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2019年5月31日金曜日

「忘れがたき日」


心の四季を語る。ある人の言葉である。人に接するときは、暖かい春の心。仕事をするときは、燃える夏の心。考えるときは、澄んだ秋の心。自分に向かうときは、厳しい冬の心。この春夏秋冬の心を62年間実践して来た私の大恩人が本日をもって退社する。18歳で入社して以来62年間、80歳を迎えた。東洋羽毛工業(株)のために全身全霊を込めて尽くした。社長、そして会長職を20年勤めた。全国の支社にひと月の内半分近くは出張した。本社に出勤のときは、毎朝7時20分に出社していた。私が7時40分に電話すると、決まってご本人が元気よく出てくれた。朝は4時20分に起きる習慣であった。明るくてユーモアのある奥さまとは中学時代の同級生、誕生日も同じであった。自分を育ててくれた創業者、そして創業者亡きあとは創業者ご一族に全力で尽くした。近年は激痛を極める腰痛と闘いながらであったが、決して弱音を社員の前で見せなかった。気配り、目配り、心配りの達人であった。創業66年の会社を3代目社長として引き継ぎ、最高品質の羽毛ふとんづくりを追い続けた。銀座1丁目にはoluha(オルハ)を出店させた。社長職というのはやった者にしかわからない「非情職」である。人事というのは、毎年やるだけ“ウラミ、ツラミ”を残す。使える社員ばかりではない。一人ひとりの個性を知り、長所短所を見極めねばならない。あるときは鬼にも蛇にもならねばならない。つまり、非情に徹しないと職は務まらない。無数のウラミ、ツラミを背負って行かねばならない。永い間お疲れさまでした。それを言うために今朝がある。私が今日こうして息をしていられるのは、東洋羽毛工業(株)様のおかげだからだ。私には会社勤めは向いてない。というよりできないことを知った。ガキの頃から子分になった経験がなかった。仕事は一人でやろうと独立したが、しかし何のあてもなかった。私は結婚したばかりの妻と青山学院大学の横にある、4階建てのマンションの4階1DKに住んでいた。ジーンズにアロハのチンピラみたいな姿の私に、仕事を出してくれたのだった。1階がショールームだった。私も今年で独立して50年の区切りを迎える。創業者様から現在4代目社長へ。私にできることがあれば、大恩を返すべく身かけて尽くす決意である。令和の時代、何をいちばん大切にしたいですかという、あるアンケートに「睡眠」がいちばんであった。やるべきことは山ほどある。現在午前12時47分02秒、あと7時間ほどあとに、電話をする。きっと元気にご本人が出るはずだ。これからもずっとお付き合いをお願いする。みなさん、いい羽毛ふとんを選んでください。銀座1丁目oluha(オルハ)へどうぞ。私は自分で認めた、この人はという人とはずっと長いお付き合いをして来た。しかし残念ながら、「この人とはダメ」と思いを決めた人とは、ビシッと決別をする。令和元年5月31日は忘れがたき日となった。午前7時40分、電話をしたらやはりご本人が元気に出てくれた。


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