私はわたし自身が認めない評論家が大嫌いです。
中でも教育評論家という奴は特別大嫌いです。
したり顔でスマホ依存やメールやツイッター、フェイスブック、ライン依存はイケマセン、親との距離があるからです。親よりメル友の方が大事な話相手、相談相手なのです。
国や都道府県や市町村の教育者は深刻な問題として捉えなければなりません。
終電にゆられゆられて帰宅してテレビをつけるとアホでバカヤローな教育評論家がコメントしていました。
お前の言っていることは誰だって分かっているんてんだよー、その深刻な大問題をどうすりゃいいのかがお前の仕事だろうが、とひとりでブツブツいいながら時計を外し、靴下を脱ぎ、二日前にご仏前に供えた“みたらし団子”を今夜中に食べないと固くなってしまうからと口に入れる。
教育評論家が何の役にも立たないから子どもたちは迷い悩み苦しんでいるのだ。
結果論ばかりで救い難き職業の者共だ。
一本食べ終わったら二本、結局三本食べてしまった。
何の苦労もしないで、喧嘩の一つもしないで、殴られた痛さも知らないで、殴った時の突き指の経験も知らないで、大学の教育学部なんかを卒業して、気がつきゃ肩書に教育評論家だ。結局心の問題なんです。でお終いであった。
マッタクいい加減無責任な奴だと思った。
子どもたちの苦悩や寂しさ、愛情に飢えた姿と真正面から立ち向かうなら、講演ばかりでしこたま稼いではいられない筈だからだ。
私は教育評論家を本気で教育してやろうかと思ったりしている。
その夜二人のお客さんと久々に飲んでいたら、三人のダーセイおっさんが英語の歌ばかり唄ってた。
聞けば一人は新聞社の文化部の男、もう二人は教育関係の人という事であった。
うんざりするほど下手なので気持ち悪くなってしまった。
テレビを見てうんざりしたのはそのせいかもしれない。
私の知人が旅館を営んでいる。
客としていちばん性質が悪いのは、警察関係、次が役人関係、その次が教育関係と決まっているらしい。彼等は何もかもやりっぱなしなんだとか。
私は行かなかったが先日高校一年の時のクラス会があった。
幹事の人間に先生は来たかと聞いたら、アイツは酒癖がすこぶる悪いので呼ばなかったと言った。トホホな話だ。
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