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2019年5月21日火曜日

「北海道の水ダコ」と「忘却」

昨日朝、訳あって銀座和光に入った。別名服部時計店(SEIKO)である。11時店内はマバラであった。さすがの和光だけあって、スタッフ一人ひとりのあいさつ応対がすばらしい。とても感じいい。時計を買うわけではないが、ちょっとショーウインドーの中を見た。私は高級時計とかに縁はない。というより興味がない。というより買う資金がないと言ったほうが正しい。「オッ、いい時計だな」と一つの腕時計を見ると、やたらに数字が並んでいる。(21,490,400)(にせんひゃくよんじゅうきゅうまんよんひゃくえん)であった。感じのいい女性店員に「昔は、4~5万円の物からあったんじゃないの?」と聞いたなら、「今はその手のクラスは、カタログで見ていただいて、あったらありますよ」と言った。「こんな高い時計、売れるの?」と聞けば、微笑みながら「もちろん月に何本かは売れます」と言った。「あちらにはもうヒトケタ違うほどの物もあります。1億、2億、さらにダイヤモンドがキラキラ光り輝くのは、4億」(これはティファニーの本店にあるらしい)。「腕に2千万円以上もの時計をつけていたら、ブッタ斬ってその時計を売って映画をつくるよ」と冗談を言った。高級時計は今ブームで、中国人や東南アジアの大金持ちがズドーンと買うらしい。銀座にはたくさんの高級時計店が出店している。また、雑誌や新聞広告にバンバン出稿しているのは高級時計だ。ケタ違いの時計を見つつ階段で上に行き、3000円のハンカチーフを2枚、お使い物として買って和光を出た。10人ぐらいがキチンと「ありがとうございました」と頭を下げた。かなり気恥ずかしいが止むを得ない。時計か映画かとなれば映画に決まっている。「忘却とは忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」。これは有名なラジオドラマ「君の名は」のセリフである。菊田一夫の原作だったと思う。私は今朝、昨夜どこかへ忘れてきたケータイを探せばならない。完全に忘却している悲しさだ。電通の友人、元東急エージェンシーの友人、会社の仕事仲間たちといろんな話を楽しんでいるうちに、すっかりどこかに忘れていた。「君の名は」それは「ボクのケータイ」なのである。すべてを頼り切っていた天才的凄腕万能女史が去って以来、ずっと何かを探している。まるで迷子みたいな日々が続いている。確かスブタ、シュウマイ、カニタマ、チャーハン、ワンタンを4人でシェアしたのは忘れていない。それとお店の女性が「故里の北海道から送って来たからぜひに」と出してくれた「ミズダコの刺身」。これをショウガで食べたのが絶品だった。私たちの会社の金庫番の女性が、赤ちゃんを生む予定日が昨日だった。きっと連絡をくれるはずだ。やっぱりケータイを探し出さねばならない。きっとゴッタ返しの机の上のどこかにあると思うのだが。大したことのないものを、考えて、書いて、創るしか能がない迷惑千万の人間なのだ。



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