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2010年6月21日月曜日

人間市場 七つの大罪市


なんでこの極寒の中救助隊に迷惑を掛けるかもしれないのに冬山に登るのかと登山家に聞けば、そこに山があるからだと答える。

なんであんなに高い銀座のクラブに行くのかと聞けば、そこに抱きたい女がいるからだと軟派師は答える。(私は硬派)

なんでそんなにお金を持っているのに金儲けに走るのだとバブル家に聞けば、そこにもっと金儲けの口があるのだと答える。

なんでそんなに太っているのにアゴが外れそうなハンバーガーを食べるのかとデブの人に聞けば、食べたいから食べると答える。

なんでチンポも勃たなくなったのに選挙に出るのかと老政治家に聞けば、そこに金バッジがある、選挙をすればチンポも勃つと答える。

なんでいくらお金を掛けても美しくなれないのにそこまでお金を掛けるのかと聞けば、だって女だからと答える。

人にはそれぞれ目標がある。他人がそれに口を挟む余地は無い。
キリストに七つの大罪というのがある。
1.強欲、2.高慢、3.暴食、4.怠惰、5.嫉妬、6.憤怒、7.色欲とある。これを犯していない人間はこの世に一人もいない。人間は誰が創ったか知らないがそれぞれ罪人なのだ。しかしよく学び、よく働き、よく人に尽くし、よく親孝行をし、よく世の中に奉仕する事によって罪から少しずつ逃れられる。

過日一冊の本を読んだ。一人の渡世人の凄まじい人生とその落とし前をつけている本だ。本の名は「憚りながら」著者は元山口組若頭補佐、後藤組組長/後藤忠政。現在は得度しその名を「忠叡」という。生か死か、味方か敵か、裏切りか忠誠か、一日一死の人生を歩んで来た。この世の天国も地獄も見て来た上に得度した。



この一冊は単なる伝記や伝説でなく世の中に対する警鐘となっており、又教育の在り方についての教えでもある。歴史の裏と表、事件の核心、人間の器量等が淡々と語られている。
特筆すべきは、一つの映画に私費を投じて一人の死刑囚の無罪を訴えている。元ボクサーの袴田巖氏の静岡で起きた味噌商四人殺人事件である。三十歳で逮捕され既に四十数年拘置されている。現在74歳気の遠くなる様な月日だ。

映画が博打の中で一番勝つ見込みのない物である事はプロなら誰でも知っている。
博打打ちのプロ中のプロの大親分が多大な私費を投じて製作するという事は金儲けでない事が判る。敬意すべき行いである。大罪の数々を犯して来た、仮に罰として一度は地獄に堕ちたとしてもきっと芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の様に天国から一本の糸が降りて来るだろう。
この一代の渡世人は小説の主人公の様に人を蹴落としたりしないであろう。心はすでにこの世から離れている達観しているのである。

映画の名は「BOX 袴田事件 命とは」という。
拘置されている不自由な箱の事であろうか。ボクシングを愛する私も無罪を願っている。是非読んで欲しい本、是非観て欲しい映画である。
何で有り金はたいて映画を作るのかと私に聞いて来たら、そこに映画があるからだと私は答えるだろう。

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