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2019年5月17日金曜日

「悲しい閉店」

今でこそ、どこへ行ってもいいネタの寿司を食べさせる店が多いが、魚類図鑑に載ってないような魚を海外から輸入して、いかにもそれらしき名をつけて店に出している。寿司は酢メシなので魚の味をゴマかしやすい。人手不足の深刻さは寿司屋さんにも大影響をしている。流れ板前を手配する「三長会」などが手配しても追いつかない。前日からの仕込み、開店から閉店まで立ちっ放しは重労働だ。いい寿司屋は親父が一人、奥さんと若い衆が一人か二人。席数15人ぐらいがいい。4月19日、48年通っていた寿司屋が店を閉めた。赤坂旧TBSのすぐそばであった。理想の店であった。小上がりに2名小さな襖で間切って、4人掛けのテーブルが2つ、カウンターは8名ぐらいが座れた。TBSが近かったので、有名なタレントさんや役者さんが多く来た。このままでよかったが、バブルが来た。親父は店を大改装した。さらに増改築を重ねて広い広い店となった。2階には大広間をつくり、カラオケまで設置した。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。夜8時頃まではクラブの女性と同伴する男が入って来ても入り切れなかった。韓国人も多く来た。土地成金たちだ。ある夜、私がお客さんを二人連れて行くと、カウンターは満席、奥座敷もテーブル席も満席だった。そこに10数人カメラを持ったクルーが入って来た。当時、総理大臣だった森喜朗が来る店というので取材に来た。総理大臣や取り巻きは別の入口から2階へ、店の中はゴッタ返し、私は大切な客と一緒だったので、店の親父に大きな声で、「オイ! オレを取るのか、たまに顔出す森喜朗を取るのか、ハッキリしろ!」と言った。親父がオロオロとし、私の腕を強くつかんで店の外に引っ張り出した。「すぐ帰りますから、ちょっとガマンを」と言った。カウンターにはバブリーな韓国人たちと派手な服を着たコーリヤンバーの女性。テレビ局のクルーたち。仕方なくお客さんに事情を言って他の店に行った。そんな思い出もなつかしい。親父は70歳であの世に逝ってしまった。板前たちは目に涙をためて私と別れの言葉を交わした。ケーキを持って行っていたので「みんなで食べなよ」と言った。10数人いたスタッフは3〜4人になっていた。通い詰めた店が一つ二つと閉めて行く。寿司屋はチェーン店みたいのが残っているが、やがて人手不足で閉める店が増えて行くだろう。後継もいない。寿司は女性が握れないという特殊性がある。ずっと前、大親友とキー・ウエストに行ったとき、黒人の板前が寿司を握ってくれたことがある。実に複雑な寿司の味であった。ロトイ(トロイ)若い衆を「しっかりしろ」とゴツンとやると、すぐ辞めてしまうらしい。日本は職人の国である。ちなみに赤坂の寿司屋の親父は、4月11日にすでに亡くなっていた。18日、私たちが行ったとき、みんなそれを黙っていた。広い店内に客は一人もいなかった。かなり前から私は予約していたのだ。最後に、森喜朗一派は小泉純一郎が総理大臣を辞してから、すっかり来なくなった。自分の金で食べるにはちょっと値が高い。(文中敬称略)


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