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2014年7月9日水曜日

「ある一面」




朝日新聞という新聞は、肝心な時に腰が砕けるという顕著な歴史を持っている。
連日反戦、反権力を主張していたかと思うと、一夜にして突如体制に組みした新聞となる。

七月八日(火)帰宅して夕刊を広げ、私の腰が砕けてしまった。
台風で初の特別警報発令!最大級の台風8号が宮古島から沖縄に来襲、すでに瞬間風速50メートルを観測したというのに、一面の大見出しには、ドーンと「谷中の全生庵、異色の禅寺」中見出しには「安倍首相から社長まで」小見出しには「46歳住職・心の自然治癒力 強調」とあるではないか。

「沖縄50万人避難勧告 台風8号」は左隅に小さな三段記事扱いだった。
一面の半分を“全生庵”の紹介に費やしていた。緊急性のないこの種の記事が一面トップを飾るのは異例といえる。

全生庵は幕末の英傑「山岡鉄舟(幕臣)」が明治維新で命を落とした人を弔おうと建立した。山岡鉄舟は、明治天皇の教育者となる。
山岡鉄舟、勝海舟、高橋泥舟の三人を世に幕末“三舟”という。
全生庵はやがて国士たち、右翼思想家、財界人が座禅をし、学び合い、集う所となる。

その中心に先年亡くなった「四元義隆」がいた。
四元義隆は東大生のテロリストとして有名になった行動思想家であった。
一人一殺をスローガンにする水戸の日蓮宗住職「井上日召」の弟子となり血盟団事件を起こす。吉田茂、中曽根康弘など時の権力者たちは師と仰いだ。
九十歳過ぎまで命を保ち影響力を持ち続けた。

記事を読むと、一度権力を手放した安倍首相が再生を目指し、全生庵に通い座禅を組んだ。そして権力を再び手にした今も時間を作っては通っているとある。
さて、この様な記事が何故に七月八日に必要なのか腑に落ちないのだ。
昨日まで集団的自衛権反対一色だったのに。
きっとどこからか、オイ朝日調子乗ってんじゃないぞと凄まれたのかもしれない。
何かがあったのは間違いないだろう。

今の朝日に気骨のある記者はいない。
かつて東京読売に「本田靖春」という伝説の記者がいた。
私はこの人に心底憧れていた。「我、拗ね者として生涯を閉ず」という本を読んでもらえればその記者魂の凄さが分かるはずだ。インターネットで検索だけでもしてほしい人だ。

箸にも棒にもかからない新聞となってしまった毎日には「大森実」という国際的記者がいた。大阪読売には「黒田清」という黒田軍団を率いる記者がいた。
コメンテーター大谷昭宏はその子分である。いい記者魂であった。
根性者がいなくなった新聞はきっと滅びて行くのだろう。

私は使えないが、ネットの情報力の敵ではないからだ。
私は最早再生不可能なのだが、七月九日現在午前一時十三分十一秒、これから座布団の上で沈思黙考に入る。日本は立憲国家から王政国家になって行くのだろうか。
皇帝ネロみたいな人物がずっと天下人でいるのだろうか。
織田信長はこの国に王は二人必要でない、自ら天皇の上に立つ野望を持って安土城を作った。天守閣の下が天皇を迎え入れる場所であった。神も恐れぬ城が安土城であった。

拉致問題で北朝鮮との第一弾取引が成立したかもしれない。
支持率を上げ一気に解散をするやもしれない。ライバルの石破茂を徹底的に使い潰す。
口うるさい先輩や老人たちを絶息させる。公明党を必要としない体制を作る。
野党は文字通り霧散させる。一党独裁から一人独裁の王となる。

うーむ、となると必ず謀反人が出る。ユダが出る。
裏切り者は直ぐ側にいると歴史は教える。うーむ、少しずつある一面が見えて来た。
朝日が何故一面を全生庵で飾ったかが。

いつものグラスに冷えたビールを入れることにしよう。枝豆がつまみだ。
うーむ、雑念ばかり浮かんでしまう。これが私の悪い一面なのだ。(敬称略)

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