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2020年12月30日水曜日

「年の終りに」

1230日久々に400字のリングに上がる。観客はいない。朝、風があり雨が静かに降っていた。海へ行くと鉛色の重い雲が、海の上にどんよりどっさりと広がっていた。天気予報では昼からは晴れるとか。波はなく惰性のように来ては返すを繰り返す。傘は持っていない。海辺に人は誰もいない。年の終り富士山に雪は無く、ずっと黒富士だ。今年思いもよらない新型コロナというウイルスが400字のリング上に現われた。相手が見える闘いならば打つ手が探せるが、ウイルスという相手は何も見えない。人類が過度に文明を進化させていったために、地球上の自然が破壊され、地球温暖化を生み生態系が狂ってしまった。人間が食べる牛肉、豚肉、鶏肉などを生むためには水と牧草が大量に必要となり、エサを作るために、地球は破壊をつづける。弱肉強食の世界のいちばんの強者は、言うまでもなく人類、つまり人間という凶暴な生き物だ。シラスのような小魚からシロナガスクジラまですべて食べていく。かつて敗走に敗走を重ねた日本軍の軍人は、餓死から逃れるために、動く物は何でも食べ尽くした。最後に何を食べたかは想像がつくだろう。原一男監督がそれをベストワンとなった映画「ゆきゆきて、神軍」で描いた。又、結城昌治の原作による「軍旗はためく下に」もある。ぜひ正月休み中に見てほしい名作だ。私が食を得る業界は、正に不要不急の業界だから、ウイルスが放ったパンチは、まともにアゴに、レバーに、チンに、テンプルにと急所にあたった。ウィービング、ダッキング、ショルダーブロック、アームブロックでと防御するもウイルスのパンチは不気味に強い。400字のリングはすでに原稿用紙8000枚以上書いてきた。雑文の極みであった。ソロソロやめるべしと思っていたところにウイルス禍となり、サバイバルゲームとなった。原稿用紙4枚を書くのに、約2時間、ライターの方にテキスト化してもらい、それをFAXで読んで、直してもらったり、書き加えたり、削除したりする時間に一時間以上を要する。頼みの綱であるライターの方が体調不良となり、これを機にウイルスと共に休筆した。その間この国の政治リーダーは、嘘八百の人間から、ガースーなどという愚相へと変った。まい日東京都知事の顔を見て、ヘドが出る。恥を知らぬコメンテーターたちは無能をさらけ出す。それを見てバカヤローがと言っている自分にうんざりする。私は批評家でなくアイデアを具現化するのが仕事なので、それをつづけることで精神の安定を計る。おかげでいい仕事を生むことができた。アイデアが出すぎるくらいに出た一年だった。だが悲しいかな資金がないという重大なテーマがあり、具現化できないもののほうが多い。マイク・タイソンが50代を過ぎ60代に近づきながら、40キロも減量をしてエキジビションながら(2R×8回)リングに上がり、バッチバチ殴り合った。人間は闘争心を失っては美しくない。マイク・タイソンは美しかった。ボクシングはすばらしい。コロナで大不況なのに、嘘八百の片棒を担っている日銀が市場の株を買い漁り、バブル期以来の株高となっている。格差社会の異様な姿だ。(株価27568円)実体の株価は1200016000円位のはずだ。やがてドーンと落下する。日銀が正常に戻すには、100年かかると1230日の新聞に書いてあった。不条理だ! 118回も国会で嘘をつきまくった人間が不起訴となり、500万円受け取った政治家は返すつもりだったと入院した。物を盗んでパクられて、返すつもりだったと言っても、一般社会では通らない。1966年に静岡で起きた味噌商殺人事件の容疑者「袴田巌」さんは50年近く投獄され、死刑囚となり恐怖の中で無罪(確定されていない)となり釈放の身分となった。お姉さんの執念であった。検察のメンツを保つだけのために、一人の人間が犯人にさせられた、元ボクサーという差別的見解を持たれて。「阿久悠」さんと並ぶ天才が逝った。作詞家「なかにし礼」さんだ。くしくも細川たかしさんが歌った「北酒場」でレコード大賞を受賞した作曲家「中村泰士」さんも時を同じくして逝った。なかにし礼さんが書いた本の腰巻だが、宣伝用のコピーにこう書いてあった。兄貴たのむから死んでくれニシンで財を成した実家を、ニシンへの過剰投資で没落させた実兄を恨む言葉だった。人間は親を選ぶことはできない。又、兄弟姉妹も選ぶことはできない。金を追う者は、金に殺されるのが世の常だ。グチとノーガキの多い人間は、もう会社は必要としない社会となる。こんな人間に限り、実は働いていない。一日中パソコンの前にへばりついて、仕事をしていると錯覚する。プライド山という山にしがみついて、他の山を登る勇気を持たない。今年も残り一・五日となった。2021年は今年より更に、想像もつかない世となるだろう。私はマイク・タイソンのようにリングの上に立ち、誰もやらなかった作品を一つでも多くつくりたいと思っている。攻撃は最大の防御である。守りに入った人間には、つきも運も回って来ない。キャリアを十分に積んだリーダーがこの国には必要だ。総選挙が必ずある、天下は激動する。D・トランプは大統領恩赦を得るために、無惨な怯えをつづける。共和党内、身内からも見放されはじめている。一月二十日以降さまざまな公聴会に引きずり出される。敗者の美学なき者、命ごいをする者は哀れを極める。権力者に味方はいない。これが定めなのだ。検温、消毒、マスクの時代はつづく。みなさん決して諦めずに、決して油断せずに、そして闘う心を失わずに佳いお年を迎えてください。ボクシングでは100分の1秒で逆転があるのです。看護師さん、医療従事者の方々に感謝の心を。2021年、400字のリングは未定です。新年、おススメの映画を一本「花束みたいな恋をした」尊敬するリトルモアの孫家邦さんのプロデュースによる作品です。ステキな映像日記です。



2020年8月6日木曜日

第84話「私は距離」

私は「距離」である。私距離は現在ソーシャルディスタンスなどと言われている。人間とは文字通り、人と人との間である。それが今、人間間間間人位に離れないといけない。麻雀をやっている人なら、千鳥(チドリ)という用語を知っているはずだ。(千鳥格子模様から)例えば麻雀牌(パイ)を上下17づつ積む時、|中| |中| |中|と飛び飛びの間をとる。現在人間関係はこの千鳥となった。列車の中、会社の中、レストラン、飲食店、映画館など人が集まるところは座席に╳印がついている。コロナウイルス狩りなどというのが始まった。米国で吹き荒れた赤狩り(マッカーシー施風)と同じだ。コロナに感染すると魔女狩りが始まるだろうと以前書いたが、やはりその通りとなった。家のご近所とか、学校とか、飲食店でコロナ感染者が出ると、陰湿なイジメがSNSによって一斉に行なわれる。いずれ八つ墓村事件みたいな惨劇が生まれるだろう。格差社会で人と人との関係、友人と友人、親と子、夫と妻さまざまな関係が、すでに千鳥となっている。家庭内感染が増えたから、いよいよ家庭内は千鳥となる。地方では村八分などという言葉が復活しているとか。内緒の話はあのねのねと言うが、人の顔を遠くで見ている人が、本当は今晩のおかずは、コロッケと魚の煮付、ヒジキに冷奴なんて話をしているのだが、コロナ感染で疑いを持たれた人は、アノヤローたちいつか見ていろ、人の噂ばかりしくさってとなる。大阪府知事の吉村さんがイソジンみたいな、うがい消毒液がコロナ感染に効く、そんなことを記者会見で話したら、近所にあるドラッグストア 「クリエイト」から、あっという間にうがい薬は消えたとか。その内イソジンのオンザロックみたいのを飲む人間が出るだろう。犯罪史に残る無残な事件は、小さな噂話から始まっている。又は、あの家の人は感染しないのに、なんでウチの人がとの嫉妬心である。人類史上初の殺人事件という、カインとアベルも兄弟間の嫉妬みたいのから生まれた。神々の世界も又、嫉妬の世界なのだ。私距離は人と人とがどんどん離れ離れになって行くこの世を嫌う。ちなみに「千鳥格子」という名称は、その模様が飛んでいる千鳥が連なって見えるところから来ている。(英国ではツィードとも言う)さらにちなみに、麻雀のプロたちは千鳥というツメ込みで八百長をやる。私たち貧しき者は必死に働いているのに、総理大臣は十月まで長い休みをとるのだとか。指揮官のいないコロナ戦争に終わりは見えない。政権はすでに千鳥足となっている。400字のリングはしばし休筆する。


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2020年8月4日火曜日

第83話「私は逆境」

私は「逆境」である。この世に生を受け、ものごころがついた頃から、私は逆境である。それ故逆境に打ち勝った人とか、ずっと逆境にいる人に共感する。日曜日は、「泣けた泣けた、こらえ切れず泣けた」元大関照ノ富士が、平幕番付どんじりで優勝した。モンゴル出身である。入門以来強いのなんのと勝ちまくり、十両から幕内、そして三役、大関へと一気に駆け上がり、すぐにでも横綱かと言われた。怪力無双で相手力士をつり上げた。横綱白鵬の全盛期であったが、照ノ富士時代が来ることを疑わなかった。しかし大関といっても二十三歳の若者である。相撲の怖さを忘れ慢心し、増長した。そしてその慢心が相撲の神様を怒らせた。ある一番で相手力士をつり上げ、つり落としを仕掛けた。その時相手力士の体重が照ノ富士の両ヒザにのしかかった。ガクッとして、ボキッとして、グシャッとなった。力士にとって両ヒザは命に等しい。多くの有望力士が横綱を目前にしてヒザを痛め脱落して行った。又、両ヒザを痛めて大関から関脇、小結、幕内、十両、幕下、そして序二段まで番付を落として再起し、幕内優勝をした例は江戸時代からない。照ノ富士は糖尿病と肝炎にもなっていた。正に身も心もボロボロになり、力士の命である体は再起不能に近い状態だった。引退したいと親方に何度も言ったが、元横綱旭富士の伊勢ヶ濱親方夫婦や知人友人がもう一度やってみろと励ました。優勝力士インタビューで、あの頃はイケイケだった。目をうるませながら、親方やおかみさん、励ましつづけてくれた人に感謝していた。二十八歳になった元大関は新大関も破りその実力を見せつけた。私逆境は努力をしてきたことが実ったと言う姿に泣いたのだ。努力しない人間が報われることはない。悪事を働いている人間が報われるのが、世の中だがそれは違う。株への投資や相場で富を得てもそれは仮りの姿、必らず地獄が待っている。照ノ富士の両ヒザには白くて大きくてぶ厚いサポーターが巻いてある。今度つり落としをしたら、相撲の神様は許さないだろう。楽して勝とうとする力士が大成した例はない。私逆境がいつも気にしている、茅ヶ崎出身の力士、服部桜は今場所も全敗だった。入門以来2勝しかしていない。100敗より先は勘定しないことにしている。番付表のいちばん下にいる。いずれ会ってみたいと思っている、アコガレの力士だ。二日の日曜日朝八時三十分プレイボール、小(四)の孫の試合だ。野球場に愚妻と行き検温をし、消毒をし、名前、住所年令を書き球場に入った。孫ははじめてピッチャーで先発する。公式戦なので審判も三人、記録員もいる。試合時間は七十分、一回に5点入ったら相手チームと交代するルールだ。孫は私らの顔を見ると大きく手を振った。息子は助監督である。孫の先発はみんなでミーティングして決めたと言った。空は青くグリーンに囲まれたグラウンドは整備されている。プレイボールと同時に、ボールばかり、時々入るストライクをボカン、ボカンと打たれる。エラーもあり、5点が入り、そこでストップ。相手チームと攻守交代。こうしないと少年野球は終らない。一回裏一点返す。二回は少し落ちついたのかストライクが入り一点で終えた。そして三回表、又、ボール、ボールでランナーを出しつづけ、監督がピッチャー交代を告げた。孫は逆境に強い(?)ので、交代してショートに行っても元気一杯だった。とにかく野球が大好きなのだ。その夜食事を一緒にすると、あ~楽しかったと言った。試合は結局コールド敗けであった。ネット裏に来ていた知り合いの市会議員が、二回はよかった、何度か投げて行けばよくなりますよと言った。この議員は少年野球の監督をしていた。私はいつも逆境の中にいるが、少年たちの一生懸命ボールを追う姿に、何よりの勇気をもらうのだ。今、全国民がコロナ禍による大逆境の中にいる。バカヤロー負けてたまるかだ。伊勢ヶ濱親方は常日頃、歩けるうちはケガではないと言っているとか。



2020年8月3日月曜日

第82話「私は応援」

私は「応援」である。八月一日土曜日午前九時四十五分プレイボール。私応援は高(三)の孫の野球の応援席にいた。孫はあと3試合で高校野球生活を終える。日曜日と月曜日には応援に行けないので土曜日に行った。相手は三浦学園という強いチームだった。野球の試合は孫の学校の野球場であった。横須賀線保土ヶ谷駅からタクシーで1500円位の所にある。映画を見ながら朝までずっと起きていた。八時四十分お世話になっている運転手さんに来ていただいた。グラウンドに着くと、丁度両チームが気合と共にホームベースのところに行き、相方礼をして試合は始まった。先攻は孫たちであった。孫は三塁を守り打順は五番であった。前の晩に食事しに来ていて、観に来たら絶対打つよと言って帰った。一回表孫たちは0点。その裏相手に4点をとられた。孫は第一打席鋭い当たりで、三遊間を抜いてチーム初ヒット。すかさず盗塁に成功した。ウオーヤッタヤッタと拍手。私はネット裏のスタンド真ん中にいた。年配のOBがたくさん来ていた。第二打席カッキーンと、凄いライナーでショートオーバーのヒット。ウオーヤッタヤッタ。しかし、相手はよく打つその後3点、1点と追加点。第三打席は四球で出塁すかさず盗塁したがタッチアウト。8対1のまま最終回、第四打席は満塁であった。カッキーンとセンター前ヒット。ウオ~ヤッタァー、ヤッタァーと大拍手、二打点をあげた。試合は結局8対4で負けた。私は二時には家に帰らないといけないので一試合だけ観た。四打席三打数三安打一四球、二打点、チーム一の成績であった。強い陽射しを受けて顔はヒリヒリとしていた。両手は拍手のしすぎでふくれていた。一打席ごと試合には仕事で来れない息子に、ガラケーで報告した。来てよかった。サイコーだった。小学一年生からずっと野球をしていた孫は、もう野球はしないと言う。保土ヶ谷駅までタクシーに乗って横須賀線久里浜行に乗った。大船で東海道線に乗りかえる。久里浜かとホームで思った。三分間ホームで待ち時間。少年の頃大好きだった先輩の面会に行った。久里浜の特別少年院を思い出した。「特少(トクショウ)」というのは文字通り特別に選ばれた不良少年が行く。当時は初等・中等・準特少、そして特少というランクがあった。久里浜は海のそばなので水泳の教練がある。先輩は水泳が苦手であったので、水泳の教練がキツイと言った。体は小さいがその根性は、すでにヤクザの間では一目置かれていた。十九歳でヤクザの幹部を斬り殺して入っていた。同じ中学の三つ上の先輩だった。久里浜の特少と言えば、羽仁進監督の「不良少年」という映画を思い出す。上映した年キネマ旬報のベスト1位になった不朽の名作だ。久里浜の特少と同じセットを作って撮影した。同じ年黒澤明監督の「用心棒」が大ヒットしていた。映画はこんな少年の言葉から始まる。「俺は銀座を歩いたことがない。護送車の中から見ただけだ」実際の不良少年たちを起用した映画は、監督賞も受賞した。私が生涯見て来た映画のベストファイブに入る。撮影が「金宇満司」さん。後に石原プロモーションで、石原裕次郎さんの名作を撮り続けた名カメラマンである。ホームに久里浜行が入線して来た。空席に座ると隣りに黒い短パンのマスクした外人、その外人と手をつないで座っているのは、ジーンズの短パンの若い日本人女性。なんだか横須賀線ぽい気分になった。石原プロを解散というニュースを思い浮かべた。いずれこの国のリーダーになる人を、今は支えている、ヨットマンでもある名物プロデューサー。調布にあった建築の現場にあるようなプレハブの石原プロ、駐車場にはシャワー付きのロケバス、大きな炊き出し用の鍋、裕次郎さん愛用のボロボロのソファー、映画屋の城はかくあるべしという、二階建てのガタピシの石原プロモーションがイカシていたシビレるような低く太い声の渡哲也さん、ジャケットのサイズが全く私と同じだった、舘ひろしさん。映画大好きの男たちの臭いがたまらない。ずっと野球少年だった孫は、映画の専門学校に行くと決めたようだ。映画屋はいいぞと、私がいつも言っていた影響だろうか。孫の親友は寿し職人になると言う。私応援は少年たちを、応援しつづける。大人は少年を経てしかなれない。私応援は、善良なフリしているつまんない人間は応援しない。不良の方がいいのだ。


2020年7月28日火曜日

閑話休題「ご報告」

私がお世話になっている、ライターの方のおなかの“激痛”の原因が、やっと分かって来た。T病院でいろいろ検査をした。その後T病院では検査できないものがあり、S医大へ検査入院。そこでいろいろ検査をした結果、まず七転八倒の痛みの原因が、胆管の入り口近くに石があり、それが動き回ると激痛になる。つまり“ローリング・ストーンズ”なのであった。で、口から内視鏡を入れて転がる石を取り除いたとのこと。今は退院されて体力の回復を計り、来週の水曜日に再び検査をする予定との電話であった。声に張りがあり、食欲もあるとのことであった。まだ無罪放免とはならず、心配は残る。人間は2メートルを超す大男でも、おしりに画びょうが刺されば、痛え~と大声を出し飛び上がり、虫歯一本の痛みで大の男が泣きを入れる。深爪をちょいとしただけで、一日中痛さが気になる。特に私たち男は痛さには弱い。女性が絶対的に強いのは、3キロとか4キロ近い赤ん坊を、激痛に耐えて生み出す。三日四日激痛に耐える女性もいる。だから絶対に男は女性に勝つことはできない。コロナ、コロナの暗いニュースばかりだが、明るいニュースもある。小社の女性スタッフ二人が赤ちゃんを生んだ。産休に入った女性、少しづつ出社しはじめた女性、母になった女性は誇り高く見える。私の理想の会社はミルクの香りがする会社だ。いつでも乳母車やバギーに乗せて来ていいよと言っている。コロナで今はむずかしいが、いつか一緒に来てほしい。んぎゃ~、んぎゃ~という泣き声を聞きながら、仕事をしたいものだ。ライターの方は独身主義者のようだ。400字のリングは、リング上に鼻血が点々と落ちるように、しばし点々と書いて行く。人生は流転、これからどう転ぶかは分からない。私もローリング・ストーンズだ。 
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2020年7月15日水曜日

「訂正と休筆」

昨日夜帰宅すると、一枚の葉書が来ていた。400字のリング第80話「私は雲丹」について、誤り有りご指摘をいただいた。雲丹はウニで、中革のワンタンは雲呑が正しいとコロナ、コロナ、コロナで、頭の中がウニ(雲丹)みたいになっていて。すっかり雲呑を忘れていた。大変恥ずべきことであった。テキスト化してくれている方が、再び腹痛盛んになり加療が必要とのこと、でしばし休筆します。

2020年7月14日火曜日

第81話「私は淡淡」

私は「淡淡」である。アワアワではない。タンタンメンとも違う。「たんたん」である。辞書にあっさりとした様子、こだわらない様子とある。私淡淡には現在こんな日はない。世の中は、もうどうしようもないほど、混乱と騒乱を極めている。明日という字はあかるいひと書くのね、そんな歌があったが、今では次の日はあかるいと、胸ときめかすヒトビトは少ない。北の果てから南の先端まで、明日は重苦しくて、息苦しい。東京がもう一度ロックダウンしたら、我々芸を売る身はノックダウンとなる。私が欝の時、尊敬する大先輩(画家・作家・チーズ研究家)が、一枚の葉書をくれた。そこには、佐藤一斎の「言志四録」の中の一文があった。達筆である。「暗夜を憂うること勿れ、只一燈を頼め」とあった。只一燈が何かはいまだに分からない。お世話になっていた広告代理店の役員さんたちが、私の家まで押し寿司を持って来てくれた。トロイメライ(放果後に流れた曲)みたいになっていた私を見て、大丈夫、大丈夫と言って大声で笑った。その時の押し寿司は只一燈だった。又、同じ代理店の人で近所に住む二組のご夫婦が、江の島にある行きつけのお寿し屋さんの、美しい握り寿しをたくさん持って来てくれた。色彩やかな握り寿司一貫、一貫が只一燈に見えた。狭い所にもう一組お世話になっているご夫婦も来てくれた。トロイメライのような私は、スプーンが曲げられる念力がまだある、などと言って、いよいよトロイメライであった。(かつてみんなの前で二度曲げたことがある)ヨットマンのご夫婦と陶芸家のご夫婦。今は亡き佐賀出身の偉い人。その日、その時私には只一燈の方々であった。今もおつき合いをしていただいている。その恩は忘れない。私淡淡が何故このようなことを書いているかと言うと、淡淡があった日々を思い出したくて、一昨日の深夜、昨日の深夜、すでに何度か見ている世界的巨匠「小津安二郎」監督の作品を見た。「秋刀魚の味」が特によかった。小津作品はその日の気持ちで味が違う。父親がいて、(妻に先立たれた)年頃で嫁入り前の娘がいる。長男と嫁はアパート住まい(団地みたい)次男は学生で家にいる。娘が家事をしているのだが、父の友人たちは、酒を飲みながら、そろそろ嫁に出してやれよと言う。小津安二郎独特のローアングルの映像、一点透視画法の徹底的構図。その中でみなさん淡淡としている。大きな声もない。あくせくすることもない。ざわつく空気もない。淡淡を極める。人への愛情、友との友情、恩師への慕情が、淡淡、淡淡と描かれる。あ~こんな生活が、この国にはあったんだとため息をついた。だらしなくジメジメとした雨が降っていたが、私淡淡は、小津安二郎監督の作品に只一燈を見た。私淡淡はまだ、恩人たちに恩返しができていない。この国に淡淡とした日は、もう来ないのだろうか。 



2020年7月10日金曜日

第80話「私は雲呑」

私は「雲呑」である。カタカナにすると「ワンタン」だ。私雲呑はナヨナヨ&ヘナヘナとしている。ワンタンメンというのがあるが、私雲呑にとっては、いささか気に入らない。どっちが主役かわかんない。できるならワンタンのみで食してほしい。雲呑は哲学者みたいである。つかみどころなく難解である。クラゲの中に肉が入っているようなものなので、ナメてかかると痛い目にあう。論被、撃被、喝被される。ラーメンのように従順にツルツルとはいかない。何を考えているか分からない奴を、私雲呑は、アイツはワンタンみたいだと言っていた。先夜仕事仲間四人と仕事場近くの菊鳳に行った。エビチリ、スブタ、カニ玉を四人でシェアした。シメにチャーハン一人前を四分割、ワンタンを四分割にしてもらった。むし暑い、店内は喚気のためにドアを開放しているからだ。この店は安い旨い早いの見本のような店で、超一流、一流と言われているところより、断然に美味しい。結婚して自分で私雲呑をつくってくれる奥さんをもらった人は、きっと幸せだ。餃子もそれに近いが、ワンタンほどの精神性は感じない。私雲呑がワンタンになったとき、かなりアツアツなので気をつけて口に入れないと、アヂ、アヂッとなり、レンゲの中からすべり落ちる。舌にやけどをする。小籠包もそんなことになる。ワンタンには美意識がない。ヌルヌルとして、ヘナヘナだから絵にもならない。ラーメン店、中華料理店によって、肉の量が違うのだが、私雲呑はワンタンとなって、場末のラーメン店が居心地がいい。時々ゴッツイ、ガテン系のお兄さんが入って来て、チャーシュウ、ワンタン、メンマ、ネギ大盛なんてオーダーすると、イヨッ! お兄さん、サイコーと手を打ってしまう。政府のコロナ担当と、都知事がまるで、ワンタンみたいに、つかみどころのないヘナヘナの話をシドロモドロに発表する。この国は今、私雲呑と同じで何もかもヘナヘナ、フニャフニャーで、丼という国家の中で浮遊する。古今東西、言い訳というのは、やたらに長く、つかみどころがない。何が言いたいのかビシッと話せと言いたいのだが、ウソがウソを重ね、事実をワンタンの中の肉みたいにかくすと、結局レンゲの中から、ツルッとすべり落ちて、火傷する。先日私雲呑はワンタンへのチャレンジに大失敗して、舌先を火傷した。それにしてもコロナ、コロナ、ウソ、ウソ、雨、雨、雨、これは、本当、本当、本当、大惨事なのだ。東京都と政府の発表は冷めたワンタンだ。中国のことわざに、愚将が国を治める時、天から大災難が起きる。そんなのがあった。私雲呑は舌先きにイソジンをつけてかなり治った。この国を治すイソジンは誰か。今日も240人以上がコロナに感染という。本当の数字はこの何十倍。もはや、この国はワンタン、コロナメンになり、その味はシラジラシイ。大きめのレンゲを用意しよう。

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2020年7月9日木曜日

第79話「閑話休題」

夜がまた来る 思い出つれて おれを泣かせに 足音もなく なにをいまさら つらくはないが 旅の灯りが 遠く遠くうるむよ この「さすらい」は「小林旭」の大ヒット曲だが、「徳久広司」という作詞作曲家&弾き語りもいい。過日、六月十九日・二十日と札幌へ取材に行って来た。安ホテルの窓の外にエアーポートの灯り、その手前を列車の灯りが、斜目に走る。灯りというのは実にロマンチックである。さらにうっすらと霧がかかっていると、さすらいのような気分になる。人生とはさすらう旅みたいなのだ。 あとをふりむきゃ こころ細いよ それでなくとも 遙かな旅路 いつになったら この淋しさが 消える日があろ 今日も今日も旅ゆく 人間弱気になると次々と災難が襲いかかって来る。カラ元気でも、ヨシ! 勝負だ、どっからでもかかって来いと、気合いを入れてないと勝負に負ける。左官のカリスマ挾士秀平さんがいる飛騨高山に豪雨が降った。何度もお会いしに通った。挾士秀平さんの会社、職人社秀平組は、山のふもとにある。野太い声で大丈夫だと言っていると思う。眼光は大きく鋭い。体は大きい、感性は繊細にして文学的、詩的である。ゴーゴー流れる飛騨川の映像を見ていて、下呂温泉・水明館を思い出した。名湯で有名だが、この水明館のオーナー一族の方々は、実に過ぎた月日を忘れさせないほど、ごていねいで代替りしてもよくお便りをいただく。岩下志麻さんを起用させていただき、水明館の新装グランドオープンのCMをつくらせてもらった。その日の飛騨川は清流、水音は流麗でやさしかった。川は人間の感情みたいであって、もうこれ以上我慢ならぬと憤怒した時、激流となって襲いかかって来る。つまり来襲である。人々は夜は恐ろしくて、眠れないと身震いする。コロナ、コロナの中、お世話になった方々が人事移動となった。大会社は辞令が出たら、一週間位で移動する。よくお会いできていた人とは会えなくなり、なかなかお会いできない人とは、すぐにでもお会いできることになる。実に複雑な気がしてならない。インバウンドのない成田空港は、廃港のようであった。海外からの客でごったがえすところに人は誰もいない。ロビーには私と相棒の二人だけだった。880室もあるホテル、早朝チラホラと人がいた。往復2000キロの旅を前に、私は旅芸人の気分となった。私の仕事は芸人の旅である。人と人との関係も同じで、昨日の清流は今日濁流になっている。男と女、夫と妻との関係も同じだ。感情という川の流れは恐ろしい。 
下呂温泉水明館

2020年7月8日水曜日

第78話「私は行動」

私は「行動」である。少しでも命を守る行動をとってくださいと、テレビのニュースは言う。いまだかつて経験のない雨とか、50年に一度の記録的豪雨と言う。とここまで書いていると、でっかい蚊のヤローがヌケヌケと目の前に来た。三月末から私行動は、行動を制限されて、ムカムカ、しているのでバッチンと蚊をやっつけた。手のひらに蚊がツブレ赤い血を出していた。チクショウと言いつつ手を洗いに立った。若い女性の声でお父さん危な~い。お父さん危な~いの声がニュースから流れた。画面を見ると間一髪、大洪水の難から逃げることができた映像があった。デジャブと言う言葉がある。又かみたいの意味と思うが、この国はずっとずっとデジャブがジャブジャブである。又か又か又かの災害を繰り返す。娘さんの声で間一髪助かったお父さん、本当によかった。世の中には人の血を吸う蚊みたいな人間がうんざりいる。ちゃんと公共事業の予算を使ってんのか(?)、おいしい血を吸っているのが多くて、防げる災害が防げてないのではと大いに疑いを持つ。静岡県知事の行動に私行動は拍手を送る。JR東海のボスの野心であるリニア計画を、大井川の水を守るために(と思いたい)と頑固に反対して、リニア計画を止めた。ほぼこの国ではありえない事だ。コロナ、コロナで全国の県知事の言動、行動がよく見えた。使える知事と使えない知事が、クッキリ、ハッキリ分かった。知事の力は使い方次第で大きな力を持っているのを知った。東京都の女性知事にはうんざりだが、この国に女性知事がいないのは何故かと思った。海外には当たり前のようにたくさんいる。森を守り、山を守ると、川や海が守れる、その結果人が守れる。蚊のヤローに血を吸われたせいか、アタマがボンヤリしてきた。時計を見ると午前二時三十六分〇三秒、時計の上にはテレビの画面、大雨による氾濫が流れる。九州や東海地方は明日も激しい雨と報じる。少しでも命を守る行動をと連呼する。最近ユーチューブというのを見る方法を知った。あるボタンを押して、声をかけるのだ。ニュースがいくらでも見れる。その分映画が見えなくなるので余り見ないことにしている。私行動は被災地に何をすればよいのだろうか。コロナ、コロナできっとボランティアの人は入れないのだろう。なんだこれは、網戸にボロッと穴があいている。蚊はここから入ったのだ。私行動はガムテープを取りに行った。これから「9人の翻訳者」という映画を見る。東海道線内で靴を脱いで、列車内でスリッパに履き替える女性が前にいた。灰色の大きなものだった。その変なかんじは、私のボキャブラリーでは表現できない。昨日は七夕さんであったが、みんな忘れていた。手帖に七夕の竹飾りの絵を書いて、てんこもりの願いを書いた。



2020年7月7日火曜日

「400字のリングのご報告」

400字のリングは、私はただ原稿を書くだけで、それをテキスト化して、配信してくれる神の手のパートナーがご苦労をしてくれている。かなりの腹痛に耐えて、大きな病院にも二つ行って、いろんな検査をしていた。ずい分心配していたのだが、昨日夕方激しい雨音の中電話をいただいた。最終的な検査は来週するのだが、それまでやりますよと言ってくれた。コロナ、コロナ、マスク、マスク、消毒、消毒。うんざりするほど小池百合子の顔を見ていて、かなり気分が悪い。情報を知るためには仕方なく見るが、顔は見ないようにしている。白鴎大学教授の岡田晴恵教授。髪の毛の量が多すぎるから、ハサミで切ってほしい。終りにニコッと笑うと、ゾッとする。日本には感染学の専門家は他にいないのかと思う。カッパ頭の医師会のセミボス。カエル顔の教授。ほぼこの三人が各テレビ局に出ている。私の友人は小池百合子の首筋のホクロの数まで知っていた。4Kで見ると恐いよと言った。人間ヒマほど恐いものはない。そういうお前も十分恐いよと言った。あ~嫌だ、もう嫌だ、東京都知事を早くやめて総理大臣を目指したいと顔に書いてある。オリンピックはかなり怪しくなって来た。なんとなくやる方法を考えているのだろう。得意のあやふやさで。我が街茅ヶ崎を選挙区にする、河野太郎が総理大臣のフロントランナーになっていると聞いて、長いトンネルを抜けると、そこはもっと長いトンネルだった、という言葉を思い出す。私の知り合いの県・市会議員たちの多くは、河野太郎の子分たちだから、かなり色メキだっている。日本中の繁華街を全部PCR検査してみろと言いたい。新宿、池袋だけ悪者みたいになっている。夜の街も、昼の街も四民平等だ。きっとブッタまげる数字となるだろう。熊本県人吉出身の友人がいる。確か三年前も大洪水の被害に遭った。コロナ、大洪水、次は大地震だと地震学の専門家が新聞に書いていた。私の出身県である岡山が生んだ、将棋の大名人がいた。故大山康晴だ。私が杉並区天沼に住んでいた頃、大名人の家がすぐ側にあった。大名人の家の、まん前が文豪井伏鱒二宅であった。「助からないと思っていても、助かっている」大山大名人が書いた言葉だ。もうダメだと思うな、あきらめるな。又、「忍無辱」とも書いた。耐え忍ぶ姿は決して恥しいものではない。うんざりがまだまだ続くが、忍を貫いて行こうと思っている。(文中敬称略)

2020年6月29日月曜日

「400字のリングについて」

私の親愛なるライターの方の症状が、かなりよくなったとのこと。水曜日に病院に行って経過良好、仕事OKのおすみつきをもらったら、400字のリングのゴングを鳴らします。コロナは第2波みたいになってきました。暑さもいよいよ本番。みなさんくれぐれもご注意を。マスクをしていればみんな美男美女です。

2020年6月11日木曜日

「試合中断」

私の書いた生原稿をテキスト化してくださる知人のライターが、モーチョーのようでおなかが痛くてしばし休みます。多分一週間はかかりそうです。大事なきことを念じています。

2020年6月9日火曜日

第77話「閑話休題」

本日天気晴朗、快風、爽風。ある「かるた」に知人と共に挑戦中。アタマの中がイロハ歌留多になっている。ところでイロハ全部言えますか(?)神田神保町に「(株)奥野かるた店」という、創業100年(?)のお店があった。いやはやこんなにも“カルタ”があったとは。で現在誰も作らなかったものを制作中。ですっかりアタマが50音で、長文が書けない。ちなみに“イロハ”を全部言ってみてください。


2020年6月8日月曜日

第76話「私は里見」

私は「里見」である。本物は「里見甫」だ。別の名を“阿片王”と言われた。東京裁判の時法廷に立った里見は、あなたは何をしましたかの、問いに、阿片を扱ってましたとこたえた。かつて中国の上海は魔都とか祖界と呼ばれていた。それは特別な地区と言うことである。日本軍は上海に「東亜同文書院」という。軍のエリート養成校をつくった。今の東大よりはるかに難しい最高学府で、ここからエリート軍人たちが生まれた。故児玉誉士夫の児玉機関や笹川良一たちではなく。当時の上海で“里見甫”を通さない麻薬は1gもないとも言われた。中国に侵略した日本軍には共同通信、時事通信をはじめ数多くの報道機関があった。里見甫はこれでは軍の情報が統制できないと思い。海外への通信は時事通信、国内は共同通信と二社に決めた。で電話通信会社みたいだった“電通には報道をやめて、軍の広報活動をせよとなった。略して“電通”誕生である。電通は里見甫の麻薬でできた会社である。しかし戦後電通はめざましく進化し、一流のクリエイブを“つくり、世界にも負けない、総合広告代理店となった。一流のクリエイターやマーケッター、SPプランナーなどを揃えてオリンピックやスポーツイベントのプロデューなどなど、他を圧しつづけた。電通にあらずは、代理店にあらずの時代を生んだ。ライバルに博報堂というのかあるが、横綱と小結ほどのチカラの違いがある、博報堂はクリエイティブ志向で、国家権力とは距離を置いた。アブナイものには手を出さない。電通スポーツマフィアという言葉があるたように、戦闘的である。いっとき“電通マン”なる言葉が生まれ、彼らはモテにモテた。(兄弟分も)戦後、善につき、悪しきにつけ、電通なくして国の発展はなかった。電通マンにシャブ中が多いというのは何かの縁だろうか。その電通が政府の命により、何度も国民の大切な金を丸投げされてきた。不明の金の行方へが電通では、「誠実な使用」を生むことはできない。私里見亡きあとたいそう発展したのが、電通である。私里見はそう長くないうちに電通は外資系となる。(すでになっている)里見は軍関係の報道をゴチャマンとある中から、二社にした。国内は共同通信、外国は時事通。それ故に電通の大株主はこの二社である。天下の電通(?)が政府のトンネル会社になっているのは、裏切り行為である。オリンピックで入って来る “甘い汁”を、たっぷりとすっている。電通は人材の宝庫であり、政財界、著名人や有名人、高名な人たちのご子息や、ご令嬢の人質会社でもある。いまさらこんなことは、どうでもいいのだが、国民の貴重な税金を、中抜きするような恥ずかしい会社に落ちてほくしくない。結局電通マフィアに戻ってしまう。中抜きした数十億をバンバン銀座に落としたら、許してやるかも知れない。時価総額わずか7000億位になったということは、手頃な値段で店先きに出たということだ。サイバー・エージェントにも抜かれしまった。この会社のオーナーはジャンゴロ。(プロ的麻雀打ちだ)私里見は魔都といわれ、租界であった上海で、1gの麻薬も動かすことはさせなかった。里見の女であった男装の麗人は、つい十年ほど前まで、鎌倉雪ノ下で天ぷら屋さんをしていた。電通がある限り里見甫は生きているのだ。いろいろあるが、優秀なクリエイターは電通にダントツにいる。そしてOB、OGにも。私里見も電通に多くの友人がいる。たくさん仕事もした。いい人ばかりだった。(文中敬称略)


2020年6月5日金曜日

第75話「私は冗談」

私は「冗談」である。眠れぬ夜は起きていながら夢を見る。恩人から米寿の御祝の写真が送られて来た。みんなはマスクをしていた。先輩からある賞を受賞してパーティを行なった。全員マスクをしていた。知人から新しい家を建てその知らせの写真葉書きが来た。家族みんなマスクをしていた。ある先生が実は愛人が一人増えた、とび切りの美人だからよく見てなと手紙と写真一葉が封筒に入っていた。二人共マスクしていた。後輩から真鶴に釣りに行って、やけくそに投げ釣りしたら、大魚が釣れたと写真と釣り仲間たち、一人ひとりマスクをしていた。久々に銀座を歩いていたら後姿がやけに美しい(?)松屋の信号のところに立ち停って、振り返ったらマスクをしていた。マスクを外した私冗談は持っていたカバンを手から落とした。私冗談の愛すべきクリエイター赤城廣治君が、ずっと熊本城再建のキャンペーン広告をしていると聞いていた。その新聞記事が載っていた。「籠城じゃ」というキャッチフレーズが紹介されていた。熊本城は築城の名人、とりわけ城壁、石垣造りの名人、加藤清正がプロデュースした難攻不落の城、あの西郷隆盛が攻め落とせず。土佐出身の谷干城たちが籠城戦で勝ち抜いた。西郷は加藤清正に負けたごわすと言ったとか。赤城廣治君のこと以外は冗談ですと、私冗談は久々にウイスキーをいつものグラスに入れた。このグラスはいい酒以外は使わない。お気に入りのバカラだ。一昨日ポストの中に、水のトラブルの時にはぜひ、というカラーの名刺と、いい土地買いますと言う、住友不動産のA4三つ折りのチラシ、それと一緒にペラペラっとしたビニール袋、中に政府支給のマスクが二枚入っていた。出来の悪い冗談みたいな気がした。大変お世話になっている歯医者さんが人形町水天宮側で独立開業をした。かねてより開業したらポスターを二点プレゼントすると約束していたので、提案したものを打ち合わせに行った。一点のキャッチフレーズは、「生か、歯科」日本には現在コンビニ以上六万数千の歯医者さんがあるが、くしの歯が抜けるように、一つ、二つ、三つと閉院している。もう一点は「歯医者復活戦」人柄と腕前がよくないとダメ、ただの歯医者さんは、敗者となる。先生の名は「渡邊哲平」さん。すばらしい人格と腕前だ。いい歯医者さんを探している人は、渡邊哲平デンタルクリニックへ。私冗談の名を出せば。麻酔なしで歯を抜いてくれる。(これは冗談)かつて歯医者さんは、いちばんもうかると言われていたが、今は冗談話だ。私冗談もウソまみれの世の中で、何が本当で何が冗談かが、分からなくなった。そうそう松屋のところで後姿だった美人(?)が、何故に振り返ってマスクを外したか、と言えば右手に焼き立てのワツフルを持っていた。マスクを外すと、ギョッギョッと樹木希林さんみたいであったのだ。私冗談の目はすっかり座敷牢生活で、トロくなってしまった。私冗談はマスク大嫌いなので、口を開けず鼻で息をしながら歩いていた。資金はないがやり残した作品をなんとか形にしたい。天才中野裕之監督に、ある作品を再編集をしてもらっている。気に入った原作だったのだが、自分ですっかりストーリーを失った。ヨシ! これだと天才に電話した。さすがに凄い、第一回目の作品が送られて来た。ウイレシイスバラシイと夜遅く電話をした。十年ほど前に奥多摩の奥地で撮影したものだ。人にはあの世に行く前に謝りたい生き物が、必らずいるはずだ。次の世紀新生児はマスクをしたみたいにこの世に出て来るかも知れない。私冗談は本気でそう思った。(文中敬称略)


2020年6月4日木曜日

第74話「私は惜別」

私は「惜別」である。私惜別はコロナ騒動の中で、何人もの知人の訃報に接した。だがどの訃報も葬儀はごくごく身内だけ、決して他県からとか、親しい人々に通夜、葬儀をご遠慮願いたいと記してある。地方から東京へ出て来て仕事をしている者の、敬愛する父母がご逝去しても、我が子は我が親の葬儀に行くことは許されていない。親の死に目に会えないという言葉があるが、親の死に体にも会えないのは、つらいものだろう。私惜別の父の思い出と言えば、裸にされた骨身の体を、亡母と、同居していたおばさんと、お隣りのおばさんとの三人で、遺体を北に向けて、アンモニアかなんかで清めていた。(消毒かも)まだ八才だった私惜別には、よく分からなかった。確か夕方の五時頃から、六時頃にかけてのことだった。当時“死”というものが分からなかった。その後、兄や姉たちが帰って来て、ワァーワァー、ギャーギャー泣いていた。早速葬儀社の人らしき人が、白い手袋と白いマスクをして動いていた。お坊さんが弟子みたいのを連れて来た。葬儀には岡山のおばあちゃんが、夜行寝台“安芸”に乗ってやって来た。正座がつらかった。若いお坊さんがドラをど〜ん、ど〜ん、もう一人が何かをジャラン、ジャランやるのが、おかしくて笑ったら岡山のおばあちゃんに、坊主頭をポカリと叩かれた。自宅の葬儀が当たり前の時代である。花輪が門外に並んだ。生花のゆりの香りが強かったのを今でもおぼえている。私惜別はおそばが大好き。先日よく行く近所の「紅がら」さんが、少しづつ店を開けたというので、息子と孫と三人で昼食をしに行った。辻堂にある“事務キチ”で万年筆のインクを買った後である。クルマを運転してくれた息子が生まれた年に、「紅がら」は開店した。しっかりと造られた民家風で坪庭もよく手入れされ、待ち合い室もゆったりして手が入っている。店内で手打ちをするとこを、ガラス越しに見ることできる。四人掛けのテーブルが五つと、壁側にロングソファーと椅子がけのテーブルが四つある。小上りの座敷には、いつも季節の花が活けてある。長い木製のテーブルが三つある。私惜別には二人の子と五人の孫がいるが、紅がらに行くと、この小上りでよく食事をする。テーブルをある日は二つくっつけて、ある日は三つくっつけた。四十年前に息子が生まれた時、娘は六才、オムツの交換はこの場所で行なった。それからみんなお世話になった。私惜別にとって紅がらは、自分んちみたいであった。テキパキとしたおかみさん、美人の娘さん、そしてやさしいお人柄のご主人がいた。私惜別が行くと顔を出してくれた。先日三人で行くと、私惜別がご主人を知人の写真家で撮影して、後輩にデザインしてもらった、ポスターを持って、娘さんがいらっしゃいませと、近づいていた。美しい顔はマスクでかくれていた。ポスターを持つその顔の目には、涙が浮かんでいた。実は父は四月十五日に亡くなりました。このポスターをとても気に入ってました。今は、あそこにかけて(スタッフがいるところ)私たちを見守ってもらっているんですと言った。ずっとコロナ休業していたので、私惜別もご近所の人も知らなかった。享年八十六歳開店して丁度四十年目だった。へえ〜そうだったんだ。私惜別はずっと座敷牢生活で、外食はしていなかったので、ゴメン、スマナイ、と言った。一度ご主人と話をした時、おそば屋さんの重労働のすごさを知った。「麺環かながわ」というタウン紙の一面に大きく載っているご主人の訃報を、娘さんが持って来て、コピーを一枚渡してくれた。長い間組合の理事長をされていたことを知った。私惜別は合掌した。葬儀は身内だけでそっと行なったとか。私惜別がポスターに書いた言葉は二種類。一枚は「日本人のそばに。」一枚は「ほそくながくでございます。」であった。「紅がら」はとてもいい店。ぜひおそばで、“すすり泣いて”あげてください。

紅がら

2020年6月3日水曜日

第73話「私は消毒」

私は「消毒」である。私消毒は現在日本国中で、不可欠の存在である。昨日久々東京に出て、私消毒の多さに、少年の頃DDTというベビーパウダーみたいのを全身にかけられたのを思い出した。シッカロールみたいとも言われた。私消毒が生まれた年から、一年、二年、三年、日本中が敗戦後のノミ、シラミ、ダニまみれだった。2020年近代化された日本は、新型コロナウイルスが、お寿司屋さんにも不気味なシーンを生んでいた。私消毒は昨日ビジネスパートナーのライターの方と、午後五時開店というお寿司屋さんに入った。新橋である。四時五十五分から五分店が開くのを待った。地下一階の店がオープンとなり入店した。昨日銀座「WAKO」フードショップで消毒、次に西哀漬けの「魚久」で消毒、銀座の仕事場に立寄り消毒、水天宮のデンタル・クリニックで消毒、溜池の仕事場で消毒、私消毒の手は消毒液の臭いがとれない。その後神田神保町の店で消毒。そして新橋へ。すし職人の手には、手術するお医者さんみたいに白いゴム手袋。その手で握ってもらったお寿司は、とても美しい一人前だったが、白い手袋が「横溝正史」の“犬神家の一族”みたいに不気味だ。そうか日本中がいま“八つ墓村”なのだ。一人ひとりが疑心暗鬼になっている。街中マスク人間。アメリカの進駐軍が日本中の人間をバイ菌みたいに、DDTの白い粉をブシュブシュとかけまくった時と同じだ。そうだ世界中がバイ菌化しているのだ。街行く女性はみんなマスクしているので、ほとんど目しか見えない。だから美女ばかりだ。マスクを外した瞬間、えっと99.8%裏切られる。2020年日本は勿論、世界中が“ウイルス戦争”の年の重大エポックとして、教科書に載るだろう。現在午前九時〇一分、5chモーニングショーを見ている。又、岡田晴恵教授が出演している。顔を白くメークしているのだが、DDTをかけられたみたいな粉が見える。NHK以外に朝・昼・晩出演している。教授以外の他の面子(メンツ)も、金太郎飴みたいに出演者は同じだ。急に色気づいたオバさんは(失礼)、やはり八つ墓村みたいに不気味だ。香港、アメリカでデモと暴動が多発化している。八つ墓村は一人の男が、ある夜暴発して32人を殺した大事件だ。岡山県津山32人殺しとしてその名を残す。八つ墓村の“八つ”は、平家の落武者を村人たちが、祭りの夜に惨殺した落武者の人数だ。人間という生き物は、疑心暗鬼がつづくと、農民一人ひとりが殺人鬼となる。“やられる前にやっちまえ”私消毒も突然平家の落武者みたいにやられるかもしれない。むかしは噂話から広がったが、現代はSNSだ。誰にも知られないだろうと、アイツがコロナを広げている。アイツも、アイツもと、調子にのってSNSを打ちつづけると、きっと八つ墓村事件みたいなことが、日本中で起きるだろう。私消毒はやたらに消毒しながら、映画の中で名優山崎努が、頭に懐中電灯を点灯させ、猟銃を打ち放し、老若男女32名をメッタ斬り、メッタ刺しをしたシーンを思い出した。九時二十三分12chを見ると、株価がうなぎ上りだ。日本中コロナ大不況下なのに、一部の金満投資家や日銀、世界の投資家が日本株を買い漁っている。大不況下の株高はやがて地獄絵となる。八つ墓村になるだろう。猟奇的大事件は、古今噂話からはじまった。私消毒はSNSと縁がないが、きっとバレないだろうと、SNSに書き込んでいる。SNS村の村人は祟りが起きるだろう。映画では老婆が、タタリじゃ、タタリじゃ、八つ墓のタタリじゃと表現されていた。アメリカの暴動もその一つだ。黒人一人の命、白人一人の行動から歴史は変る。トランプ大統領が、ムッソリーニみたいに公開処刑されることだってある。私消毒は実に不気味な気分なのだ。SNSが消毒される時代は、言論弾圧みたいで、これはこれで恐い社会だ。投稿者が夜ぐっすり眠っていると、枕元に猟銃を持ち、腰に大刀を差した男が頭に懐中電灯を光らせて立っているのだ。私消毒は家に帰ると、やたらに手洗い消毒、手洗い消毒と言う愚妻に、ウルサイ! と声を発するのだ。いつの世も「重大事は“一事”からはじまる」ネット村の心ない村民はこれから気をつけることだ。テレビ局全体にも言いたい。もっと汗をかけ、“アタマを使え、アイデアを出せ”と。(文中敬称略)

2020年6月2日火曜日

第72話「私は明日」

私は「明日」である。私明日のことは、明日に聞いてみないと分からないと、古人は言う。石原裕次郎さんは、♪〜 明日は明日の風が吹くと歌った。名作「風と共に去りぬ」のラストシーンで、スカーレット・オハラは、夕陽の中の木に向かい、明日があるわと気丈に生きて行く覚悟をする。ある哲学者によると、私明日がさてどうなるかはコインを投げて、裏表で決めればいいのだと言ったとか。私明日にとって、明日は生涯初めて相手にする敵である。コロナウイルスという見えてない敵だ。「明日地球が滅ぶとも、今日リンゴの木を植える」確かそんなすばらしい言葉を遺した人がいる。私明日は佐賀県出身の人と交わりが多い。明治新政府の中で、大久保利通が、その頭脳の鋭さで徹底して正義を追求をする姿に、恐れを感じた。それは江藤新平初代司法卿である。大久保はいずれ目の上のタンコブとなると思い、正義感の強い江藤新平に、新政府内のデタラメぶりをリークして、“佐賀の乱”を起こさせた。佐賀県人は少々短気で、曲がったことを許さない。で、かなりプッツンして四方八方とぶつかる。佐賀鍋島藩はいち早く海外の近代兵器を取入れ、その強さは最強とも言われた。私明日は、日本の明日を見抜いていた佐賀人が好きである。武士道の教え「葉隠」を生んだ。その佐賀人の中で、「明日地球が滅ぶとも木を植える」、を実践している人を知った。五月三十一日(日)東京新聞朝刊で。その人の名は「鶴田正明」さん八十四歳。十年前から広葉樹を苗から育てて一本づつ植えた。その数は一万本を超える。「環境芸術の森」と名付けて約10年前から公開している。初代で造園業を始め全国大会で数々の賞に輝いた。高校球児だった愛息を病気で失った。十七歳であった。絶望感の中で、人と自然の関わりの重要さを強く感じた。木を植えることで、協力者に感謝の気持ちを示すことを思い立った。心の中で亡き息子さんと語り合っているのだろう。鶴田正明さんは購入した土地を少ない親族や支援者たちと、石を掘り起こし、木の苗を植え、恐れ果てた山を変えていったと言う。(新聞記事より抜粋)佐賀県唐津市の山の中腹でのドラマだ。私明日は明日のために、今できることをコツコツとやるしかないと思っている。自分にしかできないことを、自分でやりつづけるのだ。今日久々に東京へ出る。日本は世界一の森林国である。もっと、もっと山を、森を、そして木々を大切に育てなければ、また大洪水になるだろう。梅雨がはじまり雨の日が多くなるだろう。災害に見舞われると体育館などの避難場所に人が密集する。私明日はこの国の持っている宿命を見る。私明日と共に仕事をしている仲間に、新しい生命が誕生する。明るいことも、夢のようなこともたくさん生まれる。明日と言う字は“明るい日と書くのね”という歌もある。すでにオギャーと元気に生まれた命も、スクスクと育っている。赤ちゃんの泣き声と共に仕事をする職場があってもいい。小さな子どもがヨチヨチ歩き回る、そんな職場が明日なのだと、私明日は思う。

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2020年6月1日月曜日

第71話「私は確信」

私は「確信」である。私確信は思う何故、欧米人に対して、アジア系中でも「日・中・韓」にコロナによる感染死亡率が少ないか。はっきり言えること、その(一)欧米人はやたらにハグして、キスする。これは習慣だ。ホホにチュはマナーであり、手の甲にはキスは敬意を表す。ハグは親愛の証だ。フランス人と中国人はあまり風呂に入らず、トイレに行ってもよく手を洗わない。その手でパンや肉まんなどの食べ物を持ち口に入れる。花粉アレルギー大国日本は、日常的にマスクをしている。又、お風呂とかシャワー、行水が大好きだ。フランス人と中国人がウマが合うのは、食とSEXに貪欲だからだ。フランス料理や中国料理の歴史あるメニューは、他を寄せつけない。多国籍企業の中でもフランス人と中国人はすこぶる仲良しだ。フランス文学、中国文学は、世界二大文学だ。フランス人はやたらキスをするが、中国、韓国、日本人はしない。ギョーザとかキムチ、ニンニクとかザーサイとかの臭いがあるので、キスもハグもしない。江戸むらさきとか、クサヤの後にしない。ジャージャーメンとかタンタンメンを食べたあとキスなどはしない。猿の脳ミソとか熊の手を食べる人々はキスなどしない。そもそも歯をあまり磨かない。激辛のキムチを食べた者同士がどうしてキスなどするものか。カルビとか牛タンを食べた後はチューインガムだ。その(二)今の日本政府は信用できない。後世のウイルス対策に役立つ、専門家会議とか有識者会議の議事録もとっていないという、極めつけの隠ぺいを平気でやる。ウソがウソを呼び、ウソがウソを生む。法務大臣がでたらめなウソをつく。いつの間にか検事と新聞記者(なんで氏名を公表しないのか)との麻雀のレートが、テンピン(1000点100円)になっている。これは本人が言っただけ。こんな安いレートでやっている訳はない。いまどき新聞社がテンピンでやる“賭け麻雀”をして、いい情報をリークしてとはありえない。古代エジプトでも公文書は残している。日本人は世界でも稀なほど公文書を残す。一言一句、せきばらい、お茶飲みの数まで。何故なら役人は責任をとらされる事が大嫌いだからだ。私確信は昨日の朝刊を読んでやっぱりと思った。電通の子会社に丸投げしていた。「持続化給付金事業受託法人の代表が辞職した。769億円の内数十億がどこかへ溶けて配分されたはずだ。きっとオリンピック延期へのアチラコチラへの迷惑料だろう。久々に黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」を見た。政・官・財の生態、とりわけ官僚社会の“鉄の掟”がよく分かる。こういう社会派の映画がすっかり製作されなくなった。私確信は残念に思う。勝海舟は政事(まつりごと)を行なう人間に対して、「清濁合わせもって、尚且つ青波の如くあれ」と語り残した。世の中キレイ事では済まないが、自分の行ないを絶えずチェックし、日々その身を洗い直せみたいなことかなと私確信は思っている。コロナはつづく。かつて“キッスは目にして”という化粧品のCMソングがあった。今は2メートル離れて、投げキッスをポーズでしよう。それにつけても叙々苑の焼肉が食べたい。銀座アスター本店の中華も食べたい。食えないのが小池百合子東京都知事だ。アタマの中に都民のため、なんて全く無いはずだ。ビビンバみたいな女性である。ちなみにビビンバとはかき混ぜることだ。さて今日からどうなるか。ちなみに日本映画の最初のキスシーンは、窓ガラス越しだった。

2020年5月29日金曜日

第70話「閑話休題」

私は「早朝」である。私早朝はコロナ以後どうするかと何枚かのCDを聴きながら考えていた。ケニー・ロジャース、ナット・キング・コール、ザ・プラターズ、マイルス・デイヴィス、ジミー・ブラウン、サイモン&ガーファンクル、トム・ウェイツ、みんないい。サイコーだ。午前七時二十三分三十一秒、「ちあきなおみ」をラストソングとして聴いた。いいね、すばらしい。一人の男に愛を尽くして、ステージから去った。「郷鍈治」という日活のスター、宍戸錠の弟だ。これほど愛されてあの世に逝った男はそうはいない。夜明けの「喝采」はしびれてしまう。今朝は爽わやかだ。♪~ いつものように幕が開き……と口ずさみながら珈琲を一杯。(ネスカフェゴールドブレンド)コロナ、コロナ、週末は再び江ノ島に行くか。ハマグリ風の潮焼きでも食べに。私早朝の不眠はいよいよ、ずっと起きている。♪~ あれは三年前 止めるアナタ駅に残し……いいねえ~。
                                  (文中敬称略)
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2020年5月28日木曜日

第69話「私は筋肉」

私は「筋肉」である。私筋肉には人に見せるほどの筋肉はない。しかし世の中には余りある人も多い。私筋肉が思うに、筋肉は有り金に似ていて、一度身につけたら金輪際離したくないようだ。人に見せたい筋肉は日々の鍛錬とプロテインを飲むことにより生まれる。通常の運動によって作られた使う筋肉と違って、ボディビルダーが如くのようになる。それは一見して分かる。こうして作られた筋肉は人に見てほしくなっていく。白いタンクトップを着ることを好み、ハチ切れんばかりの両腕や、肉体に砲丸が入ったかのような“チカラコブ”を自慢する。胸の筋肉は両腕の動きとともにビクビクンと動き、その下の腹筋は、モナカアイスのように分割される。あ〜なんて美しいのだと鏡の中の自由に魅入る。さらに両足はとなると、両ももは巨大な手羽先のようであり、両ふくらはぎは、柳葉魚(シシャモ)の大親分みたいになる。二つのお尻の山はまるでスイカだ。こうなるとやはり体は褐色というか、小麦色でないとマズイ。オイルを塗っては、日焼けサロンの紫外線を浴びる。タンクトップ(Tシャツ)を着ると、スカスカしていたのがウソのようになる。ズルズル、ブカブカしていたジーンズはパチンパチンと両足にへばりつく。オオ〜ついた。“アーノルド・シュワルツェネッガー”になったぞよとなる。道を歩く時は人の視線が気になって、道の隅を下を向いて歩いていたのがウソみたいになり、さあ〜見てみろと、全身の筋肉を脈打たせる。ショーウインドーに写る自分に見とれて、時を忘れる。私筋肉はあるジムに通っていた時、そんな大筋肉の人たちを見た。そこは○×気なとこだと聞いて、エッ、ナニッ、ソ、ソウなのと知りジムをやめた。そう言われてみれば、みんなやけに鏡を見ていたなと思った。私筋肉は昨夜、作家三島由紀夫のドキュメンタリーのフィルムを見た。天は三島由紀夫にありとあらゆる才能を与えた。さらに確かな家柄と、不足なき財力も与えられた。天才としての要素を全て持っていた。当然のように語学力にも優れていた。だがしかし天は一つだけ三島由紀夫に与えなかった。それは生来の肉体的コンプレックスに対して、私筋肉を持たないことだった。歴史にもしがあるとしたらと私筋肉は思う。もし、三島由紀夫が生まれながらに、長身であり、運動神経に優れ、スポーツを愛し日々練習によって、“自分の筋肉”を持っていたなら、全く違った人生を歩きつづけたのではないかと。軍隊の入隊検査で丙よりも下で不合格になった。つまり国家に役立たないと苦悩した。ならば思想でと右翼的思想を持ったにせよ、もっと違った行動をとったのではないか。私筋肉はドキュメンタリーを見ていてそう思った。あまりにも純粋すぎて、あまりに劣等感に満ち満ちていた。今朝少しばかりのウォーキングした。近所の海岸の側にある、ウッドデッキのところに立ちつくし、深呼吸などをしていた。そこへ一人の浅黒い筋肉隆々の小さな老人が、ひと息つきに立ち止まった。短パンにタンクトップ、ビッシリと筋肉がついている。きっとロングランニングの途中だろう。オッイチニ、オッイチニと声をかけながら体をほぐしている。私筋肉はひと言声をかけた。オジイちゃん、いい筋肉してるね、“ミシマスキ”と言った。オジイちゃんはタオルで汗をふきふき、ナヌッみたいに私筋肉を見た。もう一度“ミシマサンスキ”と聞くと、“アリヤーオオシマだ”と言った。確かに遠くに大島がぼんやりかすんで見えていた。天才というのは実にややこしく生き、そして市ヶ谷の自衛隊内でと思った。筋肉さえついていれば。私筋肉はこのコロナ戦争を三島由紀夫なら、どう論じるだろうかと思った。老人は富士山に向って走り去った。プーマのランニングシューズが音もなく見えなくなった。(文中敬称略)

2020年5月26日火曜日

第68話「私は散歩」

私は「散歩」である。初夏の海ひねもすのたりのたりかな、家から歩いて7分で海岸に着く。歩道橋への階段を上り下ると、江ノ島までのサイクリングロードがある。ウォーキングロード、ジョギングロードでもある。右を見て富士山が出ていればそれに向い、あいにく見えなければ左へ向う。時速4K位の速さで歩くと、次々と人に抜かれる。時には健脚のご婦人にも抜かれる。15分位でバーベキューができる場所になる。ウッドデッキにつかまってスクワットを30回する。バーベキューは誰もしていない。30分すると辻堂海水浴海岸に着く、すぐ側に広い海浜公園がある。広い駐車場はいつもなら満車だが、すっかり空いている。いい気持ちで深呼吸をする。ここにはかつて“おでんセンター通りという有名な(?)通りがあった。今ではサーファーストリートになっている。朝までやっているおでん屋さんが、長屋のように軒を並べていた。私散歩は深夜とか早朝によく気にいった店に行った。わずか40、50メートル位のところに20軒ほどあった。“ひげ伝”というのが有名で2店あったが、私散歩は一人では行かない。他より高いのと気位も高い。私散歩が通った店には、若い頃中居正広もよく来ていた。彼は平塚出身である。今ではスーパータレント中居さんなのだ。高校が平塚学園であった。残念ながらその店は、先年火事で全焼となった。今は辻堂駅近所でカウンターだけで営んでいると聞いた。私散歩は好きなおでんが目の前にある場所が空いていたら入った。おでんはやはりカウンターでおでん種を見ながら食べるのがいい。座席とかカウンターだと気分がおでんにならない。基本はやはり屋台だ。九州に行った時、一度博多大丸前の屋台に知人と入ったら、ビックリするほど高かったので、間違いだろうとモメた事がある。観光客はいいカモなのだろう。バーロこれからずーと博多にいるんだから毎日来てやるからな。ナメた値段をつけるなよと言った。観光客相手なのでどうせ一見の客からは、ボッタクリだ。店と店がケータイでつながっていて情報を交換していた。昨日江ノ島神社まで歩いた。往復約6時間だ。でもいい風と香り、いい気温、人はかなり出ていた。鵠沼ガーデンプールあとの、スケボー練習場なくなっていた。少年たちは道格とかで遊んでいた。さあ、あと一時半で江ノ島灯台だ。かつてここにかかる橋には、たくさんのおでん屋とか、ハマグリ、アサリ、サザエを買うおばさんがいて名物だった。私散歩は自転車でよく食べに来た。そして潮風に乗ってペダルを踏んで家に帰った。ただし観光客相手にはすこぶる高い。橋を渡ると突き当たりに有名な店がある。ボロモウケの店だ。私が行ったら店の主人は留守だった。サザエのつぼ焼き、イカの丸焼き。トーモロコシ焼き、ハマグリの潮焼き、この五点プラス飲料で、がっぽり稼ぐ。ハマグリは、ハマグリ的、浅利は浅利的、つぼ焼きは金正恩的、とほとんどが外国産。江ノ島でなんかほとんど獲れない。オーイ! バカ者いると聞いたら、トウモロコシを焼いていた若い衆が、スミマセン今日は組合の寄り合いでと言った。家から2時間半かけて歩いて来たから、早く来いと言ってくれと言った。江ノ島もコロナ対策で寄り合いが多いらしい。昨年は台風. 15号19号で完全にギブアップだった。階段を上がり、本殿に着いた。どうかみんながコロナになりませんようにと、手を合わせた。ここまですでに2時間余であった。それでも気分はよかった。水族館に行きたかったが、閉館中みたいだった。江ノ島でサザエのつぼ焼き二個と、ハマグリ的を一個食し、缶ビールを飲んだ。潮の香りがいいのと、しょう油の香りで大満足。本殿で200円おさいせん箱に入れた。私は神頼みはむかしから一切しない。人はいつもより少ない。もともとこれ位がフツーだったのだ。体中汗がビッシリだ。知人のワイナリーのオーナーに、ケータイから電話して頼んだ。実はあるはずのものがなくて、実にみっともないことがあったのだ。トウモロコシはいくつ粒々があんの、と先程の店の若い衆に聞いたら、えっ分かんないスッよと言った。じゃまた来るから今後まで、粒々数えておいてと頼んだ(笑)。それからゆっくりと3時間かけて歩いて帰った。サザエのつぼ焼きはいい香りであった。中味のなくなったサザエさんをよく洗って乾かしてブルーのカラースプレーで塗ることにする。きっといい置物になるはずだ。(文中敬称略)

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2020年5月25日月曜日

第67話「私は反対」

私は「反対」である。私反対は早急に自粛要請を解除することに反対する。何故ならば“生命をとるか、経済をとるか”との二者択一の問題に、それは当然“人の命”だろうとなった。その道を選んだ以上、例え他国が解除したと言っても急いで真似することはない。私反対はすでにあらゆる場面を想定している。私反対などの業界が元に戻ることはない。ほぼアウトだと思っていた、英国のジョンソン首相が、本人の言う通り“もうダメ”だと思ったほど、新型コロナウイルスの感染力は強い。私反対がお世話になっているさまざまな会社や、お店は一大事となっている。年が明けわずか二、三ヶ月で世の中は一変してしまった。みんなこうなったら、腹を決めねばと思っている。私反対が、反対するのは国も都も、経済界や医師会も、専門家たちも信用できないからだ。現場でがんばってくれている、医師の方々や看護師さんや介護士さんには、心から感謝し尊敬をする。分母(検査数)を出さないで分子(感染者数)だけ発表しても、全く信用できない。100年に一度の世界的パンデミックだというのに、二、三ヶ月で解除して本当に大丈夫なのだろうか。昨日夜九時〜十時五分まで、NHKスペシャルを見たのだが、コロンビア大学教授の伊藤隆敏なんかの分析は、高校生でも話せる位の内容でしかない。NHKは政府の御用機関でもあるから、ゲストを選ぶ人間は都合のいい人でしかない。他に海外のノーベル賞経済学者とか、元アメリカの財務長官とか、700兆円のファンドマネーを動かす投資会社の人間が、コロナ以降の経済とか景気の話をしていたが、いずれも一部の富裕層とか、内部留保をしこたま持っている大企業が相手の話だ。日本の99.5%位は中・小・零細企業や、村や町や街の中のお店なのだ。これからは持続性のある経営をしなければ、などと言っているが、そんなことはできれば何の苦悩もないんだ。ブルジョア学者よと言いたい。今、そして短・中・長期をどうするのかを目線を下げて、ちゃんと学問的に話せよと言いたい。三菱総研だかの女性がいちばんマトモなことを言っていた。(楽観できないと)伊藤隆敏なんかは歴代内閣の相談役みたいのもやって来た学者で、日本を世界一の借金国にした。つまり持続的なことを政府に教えずに、時の政府のご都合主義に合わせて来たのだ。国民一人ひとりに850万円近い借金を背負せた人間の一人なのだ。お気軽論でボーとしてんじゃないよ! と言いたい。私反対にとっては若いスタッフの人は、人さまの子の命。それを授かっているのだから、何より命が最優先なのだ。NHKが新型コロナウイルスとは“何物”かもはっきり分かっていないのに。「ウィズコロナ」なんて言っている。ウィズするには、その相手が分かってないと、ウィズの仕方もファジーなのだ。例えが悪いが結婚しても一緒に暮らす相手をずっと知らずにいるようなものだ。世の中みんな、みんな、みんな苦悩し、泣いているんだから、もっと100年に一度に対する真剣さを見せてほしい。NHKには政府代表で西村康稔コロナ担当経済再生相が出演していたが、中学生レベルの話しかできないことに、泣けてしまった。都知事選にホリエモンこと堀江貴文が98%出馬か(?)と書いてあったが、出馬したら小池百合子はきっと勝てないだろう。何故なら。政界渡り鳥より、刑務所でクサイメシを食った人間の方に、無党派は一票を投じるだろう。私反対は“急いては事を仕損じる”の教えを守る。たとえ地獄になろうとも、人さまの子の命は守らねばならない。富裕層には預金供出令を。大企業には増税を。無駄な公共事業は中止、当然オリンピックも。国会議員は大幅に減員。そのお金を教育関係に。中・小・零細企業や、フリーター、いろんなお店には減税と、給付金をいち早く。私反対のところに政府のマスクも、給付金の申請書も来ない。が、固定資産税を納付せよはまたちゃんと来た。日本には感染学者の専門家は、白鴎大学の岡田晴恵教授しかいないのか(?) もう見飽きてしまった。100年に一度には、100年に一度に対応できる対制を願いたい。第二波、第三波はどんなことになるのだろうか、安倍内閣の支持率が27%台(毎日新聞調べ)になった。今からでも遅くない、最後の一仕事と思い、キャリア豊富な人間を結集してほしい。そして、もう少しはましな学者たちを呼んでほしい。少なくても大学生レベルの話ができる人だ。もっと在野から人材を集めてほしい。(色つきでない直言屋士)私反対は今月末まで、座敷牢生活をつづける。格言「教式で計れないのが感情だ」早朝まで今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」を久々に見た。もの凄い作品だ。日本の女性は強くてたくましい。(文中敬称略)


2020年5月22日金曜日

第66話「私は解除」

私は「解除」である。私解除を国民全体が求めている。私解除は昨日やんごとなきことがあり東京へ出た。午後三時頃に新橋へ着いた。列車の中はガラガラであったが、新橋はもっとガラガラであった。運動不足気味だったので、知人と待ち合わせをしている溜池方面に歩いて行った。やけに寒かった。この時期では32年ぶりの寒さだとあとで知った。いつもいる人々がいない景色は不気味だ。富士山がなくなった静岡とか山梨県みたいだ。立ち食いそば屋さんは閉業中、フリスクを買うかと思えばキヨスクも閉業中、機関車広場も人はマバラマバラ。SL横の喫煙所にも人はいない。マクドナルドの店に並ぶ人はいない。いきなりステーキ店は、いきなり閉店状態。おっメンズショップの高久はと見ると、開店しているがお客がいない。不気味な気分で歩いて全日空ホテルのコーヒーラウンジに着くと、気のせいか照明が暗い。入り口に清毒液があった。いつもはかなり人が入っているのだが、私解除以外11人しかいない。私解除はソロソロ、アチコチ、アレコレ解除になって行くのだろうが、長い長いトンネルを抜けると、そこは、もっと長いトンネルだったとなることを予感した。他県から東京へ来ない、外国人も来ない。聞けばラウンジにいつもいた女性たちは、間引きされているとか。当然外人さんの姿はない。いつも打ち合わせ場所に使っている、老ジャーナリストの田原総一郎氏の新聞を広げている姿もない。外はやけに寒い。中はもっと寒い。私解除と会った右系知人は、安倍内閣を武装解除、解体するのがこの国にとっていちばん大切だと、着席してすぐに言い放った。すこぶる怒っていた。民主党政権時代を悪夢の時代と言ったが、今では悪夢より悪い安倍政権時代としてその名を残すだろう。オーイ誰かいないのと声をあげた。いつもならいそいそとオーダーをとりに来る女性が少ないからだ。こういう内閣が続くと大地震が来るような事になる。ヤバイよ日本中がガタガタ揺れているんだから。珍しく私解除はずっと聞き役であった。何故かと言えば、私解除もそう思っているからだ。内閣の内部内崩壊ではないだろうか。黒川検事長のマージャン賭博はもう言葉を失う。カジノと犬が趣味なんてよく分かんねえ奴だ。パクる(捕まえる)側のボスが、パクられることを新聞記者(この人たちは情報入手のためならなんでもする)とやっていたなんて、実は前からそんなことは、知っていたが、それが外にダダもれするという、内部からのリーク(密告)で、政権がグリップされていないことをさらけ出した。なにしろ警察庁出身の幹部が、官邸にいてあらゆる情報をつかんでいる。(この中の誰かの指途だろう)FBIとかCIAと同じだ。きっと訓告処分位で退職金一億円近くを手にするのだろう。海に向かってバカヤローと声を発するしかない。(今日四時半頃の海はブルーグレー、波打ち際には釣り人ひとり)私解除は甲子園中止に涙する。来年の箱根駅伝も中止かもしれないとか、オリンピックもかなり中止に近づいている。私解除は新型コロナにお願いしたい。どうか少年少年の夢をイジメないで、新たな生命の誕生をイジメないで、私解除たち弱き者。貧しき者をイジメないでと。そして老人たちをイジメないでと。昨日午後七時東京駅から湘南ライナーに乗ったが、おもしろそうな人も、おもしろくない人も、あまり乗っていなかった。東海道線内がおもしろくなる日は来るのだろうか。柿ピーとか、サキイカの臭いがなつかしい。家に帰り、ネットフリックスの海外人気ドラマシリーズの続きを見る。何しろ長い。「ハウス・オブ・カード 野望の階段」、私解除はつくづく思った。やっぱり最後に勝ち残るのは、女性の魔力、女性の野望だ。すがりつく男との関係なんて、いつもカンタンに解除する。物語りはアメリカのホワイトハウス内の権力闘争と、女性たちの性力だ。新型コロナウイルス級に女性は怖いと、思いつつ私解除は明け方まで見ていた。



2020年5月20日水曜日

第65話「私は満席」

私は「満席」である。私満席は各界の興行主さんとか、各業種の店主や支配人、お女将さんたちに大いによろこばれた。今日はお客さま様が満席でよかった。そうですねようござんしたねと、店の看板の灯りを消したり、のれんを外して店の中に入れながら、私満席をよろこんでくれた。店の主人やお女将さんがお店で働く人に、まあ、今日はおつかれさん、冷たいビールでもとなった。日本語の中で「満」という字は、かなり好ましく使われている。マージャンの役満とか満貫。自信満々とか組合運動で給料の交渉満額解答。桜の花が満開とか、刑期満了、定期積立満期。他に満々とある、嫌な使われ方と言えば“満員電車”位だ。今はどこもかしこも閉店が多い、店を開けていても、満席なんて夢のまた夢だ。これからはソーシャルディスタンスとかで、口角泡を飛ばして議論風発なんて許されない、またお客も好まないだろう。マスクをした者同士が、マスクを外しては飲み、またマスクをする。またマスクを外しては酒の肴を口にする。奇妙なシーンが新常態となる。あ〜嫌だ嫌だの世の中になるのだろうか。昨夜映画「白と黒」を見た。脚本が橋本忍、監督は堀川弘通である。主役は小林桂樹と仲代達矢。当時の名優たちの名がズラリズラリとクレジットに出る。お〜久しぶりみんないい役者さんばかりだった。でもみんな死んでしまったなあ〜と思った。おっ、まてよ一人生きているぞと映画を止めた。「大空真弓」さんだ。当時は東宝の新人だったのだ。私満席が十代の時にこの映画を見たのだから、大空真弓さんはもうかなりのお歳だろう(女性に年令は禁物)確か七度位癌の手術をしたはずだが、常に前向きで明るく、知的で強い女性だと、神楽坂の焼鳥店に通う先輩に聞いた。その店は“○△ちゃん”と言って、著名人、芸能人、文化人のお客さんでいつも満席であった。大空真弓さんも通客であった、壁にサインした色紙があったのを、憶えている。映画での役は仲代達矢演じる若手弁護士の恋人役だった。(とても美しかった)この弁護士には愛人がいた。昭和は愛人の時代だ。夫は老弁護士で、若手弁護士はその先生のところで働いていたのだ。ある夜ベッドを共にしたあと、話がもつれて首をしめてしまう。そしてその場から逃げる。キャーッ死体を見つける、(夫人宅の女中さん)ところがすぐに犯人逮捕となる。その夜殺人現場近くでドロボーが捕まったのだ。若手弁護士はビックリする。担当になった検事(小林桂樹)は自白をさせる。が、詳しく調べるとどうも犯人は別にいるのではと思う。ドロボーの弁護士になんと、若手弁護士の事務所の先生、つまり殺された女性の夫が受けることになる。さあ〜この先は松本清張的ワールドになる。それは黒い世界だ。昭和の時代は、私満席の世界でもあった。満席の飲み屋、満席の喫茶店。満席のパチンコやビアホール。出世がからむ検事は自白を強要している。もし若手弁護士が自分が調べたように真犯人だったら、検事としての地位はパーになる。アスファルトではない砂利道の先にある旅館。暗い路地、千駄ヶ谷駅、ギューギューの満員電車、社宅に文化住宅。カーラジオからファンキーな音楽、大金持の娘、その娘と結婚して名を成したい若手弁護士、出世が近い敏腕検事。事件の先の白と黒とは。私満席は松本清張的映画の大ファンである。故三島由紀夫は文壇の中で、いちばんジェラシーを感じていたのは、松本清張だったと何かで知った。映画は見てのお楽しみだが、令和の時代でも冤罪は生まれる可能性はある。浮気や不倫は事件を呼び、人生を崩壊させる。検察庁の人事の法案があったのでこの映画を選んだ。1963年製作テレビは白黒であった。私満席の家にも小さな白黒テレビがあった。何故か画面の前には緞帳みたいのがあった。メーカーはゼネラルテレビだったはずだ。(文中敬称略)
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2020年5月19日火曜日

第64話「私は成程」

私は「成程」である。私成程は現在、座敷牢にいる時間が多いので、以前より何故だったのかと言うテーマが追えた。それはA・ヒトラーが生んだ戦車主体の機甲軍団が、戦史、戦略家も「こんな速い進軍は考えられない」と思っていた謎だ。何故一日二日で森林の中200数十キロも進めたか。又、空軍も海軍も潜水艦も、“アンビーバブレ! こんなの信じられない”作戦が可能になったか、等々である。その答えは、ドイツ軍はずっと眠らなかったのだ。私成程はエベレストに登頂するがごとく、ローレンス・フリードマンの「戦略と世界史/上下」約1000ページを30日位かけて、やっとこさ読んだ。浅学を極める私成程には難事なことであった。購入してから二年近く積んであった。ネットフリックスで「ヒトラーの共犯者」とか「ヒトラーと麻薬」とかのドラマシリーズや記録映画を見た。ヒトラーは第一次大戦の時はただの伝令だった。最高軍位は伍長であった。オーストリア生まれで生来胃弱な男、絵描きか建築家を目指していたが、才能はなかった。得意と言えばファナティック(狂ったような)な演説力だった。第一次大戦でコテンパンにされたドイツは、巨額の賠償金を負わされていた。不況のどん底だった。ヒトラーは伝令として従軍、銃弾飛び交う地獄のような塹壕戦の中で、被弾して戦場を離脱、入院生活をする。この入院生活の中で、体の中に潜んでいたサイコパス的性格が現われる。この取るに足らない胃弱な男に目をつけたのが、富裕層の代表で熱烈な人種差別主義者(反ユダヤ人)劇作家のD・エッカートであった。ある日ビアホールのような酒場で、熱弁をふるうヒトラーを見て、これぞ求めていた“救世主”だと決める。影響力が大きい、エッカートの支持を得てアレヨ、アレヨという間にリーダーとなって行く。私成程は知った、ドイツ第三帝国といっても、実は数人の側近たちによる権力と権欲の、取り合いであった。エッカートの一番弟子だった。ルドルフ・ヘス(副総統後に自殺)、策略家でゲシュタボのトップになったH・ヒムラー(後に自殺)片足が不自由で冴えない脚本家だった。Y・ゲッペルス、天才的な弁舌で宣伝相となる(後に自殺)冷血漢で最悪の男と言われた。M・ボルマン(後に自殺)突撃隊、E・レーム(後に射殺)そして一番の大物が空中戦で22機を撃遂したと言う、空軍の英雄H・ゲーリングであった。伍長だったヒトラーに、国民的英雄で空軍大将のゲーリングがつきナチス・ドイツは猛ビートで進撃を始め、奇跡的に第三帝国を生む。ゲーリングはモルヒネ中毒で、アル中だった。無類の美術収集家で、侵略した国々の美術品をかたっぱしから手に入れた。実業家で社交界のスターだったゲーリングがつかなければ、第三帝国は出現しなかったはずだ。私成程はそうかと知った。ゲーリングは精神科に入院していた。これら数人の異常な側近たちが、時に手を組み、時に敵対し、それぞれ疑心暗鬼を持ちながら、強大な権力と権欲を手にした。さて、話は長くなった。ドイツ軍は何故強かったのか。それは、戦後連合国が手に入れた資料で分かった。答えは“覚醒剤”である。酷い胃弱だったヒトラーは、主治医にいろんな薬を調合させていた、睡眠剤、精神安定剤、興奮剤、数十種に及ぶ覚醒剤であった。熱狂的演説をするヒトラーは、実はヘトヘトに疲れていた。性的コンプレックスを抱えていたので、シャブ中(覚醒剤中毒)になるのは必然であった。そしてドイツ軍全体をシャブ中にして行ったのだ。ドイツ軍は一睡もしないで進撃していたのだ。私に成程は合点がいった。一日に何本も打ったり、錠剤を服用した。陸・海・空ドイツ軍全体が眠らない殺人鬼と化して行った。シャブ中はエスカレートする。その先に「アウシュビッツ」などの強制収容所でのユダヤ人虐殺があった。“砂漠とキツネ”と言われたロンメルの戦車隊の奇跡は、シャブ中だからできたと分析された。(何しろ眠らないのだから、速い作戦が可能になる)ドイツ軍には何かあると読んだのは、英国のW・チャーチルであった。答えは薬物とつきとめ反撃に出たチャーチルは、薬品工場を徹底的に空爆して行った。日々数千万錠を必要としていたドイツ軍は、クスリが切れて、疲労度が過足度的にアップ、兵士はヘトヘトになって次々と敗戦をした。ヒトラーは朝から強力な覚醒剤や、胃弱の薬を打ったり飲んだりしなければ、恐怖と不安と戦えなかったのだ。サイコパスであったヒトラーが最後に側近にしたのは、若い愛人エヴァ・グリーンのために建てた、別荘の建築家A・シューペアであった。シューペアはサーチライトの天才と言われた。政治家でもなく、軍人でもなく、策略家、殺人鬼でもない一般人だった。シューペアは処刑されず20年の刑となり、七十六歳で死んだ。回想録を書き遺した。「恐ろしいのは物語りの始まりより、結末の見えない終り」だと言う。私成程はどこかの国の話に似ているなと思った。又、コロナは始ったばかり、その結末はと思うのであった。


2020年5月18日月曜日

第63話「私は残念」

私は「残念」である。私残念はずっと座敷牢生活をしている。4月17日と5月15日だけ東京に出た。ガラガラの列車、ガラガラの街、休業中の店ばかり、デパートもやっていない。こんなの見たこともない、終末的風景が広がっている。おもわず顔を叩いたら痛い、夢ではないのだ。15日夜ついにというか、やっぱりファッションの名門「レナウン」がとても残念になった。既に香港資本の傘下に入っていたが、コロナショックでトドメを刺されたようだ。かつてはNO1ブランドであった。私残念が食を得ている広告界には“レナウン以前。以後”という言葉があった。それは、レナウンの有名なCM「ワンサカ娘」が衝撃的であったことと、当時「太陽がいっぱい」という大ヒット映画の主役「アラン・ドロン」が、日本のCMに登場し、ヘンテコなフランス語(フランス語が分からないので)で「ダーバン」というブランド名を言った。小林亜星大先生の作曲によるCMソング「ワンサカ娘」は、おシャレで、動感があって、チャーミングで、画期的であった。♪〜 ドライブウェイに 春が来りゃ……プールサイドに夏が来りゃ……イェイェイェ イェイ イェイ……。と、みんなが口ずさんだ。’92年当時「日曜洋画劇場」という番組があった。淀川長治さんが番組のシメに「映画っていいですね〜、それじゃ、サイナラ サイナラ サイナラ」で有名であった。広告を目指す者なら、みんなこの番組を提供している四社の仕事したいと夢見た。私残念もその一人であった。「レナウン」「サントリー」「松下電器」(当時)「ネスカフェ」の四社であった。60秒のCMを流し、その作品で優劣を競った。クリエイターの超花形ジョブ(仕事)であった。CMソングの名作は数多いが、「ワンサカ娘」は歴史的名作だったと言える。レナウン以後外人モデル、先鋭的ファッション、超大物外人俳優が日本でも起用できる。その先駆けであった。日曜洋画劇場で他社よりいい作品をつくり広告賞をとらないと、制作者が変えられるという話まであった。四社はエース級のクリエイターたちを起用した。レナウン以前、日本のファッションは、“ネズミ族”と言われるほど地味であった。日本人は灰色のイメージであった。レナウンブランドはデパートに対しても、特別なポジションを得ていた。ファッションが文化となって行く。PARCOがデビューした時、「モデルだって顔だけじゃだめなんだ」とメッセージした。つまり顔やスタイルがよくたって、ファッションセンスがない人はダメよと言うことであった。“ファッションに強い国民になろう”がコンセプトだった。サントリーはスコッチの国イギリスで、“サーの称号”を与えられていた。ジェームズ・ボンド役「ショーン・コネリー」を“日本のウイスキー”のCMに起用するという快挙を成しとげていた。ネスカフェは「違いがわかる男」シリーズで遠藤周作先生を起用、松下電器は日本の電化文化を、三田佳子さんを起用して、軽妙かつコミカルに表現して数々の名作を世に出した。私残念は一張羅に“ダーバン”のスーツを買った。レナウンが再生されることを願う。大変お世話になった「オンワード樫山」さんや「三陽商会」さんも、かなり厳しいようだ。なんとか、がんばってほしいものだ。私残念の業界も先が見えない中にいる。ガランガランの銀座を歩いていると、ファッションのブランドショップも当然クローズしていた。このまま終わってしまわないでと、ショーウインドに声をかける。それにしても、小林亜星大先生は、演歌の「北の国」から、「ワンサカ娘」まで、360度の音楽の世界を持っている。私残念は心から大尊敬をしているのだ。ガンバレ! レナウン。このままサイナラ、サイナラ……にならないでほしいものだ。記憶が正しくないところがあるかも知れない。確かボギーこと、「ハンフリー・ボガート」がレナウンのアクアスキュータムのコートを着ていた。(通称ギャングコート)(文中敬称略)


2020年5月15日金曜日

第62話「私は無視」

私は「無視」である。何を無視するかと言えば、いわゆる「有識者会議」とか「専門家会議」という政府からお声がかかりの会議だ。これらの会議には、一言居士の人とか、石垣直角の正論居士の人とか、ノーベル賞受賞者とかの、最高学者はほぼ出席しない。と言うより政府は呼ばない。お上の言いなりになるいわゆる「御用学者」とか専門家、あるいわしっかりと言いふくめた通りに会議をリードできる人たちを集めるようだ。20人以上集まってやる会議となると、何もしゃべらない人の方が多い。でも日当はもらえるし、専門家会議に呼ばれて、気分は悪いことはない。飲み屋とか銀座のクラブなどに行って、今日は○×○×専門者会議に出てきたんだ。えっへんとなる。まあ〜なんだなあ、××君は×××で頭が固い。(?)(?)君は相変わらず(?)(?)でよく分からん。△△君は古い理論ばかりで勉強が足らん。で、先生はどんなことを言ったの、教えて、教えてと、大きなお乳を寄せられると、水割りなんかをこぼしながら、実は今日はワシが話すことはなかったのだ。会議の前日に政府の仕切り役から電話があって、こうして、あ〜して、こう話を進めますから、大先生はただひたすら、フムフムその通り、それでいいとの態度をとってくれとのことじゃった。キミ水割りがちょっと濃いね、お乳が体に触れすぎだ、キミはいくつ、かわいいね、生まれはどこ、えっ○×県ワシと同じだ、いいね、いいねとなる。付き人は女性が次々と出す名刺を、せっせと集めている。私無視はこんな風景をかつて夜の街で何度か見て来た。テレビのゲストコメンテーターを生業としているような、不届きな連中も多い。政府のスポークスマン「田崎史郎」と言う、恥知らずのジャーナリストとは会ったことはない。いわゆる評論家たちとか、アナリストとか、テレビ弁護士とか、客員教授、特任教授、専任教授とかいう肩書き教授たちだ。私無視は物好きなので、そんな教授とかアナリストたちがいると、ヤァ〜お久しぶりですなんて言っては、ちょいと同席し、まぁ一杯どうです。オ〜イちょっと黒服さんとか、チーママを呼ぶ。えっ、あなた誰(?)みたいにキョトンとされるケースもあるが、私無視は無視をして取材(?)する。みんな遊び慣れていないのが多い。自分のお金では飲める場所ではない。(私無視はずーと行ってない)私無視が無視しないのは、いわゆるゴロ新聞の社長や記者たちだ。発行部数500部位のペラペラ新聞で、途方もない広告料をとる。あるいわ裏情報を高く売る。夜の街は生きた情報の街でもある。怖い筋もいれば、ライトウィング系もいる。有識者とか専門家たちは、夜の街では取るに足らないつまんない存在である。女性にはまずモテない。御用学者はよく見るとわかる。必らず目が泳いでいる。周囲が気になるのだろう。そしてのどがよく乾く。女性の胸の谷間に目が釘付けになる。先生は御用学者ですよね、なんていきなり言うと、実にオドオドとする。中には、その通りだワッハハハと笑う強者もいる。こうした所でいい酒が飲めるからな。政府御用達の学者たちは、東日本大震災の時、次々とテレビに出て、原子力発電所は決してメルトダウンはしないと言い続けた。それ以来私無視は、御用学者は無視している。そんな事より、銀座、赤坂、夜の街が大ピンチだ。これは無視できない。政府の救済の対象外業務だからと言う。あれだけオッパイ触ったり、おしりを触っていたのに、あれは必要ないなんて、あまりじゃないのと、私無視は怒るのだ。職業で人を区別してはイケナイ。乳飲み児を抱えている女性や、女手一つで子育てをしている女性も多いのだ。ぜひ「夜の街救済の有識者・専門会議」を開催してもらいたい。私無視の友人を呼んでいただければ、きっとよろこんで参加する。又、「映画、演劇、音楽業界等救済会議」もすぐに開催してもらいたい。ミュージシャンやアーチスト、文化人たちが息も絶え絶えとなっているので至急を要する。この会議には私無視は参加できない。文化の知識を有していない。が人は紹介できる。(文中敬称略)


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2020年5月14日木曜日

第61話「私は周戦」

私は「周戦」である。終戦とは違う。新型コロナとの戦いに終戦はないことを、今後しっかりと身につけなければならない。グルグルと周回を繰り返す戦いが、このウイルスとの戦争である。時には大きく動き、時には静かに小さく動き回る。私周戦はこんな経験をしたのは、新型コロナウイルスがはじめてである。モノゴコロがついた時から戦さに明け暮れて来た。その場合はちゃんと相手が見えていたので、勝つための戦略とか戦術が成り立った。原始人類から現在の人間まで、歴史は戦いの歴史である。古代エジプト・ギリシャから現在に至るまで、人と人は戦争を周回させて来た。それはまた疫病との戦いでもあった。人間が動物である以上、疫病から逃れられない。人間が英知を集め疫病を克服しても、疫病も進化し人間を克服する。追いかけっこなのだ。“悪女の深情け”とか“情悪男の泣き落とし”と同じで、どこまでもヒタヒタとつきまとう。最後は生きるか、死ぬかになる。疫病を生むウイルスは“ヒトのココロ”を持つがごとく、あざ笑うように拡散する。疫病はほぼ制圧して来たが、その種は生きつづけている。ウイルスは完全にはくたばらない。人間でいえば、ジメジメと嫉妬深く、ヌメヌメと掴みどころがない。嫌な奴なのだ。見えざる手によって首を絞めるがごとく、人間を苦しめる。人間という字は、人と人の間だとしたら、今回の新型コロナウイルスは、人と人との間を2メートルに引き離した。社会と会社、人間と人間、家庭と近所、家族や夫婦、それらの距離が劇的に変化するだろう。この変化に応じる戦略と戦術がないものに明日はない。出口戦略と言うが、出口などはない。新型コロナウイルスはグルグルの同心円状だからだ。拡散するその周囲が大きくなったり、小さくなったりするだけだ。第2波、第3波と回る。人間は人類が進化した“動物”であることを、改めて知らねばならない。(動物界では唯一なんでも飲み食べる)私周戦は想像する。今日14日、解放された人々が、まあ〜長かったな、退屈だったな、もううんざりだよ、さあ、まあ一杯、マスクなんか取れよ、そんな2メートルも離れないでよ、お酒が届かないじゃん。えっ、国からのマスク2枚届いてないの、ウチもそうだよ。あ〜やっぱり外で飲む酒は旨いな、家でさ女房がお酌してくれたんだよ、ニタッと笑ってさ、不気味だったよ、命を大切にしてよだって。テレワークってやだね、このまま会社に来なくていいよ、と言われそうでさ。明日上司に呼ばれてんだよ。私周戦は久々にカミュの「ペスト」を読んだ。何をすべきかと言えば「自分のできることを誠実にする」と言うことであった。それをグルグルと周回させて行くしかない。一人ひとり、そしてみんなで。新型コロナウイルスと「共生」する。孫子曰く「相手を知り、自分も知って戦わないで勝つ」。まずは、堅気の人は手を洗う。ヤクザ者は、足を洗う。そして次へ……。すこぶる誠実に生きて来た、私周戦は明日東海道線でいざ東京へ。
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2020年4月30日木曜日

第60話「私は家賃」

私は「家賃」である。落語の世界では私家賃を取り立てる大家さんが多く出てくる。話の分かる大家さんもいれば、鬼のような大家さんもいる。総じて江戸時代長屋の大家さんは善い人であったようだ。“職人殺すには刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい。”と言われた。職人たちは雨が降ったら仕事ができないからだ。私家賃も職人さんたちと同じで、雨ならぬ電話が三日も鳴らねば仕事にならない。それが一ヶ月、二ヶ月と続くと、大家さんに頼んで私家賃をしばし止めてもらいたいとか、この際少しばかり相談に乗ってもらいたいとなる。私家賃の亡き父は貧乏弁護士であった。専門が「借地借家法」であった。出て行ってくれと言う、大家側の弁護士は成功報酬は高いが、亡き父は出て行かされる方の側なので、全く報酬には結びつかない。故に貧乏であったと亡き母からよく言われた。鬼のような大家は幼い子どもがいる家族でも、強制執行をして家の外に放りだしたと言う。大きな家屋敷に住んでいる人間は、ほぼ悪事に手を染めているか、金の亡者が、代々弱い民からなけなしの金を、搾り取っている人間と思って間違いない。世のために人のために生きていたら、大きな家屋敷に住むことはできない。亡き父はそう語っていたと言う。私家賃は今日参議院の予算委員会を、朝から午後四時頃まで見ていた。今、世の中の仕事は殆ど動いていない。各種企業をはじめ流通や飲食、映画演劇など娯楽施設をはじめ殆どが、自制・自粛している。そしてフリーランス。それぞれみんな私家賃の支払い問題を抱えている。仕事があってこその私家賃だからだ。小は畳一畳から大は大フロアのオフィスまで、お客が入ってこその商業ビル。そこに入っているテナントが全部出てしまったら、ただの箱空間になる。国会風景を見ていると、与党席の何人かが熟睡しているではないか(名は伏す)そんなアホ人間に、今大問題の私家賃を心配する気など毛頭ない。私家賃の住んでいた、杉並区天沼の小さな家には、父亡きあと、大家から追い出された人たちの裁判記録の書類が、山ほどあった。財産らしき物は何もないのに、なんでこんなに書類があるのと、差し押さえに来てアレやコレやに赤紙を貼っていた、役所の人間が言っていた。その頃私家賃は中学生だった。家賃を滞納していたからだと知った。私家賃は金持ちに嫌悪を感じるのは、家中ベタベタの赤紙を見たせいだろうと思う。時代劇の中の大家にはヤクザを使って追い出す悪人が多い。今も続いているか分からないが、かつて毎月15日は競売の日だった。会社が倒産したり、諸事情で破産したり、家賃が払えず強制執行されたりした諸物件が、競売にかけられる。その日、その日の仕切り役が事前の談合で決められていて、アレはアソコ、ココはオレ、アレとアレはこうして、ああしてと次々に競売は進んでいく。伝統ある老舗旅館とか、誰が何をやって建てたのかという大邸宅や、私家賃が住んでいたような家屋まで、二束三文のような値段で取り引され競売成立となる。役人たちは見て見ぬふりでシャンシャンとなる。今話題の地面師たちだったのだろうと思う。少年時代の忘れられない光景だった。国会を見ていて思った。これからは家賃問題に取り組む法律家や、政治家が国民の支持を得るはずだ。給付金は一回か二回こっきりだが、家賃は何年もだからだ。私は亡き父の遺影に向って、日本国中“家賃”の問題になったよと声をかけた。神田の古本屋さんに行くと、亡き父が著した専門書物があると、聞いた記憶がある。私家賃は貧乏人の代弁者であった亡き父を誇りにしている。悪事悪業をしない貧乏は人間の誇りなのだ。五月七日まで休筆をする。いい弁護士を必要としている人には、いい人を紹介する。



2020年4月28日火曜日

第59話「私は電気」

私は「電気」である。私電気には忘れられないことがある。少年の頃、私電気は暗くなると家に帰り、茶扶台の上に乗って電気をつけるのを心掛けた。亡き母が外へ働きに出ていて、私電気たち六人の子を育ててくれていた。父を亡くしてから母は、小・中学校に問題集や文房具の販売をしていた。重い見本を持って歩き回る。絵や書道の道具、裁縫の道具や運動用具なども注文をとっていた。まい日帰りが遅い、幼稚園に迎えに来てくれるのは、いつも暗くなっていて、私電気は一人園長先生と母を待っていた。(天沼幼稚園をよく憶えている)暗い中で手をつないだ母の手はすべすべしてあたたかであった。フツーの子より一年長く幼稚園に通った。小学生になった時から家に帰り、私電気は電気をつけた。兄姉は学校や仕事に行っていて、明るい内には帰って来ないからだ。私電気は伝書鳩を飼っていたので朝と夕方にエサをやり、一日一回は飛ばしてあげないと鳩が運動不足で病気になる。ニワトリが四羽いてエサをあげる。猫と犬が一匹づついてエサをあげ散歩をさせる。母が働きづくめで疲れて帰って来て、暗い家だとかわいそうなので、私電気は電気をつけて、雨戸を閉めた。そして遊びに出た。自転車に乗って友だちがいるところに向った。この習慣は長くつづけた。ある日いつものように家に帰ると、まっ暗い茶の間に長兄が一本のローソクを立てていた。停電かと思ったが、近所の家は明るく電気がついていた。七時半頃母が帰って来て、あらどうしたの、あっ電気料金を払ってなかったから止められたのねと言った。私電気は長兄と自転車に乗って、荻窪の四面道という所にあった、電気会社の営業所に行ってお金を払った。家に帰ると電気がついていて明るかった。私電気はそれ以来電気会社が嫌いになってしまった。後年仕事をさせてもらった時、この時の話をした。今、何故こんな古い思い出話(エッセイ本にも書いた)を書くかと言えば、私電気たちは今新型コロナウイルスの問題でこれ以上なく暗い中にいる。検査数を発表せずに、感染数だけを発表すると言うイカサマ数字で、明日という日が“明るくない日”の思いを強くしている。国を明るくするのが国の役目だが、イカサマが横行している。私電気はずっと東海道線に乗っていないので、私の大好きな変な乗客とか、オモシロイ乗客を見ていない。昨日久々に東京へ向ったが、列車はガラガラであった。ステイホーム週間とか、またまた都知事がカタカナ語を発した。“家にいよう週間”の方が、ご老人や子どもに分かりやすいはずだ。ずっと家に居ると明るい話ばかりではない。この先を考えるとそれぞれ暗い話となる。私電気はきっと電気代も払えない家が出てくるだろうと予測する。466億円の予算をとったアベノマスクの配布はまだ4%、品質不良で検品やり直し。 “にわか業者”に5億2千万円の隋意発注(指名)実際にマスクにかかる費用は、まっ暗闇の中。コロナで座敷牢生活をしている中で、網淵謙錠(故人)の「乱」を読んだ。幕末から明治までの詳細な本である。いかに国を守り、国の将東を考えていたか、諸外国と丁々発止のやりとりができる、人材教育に投資をしていたかが分かる。幕末・江戸末期の徳川家には、有能な人材が実に多くいた。私電気は思う13人に一人が、学費が不足していて退学を考えているという、大学生さんを守るために、予算を使うべしと。国を明るくしてくれる人材を育てなければ、この国の未来はない。マスクは作れるが、有能な人材はすぐにはつくれない。“学力は電力だ”、私電気はそう思うのだ。(文中敬称略) 

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