一九七〇年以降日本のミュージックシーンその全てに影響を与えていた大天才は「大瀧詠一」しかいない。
伝説のグループ「はっぴいえんど」でデビュー、松本隆、細野晴臣、鈴木茂と共に。
アメリカンロックを独自に解釈し編集されたサウンドはその後日本のミュージックに大影響を与えた。
一度聴いた曲は決して忘れないと言われる程の大記憶力の持ち主であったという。
’72ソロデビュー以降「ナイアガラ」レーベルを立ち上げ、アルバム「A LONG
VACATION」「BACH TIME」を大ヒットさせた。
ジャズやロックンロール、ドゥーワップ、アメリカンポップス、ビートルズに代表されるリバプールサウンドやクレイジーキャッツや音頭に民謡、何かしら音楽の箱をつつけば大瀧詠一の名に行き当たった。
音楽への卓越した知識とそれを使いこなす知恵とウィットの織りなす知性の魔法は、純粋で胸躍る新鮮さと普遍的な魅力を持った楽曲を生み出したと、あらゆる音楽関係者はその名に最大限のリスペクトの言葉で表す。
その大天才は去年の大晦日の前日に突然死んでしまった。
解離性動脈瘤、家族の前でリンゴを齧った後に。
「はっぴいえんど」はハッピーエンドではなかった。
65歳であった。大天才は常に職人であろうとする姿勢を貫きラジオ以外のメディアに殆ど出なかった。
それが東北人の美学だったのだろう。
オレが、オレがの世界で稀有な格好良い男であった。
小泉今日子(怪盗ルビィ)、薬師丸ひろ子(探偵物語)、松田聖子(風立ちぬ)、太田裕美(さらばシベリア鉄道)、森進一(冬のリヴィエラ)、小林旭(熱き心に)、ラッツ&スター(夢で逢えたら)、山下達郎などなどに溢れる才能を提供した。
空前絶後の存在であった。
ラジオから、テレビから、CDからいい曲だなと思ったらきっと岩手県出身の大天才大瀧詠一が何かしら影響を与えているだろう(サンデー毎日1/26号『恋する音楽』内田正樹氏より参照)。
ステキな楽曲「君は天然色」そして「幸せな結末」だが皮肉にも不幸せな結末となってしまった。今夜はバカラグラスにバカルディラムを入れて大天才をじっくりと悼む。
山下達郎とラッツ&スターを聴く事とする。
一月十四日(火)テレビのニュースにはオレが、オレがの人間がうんざりするほど出ていた。で、十二時三十七分四十一秒音楽スタート。大瀧詠一に合掌する。
リンゴはやはり禁断の実なのだろうか。
ラッツ&スターの♪夢で逢えたらが染みこんで来た。
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