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2020年4月30日木曜日

第60話「私は家賃」

私は「家賃」である。落語の世界では私家賃を取り立てる大家さんが多く出てくる。話の分かる大家さんもいれば、鬼のような大家さんもいる。総じて江戸時代長屋の大家さんは善い人であったようだ。“職人殺すには刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい。”と言われた。職人たちは雨が降ったら仕事ができないからだ。私家賃も職人さんたちと同じで、雨ならぬ電話が三日も鳴らねば仕事にならない。それが一ヶ月、二ヶ月と続くと、大家さんに頼んで私家賃をしばし止めてもらいたいとか、この際少しばかり相談に乗ってもらいたいとなる。私家賃の亡き父は貧乏弁護士であった。専門が「借地借家法」であった。出て行ってくれと言う、大家側の弁護士は成功報酬は高いが、亡き父は出て行かされる方の側なので、全く報酬には結びつかない。故に貧乏であったと亡き母からよく言われた。鬼のような大家は幼い子どもがいる家族でも、強制執行をして家の外に放りだしたと言う。大きな家屋敷に住んでいる人間は、ほぼ悪事に手を染めているか、金の亡者が、代々弱い民からなけなしの金を、搾り取っている人間と思って間違いない。世のために人のために生きていたら、大きな家屋敷に住むことはできない。亡き父はそう語っていたと言う。私家賃は今日参議院の予算委員会を、朝から午後四時頃まで見ていた。今、世の中の仕事は殆ど動いていない。各種企業をはじめ流通や飲食、映画演劇など娯楽施設をはじめ殆どが、自制・自粛している。そしてフリーランス。それぞれみんな私家賃の支払い問題を抱えている。仕事があってこその私家賃だからだ。小は畳一畳から大は大フロアのオフィスまで、お客が入ってこその商業ビル。そこに入っているテナントが全部出てしまったら、ただの箱空間になる。国会風景を見ていると、与党席の何人かが熟睡しているではないか(名は伏す)そんなアホ人間に、今大問題の私家賃を心配する気など毛頭ない。私家賃の住んでいた、杉並区天沼の小さな家には、父亡きあと、大家から追い出された人たちの裁判記録の書類が、山ほどあった。財産らしき物は何もないのに、なんでこんなに書類があるのと、差し押さえに来てアレやコレやに赤紙を貼っていた、役所の人間が言っていた。その頃私家賃は中学生だった。家賃を滞納していたからだと知った。私家賃は金持ちに嫌悪を感じるのは、家中ベタベタの赤紙を見たせいだろうと思う。時代劇の中の大家にはヤクザを使って追い出す悪人が多い。今も続いているか分からないが、かつて毎月15日は競売の日だった。会社が倒産したり、諸事情で破産したり、家賃が払えず強制執行されたりした諸物件が、競売にかけられる。その日、その日の仕切り役が事前の談合で決められていて、アレはアソコ、ココはオレ、アレとアレはこうして、ああしてと次々に競売は進んでいく。伝統ある老舗旅館とか、誰が何をやって建てたのかという大邸宅や、私家賃が住んでいたような家屋まで、二束三文のような値段で取り引され競売成立となる。役人たちは見て見ぬふりでシャンシャンとなる。今話題の地面師たちだったのだろうと思う。少年時代の忘れられない光景だった。国会を見ていて思った。これからは家賃問題に取り組む法律家や、政治家が国民の支持を得るはずだ。給付金は一回か二回こっきりだが、家賃は何年もだからだ。私は亡き父の遺影に向って、日本国中“家賃”の問題になったよと声をかけた。神田の古本屋さんに行くと、亡き父が著した専門書物があると、聞いた記憶がある。私家賃は貧乏人の代弁者であった亡き父を誇りにしている。悪事悪業をしない貧乏は人間の誇りなのだ。五月七日まで休筆をする。いい弁護士を必要としている人には、いい人を紹介する。



2020年4月28日火曜日

第59話「私は電気」

私は「電気」である。私電気には忘れられないことがある。少年の頃、私電気は暗くなると家に帰り、茶扶台の上に乗って電気をつけるのを心掛けた。亡き母が外へ働きに出ていて、私電気たち六人の子を育ててくれていた。父を亡くしてから母は、小・中学校に問題集や文房具の販売をしていた。重い見本を持って歩き回る。絵や書道の道具、裁縫の道具や運動用具なども注文をとっていた。まい日帰りが遅い、幼稚園に迎えに来てくれるのは、いつも暗くなっていて、私電気は一人園長先生と母を待っていた。(天沼幼稚園をよく憶えている)暗い中で手をつないだ母の手はすべすべしてあたたかであった。フツーの子より一年長く幼稚園に通った。小学生になった時から家に帰り、私電気は電気をつけた。兄姉は学校や仕事に行っていて、明るい内には帰って来ないからだ。私電気は伝書鳩を飼っていたので朝と夕方にエサをやり、一日一回は飛ばしてあげないと鳩が運動不足で病気になる。ニワトリが四羽いてエサをあげる。猫と犬が一匹づついてエサをあげ散歩をさせる。母が働きづくめで疲れて帰って来て、暗い家だとかわいそうなので、私電気は電気をつけて、雨戸を閉めた。そして遊びに出た。自転車に乗って友だちがいるところに向った。この習慣は長くつづけた。ある日いつものように家に帰ると、まっ暗い茶の間に長兄が一本のローソクを立てていた。停電かと思ったが、近所の家は明るく電気がついていた。七時半頃母が帰って来て、あらどうしたの、あっ電気料金を払ってなかったから止められたのねと言った。私電気は長兄と自転車に乗って、荻窪の四面道という所にあった、電気会社の営業所に行ってお金を払った。家に帰ると電気がついていて明るかった。私電気はそれ以来電気会社が嫌いになってしまった。後年仕事をさせてもらった時、この時の話をした。今、何故こんな古い思い出話(エッセイ本にも書いた)を書くかと言えば、私電気たちは今新型コロナウイルスの問題でこれ以上なく暗い中にいる。検査数を発表せずに、感染数だけを発表すると言うイカサマ数字で、明日という日が“明るくない日”の思いを強くしている。国を明るくするのが国の役目だが、イカサマが横行している。私電気はずっと東海道線に乗っていないので、私の大好きな変な乗客とか、オモシロイ乗客を見ていない。昨日久々に東京へ向ったが、列車はガラガラであった。ステイホーム週間とか、またまた都知事がカタカナ語を発した。“家にいよう週間”の方が、ご老人や子どもに分かりやすいはずだ。ずっと家に居ると明るい話ばかりではない。この先を考えるとそれぞれ暗い話となる。私電気はきっと電気代も払えない家が出てくるだろうと予測する。466億円の予算をとったアベノマスクの配布はまだ4%、品質不良で検品やり直し。 “にわか業者”に5億2千万円の隋意発注(指名)実際にマスクにかかる費用は、まっ暗闇の中。コロナで座敷牢生活をしている中で、網淵謙錠(故人)の「乱」を読んだ。幕末から明治までの詳細な本である。いかに国を守り、国の将東を考えていたか、諸外国と丁々発止のやりとりができる、人材教育に投資をしていたかが分かる。幕末・江戸末期の徳川家には、有能な人材が実に多くいた。私電気は思う13人に一人が、学費が不足していて退学を考えているという、大学生さんを守るために、予算を使うべしと。国を明るくしてくれる人材を育てなければ、この国の未来はない。マスクは作れるが、有能な人材はすぐにはつくれない。“学力は電力だ”、私電気はそう思うのだ。(文中敬称略) 

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2020年4月27日月曜日

第58話「私は学習」

私は「学習」である。ずーと座敷牢生活を私学習はしている。この二週間近所に住む息子以外誰とも会っていない。(鍼灸の達人には来てもらった)どこにも行ってない。バスもタクシーにも乗っていない。二週間で使ったお金は、達人にお支払いした以外は3000円位である。新聞代が殆ど、禁酒しているので酒代ゼロ。キリンの「生茶」と、「ボルビック」のミネラルウォーター、大好きな「みたらし団子」、「甘栗むいちゃいました」「ノザキのコンビーフ」、「十勝チーズ」、「ところ天」、「豆まんじゅう」、「ノンアルコールビール」、「ジャンボモナカアイス」「むかしながらの酢昆布」など。私学習は3000円あれば二週間現金を使わずにいられることを学んだ。が、J-COMとネットフリックスで、有料映画を30本近く見たから、それは別途料金として、口座から落とされる。毎日下半身に負担のかかるストレッチをしているので、筋肉がパンパンになっている。シャドーボクシングを3R×2分。一日15時間以上テレビとか映画を見たり、古い新聞を読んだり、大長編小説を一日30ページ(2時間かかる)読んだりしていると、粗末な椅子なのでオシリがカチンコチンに固くなってしまう。この度の新型コロナウイルス問題に近い、パンデミックの映画も数本見た。又、世の中でいわゆる知識人、文化人といわれている人たちが、どんなメッセージを語るかとチェックしていた。博士、哲学者、科学者、社会学者、漫画家、コピーライター出身の経営者、小説家、教育者、人類学者、医師、経済人、作家、などなどであった。人生のなんたるかを全く経験していない、社会学者古市憲寿なる若者の、中身のないスカスカの文明論を語る早口に、バーロ10年早いよと思った。もっと人生に鍛えられてから、ノーガキを言えと思った。勉強はできても、アタマが悪い。真実と理論は違う。すっかりテレビタレント気分になっている我が身を、この際学べと私学習は思うのだ。(もっとタレントさんを見習え)NHKのチコちゃん風に言えば、ボーとして生きんじゃネエよみたいで、「その存在のあまりの軽さ」という映画の題名みたいだ。この14日間でオッと気づかしてくれる人が一人いた。その御方は高名な建築家であった。曰く「箱から出よ、自然と共生せよ、みたいなことであった。家という箱の中に住み、通勤列車という箱で運ばれ、会社という箱の中で仕事をする」この定められた日常が、新型コロナウイルスの波紋によって、家から出るな、街へ出るな、観光地には行くな、飲食、レストランに行くな、つまり箱に向うなと言うことだと思った。日本人は箱人間であった。私学習はテレワークとか、全くできないがこれからの時代は、会社という箱社会が急激に変化するだろう。出世とか肩書文化は、いかにつまらないものかを知るだろう。私学習はピラミッド型の社会は終り、個人の個性を生かした、石垣的個ラミッド型の会社が生き残って行くだろう。会社を大きくする時代は終る。第二次世界大戦の大敗北によって、日本は民主主義を学んだ。コロナ戦争に何を学ぶかで、国も社会も、会社も個人も、その価値が判断されるだろう。私学習はチコちゃんに、ボーと生きてんじゃネエよ!と叱られないように、と思っている。これから生きていく時間を、私学習は学習する。つくづく拝金主義社会の無惨を知る。新型コロナウイルスの出現で壊滅となる。箱から出ることを許される日が来たら、箱を見直して行こう。昨夜アカデミー作品賞候補作になった。「マリッジ・ストーリー」を見た。2時間16分、その殆どを夫婦の離婚話に尽いやす。これほど夫婦のセリフの多い映画は、いままでにないだろう。結婚大好き、離婚大好き国家アメリカの、離婚訴訟がよく分かる。コロナ離婚が相当数でると予想されている。箱の中でもう嫌だ、嫌だ、あ~嫌だと思っている人に、ぜひおススメの映画だ。私学習は今日久々に東京へ箱に乗って行く。(文中敬称略)




2020年4月23日木曜日

第57話「私は波紋」

私は「波紋」である。私波紋は一つ何かが起きると、小、中、大と広がって行く。現在午前四時四十九分(テレビ画面のデジタル表示)NHKの「クローズアップ現代」の再放送を見ている。「“イベント中止”文化は生き残れるか」だ。コロナウイルスにより、私波紋が生じあらゆるイベントが中止になっている。劇作家・演出家の「平田オリザ」さんがインタビューに応えている。大手芸能プロダクションの社長やイベントプロデュース会社の社長、音楽プロデューサーの「つんく」さん、又純烈というグループのマネージャー(社長かな[?])新日本フィルハーモニーの代表みたいな人。瀬戸内の美術館の館長、女性の画家とかが、私波紋がありとあらゆる分野の人たちに広がって、これ以上はやって行けないと、口々に言う。カレンダーやスケジュール帳は、中止、中止、中止である。私波紋は歌舞伎、宝塚、オーケストラ、ライブコンサート、演劇、個展、美術展、お笑いの舞台、およそ人が集まるもの全てに広がっている。CDが売れなくなった時代、ミュージシャンはライブが命綱である。この二ヶ月位でライブが8万以上中止になったと言う。現在はもっと、もっと増えている。ライブに欠かせない、音響や美術、照明機材など私波紋はとめどなく広がっている。歌手から“歌”を取ったら、“手”だけになってしまう。その手だけでは食べて行けない。私波紋はところで文化庁の長官は誰(?)と思う。最大級の補正予算を組んだと言うが、“真水”は28兆円位しかないと分かった。(私は38兆円位と思っていた)ここから国民一人ひとりに10万円支給とか、ややこしい条件を満たした四苦八苦のところに、30万円支給とかに分配される。が、どこにも文化を救済、支援する予算はない、いわば“ゼロ”なのだ。イギリス34万、フランス30万、ドイツ24万と申請後すぐにアーチストに支給される。オイオイ何やってんだよ文化庁と言いたくなるではないか。平田オリザさんが言うには、この国は文化への支援が、先進国の中でかなり下位なんだとか。やっぱり石原慎太郎さんクラスの人が、オイ金を出せ! と言わないと文化は衰退して、みんな食べて行けなくなる。気合が入っている文化人が思い当たらない。私波紋はいつまで広がり続けるのか、コロナ次第で視界不良だ。音楽がないのはイロハがないのと同じだ。人の心が不安増大、家の中でストレス満杯になっている今こそ、文化を守るために予算が必要なのだ。肥満膨張の文部科学大臣には、文化の欠片も感じない。映画関係も強烈なダメージを受けている。全国のお祭りやイベントも中止、中止、中止。的屋の親分衆も泣きが入っている。(屋台が出せない)世の中は私波紋でざわざわしているのだ。そうか、とりあえずCDをジャンジャン買ってとお願いする。アマゾンで買えるのだろうか、私波紋には分からない。“ライブはライフ”でもある。テレビに出ていた人たちが、あと二ヶ月今のままが続いたら、みんな失業転職だと言っていた。現在午前五時五十八分天気予報が流れている。眠気はないので私波紋は、アタマをクールダウンさせるために、知人から借りている、「ライ・クーダーのパリ、テキサス」のCDを聴くことにする。モーニングコーヒーを一杯。クリント・イーストウッド監督の「ミスティック・リバー」を久々に見たのだが、すばらしい映画だ。(はじめて見た時よりよかった)ショーン・ペンがアカデミー賞で主演男優賞を受賞した。(最高)人間は過去から逃げることはできない。一度受けたトラウマは消去できない。私波紋は今無性にライブコンサートに行きたい。コロナが生んだ私波紋はいつ消えることができるのだろうか。


2020年4月22日水曜日

第56話「私は数字」

私は「数字」である。私数字は実は数学が大の苦手である。が、数字を理解することはできる。ここに記す数字は、元通産官僚古賀茂明氏が、四月二十二日の日刊ゲンダイに示した数字だ。アベノミクス7年の悲劇/「沈みゆく日本経済と産業」という、新連載シリーズの第一回であった。それを知った感情は省く。私数字が大ファンである、同志社大学「浜矩子教授」がノミクスと言っていた通りの数字だ。史上最低の日銀総裁黒田東彦の罪も大きい。病的嘘つきと、病的ホラ吹きが仕組んだ愚策のツケは大きい。医薬に詳しいある賢人が、我が国のリーダーの病的嘘つきは、現在服用している強力な薬の副作用で、すでに本人は自分が何を言っているのか、何を言ったのか分からない。そして誇大妄想になる。アドルフヒトラーも同じだったと言う。当然内閣の大臣たちはそれを察知しているのだろう。国民はそんな分別もつかないリーダーに支配されている。で、数字だがGDP(国民総生産)で見ると、1990年ごろ日本のGDPは米国の半分以上あったのに、2018年には4分の1に満たなくなった。中国は2010年に日本を追い越し、18年には日本の2.7倍と大人と子どもの差に。一人当たりのGDPの世界順位でも90年代は常に1桁で2000年には2位だったが、安倍政権になってからは、民主党政権の10位台から一気に下降し、18年は26位、アジア・中東でも何と7位。物価上昇分を差し引いた実質的な給料は、ずっとマイナス4%以上減っている。21世紀に入って先進7ヵ国で実質賃金が下がっているのは日本だけ。そして世界一の借金国。支持率を気にするために、日銀にバンバン株を買わせる。日銀はバンバン紙幣を刷る、そして赤字は増える負のスパイラルだ。エラソーに黒田総裁は、トリクルダウンだなんて言ったが、トリプルダウンだ。シャンパングラスを積み上げて、下に落ちて来たのは、マスク2枚だけ。米軍では使えなくなったオンボロ機をジャンジャン買わされる。本当はこの人がやらねばならないはずの、財務大臣麻生太郎は、まったく無視され状態何の影響力もない。ただ持っている莫大な資産に、おこぼれチョーダイと人数が集まった。その数字だけが影響力。私数字はこの政治家を見ていると、この国が悲しくなる。政権中枢にいても座る座布団がない。九州男児としての誇りも、政治家としてのプライドも持てないほどボケている。実に見苦しい存在だ。100年に一度と言われている、コロナウイルス問題を他人事にしか見ていない。私数字は今日本全国の大企業以外の、中小零細企業や飲食店、各種フリーランス、各文化人、映画人、ミュージシャン、劇団関係、演劇人、各種楽器演奏者、各種料理教室、陶芸や絵画教室、ミニシアター経営者、などなど文化の力で人の心を動かしてくれる人々が、このままじゃアウトだと言っているのを聞く。ドイツではまっ先に文化人たちを守る手を打った。それは人々の心を守ってくれるからだ。私数字は思う間違いなく史上最悪最低の七年間の政治だと。私数字はナメたらいかんぜよと言った、夏目雅子さん(故人)の映画を思い出す。~「何から何まで真っ暗闇よ すじの通らぬことばかり 右を向いても左を見ても ばかと阿保のからみあい どこに男の夢がある」と歌った、鶴田浩二さんを思い出す。現在午前七時四十二分四十六秒。眠気が来ない。昨夜太宰治原作の「ヴィヨンの妻」を見た後、作ることはできない短編映画のシナリオを書いた。私数字は“√2ヒトヨヒトヨニヒトミゴロの映画を作りたいのだ。そう言えば小泉進次郎という大臣は、とんとお目にかからないが、まだ育休中で、ミルクをあげているのだろうか。私数字が待望するキャリア豊富な人が、きっと世を救ってくれるはずだ。北朝鮮の魔王「金正恩」はオプソ(終り)なのだろうか。(文中敬称略)




2020年4月21日火曜日

第55話「私は程々」

私は「程々」である。カタカナにすると、ホドホドだ。「過ぎたるは及ばざるが如し」と言う教えがある。誠に不謹慎を承知で書く。ある記事によると、今、世界中で避妊具をフル操業をしても製産が間に合わないと言う。今は亡きCM界の天才(映画もよかった)市川準氏が手掛けたヒットCMに、亭主元気で留守がいいと言うのがあった。タンスにゴンと言う商品だったと記憶する。今全国でコロナ連休中の人が多い。亭主元気で家に居るのだ。私程々は月刊文藝春秋五月号/総力特集コロナ戦争の中で読んだものを思い出した。それは国際日本文化研究センター准教授・磯田道史さんの「感染症の日本史~答えは歴史の中にある」その中のものだ。明治四年シベリア海岸で牛疫が流行している。これはヨーロッパで大きな被害をもたらした伝染病で、日本中の家畜の死亡もありうる。駐上海の米国領事が、駐日公使宛に送った手紙だったとある。これを受けて明治政府は、後に「近代的な感染病対策」の先駆けとなるものを布告した。今でいえば「国民への生活面での自粛要請」であった。私程々は実に感心する。「牛疫」はヒトには感染しないものであったが、明治政府の指示は、実に細部に立ち入っていた。中でも、衣服を清潔に保つこと、掃除をすること、窓を開けて換気をすること、さらに房事すなわちセックスは節制すべしと要請した。ずっと家の中に居るとつい致し方ないとなるのは、人類の本能である。今、世界中で元気な亭主が家に居る。そこで大量の避妊具が消費されているのだろう。私程々はそうか、元気な年代がウラヤマシイなと思っている。先日一組の夫婦が酒を飲んでいて(5時間位)妻が夫に、あなたの稼ぎが少ないからと夫にからんだら、夫はふざけんなと妻を数回殴打したら、死んでしまったという事件があった。きっと飲み出した時は仲良しだったのだろう(?) 明治政府が布告したように、セックスは最も濃厚接触であることは言うまでもない。ホドホドにと私程々はアドバイスする。男と女がオスとメスになった時、つまり激情のあとによく事件は起きるのだ。計画的にするべし、又、子どもたちの教育的にも注意すべしだ。お役人が生んだ「濃厚接触」と言う(?)キワドイ言葉は、きっと3密と共に、流行語大賞に選ばれると思うのだが、教育上実によろしくない。私程々は思うのだが、広告界は世の中に何も発信貢献していないなと。あらゆる業界、あらゆる分野の人々が、あらゆるカタチで、家にいよう”“医療従事者の人々に感謝しようとメッセージを発信しているのに。私程々は今何をすべきか早急に考えている。少子高令化は日本を滅ぼすはずだから、子どもづくりは大賛成だ。政府はこの際国策的援助として、濃厚接触激励交付金みたいな予算を組んでほしいと思う。昨夜「よこがお」という映画を見た。一人の主婦がはじめて入った美容院で、一人の若い美容師に出会う。そして……。亭主は元気がいいに決まっているが、女房を不満足のままにしているとオドロシイことになる。「紙の月」という映画も同じであった。私程々はホドホドをススメる。
                     (磯田道史准教授文章より一部抜粋)


2020年4月20日月曜日

第54話「私は電話」

私は「電話」である。私電話は今では携帯が常識である。私電話はガラケーというのを五年程前から使用しているのだが、上手に使いこなせていない。留守電入れておいたけどとか、ショートメールをしておいたけどと言われても、そのやり方がよく分からない。多くの人にご迷惑をかけている。どえらいお叱りも受けた。今日は昨日とうって変わって二月頃の温度で寒い。そして雨がシトシト降っている。懲役刑には労役という労働があるが、禁固刑には労役がない。私電話は今は座敷牢内で禁固刑を務めているような状態だ。労役をすれば一日いくばかの日当がもらえるが、私電話は一日何もしないと、無収入となる。人間働ける内は働いた方がいいというが、今改めて仕事のありがたさ、働くことのありがたさを知る。つれづれなるままにガラケーを手にして、すっかりごぶさたしている人に電話をする。そうすると相手の方が、まるで宝くじで一万円が当たったように喜声を出してくれる。イヤー久しぶりから始まって、コロナ、コロナと話は弾み、互いに分析をした情報を交換し合う。電話で話ができてよかったよ、なんか元気出たよ、毎日家に居て、女房子どもとしか会話をしてなかったからね、やっぱり朝起きてさぁ~、行く場所があって、いろいろ予定があって、働けるというのは、ありがたいことだったんだと思うよ。どんな仕事でも今はやりたいね、と殆どの人は言う。私電話も同じである。この先どうなっちゃうんだろうかと、電話のラストはなるのだが、分からない、とにかく人に迷惑をかけないように、座敷牢で禁固刑を務めることにしよう、じゃ又、コロナに気をつけてで終る。今会話をしたがっている人が実に多いのではと思う。家庭内感染が増加しているようだ。家族同士でも2メートル離れて会話を、なんて言われても狭い家に住んでいる身にそれは無理な話だ。もっとも私電話のところは、ずっと不要不急以外の会話はしないできた。なかよしこよしの家族とか、会話大好きな夫婦や家族の家は、口にマスクして日常会話をしなければならない。家庭が無口になると、ストレスは倍加するらしい。が下手に話をしすぎると、えっ、何その話知らなかったけどとボロが出たりする。十分気をつけねばならない。コロナはこれからが本番らしい。ずっと昔ラジオの人気番組があった、題名は忘れたがそれは、電話による人生相談だった。忘れてないのがパーソナリティの山谷親平さん(故人)が言った、決め言葉「絶望は愚か者の結論なり」だ。人間生きていれば勝負ができる。「人生とはあの世までのひまつぶし」と言った賢人もいる。人間はその人、その人の決められた運命線の上を走って行く。あの人はどうしているのだろうか、あいつは元気だろうか、そう思ったら一日一人か二人に電話をしてみよう。人間は声で会うことができる。明日はいい天気だと、天気予報士が言っている。20世紀最大の文豪と言われる、フランツ・カフカは、絶望の名人とも言われた。カフカは結核で死ぬまで、実直に労働者傷害保険協会に通勤した。そのカフカの言葉にこんなのがある。「すべてのお終いのように見えるときでも、まだまだ新しい力が湧き出てくる。それこそ、お前が生きている証なのだ」夕刊を取りにポストに行くと、「茅ヶ崎市保険年金課保険料担当」から通知が来ていた。バーロ高い税金を取って、スズメの涙だと思いつつ封を切って中を見ると、ややこしい書類を提出してくださいとあった。オッ還付金なのと思い、よく読んだら、3月分1000円の還付だった。今日は寒い。でも明日は暖かい。あなたの電話を待っている人が、きっといる。私電話はそう思う。

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2020年4月17日金曜日

第53話「私は徒歩」

私は「徒歩」である。私徒歩はずっと家の中に居ると、足がシビレてズキズキと痛むので、大雨が降っていなければ小一時間歩いている。私徒歩は家からどこまでいったら、何分かかるか分かっている。10年間雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、夏ノ暑サニモ。冬ノ寒サニモ負ケズとにかく歩いた。鬱との闘いの日々であった。起きているとずーと眠くならない。三日間起きていたことがある。仕方ないのでスポーツウェアを着て私徒歩は歩いた。まい日同じコースだとつまんないのに気づいてから、今日は江ノ島に向かって、今日は烏帽子岩に向かって、今日は鉄砲通り、今日は桜花園通りとトホトホと歩いた。海岸側のサイクリングコースを歩いていると、顔なじみもでき、軽いあいさつを交わすようになった。長いのは寒川神社まで往復した。(約6時間)江ノ島の灯台まで歩くと、片道2時間半位であった。鬱ぽいヒトは、最初はひどくツラク、シンドイが、まずは15分歩くことから始めるといい。実は一センチでも動くのがシンドイ時の、15分はキツイ。私徒歩はパジャマの上に、スポーツウェアを着て始めた。早朝四時半頃であった。11月の初めすでに寒かった。私徒歩のそんな姿を見た地元のタクシー運転手さんが、海岸に釣りに来ていて、どうしたんですかヨロヨロ歩いてと言った。眠れないんだよと私徒歩は言った。そうか人間は霊長類の2足歩行動物なのだと思った。初めは15分がシンドかったが、やがて20分、25分、30分、40分、50分、60分、100分が平気の平左になる。強風の時は砂が目に入る。雨の時は合羽ごとビショビショになる、雪の日はズボッズボッと足が入る。これが楽しいな、となっていった。真夏の炎天下江ノ島の水族館まで行く。暑いのなんのだが、帰り道海浜公園内の売店で大好きなメロンソーダが待っている。全身汗ビッショリで売店の椅子に座る。よく冷えた彩やかな緑色のメロンソーダは別格に気持ちいい。少年の頃から大好きであった。銭湯の名糖コーヒー牛乳より好きであった。一年二年と歩くと、私徒歩はアルキ中毒、アル中になっていた。出張の時はスポーツシューズをバックに必ず入れた。海外にロケに行く時も必らず持っていった。アル中だから歩かずにはいられないのであった。五年、六年となると歩きながら、何故か五木ひろしの「よこはま・たそがれ」を口ずさんでいた。~ よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 煙草のけむり ブルース……あの人は 行って 行ってしまった もう帰らない~。こうなると私徒歩はアタマの中の鬱がウソみたいに消えて、かなりウキウキとなっていた。「よこはま・たそがれ」は私徒歩の特効薬であった。他には北島三郎の「風雲ながれ旅」とか、竜鉄也の「奥飛騨慕情」であった。私徒歩には演歌がいいリズムを生んだ。今、相当の人たちが、コロナウイルス連休で外出ままならず、気分は鬱々としているはずだ。私徒歩はぜひ歩きなさいとアドバイスをする。血の巡りがすこぶるよくなること間違いなし。昨日午後四時十五分頃、近所の辻堂海岸から江ノ島方向に向かって私徒歩は歩いた。海は荒れていた。サーファーもいない、釣り人もいない。砂浜でサウンドウエッジの練習している人もいない。風がかなり強かった。私徒歩は歩きながら、高名なアートディレクターの方から届いた、一枚のハガキの文章を思い出した。かわいい愛犬がペン画で描いてあった。「親方、この国はどうなるのでしょう(?)」と書いてあった。スタッフは在宅とのことだった。この御方が、ある出版社のすばらしい新聞広告を正月発表した。おそらく今年度NO.1のはずだ。気がかりなのは、WHOの日本人ドクターが、テレビのインタビューで、日本が今出している数字は、全然少ないと思う、検査をしていないから、本当は今の10倍位は感染症がいるはずだと。私徒歩はつくづく嘘つき国家だなと思った。医師の方たち、看護師さんたちに一律100万円払ってもいいと思った。108兆の予算の中味は嘘ばかり、真水は38兆位でしかないらしい。「108」という数字は意味深である。除夜の鐘の数だ。私徒歩はいよいよ政権が大昨晦(年の終わり)に近づいていると思った。気分が晴レバレしないヒトへ、さあ~スマホを置いて歩きなされや。
                               (文中敬称略)   
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2020年4月16日木曜日

第52話「私は民衆」

私は「民衆」である。コロナの日々を送りながら私民衆は、民衆の恐ろしさを知る。BSプレミアムに中野信子さんという、人気の脳科学者が出演していた。映画ばかり見ているので時々違うものを見る。その番組は魔女狩りについてであった。1640年頃ドイツのある地方に小さな都市があった。そこは一人の独裁的司教が支配していた。その頃いろんな疫病や不作や不幸な災いが起きていた。民衆は不安な日々を送っていた。なんでこんなに災いが起きるのか。その時一人の男が魔女のせいだと言う。男は魔女についての一冊のオドロシイ本を出す。その頃活版印刷が生まれおり、250ページ位のその本が民衆の間に広まった。凶暴な司教は一人の女性をお前は魔女だろうと捕まえ、拷問をする。そして魔女仲間の名を言えとあらん限りの拷問をする。身にまったく憶えのない女性は拷問の痛さから逃がれるために、思いつくまま人の名前を言ってしまう。名前が出た人間は男女年令の区別なく捕まえられ、人間が思いつくあらゆる拷問をする。そして次々と名前を言わせて捕まえる。そして又と続く。捕まえられた人間は民衆によって魔女狩りとなり、火あぶりにあったり、首をつられたり、徹底的に殺された。私民衆は思う、人間という生き物の最大の本能は死にたくないという教えを。高名な学者がそう書いていた。人間に不安という衣を着せると、日々増幅をする。自分が魔女にされないために、拷問や処刑に加担する。例え自分の親兄弟、親族や友人、知人、隣人、恩人、恩師だろうが、拷問から逃れるために名前を言ってしまう。言ったからとしても処刑されるのだ。民衆はいつでも観衆になると言うが。不安から逃れたい民衆は、処刑を見る観衆となる。疫病の災渦が生じると世界中で、魔女狩りに近い事が起きる。関東大震災の時多くの朝鮮人が魔女狩りのように大量虐殺された。アメリカで有名なのは赤狩り(共産主義)という名の魔女狩り施風があった。(マッカーシー施風)私民衆は究極の魔女狩りは、戦争だと思う。死にたくない、恐い、生きたいという不安が、人間を変えてしまう。気さくな八百屋さん、陽気な魚屋さん、もの静かな大工さん、やさしい学校の先生も、戦争の中では狂人となってしまう。平時ならお祭りを楽しむ民衆、花火大会や草野球を楽しむ民衆が殺人鬼となるのだ。現代もそれは続いている。ネット社会にいる顔の見えない魔女狩りたちだ。それはワンタッチで世界中に広がる。私民衆はPCも使えないのだが、ひとたびアイツは気に入らない、アイツは疑わしい、きっとアイツが犯人だとなると、もう逃げることができないと言う。民衆は不安を抱え込んでいるとビョーキになり、誰かのせいにしたくなる。私民衆はこの先きっと起きるであろう民衆心理を心配する。この際いい音楽を聴き、いい映画を見まくり、いい本など読んで人に感染させない日々を送る。一日15秒か長くて2、3分の会話である。私民衆は実はずっと無言の生活も得意である。カフカ原作の「変身」と、朝井リョウ原作の「何者」という映画を見た。今の大学生たちの生態を就活を通しながら描き出している。現在午前五時二分二十八秒、民衆は誰でも悪魔に変身する。




2020年4月15日水曜日

第51話「私は支給」

私は「支給」である。かつてこんな怒声的フレーズがテレビドラマから放たれて、大ブームとなった。確か安達祐実さんであった。「同情するなら金をくれ!」と少女は叫んだ。ドラマの名は忘れたが、フレーズは忘れていない。今、日本中で支給は至急にと怒声が叫ばれている。私支給は上からの命令がないと至急にと怒っている人に支給されない。私支給の支給源は、そもそも国民が納めた税金である。政府とはこの税金をどう使うかを任された機関である。私支給は怒る、税金を納めるのを少しでもおくれたら、日曜日でも納税をしてくださいと電話してくる。一度茅ヶ崎市の女性職員に、なんで日曜日に電話するんだよ、と言ったら、平日は家にいらっしゃらない人が多い、日曜日の夜七時頃がいちばんいらっしゃるからだと言った。至急か! バーロと言って電話を切った。現在日本国政府の指揮系統がパニックになっているようだ。総理大臣の言うことと、官房長官の言う事に差異が生じ、財務大臣は与太者みたいに自論を放ち、コロナ担当大臣は目を泳がせながら、他国の例を持ち出し意味不明。でもって自民党の幹事長は、何をモタモタやってんだ! ややこしい支給方法で、ケチケチすんじゃネエとばかり、一律で10万円支給を至急せよとスゴミを効かした。本来厚労大臣が担当すべきコロナ問題を、笑い顔で評判がよくないからと外したのか、実は年金の支給を75歳に引き上げる法案を、ドサクサに乗じて成立させるために、その注力を発揮せよと役を命じているのかも知れない。コロナ、コロナと大騒ぎをしている今、この悪企みの法案の審議は進むはずだ。与太者風財務大臣は、財務官僚にとって使い放題だ。総理大臣への記者会見で外国人記者が、コノコロナウイルスモンダイノセキニンワドウナルノデスカみたいに資問したら、総理大臣は一瞬ドキッとして、ソレは私が責任をとればいいと言う訳ではないのですが、ソ、ソレは麻生副総理がつとめることになると思うわけであります。私支給の元締財務大臣はこのひと言で、あわよくば例え一日でも、もう一度総理大臣と呼ばれたい色気が出たようだ。実のところ国民になんか全然目がいってない。権力争い真最中なのだ。私支給は至急されるべきなのだが、この国のエリート役人は絶対に自分に失敗のツケが来て、出世のジャマになることはしない。国民の命より自分の肩書き命なのだ。かわいそうなのは現場の役人さんで、ややこしいことを、もっとややこしくすることの処理に追われる。国のリーダーが、私が責任を持つさっさと支給しろ、ややこしい手続きをカンタンにしろ! と言えば至急に支給される。やっぱり貫目が重い人物、キャリア豊富な人物がリーダーの脇にいないと今起きている状態となる。野球用語でいえば、ベンチが軽いとなる。官邸を仕切っているのは、現在選挙で選ばれていない、官僚出身の補佐官だと言われている。現在午前五時九分四十一秒、早朝のニュースでIT担当大臣がいることをはじめて知った。マスクで顔がよく分からなかったが、あなたは誰! と言うかんじだった。シドロモドロであった。ITでコロナ感染症を追跡するんだとか。医療現場が崩壊している。権力争いをしている場合じゃない。ビートたけしは国会議員を半分にすればいいと言い。鶴瓶師匠はソファーに座ってお茶飲まずに踊りはりゃよかったのにと。星野源は何の連絡もなかったですよと言う。私支給の近所の奥さんたちは、いまさらマスク2枚もらったって、バカにすんじゃないわよ、500億円近くも使ってさと怒る。ノーベル賞受賞の博士は、100億をワクチン開発に回すべきだと叱かっていた。民主党政権時代を悪魔のようだったとよく言っているが、今や悪夢のような政権だったと、歴史にクッキリ残るはずだと思う。私支給は至急にが鉄束なのだ。今年は小庭に咲くと期待していた、牡丹の花が咲きそうにない。花芽が一つも出ていない。やけに寒い朝が来た。このまま夏もなく、秋もなく、尾羽打ち枯れたような冬になるのだろうか。太陽は別名コロナとも言う。(文中敬称略)


2020年4月14日火曜日

第50話「私は下駄」

私は「下駄」である。この頃私下駄を履く人は少ない。四月十日一人の偉人がこの世を去った。映画監督の「大林宣彦」さんだ。八十二歳であった。私下駄はある年、当時人気絶頂だった「鈴木保奈美」さんを大手コーヒーメーカの商品広告に起用することを、広告代理店さんと共にすすめた。幸い企画案が採用となり誰に演出を頼むかとなった。いつも私下駄を使ってくれていた、CD(クリエイティブディレクター)に若手の人気女優を撮らせたら、今は大林宣彦さんでしょと言った。いいね、受けてくれるかなとなった。その頃すでにヒット映画を何本も手がけていて大御所であった。映画監督は今ではCMを多く手がけるが、当時は少なかった。CMの演出家が手がけていた。記憶が確かなら青山の骨董通りにあったオフィスにCDの方とお願いに行った。広島出身と聞いていたので、きっとすこぶる荒っぽい広島弁なのだろうと心期していた。(「仁義なき戦い」の広島弁が有名)青山通り近くのビルの中にオフィスがあって、型通り失礼しますと言って、ソロソロと入った。大林宣彦さんは素足に下駄履きであった。奥さまがプロデューサー&マネージャーであり、御二人共この上なくおだやかでやさしかった。イヤードウモドウモ、まぁ座って座ってと言ってくれた。広島弁だと思っていたが、そうでなくフツー弁だった。ひとしきり映画談議をして、演出をお願いした。その後快諾をいただき後日撮影となった。その日、スタジオにいるとカタコト、カタコトと下駄の音がした。大林宣彦さんはパンチパーマにサングラスが定番であったが、まさか撮影に下駄で来るとは思わなかった。信玄袋みたいのを持っていた。人気絶頂だった鈴木保奈美さんは実に静かであった。そして実に美しかった。とてもいい作品ができて、次の年もお二人にお願いすることになって行った。大林宣彦さんは父上が軍医であった。七歳の時に敗戦となった。自分は敗戦少年だと言っていた。口をすこしオチョボ口にして、戦争は絶対にしてはいけないと話す。気負いない語り口は、民話の語り部みたいだった。愛妻家であっていつも奥さまと一緒だった。肺癌で余命数ヶ月と宣告されながら、長編の大作を生んだ。徹底的な平和主義者であった。反戦を旗印にしていた。大林宣彦さんの言葉にすばらしいのがあった。(記憶が定かでないが)「ボクねこう思うんだよね。日本はバカな戦争をして、原爆落とされてアメリカに占領されてしまった。でもね、奇跡的なものを手にしたんだよ、平和憲法をね、憲法九条は絶対に守らねばならないんだ」私下駄は大林宣彦監督のすさまじい生への執着力は、ひとえに反戦と平和のためにあったと思う。映画は平和を勝ち取る武器であったのだろう。心より敬意を表し合掌する。余命数ヶ月宣告から三年近く、酸素ボンベで息をしながら歴史に残る名作を生み出した。「花筐(HANAGATAMI)」は、発表後ベスト1になった。「青春は戦争の消耗品ではない」という言葉があった。私下駄は外に出れないので一日二本から五本映画を見ている。今日は大林宣彦監督といえばこの作品と言われる。尾道三部作「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」を一気に見ることにする。東日本大震災後、日本に新たな戦争が迫ってきた」と危機感を語っていたと言う。私下駄はあの世に下駄履きで行く大林信彦さんに深く頭を下げるのだ。コロナ、コロナの世の中に真冬のような永雨が降っている。午前一時三十八分四十二秒。今起きている事はいつか終って行く。その先のために一日一日何かを学び大切に生かそうと思い、中村文則原作「去年の冬、きみと別れ」という映画を見始めた。

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2020年4月13日月曜日

第49話「私は2個」

私は「2個」である。1個と1個が存在して成立する2個だ。例えば、善と悪、表と裏、日常と非日常、罪と罰、嘘と真など私2個は数多くある。座敷牢に居る生活が六日経った日、運動不足解消のにめに近所の海岸に行った。正月駅伝のランナーが、大観衆の声援を受けて走っていた道に、車の数は少ない。夕陽が沈みそうな海にはサーファーが浮いている。右方向を見ると薄青と「太陽」の赤みが混じった空が大山連峰の上にある。左方向を見ると江ノ島の灯台が、もうすぐ灯りが入るぞと語りかける。歩道橋の踊り場にある木製の丸椅子に座っている。すっかり観光用となった地引き網の船が陸上げされている。この頃は魚が獲れないので、地引き網は人気がない。空を見るとうっすらと「月」が滲み出ている。「太陽」と「月」を見ていて思った。この地球上の全ての人類が、この「2個」のおかげで生きている。森羅万象、生きとし生きるもの全てが、この2個の下で、生まれ育ちそれぞれ違った神を信じ、違った言語を語り、違った食べ物を食す。この2個は地球を創生し人類を誕生させた。私2個は思う、太陽と月の下で何辺にして、国と国、人間同士が争い続けるのかと。いかなる大王も、皇帝も、大富豪も、太陽と月は手に入れることができない。私2個は今外出禁止の中にいる。日常が非日常になっている。何もかも無の状態になった以外、日常的である。鵠沼海岸に住む友人が、小鰯(コイワシ)を届けてくれた。料理上手の奥さまが、美味しい食べ方をご主人に伝え、それを活字にしてFAXを送ってくれた。これが実に美味しかった。愚妻と共にアツアツのものを手に取って食べた。きっとワイン通なら、白ワインかで楽しむのだろうと思った。私2個は新型コロナで休み中は、禁酒と決めているので、残念ながら酒はなしであった。家の前の公園でたくさんの子どもたちが遊んでいる。近所に住む高校二年生の孫が来て将棋をする。いつの間にか力をつけ、このところ二勝五敗であった。そして大敗けし、おこづかいをせしめられた。二勝六敗である。勝負時間は一時間三十分位であった。父親と弟も来てケンタッキーフライドチキンが食べたいというので予約しておいた。午後六時キッチリとバイクで運んで来てくれた。とても日常であった。テレビのニュースをつけると、東京都内で感染者過去最多と報じている。ゴーストタウンのような銀座、誰もいない新宿歌舞伎町、渋谷センター街入り口の大きなビルボードの広告は、ビートたけしが恐い顔して交差点を睨んでいる。いつもは人の波だが、チラホラ、ベタ凪である。非日常はニューヨーク、パリ、ロンドン、世界中に生まれている。将棋などしていていいのだろうか。赤坂のクラブのママから電話があり、もうダメこのまま店を閉めるかもと言う。銀座で高級エステを経営している、女性社長と電話で話す、スタッフは一時解雇して失業保険にしてもらい、終息したら再雇用にすると言った。三月箱根にグランドオープンした、ホテルのオーナーと電話で話す。オープン即買い手募集ですよ言った。コロナもなくオリンピックが予定通りなら、萬、萬歳だったのに。天才中野裕之監督が電話で、この映画泣けますよと、教えてくれたインド映画「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を鍼灸の達人にアマゾンで買ってもらって(自分では買えない)いたのを、持って来てくれた。体中に鍼を刺してもらった。午前一時から見始めて午前三時四十九分エンドロールが流れた。母親とインドで迷い子になった、とんでもなく美しい6歳の女の子は、国境近くで列車の中から外に出た間に、母親が乗る列車が発車してしまったのだ。この女の子は幼い頃ある事故で受けた衝撃で、言葉を発しなくなっていた。当然長い映画のラストは、言葉を取り戻した女の子の絶叫で終る。おじさ~ん、おじさ~んと。この映画は正に2個である。インドとパキスタン。仏教とアッラーの神。敵と敵だ。超マッチョで色男のおじさんは、愛と勇気を持っていた。善と悪があるようでない不思議な映画。愛は国境を越えるという泣けるシーンを、ラストで現わす。圧倒的に美しい自然の中、愛と勇気を讃える敵同士。すばらしく楽しい感動作だ。午前四時過ぎ新聞記事を整理する。ノンフィクション作家「吉岡忍」のコラムを読む。サッチャー英国首相(故人)は、かつて「社会などというものはない。存在するのは男と女と家族だけだ」と言ったとか。日経新聞のシリーズ文学周遊に太宰治の八十八夜の中の言葉がよかった。「真暗闇でも、一寸さきだけは、見えている。」午前五時のニュースで、政府PCR検査拡充検討へと報じている。世界の新聞では日本は何もかも遅いと報じる。太陽と月世界中の人類がこの2個を怒らせてしまったのだろうか。私2個は日常と非日常の中に、閉じこもりている。広告とは皮肉だ。そうだ京都に行こうのJR東海は、京都知事から、どうか京都来ないでとなり、JR東日本の行こうぜ東北は、岩手県知事から、来ないで岩手となった。観光立国を目指して、誘致キャンペーンをしていたところは、みんな来ないでとなりテレビCMは中止となった。あらゆる媒体が人材派遣会社の広告で滞杯だったが、殆ど姿を消した。ミシュランや食べログなどのガイドは、今は無用となってしまった。ある店の主人は常連のお客さんが一人でも来てくれるなら、店を開けると言い。私は潮時かと思っている。このコロナウイルスを期に、店を閉じると言う老主人がいた。私2個は静かに打ち寄せる波を見ながら、潮時という言葉を思い出した。お金は無いが作りたい夢が未だいっぱいある。無用の用という言葉もある。インド映画には決まって群衆による踊りのシーンがある。~キッチンからチキン 鶏の鳴き声は コケッコッコーと歌い踊る。女の子はインド人が食べない、フライドチキンが大好きだったのだ。時間があるので、ずい分と長くなってしまった。このまま起きていて、午前八時から始まる、TBSの関口宏のサンデーモーニングを見る。私2個に眠気は、ない。(不眠症という)いつかきっとみんなでニコニコする日が来るはずだ。
                               (文中敬称略)



2020年4月10日金曜日

「本日、休筆」

本日、コロナ対策のため休筆です。みなさん、週末も充分気をつけてください。

2020年4月9日木曜日

第48話「私は貫目」

私は「貫目」である。貫目とはその人間のスケールの大きさ、器量とか度量をいう。あいつとあいつでは、貫目が違うとか、あの人とあの人では、全く貫目が違うなとかに使われる言葉だ。貫目が軽いとみられると、掛け合い(交渉ごと)の時、安く見られる。アイツはスヤイ(安い)となる。私貫目は芸を売っている身なので、自らの体重ほどの貫目しかない。新型コロナウイルスに対して無重力であり、世の中に何も貢献できない。国を盛んにするのも、滅ぼすのもひとえに政治家の貫目による。ネットフリックスで「ローマ帝国」の長いシリーズを見たせいかも知れない。歴代の皇帝たちは、元老院の力と側近の裏切りで滅びた(ブルータスお前もか)。外出できず家の中に軟禁状態なので、ダルマさんになっている(手も足も出ない)そこで活躍してほしいのが、選挙によって選ばれた代議士(選挙民の代表)である。その中から大臣という役を務めるものが、国家国民のために思案思考し、無辺に行動しなければならない。歴史には後世振り返ると、国民が塗炭の苦しみを味わい、国が滅んだのはアイツのためだという、キーマンの人間がいる。今、このキーマンになりつつあるのが、新型コロナ担当大臣(経済再生担当でもある)「西村康稔」だ。100年に一度の疫病災禍の重大事に、大臣としてのキャリアがない、貫目の軽い人間が事に当たっている。国民にとってこれほどの不幸はない。政治家の番付でいえば「平幕」位である。その軽量大臣が、国家の存亡を右往左往しながら、ヨタヨタ、ヨロヨロ、キョトキョト、ニタニタと担っている。私貫目はここ数日、政府と都知事とのやり取りを見ていて、この国は生き残れるのだろうかと、真底思っている。パシリという言葉があるが(使い走り)西村康稔クラスの軽量では、単なる政府と諸官庁、諸大臣、諸業界との使い走りでしかない。仮りにこの重大事を乗り切る貫目のある歴史上の人物をいえば、江戸時代の名君「保科正之」とか明治時代なら「西郷隆盛+大久保利通」クラス、あるいわ児玉源太郎。昭和なら田中角栄とか後藤田正晴位の貫目がないと乗り切れない。官邸内に何が起きてるのか分からないが、何故西村康稔なのかと私貫目は思う。今すぐにでも与野党を超えた救国のチームを編成すべしだ。批判はされたが、野党には東日本大震災で多くの事を学び経験した代議士もいる。又、自民党内には豊富なキャリアを持つ代議士がいる。西村康稔に歴史的大役が務まる訳がない。ワイワイガヤガヤのテレビのニュースワイドショー見ていると、いよいよこの国は危ういと思う。政権の使い走り田崎史郎がアチコチテレビ局をハシゴしている。かつては時事通信の闘士だったらしいが今では、エセジャーナリストになってしまった。私貫目は重ねていう、日本を代表するあらゆる分野の英知と、代議士としてのキャリアのある人たちを結集して、救国のチームを作るべしと。又、在野にいるであろう、優れた人物を頼りにせよと。三国志では劉備玄徳が、諸葛孔明を山の中に訪ね、三顧の礼を持って迎い入れた。理容室がどうだとか、ホームセンターはどうだとか、名古屋外しだとかいってる場合じゃない。世界の英知とも共力し、国民の命を守るにはどうするのかだ。などとブツブツいいながらニュースワイドショーを見ている。私貫目はダルマの自分が情けない。この期に歴史を学ぶことにする。(文中敬称略)


2020年4月8日水曜日

第47話「私は映像」

私は「映像」である。午前三時五十五分十一秒TBSのニュースを見ている。そこにはニューヨークで新型コロナと戦う、病院のスタッフたちの悲惨にして、強烈。そして献身的な姿の真実を見た。若者の命が重症化となり急速に悪化して、失なわれて行く。必死に人工呼吸器とか、エクモとかいわれる器具が、取り付けられる。太い管が何本も激しく動く。防護服が無く黒いゴミ袋をポンチョのようにして身につける。医療用マスクは無く代替で防ぐ。又医療用のメガネも無く、スキー用のゴーグルで目を隠す。勿論手袋も不足している。つまり病院に病院の器具が無いのだ。続々と運ばれてくる感染者。私映像はこの医療崩壊の現場を、世界中のリーダーたちはきっと見たはずだと思った。いまだかつてないウイルスの恐怖を見て、都市封鎖を徹底させる指示を出した。きっと日本のリーダーや、オリンピックの関係者も見たはずだ。が、こんなヤバイのが国民にバレたら、オリンピックどころじゃない。様子を見ることにしようとなったのではないか。世界のトップであるアメリカが、まさか、まさか、まさかとなっていてビックリした。我が国の内閣官房の情報収集力は、世界でもトップクラスという。新型コロナウイルスを甘く見て、水際で防げると過信していた。オリンピックがパァーになっちゃうと思い、毎度、毎度の忖度と隠ぺいとなった。小池百合子知事は、都知事選を七月に迎えていて、勝利は不確かだった。自民党都連は反小池百合子で固まっていたはずだ。ニューヨークの映像を見た小池百合子知事は、一大機会が来たと思ったと思う。五輪誤輪になったのはここからであると、私映像は思うのだ。戦争は一瞬の見誤り、一瞬の判断ミス、一瞬の隙きが大敗北となる。ミッドウェー海戦の大敗北は、日本軍の過信と、魚雷にするか、爆弾にするか、指揮官の判断ミスが大きなロスタイムを生み、アメリカ軍に攻撃体勢を生む時間を与えた。そして大敗北となった。朝からステーキを食べている国と、メザシにタクアンの国では、勝負になるはずがない。私映像は昨日夜総理大臣の記者会見を見ていて思った。あらゆる怪しい数字、オイシイ言葉より、アメリカの医療現場の崩壊映像、若い人でも猛烈な痛みで命を失う映像を、日本全国にある、いろんな会社の映像広告の変わりに見せたら、一瞬にしてみんな家の中にいようと思うはずだ。結局小池百合子都知事の一人勝ち。私映像が敬愛するルー大柴さんみたいに、英語と日本語を、ミックス交ぜて三つの密という言葉を残した。政府もこの言葉を使わずにはならないこととなった。密閉、密集、密接。私映像は新型コロナウイルスで終るかも知れないと思った。すべては五輪のために立ち遅れた。ある人は、ちゃんと検査をしたら本当は何十倍も感染者が出るといった。200万円とか100万円とか、ややこしい手続きをしている内に、出血多量で会社も店も、人々も終ってしまう。ドイツは三日で本人の手に支給、日本国は早くても二ヶ月後位、それも手続重視、書類重視の役所に行ってのことだ。公務員の役人にとって書類は命、天と地が引っくり返っても、公文書や重要書類は残すのが掟だ。戦時下の大統領として有名な、フランクリン・ルーズベルトは、四期在任した。残した数々の言葉の中に、「嘘を何度も繰り返しても真実にはならない」と。戦時下一年間、ラジオから国民にメッセージを送りつづけたという。トランプ大統領でも二時間かけて記者に応じる。ハイ時間です、次があります、ハイここまでと仕切る記者会見に、緊急感は、ない。やってる感だけだ。(七日間で四回だけ)ホントは、何時間でも応じたいと総理大臣は思っているかも知れない(?)。次に予定がが定番の仕切りだが、首相動静を見ると、七時か八時頃には家に帰っている。(又は官邸泊)私映像は日本のスポンサーに、屋外広告の映像を、アメリカの医療現場の映像に変えることをお願いしたい。何か笑える話、明るい話を書きたいと思っているのだが。東海道線の中もガラガラであった。誤輪(オリンピック)がなければと思う。海外メディアは一斉に日本政府の対応が後手後手で、とんでもないことになると報じている。岩手県と島根県、鳥取県は今だにゼロ、ヨソから決して来てくれるなとガードを固めている。昨夜、名作「ベニスに死す」(ペニスに死すではない)と「大人は判ってくれない」を見た。何度見てもいい。私映像は映画があれば、狭い所に何年間でもいられる。実は孤独に強いのだ。


2020年4月7日火曜日

第46話「私は奴隷」

私は「奴隷」である。私と同じ現代人も奴隷である。100年に一度といわれる新型コロナウイルスの襲来。つい四ヶ月程前の正月、私奴隷は箱根駅伝に声援を送っていた。今私奴隷は家から出ること慎しんでいる。3日間が経ち私奴隷は考えた。私奴隷も現代人も「自由の奴隷」になっていると。文明の進化、SNS全盛、人工知能Alの台頭、人間は目に見えない電波によって、あらゆる自由と便利を手にした。スマホ一台あれば何でもできる自由。PC一台あれば自由は知らなくていいことまで知る自由。老人も大人も、三つ四つの子どももスマホやPCを使いこなせる。自由と便利はさらに5G、6Gと進む中で、実は私奴隷も現代人も、自由の奴隷になっていた。バーチャルな時間、スキャンダラスなニュース、フェイクニュース、エログロナンセンス。ワンタッチとか、マウスの動きが生む快楽という自由の奴隷である。私奴隷たちは自由を手にして、実に不自由になった。どこで、誰と、何をし何をどう食べたかが、瞬時に分かってしまう。知られたくない家族や一族の過去や秘密。知りたくもない他人の家族や、その一族の過去の秘密も目の前にある。自由の奴隷になった人類より、アマゾンの原住民「ヤノマミ」の方が、自由に見える。文明を拒否しているからだ。私奴隷はそう思った。一日中金もうけの話をする金の奴隷。権力争いをする、権力の奴隷、異性を追いつづける、性の奴隷、何でもかんでも知りたがる、情報の奴隷。自由と便利の奴隷が、私奴隷であり(スマホもPCも使えないが、人を介して使っているのと同じ)現代人といえる。小学生が将来何になりたいか、とのアンケートの第一位が、ユーチューバーであるという調査があった。新型コロナウイルスは、あらゆる自由と便利を手にした現代人に、世界中マスク不足という問題をつきつけた。権力者も大会社のオーナーも、人気者のスーパースターも、巨万の富を手にした者も、ギブミーマスクなのだ。文明の進化の先きにあったのがマスク不足なのだ。100年に一度の混乱と混沌から、私奴隷は忘れてしまった大切なものを、思い出さねばならないと思った。敬愛する天才中野裕之監督の「ピース・ニッポン PEACE NIPPON」が、ネットフリックスで見られるようになった。天才が電話で教えてくれた。超絶的美しさのニッポンの風景を、そこに行かずに見れる、矛盾するが、自由と便利の恩恵に私奴隷は見とれた。(何度見てもニッポンは美しい)小泉今日子さんと東出昌大さんのナレーションもいい。タイトルデザインは、天才葛西薫さんだ。ぜひ見てほしい。主題歌に涙するはずだ。現在四月七日午前六時二十九分四十三秒。英国のジョンソン首相が病状悪化ICUに入ったとニュースが報じている。おそらくアウトになるだろう。ノドに魚の太い骨が、突き刺さったような激痛がずっとつづき、睡眠導入剤も効かず眠れなかったと、ICUから生存した人の話が新聞に載っていた。私奴隷はこれからアチコチに露出する。倒産、破産、夜逃げ、廃業、閉店、解散、縮小リストラなど見たくなく、聞きたくない話に、直面して行くことになる。サバイバルをかける私奴隷に解放はない。したたかな投資家は、人の不幸、世の不幸も、ここがチャンスとばかりに、株を買ったり売ったりしている。NYダウは1600ドル以上も値上りしている。正にハゲタカだ。日本のハゲタカも色メキ立つことだろう。お医者さんや看護師さんが、次々と死んでしまうウイルスで金もうけ、その先は地獄だ。やっぱりピース・ニッポンの映像を見て、天国気分となり少し眠りたい。私奴隷は眠りの奴隷でもある。オヤスミとオハヨーが共にある。大英帝国の首相がもしコロナウイルスで死んだら、その次は、そしてその次は……。目に見えない電波、目に見えないウイルス菌に世界は自由を奪われている。


2020年4月6日月曜日

第45話「私は胃袋」

私は「胃袋」である。人間には空腹を満たす胃袋と、あらゆる欲望を満たす胃袋がある。四月六日月曜日午前五時十九分〇八秒書き始める。家にずっと居なければならないので、新聞を整理したり、読みかけの本を読んだりする。読書は苦手なのでやはり映画を見たり、落語とか浪曲を聞く。見逃していた諸外国のテレビのドキュメンタリー番組を見たり、世界のドキュメンタリー映画やドラマを見る。私胃袋は人間という生き物が、この地球上で最も性質の悪い生き物であることを改めて思った。人間は生きていくためには、何でも食べる。福山雅治は世界各地に行って写真を撮る。前夜コンゴの奥地で、チンパンジーやマウンテンゴリラ、ボノボという三種の類人猿を撮るNHKのドキュメンタリー番組を見た。それぞれ人間と同じ性質があった。オスを挑発するメス、そのメスを求めて死闘をするオス。勝ったオスは相手を引きちぎり、喰いちぎり、食べてしまう。地球上で自分と同じ仲間を食べる哺乳類はチンパンジーだけだという。(人間も人間を食べたという。戦争は空腹との戦いだった)私胃袋は思った。生き物には天敵が必ずいる。生き物の進化とは天敵から身を守るためのものだった。これは植物にもいえる。30メートル近いクジラから、木の中、土の中の小虫まで、人間は何でも食べて来た。人間には天敵がいないようであったが、ウイルスという天敵がいた。ウイルスは人間に入らないとその存在の意味がない。人間がこの世にいる限り、ウイルスは次々と進化して、人間を襲う。中国人はコウモリを食べてんだ、なんてオドロクが、人間は動く物はすべて食べる。動物園に行って動く物を見て、かわいいと言った生き物もすべて食べて来た。ウイルスは人間への復讐ともいえる。私胃袋の中に昨夜食べた。豚肉やアジや、明太子、ヒジキ、トマト、ピーマン、キャベツ、タマネギ、お豆腐に納豆、鳥の産んだ卵、チーズやバターなどが入っている。それぞれの食べ物には、たくさんの細菌が宿っているが、人間は進化しながらそれらと共生している。新型コロナウイルスは100年に一度の強敵といわれるが、テレビでは大食いを競う番組や、激辛を競うものや、食べ歩き、食べ物のメニューの人気当てなどで大騒ぎをしている。人間の欲望の胃袋は人間を殺してでも満たす。昨日古い映画を三本見た。一本は「イコライザー」大好きな「デンゼル・ワシントン」主演、元CIAの凄腕とロシアマフィアの果てしなき欲望との戦いである。当然何人も殺す。ハリウッドのパターン的映画だ。アメリカは善でロシアは悪の構図。二本目は近作「楽園」吉田修一原作、今売れっ子の監督「瀬々敬久」の作品、ある地方で起きた少女失踪事件。吉田修一ものは、実際に起きた事件を足したり、引いたり、掛けている。(他の作家も殆ど同じ手法)地方に透け込むのは、ヨソ者には並大抵ではない。地方には恐い因習が深く残っていることを、私胃袋は改めて知る。50年酒を飲み交わし同じものを食べ合っても、ヨソ者には、心を開かない。その土地には、その土地の過去があり、決して楽園ではない。三本目は、「エージェント」トム・クルーズの若き日の作品。13年位前のものである。スポーツ選手のエージェント(代理人)の話。アメリカのプロスポーツ選手の胃袋は、マネー、マネー、マネーである。駆け出しのエージェントであるトム・クルーズが、欲望渦くスポーツ界で、金と名誉を漁る仲間入りを目指す。つまんない2時間であった。プロスポーツ選手は、巨額のCM契約を取れるエージェントを選ぶ。午前六時三十六分四十二秒、テレビのニュースを見る。イギリスのジョンソン首相が入院。安倍総理明日にも緊急事態宣言とか。昨夜フジテレビの夜の番組で、嫌味なしゃべりの木村太郎が、今の日本はまるで小池総理みたいだと言った。安倍総理シンパの作家百田尚樹とか、経済学者高橋洋一とかが、いよいよ見限って反安倍メッセージ、次なる飯の種を探しはじめた。この者たちの好物は、権力者のおこぼれである。胃袋に毛が生えている連中である。有事の時に国のリーダーの資質がハッキリ分かる。カジノ育ちのトランプ大統領は、マスクは輸出しないと、ダッチロール状態で再選に赤信号。欲望を満たすにはもうトランプではダメだと、国際ユダヤ資本家は見限るだろう。私胃袋は紅茶とロールパンで空腹をやわらげ、朝刊を読む。お隣の奥さんが裁縫上手で、一夜にしてタオルからマスクを作ってくれた。すばらしい作品である。私胃袋は、これからの戦いのために、空腹に耐える訓練をはじめねばならない。(文中敬称略)

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2020年4月3日金曜日

第44話「私は座席」

私は「座席」である。私の仕事は主に店に来たお客さんを座らせることだ。私は木製であったり、布製やレザー張り、畳に座布団であったりする。私座席が何よりうれしいのは、私座席の上にお客さんが座ってくれることだ。新型コロナウイルスを感染させないために、飲食店での時間を自制すべしという空気になった。強制力はないがこれ以上の拡散は止めねばならない。私座席は、店のオーナーや、店主や、店長の客待ちの辛い顔を見るのは、ヒジョーに心地よくない。現実は厳しい。鴨せいろが人気の「銀座長寿庵」はいつも満席なのに、お客が三組しか座っていない。ちらし寿しが美味しい、「新富町寿し辰」はお客さん二人だけ。ハンバーグがマアマアの水天宮「ガスト」は、お客さんが二組と女性一人とガーラガラ。マカロニグラタンが旨い「茅ヶ崎ジョナサン」は、老人夫婦一組とオバさんたち四人だけ。あんぱんで有名な「銀座木村屋」私座席は、ここの3階のビーフシチューが好きである。その日は2階でミックスサンドと珈琲をオーダーした。お客さんは若い男女一組だけ。いつもは満員電車のような1階のパン売り場はガラガラ。下手なイタリアンレストランより、ここのパスタの方が全然いいと思う「銀座椿屋珈琲」はお客6人。ここの天丼がいちばんと信じる、「辻堂五島」にはお客さん二人。雨が激しいので仕事場の前にある「鮒忠」に行くと、誰もいない、で、入らなかった。私座席はこの現実を見て思わず悪夢だと口走った。この一週間、一人で、あるいわ友人と、又知人と行った店だ。それぞれ昼時だったり、少し遅めの昼だったり、夜六時頃とか、八時頃のことだ。私座席が行った時、丁度空いていたのかも知れない。(そう願いたい)私座席の会社も、今日からテレワークを始める。社内は空席だらけになる。パソコンもスマホもない、正しくは使えない私座席は手も足も出ない。オンボロのファックス機だけが頼りだ。私座席はお客が座ってこそその役目を果たす。昨日ボックス型タクシーに乗ったら、異常にていねいな若い運転手さん。私座席が座ると、ご乗車ありがとうございます。私は日本交通のです。ドアを閉めます。安全のためにシートベルトをお願いします。行き先をいうと、ハイ、×へ行かせていただきます。ハイ右へ曲がらせていただきます。エッ、スミマセン、ラジオはついてません、ハイ、左に曲がらせていただきます。800円払って降りると、ご乗車ありがとうございました。又、日本交通をご利用くださいとなった。何だか座り心地が悪かった。日本交通は徹底しすぎていて不気味だ。(セダンは腰が痛いのでなるべく乗らない)私座席は早くお客さんが、たくさん座ってくれる日が来るのを願う。悪夢よサラバと。昨日深夜から朝まで映画とドキュメンタリーを見た。映画は「人間失格」監督は蜷川実花。主役の太宰治を「小栗旬」、妻役宮沢りえ、愛人(A)を沢尻エリカ玉川上水で心中する愛人(B)を「二階堂ふみ」。坂口安吾を「藤原竜也」であった。出来栄えは、う~む人間失格への濃厚接触が希薄であった。ただ男と女が抱き合い、交わっても、人間失格とはならない。映像は色彩やなシーンと、思いっ切りダークにした、独特の蜷川ワールドであったが、美術のセットがいかにもバレバレであった。上映時座席にお客さんはたくさん座ったのだろうか(?)(つまりヒットしたかどうか)小栗旬はあと10年位年を重ねると、もっといい味が出るのではと思った。ドキュメンタリーは、アメリカで起きた女子高校生のレイプ事件。アニメと実写を使って実話を表現する。SNSによる噂さの拡散は恐ろしい。年頃の娘を持つ親とか、孫を持つジイジイ、バアバアが見たらゾッとする。ネットという暴力によって、女子高校生は自ら命を断つ。私座席なら最大限の復讐をする。午前五時二十四分二十一秒。外は明るくなっている。どんな政府案が出て来るかと思っていたら、国民一人ひとりに、布マスク2枚をと聞いて、私座席は席から落ちそうになった。その予算200億円、布マスクは全然「マスクデラックス」でない。(文中敬称略)




2020年4月1日水曜日

「閑話休題」

三月三十日米紙USAトゥデイ(電子版)に、「世界中が疫病と死と絶望に包まれている時に、なぜオリンピックの日程を発表する必要があるのか、「無神経の極み」だ。せめて暗いトンネルを抜けて光が見える時まで待てなかったのか。同紙の運動担当のコラムニストの記事があったようだ。私もコロナ対策をしっかりと先きを見て対策をしなければならない。冷静に判断をしなければならない。無神経の極みといわれないよう。長い付き合いの飲食店、バー、クラブの人からお客さんが全然来ない、来てよ、来てね、来てチョーダイと連絡が入るが、とてもそんな情況ではない。誘っても今は止めとくとなる。義理を欠くのがつらい。生き残りをかけたサバイバルゲームが始まっている。こうして書いているのも、無神経の極みかも知れない。午前二時いつもより二、三時間早くふとんに入ったが、レンドルミン一錠+サイレース一錠は全く効かない。仕方なくパジャマにベストを着て、ドキュメンタリーシリーズを見る。「フロイト・若き天才と殺人鬼」第一話「ヒステリー」第二話「トラウマ」第三話「夢遊病」を見ていたら、午前五時三十六分〇八秒を時計の針は通過した。ロックダウンされる前に出社して、いろいろやらねばならない。いつも無表情の美人アナウンサー「夏目三久」さんは、紙人形みたいだなと思った。NTVの報道番組のレギュラーも長いし、深夜番組で下ネタ話にも動じない。朝から深夜までよく働くなと感心する。ニュースはしたたかな小池百合子東京都知事にジャックされ、さながら選挙活動みたいになった。山本寛斎さんが白血病を公表、クドカンこと宮藤官九郎さんがコロナに感染。オリンピックの400メートルリレーの選手、サッカーの選手と続々感染拡大。今日は強風と雨、さらに雷とか。すでに雨音が強くなっている。女子ゴルフずーと中止、プロ野球も集団練習活動や試合などを中止。サッカーも中止。政府の有識者会議(?)総理大臣やあの財務大臣もマスク姿。奇妙な会議風景をはじめて見た。大阪の吉村知事が政府は早く、封鎖を、対応が遅すぎると記者に応える。こうなると、へそ曲がりの対応を側近たちと練るかも知れない。病院→遺骨になって帰って来た、「志村けん」さんが悲しい。若き天才フロイトの時代は、電気がなく、灯りは月の明かりと、ローソクのユラユラする灯りだけ。どんよりした暗い時代だ。やたらにコカインを飲むフロイト。シリーズに“無神経”はないようだ。雨が激しくなって来た。財界から緊急事態宣言を早く、都知事も早くと政府を促す。ずっと眠っていないのでバナナを食べる。珈琲を飲む。ついでにプチケーキを四つ食べる。脳が疲れているのだ。普段はほとんど食べない。コロナ問題で一番有名になったのは、白鷗大学教授「岡田晴恵」さんだ。朝・昼・晩アチコチのニュース番組に出ずっぱり、髪は乱れバラけて汗ばんだ顔や首筋にへばりついている。きっといい人なのだろう。が、日々疲労度が増している。ニューヨークの病院は“地獄絵図”とか「コンビン麻衣」さんという人が報告する。2~3週間後は東京もこうなるかもとコンビンさん。ジョルジオ・アルマーニが防護服のデザインをするとか。私の大好きなニューヨークのセントラルパークは、コロナのテント村になっている。今や日本国のリーダーが誰か分からない。北海道の若い知事、大阪の若い知事は対応と行動と実施が早い。台湾の蔡英文総統はさらに早い。ドイツのメンケルも復活。女性力はすごいと思う。厚労大臣の影が急にうすくなった。悪魔のようなあの民主党時代が口グセのリーダーだが、疲れ切ったピッチャーは交代したほうがいい。キャリア豊富なピッチャーに。顔色がすこぶる悪い森喜朗元総理ではもう仕切れない。日銀総裁になれずに、オリンピックに身を投じた。武藤敏郎は使えない。スネに傷のある者ばかりで、スポーツ音痴だ。延期を待っていたかのように、元電通専務高橋浩之がオリンピック招致で、9億円近い金を手にしていたかのような記事が出た。アメリカの新聞によると、来年開催できる保証は、何もないと書いている。スポーツマフィアが利権を仕切る、商業オリンピックは、見直す時が来たのだ。熱いシャワーを浴びていざ出陣だ。♪~ 上を向いたら キリがない 下を向いたら アトがない。「泣いてたまるか」故渥美清さんの歌声が聞こえる。圧倒的に数が多い、貧者が最後に残ると決まっている。(文中敬称略)