1870年代アメリカ西部。荒野の中に小さな町がある。
教会も当たり前のように小さい。両開きの扉を開けるとバーがある。
長い木のカウンターの前に立つカウボーイ。馬は外でじっと待つ。
カウンターの奥には店の主人、二階はホテル。
大きな胸を見せた女性たちが階段を上下する。スカートはカーテンのように長く広い。
バーボンを頼む、ショットグラスで一気に飲む。ワンコインをカウンターに置く。
バーには常連のカウボーイたちがいてトランプでポーカーをやっている。
脇にはライフル、腰にはガンベルト、そこには二丁拳銃。
よそ者が来ると一斉に身構える。紙巻きたばこの煙が動く。
町には必ず成金の支配者がいる。支配者に買収された悪徳保安官がいる。
用心棒を金で雇っている。町には正義感の強い者がいるが殺される。
荒野で求めるのは「土地」だ。土地を支配したものが町を支配する。
かつて原住民のインディアンがいたが白人が殺してしまった。
弱い者たちは神に祈るしかない。
支配者は好き勝手をしながら、アメリカには自由と民主主義があるとうそぶく。
支配者の言う自由とは、好き勝手にするという自由だ。すべては金によって支配する。
支配者たち白人は、原住民にとってはよそ者であった。
イギリス人、フランス人、オランダ人、スペイン人たちだ。
こんな町に凄腕の賞金稼ぎとか、裁判所から委任されて犯罪者を追う正義の味方が現れて、汚れた町をキレイに掃除して去って行く。西部劇の定番ストーリーだ。
昨夜久々にその西部劇を見た。
2017年現在アメリカは根本はちっとも変わっていない。
150年前と基本的構図は変わっていない。
凄いと言えば支配者がほとんどユダヤ系であり、ライフルやガンベルトに二丁拳銃などは持っていない。その代わりにありとあらゆる地球上の情報という武器を持っている。
その最強の武器がアメリカを動かし、世界を動かして来た。
ハリウッド映画は必ずハッピーエンドで終わって来た。
正義が勝つと決められていた。ベトナム戦争以降、それは変わった。
「ジョニーは戦場に行った」、この映画がハリウッドの常識を大きく変えた。
アメリカが旗印にする正義のための戦争が、ひと握りの資本家という支配者のための金稼ぎであったことを知る。
ユダヤ系の人間がつくったハリウッドはハッピーエンドで終わらなくなった。
アメリカの天敵ロシアとトランプ一家がツーカーの状態だったことが、アメリカが誇る伝統の正義によって裁かれる。
西部の小さな町に現れた、正義の味方のようなものがアメリカには決然とある。
ロシアとツーカーだったのがトランプ大統領の娘、ユダヤ系というので実に話の構図が分かり易い。
「スミス都へ行く」という映画で支配者の不正を暴く熱血議員の姿を描いた。
西部の町の無法者「リバティ・バランスを撃った男」で伝説には隠れた真実があることを描いた。アメリカの正義はどうなるか。
我が日本国は無法者リバティ・バランスが支配する西部劇のようになって来た。
私の期待する人が「スミス都へ行く」の主人公になる日がきっと来るのを信じている。久々に見た西部劇はまるで現代劇と同じであった。
無法者リバティ・バランスを撃つ男は“リベラルバランスで撃つ男”である。
いつものグラスにバーボンを入れた。
0 件のコメント:
コメントを投稿