2019年12月20日金曜日
2019年12月19日木曜日
「一握の砂」
昨日午後、新装になった日比谷東京會舘で行われる、パーティへのポスターパネルを届けた後、数寄屋橋から銀座四丁目へ向かって、テクテク、トボトボ、キョロキョロしながら歩いた。キョロキョロしたのは数寄屋橋公園であった。年末恒例の10億円が当たる、宝くじの行列の長さにであった。TVCMで鶴瓶師匠が、買わないという選択肢はないやろ! と言う。その影響が大きかったのか、それとも宝くじマニアか、一度当たるまで買い続けるイズムの人々か、そこに行列があるから並んでみっか的な人か、年末恒例の行事を大切にしている人々派であったのだろう。長い長い行列であった。人々は静かに列を作る。日本人はルールを守る。会話などを交わす人はいない。この列は何かに近いと思った。キリストを題材にした映画の中で見るシーンだ。“信じるものは救われる”、そう教える主キリストの後に生み出された人々の行列である。あるいは聖パウロの後に続く行列。誰か知っている人がいるかもと、キョロキョロとしたが、いたからといって、なんと声をかけるのか、と思いキョロキョロをやめて、歩く速度を速めた。主よ行列の中から10億円を与え給えと念じた。昨日寒風なく、冷気もなく、冬でもない、オーバーコートは着ていない。変てこな12月の陽気だ。今の世は、変てこだらけでこの先を知ろうとすれば、キョロキョロと鋭くなければならないのだが、どうもそうはいかない。52歳で現旭化成の社長となり、会長となり、82歳でこの世を去るまで30年間経営をして、中興の祖となった宮崎輝が、“夢を持たない会社はイケマセン、進歩も成長もない。庭の盆栽みたいになって枯れてしまう”。こんな言葉を何かで読んだ記憶がある(確かでない)。ダボハゼ経営という、変てこな方法論であった。韓国の現代自動車が遂に世界ラリー選手権でトヨタを負かした。日本人学生の読解力は中国にまったく及ばない。女性の進出率は世界で121位という、まるで封建時代以下。国の借金は第二次世界大戦時を凌ぐ数字だ。みんな懸命に働いているのに、「わが暮らし楽にならざり、じっと手を見る」。日々貧しく借金魔といわれた石川啄木と同じ状態が、国全体となっている。それなのに大企業は税金を払わず、4百50兆円以上貯め込んでいる。日本をアメリカ的にするんだと、竹中平蔵という学者の教えに従い、完全に変てこになってしまった。日本人にビジネスライクは合わない。アメリカンドリームは移民の国であったからだ。単一民族国家でずっと来た島国日本には、ささやかな夢を一つひとつ、みんなで叶えるのが向いている。 “みんなで”、私はこの単純な四文字がこれからのキーワードになると思う。石川啄木は亡き父の座右の書であった。アホな私も詩集「一握の砂」は大切にしている。
(文中敬称略)
2019年12月17日火曜日
「ナポリの隣人」
昨日深夜見た映画は、貧しさに負けた悲しき物語だった。♪ ~ 雨降りしきる夜 空っぽの手が あなたを探す でも どこを探せばいいのか わからない ♪ かつて あなたは愛してくれた 今はただ雨が降る かつて あなたは話してくれた 今は沈黙があるだけ 声は凍てつき 泣くすべもなく あなたが去ってから 胸裂く思いが数知れず 灯る …… やがて朝が訪れ それも去ってゆく …… イタリア人女性歌手が、切なく、悲しげに歌う。ジャンニ・アメリオ監督の「ナポリの隣人」という映画は、イントロの歌でもう十分に泣ける私好みの映画だ。愛の歌はフランス語、イタリア語、そして韓国語がいい。ナポリという街の名を知ったのは、十代の頃であった。オールナ ルナ ナッポリ ターナで始まる“月影のナポリ”という歌であった。その頃の洋楽は日本語に訳され、ジャズやシャンソン歌手、ポップスシンガーが、日本語と外国語とビビンバ(混ぜこぜ)にして歌っていた。私が一番好きだったのは、「刑事」という映画の主題歌であった。♪ ~ アモーレ アモーレ アモレミィーオ。主人公の老刑事が名優ピエトロ・ジェルミ、犯人の恋人役がクラウディア・カルディナーレであった。この映画を観終わったときから、私は映画中毒者に完全になった。「ナポリの隣人」の主人公は、街になじまない無器用な34歳の男と貧しき親子、そして老弁護士であった。“汝 隣人を愛せ”を守っている。初めてナポリに行ったとき、レストランで、スパゲッティナポリタンをオーダーしたら、チンとプンとカンがセットになった顔をされた。同行していたコーディネーターが、そんなのはアリマセーン! パスタ・トマトソースとオーダーねと言われた。それ以来私はパスタと言えば、ほぼメイドインジャパンのスパゲッティナポリタンになった。短編で映画も作った。イタリア映画はマフィアを題材にしたのがいいが、断然いいのが貧しい市井の民を題材にした作品だ。「自転車泥棒」を見たときは、ボロボロ泣いた。荻窪の小さな映画館だった。工事現場で働く、真面目で無器用な「ナポリの隣人」は、貧乏な父が、息子のために中古のおもちゃの消防車を、買ってあげようと思う。売っている男は200ユーロだと言う。しかし金がない。でも買ってやりたい。男は自分を追い込んでいく。老弁護士は貧しきナポリ隣人のために苦悩する。幸せは行く先ではなく、帰るところだと終わる。老弁護士の隣に引っ越してきた若い夫婦と二人のかわいい子は、無理心中をしてあの世へと帰る。7、8歳の男の子と女の子が、父親に梨のジュースが飲みたいと、せがむシーンが切ない。若い妻は美しい、いつかきっと誰かにとられてしまうのでは(?) と男は悩み苦しんだのだろう。今の幸せ(?) を守りたい。四人がいた。
2019年12月16日月曜日
「赤穂浪士討入りの夜に」
♪ ~ 君には君の 夢がある 僕には僕の 夢がある ふたりの夢を よせあえば ♪ こんな歌詞の青春歌があった。確か「北原謙二」という歌手が歌った。大ヒットした。今年の日本の状況に置き換えると、総理には総理の嘘があり、官邸には官邸の嘘がある。二つの嘘を寄せ合えば、嘘は“八百+八百で一千六百”という計算になる。まるで息を吐くように嘘をつくと言われている人間に、国家をまかせるべく選挙に勝たせたのは、国民の清き一票だから、民主主義国家としては、その存在を認めざるをえない。次の総理大臣はとの世論調査の第一位は、安倍晋三がこの男だけには絶対させたくないと言っている石破茂なので、年が明けると一気に政界は動く。すでに心ある政治家(意志のある人間)以外は、国会議員は就職活動の場と化している。高い給料と特別な特権付、さらに安い宿舎付だ。国会議員は三日やったらやめられネェなんて、酒が入るとつい本音を言う(?) 小泉進次郎という人気者もいるが、この若者は政治家的資質に欠けている。演説が上手いというが、すでにネタは尽きた。その手法もワンパターン化した。強い意志がないということは、ビジョンを持っていないのに等しい。父が変人だとしたら、この息子は無人だ。苦労をしていないので言葉が身についていない。これから一年、一年、メッキがバリバリと音を立てて、はがれて行くだろう。三権分立の国家であるはずの現在の日本は、司法も立法も、行政も総理官邸に、その権限を奪われてしまった。嘘八百の始まりはここにある。あの“加藤の乱”に加わっていた、菅義偉がアッチ、コッチとマークする人間を変えて、いつしか影の総理となった。官邸が官僚の人事権を握り、警察官僚を官邸以内に入れ、あらゆる情報やスキャンダルを手にした。もちろんその中には自分自身のもあるだろう。麻生太郎という上からしか物が言えない、へらず口の男は、腹の中では安倍晋三の血族、何するものぞと思っているはずだ。オレはヨォ~皇族ともつながってんだぞと。無礼が背広を着て歩いている。マンガのギャングみたいな帽子をのせて肩で風を切るが、本当のところは体中にガタが来ていて、マッサージなしではやってられないはずだ(?) 大企業にやさしく、中・小零細には厳しい。アベノミクス大成功なんて言っているが、大失敗なので数兆円以上の補正予算を組んで、ヨッタヨタ。同志社大学教授の「浜矩子」さんの言った、アホノミクスが大正解だった。消費税を上げたのに、税収が減ってしまったという現実を国民には直視させない。黒田東彦という、おそらく日銀総裁史上、最低度No1の男がへらへらと笑って許される。黒も黒、真っ黒の政治家、ヤバイときは眠れないから入院したと嘘をつく、甘利明が税制会長と言うから、アマリにもうイケマセンなのだ。天敵である東京新聞の望月衣塑子記者との質問のやりとりで、気色ばむ影の総理菅義偉は使い古された。「桜」という字は、聞きたくもない。見たくもないと言って苦笑した。その顔は実に正直でチャーミングだった。私も実のところ、あの三白眼の軍事オタク石破茂は大嫌いだ。100%総理大臣にはなれない。負け犬の遠吠えみたいに、正面切って戦いを挑まない男に、天下は取れない。政界はぐれ鳥になるだろう。7月の東京都知事選に橋下徹は出るか出ないか。山本太郎が出るか出ないか、他の人間ではシタタカな小池百合子の敵ではないだろう。我々零細企業は何を頼りにしたらいいのだろうか。何を、誰を信じたらいいのだろうか。救世主よ! なのだ。激変するIT社会にふり落とされまいと、必死なのだ。昭和のビジネスモデルなどは、時代遅れとなっている。家族経営とか終身雇用制度。人生100年時代なんて言うから、世の中は大波動を起こす。若者たちは夢も希望も持たず、“今”イズム=今さえよければいいのだとなる。少子高齢化はさらに進み、ヒト対ヒトのお店は消えていく。街はさらにシャッター通りとなる。60歳以上がハローワークに行くと、(一)介護(二)掃除(三)管理人(四)警備員と言う。有名一流会社出身や特別なスキルを持たない高学歴者は、就職先がない。2020年のオリンピック以降は、誰も予想できない国になっているのだろう。嘘つき国家の行き先は、誰に聞いたらいいのだろう。平気で法を破る人間たちが、法を作る資格はないと、某有名私立大学の学長さんが、新聞に書いていた。深く静かに潜航している人の中に、きっと救世主はいるのだろう。新しき年も、二階俊博(80)という大実力者が鍵を握る。何しろ人生100年時代、まだあと20年もある。これを喜ぶべきか、悲しむべきか、神のみぞ知る。が、神はいつも沈黙する。12月14日赤穂浪士討入りの日にこれを書いている。実はこの討入りも、あとから生まれた物語だ。かつて三州吉良に言ったとき、吉良上野介の悪口を言ったら、ヒドイ目にあった。私の人生劇場(尾崎士郎著)の憧れの人は、侠客「吉良常」である。中学生のとき、生活指導の教師に、将来何になりたいとの問いに、吉良常だと言ったら、母親が呼び出された。たくさんの恩人に不義理のまま、年の瀬は迫って来ている。♪ ~ こんな私に誰がした ♪ 菊池章子の歌が浮かぶのだ。(文中敬称略)
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2019年12月13日金曜日
「あなたはまだ、帰ってこない」
遂に入ったぞ、「Netflix」に、これで「アイリッシュマン」が見れる。村西とおる監督の「全裸監督」も見れる。ヤッホーなのだ。山田孝之が全裸監督を演じ、絶賛されている。ナイスですね、ナイスですねと言いながら、女性の裸体と男性の裸体の“くんずほぐれず”を撮り続けた村西とおるは、自称公称50億の借金を抱えた。だがしかし、この男はこの世に男と女がいる限り、人間の動物的欲望が絶えることはないと、撮って、撮って撮りまくった。借金取りは金を回収しないうちは決して命はとらない(たっぷり保険金などがある場合は別だが)、生かさず殺さず、高い利子をとり続ければいい。これまた、ナイスです、ナイスですなのだ。山田孝之という役者は、生き様も演技力も凄い。「闇金のウシジマくん」なんて山田孝之のためにあったような映画だ(原作は劇画マンガ)。まい日オムライスにたっぷり赤いケチャップをのせながら、借金の取り立てを命じる。女性とは不思議な生き物で、どんなに頑迷な女優も、監督から芸術のため、芸術のため、君の裸のシーン、“くんずほぐれず”のシーンが必要なんだ、君しか演じられないんだよ、と三日三晩言われると、99.9%は落ちる(裸になりますと決意する)と言う。女優と監督が恋に落ち、愛に落ちるのは“芸術のため”という言葉にある。「アイリッシュマン」は私の大好きな監督マーティン・スコセッシの近作だ。3時間半ぐらいの長さで、ハリウッドも余りに予算がかかると、手を出さなかったのを、「Netflix」が資金を出し制作した。アイルランド系マフィア、そのマフィアよりも力があると言われた、全米トラック協会(組合)のボス、ホッファーの話がある。ホッファーはある日こつ然と姿を消した。ある映画では、ホッファーはウィンナーソーセージにされてしまった。ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、大好きな俳優ばかりだ。出張先の仙台から帰る列車の中で、「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラはなぜレット・バトラーに捨てられたか、それについてのことを読んだ。スカーレット・オハラは好きだった男にもフラレた。美しいのに、呈しいのに、知的で行動力があるのに。読むとレット・バトラーは、その全部が気に入らず、プライドの高さも気に入らない。この女と一緒になんてやってられねえと、去って行ってしまった。ということであった。風と共に去ったのは、レット・バトラーか、それともスカーレット・オハラにとって他に違う何かがあったのか。解説はそれを示していない。「明日があるわ」。アメリカの男は強い女性を好む。しかし朝から晩までアイ・ラブ・ユーを言わねばならない。まい日朝のキッスをしないと、裁判で離婚訴訟に負けると言う。よこしまな私は列車の中で考えた。村西とおる監督がスカーレット・オハラに挑んだら、どうなったであろうかと。ナイスですね、ナイスですね、ゲージュツです、ゲイジュツですと。と、バアーンと散弾銃の音、村西とおるが、スカーレット・オハラに撃たれて、ボロボロになって床に転がっている。夥しい血の中で、ナイスでしたと言って笑う。この頃著しい不眠症のせいで、レンドルミンといいちこが、私の脳内をクリエイティブする(?) 私自身は全然ナイスではないのだが、映画があれば安定剤の役目をしてくれる。現在午前三時四十四分十三秒。女流作家の自伝映画を見終わった。1945年ドイツ降伏、パリ解放、愛する男はずっと待っても帰って来ない。ヒトラーが自殺したと聞きながら小説を書く。続々と収容所から人が帰ってくる。愛する男は帰って来ない。スパイだったのか、密告者だったのかは分からない。あるいは収容所のガス室で死んだのか。全編文学的言葉が続く(2時間)。実に見応えがあった。一人の女流文学者の、愛する男に込める強い愛が尊い。題名は「あなたはまだ帰ってこない」。作家は20世紀最大の女流作家と言われた“マルグリッド・デュラス”、「愛人/ラマン」が有名だ。愛とは何か(?) と悩んでいる人にはぜひ見てほしい。すばらしい文学作品だ。今の日本にはできない。すでに文学作品は絶滅的だからだ。文学者も生原稿で書くことがなく、PCで打つようになり(または口述)、劣化している。全然ナイスではないのだ。全裸になれ芸術のために。我が身をさらし出せ。純文学はそこから生まれる。
2019年12月12日木曜日
「消えた牛タン」
私は天邪鬼であり、大のラグビーファンでもある。今の心境は、だからニッポンはダメなんだよとなる。今年行われたラグビーW杯でニッポンのチームは、ベスト8になった。暗くて嫌な話ばかりの世の中で、久々に日本中が沸きに沸いた。ニッポンは強くなった。外国の選手をたくさんチームに入れて。外国人選手の中には、日本人より日本人的になり、チームを引っ張ってくれた。テレビの視聴率も50%を超える試合があった。チームの標語(ワン・チーム)は流行語大賞になった。だがしかし私は“まてよ”といいたい。優勝した訳でもなく準優勝でもない。強力な外国人助っ人に入ってもらっても、“ベスト8”である。明るい話には違いないが、スポーツの世界はNo1になってこそ価値がある。E・ヘミングウェイが言った「勝者には何もやるな」はすでに勝利というものを手にしたのだからとなる。0.001秒差で銀メダルになっても、金メダルの選手とは、天と地ほどの差となる(私は1秒にこだわる)。何故なら歴史という記録の中では、その価値が歴然とする。ニッポンは勝者ではない。アイデア不足で、すっかりマンネリ化したテレビのバラエティには、同じメンバーばかりが出て、バカ騒ぎする。ラガーマンたちが連日連夜、朝昼晩三食のごはんのように出ては、そのバカ騒ぎの相手をする。君たちはベスト8に残っただけだ、未だ世界のトップとは大人と子どもぐらいの差があるんだ。もし外国人の力を借りていなかったら、100対0で負けていたかも知れない(ニッポン人だけならありえる)。だからもっと、もっと体力をつけ、技術をつけ、走力、キック力を上げねばならない。テレビのバラエティに呼ばれなかった、スクラムを組む男たち(一人は笑わない男と言われ呼ばれた)は、なんだよアイツらばかり、チヤホヤされて思っただろう。つまり、ワン・チームではなくなっている。そして、昨日あろうことかベスト8の成績でパレードを行って観衆に手を振った(みんなで)。テレビマンたちはしてやったりと思っただろう。私は苦笑しながらニュースを見ていた。サッカーも同じだった。ベスト16の成績でチヤホヤされて、すっかりその気にさせてしまった。結局それ以降パットせず、個性的な選手は育っていない。プロ野球にいたっては、外国人助っ人の天国となっている。大リーグではすっかりの選手たちが、日本のプロ野球では、バカスカ打つか、大金を手にして遊び回り、スッカスカの成績で帰国して行く。狭い球場、飛ぶボール、飛ぶバットであっても、遊び過ぎた体には力が入らない。私は天邪鬼であるから何事も斜めに見る。日本人は「空気」によって大騒ぎとなり、潮が引くように忘れる。ベスト8はどこまでいっても“ベスト8”であって、“ベスト1”でない。団体競技は、数人だけがチヤホヤされてはいけないスポーツなのだ。真の「ONE TEAM」でないことに残念さを感じた。改めてテレビの力は恐い。出張していた仙台駅の待合室のテレビを見ながらそう思った。仙台駅は牛タン、牛タン、牛タンのみやげ店ばかりが目立つ。牛タンのお土産を買って、大きな袋に入れて待合室のベンチに置いて、トイレに行って戻ったら、アッレー! 袋がなくなっていた。私の勘違いだろうか、ウロウロと袋を探した。
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2019年12月9日月曜日
「イザヤ・ベンダサンを思い出す」
NHKスペシャル/首都直下地震ウィークと題して、ここ30年のうちに70%の確率で起きると言う首都直下地震について、いろんな角度からシュミレーションをしたり、各分野の専門家の意見や研究の先にあることを解説した。首都崩壊のコンピューターグラフィックは衝撃的であった。ドラマ仕立てでさらに臨場感を演出した。私は今、ある人の出版をプロデュースしている。その人の考えと私の考えが、必ずしも一致するものではないが、まったく原稿もなく、メモもなく、私が依頼したフリーのライターの方への4回にわたるロングインタビューの記憶力に驚嘆した。基本的な考えの一つに、世界はユダヤ資本によって支配が始まり、現在もそれが進行形であり、世界中そして日本も支配されている。週末インタビューの概要を読み直した。「ユダヤ人」と「安全と水」という言葉に初めて接したのは、イザヤ・ベンダサン(架空の名)という名で出版された「日本人とユダヤ人」という一冊の本だった。ハードカバー200数ページのこの本は、空前のブームを呼んだ。1970年5月からのことであった。単なる文明論でなく、文学としても絶賛された。故開高健をして“こりゃ凄い本やで”と言わしめた。イザヤ・ベンダサンとは誰か探しが始まり、行き着くところ山本書店という小さな出版社の主である「山本七平氏」ではとなり、さもありなん、となった。ここで山本七平氏については書かない。とんでもない人であるから調べるといい。NHKスペシャルとイザヤ・ベンダサンこと山本七平氏をつないだのは、「日本人とユダヤ人」の著書のはじまりにあった「日本人は水と安全は無料だと思っている」。この言葉のインパクトだった。出版されたとき、この本を読んだがすでに手元にはない。で、本棚にあった「山本七平の思想」東谷暁著/講談社現代新書刊を見つけて読み直した。祖国を持たない民であったユダヤ人にとって、世界中どこにいても安心安全の保証はない。一方災害大国である日本は、水道の蛇口をひねれば、ただで飲める水のように、安全も安心もただだと思って過ごして来た。そこに登場したのが「日本人とユダヤ人」だった。第2回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したこの本にある、「日本人は安全と水はただ」と思っているが、今で言えば流行語大賞的になった。が日本人という民族は、島国であり国境もない。単一民族国家であったから、アタマの中も単一的で、すぐに忘れるという特技を持っていた。大事が起きたときに、大騒ぎするが、自分たちが当事者でないと、すっかり忘れてしまうのだ。また、大事が起きると、すぐに人の責任、ご近所の責任、町内会やマンションの管理人やメーカーの責任、そして当然行政にと、責任論は広がる。日頃の備えをまったくしていないのに“安全と水はただ”と思っていたとなる。NHKスペシャルで衝撃を受けても、一週間後にはほぼ話題にならないだろう。山本七平氏から見ると、日本人とは“空気”によって動き、動かされる。日本教の信者だと言うことになる。ともあれ防災の気運の動きを止めるなと言いたい。安全と水にはお金が掛かると思うことを、徹底して追求しなければならない。
2019年12月6日金曜日
「田中珍彦(ウズヒコ)」さん「お別れの会」
本日午後2時から4時。渋谷東急文化村内において、元東急文化村社長、田中珍彦さんの「お別れの会」があった。私にとって、小学校の頃は野球の上手いお兄さんでありずっとかわいがってもらった。中学校では野球部の大先輩であった。長じては、その素晴らしい男としての器量に、最大限の敬意を持ち、憧れ敬愛した。そしてずっと付き合って来た。今、渋谷は再開発が進んで街が変わって行く。が、世界の文化と交流する「村」を都会に生んだ、故五島昇さんという希有な経営者がいた。そして田中珍彦という一人の男のロマンと、世界の文化を日本に呼んだ、行動力を忘れないでほしいと願う。「バイロイトのオペラ」を呼び、「コクーン歌舞伎」を生み「ドゥマゴ文学賞」を創った。その功績は数知れない。「オイ! 男はなぁセンスだ」が私に対する言葉だった。センスとはファッションだけではない。男はケチな金の話をするな、仁義を大切にしろ、道を外すな、責任は自分で持て、美味しいものを食べて、才能ある人間とつき合え。21世紀の“坂本龍馬”であった。みなさんどうか「田中珍彦(ウズヒコ)」を忘れないでください。渋谷に行ったら、東急文化村に足を運んでください。「お別れの会」は大行列であり、なつかしい人たちと会った。大ホールは満杯で入り切れないほどであった。まるで日本中の文化人が集まっているようだった。でも、先輩はシャイな人なので、あの世で照れているはずだ。(合掌)
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2019年12月5日木曜日
「二人の作家」
高等小学校卒(現在の中学)デビューは41歳のとき、同じ年に太宰治や中島敦がいた。が、この作家が世に出たとき二人はすでに世を去っていた。生涯において残した作品は1000点以上、書いた原稿12万枚、新潮文庫だけで4千5百万部、カッパノベルス2千4百万部、出版各社を含むと、1億部以上になる。長者番付・作家部門で13回1位になる。この作家と人気を二分したのが、司馬遼太郎であった。20世紀を代表する作家番付をつけるとすると、松本清張と司馬遼太郎が横綱であった。松本清張は社会の暗部、人間の暗部を書いた。一方司馬遼太郎は英雄、勝利者、成功者を書いた。私見だが司馬遼太郎はエッセイが抜群にうまく、小説は大衆小説である。松本清張が芥川賞作家で、司馬遼太郎が直木賞作家であることでそれが分かる。私は断然松本清張支持である。人には運命と宿命がある。持って生まれたものが宿命であるとしたら、この世に生を受けた後、さまざま出会うものを運命という。人間はこの二つから逃げることはできない。幸も不幸も本人が知らないストーリー上にある。子は親を選ぶことができない。宿命に逆らい運命と格闘することを人生と言う。これ演出するのが“血”である。人にはそれぞれアナザーストーリーがある。知らないで済めば知らないほうがいい、血の歴史が脈々と流れている。松本清張はこれを徹底的に追求し、取材を重ねに重ねて古代史の研究家にまでなった。一方司馬遼太郎は膨大な資料を読み込み、取材し人気小説を書いた。今、なぜ二人の作家のことを書くのか、と言えば。それは現代社会が重大な分岐点にあるからだ。一歩間違えば戦争へと向かう。松本清張が存命ならこの国の今の暗部、人間の暗部をどう書いただろうか。祖父母はいつ我が子や、嫁や孫に殺されるか分からず。父母はいつ我が子に殺されるか分からず、我が子はいつ親に殺されるか分からない。殺意がそこいら中で呼吸している。夫はいつ妻にブスリと刺されるか分からず、妻はいつ夫に絞め殺されるか分からない。まるで中世の頃のように人間は「人心の乱の中」にいる。現代は応仁の乱の頃と同じである。司馬遼太郎は人の暗部は書かない。ヒーローが大好きであったからだ。私は心から残念に思う。松本清張がいてペンを走らせてほしいと。松本清張は“謎解き”の作家でもあった。人間とは謎でできている藁人形だ。ちょっと火をつければ、たちどころに燃える。人間は大なり、小なり日々殺意を持つ生き物なのだ。誰でも少しばかり書く気があれば、今の世の中には小説のネタは山ほどある。残念ながら松本清張に及ぶ作家は現在一人もいない。ちなみに松本清張は“山陰”の出身、司馬遼太郎は陽気な大阪出身である。今ほど社会派小説が停滞している時代はない。“事実は小説より奇なり”なのだ。(文中敬称略)
2019年12月4日水曜日
「東大を出たら、勉強を」
米長邦雄さんという将棋の名人がいた。能弁家であった。この棋士が残した有名な言葉がある。「私の兄は頭が悪いから東大に入った」。今、総理大臣主催の「桜を見る会」のでたらめさについて、野党から追求されている役人の珍問答を見ていて、米長さんの言葉を思い出した。見苦しい答弁をしている役人は、きっと東大とか京大とか、国大出身者、あるいは有名私立大学出身者だろう。つまり最高学府で教育を受けた成績優秀者たちだ。彼らにとっての命は出世しかない。その彼らに代わって、その心の内を語るとすると、こんなことだろうか。舞台はとある居酒屋である。役人仲間が4人で飲んでいる。一人はウーロンハイ、一人は焼酎のロック、一人はウイスキー濃い目のハイボール、一人はコップで日本酒だ。すでにかなり酔っている(出来上がっている)。つま味はさつま揚げ、柳葉魚焼き(ししゃも)、ハムカツだ。まったくやってられねえよ、あの夫婦(総理夫婦)はどうなってんだよ、え、オイ、森友だろうが、加計だろうが、ジャパンライフだろうが、たいがいあの女房がからんでいる。そうだよそうだよ、あの酔っ払いのカアちゃんは、なんでも引き受けちまうんだよ。物事をまったく深く考えないからヤバイ相手と写真を撮ったり、招待したり、紹介をしたり、メールをバンバン送ったりするんだ。つまりみんな物的証拠なんだよ。それをモミ消すなんてできっこないんだが、できっこあるように、野党の奴等とやり取りしなけりゃないんだ。女房も女房だが、亭主がさらにコマッタサンは成田山さんだよな。ぺらぺら、ぺらぺら次から次へとウソばっかりつきまくる。ほとんどビョーキだよ。薬の副作用かなんかで頭の中の回路がイカれちまったじゃないの。むかしは今ほどヒドクなかったというけどね。とてもいい人で、友だちを大切にすると聞いたことがある。家庭教師が悪かったんじゃないのか、東大出身で警察官僚、だけど何回当選しても大臣になれない平沢勝栄先生だもんね。なれないんじゃなくてできないんだよ、ヤバイことばかりらしいから。パチンコ業界と北朝鮮筋との関係とかで。何とか大臣になりたいと派閥を渡り歩いている。マア平沢大先生の話はともかく、花見の会については、夫婦で頭に浮かぶヒトをバンバン招待しちまった。半グレからモンモン(刺青)しょったヤクザ者(反社会勢力)まで、まさか刺青まではモミ消せないし、シュレッダーも使いないような。シュレッダーと言えば、よくぞまあ予約でいっぱいなんて、あんな口から出まかせを思いついたよな。あたり前田のクラッカー。ウソ、カイザン、インペイ、バックレは役人の四大得意技だからな。野党の奴等と言っても、やっぱり手強いのは共産党だな。内部にいるんだよ党員が。でもああいう野党は必要だぜ。ウィ〜! かなり飲んだな。このシシャモはイマイチだな冷凍モンか。そんなの決まってるだろ。あと数日のウソ、バックレだな。コンピュータの再現なんて、今どき楽勝でできるからな。官房長官も反社と記念撮影で、少し色気があった中継ぎ総理の椅子もオジャンだよな。顔つきが日々悪くなってんもんな。記者の質問に対してなんてとても令和おじさんじゃないよ。だけど結局いちばんバックレで得したのは総理大臣じゃないの。菅官房長官は飼い殺しだし、頭がいいんじゃないの(?) 麻生財務大臣は潜水艦に特別に乗船させてやって沈没だし。河野太郎防衛大臣は面子丸つぶれだしな。あとは妖怪二階幹事長に4選をと言ってもらえばいいんだからな。あ〜ヤダヤダ考えただけでも気が滅入るよ。何言ってんだよ、オレたちは役人だぞ、ここをウマク乗り切れば来年には人事移動だよ、きっと出世してな。そうだな次は広島出身の先生らしい。そんじゃ乾杯だ。そこで隣の酔客が怒声を浴びせる。テメーラさっきから聞いてりゃ、なんだこの木っ葉役人のバカヤローが。そこへお店の女性(オバサン)すみませ〜ん。他のお客さんにご迷惑をかけるので静かにしてください。ソロソロ閉店ですからね。イケネェ〜終電に間に合わないぞ、ウィ〜。オレの靴はどれだったつうの。オイ、ハムカツが残ってんぞもったいない。これはあくまで創作です。東大を出たらマジメに勉強してください。
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2019年12月3日火曜日
「桜の樹の下へ」
定食屋さんの定義とは。黒板にハクボクで書いたメニューに従う。定まった食事。定食は580〜980円ぐらいが多い。冷奴、納豆、生玉子、ヒジキ、キンピラゴボウ、シラス干し、キムチ、お新香などが、小鉢で別注文で来る。たいがい各100円だ。定食屋さんに来る人は、朝定食、昼定食、夜定食のときも、これから食事を楽しむぞ、という華やいだ気配はない。お客さんは主に会社員や屈強なガテン系の男たち、タクシードライバーとかロングドライブの運転手さんが多い。独身者、一人暮らしの学生さん、妻と離婚した男、妻に食事を作ってもらえなくなった男、時にヤンキーな男女、などが多い。妻に先立たれた人とかも多い。定年後に熟年離婚した60代も多い。サバ焼き定食、とりカラ揚げ定食、煮魚定食、ジンギスカン定食、お刺身定食、カキフライ、イカフライ、アジフライ、豚ショーガ焼き定食、とんかつ定食、ニラレバ定食、やさい炒め定食も多い。肉じゃが定食、ハムエッグ、ポテトサラダ定食もある。サンマ、ブリ、キンメなどの定食も、季節のときに出る。こう書いて行くとお腹の虫がグーグー鳴って来るのだが、定食屋さん店内に入ると、独特の静けさだ。お客さんは一人が多い。二、三人で来てワイワイなんてことはない(お客さんにニラまれる)。会話はない。これから出て来る食事に対する期待感もあまりない。自分にとって定まった食事(定食)を食べるだけだから、その日、その日のルーティンのような食事なのだ。面倒なことが嫌いな人は、何も考えずに黒板に書いてあるメニューの、一番上のメニューにと決めている。お店の人も積極的に今日はこの定食がおススメですよ、なんてことが言わない。時々店内がザワザワとすることがある。あのね、サバ焼き定食に、単品でカキフライ、それに冷奴とシラスおろしと、納豆、ご飯は大盛りで、生玉子もね。こんな声が店内に広がると下をずっとむいて、自分の定食を食べている人たちに、ムッ、ムッ、ムッと動揺がわく。580円〜980円内がいわばルールなのに、サバ焼き定食980円+カキフライ単品500円、シラスおろし100円+納豆100円+生玉子100円+ご飯大盛り50円となると合計1930円、なんたる奴、なんたる無礼者、ここをどこだと思っているんだと。単品定食族は内心オモシロクない。読んでいたスポーツ新聞の記事にも身が入らない。壁の上にへばりついている小さなテレビから流れるニュース映像も、目に入らない。みんな嫌なヤローだ、ぜいたくな奴だ、定食屋のルール知らずめ、みたいな空気が充満する。ジンギスカン定食を隅っこで、コツコツ食べていた初老の男のテーブルの縄張りを、その男の頼んだ数々の小鉢が占領して行く。ゴフォン、ゴフォンとせきばらいなどして、私は許さないぞとの意志を見せる。レバニラ炒めを食べていた独身男は、少しずつ自分の領域を守るべく行動をする(料理をずらす)。定食屋に来て一人で1930円も食べる人なんて、堺面が見えない奴だと、アジフライ定食の中年の男が、上目づかいで視線を向ける。私はこんな時間が大好き、こんな人たちが大好き。定食屋さん大、大好きなのだ。日曜日告別式から帰り、駅から家に電話をすると、え、みんなで食べて来なかったのと言うから、朝からビールコップ二杯だけ腹が減っているから、定食を食べて帰ると言った。で、私はさばミソ煮定食、ごはん半分、それにそっと冷奴とヒジキを頼んだ。左に豚ショーガ焼きの男、右には、アサリラーメンの若い男、後には、とりのカラ揚げ定食のおじさんがいた。お茶は自分で、お水はご自由にと貼り紙がある。辻堂→大船→踊り子号で河津駅、そこからタクシーで約30kの山の中、伝承あふれた日本のお葬式らしい、葬式が村人たちをたくさん集め静かに行われていた。民俗学者柳田国夫の世界だった。仕事仲間三人とお焼香して手を合わせた、一人は長野県佐久市から来た。河津駅には、川端康成の名作「伊豆の踊子」にちなんで、若い学生と踊り子の彫像があった。2月には河津桜が咲く。一つの命が桜の樹の下に眠ることになった。遺影がとてもよく、30年近く経理を見てくれている会社の女性に、とてもよく似ていた。
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2019年12月2日月曜日
「鮨はファーストフード」
先日テレビで見た鮨屋さんの話。ここまでやってるのと、鮨づくりにこだわっていた。一軒は会員制30人ぐらいとかでフツーお客さんは入れない。バーロじゃテレビに出て来て店を紹介するなよと言いたい。店の名はたしか「乃南」と言った。幻冬舎の見城徹社長や、ZOZOTOWNの前澤友作元社長が会員だと友達が教えてくれた。もう一軒は3年先まで予約が入っていて、フツーの人は仲々食べられないとか。だったら店を紹介しないでと言いたい。鮨は3年も待って食べるような食べ物じゃない。もとは江戸っ子のいわばファーストフードだ。店の名は確か「杉田」とか言った。こだわりはフツーじゃない。もう一軒は毎年三ツ星というのをミシュランからもらって自慢の、鮨屋「すきやばし次郎」という店が、そのミシュランガイドから外れた。聞けばフツーのお客さんが入れないからだという(9席しかない)。この鮨屋さんはおまかせコースで4万円からなんて、バカも休み休み握れと言いたい。カードが使えなくて、私の先輩が知人と運よく入って次々とでてくる鮨を食べ、ワインをグイグイ飲んだら一人7万円とか言われて、現金不足となって大変だったと聞いた。フツーの人が入れないのをテレビで見せられて、世界一旨いとか、日本一旨いとか言われても比較しようがない。ビンボー人をバカにすんなだ。ある食通が言った。本当に鮨を知っている人間は、コハダ、アジ、サバが基本だよ。マグロを高く売らないと鮨屋はもうけが少ないから、マグロだマグロだとブームを作ってしまったんだと。他にはタコ、イカ、白身、アナゴ(ツメつけ)でいい。まあ、それにヒモがあれば十分、ラストはワサビを入れたカンピョウ巻きとくればさらに十分、マグロはと聞けば、オレは赤身があればいいんだ。江戸っ子の鮨は、早い、安い、旨いに限る。もともと鮨屋では酒なんか飲まなかったんだよ。そもそもマグロの味を見分けられる、食い分けられる人間は、鮪問屋さんの中でも、よほどのプロじゃないと分からない。例えばごくフツーの鮨屋さんの中に、高いマグロを入れたって分かりゃしないよ、ワインと同じさ。100万のワインと680円のワインを、目をつぶって飲み比べても、自称ワイン通が間違えるのと同じだと。人間の先入観とは怖いものだ。高いからと言われれば高く感じ、安いからと言われれば同じ鮨でも安いと思う。長い間食べてきて“鮨と寿司”の違いも、私は先日調べてもらうまでハッキリ分かっていなかった。週末は回転するお店に行って、魚類図鑑に載っていないようなネタを食べてみようと思う。一度それをやって、ホタテ貝アレルギーになって、今は食べられない。“ホタテ貝風”だったのかも知れない。
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2019年11月30日土曜日
「いよいよ師走」
11月25日は何の日だったか、と言えば会社勤めの日は“給料日”と応えるだろう。これがフツーである。三島由紀夫の命日じゃないかという人がいれば、よく憶えているね、そうだったんだと思い出される。少なくとも私のまわりにいた人で、11月25日にそのことを言った人も、書いた人もいない。作家の影響を受けた人たちによる、何かしらのイベントはきっとアチコチであったはずだ。天才的作家を語るには、あまりにも身分不相応なので、多くを語れない。人間は死んだら忘れられるということだ。昨日、大勲位こと元総理大臣中曽根康弘が101歳で死去した。その功績をニュースは流す。しかしその話題も一日か二日で終わる。人間の死とはそんなものである。ならばどうするかと言えば、今日一日、生きていれば明日まで生きて行くだけのことを、することでしかない。生まれてまもなく失う悲しい命があれば、いくらブチノメしてもしぶとく死なない悪い命もある。戦中戦後、大震災、大災害を生き抜き不死身の命だねと言われた老人が、朝起きたら大渋水に飲み込まれ大海へと流されてしまう命もある。この地球で唯一、絶対ということは、誰もが一度必ず死ぬということだ。若かれし頃、何度も死にかけて来たことを思い出す。きっとお天とうさまは、もっと生きて四苦八苦を味わって、若気の至りの罪を償えと、命じているのではと思い、今日まで来た。四苦→4×9=36、八苦→8×9=72。36+72=108の苦を味わえと命じられているのだ。108は煩悩の数と同じだ。すでに108を味わった気もするが、未だ未だ足りていないのかも知れない。故高倉健の歌う「唐獅子牡丹」に♪〜つもり重ねた 不幸のかずを 何と詫びよか おふくろに〜♪ という一節があるが、まさにそんな日々なのである。今の絶対権力者たちも、等しくそう先くない間に、あの世に旅立つ。そして忘れられる。身内ですら、あ〜これでやっとこ楽になれると、つい本音を言う人も多いだろう。実に正直な言い分なのだ。私のような大迷惑人間はジ・エンドとなったら頼んで祝杯をあげてほしいと思っている。バンザーイ、バンザーイと。葬式無用、戒名無用、献杯無用、ただひたすら乾杯、乾杯をしてもらいたい。健康オタクが人間ドッグに行って、入念に検査してもらい、大丈夫どこも異常なしですよと言われて外に出たら、クルマにハネられてあの世へという話もある。無目的に生きていたら命に対して申し訳がないだろう。生きたくても生きられない人の命のために、何かをしなければならない。安いラーメンで有名なある店が、10円でラーメンを提供したら大行列。寒風の中の風景だ。故金子正次の名作「竜二」という映画で、新宿のヤクザ者が堅気を夢見て足を洗う。全身に刺青があるのだが、女房子どものためにトラックの運転手の助手の仕事をする。一晩のバクチで大金を動かしていた幹部の男が、アパートに帰ると、女房は家計簿をつけている。苦々しい気分になる。ある日、仕事が終わり家路についていると、商店街に主婦や子どもたちが行列をつくっている。竜二が見ると、そこは肉屋さんで、女房と子供が並んでいる。安売りのセールをしている。竜二は安売りで女房が買って帰ったコロッケを食べるのかと考える。やっぱり俺は堅気の世界でやって行けない。竜二は家とは逆の新宿の街に帰って行く。金筋のヤクザ者にとって、見栄は絶対に張らねばならないのだ。ナリ(身なり)も見栄の内と言う。こんな話を思い出す。ある日私は無性に吉野家の牛丼が食べたくなって、夜銀座にある吉野家に入って牛丼を食べて外に出ると、むかしなじみのプロデューサーに会った。えっ、吉野家の牛丼を食べるんですかと聞かれた。そいつは私が落ち目になって銀座の吉野家で牛丼を食べていたと知り合いに吹いた。バカヤロー大好きだっていうの、その男がどうなったかは……。いよいよ師走だ。一年中でいちばん嫌いな12月だ。ちなみに私は行列には並ばない(春木屋のラーメンは別)。
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2019年11月28日木曜日
「この道」
日本という国は私たちが想像するよりもはるかに美しかったはずだ。それだから「万葉集」は生まれた。和歌は歌による写実だ。また、すばらしい民謡や童謡が生まれた。童謡には美しい山々があり、美しい花畑や田畑があった。四季折々に風景を変化させた。日本国津々浦々、オラが故里の自慢の風景が、人の心をキャンバスにして写り込んだ。風景とは絵筆だとも言える。昭和初期、愛国主義者は、外国からこの風景を守れと、軍国主義に姿を変えてしまった。美しい風景は戦火によって破壊されてしまった。「国破れて山河があり」と言えば聞こえがいいが、国破れて、数百万人数千万人の感情が破れた。戦死者とその家族たちの中には、きっと多くの北原白秋がいたはずだ。この頃、民謡は生まれず、童謡も生まれない。近代化のあとに残ったものは、感情とか感性の消失だった。その結果が現在の拝金主義である。金こそがすべての時代に叙情詩も叙事詩もない。人々が幼き頃見た美しい山々や河の輝き、美しい湖や川のさざ波やせせらぎ。あぜ道でおにぎりを食べ合う農夫さんたち、隆々たる肉体で網を上げる漁師さん。おとちゃんのためならエンヤーコラ! おかあちゃんのためならエンヤーコラ! と、家を建てる大工さんたち。目に入るものがみんな詩になった。そして歌になった。この道はいつか来た道、あ〜あ そうだよ また戦争への道だよとならないことを願う。昨日夜、北原白秋と山田耕筰を主人公にした「この道」という映画を見た。二人は戦争に向かう国に対して、僕たちはもう童謡をつくれない。軍歌ばかりしかと語り合う。そのうち人工知能AIが童謡をつくるのかも知れない。進化しすぎて手にしたものは便利すぎるという不都合と、情報過多による、人間関係の断裂を炎上だ。風景は見るものではなく調べるものになってしまった。北原白秋は人妻と関係を持ち姦通罪で投獄されたりした。与謝野鉄幹・晶子夫妻から、いい加減にせよとたしなめられた。天才は色を好むものなのだ。少年と少女が同居しているような人だったのではと思う。詩の中にはたくさんの木の名が出る。花の名が出る。そこに純粋があった。「無口な男には注意しろ。彼は人が話す間観察し、行動する間計画を練り、いざ相手が休んだとき襲いかかる」。こう言った賢人がいた。テロリストはこう言う人間が多い。さしずめ北原白秋は、こと女性に関してはテロリストの如くであったのかも知れない。あまりにも無惨な税金を使った桜を見る会。北原白秋が今の世を見たら、どう表現するのだろうか。
カラタチの花 |
2019年11月26日火曜日
「あるウルサイ男、そして今直子先生」
去る日曜日、荻窪である人と打ち合わせをしたあとのこと。年齢は48歳ぐらい、体重は85kgぐらい、スーツは上下で28000円ぐらい、Yシャツは1800円ぐらい、腕時計は分からない。ノーネクタイ、仕事は多分会社員、きっと堅気である。きっと何かスポーツをしていた。例えば円盤投げとか、槍投げとか。一人哲学的に投げることの意味を追い続け、孤独を愛するような顔立ちだ。色浅黒く、鼻筋は高く、口びるは形よい。画材店に行くとデッサン用に置いてある、男の胸像のようである(アグリッパとか)。午後1時40分頃、スポーツジムか何かで鍛えて来たあとのように、顔が少し汗ばんでいる。ラガーマンかも知れない。ひょっとしてゲイかも知れない。男はチャーシュウワンタンメン、メンマ、煮玉子をオーダーした。私はチャーシュウメンだった。場所は有名な荻窪のラーメン店「春木屋」だ。私が行くと11人並んでいた。男は私の二人前だった。別に男に興味があるわけではない。彫刻のような顔と体つきに興味があった。物静かで知的であった。オーダーしたものが来るまでは、ハイ! チャーシュウワンタンメン、メンマと、煮玉子(小さな入れ物に入っている)。ここまではgoodだが、いきなりダメ男になった。まずすすったのだが、その音がズルズルとウルサイ、スープをレンゲですするのだが、このビッチが早くてピチャピチャ、ウルサイ、レンゲにワンタンをのせて口に入れるのだが、フーフーフーとしたあと強烈に飲み込むのだが、その音がトッテモウルサイ。何日間、何も食べていなかったように。ガツガツと早い。つまり早い、ウルサイ。スープをレンゲじゃめんどくさいと、残り半分ぐらいはラーメンの入った入れ物を手に口に入れる。その音がまた大きい。何だいこいつ、見た目と全然違うじゃないの、全然哲学的でもないし、孤独的でもない。メンマを一つひとつ箸でつまむ仕草がセコイ。四つか五つまとめて食べろと言いたい。ラストスパートはメンとワンタンとメンマを一気に飲み込んだ。そして煮玉子をスポッと口にして、ノドにつかえたのかシャックリみたいのを二度、三度して水で流し込んだ。春木屋にはかなり通っているようだ。そうか並んでいるお客さんのために少しでも早く食べてあげようと思ったのかも知れない。が、わざわざ聞くこともできない。あんまりイメージと違ったので、気になって仕方なかった。せっかくの春木屋の味を十分に味わえなかった気がする。それにしても圧倒的にウルサイラーメンの食べ方だった。並んでいたお客さんにとっては、いい人なのだった。やっぱり春木屋は旨い! 年末にもう一度行く。今日は銀座名物奥野ビル内で開催中の「今道子」さんの写真展に行く(巷房3階と地下)。この人の写真を見るとしばらく魚の光り物、アジ、イワシ、コハダ、サバ、サンマ、サヨリなどが遠ざかる。他にタコとかイカとかも使用する。被写体のすべてに魚類が使われる。木村伊兵衛賞はじめ日本の主要な賞を何度も受賞している。全身いつも黒ずくめ。世界的にも有名である。一度制作現場を撮影させてくださいと言ったら、見ないほうがいいですと言われた。鎌倉に住む大巨匠だ。お寿しと言えば光り物、お寿し好きの人はぜひ観てほしい。その写真を観ればもっとお寿し好きになるはずだ。私は日本の女流作家のNo.1だと思っている。四谷シモンさん+渋澤瀧子さん+人形+鹿男。かなりの不気味さだ。
※11月30日まで日曜は休廊
※11月30日まで日曜は休廊
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2019年11月25日月曜日
「四本の映画と『栄光へのノーサイド』」
「ベン・イズ・バック」。一人の若者が殺人の刑を終えて帰って来る。彼には精神的障害があった。彼を迎える町の人の目は冷たい。父も妹たちも、やさしいのはやはり母親だ。母親は黒人と再婚していた。肌色の違った兄妹となっていた。精神的な病気が原因の犯罪(?)だけに、いろいろとむずかしい。この映画は一人の若者が出て来た複雑なドラマを追う。母親役のジュリア・ロバーツがいい。「ガルヴェストン」。一人の仕末屋がいる。男の胸にはすでにレントゲンに大きな影、肺癌である。組織はその男にある仕事の仕末を命令する。男が追って行った先には若い娘がいた。男と娘は二人で逃避行をする。いつからか、せき込む男に心を許していた娘は、自分を抱いてもいいと言う。が、しかし病魔に犯された男には、その能力がない。お酒のせいよとなぐさめる娘。そして二人の先に待っていた組織の掟とは。「ピアッシング」。村上龍の原作をアメリカで製作した作品だ。泣き叫ぶ赤ん坊にアイスビックを向ける男。うるさくて仕方ない。妻は夫のストレス解消にある提案をする。SM指向のある妻の案は、ホテルにSM、OKの女性のデリバリーしてもらうことだ(殺してもOKのギャラを払って)。男はホテルの一室で女性が来るのを待つ。アイスピックで刺す練習、ロープを用意して縛る練習、馬のりになっていたぶり殺すイメージトレーニング。そして女性が現れる。緊張する男、シャワー を浴びるわと言う女性、そしてグサッ、グサッと体の一部を刺す音、シャワー室に流れる鮮血、ビックリする男、やって来た女性は自傷マニアで、自分の太モモをアイスピックでブスブス刺しまくる。勝手が違った男はかくれて妻に電話をする。殺すのよ、殺すのよという妻。さあ〜どうする。「私が棄てた女」。日活映画社の名匠あの「キューポラのある街」で吉永小百合をスターにした浦山桐郎監督の名作だ。この監督は寡作で有名だ。今どきの監督のように一本ヒットしたくらいで、すっかり有頂天になって、次々と駄作を作り続けて消えていくのとは違う。この映画には若々しい浅丘ルリ子が主役として出演している。浅丘ルリ子の相手役は河原崎長一郎だ。この映画では当時売り出し中の浅丘ルリ子と河原崎長一郎のキスシーン、ベッドシーンがあり、二人で入浴して体を洗い合うシーンまである。さすが浦山桐郎監督であって、日活本社も浅丘ルリ子を裸にすることにOKを出したのだろう。学生時代はゲバ学生だった男は、ある会社に入っていた。そこに社長の姪の浅丘ルリ子が働いていた。美男子でもなくスポーツマンでもなく、ごくフツーの会社員の男にどこか惹かれていた。ロッカールームで時々キスをしたりした。男はこの会社に入る前に一人の女性と関係を持っていた。地方出身の女性は、どこまでも純真だった。彼女は彼の子を身ごもっていた。名門の出浅丘ルリ子と結婚する貧しき元ゲバ学生。さて、この男がとった男としての在り方とは。かなり古い映画(荻窪で観た)であったが、今の再生技術はすばらしい。美しいモノクロームの階調を持つ作品がDVD化されていた。昨日日曜日もう一本「翔んで埼玉」というとんでもない映画を見たが、これは漫画以外の何物でもない。“さいたまんぞう”の“なぜか埼玉”が流れていて、ちょっとうれしかった。♪ なぜかしらねど 夜の埼玉はぁ〜 ♪ かなり名曲(?)であり私は買った。雨が降ったり止んだりスッキリしない日曜日。映画を四本見て過ごした。その間に少々の書き物と知人の本を再読した。「栄光へのノーサイド」。増田久雄著河出書房刊。増田さんは石原プロモーション出身、裕次郎さんからチャー坊と言ってかわいがられた。私は増田さんのプロデュースの映画「チ・ン・ピ・ラ」に共同出資して深く知り合うことになった。久々に電話で話をした。みなさんぜひ買って読んでください。本体1600円(税込)。増田さんは映画化を目指している(20億円ぐらい集まれば映画ができるかも)。冬は近い。(文中敬称略)
2019年11月23日土曜日
「死後離婚」
ちょっと恐い話を、知人のご住職から聞いていたけど、そのものズバリの本が出ていた。著者は葬儀・お墓コンサルタント「吉川美津子」ジャーナリスト「芹澤健介」特定行政書士「中村麻美」の三氏だ。本の腰巻きには「夫と同じ墓に入りたくない!」「姑の世話がしたくない!」「義実家と縁を切りたい!」妻たちの密かな願いをたった1枚の書類で可能にする「死後離婚」とはなんなのか?(洋泉社)新書y。実はこのテーマは、私も岩手県一関市曹洞宗常堅寺の後藤泰彦住職から聞いたときから興味を持っていて、今、ある企画を進めている。当然のように死後離婚を希望するのは女性たちであることは、言うまでもない。昔ならともかく長男の嫁に入り、日々姑や小姑、その上舅や、親類、親者たちから、イヤガラセ、イジメ、過重労働や、夫の浮気やバクチや投資、パチンコ、キャバクラ通いや、ゴルフや釣り、カラオケ三昧、動かず、働かずで日がなゴロゴロしながら、酒だ、つま味だと命じ、あろうことか、モタモタすんなと文句をつけブータレる。愛する我が子が何人かいる。必死に堪える嫁、あるいは結婚してみたら、それまでとはまったく逆、マザコン、パパコンで、料理がママよりマズイだとか、パパのつくった料理のが旨い! しまいには会社の帰りには、そのまま実家に帰り食事を済ます。また、浮気ぐせが治らず(これは病気なので死ぬまで治らない)、日がなスマホをいじってニヤニヤメールをしたり、コソコソとしたりしている。健全たる働き者で、健気で愛情深い嫁は夫からのDVや、姑たちからのイジメに耐えて必死に子育てをする。夫が浮気しているかは、長年の勘で分かる。すでに殺気は目覚め、コイツらを殺してやると思ったりしだす。しかしさすが殺人はしないが、嫁はじっと耐える。そしてついに子どもから手が離れ、やっとこさ楽になれると思ったら、“好事魔多し”で、子宮癌やら乳癌などを宣告される。親族は生命保険などに関心を持つ。夫は妻の入院をいいことに、遊興に明け暮れ、浮気を重ねる。アーヤダ、ヤダ、こいつらとは絶対に一緒の墓に入りたくないと決める。こんなケースが実に多いと聞いた。たった一言、たった一枚の服、一足の靴、一杯の酒、一枚の服やシャツ、一枚の寝具、一台の車、一度の改築などのことなど身近な問題が陰れた要因となっている。夫婦とはもともとまったくの赤の他人だが、血の通う同士のトラブルは、血で血を洗う惨劇へと向かう。問題が起きると逃げてしまう。そんな光景を日々見ていると自分の夫のふがいなさに気づく。こんな奴らとは一緒の墓には入りたくないから、「死後離婚」を考えている嫁は多い。この頃やたらに多い親類身内間での事件。家庭内における事件が多い理由はここにある。お嫁さんを大切にしなければならないのだが、強すぎるお嫁さんもいる。世の中はお墓の中に入っても分からないのである。
2019年11月21日木曜日
「重くて、ためになった一日」
“ふるいようかん”と言ったら、“古い羊羹”を連想するのがフツー。昨日、私と親愛になる兄弟分と行ったのは、“古い洋館”だった。ところは九段下靖国神社のすぐ側だ。グラフィックデザイン界の巨匠「井上嗣也」さんが是非観てちょうだいと、独特の言い回しで電話口でおっしゃった。井上嗣也さんは、本年度ADC賞(日本で一番名高いデザイン賞)のグランプリを受賞した。ADCとは東京アートディレクターズクラブのこと。九段下の目的地に着くと、外観は大きな日本家屋(旅館か料亭みたい)銀色に黒い英文のロゴタイプひとめ見て井上嗣也作と分かる。「AnyTokyo2019 Crazy Futures / かもしれない未来」であった。大きな門を入り玄関とおぼしき広い所に着くと、クリエイターの卵か(?) 若い男女たち、和服を着た番頭さんのようなおじさんが、灰色のビニール袋を持って立っている。脱いだ靴などをそこへ入れて番号札渡してくれた。建物内部はかなり古いが造りが凄い。きっと相当に地位のあった人とか、桁違いにお金があった人が住んでいたのだろう。現在は個展とか、展覧会やいろんなイベントに使っているらしい。重厚にして重層、そして重大なクリエイティブ作品が、いくつもある部屋に展示されていた(内容を詳しく書くと相当な枚数を要するので省略する)。一階、二階、そして三階の広いフロアすべてが井上嗣也さんのワールド。本当にこの人はグラフィックに命をかけている(内容を詳しく書くと相当な枚数を要するのでインターネットで検索すれば、その凄さが分かるはず)。昨日はクリエーターと次々と打ち合わせをしたり、お願いしていた作品を受け取ったりした。打ち合わせはすばらしいアートディレクター清水正己さんと、渋谷の事務所にて(まるで一流ホテルかそれ以上)。その後青山にて、グラフィックデザイン界のレジェンド浅葉克己先生の事務所へ。金色の名物的扉は先日塗り替えが終わったとかで、金ピカピカ。ある大会社の創業者に金曜日にお会いするので、浅葉先生の作品を持って行くことにして、先日お頼みした。そのときやったよ“5連覇”だと、八丈島で毎年行っている卓球大会の成績表を見せてくれた(いつもイッセイミヤケを着ている)。浅葉先生は、ポツポツと歩き、ポツポツと話す。知らない人が見ると、変てこなヒトに見えるだろう。ギラギラのイッセイミヤケを着て首からライカのカメラをぶら下げて、ポツポツ歩いている姿からは、とても卓球の大会で優勝する選手には見えない。浅葉先生は卓球命でもあるから、フツーのときはスタミナを使わず温存しているのだ。出来ているよと言って見せてくれた作品はさすがにいい。私が思っていた通りだった。それから九段下に行った(ここで兄弟分とはサヨウナラ)。その後、現台北代表処・張仁久さん(日本で言えば副大使)の講演を聞きに行く。一人の老政治家が40年近く行なっているセミナーで今日が88回目であった。「アジアの中の日本と台湾」について日本人よりうまい日本語で話してくれた(パワーポイントを使って)。浅葉先生が重い作品(額縁入り)に持ちやすいようにとお弟子さんに、取っ手をと言ってくれたが、大丈夫ですよと頂いたサイン入り著書3冊と、作品を持って出た。何だよそれ重そうじゃないのと兄弟分、重いんだが大切な作品、どうにか指先で下に落とさないように、青山 → 九段下 → 飯田橋 → 東京駅 → 辻堂 → 自宅とタクシーに乗りつつ持ち歩き、東海道線に乗り家に着いたら10本の指がぶっとくなり、感覚がマヒマヒになっていた。両肩はバンバンだが、妙にいい気分だった。最高のクリエイターと会うと、最高の気分を味わえるからだ。前日は横浜高島屋で、その昔「赤いきつね」の筆文字を書いてくれた書の達人「木之内厚司」さんと会い、お願いしてあった書を受け取った。やはり達人は抜群だった。この頃どういうわけか台湾の話が多い。香港の次は台湾と中国は狙いを定めている。フリーのライター「須田諭一」さんとある出版社の二代目社長と一緒に張仁久さんの話を聞いた(その後立食のパーティ。空腹だったのでガッツリ食べた)。重くてためになる一日であった。
セミナー会場 |
2019年11月19日火曜日
「初の忘年会」
昨夜、今年初の忘年会をした。大変お世話になっている人である。一人は政財界通であり、一人はジャーナリストだ。料理は土佐料理、酒は船中八策という超辛口であった。話はいろんな方向にバチバチと音を立てつつ飛んだ。ところで東京都知事選には誰が出るかとなった。小池百合子知事に勝つ候補となると誰か。東国原英夫氏は? う〜ん本人はあきらめたようだよと。私もそう思った。殿と呼んでいる“ビートたけし”がすっかり毒気がなくなり、発信力は著しく低下した。妻子を捨て、世話になった人を捨て、かわいがっていた家来たちを捨て、愛人のところにへばりついてしまった。大貧乏から大金持ちになってすっかり体制的になってしまった(明石家さんまに勝てなかった)。殿の支えあっての東国原英夫氏である。文化人や学者にも見当たらない。日本国は人材不足国家になっているのだ。私は頭の中で思った。そういえば鳥越俊太郎氏はどうなっているのだろうか。もう一人の殿こと細川護熙氏は相変わらず、陶芸などに精を出しているのだろうか。細川家といえば名門中の超名門の家柄、武家社会の混乱には、いつもその中心にいて、裏切り、寝返り、陰謀の画策、そしてぶん投げが得意であったなと。土佐名物九絵鍋はやっぱり旨い! 話が進みこの男が出たら、いい勝負だと意見が一致したのが「橋下徹氏」だった。今のままじっとしているはずはない。衆議院選挙があれば別だが、都知事選挙は彼にとって面白いはずだ。大阪は松井一郎市長が押さえている。維新の会を生んだのは彼、東京を押さえれば、東西を手に入れることができる。その上オリンピックを迎える都知事の椅子は悪くない。その名を世界にアピールできるのだから。そりゃ面白い、あるかも知れないとなった。政界は一寸先は闇だから、先を読むのにかけては、人一倍の小池百合子都知事だから、ひょっとしてすでに読んでいるかも知れない。200万票以上獲った者に勝つのは並大抵ではない。知事は二期目が一番強いと言う。総理大臣自身が桜を見る会の領収書が、あるの、ないのと問答する情けない国に未来はあるのだろうか。桂太郎を抜いて最長の総理大臣となるが、何がレガシーかと思えば、“国家低迷”しかない。だがしかし支持率は低下しない。いっそ東京都知事も兼任すればと言う側近がいるかも知れない(言いかねない側近たち)。年が明ければ、ヨイショの人間たちも次のヨイショを見つけ始めるだろう。“機を見て敏なり”とか言って。しかしワンポイントを誰かにさせて、その次をとも言えるからな。やっぱりヨイショだろうか。今後は橋下徹氏の動きに注目する。先見の明があるお二人も読んでいる。帰宅してニュースを見ると、沢尻エリカがずっと前から、いろんな薬物を使用していた。芸能人が薬物で逮捕されると、次は私かと思い続けていたと口を割ったとか。今、きっと長くてつらい呪縛から解けて、ホッとしているだろう。通信履歴を押さえられたら、もうどうにもならない。人間はまな板の上の鯉になると、信じられないほど、気が楽になる。お母さんのところに帰ったら一から出直しだ。芸能人は「歯が命」という名コピーがあったが、「薬が命」であってはならない。先日薬物中毒だった、清原和博選手が小さなリーグの監督に就任した。グラウンドに立った清原選手は泣いていた。そしてファンたちは大きな拍手でかつてのヒーローを迎えた。沢尻エリカもピエール瀧もその才能は飛び抜けてある。ファンはきっと待っている。(文中敬称略)
2019年11月18日月曜日
「夜のクラブ活動中止」
沢尻エリカ(33)合成麻薬所持使用で緊急逮捕のニュースを見る。いい女優になったきていたのに残念だ。芸能界という特殊な世界では、一度脚光を浴びるとその光が忘れられなくなる。と、同時にその人気が、いつかは落ちてしまうという恐怖との戦いになる。栄光を見た人間は、その栄光によって滅びるのは歴史の常である。英雄たちがどういう命の終わりを迎えたかは、あてにはならないが世界史、日本史の教科書を見れば分かる(いずれも推測であって正しいかは不明)。栄光が大きいほど、不安も大きくなり、孤独感は増幅し、人への猜疑心は強くなる。また、その栄光を遠くより見る者は、嫉妬の炎をメラメラと燃やす。あいつをいつかきっと地獄の底に落としてやると思う。そんな人間に日々ニコニコと囲まれる(憎悪を持つ人間ほど、あいそ笑いで接する)。人間という動物で、完成度100%というのは一人もいない。全員不完成なのだ。光を浴びた人間が一人消えれば、その陰にいた人間や、影の役をしていた日陰の人間に機会が来る。一人の不幸は、一人の幸福の始まりである。成功した人間は、その成功によって滅びる。芸能界に限らず、○△界、×△界、△○界……等々、人間社会はこの夥しい数の「界」の存在によって成り立っている。その界にいる人間はまい日が足の引っ張り合いであり、顔は笑顔だが、心の中には悪魔が猛毒を仕組んでいる。人間には善人がいないと思っていたほうが、いい人間関係がつくれる。善い人間だと思っていたのに、酷い裏切りにあい、殺してやりたい! こういうのは人生の学びが足りない。人は全員、自己保身なのだ。沢尻エリカは10日間は留置される。しかしこの10日間で自分の素顔に会える。特別なトイレを使わせてくれるわけではない。キラキラファッションも、イケイケのメイクアップもできない。ご自慢のブーツやヒールも履けず、「留」と印字されたゴムのスリッパになる。コッペパン2個と、小さくて四角いバターと、小さなジャムが入ったビニール袋を持たされて、東京地検の地下室に入る。きのうまで乗っていた高級車ではない。有名人は布で外をかくした車に乗ることになる。警察が内定していたという事は、チクリ(密告)があったということだ。私は別に沢尻エリカのファンでもなんでもない。もし、日本国の警察が本気で合成麻薬や、マリファナや、シャブの摘発をしたら、日本中の留置所は、即日満杯になるだろう。あらゆる「界」の人間がそこにいるはずだ。人間の体は一度憶えた快感を忘れることが難しい。だが、それを克服している人間も多い。かつてミュージシャンは麻薬(主にヒロポン)をやって一人前と言われた。飛び切りいい音が出せたと言う(あるいは疲れがとれた)。この騒ぎで“大マスコミ”は大喜びだ。これで安倍総理の桜を見る会の“私物化”を忘れさせることができると。あまりタイミングがいいので、私はうがった見方をしている。栄光と転落を生かして、いずれ悪女女優として輝けと言いたい。若者の人生は長いのだから。ただし、クラブ活動はもう卒業だ。留置所の弁当も、この頃はかなり旨いという。お風呂だってかなりヌルいけど、週に二回は入れるはずだ。自分の恥をさらけ出すんだ。役を演じるように。そして、出所したら、「復讐は最高の健康法」ということを実践する。密告者には「刃」をだ。人生は楽しいぞ。
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2019年11月15日金曜日
「坂内ラーメン」
次の人は長生きする。権力欲、金銭欲、名誉欲、物欲、食欲、そして性欲のある人だ。男は50代、60代、70代となると前立腺癌になる危険性が増す。そのいちばんの予防法は、週に一度か二度は射精することだと医学は教える。性欲がある人が長生きするのは、人より射精することが多いからだ。射精の方法論は人それぞれで決まりはない。風俗通いや浮気もその一つだが、恐い奥方を持った人は十分に気をつけねばならない。女性は臭いに敏感だから。一日一回は放射するという豪の者を知っている。この男は決して前立腺癌にならないだろう。人間は食欲がなくなったら終わりという。巨人軍の監督だった故川上哲治や故黒澤明監督などは、90歳近くになっても、日々600gぐらいのステーキを食べていたと伝えられる。名優仲代達矢さんは80を大きく過ぎた今も、ステーキ、ステーキ、ステーキを食べていると何かの記事か、インタビューで知った。私が憧れるのは無欲の人である。昨日、権力欲、金銭欲、名誉欲など一切なしの人と会った。店は五反田の「坂内(バンナイ)」という、喜多方ラーメン。頼んでおいた中国映画「胡同のひまわり」が届いたというので、受け取りに行った(胡同[フートン]とは下町のこと)。午後5時頃すでに外は陽が落ちて暗い。どこぞで一杯飲んで食事でもと思った。立ち食い寿司を探した。一貫75円という店があったが、店内を見るとマイナスオーラがユラユラしているのでやめた。その近くに坂内があった。喜多方ラーメンはいろいろあるが、私は坂内が大好きだ。太目のチリチリの麺がいい。チャーシュウが実に旨いからだ。スープはさっぱりむかし風しょうゆ味だ。ここにしようかと無欲の達人、フリーライターの人と入った。この人は12〜15kg減量に成功した。先日、血液検査を受けたら、すべて標準値以下になったと言った。もともと酒を飲むのを好んだが、それを止めたらすべてOKになったのだ。そんじゃ乾杯とフリーライターの方は、ハイボールを飲んだ。私は冷酒であった。つま味は、枝豆とチャーシュウ、ギョーザを一皿。いつものようにアレコレ楽しく話をした。このフリーライターの方といると、心が安定する。何故かと言えば、無欲だからだ。今、二冊プロデュースしている本の、ライターをしてもらっている。何を飲んでも旨いと言い、何を食べても旨いと言う。かつてはトリのカラ揚げとか、トンカツ、コロッケ系が好物であった。ソロソロ何かをとなり、フリーライターの方はネギラーメン、私はチャーシュウワンタンメンを頼んだ。店員さんはインド人のような女性だった。久々(今年初)の坂内ラーメンは期待通り、福島県喜多方の味が入り我が腹は十分によろこんだ。話はやはり先日の井上尚弥選手のボクシングの話で盛り上がった。50歳をすぎて独身、仕事があれば仕事をし、無ければ日がなゴロゴロしたり、読書を楽しみテレビを見ているとか。それ以上のものは望まない。日々アクセクしている私から見ると、夢のような生活である。前立腺癌を予防する発射行為をしているかどうか、していたとしたらその方法論を聞きそびれた。五反田は風俗店が数多いところで有名である。店を出るとその種のネオンがピカピカと妖しく輝いていた。歩いて駅に向かうと若い男が一人、若い女性が一人、どうぞとかどうですかと声をかけてきた。早く帰って「胡同のひまわり」を見なければと思った。
2019年11月14日木曜日
「BOXINGは最高だ、そして赤いきつね」
KING OF SPORTS(スポーツの中のスポーツ)と言われるのが、BOXING = ボクシングである。リング上で殴り合って殺しても、殺されても、それを許すスポーツだからだ。モンスター(怪物)と言われる井上尚弥選手と5階級を制覇して来たフィリピンの伝説のチャンピオン・ノニト・ドネア選手との世界4団体統一世界タイトルマッチが先日あった。井上選手26歳、ノニト選手36歳、その差は10歳であった。私はどのスポーツよりもBOXINGが好きである。同じ体重(リミット)内で戦う。そのために猛烈な練習と、猛烈な減量と戦う。井上選手以前のモンスターは、内山高志選手であった。世界チャンピオンの中のチャンピオンにつけられる、スーパーの称号が与えられた。井上 vs ノニトの12R(ラウンド)の激闘が終わったあと、ボクシングファンも、そうでない人も最高の試合だったと感動した。井上選手はノニト選手の必殺の左フックの打ち方を見て憧れ、リスペクトして来た。そして、その左フックを徹底的に身につけた。登って行く26歳の井上選手と下って行くノニト選手。スポーツ紙は早いラウンドで、井上選手がKO(ノックアウト)するだろうと予想した。赤色輝くサーチライトの中、二人の肉体を見たとき、その差は歴然だった。井上選手の体は1gの無駄もなく鋼鉄のように美しい。一方ノニト選手は肉体的にたるみがあり、脇腹はゆるんでいた。私は井上選手の左ボディーが食い込んだら、それにて終わりだと思った。がしかし5階級を制覇して来た伝説のチャンピオンは、とてつもなく強かった。左は世界を制すといわれるのがBOXINGだ。左ジャブ、左ストレート、これを出しつづけないと右は当たらない。井上選手は基本通り1Rから、左、左、左と左ジャブ、左ストレートを出す。2Rに入って相方接近して打ち合いになったとき、伝説の左フックが井上選手の右目にバチーンとヒットした。今まで早いラウンドでKOして来た、井上選手の顔は、傷一つなく美しい。その顔に右目からの鮮血が流れた。この一発で眼底を骨折した。目の上はパックリと切れている。相当効いてダウン寸前。あと皮一枚深くなっていたら、ドクターストップでTKO負けだったと、試合後リングドクターは言った。井上選手は相手が二重に見えるので、ガードを高くして、傷ついた目をカバーしつつ、焦点を絞った。館内もテレビの前も騒然となった。それから高度なBOXINGの打ち合い、守り合い、足の使い合いとなった。BOXINGは0.01秒でKOできる。プロは1秒の間に10発ぐらいのパンチを出せるからだ。クリンチはない。ホールドもバッティングもない。2人ともBOXINGの教科書のように戦う。グローブの握り方、ジャブ、ストレート、フック、アッパーの打ち合い方。ダッキング、ウィービング、ヘッドスリップ、両手をクロスさせたりアームブロックでパンチを防ぐ。1秒たりとも目を離せない打ち合いがつづいた。一進一退、井上選手やや優勢の中で11Rが来た。パンチを出し合ったとき、ノニト選手のボディーが空いた。もっとも効くレバーからキドニーにかけてのところに、強烈な井上選手の左ボディが食い込んだ。フツーなら即悶絶だ。打たれてすぐに効いて、さらに効いてヨロヨロしながら、ノニト選手はヒザをついた。通常ボクサーが後でなく、前に倒れた場合は立ち上がれない。レフリーのカウントがもう10になってKOかと思ったが、大歓声の中ノニト選手は立ち上がり、相打ちを目指し左フックを打った。この感動的な打ち合いは、全世界のボクシングファンに配信された。数億人が感動したはずだ。間違いなく今年のベストマッチだろう。次の12Rは最終回、さらに激しい打ち合いはつづいた。最高峰のBOXINGだった。試合は判定で井上尚弥選手が勝った。そしてすぐにノニト・ドネア選手のコーナーに行き、ひざまづき、ドネア選手にありがとうございます(?)と言った。ドネア選手はやり切った顔で君が強かった。これからは君の時代だと語りかけているようだった。大拍手の嵐、これほど清々しいBOXINGのシーンは、長い間なかった。最強のスーパーチャンピオンだった。内山高志選手の後継のスーパーチャンピオンの誕生だった。私の仕事は減量もなく、猛練習もなく、殴られることもない。なんだか悲しくなるほど考えさせられた。私はまだ全然努力が足りないと思った(何しろ未だ生きている)。11月12日NHKの「プロフェッショナル」を見て、井上尚弥選手の人間性と幼児期よりBOXINGを教えた、父親との愛情の深さに感動した。ハードな合宿から帰ったとき、今何がしたいですかの問いに、「赤いきつね」を食べたいですと言って笑った。この商品のネーミングとパッケージのデザインのお手伝いをした、一人としてうれしかった。
PKGはじめのデザイン |
2019年11月12日火曜日
「バカヤロー」
美樹克彦が歌った ♪ かおるちゃん おそくなって ごめんね かおるちゃん おそくなって ごめんね …… 花は 花は 花は ……とつづきラストにバカヤローと叫ぶ歌があった。歌詞が定かではないが、バカヤローだけは今も記憶に残っている。今年も残り少ないことを天気予報の、いよいよ木枯らし一号が吹くかもという予報で、肌身に感じた。本日朝、日経新聞の朝刊を読みながら、つくづく「バカヤローな時代になったな」と思った。茅ヶ崎出身の力士“服部桜”は黒星スタートであった。入門以来2勝しか挙げてないから、もう120〜130敗ぐらいしているのではないだろうか。でも一生懸命がんばっている。横綱白鵬敗け、大関高安敗け、大関豪栄道休場、関脇御嶽海敗け、栃ノ心敗け。横綱、大関、関脇が全員敗け、これは一場所15日制が定着した1949年夏場所以来の二度目の出来事。バカヤローなのだ。何しろでっかくなり過ぎている割りには、稽古をしっかりしないので怪我が多過ぎるからだ。新天皇即位パレードのとき、NHKの中継でなぜか皇室担当ではない政治部の女性記者が中継をした。いくら安倍総理のお気に入りとは言えパレードの政治利用で、やたらに安倍総理のことばかり中継していた。バカヤローなのだ。地方銀行が低金利であえいでいて、福島銀行がSBIグループから出資を受けることになった。ついに地方銀行は合併の嵐を加速する。で地方都市はさらにシンドイことになる(融資が厳しくなる)、政府のバカヤローな金融政策と、日銀のバカヤローな政策がマイナス金利となり、バカヤローな経済を生んでしまった。お金を貸します、お金を貸しますと言うから、それじゃ×××貸せといえば、担保、担保、湯タンポみたいで貸しはしない。バカヤローなのだ。信用金庫によろしくと頼むしかないのだが。香港ではデモ隊に向かって、バン、バン、バンと銃を発砲、かつて天安門事件があったとき、鄧小平は中国にとって、10万人ぐらいの命はどうってことはないみたいなことを言った。14億人近い超大国がバカヤローなことになって行くと、いずれ台湾もとなる。香港のデモはどこぞの国がジャッキ(空気を入れて騒ぎを膨らませる)を入れているはずだ。若者たちは純粋だったはずなのに。街角景気、減速感強く、10月の景気指数急低下増税・台風重荷。パラパラと新聞をめくれば、減損、減益、売り上げ減、大幅リストラ、景気後退確率75.3%に低下、大幅赤字、どこが好景気なんだ、経済の安定なんだ、バカヤローと言いたい。新車販売も、減、減、減だ。我々の業界のNO2でもある大手広告代理店、博報堂DYも、純利益28%減。NO1の電通も、いつの間にか買収したはずの外資に引きずり回されている。バカヤローと言ってやった方がいい。英国の企業家はいまだに海賊である。ワッパ(手錠)をつけたまま脱走していた男が逮捕された。もう疲れたと言ったという。脱走されたのも、脱走したのもバカヤローなのだ。私もすっかりバカヤローになってしまっている。もともとそうであるから仕方がないのだが。私の期待するリーダーが表舞台に登場して、この世を直してほしいと願う。“服部桜”よがんばれ、応援しているぞ。(文中敬称略)
2019年11月11日月曜日
「山中鹿之助と宮本から君へ」
人生とは七難八苦との戦いである。訳あって松本清張の「山中鹿之助」を読んだ。小・中学生のために書いた児童文学的なので分かりやすく、読みやすい。私の学力に丁度いい。“真田十勇士”と共に、私が少年だった頃のヒーローは“尼子十勇士”であった。その中のスーパースターが、「願わくば我に七難八苦を与え給え」と後世に残る言葉を発したと言う、山中鹿之助だ。「恩と仁と義。忠節の見本」として旧日本軍に都合よく活用された。ここでは山中鹿之助については多くを語らない。作家によっては、山中鹿介と書く。多くの歴史作家がその生き様を書いた。島根県出雲の国の有力大名、尼子家の家臣であった、戦国時代の当然のように、陰謀、調略、裏切り、寝返りの争いの中で、かつては格下だった毛利家の台頭の中で、謀られて殺される。34歳であったと伝えられる。滅ぼされた尼子家再興のために立ち上がったときに、七難八苦の言葉を発したという。私は山中鹿之助の大ファンで少年の頃、貸本を借りて来て読んだ。松本清張は山陰地方の出身である。今の世の中は「恩」も「仁」も「義」も、風の中に舞う言の葉のように飛び散ってしまう。去る10月26日一人の政治家が、あの世に旅立った。享年70歳。この政治家のことは世間ではあまり知られていない。私も新聞記事などで知るぐらいでしかいない。政界では「無名の実力者」と言われていたと言う(名は伏す)。この政治家の追想録を新聞で読んで、少し共感する言葉に出会った。事業に失敗し、借金取りに日々追われていた父親を見て育った幼少期に、父親からこう教えられたと言う。「カネは使えばなくなるが、人へ世話することで得られる、徳や仁義はなくならない」と。今の世の中、こういうことを実践している人は極めて少ない。私が大恩を受けた人の中に、今でも弱き者のために労を尽くしている人がいる。私はその人の徳や仁義はなくならないと思う。残念ながら私はいまだ受けた恩義を返していない。弱き者の七難八苦を引き受けている。きっと幼少の頃からのご両親の教えを守っているのだろう。北国の出身なので粘り強い。叩き上げの人間は、いわゆるエリートと違って、心根も強い。ちなみに山中鹿之助が毛利軍によって謀殺されたのは、私の父が生まれ育った、岡山県に流れる高梁川の地であった。父は、軍国主義に対して徹底的に抗したと亡き母から教えられた。50歳没という短かい生涯だが、弱者を守ることに尽くしたと言う。不出来である私は、どの教えも守ることができていない。そして今年も残る月日は少ない。いろんなデザインの来年用のカレンダーが送られて来る。先週末金曜日の夜8時50分〜11時、渋谷のユーロスペースにて真利子哲也監督の「宮本から君へ」を観た。この映画については後日記す。池松壮亮と蒼井優は、もの凄い演技だった。大森立嗣監督の「タロウのバカ」と今年NO1を争うのではないかと思う。菅田将暉も、またもの凄い演技力だった。強者と弱者の格差が年々大きくなってきている。が、弱者を甘く見るなよである。「宮本から君へ」の主人公は、ひ弱な男であったが、愛を守るために、強烈な男となった。山中鹿之助とダブって見えた。(文中敬称略)
2019年11月8日金曜日
「夢追い人たらん」
「蟻の一穴」とはよく言ったものである。今年の台風と豪雨、そして洪水はまさに蟻の一穴から増水し大河も小川も氾濫することを、まざまざと見せた。人間関係も、夫婦関係も、親子関係も、友人関係も同じだ。たった一つの目つき、たった一言、ちょっとした仕草、一本の電話、一枚の葉書や一通の手紙で破壊は始まる。人間と人間の関係は脆いものである。自分の目先きのことばかりを考えている時代にとって極めて顕著だ(反省)。近親憎悪というが、近親であればあるほどその結果は醜い。兄が弟に対してあいつは能力がないくせに、勘違いしていると言えば、弟は兄貴はタニマチ気分で終わった人間たちを引き連れていい気になっている。兄貴はコンプレックスの塊だと。不倫をしていない夫に、あなたはウソつきと言ってヤケ酒を飲む、不安神経症の妻。なんでこんな簡単な問題が解けないの、と言ってヒステリーを起こす母親、そんな母親をいい加減にしろと叩く父親。どうしても10万円貸してほしいいんだという学生時代からの親友に、借用書を書いてくれよと言う友。失敗を叱咤されたときにした憎悪の目つき。すがる気持ちで電話をして来ているのに、つれなく応対した電話。もう二度とメールや電話をしないでねと書いた葉書。人の気持ちも知らないで、自分の近況ばかり、自分の成果ばかり長々と書いた手紙。無防備にも不快を表わし、電話をしないでと、人の好意を知らない話。何年、何十年の付き合いも、ジ・エンドとなる。蟻の一穴の代償は時に悲しく、時に悔しく、そして時に残酷なこととなる。私は若かりし頃、話している相手の男が、ゴミ入れに足をのせ靴下のズレを直しているのを見て、激怒したことがある。10年早いと。相手の男はキョトンとして、そして平謝りした。それ以来その男との付き合いは終わった。そのまま付き合っていたら、きっと☓☓☓☓にしていただろう。1日24時間が無駄に使えない歳になってきているので、大切な人間と会うことを心掛けている。今年は大切な人を亡くした。思いもよらぬ人と再会をした。穴ぼこが空いていた人間と元に戻った。ステキな人、すばらしい人との出会いも多かった。その中に、金モウケの話をする人は、一人もいない。みんな夢追い人だ。左官職人、映画、小説、画家、文学評論、歌、建築、大工、陶芸、スポーツ、舞台、オペラ歌手、鮨職人、チェロリスト、ワイナリーオーナー、ジャム、甘酒、焼菓子製産者&オーナー、レストラン&ウェディング、レストランエネコ東京の社長には感動した。みんな目がキラキラと輝いていた。うらやましいほどに。今、あっとオドロクような仕掛けをいろいろ思案している。たとえ夢で終ってもいい。
レストランエネコ東京の店内 |
2019年11月7日木曜日
「おばあちゃんはやさしい」
10月26日(夜)新進気鋭の美人建築家(いずれ世にその名が出る)から、2本の映画をススメられた。1本は韓国映画の「おばあちゃんの家」、1本は中国映画「胡同のひまわり」である。翌日すぐにTSUTAYAに行った。「おばあちゃんの家」はあったが、もう1本は辻堂店、茅ヶ崎店になく、アマゾンで探してもらったら、あったので購入を頼んだ。映画談義は何よりも楽しい。そのなかでいまだ見ぬ映画を教えられると、居ても立ってもいられないことになる。この頃の韓国映画といえば、強烈な暴力とか、猛烈なSEXとか、陰謀渦巻く政治・経済物が多い。かつては韓流ラブストーリーが多かった。私は韓国映画は相当見ていると思っていたが、「おばあちゃんの家」、こんないい映画を見ていなかった。“すべてのおばあちゃんに捧ぐ”とラストに文字がでる。この作品を生んだ監督の自伝的映画なのだと思う。物語は実にシンプルだ。韓国のとある山の中の停留場に、一台のバスが停まる。女が一人の少年と降りて来る。道は砂利道だ。多分一日に、一本か二本しかバスは来ないところだろう。女は小学校4年生ぐらいの男の子に、おばあちゃんは耳が聞こえなく、言葉もしゃべれないからと言う。こんなところは嫌だ、嫌だと子どもは言う。10軒もないであろう、山の中の一軒家におばあちゃんは一人で暮らしている。腰は直角に曲がって杖をついている。顔はクシャクシャのシワだらけ、動く早さはカタツムリのように、ユックリ、ユックリだ。子どもはソウルから来たらしい。一匹の虫がいるだけで恐いとか叫ぶ、殺してと言えばおばあちゃんは、手でつかんでしまう。おばあちゃんが食べ物をつくって出すと、こんなの食べられないと泣き出す。おばあちゃんは無表情でやさしい。水をくみ取りに天秤棒に水桶けをつけて、ユックリ、ユックリと歩く。子どもはゲームばかりしていて、電池がなくなり大騒ぎとなる。おばあちゃんは、かぼちゃをいくつか風呂敷に包んで、やっとこさ街に行き、乾電池に変えてもらう。子どもはケンタッキーフライドチキンが食べたいと、形態模写でニワトリの真似をする。おばあちゃんは庭のニワトリを絞めて、ゆでて足を切って胴体と共に出す。キャーとオドロキ、こんなのケンタッキーじゃないと大泣きする。こんな日々が続く。ある日、縫い物していたおばあちゃんが、なかなか針の穴に糸が通らない。それを見ていた子どもが糸を通してあげる。いつしかおばあちゃんのやさしさが、腕白坊主に伝わり二人の間に固い絆が生まれる。そして別れの日が来る。母親が迎えに来て都会に帰って行く。ガタガタ道を登って来たバス。土ぼこりの中迎える母親、見送るおばあちゃん、美しい山並み、田舎の高貴な風景、ほとんど文明のない家。言葉を出せないおばあちゃん、かわいくてならない孫。古い型式のバスは動き出す。後部座席から大きく手を振る孫。小さく、小さく手を振るおばあちゃん。静かな映画は静かに終わる。直角に腰の曲がったおばあちゃんは、生きてもう腕白坊主に会うことはないだろう。ユックリ、ユックリと山道を歩いて登って行く。それはまるであの世へ向かうようだった。生と死の行き来を暗示する名作だった。我々は急ぎすぎている。
2019年11月1日金曜日
「首里城炎上」
沖縄の親愛なる友、ナベちゃん(ホテル・フォールームスのオーナー)首里城炎上でさぞかしい衝撃を受けているだろう。何があったのか。私はニュースを見て、米軍のオスプレイがついに落ちたかと思った。ナベちゃんはきっとこれを読んでくれているはずだ。近々時間をつくって行くから待っててな。これ以上の言葉しかない。裏社会には、「ベロン、ベロン」という言葉がある。この意味は世の中や人のことを、ベロベロとナメきっているということだ。日本はアメリカにベロン、ベロンにナメられているのだ。無条件降伏の条件は、沖縄及び日本全土を永遠にアメリカの基地にするというものであった。そして沖縄は徹底的に犠牲になってきた。首里城炎上はその延長線上にあるのではないか、まるで呪いの炎に見えた。大切なものを守るとき、その大切なものを焼き尽くすことのように。失火か? あるいは何かの陰謀か? きっと何かがある。ナベちゃん沖縄に行くから、その何かを調べておいておいてな、CIAは何でもやる(映画の見過ぎかな)。アメリカの命令にはこの国の権力者は、絶対服従だから、一枚噛んでいるのではと疑いを持つ(これもまた映画の見過ぎかな)。日本の金筋のヤクザ者は、ベロン、ベロンにナメられたら、命をかけてもケジメをつける。恥をかいたママでは生きて行けない。 私はこのことを映画「アイロン」にした。天才中野裕之監督は15分の短編に描いてくれた。すばらしい映像美の撮影は名人笠松則通さんであった。「恥」この一文字に鈍感になっているのが、今の世だ。大臣たちが連続して辞任した。メロンだカニだと。今度はウグイス嬢のギャラのピンハネとかジャガイモだとか、恥を知れ、恥を。森友学園事件の籠池被告に求刑7年。サンがけ(3掛)としても実刑5年近くが打たれるだろう。絶対に刑務所に入らなければダメと決まっている。そして刑務所内で変死と(やっぱり映画の見過ぎか)。オトーチャンガンバッテヤと籠池夫人の声が聞こえる。赤落ち(ムショ入り)したら、その身は何をされても藪の中となる。昨夜、ハロウィンだか何だか知らないが、仮面を被った人間が何人かいた。お面を被らなくても素顔がすでにハロウィンだよと言ったら、若い娘がアタリ! ギャハハハと笑った。夜11時近い新橋駅は酔客の群れだった。私はビール一杯と日本酒グラス4分の3だけであった。
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2019年10月31日木曜日
「その後、何が起きたか」
「餃子(ギョーザ)だ ビールだ 最高だ」。これはほとんどの人が大賛成のはず。中華料理店、ラーメン店、餃子専門店であればの話。これを東海道線のグリーン車の中でやられたらどうなるか。昨日品川駅のホームに立ったのは20時15分頃であった。どこかの駅で安全点検があったとかで、列車は遅れ気味だった。停車している列車内は満員ギッシリ状態。私はホームのベンチに座った。かなり重いカバンを持っていた。朝、新橋駅ホームから降りる階段にポスターが何種類か貼ってある。その中の一枚が「餃子だ ビールだ 最高だ グリーン車だ」とグリーン車使用キャンペーンのものだ。湘南新宿ラインがダイヤの中に登場して宇都宮から上野、東京を経て熱海の方まで直行できるようになった(土、日、休日はグリーンは安くなる)。「グリーン車の中は熱海だ 宴会場だ」。こんなポスターもあった。品川駅ホームにいると、何となく嫌な予感がした。あんまり混んでいるので(当然グリーン車も満員)動き出した列車をやり過ごした。なんとしても座って帰りたいからだ。が、やって来る列車は満員御礼状態であった。足腰パンパン、アンパン、カレーパン、クリームパン状態だ。重いカバンを持ち歩いた。列車が到着。ベンダーでミネラルウォーターを買っていざ突入、といっても香港のデモ隊のようにガードが固い。大人なしそうなオジサンが顔をしかめて私を拒否する。中年のOL風も、若いOL風も、三人掛かりで拒否をする。私は仕方なく思い切りショルダーを使って分け入りを計る。ラグビーのモール状態である。万が一にもOL風のヒトの胸とか、お尻に触ったらマズイのでオジサンを攻撃目標にして、グイグイと押して行った。グリーン券を買っていたのだが、私を拒否するヒトたちもグリーン券を持っていて座れずに入り口付近にひしめいている。JRの乗務員はこんな時でも、スミマセングリーン券を見せてくださいと、密集の中から現れる。ヨシ! この乗務員(女性)の後について行けば列車の中に入れるはずだと、ビッタシマークして(マークとは競輪用語でついて行くこと)。と、スポッと列車内に体が入った。最後部のところにはスキ間がある。そこに入れば少し体が楽になる。カバンも置ける。通路もいっぱい。横浜で空くのを目星をつけている。さて、予定通り最後部に入り込んでヤレヤレと思って、前を見ると、餃子をおっぴろげた新聞紙の上に2パック置いて食べている。ニラの臭いがプーンとする。ハゲた頭が一つ、ネズミ色の髪が一つ。窓側の男のヒザの上にはラー油+ショウユ+お酢をブレンドしたタレが置いてある。東海道線利用史上はじめて出会った、餃子だ、ビールだのシーン。と言っても飲んでいたのは、一人はワンカップの日本酒(これがヒジョーに臭い)一人はサントリー角ハイボールロング缶。他にもいろいろありそうであった。東京か新橋あたりから食べ始めたのだろう。まだ数が減ってない。かなりイライラ度が高い私。かなりクセーゾ指数が高い私。ゴルフ場の丸いグリーンみたいに、まん丸にハゲタ頭、そこから臭いがあふれでて来るように感じた。私は大きく、大きく深呼吸をして、あ〜つかれたと声を発し、ハゲた頭の上にフゥーと息をかけた。何、何だ、誰だみたいに餃子を持ちながら後ろを振り返った。目と目が合った。ウマイかいと言ったら、スットンキョーな顔をして、キモチワルイじゃないかと言った。その後どうなったかは、後日にする。ここはラーメン屋じゃネエが、次に発した私の言葉だから、ご想像を。
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2019年10月30日水曜日
「ある記事から、思うこと」
チクショウ手切れ金で、再出発してやるぞと大手電機メーカーを早期退職した男が思っている。2018年秋突然役員の定例会議で発表された数千人規模のリストラ案。58歳で管理職にいた男は、まさかと耳を疑った。社内メールが四方八方に。45歳以上で早期退職募集。応じれば割増の退職金が支給される。役員で定年を迎えたい。あわよくば系列会社の社長で終わりたい、と思っていた見通しは甘かった。1980年代に入社、働いて、働いて、働いたつもりだったが、会社の情況は厳しくなっていた。退職金は最大で1億円と破格だった。つまり年寄りたちは1億円出してもいらない、というのが会社の方針であった。男は気持ちがゆらいだ。会社に残っても一年後の処遇は白紙で先の保証はない。給与は激減しても働き続けるのか悩んだ。同僚に相談すると、妻から家にいてほしくないと言われたというのが多い。65歳まであと7年どこかに飛ばされるか、何も仕事を与えてもらいないのでは、そんなこんな考えていると、すっかり仕事への情熱はしぼんでしまった。そして悩んだ末、退職の申請書を提出した。約2ヵ月後退職を認めるの通知が届いた。再就職を探したが介護などキャリアとは無念の求人ばかり。唯一興味を持った会社は書類選考で落ちてしまった。3月末の勤務最終日。花束を贈られ、拍手の中で職場を去る姿を想像していたが、特段ねぎらいの言葉もなく後輩たちは淡々と仕事を続けていた。社員証を返し、私物を抱えて会社を出ると、守衛の人から「長い間お疲れさま」と声を掛けられ、涙があふれた。今はしっかり家計簿をつけ、外食を減らし、タクシーは利用せず、無駄遣いをやめた。「人生を生き直している」と思っている。退職後、子会社の社長になった元同僚と居酒屋で再会すると、会社のことばかり話す姿に、浮かびかけた羨望の気持ちはすっかり消えた。「失敗が怖いがリスクを取る人生も悪くない」と今、不動産投資や起業の準備をしている。早期退職割増金は「手切れ金」だと思っている。チョクショウきっと見返してやる気持ちと、老後に2000万円残しておかないとが交差している(ここまで記事より抜粋アレンジ)。ゴッソリといる団塊の世代、バブルを経験した仕事人間たちは、しっかり会社を利用して金を残した人間と、散財が身についてついにはスッテンテン人間と、アチコチ病気人間とに別れる。さらに女房たちから、まい日家でゴロゴロしていないでと言われて図書館人間へ。さらには、あなたの仕事生活を支えたから退職を期に別れてと言われて、オロオロする人間になっている。会社にオンブにガッコで生きて来た人間は、潰しが効かない。特に大会社や一流企業にいた人間は、そのプライドを捨て切れない。故山口瞳さんが直木賞を受賞したのは「江分利満氏の優雅な生活」(1963年)であったと思うが、振り返ればあの頃すでに、今と同じであったのだ。ただ定年の決まりが10年ぐらい違う。当時は早期退職割増制度などはなかった。まい日が日曜日は実はつらい。会社にとって正社員ほど、厄介な存在はない時代になってしまった。古い知人が65歳でなんとか再就職に成功、さあ〜新天地でがんばるぞと言っていたら、わずか3ヵ月で、キミはいらないと言われたと電話があった。ひと言多かったらしい。これを読んでいたらメゲるなと言いたい。日本全国、人を求めている地はたくさんある。発想の大転換すればいいんだ。まずつまらないプライドと、キャリアを捨てることだ。「無は有を生む」人生は長い。一日もまた長い。
2019年10月29日火曜日
「麻生哲郎さん35周年」
10月27日、ステキなパーティの出席者は、私を含めて21人だった。山形県旧荘内藩主酒井家18代当主酒井忠久様、ご夫妻もいらしていた。私の隣りは、岩谷産業元社長夫人、岩谷紀子様、前には国立音楽大声楽担当教授秋山理恵様、山梨県勝沼にてワイナリーを経営する中西昇様ご夫妻、住友林業元会長大西和男氏夫人もいらしていた。幅広い麻生さん夫婦のおつき合いを改めて知った。この人たちの中に私がいていいのか、と思う私がその席にいた。水彩画の達人にして、名エッセイスト。86歳になっても新作に挑みつづける麻生哲郎画伯とは35年近いおつき合いになる。名コピーライターでもあった。奥様は高名な料理研究家。娘さんは雑誌の編集長。田園調布に居を構えるセレブである。私とは住んでいる世界も違い、教養度においては比較しようもないほど大差があるのだが、なぜかおつき合いしてくれている(そもそも私に教養はない)。麻生哲郎さんは故郷山形県鶴岡を愛し、パリを愛し(フランス語、英語堪能)、阪神タイガースを愛する。全身知性と教養のおだやかな反権力の人。和菓子の虎屋さんの社長に、その作品を愛され京都の虎屋ギャラリーで個展を催した(このギャラリーは販売せず、虎屋の社長が気に入った作家しか個展は行えないという)。京都御所の前すばらしいギャラリーだ。もちろん個展は見に行った。京都の建築物を描き残してほしいと依頼され、2年後ぐらいに発表するとおっしゃった。闘志満々の画伯である。「é」というタイポグラフィーが画集の表紙に、黒文字でガツンとあった。これはフランス語で「絵」のことであると説明された。パーティ会場の六本木のレンチレストランの名が「ÉdiTion」であった。大切なお客さまなのでと、エッフェル塔がつくられていた。そして「é」の文字も。オーナーシェフはKoji Shimomuraさん、すばらしいフレンチで、オーナーシェフは気さくな人であった。二ツ星レストランであった。無教養な私を、主人の大切な友人ですと、奥様から紹介されて、恐縮の極みであった。娘さんからデザートの時にスピーチを頼みますと言われていたので、頭の中で何を話すかと考えていた。たくさんあるナイフとフォーク、それにスプーンの使い方もドキドキと考えていた。徳川家四天王の一人であった、酒井家の18代目は、やはりお殿様のように堂々として独特の気品があった。山形県鶴岡市にある、致道館の館長をされている。さらに日本美術刀剣保存協会の会長、刀剣博物館の館長もしているとのことであった。庄内藩は戊辰戦争で徹底的に攻められ、苦労をしたという歴史の話をされた。致道館には藤沢周平さんや、満州国をつくった石原莞爾将軍など郷土の出身者が飾られている。小澤征爾さんの二文字は陸軍大将板垣征四郎の「征」と石原莞爾の「爾」からだと最近知った。指揮者小澤征爾さんには、日本陸軍の音楽が流れているのだ。知ってビックリであった。パーティは3時間余でお開きとなり、記念撮影をした。水彩画の達人、麻生哲郎さんの名を憶えておいてください。2年後ぐらい、京都御所前、虎屋ギャラリーできっといい絵が見れるはずだ。そのときは、ぜひご覧いただきたい。
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2019年10月28日月曜日
「感動に、ヨーイドン」
少しばかり長いのでご容赦を。10月26日土曜日、いろいろ感動した。薄雲り、時々晴れ間があった。小三の男の子(孫)の運動会の応援に、昼に行く。お弁当タイム。午後3番目の種目80メートル徒競走を応援するのが目的(あとはソーラン節やダンスなので)、昨年は確か50メートル徒競走で、6人中5着だった。走り方が萩本欽一さんのようだった(キンチャン走り)。野球を始めたので今年は少し走り方が良くなっているはずだ。昼のお弁当は体育館の中であった。ギッシリ、ビッシリ人、人、人が弁当箱のごはんのように詰まっていた。私と同じ年代、つまりオジイちゃん、オバアちゃんが圧倒的に多い。みんな、それぞれ工夫のお弁当を食べていた。私の大好きな風景だ。老人大国になっているのをまじまじと感じた。ヨーイドンのピストルの号砲、孫はメガネをかけ一生懸命走った。ガンバレ! ガンバレ。昨年より少し速くなっていた。ウァ〜惜しい。もうちょっとで3着だった(私は3着だと思った)。が、残念ながら6人中4着。でも昨年よりは速かった。「ボク4着だったよ」と言って孫が来た。とても感動をした。それは子どもたちの一生懸命の姿に。大人になっていろんな人生を進み成功する者、あるいは失敗して人を殺したり、殺されたり、人を欺したり、欺されたり、大先生になったり、アル中になったり、親分になったり、子分で終わったりと、人の数だけ人生がある。どんな人間も小学校3年生の頃は、一生懸命ゴールに向かった。先生を信じて疑わず、指示通りに動いていたはずだ。新しい機器に変えにJ-COMの工事が来るので、午後1時半頃に家に戻った。2時からは鍼灸の達人がメンテナンスに来てくれる。サバイバルゲームの私たちの業界で、この3週間いろんな人に会いつづけ、心身ともに42.195キロを走ったあとのようであった。私から夢を取ったら、ただの迷惑者粗大ゴミである。それゆえ、私は夢を追う。達人のメンテナンスを受けながら、テレビでタイガー・ウッズのゴルフを見る。そこにJ-COMの工事の人二人。マットの上で裸になっている私を見て、オッヨヨとなる。「いいですか」といえば、「いいよ」と応える。狭いところで傷だらけの裸体の男、オレンジ色のポロシャツを着た鍼を打つ達人。黒い作業服の若い男二人。かなり異様なシーンであったろう。雨で無観客となったゴルフのトーナメントは、気の抜けたビールみたいというか、インポになったチンポみたいに、かなり活気がない。しかしさすが世界のトッププロは、一打一打プロのショットを見せる。大好きなタイガー・ウッズが首位を守り、その姿に感動する。本来なら多くの観客がコースにいて、タイガーのプレイに大興奮したであろう。手術、手術、大手術からカムバックした43歳のタイガーに感動する。ナイキのマークはやっぱり、タイガーがいちばん似合う。その後、テレビをNHKへ。イングランド VS ニュージーランド、準決勝に感動する。王者ニュージーランドに猛然とタックルをする、イングランドの男たち。日本を強くした、エディー・ジョーンズ、ヘッドコーチはやはり凄い指導者だった。強いものを倒すには、守りの強化しかないと、超、超、超猛練習をして、オールブラックスこと、ニュージーランドの三連覇の夢を砕く。そのひたむきさに感動する。その後映画を2本見て、夜11時NHK「SONGS」を見る。私がその歌声、そのステージスタイル、そのファッションセンスに、いちばん印をつけている「安全地帯」の「玉置浩二」が出演している(番組表でチェックしておいた)。あえて20年ぐらい前の歌を4曲熱唱。白髪のロングヘアー。いつものロングジャケット。中に白いシャツを外して柄のシャツの重ね着、ボタンを3つ外してVゾーンをつくり、ベストを着てバッチリのファッション、そしてロングブーツ。この男のセンスは抜群だ。いつ見てもステキだと感動した。箱根駅伝予選会のニュースをNTVで。つくば市である仕事のお手伝いをさせてもらっているので、筑波大学に注目していた。予選会はわずか1秒にドラマがある。オッオッオー! 筑波大学が26年ぶりに箱根駅伝へ。最下位で通過したかつて駅伝の王様だった中央大学(6連覇している)26秒差で涙を飲んだのだが、「麗澤大学」だった。泣き崩れている若者たちの姿に感動した。スポーツは1秒が生死のドラマを生む。「一生懸命一秒」。そんなコピーを思い出した。まい日ヒマつぶしみたいに生きていては、一度の人生を与えてくれたお天とう様に申し訳ない。27日の日曜日は、午後12時から大尊敬する山形県鶴岡市出身の「麻生哲郎画伯」の画集ができあがり、六本木でパーティ、ご招待を受け出席する。
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2019年10月25日金曜日
「看護師さんが、いちばん偉い」
昨日人間の寿命は科学的には115歳ぐらいと書いた。夜帰宅して日経新聞の夕刊に目を通すと、「114歳男性死去、世界最高齢か」ドイツ在住というのが、1段組の記事にあった。ギネスワールドレコーズ社の認定は受けていなかったという。なんと1905年生まれというから、第一次世界大戦前にこの世に生を持ったことになる。ロストジェネレーションといわれた、1920年代は戦争が終わりパリはドンチャン騒ぎ、敗戦したドイツは沈黙していた。その頃長寿の人は15歳ぐらいの少年だった。10月15日生まれというから、私と同じ天秤座だ。好物は甘い物、私はお酒(関係ないか)。自宅にてこの世とサヨナラをした。家族の世話を受けながら。苦あるも幸せな人生だったのだろうと推測する。ギネス社認定の世界最高年齢は、2019年1月北海道足寄町で亡くなった、野中正造さんで、113歳。野中さんも1905年生まれだった(記事より抜粋アレンジ)。この記事の左上に、「看護職最大27万人不足・厚労省25年推計、都市部中心に」。こんな切ない記事があった。介護職員に至っては約33万7千人不足するとか。ヒジョーにいけないことだ。超高齢化社会の先は超病人社会、超ボケ老人社会だ。過重労働のわりには給与は恵まれていない。これはずっと前からの自論だが、この国では看護師さんがいちばん偉いと思っている。病院に入院するとよく分かる。救急病院なんか戦場だ。頭ブッ飛び、腕チギレ、足ボッキボッキ、腹から吹き出る血潮の中で、冷静沈着にテキパキと動く。インターンの医師などは、ほぼ気絶するという。私は看護師さんや介護職さんは、国家の特別職として、給与は県・市会議員(なんもしないのが多い)並み、税金は免除すべしと思っている。私の住んでいる神奈川県の県会議員や市会議員なんて、何をしているんだか分かんないのに、1000万〜1500万ぐらいいただいている。その他にイロイロお手当てがつく。あまりにもオイシイ仕事なんだ。ソフトバンクの孫正義さんとか、ユニクロの柳井正さん、楽天の三木谷浩史さんとかが、金もうけのことばかりしていないで、少しぐらいは寄付しろよと言いたい。そうすれば、少しは顔つきもよくなると思うのだが。私有財産100億円以上の人は、等しく10%を看護師さんや介護職さんのために寄付する法律をつくれといいたい。大金を持っている人間の顔が貧しいのは、心がビンボーで、人を絶対信用しないからだろう(私は金もないのに顔が貧しい)。もっと芸術へ。もっと教育へ。もっと防災へ。もっともっと貧しき民のために私財を投じろだ。昨夜著名な音楽家と話をした。この国はどうしようもない文化後進国となってしまった。その人はお気に入りのスコッチと、葉巻きをくゆらせながら、ふとため息をついた。葉巻きを一本ずつキャッシュで払う姿はベリーグッドだ。スコッチは「島」のをとバーテンダーにオーダーシタした。私はスコッチへの知識はなく、「島」ってと聞くと、スコットランド近くの小さな島々の名を言った。バーテンダーが島によって味が違うと教えてくれた。ちょっと飲むとクワァと熱い。ウワァ〜と香り高い。なんと50度以上であった。亡き親友も大のスコッチ通だった。遺影はスコットランドにある蒸留所へ行ったとき、試飲しているものだ。今夜も写真は私に語りかける。ホドホドですよ、ホドホドにと。外はバカヤローな雨が降っている。ホドホドにしろと言いたい。孤独を味方にしなければ、やってられない。チキショウ落とし前をつけねばならない。午前1時44分37秒、いつものグラフに日本酒を入れた。つま味はオイルサーディンだ。
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2019年10月24日木曜日
「公園にて、ゲーカツ」
「オバアちゃん長寿のヒケツはなんですか?」聞けば、「むずかしいことを考えないで、何でもおいしく食べて、よく寝ることです。ウァハハハ」と笑った。「オジイさん長寿のヒケツはなんですか?」聞けば、「まい日一合半の酒を飲んで、何でも食べて、スケベでいるこっちゃ、ギャハハハ」と笑った。現在日本中に100歳以上が7万人以上いる。人間の寿命の限界は115歳ぐらいという。106歳の女性が一人元気でいるらしい。オイ! 昆虫じゃねえんだから、キャベツばかり食べてんじゃないよ。「キャベツ健康法」があった。さっきからメソメソ泣きながら、玉ネギばっかり食べてんじゃないよ、マッタク。「玉ネギ健康法」。何、やってんだよ、ボチャボチャ赤いのおっことして赤いウンコがでるぞ、赤いのが。「トマト健康法」。イロイロあって、みんな忘れられた。健康のためなら死んでもいい。といった「サンプラザ中野」というミュージシャンは30数キロ減量に成功した。こんな意志の強い人は数少ない。たぶん元気で活躍中のはずだ。私はオバアちゃんやオジイさんと話すのが大好きなので、家の前の公園のベンチで時々会話する。「アンタ、人相も悪いけど、口も悪いわね、ガハハハ」と笑われても話す。「オバアちゃん、いつも元気でいいね。何食べてんの?」と聞いたら、「天ぷら大好き、コロッケ大好き、鳥のから揚げ大好きだ」と言った。「オバアちゃん、脂っこいのばかりじゃん」と言えば、「コテコテしたのが、私の体には合ってんのよ。野菜ばかり食べていたり、魚ばかり食べていたら、パサパサになっちゃうわよ。揚げたてのコロッケが食べたいんだけど、最近肉屋さんがなくなっちゃったからね。メンチとか、ハムカツもいいし、ゲイカツなんか娘の頃よく食べたわよ」。「ゲイカツとは鯨(クジラ)のカツレツ」。「ソースをたっぷりかけてさあ、ジョウジョウしみこんでアツアツ言いながら、新聞紙にはさんで食べたのよ。アンタ人相悪いけど、ゲイカツ食べた?」「食べたよ、食べた。新宿の西口でね。競輪場でもよく食べたよ」「へえ、アンタヤクザ屋さん?」「違うよ、違う。そこに住んでんだよ。」「アラッソウ、初めて会ったわね。アラッあの人また速足で走っている。食後の散歩ね。血糖値が高いんだって」。オバアちゃんは口達者で、すこぶる陽気で元気がいい。「オジイさんはいないの?」と聞いたら、「運動が体にいいからと言って、毎朝歩いて今は昼寝中」「いくつ?」と聞いたら、オバアちゃんより三つ年上の八十二歳であった。こんな何気ない時間を楽しむことがすっかりない今日この頃だ。週末といえば雨ばかり。ポストには早々と年賀状はやめることにしましたのハガキ。来年はナニドシだったっけと思うが分からない。「オバアちゃん長生きしなよ」と別れて家に入ると、ピンポーンと音がする。「誰!」と開けると一人の女性(56歳ぐらい)「あのォ〜、外の木柵が壊れてますけど、お直ししますよ」と言う。台風15号で半分壊れてしまった。意外にも19号はやけに静かだった。「いいんですよ、ボロボロになっているのも、風情だから」と言うと、ポッカァ〜ンとしていた。天気のいい日曜日が、来ないかなと思っているのだが、今週末もあやしいようだ。健康に気をつけている人ほど、実は早死にしたり、病気のデパートになると、不健康が自慢のお医者さんが言っていた。基本的に65歳以上は長寿だ。私は健康なんてどうでもいいから、グッスリ眠りたい。今日は、超不眠症になって25周年記念日だ。ノートを見ると地獄の始まりと書いてあった。
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2019年10月23日水曜日
「万引き」
「君、○☓大学の学生だろ?」と聞けば、大学生とおぼしき若者が、「ハイ、そうです」と言った。「高見順のコーナーはどこ?」と聞くと、「えっ、タ・カ・ミ・ジョンですか?」と言って、パソコンを叩いた。「スミマセン、アリマセン」。「えっ、ないの? それじゃ伊藤整の『氾濫』はある?」と聞いた。「えっ、イ・ト・ウ・セ・イの、ハンランですか? ハンランってどう書くのですか?」と言うから、メモに、「氾濫」と書いた。若者はパソコンを叩いて、「スミマセン、アリマセン」と言った。「有隣堂」ともあろう書店に、高見順も、伊藤整もないのか。ちょっとしたいきさつがあって、高見順と伊藤整をと思って、わざわざ雨の中湘南テラスモールに行った。学生さんはバイトである。とある大学の学生さんだが、文学は学んでいないようだ。「○☓大学湘南キャンパス」として有名だ。なぜ有名かと言えば、湘南とは名ばかりでキャンパスはキツネやタヌキ、アライグマやハクビシン、テンやウサギ、蛇やその他の生き物がたくさん住んでいた場所にある。湘南と言えば、青々とした空と海をイメージするだろうが、まったくの詐欺的名称の大学だ。と、私は思う。湘南台駅からバスに乗って、どんどん潮の香りから離れていくと、山の気配がしてそのキャンバス停留所に着く。○☓大学3年という若者に「今、何を読んでいるの?」と聞いたら、若者の後ろから40代中程の店長の次ぐらいの男が、「すみません、何かお探しの本が」と言うから、「同じことは二度言わない主義だからね」と意地悪く言った。「メモに書いて学生さんに渡したからヨロシク!な」と言った。男は嫌な客だな、マッタク、バカヤロー、アホ、と顔に描いてあった。雨ばかり降っていると、心までジメジメして来る。本がなぜ売れないか。その一つに、私は書店のあり方にあると思う。書店は本を“置いてやって”いるので、売れなければ返本できる。「いらっしゃいませ」と客を向かい入れることもなければ、「ありがとうございました。またのお越しをお待ちします」ということもない。すべてが事務的に行われる。書店にとっての大敵は“万引き”で本を盗まれることだ。盗本にあったら書店がかぶるからだ(そういう決まりらしい)。コンビニと同じで裏で何台もの監視カメラをチェックしている。盗本の犯人は学生が圧倒的に多いと聞いた。写真集や大図鑑、美術、建築関係などの高額本は、アジア系がグループでやって来て、ひと仕事やるらしい。池波正太郎先生風に言えば、急ぎ働きを助ける“引き役”がいるらしい。バイトで入ったアジア系の学生が、監視役になったときに、仲間にメールして手引きするのだという。1冊1万円ぐらいの本を3冊、2万円ぐらいの4冊、5冊とカッパられたら、大赤字だ。盗本は盗本を買う奴等がいるからやる。日本中の本屋さんが本が売れなくて店を閉めている。その原因のなかには、盗本によるものが多いと、「日本盗本対策連盟&連合会(こんなものありません)」が発表していた。その額甚大であった。それにしても呪われたように雨が降る。昨日は新天皇即位の行事がある日で休日。楽しみにしていた少年野球の応援は中止だった。夜やけに寒いので、湯豆腐を食べた。秋はなく、冬が近い。
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