ページ

2014年7月4日金曜日

「明け方のソーメン」






その日、午前三時四十五分を過ぎた。
激戦死闘のW杯サッカーの試合が終わった。

テレビの画面には突然ウィンブルドンのテニス大会が写し出された。
サッカーとテニス、その余りの違いに私の熱くなっていた体は、気の抜けたビールの如く著しくテンションが低下した。

サッカーは、民族対民族、宗教対宗教、歴史対歴史、怨念対怨念、屈辱対屈辱、侮辱対侮辱の戦争である。路地や原っぱや広場で生まれた貧困のスポーツである。
それ故人間たちは熱狂し、絶叫し、歓喜し、泣き合い抱き合い、時には暴動となり殺しあう。片時も目を話す事が出来ない。
九十分間一点も入らないと思えば一瞬で一点が入ってしまう。

私がテニスと全く縁がないのは、テニスはお金持ちのスポーツだからだ。
ウィンブルドンには何ら殺気を感じない。
観客は実に折り目正しく、ただ首を動かし、目を右、左、左、右と動かす。
喚声が上っても絶叫はない。個人対個人であるから決して暴動や殺し合いも起きない。
紳士淑女たちのスポーツなのだ。軽井沢が似合うのだ。
だからどうだというものではない。テニスもまた死力を尽くす事には変わりはない。

中学の頃野球が盛んであった。
小さなグラウンドは野球部がほぼ占拠していたのだが、テニス部がグラウンドを使う事があった。オメエ等男のくせにテニスなんかしてんじゃねえよ、なんて悪口雑言を放っていた。

人はそれぞれだから、地球上には人間が生んださまざまなスポーツがある。
それ故人それぞれ好き嫌いがあるのは当然だ。
時間が走り回るスポーツがサッカーなら、時間が途切れ途切れするのがテニスといえる。試合中何度かタイムアウトが許され、椅子に座りタオルで汗をふき水分などを補給する。いっそ九十分一本勝負ぶっ続けでやり、どっちかが死ぬ寸前までやったら面白いのにな、などと思った。

貧乏と金持ちの間は決して近づく事はない。
私がよく行くおそば屋さんにテニスを楽しんだジジイ、ババアたちが汗臭い体に変てこなファッションで昼そばを食べに来る。
他のお客の事を考えず、ギャーギャーうるさくてたまったもんじゃない。
紳士淑女には程遠いのだ。

テニス派の人が読んでいたらスミマセン(あなたはそんな人でないはずです)。
W杯サッカーの合間にウィンブルドンのテニスを“つなぎ”に放映するNHKのセンスが悪いのです。

明け方にすする冷たいソーメンは実に旨いものです。
サッカーとミョウガがミョウに合うのです。

0 件のコメント: