遂にその日は来た、といっても大した事ではない。
だが私にとって結婚して四十四年初めての珍事であった。
ご近所に住む友人の陶芸家ご夫婦は家庭菜園を丹念に耕している。
そこで掘り出した立派なジャガイモを数十個届けてくれた。
黒茶色の泥がたっぷりついていた。手触り感が武骨であった。
その日、体のメンテナンスに来てくれていた鍼灸マッサージの先生や近所に住む息子にお裾分けをした。十三個が残っていた。その夜午前一時からサッカーの試合を見る事にしていた。三時四十五分までスペインVSイタリア戦だ。
結果がわかっていたのだが、試合の中身を見たかった。
やはり勝敗が分かっているので気が散ってしまう。見ながら新聞読んだりをしていた。
私は複数の事を一緒にする習性がある。その時突然思い出した。
今年の春通販で買ったスピードスライサーの事を。手動式野菜皮むき器の事を。
ゴソゴソ箱を取り出し開けずの箱を開けた。
T字型の髭剃りの二枚刃みたいに太い刃とそこにミスタージャガイモをゴロンゴロンと出す。右手に持った二枚刃を左手に持ったジャガイモに当て、上から下へすーっと下ろすと、サァーと皮が剥けるではないか。
アレ、オレにも出来る事あるじゃないのと、上から下への作業を繰り返す、楽しいじゃないか。主婦は毎日こんな楽しい事やってんのかなんて思ったもんだ。
一個、二個、三個、泥んこのジャガイモは、次々と薄い肌色を恥ずかしそうに出して来る。お前はもしかしてミスジャガイモかなんて思ってしまう。
表はゴッツイ男だがそれは仮の姿。一皮剥けばグラマラスな女なのだ。
夢中になり辺りは泥と皮だらけとなった。
久しぶりに充実した気分となったのは午前二時半頃であった。
これをどうするかが分からなかった。
冷やすべきか、水につけとくべきか、思案した結果やっぱり茹でるべきだろうと思い、鍋を出しその中に水を入れそこにゴロゴロゴロンと素肌美人のジャガイモを投入し火を点けた。グラグラと三十分近く茹でた。箸を刺すとブスーと一気に刺さるまで。
外は明るくなり朝刊を入れる音がしていた。
愚妻が六時半頃起きて来て見事に茹で上がったジャガイモを見てもひと言もない。
男は台所に入らないでが口癖なので、何で余計な事をしたの、泥だらけじゃない。
そんな顔をしながら後始末をしていた。
昼過ぎ床屋さんから帰って来ると十三個のジャガイモは二つ、三つ、四つに切られ、熱油に投入されフライドポテト(孫が大好き)に姿を変えていた。
可哀想にというと、えっなんでみたいな顔をしていた。
(デリカシーはゼロだから)愚妻はそれに塩をかけ黙々と食べた。
輪切り、千切り、短冊切り。一台で五十二通りのスライス!と箱に大きく書いてあった。人参やキュウリや大根もやってみっかと思ったが、せっかくの主婦の楽しみ(?)を取ってしまったら悪いかもなと思い次は無いと決めた。
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