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2014年10月20日月曜日

「ある歌手の覚悟」




1960年創業時に入社した人間で定年退職したのはわずか一人だけ。
先日再上場したリクルート社のことだ。世に「リク系」という言葉がある。
リクルート出身の人間は仕事が出来る、使いこなせない位に使える、そしてみんな起業していく。
どの会社もリク系の人間をリクルートする。

私も何年か前に仕事をしたが、とにかく若い、決断が速い、決定が速かった。
2528才で課長になり、3235才で部長になり、退職、起業する。それより長くいた人間は4045才位で役員になるがやはり殆どが起業もしくは、リクルートされていく。
それが社風であり決まりのようでもある。

リクルート事件の時手を差し伸べ救ったダイエーは今や跡形もない。
女装して逃亡していた創業者「江副浩正」は時代の先を走り過ぎて桂馬の高転びのように転倒してしまったが、残した人材という宝がその意志を受け継いでいた。

「自ら機会をつくって、自らその機会で変えよう」確かこんな社訓があった。
リクルート事件以来、社訓は外されたが、一人ひとりの社員はそれを胸にし、大事にし、その教えを守り次々と新事業を生み、また退職し起業している。ダイエーは人材を残さずに消えた。


リクルートは木の枝から落ちた種から、木が生まれ花を咲かせる「実生」のように人材の木を育て、花を咲かせた。10年守りの経営に徹すると企業はだめになると、ある高名な経営者はいった。すべては人材次第といえる。
人材がマンネリ化すると企業を生活習慣病のような状態にする、一族経営の代表だった。
サントリーがローソンの社長をリクルートしたのはそのことがよく分かっているからだろう。
ある調査によると1830才、1000人に起業に関心があるかとの質問に、日本の若者の58%が無関心と答えた。

東大を出て一流銀行に入って、思い切って一人で起業した人間がいる。
起業とはこの人の場合は作詞作曲、そして歌手になることだった。
自分で書いた曲を自分で唄う。

10月19BSプレミアム1050分~1220分、歌手名「小椋桂」の生前葬コンサートを見て聞いて涙した。小椋桂はしばらく入院していた。
医師から劇症肝炎といわれ、ほぼ死んだ状態の体となりながら、死を覚悟し予定通り4日間100曲のコンサートに挑んだ。

白いタキシードは死に装束、白い花に飾られ、オーケストラをバックに必死に声を絞り出す。
かつての透明な声ではないが神々しい姿から出る声は、細々とし、切れ切れとし、時に繊細を極め、冷静な熱情にあふれていた。私はこの人の生む日本語の美しさに心を強く惹かれてきた。中でもこのフレーズが好きである。「こうとしか生きようのない人生がある」小椋桂はこう唄っている。

誰にも死は訪れる。若者たちよ悔いのないように自分を生きよ、人を愛しつづけよ。君たちの輝きを大切にと。小椋桂(70)の詩には、時、花、風、光、影、あの世を暗示している言葉が多いのは、若いころからの死生観なのだろう。

♪~時は私にめまいだけを残して行くだから・・・眠りにつこうとしている私を揺り動かさないで・・・。鏡にうつったあなたの向こうに青い青い海が見える・・・さよならを描こうとした口紅が折れてこわれた・・・。残念ながら近々彼の訃報に接するだろう。アンコールの拍手にはもう応じられない。

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