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2012年3月6日火曜日

「コテンパン」


長野刑務所


ある世界では人を見たら、会長、社長、先生といっておけば大丈夫という教えがある。

旅館業の世界で後始末が一番大変なのが一位先生関係、二位警察関係、三位は確かお医者さん関係だったと思う。
小・中・高・大学と上に上がる程先生の目線は上がる。
生徒ばかり見下ろしているから知らず知らず自分は偉い偉いと思ってしまうのだ。
法律、生物、化学、建築や力学、工学などは、形や公式、実体が生まれその存在が明らかになるが。
文学や歴史はほぼ検証と推理と評論である(面白そうだ、何の責任も生じないから)。
政治、経済となるとやや競馬や競輪の予想屋的になる。殆どの推測と理論は役に立たず外れる。
 中でも政治学は学者自身が政治の経験がなく過去の歴史を持ち出して比較検討するのであってまるで迫力がない。

政治学者が総理大臣になったり、議員になったりしない。
ミカン箱の上で演説したり、演壇で土下座したりはしない。やおら水田の中に入り正座して顔面を水田の中に入れたりはしない。ある世界ではお乳を触ったり、お尻を触ったりはするのが一番多いのは先生といわれる。

1人1人と握手したりはしない(選挙の時の候補者の様に)当然自分のお金などは使わない。
先生達は手がひび割れたり足がしもやけになったりはしない。

北海道大学大学院で政治学を教える山口二郎という教授が橋下徹と対決しコテンパンにやられてしまった。
「あんたら学者は税金で食わしてもらっているんでしょ、何の責任も取らない始末の悪い存在なんだよ」みたいに。
教授の唇はワナワナ震えていたし、顔面は蒼白であった。

「私はね、民意で選ばれてんだよ、オッわかってんのか、この税金ドロボー、悔しかったら選挙に出て当選してみろこのバーロー」みたいな酷くお下品な雰囲気であった。学究の人は校門の外に出ると与太った政治家に先ず勝てない。

差別と貧困の中で育ちのし上がった者には失う者がないからだ。
無手勝流は強い。日本人は付和雷同だから来年の今頃橋下徹がどうなっているかは分からない。

あのホリエモンは時代のヒーローであったが今は長野刑務所の囚人だ。日本中の公安・警察は血眼になって橋下徹のスキャンダルを探している筈だ。

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