか。
私は友人と二人でその姿を見ていたのです。
スナックBARは基本的に女性はカウンターの中にいてお客さんの横には座らない。
その夜はガランガランだったのでマスターが気を利かせ横につけてあげたのだ。

オジサンは結構いい仕立てのツイードの上下の服を着ていた。
上着を脱ぐと毛糸のセーターの中に白いワイシャツとネクタイであった。
一曲、二曲と歌うとカラオケの画面に8.7キロカロリーとか9.2キロカロリーとかの数字が出る、私はカラオケはあまりというか兄弟分と飲んだ時位しか歌わない。

最近のカラオケは唄った歌へのエネルギーに対して消費カロリーが表示される。
9キロカロリーの歌を10曲歌えば90キロカロリーだからビールコップ二杯分のカロリーの消費効果がある。2025分ウォーキングしたと同じくらいだ。

オジサンはその風貌と出で立ちからして、経理士とか会計士とか司法書士と見て読んだ。年収は一千万以上二千万以下、妻子有り、歳は六十歳から六十五歳位だと思う。
肩に置いた手は一曲ごとに下に移動する、五曲目位では腰に回していた。
両手の小指が立っている。顔はとろけるチーズみたいにフニャけている。
明らかに自分の唄に酔いしれているのだ。

円安、株高なんていったってこの時間にガランガランじゃなーと連れと語る。
あのオッサンに対抗してなんか一曲聞かせろよと連れにいうと、よし、といって“松島アキラ”の名曲“湖愁”をチョイスして唄い出した。

♪〜悲しい恋の抜け殻はわぁ〜そっと流されそう・・・と唄い次に矢沢永吉と続き連れは得意のノドを次々に鳴らす。オジサンを見るとおもちゃを取られた子供の様につまんない顔をしてウラメシク私たちを見ている。

東海林さだおのマンガ“ショージ君”に出てくる課長か次長によく似ていた。
マンガだとグヤジーとなる。バーコードヘアの頭の部分が赤くなっていた。
“井上ひろし”は生きているのだろうか。

2013年3月12日火曜日

「三月十一日に想う」




 
一輪の花、一曲の歌、一冊の詩集、一杯の酒。
一日の終わりにケジメをつける友達だ。

このひと時、何より大切なのはお気に入りのバカラのグラスだ。
指でパチンと弾けば硬質な独特の音が響く。
先の尖った大きめの氷を入れ、とっておきのシングルモルトやジンを注ぐ。
そのたびにこのグラスをプレゼントしてくれた若き才能の花を思い出す。
きっと世界を相手に名を成せと想う。一流でなく超一流になれと想う。
権威に屈すな、権力に媚を売るな、亜流を嫌悪せよ、妥協をするな、徹底的に自分を研磨せよ、そして恋せよ自分にと想う。

この頃、心底若者たちが羨ましいと思う。
「キラキラするよりギラギラせよ、野心を持て欲望を満たせ」私が若者だった時、尊敬する人から言われた。
また創作者たる者は、「詩」を読めといわれた。
すべてのクリエイティブの源泉は「詩」の中にあるのだと。

その人の名はパルコを創った故増田通二会長だ。
私はランボーや、バイロン、ハイネの詩集を読んだが言葉の持つ魔性や狂気や熱情が読解不能であった。時が経ち今はグラスの中に人生の言の葉がゆらゆらと浮かんで見えてくる。
グラスの中は果てなき心の置き所だ。

「我思う故に我有り」三月十一日深夜、グラスを片手に東日本大震災の被害に遭った一人の若者の詩を読んだ。
果実作りに生涯をかけた父と母を津波で失った。
若者はきっと果実の花を今一度咲かせると詩に托している。

新聞もテレビもエセヒューマニズムに満ちた論説記事や、金満ニュースキャスター、局の使い走りレポーターたちの一時的箱詰めだ。どこにも誰からも心を打つ言葉がない。

宮澤賢治ならどんな詩を書いただろうか。
石川啄木なら、五・七・五・七・七の三十一文字でどう表しただろうか。

三月十一日を決して風化してはならない。
なんとしても「祈」の塔を形に残したい。後一歩なんだが。

2013年3月11日月曜日

「ル・アーヴル」




愛を語るにはどの国の言葉が一番かといえばやはりフランス語です。
フランスには何が似合うかといえばフランスパンと赤ワイン、それとチーズ。

花の都パリよりも下町がいい。
港町、小さなスタンドバー、アコーディオンからシャンソン。
人生の何かをたっぷり身に染み込ませたマダム、中年を過ぎた労働者たち。
煙草の煙、今にも落ちそうなくわえ煙草の灰、ガラスの灰皿。
洋服ダンスにはスーツが一着、ワンピースが三着、狭いキッチン、一メートル四方くらいのテーブル、二つだけの木の椅子、セミダブルのベッド。

主人公はかつてパリで雑文を書いていたという年老いた靴磨き。
密入国して来た黒人の少年、賢い犬、ツケを取り立てずに食品を売る人情ある夫婦、密入国者を追う警視。

主人公の名はマルセル、彼が愛する妻は末期がんを宣告されてベッドの上。
夫には内緒にしていてと言って痩せていく妻。
夫に悟られない様にほっぺに赤いチーク、一輪挿しの花瓶にはバラの花。
赤色、黄色。完治を願うマルセル。

妻は医師に聞く「治らないの」医師は応える「奇跡が起これば」妻はいう「私のご近所では奇跡は起きてないわ」と。妻を見舞うご近所の友人女性、フランツ・カフカの短編を読んであげる。

一杯だけ飲むお金を妻からもらって飲みに行くマルセル、一杯おごってあげるわと言うマダム。不景気だから嬉しいというマルセル。
とまあ書いているだけで心が豊かになる映画であった。

見逃していた映画のDVDが出たので早速観たのであった。
妻の名はぜひ観て下さい。
ラストに近いシーンは声が出ないと言って歌をあきらめていた銀髪の老ロックシンガーのコンサート、彼の名は通称リトルボブ、これが最高にいい。
目頭が久々に熱くなった。 

カンヌ国際映画祭国際批評家協会賞受賞2時間を超える映画が多いでこの映画は93分、フランス文学の真髄がある。
妻に奇跡は起きたか否か。300円出せば分かる。
(今TSUTAYAで旧作、新作五本借りると1000円※地域によって異なります)
映画の題名は「ル・アヴールの靴みがき」監督は名匠アキ・カウリスマキなのだ。
文学を失った日本映画よ目覚めよ。

2013年3月8日金曜日

「心の握手を」




親しき仲にも礼儀あり。という事が全くわからなく酷く悲しい人間がいる。

例えば何年間か務めた会社を辞める時、仲間が幹事となって一生懸命会場を探し、会場と打ち合わせをし、プレゼント等を考えそして購入し、少しでもいい会にしようと努力する。長い間いた人程幹事は盛り上げようと苦心を重ねる。
 
で、その会の主人公つまり退社した人間が、「その節は大変お世話になりました、上司や社長や会長はつくづく嫌いでしたが、幹事さんには心より御礼申し上げます」こんな葉書一枚が書けないのは社会人失格です。決して幸福になれないでしょう。

私の知り合いの会社の殆どが“みんな疲れて忙しい中幹事たちが心を込めて会を催したのにアイツ葉書一枚幹事に寄越さねえ〜まったく”といいます。
私もそんな人間を何人か送りだしました。
経営者は嫌われてなんぼの存在で仕方ありませんが、たった一枚の礼状が書けない人間が多い社会を私は心から情けなく感じます。

このごろやたらくしゃみが多いのは花粉のせいばかりでは無い様です。
アチコチできっと“アノアホバカオヤジサイテー”と噂話をされているのでしょう。
最も私のモットーは、嫌いでケッコー、コケコッコー、好かれちゃ困るでやって来ました。

NHKのプロフェッショナルという番組で、幻冬舎の石原正康さんという敏腕編集者が、作家さんたちと朝まで話し合い、飲み合い、潰れ合っても、次の日キチンキチンと一人ひとりに“昨日はどうも・・・”と手書きの葉書を書き自分でポストに入れるのを常としていました。石原正康さんは葉書は“心の握手”ですといっておりました。

一度村上龍さんとお仕事をさせていただいた時、石原正康さんとお会いしました。
さすがにプロの殺気が凄かったです。
ヒット作やベストセラーを連発するその裏にきっと一枚の葉書が作家たちに“ヨシアナタ”のためならという気にさせたのでしょう。

私は人間を見る時は、まず目が泳いでないか、挨拶がちゃんと出来るか、何度かお茶や食事をした時、ウソでも今日は私が払いますというか、礼状の一枚も書けるか、それが目安です。

私の特技はどんなに苦手な人間であっても何年でも付き合える事です。
何故なら自分自身が欠点満点なので相手がきっと大嫌いな私でも付き合ってくれているのがわかるからです、“それ故、来る人拒まず、去る人を追わず”を貫いています。

歓送迎会の多い人事の季節です、幹事さんがとても疲れる季節です。
みなさんどうか“心の握手”ができますように。
またいちばん親しき仲は親兄弟、春近し季節の便りでも是非書いてみて下さい。

2013年3月7日木曜日

「バカヤローたち」






目が泳ぎまくる総理大臣やマンガのギャングの様な財務大臣がズラッと勢揃いして、経団連や日商や日経連のトップたちに「オイ、オメエタチシコタマ内部留保してん“タロー”」と麻生太郎言わないか定かではないが、給料上げろやと内政干渉をした。

過去に例のない政治的圧力である。
何がなんでもアメリカの命令に従うためにはたとえ偽りでも景気回復をさせねばならない。円安ドル高はアメリカの輸出に貢献する。
更にTPPに参加させれば俄然アメリカ有利となる


で、ローソンの新浪剛史社長はウチはボーナスをアップさせるもんねと先手を打った。
この社長はセブンイレブンやイトーヨーカドーを牛耳る鈴木敏文社長(今や老害で打つ手が後手後手)に比べ発想が新しく動きが早い。
仕方なく鈴木敏文社長はボーナスでなく、オレはベースアップするもんネエ〜と動いた。

 こうなるともう組合活動は無力化したのに等しい。
何故なら経済団体は組合要求に対してはゼロ回答をしていたのだから。
こうなると資金力のある企業でないと昇給も賞与の追加アップもできない中小、零細企業はいよいよ経営は困難を極め、また人材確保が難しい。

かつて青山のユアーズや紀伊国屋、成城石井やピーコックで買い物をするのが下々の人間の夢だった。ファッションの発信源であったパルコはすぐにJフロントの傘下へ。
このまま行くと日本中がスーパー屋さんコンビニ屋さんに買収されてしまう。
地方の有力スーパーでも余程頑張らないと次々に淘汰されてしまう。

最も連合や同盟などの有力組合のボスたちはすっかり組合貴族となってしまっている。
かつてデパートの人間はスーパーマーケットとかコンビニなんて人種差別の如く下に見ていた。その高慢ちきな経営が今の逆転現象となった。

ついこの前までコンビニは安い処だとばかり思っていたら息子から、コンビニは高いのだと教えられた。
私の愛用の使い捨てカメラはコンビニだと980円位、カメラのキタムラだと480円位であった。なんでも24時間やっているから高いんだと言われた。
誰も頼んじゃいない。
日本中24時間コンビニが営業して電気の付けっ放しの無駄使い、それでもって史上最高益とか。

メガネのJINSなんていう企業も給料アップとか。
続々と企業イメージを高めるためにアップしはじめるだろう。
ベースアップはいわばパブリシティ効果をあげる企業広告費、販売促進費と同じなのだ。

結局政府や財務省、日銀の新総裁になる黒田東彦やエール大学の教授という時代遅れの経済学者(本当はもう終わった人)浜田宏一なんていうアメリカの手先、スポンサー丸抱えの学者たちによる経済学の実験台とされてしまうのだ、この日本国は。
格差は拡大されバブルが再現される。そしてまた地獄へ堕ちる事となる。

オイそこの組合のボスたちよしっかりしろい。
オネエちゃんのオッパイ触ったり、オシリナデナデしている場合じゃないだろうが、オイ分かってんのか。
夜の銀座、赤坂でカモネギ背負って組合のボスたちが美食三昧、美女三昧をしているのだ美女たちとの揉め事をしっかり始末してくれるのは当然裏社会のボスたちだ。


お金が少し貯まった人は一度銀座、赤坂に行ってごらん。
とてもスケベなオッサンたちが本当にイケマセン姿で美女たちとアフターかなんかで“銀座の恋の物語”なんかデュエットしているから。バカヤローたちにつける薬はない。私は全然貯まってないから行けません。

2013年3月6日水曜日

「スミマセン」




ある年まで私は領収書をもらうという習慣がなかった。
今から思えば実に放漫な事であった。
飲み屋さんとか食事をする処は決まった処にしか行かないので殆どツケであった。
またツケが効かない地方などではカードを使っていた。

男子たる者が領収書を下さいというのがどうしてもいえなかったし、全く経験がなかった。こんな事が許される程世の中は甘くない。
「なんで領収書がないんですか」
「男がいちいち領収書をもらえるか」
「そんなのは通らないんですよ」
「だったらどうだっていうんだよ」
「全て使途不明金として課税対象にします」
「何が使途不明だよ、ちゃんといってるだろう」

その年初めて税務調査というのを受けました。
正直マムシみたいな嫌な男でした。ネチネチ私は攻められイライラは頂点に達してました。

「お前男のくせしてこんな仕事して楽しいか」ときけば「楽しいですよ自分で選んだ仕事ですから」「お前嫌な奴だなマッタク」そういいました。

相手は京橋税務署の調査官という職業の男です。
年齢は4050位でした。典型的小役人という感じでした。
その頃は未だ会社の経理体制もしっかりしておらず、空き缶みたいな四角い箱にお金を入れておいてそれぞれ必要なら持っていけみたいだったのです。

民商という共産党の経理事務所に全てお任せでした。
ところがこの事務所のスタッフが私よりズボラで大放漫でした。
10円でも会社の経費は領収書がないと駄目なんです」とキッチリ叱られました。
「お前トコトン嫌な仕事しているな」と憎まれ口を叩いて席をたちました。

で、当たり前の様に法のケジメをつけられました。
全然儲かっていないのにシッカリ税金を取られました。
それでも領収書をもらう習慣はつかず今でも苦手中の苦手です。

亡き親友が一緒にタクシーにのって降りる時に私が領収書いりますかと聞かれた時、いるよといったら、イケマセンアナタハ領収書なんかくれというコトバを出してはイケマセンと言われました。ダヨナァ〜、ダヨネェ〜となったのですが、今はそんな訳にはいきません。

早く領収書を必要としない身になろうと切に希望しているのです。
夢の実現まで慣れないコトバを積み重ねるのです。
男としてはもう終わっているのです。

「おい領収証出せや」
「俺の辞書に領収証はネエんだヨオ」なんてタクシーにの運転手をからかってしまったら本気で怒られました。交番行くぞだってさ。
スミマセンでした。領収証いただけますか。