友人のピート小林君の紹介で三人の若い写真家が来た。
ピート氏はかつてジャガーやアップルやサントリーの仕事で幾多の広告賞を受けた。高名な文章家であり英会話読本の著者であり、日本中の桜を撮る写真家である。近頃は日本中の案山子の写真を撮っている。
先日TBSの夜の番組V6が出演しているクマグスに、案山子クマグスで出演した。超マニアックな番組で私も必ずモニターで録ってもらって見る。
若者は二人が男、一人が女性であった。久々に志を持つ若者たちであった。(歳は三十前後)新鮮な二時間のやり取りであった。話は彼等がリーダーシップを発揮している写真家のイベント、若い感性のサミットの審査員をして欲しいという趣旨であった。私は基本的にあらゆる審査はお断りしている。
一度だけやってこりごりした。人それぞれ苦労した作品をとても選ぶ事が出来なかった。それ以来してない。
持ってきたパソコンで前回のイベントを見てくれと言われた。パッと見た瞬間、それ以上見るのを止めた。その後話を進めると、一人のリーダー格の若者がイベントも見もしないで失礼じゃ無いですかと言った。九州男児、ステキな顔立ちに怒りがわなわなと出ていた。それでいいんだ。怒る事が一番の創造になるのを知っている。外人の様な顔立ちの女性、黒いベレー帽風に黒い革の上着を着た男。三人の目をじっと見続けた。三人ともイノセント、純粋であった。私にとっての出会いは、その人達の過去ではなくこれからである。この先に何かエキサイティングな展開が生まれるか、自分の目が頼りである。ジャズでいうセッションであり、アドリブであり、舞台でいえば即興であり、ロックで言えばビートとフレーズの交差である。
過去を見てしまうと先入観が入りすぎてしまうからかえって危険だ。若者にあるのは感覚のヒダの数だ。脳しょうの騒々しさだ。残念ながら私にはその若さがもう無い。だから若さは羨ましい。小さくなって欲しくない。オリジナルを追求して欲しい。写真家は写真を撮ってもらえば一切の言葉が無くともその撮り手の明日が見える。
近々一人のとんでもなくユニークなミュージシャンの写真を撮ってもらう事にした。UCKという29歳の若者だ。彼の放つ言葉は、言葉の自叙伝、音楽の懺悔と叫び、生きる事へのメッセンジャーだ。分かりやすく言えば一人の元ギャングが妻と子と別れた。悪の道に入るか、入らないか迷っている少年少女に自分の体に示した無数の刺青を通してメッセージを送るのだ。彼は泣きそして叫ぶ。新しい音楽のジャンルを切り拓くだろう。
三人と会った次の日、友人の個展が勝どきの倉庫の中であった。そこに着物を着た美しい外人がいた。笑って近づいて着たその女性は前の日に来た写真家だった。私が帰った後、他の二人も来てくれたという。私に会えず残念だったと言い残してくれた。
UCKと三人の若き写真家。どんな作品が生まれるだろうか。とても楽しみだ。
若い感性を励ます、それが私の使命だと思っている。でもやっぱり負けねえぞ。まだまだだ。
2 件のコメント:
初コメントさせていただきます
先日は喝を入れていただきありがとうございました
目の覚めるような思いを久々にいたしました
奇縁曼荼羅でも書けそうな日々ですが先日のレセプションも
私にとって衝撃的な出逢いとなり感謝です
私は生粋の日本女子ですが日本が大好きな外人によく間違われます(笑)
まぁそれはそれで我が道を進めば良いだけのこと
ブログに書いていただき嬉しかったのであえてコメントいたしました
UCKさんとのセッションも楽しみにしております
いつも東本さんには、励ましを頂いておりますが、まだ叱咤を頂けるまでには到達しておりません。話をお聞きしてるだけで、自分の小ささを再認識いたします。ありがとうございます。
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