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2011年11月9日水曜日

「文学少女を偲ぶ会」



虎魚(おこぜ)、自分の住まいがある処の名を頭に付けて“鉢山亭虎魚”と名乗る。
真冬でも雪駄履き、着流しに信玄袋でニタッと現れる(絶対に遅刻は許されない)。

希代の名文家、希代の美食家、この人がここは美味いといえば一級、あの取り寄せは美味いといえば一級、なかなか誉めない。私の先生の師匠である。


先生と師匠と私の3人で「忘憂会」を時々する。
「忘憂」とは中国では「酒」の事だ。先生から紹介された時、さすがの私も大緊張した。

東大を出てあの池波正太郎の内弟子となる、ウルトラワガママな池波正太郎と長きに渡って師弟関係であった。雑誌広告の見開きに書かれた文章は教科書であった。
歴史に残るサントリーオールドの「懐石サントリーシリーズ」、長いシリーズ広告だった。

 1022日土曜日、その大師匠の奥様を偲ぶ会が神田駿河台、山の上ホテル(文士のホテルという)で行われた。

自宅で静養中であったが何がなんでも行かねばならない。
知り合いの人に車を運転してもらい、挨拶をし帰って来た。
勿論大磯の先生と一緒であった。
亡くなった愛妻のお気に入りの写真の前でパチリと写真を撮ってもらった。
凄い人達が続々と来はじめた。

2011年11月8日火曜日

「ジャブとジョブ」

 
ボクシングの基本はジャブ、生きて行く上で大切なのはジョブ=仕事だ。

左は世界を制するという。左のジャブ、ジャブ、ジャブが打てないボクサーは絶対強くならない(右利きの場合)。
アップル社を時価総額(36兆円位)世界一にしたスティーブ・ジョブズ氏、手は芸術的であり言葉は機関銃の様にダダダダダーンと飛び出したらしい。

ジョブ、ジョブ、ジョブ、さあ仕事だ、仕事だ仕事だぁーと言い続けたのだろう。
今、世界中でジョブ、ジョブ、ジョブ、仕事を寄越せ、寄越せ、寄越せってんだよぉー、お前ら1%の金持ちが99%を支配してんだ、バァロー、バァロー、と世界はジョブの洪水だ。

皮肉にもスティーブ・ジョブズ氏の名前はジョブ(Jobs)=沢山な仕事であった。
膵臓癌と肝臓移植でも命はお金で買えなかったのだよ。
世のお金持ち達、お金は貧しい人へ分配しないといけないのだよ。映画に出資しないといけないんだよ。

スティーブ・ジョブズ氏は若者達にこう言った。「ハングリーであれ、愚か者であれ。」
明日のジョーが丹下段平に最初に教えて貰った言葉はジョー、ジャブだ。
真っ白い灰になるまで戦うのだ。ジョブズ氏は56歳で白い灰となった。


2011年11月7日月曜日

「そうせい公」

私の一番大好きな人、高杉晋作
飲み込む相手。

こういう人は手強い人だから気をつけよう。
私のように直ぐ反応する男はスヤイ男(安い男)。

幕末維新の頃、長州の毛利公は「そうせい公」といわれた。
家老でも、その下の者でも、その下の下の者でも意見具申をすると「そうせい」と応える。
本当にいいのといえば「そうせい」、知らないよどえらい事になってもと言っても「そうせい」と応えたのだろう。

そんな中から吉田松陰や桂小五郎(後の木戸孝充)や高杉晋作や久坂玄瑞、村田蔵六(後の大村益次郎、日本陸軍生みの親)や山縣狂介(後の日本陸軍の大ボス山縣有朋)、伊藤俊輔(後の初代総理大臣伊藤博文)たちが続々と生まれた。
現在の日本を支配している官僚システムの源流だ。

野田佳彦を甘く見るとそれは甘い。私なら手強い相手と見る。
ヤクザ者の世界でアイツは砂を食って来た男だ、といえば辛い思いをして来た男だから気をつけろという事。
どじょうは泥を食い飲み込んで生きて行く。だからヌルヌルと掴みにくい。ドジョウのぬめりを取り料理を早くするには酒樽の中に酒を入れ、その中にいれるらしい。

攻めるヒントはここにある。
野田佳彦は大の酒好きらしい、うなぎや穴子より手強い。

2011年11月4日金曜日

「名刺は恐いよ」

名刺という文字を見ていると段々と恐くなる。

名前で刺すとも見えてくる。
日本で最初に名刺を出したのは、坂本龍馬を暗殺に来た男が龍馬が留守であったので小さな紙に名を書いて置いていったという説がある。となると暗殺者は本当は堂々と名を名乗り龍馬と勝負する気であったという事になる。

が、しかし龍馬は暗殺された。
と、いう事は紙に名を書いて堂々とした男と、いきなり刀を振り下ろした名を名乗らない男と別人という事になる。

名は体を現すともいうから名刺を作る時はよくよく気を配った方が良いと思う。
一枚の名刺は強力な武器である。一度見たら忘れられない一枚を必死に作ったが勝ちに繋がる。

一枚の名刺で人を殺す事ができる。
親指と人差し指で名刺を横にし、相手の喉笛に当て思い切り横にする。
これで相手はオロク(死ぬの意)となる。最もこの場合は名刺ではなく名死という不気味な文字になる。
久々に名刺の整理をしていたら恐くなってきたのです。

悪い癖で直ぐ名刺で人を殺す映画なんか作りたくなるのです。そんな自分が恐いのです。

2011年11月2日水曜日

「アリスが魅せられたスポーツ」



最も神聖なるスポーツ、それはボクシングといわれた。

同じ体重リミットの中で戦い例え死んでも殺しても罪にならない合法的なのである。
アゴの先をチン、耳に近いアゴをジョー、こめかみの部分をテンプルという、この3カ所が急所だ。

腹の部分をボディ、肝臓をリバー(レバーとも)、横腹の部分をキドニーという急所だ。
そこ意外は反則となる。ヘディング(頭突き)、サミング(グローブの親指で目を突く)、ベルトの下を打つローブローが主な反則だ。

顔面のパンチで横や後に倒れたケースはほぼ立ち上がるがボディブローで前に倒れるとほぼ立ち上がらない。


死ぬケースはボディブローを打たれ続け、顔面にパンチを受け、後に倒れ後頭部を打つケースが多い。計量に失敗するとグローブを大きくされタイトル戦ならノンタイトルとなる。

絞りに絞った体、1ミリグラムを減量するのに苦労する。
頭を刈り、パンツも脱ぎ、体毛も剃るそして計量計に挑む。
計量はいまでも分銅式、是が一番正確だといわれる。

この頃心身共に贅肉が付きすぎてしまった。

アリスが歌った「チャンピオン」を思い出す。
立ち上がるな、もうこれでいいんだと。いや老いても最後のリングに上がるんだ。
最終回のゴングまであと1ラウンドある。

2011年11月1日火曜日

「新聞広告の日の先の新聞広告」

朝日新聞より

坂田栄一郎氏 朝日新聞より
1020日は新聞広告の日だった。
しかしこれといった新聞広告は影も形もない。どうしたんだといいたい。

かつて新聞広告は歌舞伎座座であり、帝国劇場であり、京都南座であり、鈴本であり、末広亭で有り続けた。檜舞台だったのだ。


広告の作り手をカタカナでいうとクリエイター。
長崎円山、京都祇園、東京赤坂、柳橋でいえば花形芸者、職業的にいえば職人、農業的にいえば小作人、工業的にいえばシステムエンジニア。


自分の持っているあらゆる感性や習性や野性や理性や本気や冗談を総動員して新聞広告の舞台に載るのだった。拍手もあれば帰れ、下がれコールもあったり、座布団一枚いや二枚をもらったりする。

私の大尊敬する写真家の坂田栄一郎さんが今は朝起きて新聞広告を見る楽しみがなくなったとインタビューに応えていた。
私の尊愛する仲畑貴志氏と井上嗣也氏との作品が載っていたいい新聞広告だ。

広告界を代表してきた秋山晶氏とJR東日本の「その先の日本へ」を作った。
山形新幹線デビューの広告だった。その新幹線は今、被災地を走っている。

何か暗示的ではないか。その先の日本へ、その先の新聞広告。


2011年10月31日月曜日

「バカをバカというバカ」


野球バカだったあいつ。
サッカーバカだったあいつ。
釣りバカだったあいつ。
ロックンロールバカだったあいつ。

仏前で死んだ親友の遺影に向かってバカヤロー何で死んでしまったんだ、何で逃げなかったんだと泣き叫ぶ親友。バカは最高の友情の証し。認め合う言葉でもあるのです。

民主党の平野復興相がバカという言葉をいったのを揚げ足をとって、それ国会追及だ、任命責任だと大騒ぎ。

かつて吉田茂が国会で諮問者に向かってバカヤローといって解散したケースもある。

言葉は生き物でもあるのです。
 1020日の朝日の天声人語や読売の編集手帳もこりゃ言葉の危機とかんじたのかこの頃言葉が息苦しいと書いていた。

言葉の揚げ足をとるのはガキのやる事、
「聞いちゃった、聞いちゃった、先生に言ってやろう」と小学生の頃すぐ告げ口をする奴がいた。

亡き向田邦子さんがもし「バカ」が差別用語になったら放送作家を辞めるわと、ある対談で言っていたとか。

向田邦子さん

バカと言われる様になれば一人前なのだ。
出て来い、バカ、バカ、バカ、私はバカが大好きなのです。

2011年10月28日金曜日

「朝と夜の間」



地球の上に朝が来た、その裏側は夜だろうと歌ったのは当時のスーパースター川田晴久です。野球帽がトレードマークでした。美空ひばりさんがまだ小さな頃です。

ひばりさんはとても可愛がられその後の歌に大きな影響を受けたと何かの本でいっていました。


そうです世の中には朝と夜、表と裏、正と悪、男と女。
コインの裏表の様な決まりがあります。
昨今はその決まりの中にニューハーフという男・女みたいな人が出て来ました。
朝と夜の間の昼みたいな存在でしょうか。

ところがこの昼の様な存在は社会的には昼の太陽の下を大手を振って歩けなかったのです。

マツコデラックスとかラブチューニューとかミッツマングローブとか今や昼がモテモテのテレビです。どうした男、どうした女、しっかりしろといいたい。
負けてんじゃないわよです。

人魚のタトゥーを入れた沖縄出身の男・女の人が林の中に捨てられていた。
足が凄く速くアダ名はカールルイスだったとか。
沖縄では男、東京の夜の中では女性の様になっていた。

なんだか悲しく切なくなって来たのです。人には見えない表と裏、ピーターが歌った「夜と朝」の間の出来事がゴマンとあるのです。弁護士、医師、教授がニューハーフの三大お客さんらしいです。


2011年10月27日木曜日

「犯人は誰だ」

犯人は・・・お前か!


小さな我が家に小さな池、そこに小さな瓢箪池がある。
その中に一匹の白と黒の鯉(30センチ位)と去年の平塚の七夕祭りで孫が金魚すくいでとって来て大きくなった赤い金魚2匹と今年の七夕祭りでとって来た金魚3匹が泳いでいた。

過去形である。何故、Why?

ある朝起きて見るとウワァ、オヤッ、エーと大声を上げた。
な、な、なんと鯉がいない。
池の縁に大きくなった金魚ちゃんの亡骸、池の周りに白い鯉のウロコが一杯だ。

前にも赤と白の鯉が同様に消え、その前は一夜にして十二匹の金魚が全て消え、誰もいなくなった。
そして今犯人は、お隣の奥さんはハクビシン説、鯉マニアの藤沢の鰻屋「うな平」の親父は白鷺説、息子は野良猫説、鎌倉の亡き義兄は絶対狸説。そこに持ち上がったのがアライグマ説。


私の体をケアしてくれる佐賀のハナワ君こと内藤君が目の前にアイポッドだかアイフォンだかでその姿、その習性を見せてくれる。
よーし、今度釣り竿に500ポンドでもOKのリールを付け、でっかいハリに生き餌をつけアライグマを釣ってやる。
会社に居る釣り名人の鈴木社長と相談するのだ。

「イビキはジャズ」

グァ、グァ、グァー、ガァガァガァガァガー、アッアー、アー、ウァー、ウォー。
ウウウウウッウァー、ゴオゴオゴ、グググップハァー、グググブハァー、ウッグガッ、ウッガァガァガァーアー、オー、オウオー、ウップハァウッウッブハハッハッウォー、プハァーアアアーズズズズウォープハァーウッウップハァー。

ある夜どうやら無呼吸症候群&慢性鼻づまり&習慣深酒症と見られる人と諸々の事情の中で二夜を共にした。
他にも一人の男がいたがこちらは完全黙秘的生死不明的静けさ。

イビキをジッと聞いていると実にジャズのハミングの様にも聞こえて来るではないか。
セントルイスカージナルスが5年ぶりに優勝した大リーグの名門チームだ。

私の大好きなセントルイスブルースの町を思い出した。
私の先生の様な友人との旅は最高だった。ジャズのハシゴをした。
目の前のおじさんを眠っているままジャズの街に運ぶか。

イビキはモダンジャズではないかい。


2011年10月25日火曜日

「裏世界用語」

ヤスキー(気安い)、シカト(しらばっくれる)、ヤッパ(短刀)、バシタ(女房)、ハネテル(景気がいい)、クスブッテル(不景気)、踊ってやる(勝負する)、サラウ(連れてくる)、シーマ(回す)、レオクリビ(俺ビックリ)、シメル(ヤキを入れる)、ジンボー(用心棒)、電気代(ショバ代)、マブイ(最高)、アッタカイモノ(注射)、マッポ(警官)、ダイキョウ(兄弟分)、ズキ()、マルタをしょわす(木刀で打つ)、チンコロ(密告)、ウタウ(捕まって喋ってしまう)、ゴイする(帰る)、ポントウ(日本刀)、鉄(短銃)、オートン()、タンベ(煙草)、シキテン(見張り)、パチクリ(頭突き)、アンネエ(姐さん)、ショナイ(内緒)、ダンベエ(金づる)、レコ()、ズイコマ(随分困った)、ブショウ(勝負)、バッタ、スイチ、ポンビキ、チンチロリン、イタズラ(博打類)、フケル(逃げる)


隠語のほんの一部を紹介。
暴対法で世の中に恐い人がどっと出て来ます。もしもの場合会話が分かる手助けです。
彼等にとってヤクザな世界は神聖なリングに男にかけて勝負に出て来るはずです。
ポイントはロープ際です。

2011年10月24日月曜日

「白い数値」

知人の医師の話によると人は白い服を着た人に対し、どこかドキがムネムネ、つまり胸がドキドキするらしい。

特に看護師さんに対してはドキムネが盛んになり全身刺青の親分の血圧数値も20前後上がるらしい。
ハイ、と子供の様に恐い親分。
血圧は高い方ですかぁーと白い服。
ハイ、少し高いんですよと親分。

白い服は由美かおる風。親分水戸黄門シリーズの大ファン、博打より好き。
白い服を見ながら由美かおるのお風呂に入っている定番シーンを思い出す。

ドキがムネムネ血圧はグングン上昇、いつもなら少し高めの16090位が180110位に昇ってしまう。
どっどっどうですかなんて聞くのだ。

えーちょっと高いですね、182113です。
もっもっもう一度おねげえしやすなんて頼む。
二回目も同じ位、やっぱり高いですね気をつけましょうね、塩分は控えめにネッ。
ハイ分かりましたと親分。
黒い服の子分にはオイ、テメエ食卓塩なんて持ってんじゃネェー。
指詰めんぞ、なんてオオ恐いのだ。

2011年10月21日金曜日

「そんなバカラ」

グッグッグラスの底に絵があったっていいじゃないか、と下から上のカメラに向かってギョロッとしたのは私の大尊敬する岡本太郎画伯であった。
どこかのお酒メーカーのプレゼントであった。グラスの底に画伯の絵がレリーフの様にあるのだ。
先日頂きましたバカラのグラス。

グラスといえば何といってもバカラだ。随分とコレクションしてきた。
指でパチンと弾くとキィーンと独特の響きがするから直ぐに分かる。
バカラで飲むジントニックのロックはたまんなく旨い。次にやはりスコッチだ。

バーボンや日本酒や焼酎はバカラに拒否される。
そんなバカなといってもバカラの威厳に駄目を出される。
駄目といえばそんなバカラという男がいた。
大王製紙の会長である。東大法学部を出た男がラスベガスのワナにはまった。
財務省の役人は1億円をザブトンというらしい。ピン札で一億が丁度ザブトン一枚の大きさになるのだと。
100億だとするとザブトン100枚。「笑点」は10枚で万歳だからベガスの連中にとっては「エリエール」万歳だ。


2011年10月20日木曜日

「見えない相手」

この世というリングで今一番強え〜のは、恐え〜相手はインターネット。

噂、ツイッターの「つぶやき」とかいうネットのパンチ。それは原爆や水爆よりも凄いかもしれません。
指一本で国 ひとつがぶっ飛ぶし、一瞬にして世界中が繋がり、ええじゃないか、ええじゃないかと世界同時ネット一揆となる。又、噂ほど恐いものはありません。

風邪は癌 となり、薬はクスリとなり、酒はアル中となり、入院は即死となり、人の不幸は蜜の味とばかり肥大、拡大、強大となり続けます。

目を付けら れたら最後、風邪も引けません。
昔は噂を広げまくるのを廊下トンビといいましたが今から思えば可愛いもんです。
ネットは見えない相手、パンチを入れる事も 出来ないのです。もしかしてあいつ、もしかしてあの人、もしか、もしかとなるのです。最も手強い相手なのです。一国のリーダーは風邪一つ引けません。指一本で鼻血は出るわ、アゴは外れるわでノックアウトなのです。

※写真はイメージです。


ブログを更新します。

「話の鉄板焼き」を二週間ほどお休みしました。

今までは2000字から2500字を使いエッセイ風に書いていました。これから暫くは「400字のリング」とします。


一枚400字の原稿用紙は書き手にとって戦う言葉のリングです。

400字でジャブ、フック、アッパー、ストレートなどのパンチを打ち出します。

ブログを休業していた諸々の事情とは風邪をこじらせたのをいい機会にズル休みの事でした。

寒くなってきました、くれぐれも風邪に要注意を。時にはズル休みも肝腎ですから。


2011年10月18日火曜日

お知らせ

ここ数日諸事情により更新出来ませんでした。すみません。
近日中に再開いたしますのでお楽しみに!

2011年10月5日水曜日

「血と筋」




血筋とは凄いものだと改めて知った。

連休中、溝口健二の映画を五本観た。どれも名作であったが、中でも「残菊物語」は良かった。

1939年の作品であるから終戦の6年前という事になる。日本映画は凄かったのだとつくづく思った。146分の長尺であった。


寺島しのぶさんのお母さんは寺島純子さんである。

なんとなく馴れ馴れしくいっていたがこの寺島家とは歌舞伎の名門尾上菊五郎の血筋である。


物語は菊五郎の子、菊之助がいい芸をしない。これではとても菊五郎を継げない、しかも女中のお徳という女性に惚れ込み名門同士の結婚に応じない。菊之助はお徳と一緒に江戸を離れドサ回りの地方へと出て行く。心からお徳を愛しているのだ。


流れ流れて月日は三年五年と経っていく。

二人は安宿の一銭五厘のむしろの上で生活をしている。

お徳はそんな旅芸人の中で菊之助が磨かれて行っているのをしっかり見抜いていた。

五年目、大阪で江戸での仲間、中村福助と親戚筋である中村芝翫と出会う。すっかり変わり果てた菊之助を見て何とか大阪の舞台に立たせたいと座頭に福助は頼む。悩んだ末、座頭は寺島家の血筋のためと大役をつける。


実はお徳が土下座してきっと立派にやり遂げますと頼んでもいた。そして自分は身を引き菊之助を寺島家にお返ししますと。そうとは知らずお徳のためと菊之助は名演技をする。それからはほろほろと悲愛の村松梢風原作の世界となっていく。


香川照之という東大出の凄い役者がいる。

実はスーパー歌舞伎を生んだ革命児市川猿之助と女優浜木錦子の間に出来た子であるが父と母は離婚、以来45年父子の関係を絶っていた。複雑な愛憎劇の中、父は脳梗塞で倒れ大きな後遺症を抱える身となる。


血は争えない。香川照之は45歳にして歌舞伎に挑戦する事となる。その名は市川中車である。


きっと父を超える革命的な舞台を生み出すであろう事は確かだ。現在の人間国宝、七代目尾上菊五郎も凄い。

娘寺島しのぶはフランス人の大男との結婚を許し、自らも緋牡丹お龍の藤純子と一緒になった。

そして新しい舞台ではなんとレディーガガをイメージしたコスチュームで空中に舞う。

いつまでも同じではいけないんだとインタビューに応えていた。


正に「序・破・急」の心だ。

型から入り破る、そして新しい型を生む。是非観に行く。我々にも血筋がある。名門もあれば無名もある。

どんな血筋も全てオリジナルな血統書付きな事は確かだ。自らの血筋に誇りを持ち日々精進を心掛けねばならない。

2011年10月4日火曜日

「一路君がんばれ」



朝っぱらから草鞋のようなモーニングステーキ、スクランブルエッグ、ベーコン焼、チーズハンバーガー、ホットドック、フライドポテト、ピザ、フライドチキン、アイスクリーム、パフェケーキ、コカコーラ、コカイン、LSD、スピード、アルコール、バイオレンス、フリーセックス。

破滅、壊滅、破綻、そして破産国家へ。


ご飯、味噌汁、海苔、納豆、干物、漬物、生玉子、おひたし、酢の物、ご飯、卵焼き、野菜の煮っころがし。

不安、不満、不信、そして破産国家へ。


前者はアメリカ合衆国。後者は勿論日本国だ。

何故か両国共に侵略戦争、介入戦争、次に開始したのは経済戦争だ。

全ての道はローマに通じるではないが両国共に全ての道は金儲けに通じる道をひたすら走り続けて来た。


その結果アメリカは格下げ、日本は更に更に格下げられてしまった。

思想なき国、哲学なき国、信じるものはただ金という精神不安定国家。



自殺、人殺し、親殺し、子殺し、妻殺し、夫殺し。地震、津波、洪水、山崩れ、放射能。

二十一世紀に疎開などという言葉に出会うとは誰が思っていただろうか。


アメリカ帝国は戦争と享楽と快楽主義の中で無惨な肥満体となり自壊した。

飲み過ぎ食べ過ぎ、夜になると元気を出し全てやりすぎ。

日本国は働いて、働きづくめで肉体を、心身を傷つけ、競争社会の中で自壊したのであった。

「働けど働けど我が暮らし楽にならざりじっと手を見る」啄木。

通勤疲れ、仕事疲れ、リストラ疲れ、就活疲れ、介護疲れ、経営疲れ。もうどうしようもない疲れる話ばかり。


そんな中で私の会社に居た人間から一枚のFAXが入った。

第一子誕生、命名は真実一路から「一路」君としたとか。ただし8ヶ月の早産、体重は1200gであったと、母子共に元気だと。

何かすーっと体中から疲れが抜けた。五十歳になってからの子供だから喜びもひとしおだ。


私の兄も同じ8ヶ月で800gであった。人一倍丈夫に育ったから心配はいらない。

いい名前だ。「おめでとう」のFAXを送った。翌朝家に電話があった。

ありがとうございます、うれしいです。子供と妻の為に頑張りますと。

そうだ命掛けで頑張れ、辛いだ、しんどいだ、疲れたなんていってる場合でないのだ。

わずか1200gの赤ちゃんが一生懸命生きているんだ。



国滅びて山河ありといったが、国滅びても希望の命ありだ。たくましく育て、この国を救ってくれ「一路」君よ。

真実という言葉はもう死語の様な言葉になってしまったのか。

いい言葉を思い出させてくれた。

2011年10月3日月曜日

「運動会と老人ホーム」




十月一日(土)孫の運動会であった。


海辺の小学校であり、最近出来た立派な校舎である。

三日間風邪で夢遊病者の様であったがリレーの選手になったから来てねと言っていた。

愚妻は船橋の方の運動会に行っていた。交代制で観戦である。四日ぶりに外に出ると足許が定かでなかった。


その日、皮肉である人生の交代劇を見た。

初めて行った新校舎は正に海の隣である。そしてその隣が老人ホームである。

お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんと元気な運動着の子供達がお弁当や飲み物、果物、お菓子を両手一杯にバッグや袋に詰めて持って運動場に向かう。元気いっぱいだ。



青空の爽やかな空に万国旗が揺れていた。紅白の旗が何本も揺れていた。

私は八時四十五分頃ふらつく足で校舎の入口に着くと左側に丸い大きなテラスの部屋があり、そこに何人もお年寄りが朝食を終えて日向ぼっこをしていた。皆さんただ口を開けじーっと外を見ている。無表情、無感情である。


目の前を通る元気な子供達との対比がとてもつらいものであった。きっと自分たちも子供の頃、かけっこ、縄引き、玉入れ、ダンス等を楽しみ、紅勝て、白勝てと大声をあげ、昼にはみんなで一緒に美味しいお弁当を食べたであろう。長い人生のゴールに向かってただじーっと時が経つのを待っている。



十月二日(日)朝刊にある老作家の本の広告が載っていた。本の名は「死にたい老人」であった。老作家はもう自分はこれ以上生きていても仕方ないと「断食死」を選んでそれに挑んだ。その結果は・・・・・・・・・。

一日目 いよいよ実行開始。

六日目 空腹に慣れる。

十一日目 生と死の六合目を見た感じがする。

十三日目 テレビでドーナツやパンを見ると辛い。

十四日目 脳の機能が衰えたのか、継続的に読む事ができない。

十七日目 コンビニで誘惑に負けてホットケーキを買ってしまう。

二十日目 午後になりガクンと体力が落ちる。

二十三日目 胃痛に耐えられず掛かり付け医に行く。

二十五日目 東日本大震災発生。

二十九日目 口の中が異常に乾く。

三十日目 原発への興味が抑えられない。

三十二日目 胃の痛みさえなければ、恍惚状態。

三十三日目 尿意があるのに尿が出ない。

三十六日目 起きるのも辛いのに、地震への興味高まる。

三十八日目 一度目の断食挫折。

と続き、終いには強烈な死への恐怖が、そして決死の二度目の断食に挑戦。


その結果は私も買って読んでないので分からない。

この老作家は八十三歳現役であり、自分の意志があるだけいいのではないかと思った。

ガラス越しの老人達は多く、運動場で走り回る子供の数は驚くほど少ない。広いグランドにひと固まりの子供達、その子達が明るく強く逞しく、わんぱくにおてんばに育ってもらう事を願うしかない。

2011年9月29日木曜日

「愛は危険でもある」


あの二人は間違いなく出来ている。

そういわれるのは深夜に焼肉を一緒に食べるケースとか相手の食べ残しを自然に食べるケースといわれる。

お互い焼肉の煙の染み込みも、ニンニクの口臭も、人が一度箸をつけたのも許し合っているからとか。


あなたと朝一緒の歯ブラシで歯を磨く関係になりたいわ。なんていう古典的表現もある。

更にあなたが使ったカミソリで私の顔も少しあたったの。なんていうセリフがある。


さて、私の前に一人の肝臓癌の権威ある教授がいる。

教授いわくとんでもない、肝炎ウイルスは1に性交渉、2にファッションタトゥーやピアス、3に歯ブラシや血の付いたカミソリ。今欧米型の新しいC型肝炎やB型肝炎が日本で流行しはじめている。

ウイルスは体の外に出てしまうと死んでしまうがそうでないケースは深く静かに潜伏してやがて恐ろしい肝臓癌になってしまうケースがあるから気をつけて下さい。なんて駅の側のお寿司屋さんで日本酒を飲みながらポツポツ語る。



そうだ板前さんも包丁とか刃物を使用するから気をつけなよなんていう。

店の主人達の手がピタッと止まるのは必然的であった。

今頃は小学生の高学年からすでに性交渉をしている国家的問題なんだけどなぁーとお寿司をつまむ。


焼肉屋さんに行くと最近はお箸は厳禁、全てトングで掴んで焼く。

肝臓にいいんでないのとお客さんに支持されていたレバ刺しはメニューになしユッケなし。



藤沢の彫師もこの頃は随分とファッションタトゥーが減ってしまったと電動の針をブンブン回転させていた。

メモが貼られている。○○さん色入れ、○×さんスジ彫り、○△さんボカシ等。○○会、○○組、○○連合とあるが稼ぎが減ってしまったのか仕上げに来ないのだという。連絡しても生きてんだか分からないとか。

あの人は塀の中に入ってしまったとか。博打で負け追い込まれ逆に前払い金を返してくれなんていうケースもあるらしい。


何で私がそこに行ったか、実はある4文字を彫ろうと思って前金を払っていたのだが少々気が変わり相談に行ったのだ。

で、そんな話を教授と偶然お寿司屋さんで会い話をしたのであった。


私には佐賀出身のとても腕のいい、人のいい、性格のいい先生が一週間に一回見えてハリとお灸とマッサージに来てくれる。

誠にありがたい人なのだ。佐賀出身の「ハナワ」にソックリな三児のパパだ。今のハリは一回ずつ使い捨てなので100%安全。



食べて飲んでゴロゴロして肥えた女性がなんと30㎏と35㎏とか100㎏に太った体を細くする為に死ぬほどの努力、お前いつまでそんな体だったら一緒に歩かない、浮気もする、別れるからなと凄まれる。

目から涙がポトポト流れる。

付き合っていた頃の体重に戻したら又、朝一緒の歯ブラシで歯を磨いていいと巨大な体を屈してたのむ。



おから、コンニャク、もやし、キャベツ、ウォーキング、プールでスイミング。ひたすら頑張るのでした。

苦節を重ね見事101㎏の体重は56.5㎏になりました。


教授はそんな無理なダイエットは内臓がボロボロになります、素人の考えでやってはいけません。

ちゃんと肥満外来に行く事です。それにしても教授よく食べますね、いいんです私はもう恋も愛もないただの食欲の固まりだから。体重なんて四十歳過ぎた時から計ってないから分からないけど7080㎏あるんじゃないかな。


すいませんいつもの太巻き二本持って帰りたいのでお願いしますだって。

奥さんにですかと聞いたら、自分の夜食にだって。君ねえ、食欲も愛もデンジャラスだからいいんだよ。

2011年9月28日水曜日

「熱いから赤いへ思い出話を少し」



武田鉄矢さんを見るたびに思い出す人がいる。

その人の名は種田誠二さん。


かつて東急グループ系の広告代理店東急エージェンシーの制作チームのチーム長のクリエイティブディレクターであった。

今から三十数年前であった。アメリカで広告の制作づくりを学んで来た種田誠二さんは太い葉巻をくゆらせながらブルーの眼鏡で現れ初めてであった。私より二歳上であった。


独特と言う人は多い業界だが中でも独特であった。

弁が立ちプレゼンテーションが抜群にうまかったそうだ。


私は私がプレゼンする場合は勿論行くが、人がプレゼンをするのなら私はまず行かない。

私の義兄が一昨年まで監査役をしていた会社に「東洋水産」がある。その創業者であった、森和夫さんが亡くなった。

79歳であった。静岡県の田子村(現・西伊豆町)で生まれた。


森和夫さんは軍隊に入り終戦間近にノモニハンでロシアの戦車隊(通称赤いきつねといった)と戦った。

ある日、種田誠二さんからあるプレゼンを一緒にしようと頼まれた。それは当時電通でやっていた「マルちゃんのキツネそば」であった。渥美清さんをキャラクターに起用していた。渥美清さんは業界では担当殺しと言われていた。


商品を持たない、食べない、商品名を言わないからだ。

スポンサーは担当に高いギャラを払っているのに何だ、どうしたしっかりしろ、駄目なら変えるぞとなり、コダックやハナマルキ味噌を担当した友人は渥美さんの躁鬱と付き合い、躁の時は時間をかまわず延々と何時間も電話、さらにいつもの指定のフランス料理店で延々と打合せとなる。鬱の時は当然何事もない無言状態となる。


で、話を戻すとその頃「どん兵衛」が山城新伍さんと川谷拓三さんを使い落語の世界の様な縁台コントで大人気となっていた。で、東洋水産は数社の代理店にコンペを発注した。種田誠二さんは当時絶好調であった。



二人で受付嬢が一服する地下の部屋でヒソヒソと打合せを続けた。

で、腹を決めパッケージは「真っ赤」にだけ、熱湯5分というので「熱いきつね」というネーミングにして文字を入れた筆文字はサントリーの仕事をしていた(今でもサントリー烏龍茶を書いている)木之内厚司さんに頼んだ。そして当時売り出し始めた武田鉄矢さんとおていさんこと沢村貞子さんのコンビを考えた。しかし沢村貞子さんは出演NG,武田鉄矢さん一人で勝負となった。種田誠二さんの頭は冴えに冴えていった。私も又、若く熱湯のようになっていた。


プレゼンは種田誠二さんが一気に取ってきてしまった。

ゼッコーチョーであった。その後種田誠二さんはどんどん大きなプレゼンを取りまくる。


赤坂スタジオでドラム缶半分位撮影用に色づけしたまずい(本物はうまい)のを食べてもらった。

その時は「赤いきつね」であった。なんでネガティブなロシアの戦車隊の名、「赤いきつね」になったか、それは森和夫社長がノモンハンで赤いきつねと戦ったからなのだ。「戦車が恐くて赤いきつねが食えるか」という言葉はそこから生まれ実際に戦車を使って撮影をした。種田誠二さんまさにゼッコーチョー。私はいろいろ勉強をさせてもらった。


その後三橋美智也を使った「ワンタンメン激メン」とか、焼きそば「バコーン」へと進んで行った。

種田誠二さんゼッコーチョーであった。今は退社されご自分で会社を経営している様だ。

先日私が行ったイベントにも来てくれた様だった。会いたかった。

このままだと東洋水産は武田鉄矢さんを死ぬまで使って行くだろう。そういうマナーの会社だから。

すると種田誠二さんも私もあの世で「赤いきつね」を食べている時下界で未だ武田鉄矢さんが出ているはずだ。



ある週刊誌の「墓碑銘」というコラムで森和夫社長(死亡時は相談役)の記事を読んで妙に若かりし頃が懐かしくなった。

月日が流れていた。魚肉ソーセージづくりから一代で現在の大会社に育てた人生は熱湯の様であり「人生劇場」や「人間の条件」の様でもある。主人公梶の様にヒューマニストであり意志の強い人であったのであろう。

今日の昼は「赤いきつね」ライス&魚肉ソーセージだな。決定!

2011年9月27日火曜日

「無くせるならとっくに無くなっている」


私の好きな深夜番組にお願いランキングというのがある。

特に好きなのは「ちょい足し」という不気味な食べ物、よくぞまあこんなロクでもない事を本気でやっているのか。

何十品も食べさせられる中尾まなみADは出て来る度に太っている。

ズルズルとかパカッと大口を開けるとか、少々わいせつな食べ方をするのだ。


正直全くの不美人である。私的には全く興味のないタイプなのだが。

とんでもない「ちょい足し」を食べておいしーいというと、何だかよくやったみたいな気分になるのだ。

その「ちょい足し」にあのソムリエ田崎真也が更に「ちょい足し」をする。中尾まなみADおいしーいとなるのである。

私は絶対に食べれないが食はクリエイティブ活動であり、それを考え試食を重ねて来たスタッフに「あっぱれ」をあげたい。

この間中間発表かなんかのベストテンがあった。最後に一品を足したのは田崎真也ソムリエである。この人は楽しい人だ。前回の「なか卯」でファンになった。


さてあるコンビニの商品の中から選んだ味。

一位 担々麺+イタリアンドレッシング(+ニンニク)

二位 ギョーザ+イチゴジャム(+味噌)

三位 いなり寿司+とろけるチーズ(+タバスコ)

四位 ざる蕎麦+練乳(+明太子)

五位 いなり寿司+タルタルソース(+プリンのカスタード部分)

六位 ケンタッキーフライドチキン+ピーナツバター味噌

七位 ラーメンラ王+粒マスタード(+ポテトチップス)

八位 冷やし中華+白ワイン(+オリーブオイル)

九位 あんパン+キムチ(+リンゴジャム)

十位 ギョーザ+ヨーグルト(+マヨネーズ)


であった。

こうして字で書くと何だそんな事をと思うだろうが、一度お試しあれ。

人によってはギモジワリーとか、サイテーサイアクとか、変態のオカマとニューハーフの合体とか完全にニッポン終わるとかいう。しかしラーメンラ王の太く脂っこい中に更にポテトチップスがマスタードと一緒に入っているのを一度試したが、激しく辛く嫌々食べて思わずうまーいと言ってしまった。



その手の食べ物は話が家の中では厳禁であったから一人の時に食べた。

一族が帰って来て何か気持ち悪い臭いがする、何か食べたと聞くから「食べたよ、ラ王+粒マスタード+ポテトチップスを。文句あっかよ」ジャンクフードも又美味なりだよ。

ただし一ヶ月位はゲップをするとギモジワリイ。


最近カップヌードルが四角になった「カップヌードルごはん」というのがある。

かなりの人気であるらしい。

常識は外すためにあるのだ。一度食べてみるか、と決意をした。

2011年9月22日木曜日

「すみれちゃん」



人生60年余、平成枯れすすきとなっても決して恋と愛を忘れてはいけない。

そうでないと鼻毛が出ていても気にしない。耳毛が外から見えていても気にならない。

やっとデートした女性と食事した時、相手は未だ食べているのにサラ金なんかのティッシュで思いっきり鼻をかむ。

靴なんて雨に濡れて白いカビが生えても気にならない。ワイシャツの襟が黄色くなっていても気にならない。



フランスやイタリアに行きなさい。みんな年取る事に格好良くなる。

エレジーという大学教授と教え子の恋愛映画を見なさい。いいよ、60過ぎた教授と美しくもエロティックな教え子。

思い切り憧れる。三日位着ている半袖のワイシャツの中にはランニングシャツ、灰色のしわしわのズボン、クラリーノの靴、黄昏れた頭、使い古した鞄、長く伸びた爪。これではモテません、気をつけて下さい。


私の同級生の大手書店元課長、若い女性と株投資で破産。

で、その戦後処理、夜中2時頃、眠いのにその妻と娘にガンガンにグチを電話で取っ替え引っ替えやられて熱いシャワーを浴びた後の私の体はぐいぐい冷える。間違っていたんですあのええカッコしいのバカヤローとか。

私の部屋に酒の臭いさせて入って来て後から抱きしめたのだから、ナイフで思い切り腕を刺してやったんです。

あんな奴死ねばいいギャーーーーギャーーーワァーーとなり妻の方はあなた何やってんのナイフなんか畳に突きまくって、お願い来て下さーーい、来て下さーーいといったって相手は川崎だ。来てくれないなら警察に行きます。○○子ちゃん早く家を出なさい、なんて緊迫状態です。長い付き合いの友人なのでやはり行くしかない。深夜タクシーを呼び川崎へ行くのだ。



ホテルの一室、5時頃にかけて薄い壁の向こうから切ない泣き声がナレーションの様に聞こえる。

こちとらちょっとばかり気合いを入れて書き物をしてるんだ、よろしく頼むよ、猿ぐつわでもしてくれよといいたかった。

あああーーーーという絶叫だ。素足で靴履いてやっぱり塩ラーメンを食べに行くべえと思った。


ところで美人は幸福になれるか、いい結婚生活ができるかについてアバウトな調査があったが、ほぼ幸福感がないという。

ご主人の方はいつ何か起きるのでは、浮気するのではないかと不安で一杯らしい。贅沢な事にあんまり人並み外れた美人はずっといるといつも美人なので飽きちゃうともいう。



それより少々ブスでも風呂上がりがゾクっとする程色っぽかったり、何かにつけてタカビーな女性より本当に一緒になってありがとうと朝から晩までよく働いてくれるのだ。化粧時間もお風呂も早い、買い物は余分な物は買わない、粗食で我慢強い、きれい好きで食器磨きが大好き。これが、ムメとかタミとかトラとかヨネとかトメさんならいいんだけど28歳の妻に、おいトラ缶ビールなんて言うのは辛いし、ご飯を食べたい時ウメというのも言い難い。


ただ名は体を現すというのは嘘がほとんどな気がする。ややこしい名の女性ほど名前負けしている。

高級クラブなんて過去にいい名で出て売れっ子になった女の子の名が一覧表になっている。

未だかなり遅れていて相変わらずの名が多い。夢香と優香とか桜椿ちゃんとか、牡丹ちゃんとかとなると刺青の見本帳だ。やはり私はトメ、ウメ、ヨネ派だ。黒服がライターの灯をかざし、おーいこちらトメさんとかマグナムのシャンパン。おーいヨネさんここにシャンパンのピンクヨロシクとか、おトクさんマッカランの21年ものとかの方が楽しいではないか。


私がよく使うタクシー会社に年の頃は60代の「すみれ」ちゃんがいた。

香水が強い、お化粧がとにかく城壁のように厚い、振り返ると「どくだみ」になってしまう。

まったくお口が悪いんだから、でもこれだって若い頃は結構人気者だったのよ、とすみれちゃん、違う会社(神奈川中交通)を○▲と□×が悪いから乗車拒否なら入社拒否であったそうな。

娘が20代でとても美人、一緒に私の個展に来てくれた時などびっくりしてコーヒー&ケーキをご馳走した。



すみれちゃんとても嬉しそうだった。実は数年前乳ガンで片方を取ってしまった。

手の動きがままならずらしい。でも美しい娘を嫁に出したいと頑張っている。


この間平塚橋辺りを走っていたら車の中から手を振るすみれちゃん。

運ちゃん、あれすみれちゃんではというと正解であった。その2日後すみれちゃんは寒川の近くでドーンとおかまを堀ったらしい。ハンドルに高い鼻(あったっけか?)をしたたかぶつけて鼻血ブーブーだったらしい。


ご主人はいない。十月からすみれちゃんを見つけ出して私の担当にしてもらう予定だ。

香水と化粧品はいいのを送る。この際すみれちゃんスッピンになったらといったら、お客さんが死にますよだって。

そうかなと思った。意外な事もある女性は誰でもスッピンが美しい。


何しろ誰だから分からないのがいい。眉毛とまつ毛もない。働いた後はそれでいいんだよ、すみれちゃん。

東海道線で辻堂駅南口に降りてK&K小和田交通に乗り私の名を言えばVIP扱い。

そこでちょっと前にいたすみれちゃんの話を聞いて見て下さい。