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この季節毎年思う事がある。
梅雨の終わり必ず記録的大雨が降る、そして山が崩れ、河は氾濫し大洪水となる。
また強烈な台風が来襲し、梅雨前線を刺激し更なる大雨が降る。
毎年それは繰り返される。
あなたは風速20メートルとか30メートル、40メートルという数字でおよその風力を想像出来るはずだ。震度3とか5とか6とかは想像できるはずだ。
だがしかし一時間に50ミリの大雨、100ミリの大雨と言われても、50ミリといえば5センチか、100ミリといえば10センチかなんて想像したりするだろう。
気象庁は50ミリ、100ミリの雨がいかに凄い事なのか視覚的に教えてくれない。
雨の凄さを傘をさしている場合はこれ位とか、車を運転している場合はこれ位とかの実験は見せているのだが。
実はこの細長い国は、国士の80%近くが森林である。
人間の住居の殆どは河の側にあり、海にある。山の下にあり、崖の下にある。
気象庁は警報の呼び方を変えたが、それは言語警報による気象庁の自己満足でしかない。
コンピュータグラフィックが進化を遂げているのだから、50ミリの雨だと◯△川はこうなるとか、100ミリだと××山は崩れるとか。
◎△地方の×△地区は毎年の雨でこんな状況だから酷い土砂崩れになるとか、△□河、□×川はこれ位まで水位が上昇する、あの橋、あの土手、あの地域は危険だと視覚的に見せる事が出来るはずだ。
何しろこの日本国の歴史は災害の歴史だから、2000年間の膨大な資料データが気象庁にあるはずなのだ。
役所仕事の極みで予報や予測が外れたらヤバイ、マズイ、だから警報表示でお茶を濁しておこうとなり、毎年災害を繰り返す愚挙が起きる。
卑弥呼の時代から、国を治めるという事は災害を予期しそれを防ぐためであった。
世界中で生まれた王国の王たる者の仕事とは、全て大自然への畏怖と治山治水、災害への備えであった。荒らくれの戦国武将や、諸大名の仕事の第一は災害への備えであった。
強大な台風が来るぞ来るぞと日本地図を出し、その進路予想をし、避難勧告を出す。
本来であれば国家の主が前面に出て詳しく説明しなければならない。
繰り返し見る光景は、被災に遭った所にピカピカのヘルメットと真っさらな作業着と長靴で大変でしたね、なんて小一時間回るだけだ。
政治とは「治」める事だ。七月七日七夕の日、国の主はオセアニア旅行に行って居ない。
国土交通大臣が呼びかける事もしない。
七月八日午前一時五十分ジャスト、NHKでは日本地図と進路だけがチンタラ、チンタラ流れている。台風情報というタイトルとだらだらしたBGM。
危機管理体制はまるで見えない。NHKのアナウンサーは次の時間までのんびりとマンガを読みながらカップラーメンをすすっているのかもしれない。
大宇宙の神秘をコンピュータグラフィックで詳細に教えてくれる時代なのに。
オッ、二時になった。NHKにアナウンサーが出てきた。
風速70メートルの猛烈な風が吹き、一時間に100ミリ以上の記録的大雨が降る事が予想される。外出せずに危険な所には近づかない様にと同じ事を繰り返す。
身を守る事と、繰り返し喋っている。
実感が分かる映像で教えるべきだと私は思う。
それがない限り、えっまさかあの山が、あの岩が、あの川が、あの橋が、あの地域がを繰り返すだろう。気象庁は全て分かっているのだ。
二時十三分NHKは日本地図を流し出した。
民放は台風などは他国の話の様で、通販とか低俗な番組を流している。
何もかもがデジャヴ、いつか見たものなのだ。責任者出て来い!と思うのだが。
あなたは国土交通大臣の名前、気象庁長官の名前を知っていますか。
私は知りません(?)(?)。
マンゴーは宮古島や宮崎産が美味しいのよと教えてくれた博学の女性がいた。
大恩人なのだが、恩知らずな事をしてしまった。
果実店でマンゴーを見る度に思い出しお詫びする。
「黒門なべじ宮崎産のマンゴー」を頂いた。宮古島地方に台風は接近している。
午前二時四十七分二十四秒、礼状を書き始めた。
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